御還京祝着にて。
No.1564
美川先生、お疲れさまでした。崇徳院の配流先は、院政期の国衙在庁機構を文学的側面?から考えさせてくれて、このジャンルの研究をするには、とっつきやすい所ですね。
香川県の歴博については、まあ「教科書」みたいな所だと思いました。特に中世は材料が乏しいのかも知れません。展示形態そのもののやり方もそうですが、博物館自体のコンセプトが問題だろうと思います。隣の県がやるからうちも、みたいなことだとやはりダメです。また、いろいろな事情があったのだろうと思いますが、香川県の歴博は見学順路の導線が、京都文化博物館なみによくありません。
平家物語歴史館は行かれたのでしょうか。こちらはコンセプトがあまりにも明確で・・・。本体合流後のお話しが楽しみです。
関東下着
No.1566
私も先ほど自宅に帰って参りました。
全行程参加組も、全員無事に壇ノ浦見学を終え、見るべきほどのことは見て、そのまま海に…ではなくて、帰路に就いたことと思います。門司港レトロ展望室に昇って海を眺めた後、現地で解散致しました。とりあえず早馬で御注進。
屋島での時間が足りず、お勧めの平家物語歴史館に行けなかったのは、野口先生からの譴責を受けることとなろうかと覚悟しておりますが、屋島も壇ノ浦も天候に恵まれて、古戦場の地理を展望するという目的は十分に達したかと思っております。
おいしい魚もふぐも食べたし、合間の会話も勉強になったし、すばらしい旅行でした。皆様どうも有り難うございました。とりあえず御礼まで。
距離認識の世代間格差と古典理解。
No.1568
佐伯先生、北陸から屋島、さらには壇ノ浦への御転戦、さぞかしお疲れのことと思います。12世紀末においては、想像を絶する空間移動。この距離感というのも、網野善彦氏のいう日本歴史における第二番目の分水嶺の直前に生まれた小生などの世代と、今の若い人たちとの古典理解に、大きな溝を構築するものと思います。壇ノ浦から数時間で、関東というのは本当に驚くべき事です。
佐伯先生。下の鵺の件について、御教示ありがとうございました。高松の平家物語歴史館は学生さんを引率される旅行のおりにでも、是非にと思います。
それにいたしましても、『平家物語』を語りあうには最高にデラックスなメンバーによる御旅行、土産話と共に、これからの御研究への反映を楽しみに致しております。
無事、帰還いたしました。
No.1569
相次いで帰還報告が入るのは、あたかも源平合戦の故事に倣ったようですね。3番目は梶原景時ですかね。
ともかく、無事帰還いたしました。旅行中、文字通り横殴りの雨に遭遇しましたが、ちょうど17日の夜半がそのピーク。18日は曇りのち晴れで、結果的には17日が曇りだったほかは好天に恵まれました。平家の霊も、歓迎してくれたのかも?
16日は近藤先生のパワーリフティングのお仲間の石川さん(ご婦人)の運転で、屋島周辺を存分に見学いたしました。長崎鼻、談古嶺などの景色に見とれるうちに時間はたちまちに経過、あとまわしにした歴史館の見学時間がなくなってしまった次第です。
ちなみに、屋島寺はお遍路さんでにぎわっておりましたが、談古嶺は人影も無く、付近の旅館はともに閉鎖、茶店もつぶれたようで、ひどい寂れ方でした。四国は観光客が全盛期の三分の一に激減の由で、まさに「盛者必衰の理をあらわす」というところでしょうか。
17日は、12時17分新下関到着(朝、高松のホテルの朝食バイキングで讃岐うどん4玉を平らげた近藤先生は、列車中でパン六個、しかし、まだ物足りないご様子)、石浜さんの運転で住吉神社、長府、赤間神宮、火の山、関門海峡大橋、門司の和布刈公園、同神社を見学いたしました。
最終日は、駅近くの海峡夢タワーから彦島、下関市街を中心に眺望を楽しみ、唐戸から海峡連絡船で門司に渡ったのち、今回のハイライト、壇ノ浦の海上クルーズを満喫いたしました。最後に、野口先生お勧めのレトロ門司展望台から海峡を眺めて旅行を終えました。
実際海上に出てみると、上から見た景観とは全く異なる感覚が体感されましたし、パノラマのような火の山、門司側からの眺望と、壇ノ浦を出来る限り、様々な角度から見学いたしました。この経験を研究に生かせるように、努力したいと思います。
運転をお願いしたお二人には感謝の言葉もありません。また、チケットの手配など、雑務を御担当いただいた近藤先生、旅行中ご教示を頂いた佐伯先生に御礼申し上げます。
しかし、近藤先生のすごさは食べっプリばかりではありません。なにせ、下関東急インの壁を越えて響き渡るいびきで、当方睡眠不足と相成りました。
以上、情報を賜った御礼を兼ねて、ご報告まで。もっと詳細なレポートは長村君にお任せします。
睡眠時無呼吸症候群?
