『紫苑』第12号が出来上がりました。

No.11555

 編集長の池嶋さん、ご苦労様でした。
 メンバー各位は早々にお受け取り下さい。
 遠方にお住まいの関係者・古参メンバーなどには追々(いつになるかは分かりませんが)郵送させていただきます。また、後日、PDFファイルによる公開も鈴木君にお願いするつもりです。
 
 掲載の論文・研究ノートは以下のとおりです。
 〈論文〉
   岩田慎平「頼家・実朝期における京下の鎌倉幕府吏僚...
        -源仲章・源光行を中心に-」
   滝沢智世「戦国期における門跡の活動」
   池嶋美帆「『日蓮遺文紙背文書』に見える御家人千葉氏の家政機関」
 〈研究ノート
   大平裕実「葬送空間としての鳥辺山と鳥辺野の地域的変遷」

 ※ Facebookコミュニティ「宗教・文化研究所ゼミナール」に写真を掲載しましたので御覧下さい。
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☆ 京都府立総合資料館の大塚活美先生(京都文化博物館時代の同僚)より、御高論「舟木本洛中洛外図屏風の構想について-『当関白』の牛車を手掛かりに-」(『アート・リサーチ』14)・「洛中洛外図屏風歴博F本の位置づけについて」(『国立歴史民俗博物館研究報告』180)・「住吉具慶本洛中洛外図作品群の描写内容と特徴-江戸時代中期の洛中洛外図屏風の研究-」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』42)・「村における信仰の灯-神主の献灯、講の常夜灯-」(『近江学』6)・「社号標の成立について-神社名を表示する石造物について-」(『淡海文化論叢』5)・「再録”メルマガコラム「写真資料から」”(『京都府立総合資料館紀要』42)ほかを御恵送頂きました。
 地域に根付いた御労作の数々です。
 大塚先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 神奈川県の津歴史博物館の永井晋先生より、御高論「称名寺所蔵『聖天 五』紙背文書について」(『東京大学史料編纂所研究紀要』24)を御恵送頂きました。
 香取社が中世利根川の下流に関を設けていたことの知られる文書には興味を惹かれました。
永井先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 名古屋学院大学の早川厚一先生より、後高論「源平闘諍録全釈(九-巻一上⑨(一五オ2~一六ウ10))」(『名古屋学院大学論集 言語・文化篇』25-2)ならびに御共著「『源平盛衰記』全釈(九-巻三-2)」(『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』50-2)を御恵送頂きました。
 早川先生に、あつく御礼を申し上げます。
 配付用に複数部お送り頂いていますので、必要な方は申し出て下さい。

