研究発表

No.1507

本日ゼミに参加してくださった皆様へ。
 プレ発表を聞いていただいて、ありがとうございました。自分の頭で考えているだけでは、考えの及ばない事も多く、卒論からずっと建礼門院を扱っているからこそ、指摘されて初めて気づいた事もありました。まだ、準備も勉強も終わっていませんが、自分の方向が定まってきたような、そんな気がして、楽しく勉強できそうです。ただ・・・お聞きの方は分かると思うのですが、口頭でのプレゼンがとても苦手です。お気づきの点がありましたら、本当にどんなに些細な事でも教えていただけたらと思います。

>山内さんへ
 たぶん、とても分かりにくい発表だった事と思います。ごめんなさいね。

歴史学からの『平家物語』研究。

No.1509

 田中さん、昨日は御苦労様でした。田中さんの御報告は、時にレジュメに示されていないところにも、とても優れたところがありますので、研究会に参加された方が、いかにそれを上手く引き出されるか・・・でしょう。それにしても、せっかくの持ち味を上手くレジュメに反映されるよう、一頑張りされたらよいと思います。
 ちなみに、昨日は野口タクシーの利用者がおられませんでしたが、みんなで何処ぞに繰り出したのですか?
 それにしても、昨日の御報告の本題からはズレますが、延慶本と四部本の記事から、建礼門院が六波羅を望見できる鷲尾に住み、ここで亡くなったというのは、確定的な事実なのに、一般に知られていないのは残念ですね。
 それから、話は飛びますが、後出本の『源平盛衰記』にしか見えない記事に、結構、歴史の方から検討したさいに正確な記述が多いというのも注目すべき事だと思っています。最近、軍記関係の国文学の学会に歴史の研究者をお呼び下さるケースが多いのですが、歴史の方も積極的に国文学の研究者と交流する機会を設定していかなければならないことを痛感させられます。
 ちなみに、京都女子大学宗教・文化研究所では、本年6月26日(土)に、国文学からは兵藤裕己氏(学習院大学)、歴史学からは高橋昌明氏(神戸大学)をお招きして、平家ないし『平家物語』をテーマにした公開講座を開催する予定です。乞う、ご期待!!。

多気町河田の清盛塚。

No.1510

 上記の記事とは直接関係がありませんが、先般のゼミ旅行の際に、河田の清盛塚を地元の方に案内していただきましたが、あの塚に生えていた巨木というのは何の木で、いつ伐採されたのか、それとも自然災害で倒れたのだったのでしょうか?
 ようやく、河田について記録し、空間の位置づけについて考えようとしたのですが、地図は返していただいていないし、記憶はかくの如しで、唖然としています。覚えておられる方がいたら、すぐにお知らせ下されば助かります。

Re: 研究発表

山内梓
No.1513

返信が遅れてしまって申し訳ありません。
謝らないで下さい!あの発表を難しく感じたのは私の勉強不足が原因なんです。もっとちゃんと予習して参加すれば良かったと今はとても反省しています。こんな情けない後輩ですがこれからもご指導よろしくお願いします。あと、もしよければ今度是非お酒を飲みに行くときに連れていって頂きたいです。そっちの方もよろしくお願いします。

研究発表のインパクト。

No.1514

 同じ日本史の研究者どうしでも、すこし時代やジャンルが違えば、研究発表の内容を完全に理解するのは難しいことです。 たしかに、当ゼミの報告においては、初心者にもおおよその意図のつかめる報告を心がけて欲しいとは思いますが、良い報告というのは、理解できないなりにも、若い人にはインパクトを与えるところがあるものです。聴いた側が、刺激を得て、やる気になってくれればOKだと思っています。
 >山内さん 多方面において田中先輩の御指導をいただくことは実によいことであるとは存じます。それは小生も認めます。しかし、お酒の出るお店に連れて行ってもらうのはよいけれど、飲むのは20歳になってからですからね。20歳の誕生日には「盛大に」お祝いをしましょう。
 ちなみに、<歴史学者たる者?は「今は知らず」>、江戸時代には、女性の20歳前後を「年増」、23・4歳から30歳までを「中年増」、それより上を「大年増」といったそうです。
 現代の成人20歳というのは、遅すぎますね。選挙権を20歳まで与えないというのは、変革を好まない老人の策略でしょう。かの北条時宗が、連署から執権に就任したのは18歳ですから。  
 なお、NO.1510への返信、お待ちしております。みんなで、忘れてしまったのでしょうか?さては、健忘症のウィルス蔓延か?

清盛塚

No.1515

>野口先生へ。
 清盛塚ですが、塚の巨木はヒノキで(これは確実)、伊勢湾台風のときに倒れたと仰っていたような気がします。
 なお、「年増」については了解いたしました(笑)江戸時代ですと、私は「中年増」に当たるところを、野口先生が「年増」とちょっと若いめに仰っていただいたという事ですね(^^)なるほど、納得です。
>山内さんへ
 「20歳」と、長村くん言うところの「野口パパ」からのお達しです。では、今度美味しいご飯を食べに行きましょう・・・という話は、私が東京から帰った後、3月の末辺りにしようかと思っているのですが、都合の悪い日、良い日を教えてください。
>伊勢旅行参加の女性の皆様へ
 伊勢のときのお約束です。(覚えてますか?)美味しいご飯をみんなで食べに行きましょう☆というわけで、山内さん同様に、三月末で都合の良い日、悪い日を教えてください。

Re: 研究発表

No.1516

清盛塚へは行っていないので、野口先生のQuestionにはお答えできませんが...。野口タクシー、出発後のお話は出来ます☆
 研究発表会終了後、女坂を下っていたのですが、どこかへ食べに行こうという事になりました。(ウフカトーの場所はもう通り過ぎてしまっていたので)京阪七条より東に入ったところの「まんぞう(以前、『あちょぼ』という立ち呑みだった所です)」に於いて、反省会?が行われました。店員になかなかオーダーが通じないというハプニングがありましたが、9時半くらいまでみんなで談笑しました。

>田中さんへ
くだらない質問しか出来ませんでしたが、僕にとっては(もちろん詳しいことはわからないですが)聞いていて“なるほど!”と感じることのできる発表でした。
 男なので、お食事会には参加できないのが残念ですが(^_^;
 発表本番は京都の方から応援の波動を送ります(/_・)/~~~~~~

Re: 研究発表

山岡 瞳
No.1517

発表を聞きに行きたかったのですが、バイトの関係で聞きに行くことができませんでした。とても興味のある内容で、もしレジュメが余っていたらわけてくだい。m(__)m
発表頑張ってください。
どこかにお酒を飲みに行くことがあればぜひ私も誘ってください。まだ未成年なのですが…。こんなに堂々と掲示板に書き込んでもいいのでしょうか。
こんな私ですが今後ともよろしくお願いします。

Re: 研究発表

No.1519

 本日、研究発表があったため、その準備もあって、ここ数日、掲示板を覗いておりませんでした。田中さんのご発表は、バージョン・アップしたものを東京で伺えると思い、楽しみにしております。
 建礼門院の晩年、鷲尾住まいの件は、確定事項でいいですよね。歴史家の某大先生の反対もあるようなのですが…。私は、間もなく仕上げる「一般向け」の拙著(屋島・壇ノ浦ツアーに行って書き上げる予定)の最後を、女院はこの高台から京都の街を見下ろして、何を思ったのだろうか、といった結びで締める予定ので、確定事項といってもらえると嬉しいのですが…。


総大将の御裁定。

No.1522

 >山岡さん
 山内さん同様、お酒は20歳になるまでダメですよ。
 
 >田中さん
 「清盛塚」のこと、お知らせ下さり、ありがとうございました。そうですね、伊勢湾台風と小生も記憶しています。
 また、20歳前後の「若い」女性の呼称の件、御了承下さり、ホッとしています。
 それから、相次いでご本人達から指導要請のあったことでもありますし、このさい、山内さんと山岡さんの生活指導・相談役をよろしくお願い申しあげたいと思います。
 ところで、この掲示板は、ゼミメンバーのお母上もご覧になっているとのことです。というわけで、・・・
  
 >お母様をはじめ保護者の皆様
 田中さんにお任せすれば大丈夫です。ご安心ください。
 
 >鈴木君 
 御報告ありがとうございました。田中さん応援の波動は御一緒に送りましょう。後白河院陵や将軍塚から波動を送れば、関東では「鳴動」と思って、さぞかし震撼することでしょう。

 >佐伯先生
 お久しぶりです。
 建礼門院が鷲尾で晩年をおくったことに異論をさしはさんでおられる某先生について、小生は不勉強にて存じ上げないのですが、何か一次史料に反証でもあるのならともかく、鷲尾で確定として問題なしと思います。さまざまな思いをこめて、日々六波羅を見下ろしながら、彼女はここで人生の最終章を過ごしたのだと小生も想像しています。
 なお、総大将のお一人である元木先生からいただいた私信によれば、高松の平家物語歴史館には全軍で進攻されるご予定とのことです。

