『古代文化』特輯「福原と平家(仮)」の件

No.1178

 先般おはかりいたしました『古代文化』特輯号について執筆予定者が決まりましたので、お知らせいたします(敬称略)。
 文献史学:元木泰雄・野口実
 考古学 :山田邦和・伊藤裕偉
 国文学 :近藤安紀
以上、5名です。国文学の方にどうしても加わっていただきたかったので、佐伯真一先生御門下の近藤安紀さん(青山学院大学大学院DC)に御願いいたしました。近藤さんの最近の論文には、「「武士」の認識と『平家物語』」(『軍記と語り物』39、2003年)があります。
 巻頭の「特輯にあたって」は、元木先生に御願いしたいところなのですが、いかがでしょうか。不可の場合は、言い出した責任上、小生が書きます。
 さっそく起案書をつくって、編集委員会事務担当に提出したいと思いますので、執筆をされる先生方は、来週中くらいまでに仮タイトル(できれば、簡単な執筆予定内容を付して)を野口宛にお知らせ下さいますよう、御願い申しあげます。
 当ゼミメンバーには、この特輯号製作の過程で、いろいろお手伝いを願い、学術雑誌公刊の過程を学んでいただきたいと思っています。来年度中の刊行を目指します。

Re: 『古代文化』特輯「福原と平家(仮)」の件

No.1181

了解いたしました。平氏政権と福原、というタイトルで(タイトルだけは景気がいい)、平氏政権の構造-政権の特質、王権との係わり合い、内紛と遷都問題-などに触れるつもりです。なお、特輯の趣旨は、やはり企画・立案をご担当になった野口先生にお願いするのが筋と思います。
ところで、17日、やはり勉強優先ですから、宴会は延期しましょう。研究委員は何とかできなかったのか、こら!

ご回答お礼と17日の件。

No.1182

 元木先生。早速のご回答ありがとうございました。小生は、六波羅などとの比較の観点から、軍事空間として福原を検討してみたいと思っております。
 山田先生。入試が済んでから、ご返事を頂ければ結構です。

 元木先生。17日の件ですが、すでにだいぶ話が進んでおり、楽しみにしている方も多いようですから、実施か延期かは、幹事の長村君に判断を委ねたいと思いますが、いかがでしょうか。学問の神様も、元木先生の御研究の発表を聴けば、赦してくれるものとも思いますし。院試が終わって・・・という人も多いですし。・・・しかし、ひょっとすると、荒れるかも知れませんね?

17日の件

No.1187

まだ店の予約はしていないので、私個人は延期でもかまわないです。

参加予定者は、元木先生・野口先生・美川先生、佐伯氏(途中から)・山本氏・平田氏・永富氏・鈴木氏でした。
みなさまは如何お考えでしょうか?

17日の件

No.1188

当日の部会に参加されそうなのは野口先生と、あと何人くらいでしょうか。日程を変更した場合、野口、美川両先生と当方、それに春休みで旅行などに行かれる諸君の日程調整は至難のように思います。近い時期なら当方は18日でも宜しいのですが、皆さんは如何でしょう。

Re: 『古代文化』特輯「福原と平家(仮)」の件

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1202

野口先生 山田です。
『古代文化』福原特集には、「福原の都市構造(仮題)」とというので参加したいと思います。うまくいくかどうかはわかりませんが。
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昨日、久しぶりに角田文衛先生にお会いしてきました。まもなく91歳。昨年後半はちょっと体調を崩されていたのですが、すっかり回復され、元気そのもので安心しました。目が悪くなって本が読めない、と嘆いておられましたが。それでも、「今、ギリシア考古学の論文を書いているところです」とおっしゃり、意気軒昂とされていました。私など、角田先生の半分(!)の年齢なんですから、弱音をはかずにがんばらねば・・・

伝記を書くこと。

No.1203

 山田先生。よろしく、御願いいたします。小生は共同研究の発表の場にしようかとも考えています。
 それにしても、角田先生の学問にたいする意欲には、本当に敬服いたします。美川先生が、摂関・院政期の貴族みたいに祟りを怖れておられますが、角田先生のお書きになった伝記はどれほどになることか。待賢門院とか女性も多いが、人物叢書の『佐伯今毛人』というのもありますし、学問に立脚した本を一冊書くことのエネルギーがいかばかりのものかを考えると、角田先生こそ超人ですね。同志社の某先生は、論文一本仕上げるごとに熱を出されるそうです。
 ちなみに、本日は保立道久先生から『シリーズ民族問う 黄金国家』(青木書店)をいただきました。ありがとうございました。小生、いよいよ、置いてきぼりです。

福原の二重堀について

前川佳代
No.1167

お久しぶりです。先日送付された『日本史研究』に、楠・荒田町遺跡の保存要望書が載っており、遺跡の重要性が指摘されておりました。私も1月11日の緊急シンポジウムに出席し、先生方の報告を聞いたのですが、二重堀については、多分に疑問がありますので、投稿いたしました。
岡田先生の報告と図面、スライドを見た限りでしかもうせませんが、ほんとうに二重堀かどうかという議論が考古学側で必要であると感じました。あれだけでは、先に箱堀があり、その後ほぼラインを同じくして薬研堀が掘削されたと思えます。薬研堀が急仕事であったというのは、平面プランが直線的でない点などから納得できます。しかし、二重堀にするのなら、両者があれほど近接し、しかも構造が異なるという点に合点がいかないのです。
考古学で検出された二つの溝の時期を問う場合に考えられる条件は以下の通りです。①新旧関係があるか(溝が重複している場合には容易です)。②出土遺物の時期。③埋土の状態(埋められ方、埋め土の色など)。④構造の違い。 これらが考えられるのですが、溝の時期決定で一番配慮しなければならないのは、溝は浚渫されるということです。
箱堀は平面がきれいな直線で、しかも直に掘られています。薬研堀にくらべ、掘削に時間がかかったでしょうし、メンテナンスしていることが考えられます。あまり遺物が出土していないというのは、浚渫している可能性があるのではと思うのです。反対に、薬研堀のほうには遺物がある。これは故意に捨てられたのか、あるいは埋まる時に入ったのかも問題です。
埋め土の色は福原のような短期間の構造物では見分けがつかないでしょう。また遺物でも時間差は難しいです。
あの報告で考えられるケースは、次になります。
①箱堀が先に掘られ、埋められたのちに、ほぼ同じラインで薬研堀が掘られた。
②箱堀が先に掘られ、のちに箱堀に沿った形で薬研堀がほられた。結果的に二重堀になった。
②なら「二重堀だ」と言い切ってもよさそうですが、両者とも幅が2M足らずで、深さも2M弱のもので、飛び越えようと思えば飛べるものです。
同志社の鋤柄先生が、伊勢の事例を類例としてあげられておりましたが、あれは、溝の構造の違いから、機能の違いを指摘されているだけで、伊勢の事例が則二重堀だということではないと思います。
また、平泉との類似が指摘されておりましたが、柳の御所の堀は二重ではありませんし、構造や規模も段違いです。奥州合戦時の福島の厚樫山の二重堀はくらべようがないくらい大規模なものです。
楠荒田町遺跡の発掘調査が終了して間もない報告であったゆえ、調査者も検討時間がなかったのではないでしょうか。今後の検討を期待いたします。
なんだか遺跡の評価にケチをつけるように思われるかもしれませんが、そうではありません。二重堀でないとしても楠荒田町遺跡の特に神大病院校内では過去にも多くの重要な遺構が検出されては破壊されております。私は、当地は新造内裏ではなかったかと推測している場所なのですが(シンポで須藤先生が報告された図面は、私の修論では高橋先生案と同じでして、神大病院敷地を新造内裏に比定しました)、平氏の根拠地であった可能性は充分ありますので、過去の調査の整理と今回の遺跡の保存には大賛成です。
花園大の山田先生は現場をみてられるでしょうが、どのように考えておられるのか、お聞かせ願いたく思います。

Re: 福原の二重堀について

美川圭
No.1168

前川さん、こんにちは。

私は、現場は拝見しているのですが、シンポは公務で行けませんでした。そのため、議論の核心が見えないので、お恥ずかしながら、ちょっと質問させてください。

薬研堀と箱堀が近接して並んでいると、なんで二重堀であることへの疑問が発生するのか、ちょっとわからないのです。

ご指摘の②のように考えれば、私には疑問は生じません。そう考えるのは浅はかなんでしょうか。

箱堀を最初に掘ったが、ちょっと狭すぎるので、急きょ薬研堀を追加したとも考えられます。
私の実感では、二重堀だと、あれを馬が越えるのはかなり難しいので、堀の防御機能は果たしうるように思いますが、いかがでしょう。
素人っぽい言い方で申し訳ないのですが、当日のシンポに参加していない者のために、補足説明をしていただくと、ありがたいのですが。よろしくお願いします。