 4.10事件

No.11396

 4月10日というのは私にとって記念すべき日なのですが、昨日(10日)も大変おもしろい一日でした。
 まず、駐車場確保のための早朝出勤。小中高の教職員の方たちとの生存競争です。
 午前は図書館の分館に行って、すっかり忘れていた長期貸し出し図書の更新。それから『源氏物語』に関する論文集を(一般貸し出しで)借りました。
 書類を発送しようとしたら郵送料が値上げされていたことに気がつき、急いで2円切手のまとめ買いをするために馬町郵便局へ。
 A地下でカツカレーを食して後、研究室に戻ると、英文科の3回生に編入された稲辺さんが挨拶に来てくれました。彼女は私が青学の史学科でゼミをもっていたときの教え子である根子君(青学野口ゼミ最後の外相)由縁の方。根子君の奥様の教え子です。活躍を期待。
 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったので、そそくさとA303に向かう。120部印刷した資料を持ち、混雑するエレベーターは遠慮して、階段を登って3階に辿り着くと、なぜかそこは学生さんたちでいっぱい。かき分けて目的の教室に入ると、うしろに立っている人が沢山。これは教室を間違えたかと思って、最前列の学生さんに「ここ、野口の授業? 」と尋ねると、コックリと頷く。
 これはえらいこっちゃ。鹿児島で専任の大学教員生活をはじめてから25年。こんな事態に遭遇したのは初めて。
 冷静を装って教壇に立ち、「これから教務課に行って教室の変更をお願いしてきますから、しばしお待ちを」とアナウンスして、階段を降りてL校舎の教務課へ。幸い、女性職員の方がテキパキと対応して下さり、ほかに空きがないので600人収容というB501教室に移動することとなる。以前、日本史研究会の大会に使った、あの劇場みたいにばかでかい教室である。
 またA校舎に戻って階段を登り、教室で其の旨をアナウンス。学生さんたちはおとなしく移動を開始してくれました。これが、30年前に教えた高校生たちだったら「えー、あんな遠く、それも5階なんて、やってられねえよー」などという罵声が飛ぶはずだなどと、おかしなことを考えながら自らもB校舎へ。そしてまた、エレベーターを待つ学生さんたちを尻目に階段を登る。・・・以下略。
 「人気」(「ひとけ」ではありません)でこうなるのなら、少しは苦労のし甲斐もあるだろうが、そんなはずはない。きっと、今年度はこの時間に必修科目の授業が減ったのだろうななどと考えていたのですが、後で教務の人にうかがったところでは、「今まで基礎教養科目は予備登録(受講人数制限)をしていたのですが、今年から予備登録がなくなり、先生の授業に興味を持った学生が集中してしまったのだと思います」とのこと。これは御期待にお応えしなければ・・・。
 来週はB514教室で開講してみることになりました。300人収容の教室です。ここで落ち着いてくれたらよいのですが。
さて、それからゼミの話になるのですが、長くなりましたので、宗教・文化研究所ゼミナールのFacebookに写真を貼り付けて、替えさせていただきたいと思います。

通常営業の『吾妻鏡』

No.11355

 本日は、奈良女子大の山浦さん・大島さんにそれぞれ卒論報告をしていただきました。お二人のご専門も伺うことができたわけですから、今後のゼミでもより“コアな”意見交換などできれば良いと思います。
 また、本日は家政学研究科の院生の方お二人、学部生の方お一人が新たに参加されましたので、よりフレッシュな雰囲気となったのも良かったと思います。

 そして、本日『紫苑』第12号が無事に出来しました。中心となって編集を担当された池嶋さん、執筆者の皆さん、そのほかご協力いただきました皆さんに御礼申し上げます。

 来週はまたいつも通り『吾妻鏡』を読んでいきたいと思います。

 日時:2014年4月17日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』頼家・実朝期の振り返り(元久二年の記事)

 ※まだまだしばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。

     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 2014年4月は、17日・24日の各木曜日に開催予定です。
 15:00ちょうどには参加者全員が集まらないと思いますので、だいたい揃ったところでぼちぼち始めていきたいと思います。集まるまでは雑談タイムです。
 
 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。
 若葉の頃に何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

古文書学会見学会のご案内

元木泰雄
No.11336

 先にも掲示させていただきましたが、来る4月20日、大阪城天守閣で、春季テーマ展「乱世からの手紙ー大阪城天守閣収蔵古文書選」の見学会を開催いたします。
 天守閣所蔵の選りすぐりの古文書が一堂に展示された展覧会です。
 ふるってご参加ください。
 15時に天守閣改札に集合、参加費500円です。
 参加希望の方は、来週15日水曜日必着で、必ず下記までハガキで申し込んでください。

〒606-8501 京都市左京区吉田二本松町 京都大学大学院人間・環境学研究科 元木研究室
 
 なお、ハガキに消費税アップ分の切手が貼られていなかったために、返送されたものもあるように伺っております。
 投函の際には十分にお気を付け下さい。
 大阪城なので、イメージも変えました(笑)