鷲尾住まい

No.1528

 野口先生、有り難うございました。
 うろ覚えで書いてしまいましたが、上横手先生の『平家物語の虚構と真実』末尾(私の持っている最初の版では389頁)に、延慶本の記事を批判して、「とうてい女院が静かに余生を送るような場所ではないし、こんな所で、大原御幸から数えると四十年近くも住んでいて、女院のことがまったく記録に載っていないのは不思議であり、あり得ないことである」として、女院の生存自体、承久の乱に関連づけるための虚構であるとの説が展開されています。大原終焉説が正しいと結ばれるわけです。
 もっとも、これは、延慶本の「法性寺周辺」との記述に対する批判であって、「鷲尾」を問題にされたわけではありません。そもそも、1973年の本ですから、『平家後抄』よりも前なので、角田説をふまえているわけはありません。その点、私の書き方は不正確でした。現在、上横手先生がどうお考えかは、私は存じません。ただ、『虚構と真実』の論旨によれば、「鷲尾」説に対しても、同様の批判が展開できるはずです。
 しかし、あまり積極的な論拠であるとはいえず、私はやっぱり鷲尾あたりで長生きしたという説が、現在最有力であると認識しているわけですが。

追記

No.1531

 上の私のレスへの追記です。
 「『平家後抄』よりも前なので、角田説をふまえているわけがない」というのも不正確な書き方でした。角田先生の「建礼門院の後半生」の初出は1973年ですね。(『王朝の明暗』の初出一覧によれば)。
 で、『虚構と真実』刊行と同年なので、上横手先生は、やはり角田説への批判として書いたわけでもないのだろうという点に変わりはないわけですが。
 いい加減なことを次々と書いて、大変申し訳ありません。
 

建礼門院の終焉の地。

No.1534

 佐伯先生。ありがとうございます。
 「某大先生」はやはり上横手先生でしたか。『虚構と真実』は小生もピンク色の旧版で読んだはずなのですが、このことはすっかり忘れていたようです。
 たしかに、建礼門院が承久の乱後まで生存していたのなら、公卿の日記にあらわれてないのは不審のようにも思えますが、重要人物(とくに女性)が生存中にもかかわらず史料に名を見せないことはよくあるわけですし(実朝の夫人で、文永の頃まで京都西八条の遍照心院にいた本覚尼も、貴族の日記には長く名を見せていないのではないでしょうか?)、文学的虚構というのなら、まさに大原終焉説がそれに当たるのではないかと思います。そうした方が若くして亡くなったことにもなるわけで、こちらこそ出来すぎです。
 それから、女院が善勝寺をへて、鷲尾に住んだ背後事情についての角田先生の考察は説得力があります。また、静かに余生を送る場所としてふさわしいかどうかという問題については、近年の研究によって明らかにされている当時の女性の心性に照らしても、むしろ鷲尾がふさわしいと思います。
 北条時政の後妻で、娘婿を将軍に擁立しようとして失敗し、夫と共に失脚したはずの牧の方が、承久の乱後の京都で、きわめて羽振りの良い生活をしていたことなどを考え合わせますと、死ぬまで「なよなよ」と安徳や一門の菩提を弔うことばかり考えていた旧態依然とした徳子のイメージを払拭したくもなってきます。
 最も尊敬する歴史学者である上横手先生に異論を唱えるのは、きわめて僭越な話しなのですが、小生はそのように考えております。あるいは、上横手先生も、今は大原終焉説を否定されているかも知れません。
 上横手先生の直弟子であられる元木先生や美川先生は、この問題についてどのようにお考えなのか、旅行中、ぜひうかがってみて頂ければと思います。

わかりました

No.1540

 野口先生、重ね重ね有り難うございました。
 この件、私は、以前からカルチャー・センターのような場で建礼門院の晩年のことを話すたびに、「私はその時は生まれていなかったので、事実かどうか知りませんが」といった枕詞で鷲尾説を話しては、内心ひやひやということの繰り返しなので、一度お伺いしてみたかったという次第です。
 私も角田説に説得力を感じますが、自分自身で見つけた新たな論拠は何もありません。ただ、「大原で若くして亡くなるっていうのは、いかにも語り本らしい話の作り方だよなあ」という程度の感覚はあります。『平家物語』としては、建礼門院は安徳天皇と一門の菩提を弔うことに、残りの人生のすべてを傾注してほしいというのが、物語としての要請でしょう。
 というわけで、元木先生、美川先生、旅行中のご教示、よろしくお願い致します。

建礼門院徳子に関する研究。

No.1502

 明日の例会の予習をしていて、あらためて角田文衞先生のお仕事に舌を巻いております。ふつうの常識的な感覚から「知りたい」と思うことは、徹底的に追究し、史料も博捜してある。これが並の研究者にはなかなか出来ないことなのです。叶いませんね。「建礼門院の後半生」をはじめ、『王朝の明暗』(東京堂書店、1977)所収の人物をとりあげた論文、読みふけってしまいました。
 また、故・須田春子先生も晩年、平家の女性に関する研究を進めておられました。あまり、流布していない雑誌なのでご存じない方が多いと思いますが、『古代文化史論攷』6(1986)に「女人入眼の日本国(一)-平氏・清盛傘下の女院-」を書いておられます。明日の報告者である田中さんは、すでにこの論文の存在にお気づきで、その所在について問い合わせを頂いております(>田中さん。コピーしておきます)。
 やはり、確実な基礎的事実を先ずおさえておくということが、『平家物語』研究でも、ひとつの基本的な出発点となるもの思います。福原についても、大森金五郎(小生の郷里の千葉県出身。昔は千葉県からは、八代国治、白鳥庫吉など、錚々たる歴史学者が輩出)などという昔日の大家の研究があり(『武家時代の研究』第二巻)、先行研究の渉猟は怠りなく行いたいものです。
 ゼミメンバー諸姉兄は、徳子さんについて、どのくらい勉強が進んだでしょうか?山田知佐子さんは、どうやら猛勉強されている御様子ですよ。

建礼門院徳子に関する研究

No.1504

 明日の発表準備から逃げて・・・いやいや、息抜きにやってきました。
 肝心な事は明日発表で言う事にしますが、建礼門院に関する研究は数々ありますが(一応、明日これに関しては簡単に説明するつもりです)、角田文衛氏のように、人物そのものにスポットを当てた詳細な研究はなかなかありません。論文を読むたびに、本当に「知りたい」ということに貪欲な方なんだな~と思っています。
 明日の発表は21日の発表の雛型です。皆さんから意見をいただく為には、こちらの準備が必要です。この「準備」がすごく危ないのですが・・・・そろそろ勉強に戻ります(--;
 では、皆様また明日。

ふたたび、東京都立大学問題。

No.1493

 昨年9月、神戸で開催された平家物語研究会に出席されていたので、ゼミメンバーの多くがご存じの、東京都立大学大学院生・高松百香さんのメッセージです。これから、研究者を目指そうとする君たちには、ぜひ読んでおいて欲しいと思います。
http://www8.plala.or.jp/kawi/228t.htm

四月の予定について

No.1482

気が早いようですが、新学期はじめの研究会のご案内です。
四月八日(木)の夕方四時半から共同研究室にて行います。
研究会・・・とはいっても新学期最初ですし、その頃にはみなさんの新しい時間割などもおおよそつかめているとおもいますので、新学期からの研究会の曜日決め、これからのゼミの具体的方針、当面の予定などを話し合うミーティングとしたいと思っております。みなさん、この日はちゃんと予定をあけておきましょう!!
ではよろしくおねがいいたします。
(深夜なのでMLでは明日流す予定です。)

また、一区切り。

No.1486

 永富さん、来年度は卒論や進学で大変だと思いますが、ゼミの「棟梁」よろしく、お願い致します。

 ところで、本日のどうやらお昼頃、このHPへのアクセスがトップページは20000、BBSへは25000を達成したようです。もとより、数より内容ですが、まあ、年度の変わり目でもあり、一区切りといったところでしょうか。開設、一周年目前でしたが、10000ヒットがたしか11月でしたから、大変なハイペースで、それは恒常的な読者が増えているということでしょう。
 なかなか、学問的にも重要な話題もありましたから、そのうち内容を選別のうえ、石浜さんにお願いして本にでもしたいところですね。書き込みの保存については、鈴木君、よろしくお願い申し上げます。