No.1571
レスを入れている間に、元木先生からもレスが。ツアーでは、お世話になりました。
いびきの件、失礼しました。花粉症でもあるのですが、私自身、睡眠時無呼吸症候群の疑いを抱いております。検査した方が良いのかも。自分では分かりませんからね。
倶利伽羅のこと
No.1579
屋島・壇ノ浦については、元木先生や長村さんから詳しい報告が出揃ったようですので、私の方からはもう一つ、その前に行った倶利伽羅峠について、失敗談を交えて、今後いらっしゃる方のために役立つかと思うことを若干。
1)倶利伽羅峠方面へは、ガイドブックによっては、「石動駅からバス」などと書いてありますが、そのバスは、月に一度、28日の倶利伽羅不動寺の縁日にしか運行しないようです(他に正月)。ぶらりと行ってその日に乗れる確率は30分の1ぐらいですね。20年ぐらい前には、一日1本か2本は運行していたように記憶していたのですが…。従って、ハイキングの装備で歩くか、タクシーしかありません。タクシーも貸し切り制度がないので、高くつきました。
2)ハイキング装備で歩く場合、歴史国道「倶利伽羅いにしえの道」というのが整いつつあるようですが、完成したとしても、隣の倶利伽羅駅まで歩ききるには、一日分の時間と、かなりの体力を要するように見えました。また、三月半ばでも、山中はあちこちに雪が残り、革靴では時々「ズボッ」という感じで雪だまりに足がはまってしまい、歩くのは無理でした。
3)雪といえば、猿ヶ馬場に建っている火牛像ですが、三月半ばではまだ兼六園の木のような雪づりをしていて、牛の頭や角、松明には藁が巻いてあり、何の動物だか全くわかりません。この写真を撮るという目的については、完全に失敗でした。もっとも、とてもお間抜けな写真が撮れたので、話題にはなるのですが…。
4)倶利伽羅谷(現在は地獄谷と呼称)の写真は、前にも何が何だかわからないものを撮りましたが、今回も撮ってみると何を撮ったのかわかりません。やっぱり古戦場の理解は、写真で切り取るのではなく、現地をできるだけ時間をかけて歩き回るしかないなあ、と思います。屋島や壇ノ浦のように、上から見下ろせる場所は、それでかなりわかるのですが(特に今回は壇ノ浦を、角度を変えつつずいぶん見下ろしました)、山中の古戦場は全体像をつかむのが難しいですね。
以上、まとまらないご報告でした。
運転できないおじさんの嘆き
美川圭
No.1580
佐伯先生に触発されて、崇徳院配流の地について、ひとこと。
地方では、ほとんどの家で、車をもっている(たぶん人数分)ので、公共交通機関の衰退が著しいようです。そのために、どんどん、観光客が行きにくくなっている感じです。あたりまえの観光地は、それなりに来ても、ちょっとはずれるともうだめのようです。史跡めぐりなどとなると、もう悲惨きわまるんですねえ。もう、屋島あたりでも、その影響をもろにうけているみたいですね。
今回の崇徳院配流地めぐりも、白峰寺と山陵行きについては、ずいぶん迷いました。坂出からバスで行けるところまで行って、そこから徒歩、とも思いましたが、天気でも悪かろうものならたいへんですし、それだけで1日がかりとなりそう。やむをえずタクシーチャーターと相成りました。
JRの坂出と高松との間は、四国の幹線なので、かなり頻繁に電車が走っています。ただし、快速が多いので、途中の史跡が多い八十場とか、鴨川、讃岐府中、国分寺などに停車する普通は、1時間に2本といったところ。これは、ずいぶんめぐまれているほうです。ですから、八十場の高照院、讃岐府中の鼓岡神社、県埋文センター、国府跡など、国分寺の旧国分寺跡などに行くには、JRで十分でしょう。
タクシーは、どこを走っているのか、わからなくなってしまうので、どうしても行けないところに限りたいところですが、ある程度コースが決まっていて、運転手も、それほど細かいところまでは知らない様なので、痛し痒し、です。
やはり、車の運転ができておれば、と思うのですが。こんなときしかきっと運転しないと、けっきょくペーパードライバーになり、だめかもしれない。なんだか、うまくいきませんね。
数年前に、北ウエールズへ一人で行って、バンゴールという町を拠点に、古城巡りをしたのですが、もっとバスの便はよかったですね。日本の地方も、もう少し考えた方がいいと思います。車でドライブに来る人は、あんまり現地でお金落とさないような気がしますし。まして、史跡はめぐりませんよ。
いまどき、運転できないおじさんの嘆きでした。