明日(8日)の「基礎演習Ⅰ」・「演習Ⅰ」

No.11230

 暖かくなったのに、また真冬のような寒さに戻ったり・・・というような毎日で、耄碌ジイサンの私は体調不良に苛まれております。
 みなさんも、お気をつけ下さい。
 
 さて、明日の「基礎演習Ⅰ」と「演習Ⅰ」ですが、「基礎演習Ⅰ」は前半、現代社会学部で用意してくれた御菓子を頂きながら自己紹介をしてもらいます。後半は霜田先生に時間割作成の御指導をお願いしています。
 3回生の東川さんも来て下さいますから、いろいろ相談に乗ってもらうとよいでしょう。
  なお、まだメール送信が済んでいない人は早々にお願いします。

 「演習Ⅰ」は初顔合わせ。こちらも、自己紹介と各自の研究への取り組みの方向性を語って頂きたいと考えています。「基礎演習Ⅰ」と同様に個別発表の開始は連休明けということになるでしょう。
編集:2014/04/07(Mon) 17:52

明日のゼミのご案内

No.11318

 再度のご案内です。
 次回は今春に学部を卒業された方々の卒論報告をしていただくことになりました。通常の『吾妻鏡』は一旦お休みにして、合同卒論報告会に向けての準備・議論などできればよいと思います。

 日時:2014年4月10日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 報告者:大島佳代氏(奈良女子大学)、山浦沙織氏(奈良女子大学)

 メンバーが揃うのは4時前後になるかと思いますので、実際には4時頃にぼちぼち始めることになると思います。
 また、当日は『紫苑』の最新号も出来の予定です。乞うご期待。

 木曜日の『吾妻鏡』ですが、今月は10日・17日・24日に開催予定です。
 
 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。春のうららかな季節に何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 明日『紫苑』第12号をお配りできると思います。

No.11323

 新年度に入り、「卒業生は就職先の新しい世界で、さぞかし大変だろうなぁ」なんて他人事のように考えていたら、私も何やら大変なことになっていました。昔の大学のように、桜を愛でながらのんびりと新学期を迎えるなんてことはもう無理なのでしょうか?
 あの、1980年代初頭の時代、千葉の新設高校の教員として生き抜いた実績を持つ私も、さすがに寄る年波には勝てなくなって参りました。だって、高校教員時代の同僚は大方定年退職しているんですからね。事務仕事は捗らず、物忘れはひどく、何とも情けない有様です。
 あらためて、学生諸姉の御助力、御協力をお願い申し上げる次第です。

 研究所ゼミの方は言うに及ばす・・・です。
 ちなみに、明日のプレ卒論報告会は、どんなお話が聴けるのか、とても楽しみですね。
 それから、家政学研究科でも私の授業の履修者がおられるようなので、その方にもかつての満田さんたちのように、ここで勉強することによって歴史学の方法論を身につけていただきたいと思っています。
 
 それにしてもよい季節なので、どこかに出かけることができればよいのですが、例によって締切間近の原稿や、講演の準備に切羽詰まっていて、余裕がなく、まことに残念です。
 締切如き何するものぞ!というような、大らかな(迷惑な)性格の人物であれば、こんなチマチマした日々を送らなくて済むのだとは思いますが。生来の小心(臆病)者ゆえ、明日もまた、駐車場の満車を恐れて、眠い目をこじ開けながら出かけることになるのでありましょう。

 ところで、『中世の人物』のパンフレットに掲載された諸先生方による推薦文をFacebookの私のページに貼り付けてございます。ぜひ、ゼミのメンバー、関係者の皆さんにもお読みいただきたいと思います。