二重堀の先行例について、など。

No.1169

 前川さん、御見解の書き込みありがとうございました。小生もすでに、この二重堀については勝手な意見を述べたことがありますが、それは現地見学の際などに、先行事例として伊勢平氏関連の雲出島貫(くもづしまぬき)遺跡があるという情報をきかされて、平家との関連を短絡的に考えてしまったからです。雲出島貫遺跡に関する伊藤裕偉氏などの調査成果を見ても、堀の形態・機能は、どうも今回検出されたものとはまったく異なるもののように思えます。雲出島貫の場合は、河川に近く、福原とはだいぶ地形が異なるようですし、今回のようにきれいに本当に二重の形状で長く伸びているという状況ではないようです。
 したがって、福原の二重堀はきわめて特殊なものであり、それは治承四年から元暦元年にかけての歴史的経過を前提にしてしか評価できないものと考えます。ヒントになるのは、例の櫓と思われる建築物が、一ノ谷合戦直前の段階に構築されたと考えられることです。これは、遺構の切り合いからも確認できるようです。とすれば、薬研堀はこの櫓と同時に急造されたと考えるべきではないでしょうか。南(海側)からの襲撃から福原を防御するためです。一ノ谷合戦について『平家物語』が空間描写をかなり虚構化していることは国文学の研究成果からも明らかであり、一時的にせよ福原エリアに平家の主力がいたのではないでしょうか。
 急造という観点からすると、箱堀を拡張するより簡単であることや、戦国時代の関東に見られる障子堀のような機能が期待できることなど、話が整合すると思うのですが、如何でしょうか。ということで、小生は美川先生の御意見に同調するしだいです。ただし、堀を二重にしたのは、馬の侵入を阻止するというよりは、歩兵を阻止するうえでの効果を期待してのことと思います。
 あるいは、平家は、摂津まで反攻して再び福原に本拠を築こうとして城郭施設の構築に取りかかっていたのだが、後白河の休戦の違約によって、その計画を放棄せざるをえず、海上から屋島に逃れるにいたったと考えられるのではないかと思います。
 二重堀ということがクローズアップされて、鎌倉や平泉との比較が論じられています。遺構の比較として、それはそれで意味のあることとは思いますが、やはり歴史的な経過を無視してはならない。福原の場合は、鎌倉や平泉に比して文献史料による情報がきわめて多いので、それを活かさない手はないと思うのです。もとより、鎌倉にも平泉にもあんな形の二重堀など検出事例はないはずです。
 鋤柄氏の御見解については下記を御覧下さい。
http://www.geocities.jp/sukigara_toshio/labo/jps/hyogo/minatogawa.htm
 なお、前川さんの書き込みについて、ファーストネームを補足させていただきました。御了承下さい。

追記

前川佳代
No.1171

シンポの内容で考えられるケースの①②の他に鋤柄先生案があったと思い、追記しようとしたところ、早速ご返信いただき、ありがとうございました。
まず追記は次の通りです。
③箱堀と薬研堀が併存することを前提とした理由付けとして、一つが福原の都市計画に関わる溝(箱堀)、薬研堀が屋敷地を囲む溝という鋤柄先生案です。

さて、美川さん、ご無沙汰いたしております。ご指摘のように、②の箱堀と薬研堀は掘削の時期差があるものの最終的に併存すると考えると二重堀であるといえなくもないのです。溝が近接している件です。溝と溝の間は広くても1mくらいのようで、一条の溝を飛び越すし着地するとその勢いで次の溝も飛び越せそうな感じがするのです。ただし、掘削した土を北側に積み上げていれば、突破は難しいかもしれませんが・・・
 私がいいたかったのは、いまの段階ではいろんな可能性が考えられるので、まずは調査の成果の検討を重ね、その上で野口先生のおっしゃるような歴史的経過を加味して議論してはどうかと思ったのです。例えば、二重堀が最初から併存していたというのと、最初は一条であとから一条加える必要があったというのでは、歴史叙述が異なってくるように思えるのです。

Re: 福原の二重堀について

美川圭
No.1172

野口先生のご説明(野口説の全面展開?)と前川さんの追記で、状況と問題点がよくわかりました。学生さんたちにも、非常に理解しやすくなったと思い、お二人に感謝したいと存じます。

私の関心からすると、対騎馬ではなく、対歩兵の堀と想定される理由を野口先生にお教え願えれば、さらに幸いなのですが。

私の感じだと、歩兵は前川さんのいわれるような感じで、あの二重堀を割と簡単に飛び越えられるような気がするのですが。もちろん鎧をつけた武士だとどうかな、とは思います。このあたりは近藤先生にお聞きするしかないのかな。
馬だと、堀を飛ぶのは、難しいですよね。とくに二重堀だと。
その辺を、ぜひお教え下さい。

馬の防ぎ方。

No.1173

 平将門が馬牧の管理者であったことは、よく知られていますが、その牧から馬が逃げないようにするには、周囲が沼沢地であることとか、ちょっとした土堤、簡単な堀があればすんだということを学んだことがあります。とすれば、もちろん二重の方が防御効果は大きくなりますが、箱堀一つでも馬の侵入は防げるわけです。
 攻撃する側は、奥州合戦における畠山重忠配下の工兵隊のような人夫(歩兵)が堀を埋める作業をして、軍勢を通すことになると思いますが、その作業は大きな箱堀よりも、二重堀の方が困難を伴うのではないでしょうか。
 また、武装して腹巻きなどを着用して、堀を飛び越えるのは、なかなか大変だと思いますし、堀のみならず、逆茂木なども置かれたはずですから、いったん薬研堀に入り、そこを這い上がって、箱堀に進むという段取りが歩兵には必要になると思うのです。すなわち、関東において後北条時代に流行した障子堀と同じような機能と申しあげた次第です。
 なお、前川さんの新造内裏説を生かすとすれば、軍事よりも築地塀の如く威儀を示す意味で堀(溝)が設定されたのかも知れません。「偶然」、二条に重なったというのは実見した限りでは納得できませんでした。
 小生は、平家があくまでも武士であることに重きを置いて、軍事的観点から発言していますが、地方領主の居館、平安京など、さまざまな対象を研究されている方が、どんどん御自身の関心に沿って御意見を発信されたらよいと思います。
 考古学は科学的・客観的な情報を提供してくれますが、考古学者間にも見解の相違が出ることが多く、結局、文献の方で蓋然性に基づく判断をせざるを得ないケースが多いと思います(例:法住寺殿の武将墓)。文献史料がなければ、話になりませんが、福原についてはそれが多くありますから、考古学者に判断材料を提供する意味からも、文献史学者は大いに発言すべきだというのが、小生の意見です。

Re: 福原の二重堀について

美川圭
No.1174

野口先生。入試関係業務が終わられたそうで。私は今日だけが中休み。明日またです。一応、木曜日で終わりですが、ほんとうに神経をすりへらします。昨日は、昼間、コーヒーを飲む気力もなくなりました。毎年のことですが、ちっとも慣れないです。というか、社会の目が年々きびしくなっているので、ストレスがとても大きいです。しかも、具体的な話がなかなかできない種類の仕事なので、うさばらしもなかなかできません。伊勢旅行が楽しみです。

ということで、学問がとても恋しい時期でもあります。野口先生のご回答は、とてもわかりやすく、納得いたしました。ありがとうございました。また、話のきっかけをつくってくださった前川さんにも感謝します。学生諸君も、この場を積極的に質問の場として利用したらいいと思います。

伊勢平氏嫡流・頼盛

No.1175

 本当に入試業務は疲労しますね。小生の場合、学部所属ではないので、助っ人ですが。小生は強迫神経症なので、最善を尽くしても、いろいろなことが心配になります。実際、論文の校正漏れみたいな事もありますから、完璧はいかなる人にも無理なのだとは思いますが、気になり始めると大変です。
 大学が主体的に学問を志す者の集まる場であるならば、師を選んで入門を願うような形の入試ができるはずなのですが。
 例えば、「院政の研究がしたい」、となれば、美川先生の所に入門するのが筋でしょうから、それで面接して美川先生が採否を決定する。それでいいんだと思うのですが。最近は、「資格」「資格」と、その先生の学問を学ぶなんて発想が最初からない学生さんが多くて、これこそ学問の危機だと思っています。
 入試は今が最盛期ですが、近年は学生確保と称して、一年中入試をやっている大学も多い。秋の学会シーズンが推薦入試の時期に重なっている。当然、学会は二の次になる。大学の教員は、研究が出来なければ、良い授業も出来なくなる。要するに、在籍している学生よりも、受験生の方が大事なんだということになっているという次第。
 この点に関しては、1月30日の京都新聞の2面「現代のことば」の欄に京都文教大学の鵜飼正樹氏が「まさにその通り」と拍手したくなるような記事を書かれているので、御覧になってみてください(ついでながら、たしかその前の日曜日の京都新聞には元木先生御執筆の書評が載っていました)。
 小生など器が小さいので、同時進行で多くの仕事がこなせません。最近はそれに、老化で記憶力が悪くなったことが、拍車をかけています。研究室の本の貸し出しにしたところで、貸し出しノートを作っても、同時に来客があったときなどいちいち記入してくださいと言ったり、返してもらったことを記入するのを忘れたりする。ノートに書いてある貸出者に問い合わせると、もう返したはずです、などと言われてしまう。まったく困ったことです。そこで、このところ、学生さんたちに過大な要求をし向けているのかも知れません。
 小生、ゼミの諸君には風邪に気をつけろと言いながら、ついに自分が風邪をひいてしまいました。頭痛・鼻水・鼻づまり・のどの痛みと「万全」の状態です。論文に取り組める状況ではないので、ここに逃避しております。
 美川先生、どうぞお気をつけください。
 ところで、ここでタイトルにかかげたことは、斎宮歴史博物館の伊藤裕偉先生の御意見で、「なるほど」と思ったことです。福原の二重堀が頼盛邸のものであるとすると、間接的であれ、こんどの伊勢旅行は楽しみになってきます。とくに、伊藤先生にお時間を頂ければ美川先生と三人(+α)でとても充実したお話が出来るものと期待しています。雲出島貫の景観もじっくり見学してきたいものですね。