 かくして、当ゼミの内実、全世界にバレバレなのですが、最近発生した問題一件。それは『吾妻鏡』講読会の日程問題です。
 4日の第一回の会の際に、どうやら週一回のペースで行うことが決められていたようなのですが、小生をはじめ、主要メンバーにその情報が徹底しておらず、次回に予定されていた11日に例会が重なってしまったという次第です。
 これほどの情報社会でありながら、行き違いがあったようで、残念。まあ、小生はもとより、メンバーみんな、思いこみが強そうなので、今後は、「以心伝心」ではなくて、欧米人の愛情表現の如く、言葉で確認しあいましょう。
 というわけで、例会と講読会を並行実施という提案もありましたが、それはメンバーが分身の術を極めてから、ということで、11日は例会に集中。今週は「徳子ちゃんウイーク」で。『吾妻鏡』は来週(18日)に多くの参加者を得てやりましょう。
 これで、納得して頂ければ八方丸く収まって大団円。不満が残れば、いよいよ内乱。自力救済の世界へ突入です。

 ところで、話はガラリと変わりますが、昨日の朝日新聞の読書欄に、史料編纂所の保立道久先生の髭を生やされた大きなお写真が載っていました。

トラブルの原因&ご迷惑おかけしました。

山本陽一郎
No.1489

今週の11日に『吾妻鏡』講読会を実施する予定だったのですが、自分の連絡の不手際からその事が上手く伝わってなかったようです。みなさんには、大変ご迷惑をおかけしました。
先生がご指摘のように、掲示板をこんな時こそフル活用すべきだったのですが、全く面目ないです。
 今後の『吾妻鏡』の予定は、今回の穴埋め分を検討中ですが、  ①3月18日(木)・1時から4時まで
    ②3月26日(金)・上記と同じ  
です。範囲や分担などはまた決めたいと思います。

『吾妻鏡』の建礼門院徳子さん。

No.1490

 『吾妻鏡』には元暦元年2,20、文治元年3,24/4,11/4.28/5.1/同3年2.1条に建礼門院が所見します。・・・ということで、11日の『吾妻鏡』講読会は、田中さんの例会発表に吸収合併でよろしいのでは。
 それに、平家と北条氏といえば、時政の後妻・牧の方が忠盛正室・宗子(池禅尼)の姪であるということに着眼された杉橋隆夫先生の興味深い研究もございます。それゆえに、11日には、杉橋先生御門下の滑川さんにも、来ていただけると嬉しいのですが。
 ところで、23日の日本史研究会中世史部会では「鎌倉幕府と京都大番役」というテーマの報告がされるとか。ところが、2月の滝口に関する報告のときと同様、小生、ちょうどほかの用事とぶつかって出席できず(今回はカラオケではありません。念のため)、実に残念です。山本君・長村君、それに滑川さん、出席されるようでしたら、後日、感想などお聴かせ下されば幸いです。
 なお、元木先生・近藤先生を大手・搦手の総大将とする、屋島・壇ノ浦遠征軍の出陣も間近となりました。小生、ちょうど一年ほど前に、屋島、そして昨年末に壇ノ浦を、花園大学の山田先生と共に探索して参りましたので、今後、折りあらば、この場で御報告申しあげ、この度の遠征に役立てていただきたいと思っております。

 本日、研究室に新しい書架が2つ設置され、段ボール箱に入っていた須田先生からの寄贈本を配架しました。模様がえも致しました。残念なことに援軍はゼロ。なかなか、厳しい闘いとなり、その結果、いま腰痛に顔をしかめております。

「棟梁」からひとこと・・・

No.1491

吾妻鏡の日程、一件落着ですね♪内乱に発展しなくてよかったよかった(笑)

野口先生>いただいたメール、返信しておきました。研究室の模様替え、今日だったようですがお手伝いに行けなくて申し訳ございません。腰の方、お大事になさってください

山本さん>掲示板だけでなくMLもがんがん活用してくださいね。

ゼミの皆様>お願いなのですが、何かする時は「棟梁」には一応事前に連絡をください☆
去年まではほとんどを仕切らせていただいておりましたが、今年はゼミの運営に関しては「口だけ」になりそうです。
このほうがまた今後長い目でゼミの運営を考えるとうまく仕事の引継ぎにもなってよいかと思います。
なので今まで私がみなさんの助けを借りつつもほぼ一人でしきっていたことをうまく分散させて役割分担をしたいと思っています。(紫苑編集係とか旅行係とか宴会担当(?)とか・・・)
役割を分担する→その分誰かコアになる人がいないとまったくばらばらになってしまう危険があります。(そして今回のような日程のダブルブッキングなども起こってしまったり☆)
こういうことを防ぐためにも全体で何が行われているかぐらいは把握しておきたいのです。(これが「棟梁」のお仕事だと私は考えているので・・・)
ご協力よろしくおねがいいたします。
四月八日にはそのあたりの詳しいことについても話し合いたいのでできるだけミーティングに参加してくださいね。

鈴木君>トップページの予定表の更新してくれてありがとう♪

平安貴族的心性の美川です

美川圭
No.1494

 来週進発の屋島・壇ノ浦遠征軍に、従軍する予定の美川です。

ただし、私は武力がないので、
ひたすら戦闘がないことを祈るばかりです。
そこで、遠征軍より、一日早く出京し、
讃岐の白峰寺にある崇徳上皇の陵墓を参拝し、
上皇のお怒りを宥めておこうと存じます。

とは、いっても、私には「運転」ということもできないので
(野口先生のおっしゃる研究者必須の条件のひとつ)、
やむおえず、現地で牛車ならぬ、タクシーを2時間ほど貸切る予定です。

他に、鼓岡神社、雲井御所跡、青海神社など、ゆかりの地をまわろうと思います。
今回、崇徳上皇に関する論文を書いたので、そのご報告という意味もあります。まあ、悪くは書いていないので、お怒りになることはないと思っているのですが。誤解されるとたいへんなので。

すでに行かれたかたがおられましたら、ぜひ情報を教えてください。

崇徳天皇陵

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1495

美川先生、こんにちは。
崇徳天皇陵への参拝、これはぜひに必要でございますね。
私は中学生の時に始めて行き、昨年に野口先生のお供で20年ぶりにまた行きました。
たまたま、別冊歴史読本『図説天皇陵』に書いた原稿がありますので、一部を紹介させてください。
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崇徳天皇陵
 崇徳上皇は保元の乱に敗れ、讃岐国に流されてそこで生涯を終えた。『保元物語』によると、崩御の地は讃岐国府に隣接する鼓岡〈つづみのおか〉(伝承地は坂出市府中町鼓岡神社)に造られた「木の丸殿」と呼ばれる御所であった。
上皇の遺体は白峯〈しらみね〉(坂出市青海町)の山頂に移されてそこで火葬にされ、その場所に山陵が造営された。
仁安三年(一一六八)、西行法師が崇徳天皇の陵に参拝したが、そこには荒廃した方形造の御堂〈みどう〉が建っていたという。
 現在の崇徳天皇陵は、白峯寺〈しろみねじ〉の旧境内にある。
ここで注目すべきは、陵の南東側に隣接して「頓証寺〈とんしょうじ〉」という仏堂が建てられていることである。頓証寺の正門には後小松天皇宸筆になる偏額を掲げ、明治維新までは御堂中央に崇徳天皇の御影が奉安されていた。西行が参拝した御堂こそ、この頓証寺だったのであろう。天皇陵の中で、附属する御堂の後身が現在まで存続し続けていることはきわめて珍しい。
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中学生の時には気がつかなかったのですが、この頓証寺の存在がきわめて重要だと思いますので、ぜひ御覧になることをお勧めします。
(山の名前はしらみね、寺の名前はしろみね、というのも、今回行くまで知らなかった・・・)

「天皇陵」の原稿に追われている山田でした。

頓証寺

美川圭
No.1496

山田先生、こんにちは。
さっそくのお返事ありがとうございます。
昨年の野口先生との旅行で行かれていたのですね。
うっかりしておりました。

頓証寺、お教えいただきありがとうございます。
ぜひ、見たいと存じます。

「武士論」研究者の心性。

No.1497

 美川先生のタイトルの「平安貴族的心性」で、山田先生の奥様が「平安京探偵団」で紹介された、フランス文学修士修了という、ある女性の方の開いているHPで拝見した一文を思い出しました。
 「平安時代について該博な知識を持っていても、人となりや文体、起居振る舞いから、ファッションに至るまで平安貴族的でなければ、それは魂を欠いた知識に過ぎませんよ」みたいな内容であったと記憶します。でも、「そんな研究者は知る限り歴史のジャンルにはおられませんなぁ」と思っていたのですが、そうそう美川先生を忘れておりました。
 しかし、この伝でいくと、周囲を見渡せばわかるように、「武士論」の研究者は、武士の心性を体現した方が多いですよね。武士といっても、江戸時代の「お侍さん」のイメージではなくて、中世前期のそれですが。
 小生も「武士罪障論者」ということになっていますが、結構、近親憎悪的なところがあるようです。
  
 自動車の運転云々については、長村君の言うところの「在地系研究者」にとっては、必須条件であっても、美川先生のような都のど真ん中にお住まいの方には適用されないでしょう。法皇様が牛飼童の真似をされてはいけません。
 