 2014年度のスタートにあたって。

No.11185

 いよいよ今週から新年度の授業開始です。
 現代社会学部の「基礎演習Ⅰ」については、すでにオリエンテーションで顔合わせも出来ましたので、それなりに準備が出来ていると思うのですが、「演習Ⅰ」の方は未着手。 これは、歴史・地域振興・歴史資産を活かした観光といったテーマの枠組みの中で、報告と討論、あるいは見学といった方法で進めるに如かずでしょう。
 それから「教養科目」は、第一回目はまだ本題に入らないにせよ、今日の歴史学の課題とか歴史認識の問題などはお話しておかなければならないところでしょう。いつも、一度の授業内容が多すぎて、一方的に喋っておしまいという感じなので、今年度はポイントをしぼって余裕のある講義にしたいと思っています。配付資料も少な目にしましょう。
 大学院家政学研究科の授業は、例年通り歴史学からのアプローチの方法を学んで貰う意味から、これまで履修された満田さん・山口さん・尾河さんたちと同じように、研究所ゼミのメンバーと一緒に勉強して貰う形をとりたいと考えています。

 最近は評価のことを気にする人が多いのですが、大学は<性善説>を前提にして存在すべき空間ですから、成績評価もそのようにして対応します。もっとも、私など、学生時代、一番得意とする科目の成績が一番悪かったりいたしました。授業中に担当の先生(卒論の指導教授ではありません)の意見と私見が対立するところがあったのがその理由です。そもそも、大学における成績というのは高校までのそれとは尺度が違うのです。

 一方、研究所ゼミナールですが、昨年度末、いよいよ新しい方は誰も来なくなるのかと思っていたのですが、うれしいことに千客万来の様相です。奈良女子大学からは窪田さんに加えて、同じく学部生の加藤さんや院生の大島さん・山浦さんが、京大から院生の弓山君、それに本学史学科の田口さんが復帰されました。そのほか、不定期参加ながら同史学科の井上さんもおられますし、ほかに田口さんの御紹介で現代社会学部の方もお出でになるとのことです。これに正副師範代の岩田君・山本さんと『紫苑』編集長の池嶋さんと私ということになると、総勢12人ということになり、さらに何人か加わるとなると、とても私の研究室(研究所教授室)では収まりきれず、これは何としても共同研究室の確保が必要のようです。
 なお、関西圏で御活躍中のゼミ古参メンバーには、時にお時間がおありでしたら、史料講読会などにお運び頂ければ幸いです。遠方の方も公開講座の時などはぜひ。
 ゼミの発展はヨコとタテの関係のバランスが重要で、そこに妙味・メリットも発生するものです。

 ゼミ創設当初は諸姉兄の「おとうさんみたい」だった私も、すでに数年前には某君に「おじいさんみたいになりましたね」と言われました。ですから、今はおそらく学部新入生からは「曾おじいさん」と言われかねない状況に立ち至っているはずです。
 身体・精神・能力の三拍子揃っての耄碌が際だって参りましたので、史跡見学やゼミ旅行のような活発な活動を展開しづらくなったことは否めません。
 その辺りも踏まえて、今年度も頑張って参りたいと思います。よろしく御協力ください。

2014年度、本格始動。

No.11091

 本日は本年度の現代社会学部「基礎演習Ⅰ」履修の諸姉と初顔合わせ。3回生の東川さんにお手伝いを頂きました。石川県から熊本県まで出身地は多彩ですが、今年も関東は不在なのが残念。

 今年の9月6~7日に、今度は栃木県北部の博物館で講演と史跡調査の機会を得られることになりそうです。まだ、暑い時期かも知れませんが、もし一緒に行こうという方がおられましたらお知らせ下さい。御案内下さるのは、かつて岩田君・長村君が水戸→土浦でお世話になった方です。

 ☆ 群馬県立歴史博物館の梁瀬大輔先生より、同館編・発行の『増訂 群馬県立歴史博物館所蔵 中世文書資料集』ならびに2月23日に伊勢崎市赤堀公民館で開催された史跡女堀シンポジウム資料集などを御恵送頂きました。
 梁瀬先生に、あつくお礼を申し上げます。

 ☆  2月9日の講演会でお世話になった深谷市教育委員会の飯島峻輔先生より、埼玉県歴史資料館編『畠山重忠墓』(川本町教育委員会発行)など畠山重忠に関わる遺跡発掘調査報告書を御恵送頂きました。
 飯島先生に、あつくお礼を申し上げます。
編集:2014/04/04(Fri) 17:09