Re: 福原の二重堀について

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1176

前川さん、美川先生、野口先生、こんばんは。盛り上がっていますね。
 福原の「二重堀」についての前川さんの問題提起、重要だと思います。私も現地を見せていただいて、いささか首をかしげました。とにかく、ふたつの堀の間が狭すぎる。県教委の見解ではふたつの堀の間に柵列のようなものを想定されているようですが、その柵列さえ窮屈なくらいしかないのです。防御的に見てもこれではどれだけの意味があったか。それだけの労力をかけるのならば、あえて二重堀にせずとも、一重堀を深く、広く掘ったほうが効果があると思います。
 そこで、もしかして時期差があるのではと、トレンチの壁断面をじっくり観察しましたが、私の目には切り合いは見えませんでした。県教委が展示していた断面図でも、土層は切り合っていませんでした。ただし、おそらくこの遺構の上面は多少削平を受けているでしょうし、その場合は時期差があっても切り合いが消えてしまっているのかもしれませんから、決めてにはなりません。

 ただ、そういう疑問はあるにせよ、現段階ではもともと二重堀として掘られたので良いのではと思っております。そもそも、ひとつの堀が埋まった後、それに切り合わずにもうひとつの堀を掘るのはかなり難かしい(埋めたところにシルシをつけておくわけではないですからね)。前川さんの「(2)箱堀が先に掘られ、のちに箱堀に沿った形で薬研堀がほられた。結果的に二重堀になった」という仮説に距離を置くのは、この遺構のベースとなっているのが目の細かいシルト層で、かなり脆いことです。土留めの杭の跡などもないようですし、これではちょっと長雨がきたら埋まってしまいそうです。つまり、今のところこの堀は、なにか急場・臨時の必要に迫られて掘り、そして、そう永い時間を置かずに埋まってしまった、と考えたいのです(野口先生のおっしゃるように一の谷合戦に結び付けるべきかどうか、まだ自信がありません)。

〈学生の卒論読みでくたびれきっている山田でした。明日は誕生日。あさっては入試だ・・・ 鬱〉

仮説の整理

前川佳代
No.1183

山田先生、お忙しいところありがとうございました。また美川・野口両先生方も数々のご教示をいただきました。前川の仮説が微妙なニュアンスで受け取られているようなので、一応再整理したいと思います。

①箱堀が掘られ、埋められたあるいは埋まったのちに、ほぼそのラインに沿って薬研堀が掘られた。
②箱堀が先に掘られ、のちに箱堀に沿った形で薬研堀が掘られた。結果的に二重になった。
②a:偶然の所産で、箱堀と薬研堀は違う機能を持つ。
②b:箱堀が先行してあるので、二重堀にしようとして間近に薬研堀を掘った。
③最初から箱堀と薬研堀が掘られた。

掘削の段階差をもつ②をさらに二重堀を意図したか否かで二つにわけました。前記の仮説②は②bを意図しておりました。

山田先生のご賢察では、ベースの土が脆いものであるとのこと。私のイメージでは、②bでして、薬研堀を掘る際に、箱堀も利用し、箱堀はこのときに直にさらく深く掘り直されたのではないかと思いました。
この時期は全国的に堀が出現してくる頃でもあり、ご承知のように白河や鳥羽でも側溝が大規模化いたします。ゆえにとりたてて福原にあったとしてもおかしくないと思えるのです。

羽曳野市で嘱託をしていた時に、当市にある高屋城関係の遺構を掘りまして、一つは箱堀に土塁、もう一つは大土塁(防塁)に小規模な薬研堀を検出いたしました(後者が後出します)。時期は15世紀ですから、福原とは時間差がかなりありますが、箱堀と薬研堀の意味あいに何か違いがあるのではと、今回の事例をみて直感したのです。城郭談話会で報告したさいに、薬研堀のほうは導水路ではないかとの意見も出たのを記憶いたしております。少し考えてみたいと思っております。

多くのご意見を本当にありがとうございました。

前川がんばれ!

No.1184

 前川さん、仮説の整理まで、ありがとうございました。ここの書き込みは、とても重要な資料になりました。
 『古代文化』には是非、執筆を御願いしたいところでしたが、今年は博士論文の完成を目指されているので、無理は申せませんでした。家事・育児等々といろいろ大変だと思いますが、女性研究者の一つの生き様を、当ゼミメンバーをはじめとする後輩達に示していただければと思います。
 古代学協会の二条の仮事務所に訪ねてこられてから、もう十五年以上。山あり谷あり、紆余曲折でしたが、よくここまでやって来られましたね。まだまだ、これからですから、過程を楽しみつつがんばってください。

エールをありがとうございます。

前川佳代
No.1185

野口先生、いつものことながらエールをありがとうございます。
お恥ずかしいかぎりですが、現在時間を作るのに、夜に子供に起こされた夜中の3時から起きてみたり、子供がお昼寝してる時間に勉強したりとなかなか定まった時間が取れずにおります。ゆえに投稿してもお返事がすぐにできないような有様でなかなか投稿できませんでした。
この掲示板は、現在の最新の研究情報がわかるので、私のように家にこもっているものにはありがたいかぎりです。これからもアカデミックで活発な議論を期待いたしております。

京大近辺グルメ探訪記、因みに義経。

なめかわあつこ。
No.1156

こんな時間に私は寝ずに何をやっているのでしょう??
実は、今飲み会から帰ってきたばかりなのです(笑)。昔(学部生の頃)は、午前4時まで飲んで自転車で帰宅というようなこともやっていたこともありました…。
先日とは言っても大分前になりますが、レポート作成に追われ、なかなか掲載出来なかった京大近辺グルメ探訪についてお話ししましょう。ヨダレ防止のハンカチorティッシュのご用意を!!…とは言いつつも、先程伊勢グルメの書き込みを見て話している自分が既に空腹、嗚呼ヨダレが…。伊勢うどん美味しそうですね。またどなたかレポートして下さいね!!
本論に戻りまして、今回連れて行って頂きましたのは総合人間学部の正門を出て右にまっすぐ行ったところにある「かふう」という天麩羅専門のお店です。今回は、元木先生・美川先生、私滑川の三名です(研究会終了後の夕食です)。いつもながら私にとっては貴重な体験です。
お料理は一品ずつ出てきました。私は一気に出されるより一品一品出された方が食べやすいし、一つ一つのお料理を丁寧に楽しむことが出来て好きなのです。とりあえず、生ビールで乾杯!研究会後のビールは最高です!!(←これはオヤジ的発言?!)って言うか酒好きなんだろうね、私は。
お料理は一品一品ちゃんと覚えている訳ではないのですが、どのお料理も彩りが良くて、食欲をそそられるものでした。天麩羅は二回に分けて出されたのですが、天つゆだけでなくお塩をつけて食べたりと味のバリエーションを楽しむことができました。サクッとした歯ごたえが何とも言えません!!こんな美味しい物が食べれるなんて、日本人に生まれてきて良かったとか思ったりする瞬間です(単純??)。お料理は全部で7品位出てきたかと思います。天麩羅も去ることながら、私がとても気に入ったお料理が二つあります。一つは「鱧のお茶漬け」です。鱧を甘辛く味付けしたものをご飯の上にのせてだし汁をかけたメニューです。私は「かきこむ」お料理が大好きです。日本人以外でそういう動作をする国ってあるのでしょうか?日本人独特の食べ方のように思うのです。女らしくないと思われるかもしれませんが…。時代劇に出てくる「湯漬」って美味しいのでしょうか?よく織田信長かなんかが桶狭間の合戦前にそれをかきこんで、敦盛を舞い具足を着けて出陣するのがイメージされるのですが…私だけですか??こんなこと考えてるのは。
もう一つは女の子なら喜ぶことでしょうデザートの「黒豆のアイスクリーム」です。黒豆というと、一般にお正月のおせち料理で煮たものが出されますが、この黒豆はアイスクリームに変身したのです。黒豆がアイスになるとこんなに美味しいとは!アイスの中の黒豆が完全に潰されているわけではなく、アイスの中で黒豆の歯ごたえが楽しめるよう工夫しているのがとてもすばらしかったです。このお店はホームページをもっていますので、興味のある方は検索してみて下さい。私のオススメは「天ぷらのはなし」「プロの簡単レシピ」です。
私は「食べる」専門ではないですよ。実は料理するのが趣味なのです(新事実発覚??)。学部生の頃は、友達と一緒にご飯を作って食べたりしたものです。揚げ物も勿論します。大学院生になるとなかなかお料理する時間がないのですが、土日は気分転換も兼ねてやっていますよ。このホームページでプロの技を習得したいものです。
余談ですが、徳川家康は鯛の天ぷらを食べ過ぎて、それがもとで死んだと小学校の頃、マンガ日本の歴史で読んだ覚えがあります。今となってはホンマかいな?と思いますが…。
二次会はサントリーバーでお酒を楽しみました。最近、飲む機会が多くなりカロリーが気になるところですが、「お酒を上手に飲める女性」目指して頑張りたいと思います(頑張りどころが間違っているかも…)。元木先生・美川先生、そしてサントリーバーで偶然お会いした井上さんには、色々面白いお話をきかせて頂きました。とても楽しい時間をすごすことができました。この場を借りてお礼申上げます。
因みに次期大河ドラマ「義経」続報!!義経の若かりし頃の初恋の相手(勿論架空)には、上戸彩、武蔵坊弁慶役には最近熟年離婚を経験した松平健が決定したようです。ますます期待が薄れますね。清盛・頼朝は誰になるのでしょう??