 さて、白峰寺に行かれるとのこと。ここには、鎌倉時代の十三重石塔がいくつかあって、真言律宗、ひいては鎌倉幕府との関係を思わせるものがありました。北条氏が崇徳をどう評価していたのか、興味深いところです。崇徳上皇の陵墓の背後に、積石の遺構がありますが、これは経塚のようです。
 崇徳の配所だったという鼓岡神社の近くには、香川県埋蔵文化財センターがあります(坂出市府中町)。ここには、パンフレット類が揃っているので、ぜひお訪ね下さい。地名でもわかるように、このあたりは讃岐国府の遺址で、周辺には聞法寺塔跡のような遺跡も多くあります。すこし足を伸ばして国分寺に行かれるのもよいと思います。
 昨年の旅行では、小生が院生時代、ともに桃裕行先生のもとで『小右記』を講読した、野中寛文氏(現在、香川県立高松西高校教諭)に愛車を駆って御案内いただいたので、とても充実した調査が出来たという次第です。学生時代の友は一生の友なのです。ありがたいことでした。

頓証寺

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1498

>美川先生
上の書き込みではわかりにくいかったので、補足します。
頓証寺は独立したお寺ではなく、白峰寺の中のひとつの御堂ですので、ご注意願います。白峰寺にはいると、左奥にもうひとつの門があります。それが頓証寺の門で、そのさらに奥に御堂があります。
頓証寺のさらに奥に隣接して崇徳天皇陵があり、そもそもは頓証寺御堂から山陵が拝めるようになっていました。
しかし、幕末の修陵によって山陵は頓証寺から切り離され、別の参道が付けられてしまったので、今では両者の関係がわかりにくくなっています。
なお、京都で崇徳天皇を祀る白峰神宮は明治になってから建てられたものですが、頓証寺御堂の崇徳天皇御影を持って行っているはずです。

なお、香川県といえばやっぱり讃岐うどん。私は讃岐では、毎食うどんでもかまいません。

平家物語歴史館。

No.1499

 そういえば、山田先生は、5タマも入った大盛りのうどんをぺろりと召し上がっておられましたね。
 コシのある讃岐うどんも美味しかったですが、野中先生に御案内いただいた、港近くのお店で食した瀬戸内の海鮮料理も良かった。・・・胃腸の弱い小生、グルメ探訪は得意とするところではありませんので、このあたりにして、高松市内の見所をひとつ。
 高松城跡はさることながら、城跡公園に隣接する県立歴史博物館は、讃岐の歴史を把握するにはぜひ訪れたいところ。ですが、せっかく平家への関心で高松にお出でになったのですから「どうしても」御覧頂きたいのが、平家物語歴史館です。学問的な思考はここではさっぱり忘れてください。まさに流布本平家物語の民放TV局的な視覚的再現の世界がそこにあります。面白いことは請け合いです。これは研究者だからこそ楽しめるテーマパークといっても良いでしょう。
 入館料がちょっと高めですが、インターネットで予約していくとすこし安くなります。四国出身の偉人の蝋人形とも対面できて、小生には、あの不気味なアメリカネズミや化け物アヒルの徘徊する「浦安」ディズニーランドより、ずっと楽しめました。
 http://www.heike-rekishikan.jp/

Re: 平家物語歴史館

美川圭
No.1500

山田先生、野口先生、情報をありがとうございます。

>山田先生
頓証寺、おもしろそうです。それにしても、山田先生は、大食漢なのですか、それとも「うどんは別腹?」

>野口先生
平家物語歴史館は、どうせ伊勢の某館みたいなもんだ、と思っていたのですが、おもしろいんですか。軍勢に合流する16日午後までの時間が、高松で空いているので、行ってみます。

大先生たちの逸話。

No.1501

 山田先生は、まだお若くて育ち盛りですし・・・、大学に勤められてからお酒もだいぶ嗜まれるようになったようにお見受けいたします。小生のような「出っ腹」にならぬよう、お気をつけていただきたいと思っております。
 ところで、平家物語歴史館ですが、これは好き嫌いもあろうかとも思いますが、お一人でよりも、遠征軍全軍をあげて御覧になられた方が、面白かろうと思います。国文学の某著名研究者ご署名の色紙があったりして。おそらく、ここでは伊勢の岩戸屋のごとく、長く語り伝えられる「大先生」達のエピソード(逸話)が生まれるのではないかと、期待がもたれるのです。佐伯先生はお出でになられたことがおありでしょうか?
 じつは、ここには昨年九月、日帰りでの屋島遠征を敢行した田中さん・門屋君をはじめとする当ゼミの国文学部隊も訪れているのです。
 屋島方面の情報については、また、後日に。

平家物語歴史館

No.1503

美川先生へ
 国文学部隊隊員の田中です。
 平家物語歴史館は、やっぱり複数で行かれた方が楽しめるかと思います。私はああいう(←この表現も、行かれたら納得いただけるでしょう)場所は、堅苦しい事は抜きにして思う存分楽しむ事にしております。ああいう場所でなくても(たとえブルーノ・タウトも絶賛の桂離宮でも)不真面目な私ですので、平家物語歴史館は格好の遊び場でした。「ごっこ」遊びなんかがオススメです。(冗談ではありません 笑)これ以上は何も言いませんが、期待はせずに行かれる事も最後にオススメしておきます。
 「エピソード(逸話)」ではなく、「伝説」を期待しております(^^)

総大将のご意向

美川圭
No.1505

時間的にどうなのかな。屋島だけで、いっぱいいっぱいか。

ぼくは、合流後は、総大将についていくだけなので、
大手、搦手の総大将のご意向に従いたいです。
でも、野口先生、田中さんの書き方だと、
田中さんが、「期待せずに」とはいわれても、
ついつい、期待してしまいますね。

といっても、
今回は、かの大先生がおられませんので、
岩戸屋のごとき「伝説」は無理だと思います。

期待しているのは、ぼくら遠征軍ではなくて、
実は、在京軍の方々なのですね。よくわかりました。

一人で行くのは、常識的に県の歴史博物館にします。

屋島について。

No.1506

 二泊三日で屋島・壇ノ浦を攻略というのは、なかなか日程的にハードだと思いますが、壇ノ浦は半日もあればOKでしょう。屋島方面に時間をおかけください。屋島は確実な史料には登場しないものの、見所は多いのです。
 まず、平家の拠点としての歴史地理学的な観点から申しますと、屋島寺からの眺望をながめるのも良いのですが、車なら屋島北端の長崎鼻に行かれると、屋島の要地たるゆえんが理解できます。しかも天気が良ければ絶景です。近くには、山田先生の興奮を誘った前方後円墳や朝鮮式山城の遺構ものこります。
 義経や佐藤継信などに関係する、いわゆる名所旧跡の類は、後世の所産でしょうが、東斜面に立地する安徳天皇内裏址というのは、地形的になるほどと思わせるところにあります。また、その対岸の八栗山のある半島に所在する六万寺も安徳の御所址と伝えられますが、ここも同様です。
 屋島における伝承を文学的にまとめた担い手は志度寺(補陀洛山)の僧たちのようです。それゆえ、ここの見学も必至となります。ここはたしか、藤原不比等と龍神に関する伝承があり(摂関家の神話として検討の価値あり)、荒廃した室町期の庭園の跡(往事はとても素晴らしいものだったと思いました)、また、平賀源内のお墓もここにあります。
 見学の資料としては、二万五千分の一の地形図のほか、山川の『香川県の歴史散歩』が便利でした。