練習試合のような-次回のおしらせ-

No.11092

 新年度がスタートし、賑やかな雰囲気になってありがたいことです。今年度もゆるやかに読んでいきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 さて、次回は卒論報告をしていただくことになりました。木曜日に開催中の『吾妻鏡』は一旦お休みにして、合同卒論報告会に向けての準備にお役立ていただけると幸いです。

 日時:2014年4月10日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 報告者:大島佳代氏(奈良女子大学)、山浦沙織氏(奈良女子大学)

 メンバーが揃うのは4時前後になるかと思いますので、実際には4時頃にぼちぼち始めることになると思います。
 また、当日は『紫苑』の最新号も出来の予定です。乞うご期待。

 木曜日の『吾妻鏡』ですが、今月は10日・17日・24日に開催予定です。
 
 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。春のうららかな季節に何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

ゼミに再興の兆し。

No.11094

 肝腎のゼミの話をし忘れました。
 昨日のゼミには、あらたに奈良女院生の山浦さん、京大院生の弓山君が加わり、さらに本学の田口さんも復帰されたので、なかなか賑やかな会となりました。

 大島さんからは、お土産を頂きました。ご馳走様でした。

 私の部屋から共同研究室に移動したり、ドタバタ致しましたが、講読会の方は、副師範代の山本さんが、畠山重忠事件に関する様々な史料をまとめてきて下さいましたので、なかなか面白く且つ充実したものになりました。
 来週はさっそく、研究発表がうかがえそうで、これまた楽しみ。
 今年度のゼミは、これは久しぶりに大ブレイクの可能性が・・・!
 古参の皆さんも、お時間がありましたら、ぜひ覗きにお出かけ下さい。

【追記】
 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生より、御高論「日本人の「武」の自意識」掲載の渡部節夫編『近代国家の形成とエスニシティ』(勁草書房)を御恵送頂きました。
 佐伯先生に、あつく御礼を申し上げます。

4月3日のゼミ開催場所の変更について

No.11046

 本日(4月3日)のゼミは、共同研究室で降誕会準備の会議が開かれるため、急遽、教授室にて開催することになりました。
 

15年目のゼミ(2014年度)は明日から。

No.11038

 いよいよ2014年度の開幕です。
 ゼミも明日が初日。今年度も宜しくお願い致します。
 このゼミが活動できる期間はあと2年ですので、古参メンバーの方もお暇なときにはぜひ御参加下さい。
 後を引き受けてくれる方が現れることを待望しています。
 
 さて、もう15年も前、このゼミが誕生する頃に活躍してくれた奈良女子大学の前川佳代さんから下記のようなお知らせがありました。
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 元SPEEDの上原多香子さんと甘葛煎のロケをしました。
 今晩放送される歴史秘話ヒストリアで放映されます。
 約2時間のロケが3分に編集されたようで、どうなったのかはわかりませんが、
 大学の宣伝はできたと思います。
 お時間がありましたらご笑覧ください。
 http://www.nara-wu.ac.jp/news/H26news/20140402/20140402.htm
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☆ 樋口州男先生・錦昭江先生・櫻井彦先生・久保勇先生・鈴木彰先生の御連名で、太平記研究会編『新訂 太平記』第二巻(東京堂出版)を御恵送頂きました。
 疎い南北朝期をこれで勉強させて頂きたいと思います。
 先生方に、あつく御礼を申し上げます。