車で聴く音楽。

No.1159

 滑川さんは、ほんとうに食べるのがお好きのようですね。元木先生や美川先生とおつきあいしていると、いまに院生として分不相応なものしか食べられなくなりますからね。
 小生は最近、とくにアルコールを含む外での飲み食いそのものが、しんどくなってきました。胃腸の具合は悪いし、疲れるし、財政難もありますしね。いよいよ、「小人閑居して不善をなす」です。
 音楽の件ですが、小生は子供の頃から、いわゆるアメリカン・ポップスというのが好きでして、竹内まりやもその線上にあります。我々の世代にとって、アメリカは憧れでしたから。「名犬ラッシー」の影響で、コリー犬を続けて二頭飼ったこともあります。
 車に乗るようになってから、古い車なためにCDデッキがついていないので、CDをカセットテープに録音したものを通勤時に聴くのが習慣になりました。あれから、かれこれ20年ほどにもなりましょうか。一時、大量に採りだめしたテープがあって、そのために古いものばかり繰り返して聴いています。ほかにアリスとか、赤い鳥とかフォークソング系もあります。
 車を持っていなかった、高校の教員をやっていた頃のことですが、家庭訪問で学年主任の車(古いマークⅡでした)に乗せて貰ったとき、彼が、「自分が一人になれて精神的に解放されるのは車の中だけだ」と言ったのをヤケに鮮明に覚えています。小生もいま、そんな気分です。

ドライブ時の音楽

No.1160

車の中での選曲は、本当に個人の趣向がよくわかりますね☆
伊勢旅行では、もちろん自分の好きな曲を持参でレンタカーに乗るつもりなので、僕の運転の車に乗る人は覚悟をお願いします!!

さすがに、考え事をしながらの運転は危ないですが、山道を長時間走ったりすると、無心になれます。スピード狂ではないので、ゆっくり走ってストレス解消しています。

天ぷら、本当においしそうです。
僕が今まで食べた中で、いちばん変わり種の天ぷらで
「柿の天ぷら」があります。塩をつけて食べるのですが
食感はサツマイモを柔らかくした感じで、味はイモほどしつこくなく、ほんのりとした上品な甘さでした。
(龍大の近くの「おたふく」という居酒屋で食べました)
“大人”のグルメに早く仲間入りしたいです..。

P.S.昨日の件ですが、野口先生のメールアドレスへ返信しました。ご確認よろしくお願いします。

Re: 京大近辺グルメ探訪記

美川圭
No.1162

野口先生のように、おっしゃられると、
私が、あまりに美食家(グルメ?)のように思われてしまいますが、基本的にはほとんどなんでも食べる人種です。家内もその点だけはめずらしく評価してくれます。食事にうるさくないのです。

学校給食のトラウマである低脂肪乳(いわゆる脱脂粉乳)、マーガリン、トーストしていない食パン、鯨肉以外は、なんでも、けっこう食べます。

低脂肪乳は、飲む必要性は感じないし、食パンもだいたいトーストしてあります、鯨肉はもはや希少価値ですが、マーガリンはけっこう遭遇するので、こまります。
市販のサンドイッチなどにぬってあるときは、我慢してます。

ということで、
あまり、味に敏感ではないと思うこともあるくらいですが、
やはりおいしいと、うれしいです。元木先生のご推奨のお店ははずれがありません。
一応、言い訳しておきます。

美川先生に同じく…

なめかわあつこ。
No.1164

美川先生に同じく言い訳をしておきます。
私は普段は分相応なものしか食べていませんよ。分相応なものばかり食べているからこそ、グルメ探訪記に書くような感動があるのですから。しかし、元木先生のお奨めのお店は本当にはずれがないですよね。いつも美味しく頂いております。
美味しい物を頂くと、私の場合「料理魂」に火がつくんですよ(笑)。

悪の道

No.1177

なめかわさん、ご苦労様です。かふうのHPによると、あのご主人は北大の哲学を目指したこともあったとか。ともかく、料理にふた工夫くらい仕込んであるのがポイントでしょう。冬はすっぽんを良く使うのですが、今回はありませんでしたね。湯葉が効果的に使われていたようです。
京大近辺なら、一度時計台のフランス料理も試してみたいものです。先日、美川先生と二人で入り口まで行ったのですが、入りそびれました。どうもおっさん二人でフランス料理というのもねえ。それと、あの辺で行くなら、杉橋先生ごひいきの住吉ですかね。
春休みにまた大阪探検に行きましょう。参加者をあつめて下さい。
掲示板を悪用して、前途有為な若人を酒食の道に引き込むのか!と野口先生の雷が落ちそうですのでこの辺で。
余談ですが、角川の広報誌『本の森』に連載中の安部龍太郎なる人物の小説『後白河院』、後白河が信頼と組んで守覚を皇太子に立てるために信西暗殺を図る筋書きになっております。
河内説が一人歩きし始めたようです。かつて、橋本義彦先生が大天狗イコール高階泰経説を、人物叢書『源通親』で見事に論破され、以来ほとんど相手にされなくなった例がありました。あのような、きちんとした批判が、昨今の「とんでも本」には必要でしょうね。

冬の稲妻。

No.1180

 元木先生。景気の良いタイトルをつけましたが、パワー不足で落雷のおそれはありませんのでご安心下さい。17日の御発表を楽しみにいたしております。ところで、この日は、日本史研究会の中世史部会で「鎌倉時代の滝口」という報告が予定されているようで、宴会・カラオケなどやっている場合なのか、いささか深刻に悩んでおります。すでに決まっていることですから、仕方ありませんが、何もこの日に・・・という感なきにしもあらずです。
 なお、元木先生には、グルメネタばかりでなく、ぜひ福原の二重堀の議論(↑)にも参加していただきたく、よろしく御願い申しあげます。

Re: 京大近辺グルメ探訪記、因みに義経。

なめかわあつこ。
No.1186

沢山のレスを頂きありがとうございました。
とても嬉しいです。しかし先生方にまで漢字変換のない「なめかわ」の表示にお付き合い頂いて恐縮です。ピーター/池端慎之介のような気分(?)ですね。
大阪探検楽しみにしております。

屋島・壇ノ浦ツアー、締め切ります。

No.1150

ここの掲示板に掲載させていただいた屋島・壇ノ浦ツアーの参加募集は、本日をもって締め切らせていただきます。掲載させていただき、ありがとうございました。

Re: 屋島・壇ノ浦ツアー、締め切ります。

No.1153

近藤先生からお誘いのメールもらいながら返答していない人がいるようです。故障などで見ていなければ別ですが、ずっと迷っていたのなら、早急に返事をするべきです。もし、放置しているのなら、直ちに返答を送ってください。メールを送る側は、人数の把握などに気を使うものです。また、こうした情報をお届けするのは、教員が院生・学生諸君の勉学に資するものと判断してお誘いしているものです。したがって、単なる旅行情報のように考えて放置しておくなどということは、モラルの面で許されることではありません。
どうも最近は教員のサービスが良すぎるのでしょうか。それが院生、学生の甘えや増徴をもたらしているとしたら問題です。昔の先生ときたら・・・・。これ以上は止めておきましょう。

モラル以前!