壇ノ浦について。

No.1508

 壇ノ浦に行くには、新下関に停まる新幹線は少ないので、小倉に出た方が便利でしょう。小倉から下関に出るも、門司港に出るもよし。後者なら途中の門司で下車して、安徳天皇御所跡の伝承のある御所神社と、その先の戸上山麓の戸上神社に行ってみてください。駅から徒歩15分ほどです。天慶3年、藤原純友追討に下向した源経基は鎮定を祈願して戸上神社の社殿を造営したと伝えられています。かつて、社殿から鳥居の方向の先は海に続く道が一直線に伸びていたようです。
 門司港駅の周辺はレトロの街並み。ここは、かの藤原新也の故郷。しかし、その写真集『少年の港』に映し出された光景はすでに過去のものとなっていました。ちなみ、ここは前勤務先で同僚だった国文学の中村格先生が少年時代を過ごされたところでもあります。
 先生のお教えによると、門司は『梁塵秘抄』に、
 筑紫の門司の関、関の関守老いにけり・・・
と歌われた古くからの湊で、戦前は中国大陸・台湾に向かって開かれた貿易港として栄えたところ。昭和7年、歌手の藤原
義江が医学博士夫人との恋で、遠くミラノに旅立ったのもこの港からのことで、この年、当局は性愛に関する雑誌記事さえタブーにしていたので、やんやの喝采を浴びたと、中村先生はお母上から聞かされたそうです。
 門司港駅前の地さかな料理「はなのつゆ」では、美味しい「ふく白子豆腐」が召し上がれます。「ふくつくし膳」は、ふくマリネ・ふく刺し・白子豆腐・ふく風味揚・ふくめし・ふく味噌汁・漬物・デザートで4500円也。
 駅から少し歩いたところにある高層マンション「レトロマイハート」31Fには展望室があります。ここからは関門海峡が一望でき、平知盛が拠点とした彦島の観察には絶好のところです。
 門司港から対岸の下関の唐戸までは20分ごとに連絡船が出ています。所要5分ほど。「先帝入水」の光景を思い描く間もなく到着です。唐戸市場の2階にある食堂では、獲れ立ての抜群の味の魚料理が安価で楽しめますが、いつも行列が出来ています。
 ここから10分ほど歩くと、赤間神宮。安徳天皇の阿弥陀寺陵です。ここでは、神宮では『源平合戦図録』が2500円で販売されていて、これには平家一門の肖像画が載っています。
 赤間神宮の前に戻り、海岸線に沿って国道をしばらく歩くと、壇ノ浦合戦にまつわる「一杯水」などの史跡に出会います。また、幕末の下関戦争のさいに使用された砲台の跡などもあります。
 この辺りまで来ると、壇ノ浦合戦で源氏側の拠点とされた満珠島・干珠島が見えてきます。
 ここから、頻繁に走っているバスで下関駅に出て、小倉から新幹線に乗って、都にご帰還という運びにされたら如何でしょうか。

平家物語歴史館

No.1520

 野口先生から御下問があったようですが、別スレに書いたような事情で、数日、この掲示板を拝見しておりませんでした。いやはや、進行の早いこと。
 私は、屋島へは何度も行っているのですが、平家物語歴史館は知りません。時間があれば、行ってみたいと思います。ご教示有り難うございました。
 実は、私は諸般の事情で前日は倶利伽羅峠に行かねばならないのです。宿題をギリギリまでためてしまう人間の末路というべきでしょうか。いや、行くのは楽しみなんですけど。で、即座に多少の原稿を書いて、うまくいけば早めに高松に着いて歴史館と、そううまくいくとといいなあと思います。掲示板を拝見していて、一瞬、美川先生と待ち合わせて、などとも思いましたが、何時に高松に着けるかわかりませんので、ここは単独行動にしておきます。
 下関についても、大変詳しいご教示、有り難うございました。行程は総大将に従いますが。

コンピュータウイルスは人にうつるか

美川圭
No.1478

鈴木さん、こんばんは。
コンピュータ用語には、初心者には説明しにくいものが、
けっこうありますね。
このウイルスなどもその一つで、おりしも京都では、カラスが鳥インフルエンザにかかった、というニュースが入ってきましたので、コンピューターウイルスも人間に感染するのは、というので、コンピュータをお湯にいれて煮沸している人もいるかもしれません。70度2分とかね。(笑)

前に聞いたものでは、サポートに電話した人が、「では立ち上げてください」といわれたので、コンピュータの前で、自分が立ち上がっていた。あるいは「環境をかえてください」といわれたので、コンピュータを日向にはこんだ、とかいうのが傑作の部類でしょうか。

Re: コンピュータウイルスは人にうつるか

No.1479

美川先生、さっそくの返信ありがとうございます☆

初心者に説明しにくい用語というのは、結局はその語源知っているか否かという事になりそうですね。
立ち上げるというのも、コンピュータがボタン一つで起動しなかった時代の名残だと思いますし..。隠語のようなものですね。

コンピュータを起動してください、利用しているソフトを変えてくださいと言えばわかるのですが。結局は技術者側の怠慢な気がします。
逆に、簡単に説明しすぎると余計に読みにくくなったり、時間がたてば古くさくなってしまったり、言葉は本当に難しいです。

例えば..♪ダイヤル~まわして~手をとめた~♪って表現が、今の小学生にはどれだけ通じるのか..。
説明するのは(特に音声や文章だけでするのは)いつも難しく感じます。

↓ご覧の皆様も、下の記事でわからない用語等がありましたら、教えてください♪

訳が分からぬ。

No.1480

 パソコンというのは、どうしてこのように機能するのか、さっぱり分かりません。ラジオがどうして聴こえるのかくらいまでは、朧気ながら小生にも理解できるのですが。
 やっぱり、自分の理解できる現実的範疇で生きていた方が安心なような気がします。
 テレビゲームみたいな戦争のように、図書館の書庫で本を手にとってめくるようなことをせずにインターネットで集めた材料で論文を書くのは、やはりマトモな仕儀じゃないように思えます。
 このウィルス問題にしたところで、感染すると、自分のアドレスが発信先になって、知らない相手に得体の知れない情報が送信されたりするというのですから、想像を絶する恐ろしさです。自分の手に負えるところだけで生きていられた時代が懐かしい。
 若い人たちは、たとえば、ケータイで、どうして動画送信が可能なのか、ちゃんと説明できるのでしょうか。
 小生、銀行で振込手続きをATMでするのも、安心できません。まったく、現実感がない。
 老人の戯言でしょうか?
 しかし、だからといって、この時代にパソコンを放棄するわけにはいきません。薄氷を踏みながら生きるのみです。鈴木君、頼りにしてますよ!

Re: コンピュータウイルスは人にうつるか

No.1483

鳥インフルエンザ発生農場の30キロ圏内で鳥(ウコッケイ→http://uminchu.net/kenko/tamago.shtml)を飼っている永富です。笑
さっきニュースを見ていたら園部町の野鳥からもウイルスが検出されたとか・・・園部なんて目と鼻の先でございます。
うちの鳥ちゃんもあぶないのかな~なんてちょっと心配しております☆
でも先日鈴木君が家に来た折にはその鳥ちゃんの生みたて卵で目玉焼きを作ってあげました♪うふふ
鈴木君、体の調子おかしくない???

冗談はさておき、コンピュータ用語に関しては本当に説明するのは難しいと思います。
自分がまだコンピュータを使い慣れない時はわからない用語をならべたてて講義を進める情コミの先生に不満たらたらでしたが、いざ自分が学生に教えるようになるとついついぱっと用語が口から出てしまう・・・ということがよくあります。
かみくだいてうまく説明することの難しさをとても実感します。
でもこれはコンピュータ用語だけでなく歴史用語だって同じことです。私たちの中では常識である人物名や事件も知らない人にとっては意味不明なのですから・・・
前に鈴木君の友人(理系・広島出身)が京都へ遊びに来た時に京都を案内し、色々なスポットでその説明をしたのですが、なかなかうまくかみくだくことが出来ずもどかしい思いをしました。
私は今まで常に上の人に囲まれていて、自分が上のレベルについてゆくことに必死だったのであまり気がつかなかったのですがそうやって追いつくことばかりを考えるのではなく、得た知識をいかに他の分野の人や、初心者にわかってもらうか、それも大きな課題だなあと思いました。
六月には教育実習も控えていますし、うまくかみくだいて説明し、なおかつおもしろいと思ってもらえる・・・それが出来るよう鍛錬したいものです。

コンピュータウイルス~専門用語について

No.1484

 下のカキコミのレスになりますが、鈴木くん警告(指導?)ありがとうございます。うちにもこの二日間の間に、たくさんのウイルスメールが届いております。うっかりすると、うちの母がメールを開いてしまうので、ひやひやします(^^;
かろうじて、コンピュータ世界の事と理解し、煮沸にはいたっていないようですが(笑)
 コンピュータ用語、歴史用語などなど・・・。専門用語は各種ありますが、基本的には専門外の人に分かってもらえる説明を出来て、初めて「理解している」と言うのだと思っています。(だから、分からない歴史学用語については野口先生の絶妙な例え話に随分と救われております)人に伝える事を考えると、ボキャブラリーも必要、説明する相手の事を考える想像力も必要、そして別のものに置き換えて説明する為の雑学も必要なのだと思います。要するに、無駄な事なんてないんですよね。(←と、自分を励ましている)・・・と、思ってはいるのですが・・・私は説明するのがとてもニガテなので、11日のプレ発表はできるだけ分かりやすいように頑張りたいと思います。

