博物館レポートfrom福井県
山本陽一郎
No.1695
先日の『吾妻鏡』講読会の日に地元である福井県に帰省しました。短期間しか居られないのですが、その間にしばらく閉館して、リニューアルオープンした福井県立歴史博物館(旧福井県立博物館)と福井市郷土歴史博物館(旧福井市郷土資料館)に行って来ました。今回の2つの博物館リニューアル計画に伴って、福井県立歴史博物館は遺物・資料などの収集をメインに、またもう一つの福井市郷土歴史博物館が福井県の大まかな歴史の流れを解説するという役割分担がなされていました。先ず、資料の展示がメインの方は、考古学の遺物や民俗学関係の資料が収蔵庫ごと展示されておりビックリしました。特に中世の代表的な焼物である越前焼の窯跡の復元はとてもわかり易かったです。しかし、資料展示にメインを置き過ぎてしまったためか、日本の歴史の大きな流れの中における福井県といのが掴みにくく、やや取っ付きにくい印象を覚えました。
そうなると、ミーハーな自分にとっては必然的にもう一つの福井市郷土歴史博物館に、概説的な展示に期待をかける訳です。しかし開けてビックリ玉手箱ではありませんが、自分の勉強している平安~鎌倉時代の福井県(特に越前国)の展示・解説が無いではありませんか!何故そのような事になってしまったかというと、この博物館のコンセプトが、「郷土歴史博物館」というだけあって、福井県の歴史でも全国的に有名な箇所に重点を置いて解説・展示することにあったと思います。その内容は「継体天皇と古墳時代」・「道守庄と東大寺初期荘園」・「新田義貞と南北朝時代」(一番時間かけて見た唯一の展示)・「結城秀康と福井」・「松平春嶽と幕末」など、確かに豪快ラインナップです。ただ展示内容を見ても分かるように、古墳時代から奈良時代までが飛鳥時代を省略していて、また奈良時代から一気に南北朝時代まで、平安時代と鎌倉時代がゴソッと省略されているのには、かなり落胆・唖然としてしまいました。しかも自分の研究テーマである「越前斉藤氏」などはあるはずも無かったです(泣)。しかしこの博物館は、短期間に入館者数が3万人を超えるなど、好評だそうです。確かに古墳時代や幕末などは、政治史の流れから言ってもかなり重要な役割を福井県が果たした意味はわかりますが、しかしその展示内容には、「歴史は英雄が動かす」といった安易な英雄史観的なものに見えたのと同時に、福井県人の歴史認識の一端を垣間見ました。大きな歴史の流れの中で。、地域史としての「越前国」や「福井藩」を認識するという視点が無い限り、「郷土福井万歳」だけに終わってしまう気がします。
また、最近福井県でも「歴史の見える街づくり」運動が盛んになって来たらしく、近世城下町のとしての「福井」が見直されてきています(実際城下町に関する展示はかなり充実していて面白かったです)。それは最近の考古学の発掘成果を踏まえたものであると思いますが、しかし城下町としての「福井」を考える上で一番重要なはずの資料である「福井城」跡に、権力の象徴である福井県庁がデカデカと建っている現状を考えると根本的なところが間違っているのではないかと思ってしまいます。またそれは前回の山田先生が御指摘の地名に反映されています。以前は「大名町通り」という歴史を感じさせる名前だったのが、バブル経済が始まる時期に「フェニックスプラザ」という文化施設(?)を建てたことから、その通り名を「フェニックス通り」という、何ともミスマッチなものなってしまったという点からも、大事なものを見過ごしてはいないのかと思います。
しかし、自分が福井県から京都に出てくる頃は、まだそのような「歴史の見える街づくり」など言ったものはなく、歴史を大事にしていこうという事自体は、歴史好きの自分にとっては本当にうれしい事です。ただ「歴史の見える街づくり」=歴史に対する客観的な視点ではないことは言うまでもないことだと思います。
以前から(高校生時より)いつかこういう事を公の場で発言したかったので、もと福井県人、福井市民として思うところを述べました(特に福井城跡に県庁を建てた福井県の県民性など。
>野口先生
間違った事実の修正を指摘する事は、全然言論弾圧には当たりません。それより前回のレスでは、一字一句大事にすると言った矢先に早速やらかしました。すいません。
そうなると、ミーハーな自分にとっては必然的にもう一つの福井市郷土歴史博物館に、概説的な展示に期待をかける訳です。しかし開けてビックリ玉手箱ではありませんが、自分の勉強している平安~鎌倉時代の福井県(特に越前国)の展示・解説が無いではありませんか!何故そのような事になってしまったかというと、この博物館のコンセプトが、「郷土歴史博物館」というだけあって、福井県の歴史でも全国的に有名な箇所に重点を置いて解説・展示することにあったと思います。その内容は「継体天皇と古墳時代」・「道守庄と東大寺初期荘園」・「新田義貞と南北朝時代」(一番時間かけて見た唯一の展示)・「結城秀康と福井」・「松平春嶽と幕末」など、確かに豪快ラインナップです。ただ展示内容を見ても分かるように、古墳時代から奈良時代までが飛鳥時代を省略していて、また奈良時代から一気に南北朝時代まで、平安時代と鎌倉時代がゴソッと省略されているのには、かなり落胆・唖然としてしまいました。しかも自分の研究テーマである「越前斉藤氏」などはあるはずも無かったです(泣)。しかしこの博物館は、短期間に入館者数が3万人を超えるなど、好評だそうです。確かに古墳時代や幕末などは、政治史の流れから言ってもかなり重要な役割を福井県が果たした意味はわかりますが、しかしその展示内容には、「歴史は英雄が動かす」といった安易な英雄史観的なものに見えたのと同時に、福井県人の歴史認識の一端を垣間見ました。大きな歴史の流れの中で。、地域史としての「越前国」や「福井藩」を認識するという視点が無い限り、「郷土福井万歳」だけに終わってしまう気がします。
また、最近福井県でも「歴史の見える街づくり」運動が盛んになって来たらしく、近世城下町のとしての「福井」が見直されてきています(実際城下町に関する展示はかなり充実していて面白かったです)。それは最近の考古学の発掘成果を踏まえたものであると思いますが、しかし城下町としての「福井」を考える上で一番重要なはずの資料である「福井城」跡に、権力の象徴である福井県庁がデカデカと建っている現状を考えると根本的なところが間違っているのではないかと思ってしまいます。またそれは前回の山田先生が御指摘の地名に反映されています。以前は「大名町通り」という歴史を感じさせる名前だったのが、バブル経済が始まる時期に「フェニックスプラザ」という文化施設(?)を建てたことから、その通り名を「フェニックス通り」という、何ともミスマッチなものなってしまったという点からも、大事なものを見過ごしてはいないのかと思います。
しかし、自分が福井県から京都に出てくる頃は、まだそのような「歴史の見える街づくり」など言ったものはなく、歴史を大事にしていこうという事自体は、歴史好きの自分にとっては本当にうれしい事です。ただ「歴史の見える街づくり」=歴史に対する客観的な視点ではないことは言うまでもないことだと思います。
以前から(高校生時より)いつかこういう事を公の場で発言したかったので、もと福井県人、福井市民として思うところを述べました(特に福井城跡に県庁を建てた福井県の県民性など。
>野口先生
間違った事実の修正を指摘する事は、全然言論弾圧には当たりません。それより前回のレスでは、一字一句大事にすると言った矢先に早速やらかしました。すいません。