No.1158

 元木先生。いろいろ御迷惑をおかけして恐縮です。講義の際の御無礼のことなども、いろいろ当事者の諸君達から耳にしております。しかし、当ゼミメンバーは全員一致して、元木先生の講義を受講させていただいたことに感謝しております。
 近年の学生さんは、担当者に特別に御願いをして講義に出席させていただいている場合でも、どこかで、出席してやっているみたいな気になってしまうところがあるようですね。出させて頂いている立場なのに、断りもなしに急に出席をやめてしまうというのもよくありますが、随分失礼な話です。やはり、教員がサービスをし過ぎるからでしょうか。
 「昔は・・・」と言いたくもなりますね。でも、小生はそんな昔に学生だったことを幸せに思っています。
 
 ここで苦言を呈したくなったのはほかでもありません。何度も研究室から貸出した図書の返却をお願いしているのに、まったく戻ってこないからです(本以外にもあります)。もちろん、一部の律儀な方は、差し上げた本のことまで問い合わせてきたりしてくださいましたが(これには恐縮してしまいました)、肝心の『歴史評論』とか『アエラムック 平家物語がわかる』とか、元木先生のお書きになった『日本の中世』とか『集英社版日本の歴史の別巻 日本史研究事典』などなど、普段授業の準備に使うような私物の本が戻ってきません。好意があとになって自らの仕事の障害になってしまい、情けない限りです。
 それから、雨の日に濡れた本を平気で返しに来るような、非常識も経験しました。逆に、とっても丁寧に包装して礼状も付して、というのもありましたから、これも人によりけりですが、・・・これ以上は止めておきましょう。

電子メールでの重要案件のやりとりについて

No.1161

レポート提出など電子メールでの重要なやりとりが、今の時期は増えていますが、それに伴っていくつかトラブルも聞いています。また、今回の一件も少し該当すると思いますので、ここに投稿します。

 インターネットは、仕組みの上で情報に関して信憑性を保証しません。送信側から受信側へデータが確実に届けられたかどうかの確認が難しくなっています。
 特に、電子メールは仕組みが制定されたのが古く、セキュリティ的にもとても不確実なものです。(差出人の偽装も、一般的なコンピュータの知識で出来てしまいます)
 具体的には、送信側は送りっぱなしで、受信の確認は行いません。今回の近藤先生の件も、もしかしたら“受信すらされていない”可能性もあります。原因としては、回線の不調や操作ミスが考えられます。また、ここ数週間でメールを利用したコンピュータウィルスが被害を拡大して、その影響をうけている場合もあります。
 携帯電話への送信は、もう少し複雑な事情があります。迷惑メールをシャットアウトする為に、携帯電話同士のメールのやりとりは許可して、パソコンからのメールは受け取らない設定になっている人が多くいます。(この場合、たちの悪いことに、受信不可のエラーメッセージは返しません)

 家庭にもパソコンが普及して、電子メールも一般的になりましたが、普通郵便とは使い勝手がかなり違う物なので利用する側も注意しなくてはなりません。
(僕自身も、レポート提出で泣きを見たことが何回もあり、経験の上これを書いています。)

 問題の対処方ですが、
 ★たいていのメールソフトには、開封確認機能をつけてメールを送ることが出来ます。
 c.f.Outlook Explessの場合は「ツール」→「開封確認メッセージの要求」
 利用することで、メールを受け取っていないのか、返信をしていないだけなのか、判断することが出来ます。

 また、今回の一件ではメールの行き違いのせいで、双方に不利益になってしまっているのでは?と思い、投稿しました。
 1回生など、パソコン初心者の人は特に覚えておいてください。(自分の為にも)

Re: 屋島・壇ノ浦ツアー、締め切ります。

No.1165

元木先生、お気遣いいただき、ありがとうございます。さすがに先生のお声は効果覿面(こんな字なんですね)です。早速全員から返事が来ました。それにしても、最近は、大学側の態度も問題だと思います。読む価値もないようなレポートや試験を不合格としても、学生の異議申し立てを認めたり、合格にするように迫り、学生を卒業させようとするのですから。最近の大学には、不合格にするのは教員の責任のような風潮がありますね。

公式発表です!!

No.1137

本日「ええじゃないかツアー2004」の行程会議に参加してくださった皆様、お疲れ様でした。公式発表が遅くなりすみません。実は家に帰ってから疲れの余り(?)化粧も落とさず寝てました・・・☆笑
昼から夕方六時頃までCafeで居座った甲斐あって(大半の時間は雑談だった気もしますが・・・笑)、すばらしい計画を立てることができましたね♪
さっそくここにその成果を発表させていただきます。

★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜

【一日目】2月24日(火)
8:00 京都駅八条口集合。レンタカーにて伊勢へ(※野口先生グループは別出発)
↓(R1)
関JCT

安濃SA(ここで先生の車と合流予定)

津IC
↓(R163)
忠盛塚

雲出島貫遺跡

松坂(自由行動。松坂城跡、松坂市立歴史民俗資料館・・・etc.)

斎宮歴史博物館

いつきの宮歴史体験館

多気郡河田

宿(ホテル清海:宿にて宴会?!)

【二日目】2月25日(水)
早朝 夫婦岩の日の出をみる

8:00 宿出発

伊勢神宮(外宮・内宮)

おかげ横丁(ここで昼食)

徴古館など外宮周辺を散策

伊勢麦酒蔵(夕食)

宿

【三日目】2月26日(木)
朝8:00 宿出発

鳥羽水族館

伊勢志摩スカイライン経由

伊勢IC
伊勢自動車道

京都(20:00)

★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜

と、いう予定になっております。

★三日目の鳥羽は希望によってまだ見たい場所へ自動車または電車で行って帰途につくもよし、臨機応変にまた二日目の夜にでも話し合えばよいとおもいます。
三日目はあまり時間もとれないので「予備日」ぐらいに思っておいてください。
★今回の旅行メンバーに新たに高木泉さん(熊野へ行った方はご存知かと思いますが、私と同じく京女の大史三回です)が加わることとなりました。
★当日野口先生の車で行く予定の人はあらかじめ京都駅に集合する人数を把握したいので永富までご連絡ください。
★伊勢に行くにあたりゼミ旅行前恒例の「事前勉強会」を2月20日前後に開く予定です。(はっきりとした日が確定すればまたご連絡いたします)お忙しいでしょうができる限り参加してください。
★質問などはお気軽に掲示板またはメールでどうぞ。

以上です。
さ~て、誰がどの車に乗るのか・・・くじ引きが必要ですかね?笑

Re: 公式発表です!!

No.1140

 ありがとうございました。初日はちょっとハード(小生は斎宮博ですこし時間をいただきたいと思っています)。2日目は余裕。という感じてしょうか。雲出島貫遺跡と多気郡河田は、バッサリのようですが、仕事の都合で是非見に行きたいので、小生は、ちょっとコースをはずれるかもしれません。プレミオ希望の方は、朝の早出が苦手で、伊勢平氏に関心のある人がよいと思います。

余計なことですが

No.1141

野口先生ご希望の史跡は、近いところですから2日目、3日目の途中で立ち寄ることもできると思います。
ところで、当然立ち寄られると思いますが、朝熊山の金剛証寺は、国宝の平治・承安の年号を持つ経筒などがあり、それらが出土した遺跡は中世の墓所を想起させる場所です。景色も素晴らしく、見学に時を忘れました。もっとも20年前の古文書学会の見学会で最初に訪れた時は、霧がかかって何も見えませんでしたが。
松坂の有名な牛肉料理店派高価で、最近は観光地化して内容も低下しているとのことです(たとえばW)。でも、町並みは鈴の屋をはじめ、史跡に恵まれ、本当に良いところでした。
伊勢に行ったら、話のねたに一度伊勢うどんもお試しあれ。

公式発表・補足

No.1142

>野口先生
もちろん、雲出島貫遺跡と多気郡河田には行く予定ですよ。
雲出島貫遺跡は、忠盛塚から松坂へ向かう道の途中にあるので
立ち寄る予定に(なっていたはずです)
また多気郡河田は、斎宮博の後に向かう事になります。
どちらも行程の途中なので、矢印の中に含まれていると思います。(と補足しておきます)
いつきの宮歴史体験館は時間があればという事になってしまいますが。

>元木先生
ご助言ありがとうございます。
金剛証寺はもちろん行くと思います。スカイラインを通りたいが為に、鳥羽に行く行程になっています(田中さんと僕の希望ですが)もちろん、伊勢うどんも食べます!
元木先生のお話の通り、3日目に予定があまりないのは、それまでの取りこぼしがないようになっていますので、帰路の途中で行くことが出来るかと思います。

松坂は、観光ガイドを見て「行こうか!」という事になりましたが、あまり良くは無いのでしょうか?。松坂でお昼ご飯にする予定ですが、良いお店があればどなかか教えてください!(特に牛がいいですが...)

以上、少し補足でした。

Re: 公式発表です!!