テディ・ベアにご用心

No.1485

コンピ・ウイルスで厄介なのが、デマメールでしょう。テディ・デアの話はご存知でしょうか。指示された方法に従ってパソコンを操作していくと、テディ・ベアのアイコンが出てきます。それがあるのはウイルスに感染した証拠なので、すぐに削除してください、という内容です。しかし、それはデマで、テディ・ベアさんも、動画の機能に関係した必要なもののようで、削除すると、修復しないとなりません。で、こうした場合、知識さえあれば、別に問題ないのですが、テディ・ベアが現れるなんてことを知っている人は、あまりいないと思います。問題は、騒ぐか騒がないかでしょう。こんなメールが来た、さあ、みんな、削除してくれ、と騒ぎまわる人がいると、確実に被害は拡大します。私もずいぶん前に踊らされたことがあります。みなさんもご注意を。
 科学技術に関しては、わからないことのほうが圧倒的に多いのですから、私としては、できる範囲で、自分に使いこなせるものは使う、そうでないものは使わない、そういうスタンスしかないと思っております。私なんぞに全体像なんかわかりっこないのだから、細部での知識さえ培っておけば、生き延びられるように思います。それで十分ですよ、野口先生。わからないことに首を突っ込むと、悲しい思いをしてしまうので、手を出さないようにしております。私の前の上司など、退職するまで、いっさいパソコン類には手を触れませんでした。

デマウィルス

No.1487

http://www.nai.com/japan/virusinfo/virHOAX.asp?v=Jdbgmgr.exe&a=HOAX
↑ここに記事がありました。

 わからないことが多いのは、科学技術に限らないです..僕にとっては歴史?ですが(..;)
 ワープロ(といってもコンピュータそのものですが)の時代には、それ単体で動いていたものが、パソコン(特にインターネット)が普及してから、情報は向こうから大量にやってくるようになってしまいました。インターネットも電子メールも結局は信頼性がほとんどない代物ですから、「信用できない」とどれだけ理解して利用できているか、その大量の情報をうまく取捨選択できるかが、使える使えないの境目になってくると思います。
 石浜さんの、「細部の知識」ということが、正解だと思います。全部はしらなくても、その取捨選択できる知識さえあればあとは、応用が利きます。ただ、その知識が何なのかはまだきっちりと示されているわけではないですし、その混乱が講義の下手な情コミの先生を生み出す原因になっていると思います。

神は細部にしか宿らない

No.1488

科学技術などと偉そうに書きましたが、世の中、わからないことだらけです。旧来の印刷システムなら、印刷所、製本所、製紙工場などを一通り回ったので、私にもなんとか理解できましたし、説明できると思いますが、DTPは実はあまりよくわかっていません。それは、システム的に完成していないという事情もありますが、基本的に、現在の私にとって必要ないので、覚えようという気がないからでもあります。パソコンだったら、添付ファイルの扱い方や、写真データの簡単な扱い方さえ知っておれば、なんとかなるような気がしています。『白河法皇』という本をつくるさいには、それでなんとかなりました。ただ、鈴木さんがおっしゃるように、それすらもはっきりしてないということであると、問題ですが…。

コンピュータウィルスにご用心!

No.1477

ここ数ヶ月コンピュータウィルスの活動が活発になり、被害?に会う方もちらほら見かけるようになったので、ウィルスへの対処方法や予防について何点か書き込みたいと思います。

◆ウィルスそのものについて
 コンピュータウィルスは、「ウィルス」と名前はついていますが、もちろん人間には感染しません。(あくまでもコンピュータ上のソフトです。働きがウィルスに酷似しているためにそう名付けられました。)ニュース等で、ワームやトロイの木馬などの呼び方をされる時もありますが、コンピュータウィルス(以下、ウィルスと略)の働きを示す呼び名です。

◆ウィルスによって何が引き起こされるのか
 ウィルスの症状は、感染→潜伏→発症の3段階があります(インフルエンザでも同じですが)。
 問題なのは、発症時にパソコンを破壊してしまう事と他人に感染し迷惑をかけること、重要なデータ(プライバシー的な観点からも)が漏洩してしまう。という事です。破壊するようなウィルスは近年は少なくなりましたが、残りの二つは今でも問題です。

◆感染の予防
 マスク等は必要ありません(笑)。
 電子メールによる感染が一番多いので、
 ※よくわからない添付ファイルは開かない。
 ※WindowsUpdateはこまめにする。
 の2点です。

 特に、電子メールに関しては、差出人が偽装できます。よく知った人のメールアドレスでも、本人が出したメールとは限りません。ウィルスが勝手に他人のアドレスを拝借している場合がほとんどです。(間違っても、そのアドレスに警告や文句のメールを出してはいけません。恥をかいてしまいます)
 
◆ウィルスチェック
 市販のアンチウィルスソフトを利用されるのが一番です。最近は2000円~の安価なものも出ています(安くても高くても基本的な機能は一緒です。)
 ただ、ソフトの機能に含まれているアップデートを確実に行ってください。

 最近流行しているものだけの限定版ウィルス駆除ソフトがあります。もし、今までにソフトを利用されていなければ、試してみてください。「Stinger(スティンガー)」というものです。基本的な部分は市販のソフトと変わらない簡易版です。
 ダウンロード:http://download.nai.com/products/mcafee-avert/stinger.exe
 使い方:http://www.nai.com/japan/pqa/aMcAfeevinfo.asp?ancQno=VR02102401&ancProd=McAfeevinfo

 感染後の対応は、長くなるので割愛します。もし何かあれば、ここに書き込んでもらえれば対策はとります。
 野口先生のアドレスへ、ウィルスに関連するメールが来始めたので、書き込んでみました。
 
 特に初心者の方は、不安をあおってしまったかもしれませんが、ウィルスといってもあくまでもコンピュータのソフトです。対策を取れば問題ではありません。
 また、ウィルスのついたメールを受け取っただけでは感染はしません。(ワードなどで開いてしまったらそこで感染します)。怪しいメールはすぐに削除してしまうのが一番の対策です。
 初心者の人にいつも言う事なんですが、パソコンはたたき割らない限り、壊れることはありません。不調になったとしてもソフトを入れ直せば元通りです。(中のデータは戻らないのでフロッピーやCDにこまめに保存するようにすれば万全です。)人間も同じように出来れば楽な事もありますが...。

長文になりましたが、以上です。

 

いまさらなのですが・・・

No.1476

先ほど、ちょっとビデオの整理をしていたら、先日話題に上っていた平治物語絵巻復元のNHK番組のビデオが出てきました。それも、もともとハイビジョンで放送した2時間のものです。みなさま、ご覧になったかとは思いますが、もし完全版のビデオがご入用の方がいらっしゃったら、ご連絡ください。
・・・本当、いまさらで恐縮です・・・・・(--;

空を越えて~♪

長村祥知
No.1467

「鉄腕アトムの軌跡展~空想科学からロボット文化へ1900-200X」
於、京都文化博物館

昨日、野口先生から招待状を譲って頂いて、ゼミの方と見学してきました。
展示内容は、確かにアトムが一番多いのですが、むしろ主題と副題を逆にしたほうが内実に適しているのではないかな、という印象をもちました。
いろいろなロボットのことがわかり、おもしろかったです。
残念だったのが照明。
複数名で一つの展示物を観た場合、影がかかってしまうところがあったのです。
平日の午前中ということもあり、来館者が少なかったので、一人で観る場合は大丈夫と確認できたのですが、まさか、常に館内が閑散としているという想定で博物館が展示計画を建てているということは無いと思うのですが・・・

自分はこれまで前近代の展示や史跡ばかり観ていたので、なかなか興味深く、珍しい経験となりました。
また「社会史」的にみれば、近現代の民衆文化の一側面を示している(?)と言えるのかもしれません。
野口先生ありがとうございました。

Re: 空を越えて~♪

山岡 瞳
No.1471

初めての書き込みで、緊張しています。パソコン音痴の私も進歩したなぁという気持ちです。

さて長村さん昨日は大変お世話になりました。そして野口先生チケットを譲ってくださってありがとうございます。

京都文化博物館に行ったことがないみたいなことを言っていましたが、あとで地図で確認してみると行ったことがありました。去年の夏にあった安倍晴明展に行っていました。

展示の内容については昭和初期から平成までのロボットの歴史が紹介されていました。そしてロボットアニメの歴史も…。長村さんの指摘通り、照明が問題でした。文字板の正面に一人で立てば問題はないのですが、複数名で見ると自分以外の人の影で見えにくくなるという状況でした。あと見る順番を間違えやすい展示の仕方でした。

そのあと新風館に行きました。某さんはこの新風館の存在を知らなかったらしいです。そして私は約十年ぶりにお子様ランチを食べました。お子様ランチにもかかわらず、かなりの量でした。その店にはロコモコというなぞのメニューがあります。

初めての書き込みでしたがこんなかんじでしょうか?それでは。


博物館の照明

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1472

長村祥知さん、こんばんは。私はまだ「鉄腕アトム展」、見に行っていません。近く行きたいと思います。

>>残念だったのが照明。
>>複数名で一つの展示物を観た場合、影がかかってしまうところがあったのです。

私の責任ではないですが、元・博物館学芸員としては、痛いところをつかれたような気がします。
博物館の展示で何が難しいといっても、照明ほど難しいものはありません。
だいたい、二日ほどかけて展示物を並べると、学芸員は最後の数時間は照明だけにかかりきりになります。高い台車に乗って、照明をひとつひとつ調整していきます。
しかし、影の点は本当に難しい。照明の配線は固定されているのにもかかわらず、展示物は千差万別でしかもどこに配置されているかわからない。
結局、あちらたてればこちらたたず、といったことになることが多く、最大公約数的なあてかたになることも少なくありません。
かといって、影をほとんどなくすように四方八方からスポットライトをあてると、光量がきつすぎて展示物に悪影響を与えることもあります。

学芸員時代の苦労を思い出した山田でした。

ロボット...

No.1473

山岡さん。"祝"初書き込みおめでとうございます☆
ロボットの歴史があったのですか?アニメの話がメインだと思っていたのですが...これは行かないとだめですね(^_^;

この前の講読会にスーツで参上したのは、お誕生日の写真を写真屋で撮っていたからなんですが、2枚分を取るための時間は2時間。ほとんどライティングの設定の時間になっていました。結局、人間は光が無いと物を見る事ができないので・・・、だから余計に難しいのかもしれませんね。

ところで、某さんって誰ですか????
僕が文博に行くときは、建物の南側にある喫茶店によく入ります。

歴史展示は?

No.1474

 長村君、御報告ありがとうございました。山岡さんも、ついに初書き込み。せっかく、BBSがあるのですから、使わない手はありません。清盛の対宋貿易について関心をもったという山岡さん、時間があったら図書館で森克己『日宋貿易の研究』という本を探してみてください。もし、伊予市の図書館になくても京女にはあります。
 京都文化博物館では、常設展示の方はどうでしたか?長村君が懇切に案内をしてくれたとのことですが、山内さん共々、ご感想をうかがいたいところです。もう、リニューアルの時期なのですが。
 一見、何も考えていないような展示でも、学芸員は結構苦労しているのです。いろいろな制約があって、学芸員の思い通りに出来ないのも、博物館の重大な問題点の一つです。
 それはともかく、伊勢旅行のとき、一部で「ロクハラタンダイ」の語呂合わせの話で盛り上がりましたが、今日、テレビで時代劇映画の予告編を観ていたら、往年の剣劇スターが劇中で「京都女子大」と言っている。時代劇になんで「京都女子大」が出てくるのか、ついに小生も老化が耳まで及んだのか、と思ったのですが、答えは「京都所司代」でした・・・とさ。

変だなあ 雛人形

美川圭
No.1457

 今年も、我が家では、ひな祭り当日になって、
あわてて雛人形を出した。といっても、ぼくは箱を物置からとりだしただけで、並べたのは妻である。添付の並べ方パンフレットには、「標準段飾り」と「京風段飾り」の2種が載っているので、うちでは「京風」で並べることにしている。「標準」と「京風」では、男雛と女雛の左右が逆、ということは比較的よく知られている。

 ところが、けさになって気がついたのだが、うちの雛は男が向かって左、女が右になっているではないか。「京風」は男は向かって右、女は左のはずである。しかし、確かに「大阪府人形問屋協同組合」の名で作られているパンフレットは、「京風」でも男がむかって左となっているのである。

 ちなみに、京都の並べ方が、古くからの形であるが、どうも大正天皇の即位式の際の、西洋風がとりいれられて、全国的に男がむかって左となったらしい。しかし、京都では、古態を比較的つたえようと、男をむかって右にしているらしい。律令制では、左が右より上位にあるからである。

 聞くところでは、「全国ひな人形協会」という人形屋の組織があって、そこでは、男雛を左と決めているらしい。おおげさにいえば、近代天皇制の浸透に雛人形がはたしている役割である。もちろん、雛人形自体が、天皇制と関わっているのだが。

 ところで、もう一つあまりいわれない疑問がある。段飾りの中段ぐらいに、左大臣、右大臣といわれる人形がいる。その下の段あたりに、左近の桜、右近の橘を並べることになっている。「近」というのは「近衛」のことであろう。左大臣、右大臣といわれる人形は、いずれも儀仗のすがた、つまり弓矢を帯している。これが左大臣、右大臣というのは、どうもひっかかるのである。これは左大将、右大将の誤りではないのか。それなら、天皇、皇后を警固する、という意味からもわかりやすい。左大臣と右大臣とすると、どうして、ここにいるのか、よくわからない。どっかに関白がいてもいいではないか。蔵人頭がいないのか、ということになってしまう。

 装束からすると、どうなのか。このへんは近藤先生にご出馬していただきたいところである。それと最上段の男雛、女雛ををなんで「親王」とよぶのだろうか。あれは天皇、皇后(中宮)じゃないのか。

 まったく、歴史家のはしくれ、とくに王朝のことをやってるぼくが、こんなことをすっきりと説明できないのは、なさけない限りである。ぼくがよくわからないのだから、よくわかっている人も多いのではと思う。お助けを。でもみんな知っていることなのかな。そうなると、恥ずかしいなあ。

鎌倉幕府版、雛人形。

No.1459

  なるほど、「近代日本における雛祭りの普及について-天皇制イデオロギーの国民教化の具体的事例-」なんて論文が書けそうですが、それは近代史の人に任せるとして、左右大臣が左右大将というのは、そのとおりだと思いますね。となると、三人官女とか五人囃子というのも気になります。
 それにしても、近年の「王権論」の発想からすれば、東国国家論者の御家庭では幕府版の雛人形を飾ったりしたらよいのではないでしょうか。並べ方、興味津々です。
 美川先生も『雛人形から読み解く、院政期の政務機構』なんていう本をお書きになって、お嬢さんにプレゼントされたら如何ですか。ぜひとも、教材に使わせていただきます。

Re: 変だなあ 雛人形

美川圭
No.1461

野口先生、さっそくのレスありがとうございます。
そういえば、京女大のすぐ近くの、京都国立博物館で、
いま、「雛まつりとお人形」という特別展示が行われています。なにかヒントになることはあるかな。

http://www.kyohaku.go.jp/tokuchin/ningyo02/ningyo1j.htm

Re: 変だなあ 雛人形

No.1481

美川先生、こんばんは。それにしても5日留守にしていましたが、この掲示板の進行の早いこと!

我が家では妹が結婚してはや20数年経ちますし、普段から雛人形には特に興味もありませんので、細かいところはうろ覚えですが、仰るように、男雛は向かって右が律令以来の正しい位置ですね。左右大臣と言われているのは、弓箭を佩帯していますから、左右大将が正解です。ただし、袍の色が、向かって右側(左大将)が黒で、左側(右大将)が緋のものもあったと思いますが、左右大将ともに公卿なので黒でなければなりません。緋ならば五位なので、ふつうならば少将になってしまいます。
また、男雛と女雛を親王という慣例は知りませんでしたが、男雛は、今では纓が垂直に立った御立纓の冠がふつうのようです。御立纓は、近世中期以降の天皇の冠特有の纓ですので、御立纓ならば、天皇でしかありませんし、天皇であれば、女雛は皇后ということになります。
しかし、有職雛ならばともかく、天皇の袍の色と文様(黄櫨染か青色で桐竹鳳凰文様)の件も含めて、今の雛人形で装束のことを云々するのはあまり意味がないですね。

Re: 変だなあ 雛人形

美川圭
No.1492

近藤先生、ありがとうございます。

ろ覚え、などとおっしゃりながら、
さすがに、よく覚えておられて。

一応「有職雛」となっているんです。
そこが問題だな、と思います。

次回は・・・

No.1450

本日はお疲れ様でした。
 吾妻鏡の講読会、なかなか盛況だったのではないでしょうか。山本さんが緊張していたので、次回からが本領発揮と期待しております(^o^)私も勉強してくるつもりです。
 それにともない、最近ではお菓子を作る量がますます増えてきました。シュークリームの時も、今日のケーキもギリギリというのは、常に予想を上回る人数が参加しているということなので、結構な事とますます張り切ってしまう今日この頃です。忙しくなるので、しばらくは鳴りをひそめる予定ですが、また作ったら皆様味見をお願いしますね(今のところ、次回はシフォンケーキの予定です)。21日の発表準備がありますので、吾妻鏡講読会も3月いっぱいはちょっと厳しいかもしれませんが、ぜひ今後も参加したいと思いますので、よろしくお願いしまーす(*^^*)
 肝心な事を書き忘れていました。来週中くらいに、一度研究発表のプレ発表をさせていただきたいと思います。完全なレジメを出す事はできないかもしれませんが、見通しだけでも聞いていただけたら幸いです。来週の木曜日か金曜日あたりがいいのですが・・・皆様ご都合はいかがでしょうか?