No.1143

自宅の場所の関係で、私長村は野口先生の車に乗せて頂きたく存じます。
美川先生も、学生の車が騒がしいのは失礼になるかと思いますので野口先生グループの方で考えております。

Re: 公式発表です!!

No.1144

野口先生>「バッサリ」切ったつもりはございません。
予定に文字情報で”雲出島貫遺跡と多気郡河田”を書かなかったのは私の手抜きですが、地図で位置関係を見ていただくとわかるようにきちんとコース上にはいっておりますのでご安心ください。

元木先生>伊勢うどん、私は大好物です♪おいしいお店があればぜひ教えていただきたいです。

鈴木くん>「いつきの宮歴史体験館」は時間があればではなく必須です!!笑

見るべき程の事が・・・。 

No.1145

 元木先生、御教示ありがとうございました。朝熊山の経塚はなかなかのもののようですね。伊勢平氏に関しては、伊藤裕偉氏の御研究の成果を学ぶにつけ、東国武士団の研究で取ったのと同じような方法論(領主制論的な発想ですが)で追究すれば、相当な成果が上がると思えてきました。

 >永富さん・鈴木君
 バッサリではなかったようで、ホッとしています。それにしても、見るべき対象が多すぎて、興味に応じてコース分けの必要があるかも知れませんね。
 
 >長村君
 美川先生に六地蔵まで出て来ていただくのは申し訳ないので、初日は京都駅発のグループの方がよろしいのではありませんか。むしろ、学生さんたちの車に乗っていただいて、御指導(あるいは睨みを利かす)していただく方が良いのではないかと、小生は思っています。
 それから、見学先に関する事前研究は貴兄のお仕事です。いろいろ面白い情報が得られたら、逐次この場に御報告下さいますよう。文献・史料の紹介もよろしく。

座席割りの件

No.1146

美川先生がどの車にご乗車になられるかですが
(幹事でも無いのに口をはさんでごめんなさい m(_ _)m)

トータル14人となり、2台は必ず5人が乗車する事になります。
運転席・助手席(ナビ&地図担当)で2人なので、後部座席はもちろん3人がけになってしまいます。(ぎゅーぎゅーです[笑])

美川先生には、やはり先生のプレミオにゆったりと乗っていただいた方が良いのでは無いでしょうか?



Re: 公式発表です!!

美川圭
No.1147

入試で、神経をすりへらしている美川です。
ルートの件、了承しました。いろいろありがとうございます。
野口先生の車に乗せていただきます。

六地蔵8:00、問題ありません

美川圭
No.1148

追伸です。
野口先生。JR六地蔵駅8:00でしたね。
昔から、旅行に行くとなると、早朝に目を覚まして、
手持ちぶさたになります。
京都駅だとちょっと近すぎるので(10分しかかからない)、
六地蔵駅、ちょうどいいです。
冬じゃなかったら、六地蔵周辺を散策してしまうぐらいの時間ですが、今はさすがに7:00過ぎまで、まだ暗いです。
野口先生、よろしくお願いします。

あと二人余裕がありますね。

No.1151

>美川先生
 了解いたしました。ただし、JR六地蔵8:30です。
 同乗者、もうひとりは長村君。ということは、かれがナビゲーター役でしょうか?
 昔、元木先生が鹿児島にお出でになったとき、どちらが地元に住んでいるのか分からなくなるほどの寸分違わぬ名ナビゲーター役を勤めていただいた記憶があります。なお、プレミオは5人乗りですから、あと二人は可能です。1回生の人、どうですか?ただし、車の中では1950~60年代のOLDIESか竹内まりやを聴かされることを覚悟しておいて下さい。

 >鈴木君 メールで私的な質問を送ってあります。よろしく。

伊勢志摩・食の思い出

No.1152

当方が伊勢、松坂に出かけましたのは数年前ですから、グルメは最新情報で確認してください。一応思い出に残っている店をご紹介しますと、松坂では駅前ベルタウンの焼肉「北村」です。97年に行きました。比較的安い部位を中心(ホルモンではない)にして値段を下げ、しかし満足できる味とボリュームでした。あの水準を維持していれば、行く価値ありでしょう。
おかげ横丁のあるお祓い町では、てこねすしのすし久が定番で確かにいい店ですが、肉というなら2001年に訪問した、もっと内宮よりの和風肉料理「蓬莱」のステーキどんぶり(だったと思う)は、非常によい肉を使って美味でした。ただし、値段は1500円くらいはしたと思います。ちなみにここは、三重大学の山田雄司先生のご推薦です。
ついでに余談ですが、お祓い町入り口のみやげ物屋岩戸屋は、当方が1966年に修学旅行で伊勢に出かけた際、最終日の昼食をとったところです。ここで、ある大先生にまつわる楽しいエピソードがあるのですが、それは旅行中に美川先生からお聞きください。
なお、当方が伊勢うどんを食べたのは、1984年の皇学館大学での古文書学会のときでした。当時は「山口」とかいう店が有名でしたが、もう20年も経ったので、新しい店ができていることと思います。
なお、伊勢志摩では海辺の民宿ですごい魚料理を出してくれるところがあります。2001年に泊まった相差の仁宝という民宿の旨さとボリュームは仰天すべきものがありました。また、1997年にJTBの特別割引ツアーで泊まった鳥羽の戸田屋という有名旅館も、一泊10000円ポッキリで、見事な夕食を用意してくれました。宿の新鮮な魚が伊勢志摩旅行の最大の楽しみではないでしょうか。
食べものはともかく、史跡見学が実り多いものであることを、また好天と無事故をお祈りしています。

Re: 公式発表です!!

No.1155

このスレッドは携帯で見ると長さのあまりパケット代がかかって大変です・・・(苦笑)

元木先生>グルメ情報、ありがとうございました。先生の書き込みを読んでいるとまたまたよだれが(‥;)夜中だというのにやばいです☆せっかくジーパンのサイズが小さくなったのに伊勢で食べたらまた太って逆戻りしそうです。先日春物の新しいパンツを買ったばかりなのに・・・気をつけねば!!
おいしいお店、先生の情報も頭におきつつ、お店をさがしてみますね。ありがとうございました。

Re: 公式発表です!!

なめかわあつこ。
No.1157

伊勢旅行のお誘いを頂きながら参加できず申し訳ございません。永富さん、荒木望さんも24日がお誕生日だそうです。是非是非おいわいしてあげてください。
野口先生は、竹内まりやがお好きなんですか??
実は私も大好きです。竹内まりやは殆どMDに録音して持っています。最近(昨年)、60年代ものをカバーして出したアルバムは思わず買ってしまいました。毎日学校へ行く道中、自転車に乗りながら、MDウォークマンで竹内まりやを聴いています。
嬉しくなってついついレスしてしまいました。
京大近辺グルメ探訪記を掲載致しました。皆様、ご一覧を!!
そしてレスを頂けたら幸いです。

訂正、上横手先生

No.1163

お祓い町の和風肉料理店は「宝来亭」です。失礼しました。また、贅沢な酒食の道に学生、院生を迷い込まそうとしている、との野口先生のお叱りは重々承知しておりますが・・・。
なお、水・木曜あたりなら、あるいは上横手先生も伊勢におられるかもしれませんし、皇學館大學の神道博物館屋、関係施設についての情報などお教えいただけるかもしれません。一度、野口先生から折をみてご連絡になってはいかがでしょうか。

恐縮に存じます。

No.1170

 元木先生。いろいろ、御教示ありがとうございます。食べ盛りの若い人たちが、本当にうらやましいかぎりです。
 小生はこのところ、後先のことを考えると、楽しく食事をすることも出来なくなってしまいました。50代前半でこの世を去った歴史上の人物がかなりいることの背景を実感しています(小生は「歴史上の人物」じゃないから対象外か?)。
 
 見学先については、すでに盛りだくさんで、修学旅行なみの状態だと思いますので・・・。
 
 本日、ようやく、ひとまず入試関係の業務が終了いたしましたが、まる四日間以上も学問から離れていたために、「王権」云々が、また分からなくなってしまいました。まったく、出来の悪い、それに老化した頭で、難儀しております。
 
 >院試の諸君。
 辛いでしょうが、充実した勉強が出来るのは今のうちだけですよ。それにしても試験はもうすぐですから、なによりも、風邪をひかないようにして、がんばって下さい。 

おひさしぶりです

山口 夏子
No.1179

「ええじゃないかツアー」順調に進められているみたいですね。お誘いいただいたのに行けなくて、本当に残念です。

だからと言うわけではないのですが、斎宮歴史博物館と、いつきのみや体験館にこっそり行ってきました。いつきのみや体験館では十二単の試着体験も出来てとてもよかったです。しっかり見てまわる(体験する)には時間がかかるかもしれませんが、是非楽しんできてください。