木・金どちらでも。

No.1451

 今日の講読会は盛況でしたね。山本君、もう一工夫です。それに、レジュメの準備などもあるので、もうすこし早めにおいで下さい。山岡さんや山内さんをはじめ、出席者は、注文や意見があったらどんどん、山本君へ。なお、山本君は次の日程など、お知らせ下さい。こちらにも都合がございます。お忘れなく。
 田中さんのお手製のケーキ、これはとても美味しゅうございました。また、宜しく。それから、山岡さんは、この講読会のために、わざわざ伊予からお土産のお菓子持参で戻ってきてくれました。当ゼミ成立以来の特筆べき出来事です。山田知佐子さんもご出席ありがとうございました。お土産のお菓子をいただき、恐縮いたしております。
 
 別の定期的な講読会・研究会については新年度の授業日程が決まってから、空き時間に設定するのがよいでしょう。その打ち合わせについては、永富さんから連絡されるはずです。
 
 田中さんの、ブレ発表は大歓迎です。早稲田での本番前に、こちらでシビアな意見・批判を遠慮会釈なくぶつけ、田中さんに対応していただいておく必要がありましょう。国文学の専門家は手薄なので、国文学専攻の門屋君と思想史専攻の長村君にはぜひ参加して欲しいと思います。この二人が確実に出席してくれる日を優先して、日程を決めてください。小生は、11日でも12日でも、どちらでもかまいません。ちなみに、田中さんは、例の食事会とぶつかりはしませんか?
 
 なお、本日、長村君をはじめ、書架を置くための備品の移動に手を貸してくれた諸兄に感謝します。
  
 それから、鈴木君、鎌倉旅行から伊勢旅行までの写真を収録したCDロムをゼミメンバー全員に配布していただき、ありがとうございました。それにしても、スゴイ技術に恐れ入っております。貴兄は現代に生きる安倍晴明のごとしです。
 
 和服姿のあでやかな永富さんとスーツで決めた鈴木君の二人が夕暮れの京都駅前の交差点にたたずむ姿は、なかなか絵になっておりました(お抱え運転手の証言)。

木曜日希望

長村祥知
No.1454

田中さん・山田さん・山岡さん
ご馳走様でした。田中さんの次回作にも期待で一杯です!!

鈴木君
写真だけでなく、色々と有難うございます。あなたほんとすごい!!

さて、田中さんのご発表の件。
他の方のご意見を聞く前に、日程を限定して申し訳無いのですが、12日は無理なので11日木曜日でお願いできないでしょうか。
さらに注文をつけて恐縮なのですが、夕方までに終わるような時間(1時頃始まり?)からでお願いしたいです。
もちろん、自分以上に門屋さんのご予定を優先していただくべきなのですが、とりあえず書き込ませていただきます。

吾妻鏡の件。
私は先生方に同行させていただく旅行や卒業関連の行事等があり、もし11日に田中さんの発表があれば三月は参加できないかもしれませんが、指導者である山本さんから次回以降の日程を書き込んでいただきたく存じます。

私は両日空いてます

門屋敦
No.1455

まずプレ発表の件ですがわたしはどちらでも大丈夫ですから、よほど参加者が少なくない限り木曜でいかがでしょうか。また、先生にご心配いただいた例の食事会は水曜でまとまりそうです。木曜は報告日になりそうです。
鈴木くん 立派なフォトアルバムありがとうございました。「ほぉー」「すげぇー」を連呼しながら見させていただきました。

木曜で決まり。

No.1456

 それでは、11日(木曜)の午後1時開始ということに致しましょう。田中さんそれで宜しいですね。
 共同研究室使用できるように予約しておきます。ちょうど、第二木曜なので、本年度の例会日程に合致いたします。本年度最後の例会ということになるでしょう。
 田中さん。御報告のテーマと、例会参加者が事前に読んでおくべき本とか、参考文献のようなものがありましたら、御紹介下さい。『紫苑』前号の田中さんの論文もそれに入りますか?

ごちそうさまでした。

No.1458

講読会も終わりかけの時間に、ケーキを食べに行っただけになってしまいましたが、それにしてもおいしかったです。

デジカメで撮影した写真を配布する方法が一番悩むところなんですが、今回は何とか形にできて、僕自身もホッとしています。これだけ喜んでもらえると作った本人も嬉しいです。
野口先生からお借りしている写真をまだ持ったままな事に今気がつきました、次にお会いするときに持って行きます。

P.S.野口先生、ほめすぎです☆

では

田中裕紀
No.1460

知らない間に11日に決定していました(笑)
今月は殆どバイトもしてないので、11日で大丈夫です。
本・論文等ですが、前号の『紫苑』とは方向性が異なっているため、最低限、別冊国文学の『平家物語必携』で灌頂巻の内容を参照していただきたく思います。参考文献は・・・もう少し時間をいただいて、明日くらいには告示したいと思います。

うちの奥様をよろしく

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1463

野口先生、皆様。
うちの奥様が研究会に出席させていただくことになりました。お邪魔かもしれませんが、どうかどうか、なにとぞよろしくお願いいたします。

とんでもないです

No.1464

山田先生>
とんでもないです。ちさ子さんの方が『平家』について詳しいのではないかと、ひやひやしてしまいます(笑)きっとみんなにとっても勉強になるでしょうし、良い刺激になる事と思います(何よりも、私にとってそうなので)ので、大歓迎ですよo(^^)oこちらこそ、よろしくお願い致します☆

11日、例会について。

No.1465

 11日は例会ですから、いつものように共同研究室を借りておきました。多くのメンバーの参加を期待しています。
 なお、田中さんのあげられた梶原正昭編『平家物語必携』は『別冊国文学』第15号(学燈社)で1982年刊です。この本は、なかなか便利なので、コピーをとるか、できれば古本屋で探して入手しておくとよいでしょう。
 『吾妻鏡』の方は、山岡さんからのメールで18日に行うことを知りました。これも、出席者が多そうなので(山岡さんも伊予から戻ってくるそうです)、共同研究室を午後1時から確保しておきました。指導者の山本君、よろしくお願いいたします。
 なお、月曜日、小生の研究室に新しい書架が2つ入ります。暇でヒマで仕方のない方がおられましたら、午後にでも本の配架と部屋の模様替えの手伝いにおいで下さい。
 そのうち、バドミントンセットや軟式野球用のグローブとボールも常備したいと思います。

参考資料について

No.1468

 11日の参考資料についてですが、先述しました『平家物語必携』で十分かと思います。(詳細を書き忘れていました。ありがとうございました>野口先生)というのも、これまでの文学研究でなされてきた建礼門院研究はあまりに膨大なので、これという参考文献を挙げる事が出来ません。時間がおありの方がおられましたら、①『平安時代史事典』などで「平徳子」「建礼門院」という項目をひいて頂く。あるいは②『平安時代史事典』で「平徳子」の項の執筆者である角田文衛著の『平家後抄』(講談社学術文庫/2000年・朝日選書/1981年)をお読みいただくと、多少は分かりよいかと思います。
 出来る限り分かりやすい発表を心がけたいと思いますが・・・どうなることやら・・・(--;
 皆様、どうぞよろしくお願いします。
>山田ちさこ様。
 ぜひ、プレ発表にもお越しくださいませ。なお、来週は同志社の図書館が蔵書整理に入るため、ほぼ毎日府立図書館に行くつもりです。もしももしも、府立図書館に用事があって、更にお茶のお相手が必要ならば、上のメルアドにメールしてくださいませ。

Re: 次回は・・・

長村祥知
No.1470

>> なお、田中さんのあげられた梶原正昭編『平家物語必携』は『別冊国文学』第15号(学燈社)で1982年刊です。この本は、なかなか便利なので、コピーをとるか、できれば古本屋で探して入手しておくとよいでしょう。

まだ新刊書店にもあるかもしれません。
私は二年ほど前に京都駅近くの近鉄の本屋さんでみつけました。

建礼門院ウィーク。

No.1475

 せっかく田中さんが建礼門院の報告をするのですから、この際みんなで、建礼門院を勉強しましょう。来週は「徳子ちゃんウィーク」です。
 そこで、歴史の方から参考文献をあげると、田中さん御紹介の本の他に、文字通り小生を『平家物語』の世界にいざなってくれた村井康彦先生の『平家物語の世界』(徳間書店)が、まずお勧め。村井先生はかつて京都女子大におられました。
 この本と角田文衞先生の『平家後抄』を読んだら、つぎは一足飛びに最新の研究論文へ。
 まずは、歴史学から、新進気鋭の栗山圭子氏「二人の国母-建春門院滋子と建礼門院徳子-」(『文学』第3巻第4号・5号、2002年、岩波書店)。国文学からは、同じく鈴木啓子氏「『平家物語』と<家>のあり方-建礼門院と二位殿をめぐって」(同 第4号)にチャレンジしてみてください。ちなみに、栗山さん・鈴木さんと君たちとの年齢差はごく僅かです。お二人をお手本にしてください。
 もっと勉強したい人は、この二論文の注に出ている文献を集めてみてください。さあ、11日までにどこまで出来るか、頑張りましょう。