それでは、失礼しました。またお邪魔します。

伊勢旅行打ち合わせ会

No.1134

 本日、伊勢旅行の打ち合わせ会がありました。皆さんの興味の対象が違うので、なかなかに面白い打ち合わせ会でした。野口先生、私に運転させない方が良いというのは、どういうことでしょうか??本旅行では、唯一運転可能な女子として頑張りたいと思います(笑)
 それにしても、修論で引きこもっていた期間の反動で、修論提出後もともとの「おしゃべり」に輪が掛かって困っています(^^;本日もみなさんにマシンガントークを聞かせてしまいました(汗)もう少ししたら収まる事と思いますので(予定)、それまでご勘弁を。

公式報告をお待ちします。

No.1136

 今日の打ち合わせ会は如何でしたか。幹事のご指名で、どなたか公式報告を御願いいたします。
 田中さんについて、そんなことを言ったこと、「記憶にありません!!」。人づての情報というのは、・・・ですよ。ただ、ゼミ旅行といっても、京女に在籍する学生さんと、そうでない人の立場とか、レンタカーの借用に関する約束事とか、これはしっかりと認識していた方が良いということは申しあげました。みなさん、立派な成人でありますから、心配はないとは思いますが。おかしな表現ですが、「爺の老婆心」です。
 「反動」結構。バランスが大事です。

「ラストサムライ」また観てきました

No.1133

現在、吉川弘文館のPR誌『本郷』に連載中の「時代劇を読む」のネタにすべく、「ラストサムライ」、また観てきました。どう書くかはまだ思案中ですが、ここの掲示板での、美川先生・石浜さん・野口先生・山本君をはじめとする方々のレスを参考やヒントにさせていただくかも知れませんし、ここの掲示板のこともふれるかも知れません。ただし、そうであっても、連載の性格上、具体的なお名前を出すことはできせんので、どうぞ皆さん、ご了承下さい。

ところで、鈴木君、今日気付いたのですが、去年放映されたスタートレック映画「ネメシス」と「ラストサムライ」は、脚本が同じジョン・ローガンですね。脚本家が同じで、興行成績が雲泥の差(「ネメシス」はコケました)。美川先生と山本君の議論にも関わる問題だと思いました。それにしても、最後の戦闘シーンが、余計にクリンゴンとダブってしまいました。

「ネメシス」見ました

No.1138

映画「ネメシス」私も昨年鈴木君に連れられ見に行きました。
スタートレックファンの方には失礼かとおもいますが、ただ宇宙船がでてきてひたすら撃ち合いをしてわけのわからないままに終わってる・・・なにかドラマ的要素が乏しく、宇宙船マニアの自己満足的で補陀落渡海船を見て興奮することはあっても宇宙船を見てもあまり興奮しない性質の私にはまったくもって退屈な映画でした。(もちろん普段のテレビ上のスタートレックに対してはそうは思いませんよ。映画に対しての感想です。)
まさかラストサムライが同じ脚本家によるものだったとは・・・!あの脚本家はどうも戦闘シーンでひたすら撃って撃たれて自爆するスタイルが好きなのかしら・・・また「自己満足的」演出が得意なのかな・・・なんて思ってしまいました☆

少々辛口すぎるかとおもいますが、お許しください☆

Re: 「ラストサムライ」また観てきました

No.1139

ネメシスはDVDももちろん持っていますし、何回も見ますが
やはり一番おもしろくないと思います。
一応、共同での脚本なのでジョン・ローガン色は少ないかもしれませんが、「自称トレッカー」なのでもともとの脚本自体は良かったのかもしれません。(監督によってカットされたシーンが30分ほどあり、DVDの映像特典を見るととても大事なものばかりでした)
ただ、ラストサムライの事を考えると、似たものを感じます。
映像は迫力はあっても、やはり昔のちゃちな模型を使った宇宙大作戦の方がネメシスよりも楽しめます。

スタートレックはアクションドラマではなく、会話劇だと思っているので、(スターウォーズファンには申し訳ないですが)ドンパチを入れてしまうとやっぱりなじまないです。
だから、永富絵里子と見に行った時は「こんなおもしろくないドラマじゃないねんで」と弁解しながら家に帰りました。

P.S.山本さんも是非、スタートレックを!!

Re: 「ラストサムライ」また観てきました

No.1149

永富さん、鈴木君に「同化」されているようですね(「同化」の意味は分かりますね)。「ネメシス」はスタートレック映画で一番の駄作だと思います。テレビシリーズはそうではないと書いてくれているので安心していますが、「ネメシス」だけでスタートレックを判断しないで下さいね。私からもお願いします。

鈴木君、「ネメシス」がスタートレック映画の最後という噂もありますね。24世紀を舞台にした新しいスタートレックは、テレビシリーズとしては取りあえず観られないわけですから、映画ではもっと頑張ってもらいたいものですよね。ところで、是非、山本君や他の野口ゼミのメンバーも「同化」して下さい。

Re: 「ラストサムライ」また観てきました

No.1154

近藤先生>まだ「同化」はされてませんよ 笑 一般人に毛がはえたようなものです。いつも鈴木君とはTSUTAYAでDVDを借りるときにSFかラブコメディーかでモメますので・・・☆
さきほど鈴木君に
「スタートレックを知らなかった者「一般人」がスタートレックを観始めて好きになると「スタートレックファン」へと移行し、さらにマニアック度が増してくると「トレッキー(トレッカー)」になる。さらにマニアック度が過ぎて危なくなってくると「コアなトレッキー(トレッカー)」となり魔力を発するようになるという。順をまとめると、「一般人」 → 「スタートレックファン」 → 「トレッキー(トレッカー)」 → 「トレッキスト」となる。 」と教えてもらいました・・・☆
先生はこの段階のどこに属されるのでしょうか?笑

抵抗は無意味だ

No.1166

永富さん、まだ「同化」途中でしたか。1日も早く集合体の一員となって下さい(笑)。さて、段階ですが、コアなファンはとことんコアですから、そういうファンへの敬意と遠慮を考慮して、スタートレックファンからトレッキーの移行過程と答えておきましょう。鈴木君は、どの段階ですか?

雪国但馬から・・・

谷垣有香
No.1131

 今朝新聞を読んでいると、地方欄に「百手(ももて)の儀式」の記事が載っていました。
 記事によると、香住町余部の御崎地区には、平家落人伝説が残っているようで、壇ノ浦の合戦に敗れて御崎に逃れてきた平家が、101本の矢を的に射ることで平家再興を願っていた・・・そうです。
  詳しい事はコチラ↓ 
   http://www.tajimagaku.org/action/2001/01.htm

 但馬には他にも、承久の乱で但馬配流になった雅成親王の墓所や国分寺跡などがあるので、この春休みは色々散策してみよう!と思っています。私は、大学に入るまでは地元に対して交通の不便さなどからマイナスイメージばかり持っていたけれど、大学に入り地元を少し離れたことで、地元を客観的に(?)見れるようになったみたいで、最近では地元の歴史にも興味津々です。

追伸
 『信長と十字架』・・・読んでました。
最近「バテレン」「イエズス会」という言葉に弱いのです。そして、興味のあることがだんだん増えてきて、1日が30時間位になればいいなぁ、と1人つぶやく今日この頃。

落人伝説

No.1132

 谷垣さん、興味深い情報をありがとうございます。それから、ちゃんとお礼を言っていませんでしたが、この前お土産に頂いたお煎餅は、とても美味しかったです。絶品でした。
 誕生日が一緒とは奇遇でしたね。でも30年以上差があるわけですから、まあ別世界を生きていると思った方がよいでしょう。小生もけっこう「見るべき程のことをば・・・」です。まだ入水の予定はありませんが。
 ちなみに、NHK出版の石浜さんによると、いま谷垣さんの読んでいる本は、問題有りのようですので、どのあたりが問題なのか、春休みの宿題にしたいと思います。報告してください。
 「落人伝説」は至る所にありますね。当ゼミのメンバー諸姉兄も院試が近づいてきましたが、あらたな伝説を再生産しないように、もう一頑張りしてくださいよ。

>この場を借りてNHK出版の石浜さんへ。
 本郷恵子著『中世人の経済感覚』(NHKブックス)拝受いたしました。「あとがき」によると、本郷先生が石浜さんに初めて会ったのは丁度5年前とのこと。小生とはそのまた5年ほど前のことでした。堪忍袋の緒を切らずにお付き合い下さっていまして、・・・まことに申し訳ない限りです。

Re: 雪国但馬から・・・

No.1135

落人伝承・・・。私の友達に、平家の落人の子孫だという人が一人います。『平家』を勉強し始めた頃から、彼女が気になって仕方ありません(笑)・・・明日は我が身かと思うと、笑ってもいられませんが・・・(ToT)

伊勢ゼミ旅行の計画をたてましょう。

No.1123

 ゼミメンバーの皆さん。いよいよ、ゼミ旅行が一ヶ月後に迫ってきました。具体的な計画は、29日に幹事・副幹事以下の皆さんが集合して決めることになっているのですが、その前にタタキ台になるような意見はドシドシ発表しておいた方がよいと思います。はじめて参加される1回生など、希望がありましたら、遠慮なく、この掲示板に書き込んだらよいでしょう。
 それで、小生からの提案と希望を申しあげたいと思います。
 まず、いつもの事ながら、訪問先の研究者の方などとの交流の機会ですが、三重県立斎宮歴史博物館の伊藤裕偉先生と、すくなくともお目にかかる機会を得ることが出来そうです。本学史学科の稲本先生に御紹介いただきました。ですから、斎宮博は、絶対見学。平安時代をやろうという人は、しっかり事前勉強をされ、参加者にレクチャーできるようにしておいてください。
 伊藤先生は、福原シンポでも話題になった伊勢平氏関連の「雲出島貫遺跡」の発掘調査を担当された方ですから、お話を聞いたのなら、現地も見に行きたいところです。
 伊勢平氏といえば、川合康先生が御著書『源平合戦の虚像を剥ぐ』で紹介された多気郡の河田にも行きたいと思います。伊賀平氏関連の史跡は、伊賀上野のあたりに点在しますから、これも往路か復路で、まあ通り過ぎるだけでも見ていきたいものですね。以上、まったく私の個人的関心に沿っての希望を申し上げました。
 おそらく、伊勢神宮を始め、皆さんからはいろいろな希望があると思いますから、どんどん出してください。
 親睦の観点からすると、夕食後のカラオケもよいですが、どこか広いところがあったら、スポーツでもしたいですね。ラグビーとか(ウソです)。
 それから、24日の集合については、小生はわざわざ宇治から京都駅まで戻らないで伊勢に直行したいというワガママな事を考えています。私の車(プレミオ1800XL、2003年型)で行きたい人は、JR六地蔵あたりにお出でいただきたいのですが、その方が便利な人は申し出てください。
 なにせ、幹事の永富さんには目下、『紫苑』第二号の編集・レイアウト作業という大変な仕事をしていただいておりますので、ゼミメンバーの積極的な御協力を御願いします。
 ご承知のように29日は入試のため、打ち合わせに参加できませんので、何卒よしなに。
 なお、月内に京女に用のある方は明日中に。 

幹事アシスタントの鈴木です。

No.1125

旅行参加者にお願いですが、
車の免許を持っている方は、当日は是非運転をお願いしたいと思います。
レンタカー2台+プレミオで最低でも3人運転手が必要ですが、交代要員は多ければ多いほど安全になるのでよろしくお願いします。

往路・復路のルートは、1号線から伊勢自動車道を通るコースを考えていましたが、どちらかは名阪国道経由にするのが良さそうですね。
多気郡多気町河田は斉宮博物館のある斎宮駅から3kmほどなので、すぐにまわることが出来ます。

P.S.目的の場所に一筆書きで最適に巡回する手段を見つけることは、実は人間にしか出来ません。(コンピュータで探索する公式は未だになく、一つの研究分野でもあります)
だから、旅行は楽しいのかもしれませんね。

ゼミ旅行の計画

No.1126

 今回は運転手でしょうか(ワクワク☆)
熊野、湖東三山と運転手を免除されてきましたから、さすがに今度は運転するつもりでおりますよ。誰が乗るかは知りませんけどね(^^)(っていうか、熊野で免許を出した3人以外に、誰か運転するのかしら?)
 目的の場所に一筆書きで巡回する。研究としては必要な事ですが、ツーリストにはその方が楽しいですよね。ただし、コンピュータに指示されてうろうろするのはゴメンです。
 伊勢・・・かなり回り道ですが、「忠盛塚」というのが、津市にありますよ。ま、これは時間があれば「おまけ」っていう感じでしょうか。詳しくはこちら↓
http://www.info.city.tsu.mie.jp/guide/cu-iseheishi/
あと、多気郡多気町河田といえば川合先生のHPを参照しておきましょう。↓
http://www8.plala.or.jp/kawi/iseheisinohurusato.html
そして、「雲出島貫遺跡」「楠・荒田町遺跡」と聞いて「よくわかんない」という人はこちらへ↓
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/02excav/gensetu/15/kusunokigensetu/kusunoki.htm
(兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所)
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike02.html
(平安京探偵団 福原の夢2)
P.S.
 なお、国文学専攻として一言。「伊勢平氏」も良いですが、伊勢神宮が日本という国にとってどういう存在なのか?というわけで、『古事記』『日本書紀』など、日本の神話関連のお話もお忘れなく。

Re: 伊勢ゼミ旅行の計画をたてましょう。

No.1129

伊勢神宮周辺の地図をいろいろにらめっこしていたのですが

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.24.26.724&el=136.42.10.390&la=1&sc=5&CE.x=221&CE.y=241
にあるように、伊勢神宮の少し南側に「平家の里キャンプ村」があります。
名前の由来はというと、その近くに見える“知盛山久昌寺(ちしょうざんきゅうしょうじ)”からきています。寺の案内には、「壇ノ浦の戦いの後生き残り、一族を引き連れ、この地へ逃れ再起を図った」とあるようです。
冗談のネタにでもして頂ければ、うれしいです...。

今回は、高速にも乗りますので、是非田中さんの運転の腕前を見せてください☆(あおらないでくださいね(^_^;))

見るべき程の事をば見つ

No.1130

 安徳天皇や二位尼の入水を見届けた知盛は、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と、かねての約束の通り、乳母子の左衛門尉家長と共に鎧を二領着て、手に手を取って壇ノ浦に飛び込んだ・・・・・はずの知盛さんが、伊勢に逃げ帰っていたなんて、なかなか面白いというか、これこそ『平家物語』史観へのアンチテーゼというべきでしょうか?
 小生には、この「見るべき程の事をば見つ」という言葉に、とても心ひかれる引かれるものがあるのですが。
 ちなみに、対馬の宗氏は知盛の子孫を称しており、角田文衞先生はそれを積極的に肯定されています(『平家後抄』)。

京都女子大1・2回生のみなさんへ

No.1108

 そろそろ、期末試験も終盤になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。こちらは、総合教育科目4科目の、皆さんの努力と執念(と怨念?)のこもった答案を前にして、採点基準の設定に頭を悩ませております。それに、論文・・・も。大学の研究者というのは24時間労働なのですよ。
 
 ところで、このbbsは、著名な研究者の方や小生の友人からの書き込みも頂いておりますが(本当に例外的に全然知らない方から、場違いな書き込みを頂くこともありますが)、基本は、ゼミメンバーおよびゼミや小生の講義・著作に関心をもってくださっている京女の学生さん達の利用に供すべきものですから、遠慮せずにどんどん書き込んでください。管理人の鈴木君・永富さん(大史3)と共に、みなさんの(学問・研究のための・・・etc)情報交換の場として、おおいに活用してもらいたいと念じています。

 もちろん、京都女子大学の学生さんでない、ゼミ関係者・御同業者をはじめとする、ワールドワイドで御活躍の皆様も(このところ白熱いたしておりますので)、更にどしどしと宜しくお願い申しあげます。

 それから、鈴木君に会いたい人は「歴史グループ早雲」、建春門院、いや田中さんに会いたい人は「平安京探偵団」のbbsにお出かけ下さい。

業務連絡。

No.1116

>田中さん・山本君 
 MLでもお知らせしましたが、印鑑持参で至急、宗教教育センターに行ってください。
 

明日参上致します。

No.1117

すいません。最近こちらの方に顔を出していませんでした。
バイト代の方は明日必ず頂きに参ります。
『新日曜美術館』の『復元・平治物語絵巻』は、大変興味深く拝見しました。特に「CG清盛」と目が合った瞬間は、「おー!あの清盛が、自分を見てる!」と一人感動してました。また絵巻に描かれている武士(伊勢平氏、坂東武士関係なく)は、どこか人間離れした顔に見えるのは自分だけでしょうか?特に郎等などの下層階級の武士は、お猿さんのような動物顔に見えます。都在住の絵巻の工人にとっては、武士=異国・異境の人に見えた、若しくはそういう雰囲気を持った者として認識されていたんでしょうか?また清盛の鎧が、全身青一色というのも意外でした。しかし残りの断片の六枚は何処へ行ったんでしょうか?その点も気になりました。
なお、残りの断片の持ち主さんで、このHPもしくは『新日曜美術館』を観ていたら、迷わず名乗り出てください。日本中世史や日本美術史のためです!
一応見てるかもしれないので呼びかけてみました(笑)。

平治の乱の清盛

No.1119

 『平治物語絵巻』における武士の面相表現については、山本君の指摘と同じことを美術史の研究者の方かどなたかが書いておられました(昔なら、誰がどの論文の何ページあたりに書いていたのかまで、思い出せたのに・・・)。
 それから、清盛の装束については『愚管抄』巻第五にくわしい描写があって、「ヒタ黒ニサウゾキテ、カチノ直垂ニ黒革オドシノ鎧ニヌリノノ矢オイテ、黒キ馬ニ乗テ」と黒ずくめで、なかなか凛々しくてカッコが良かったようです。