油津で会った女性のこと

美川圭
No.11023

 ここのところ、夏と春に時間をみつけて一人で船に乗ることにしている。5年ほど前までは中国各地に行っていたが、前の職場を退職するとともに一緒に行っていた中国史の先生も退職されたので、それができなくなったためである。
 今年の春も、3月中旬、大学の会議の合間をぬって、商船三井客船のにっぽん丸に乗った。10万トン以上のクルーズ客船が数多ある最近の世界の趨勢からすれば、この建造後四半世紀になろうとする2万3千トンの日本船はもう小型客船の部類である。行き先はどこでもよかったのだが、たまたま予定に合致したのは神戸から2泊3日で宮崎県の南部の油津行であった。このコースは以前にも1度経験済みだが、そのときは日本郵船の飛鳥(先代)であった。油津に上陸したとはいっても、船から直接バスで飫肥の城下町へ行ったので、まったく油津は見ていない。今回はこのそれほど観光客の行かない油津を徒歩散策してやろうという心づもりであった。そのため船会社が募集するオプショナルツアーの類は一切申し込まなかった。
 8:00に船が着岸したのは、油津港東埠頭10号岸壁というところで、市街地からは2kmほど離れている。市街地との交通手段は車しかない。着いてみると数台待つタクシーはほとんど予約車で、あとはオプショナルツアーのバスばかりである。まあ、17:00の出港まで時間は余るほどあるので、予定通り歩くことにする。ところが、貨物港のため、ビュンビュン大型コンテナのトラックが行き交い、途中の道は殺風景この上ない。歩いている人間など一人もいない。それでも小一時間ほどで、堀川運河から明治36年に建設された堀川橋に着いた。
 そういえば、ここは渥美清の「男はつらいよ」45作目の「寅次郎の青春」という映画の撮影現場なのである。この映画にはこの特徴的な明治の石橋、すぐ近くの吾平津神社の祭礼などが映画で登場していた。運河沿いに今でも建つ家が、風吹ジュンがやっている散髪屋として使われた。すぐ近くに堀川資料館という無料の展示施設がある。もともと運河沿いに建つ立派な2階建ての会社の建物のようだが、中にはこの映画の写真などが展示してある。そのテラスから見ると、ちょうど堀川橋を撮影するには格好のスポットともなっている。
 入ってみると、中にはおばあさんが一人いて、掃除などしながら管理しているらしい。2階へ上がると、ロングヘアの女性が一人。先客である。熱心に写真をながめている。ふと横顔を見てみると、あれ、だれかに似ている。まさか。その通り、写真に写っている女性その人である。私の気配に気がついたその女性が一瞬、私と目をあわせた。他に誰もいないため、図々しくも「後藤久美子さんですよね」と声をかけてしまった。彼女もすっとうなずいた。「たしか、ヨーロッパ、たしかパリでしたかにお住まいですよね」と話を続けた。
 「日本に来て少し時間ができたので、東京から宮崎に飛んでみました。もう20年も前です。ここで撮影したのは。そのときはここと、飫肥と、それから海岸1箇所ぐらい。それしか見ていないので。なつかしいですよね。あのときは渥美さんがもうあまり体調がよろしくなくって、スタッフも皆気をつかっていました。私も何だか撮影を心から楽しむ雰囲気にはなれませんでした。このシリーズの最後のほうの5作品にも出させていただいて、それで私の俳優生活も終わり。渥美さんも亡くなりました。」
 油津の狭い路地をほんの少し彼女と歩き、そのあと、彼女の運転する車で船まで送ってもらった。その道すがら「車の運転が好きなので、いつも飛行機と車ばかりですが、こういう旅もすてきですね。こんど船にも乗ってみます」とつぶやいた。彼女はこれから午後に飫肥に行くつもりだという。職業柄、ほんの少し、飫肥の史跡を案内しようかとも思ったが、出過ぎたことはさすがにやめた。出会いは、この程度がよいのである。もう若い人は知らないかもしれないが、後藤久美子さんといえば、10代のころ日本の代表的美少女として一世を風靡した人である。今は、それなりに年齢を重ね、落ち着いた大人の女性となっていた。それを知っただけでもう十分である。もう2度と会うことはないだろう。

宗教・文化研究所の調査委員会?の発表

No.11030

 詩情あふれる名文に一瞬引き込まれてしまいました。
 これが史料として使われると後世の歴史家や国文学の研究者は苦労することになると思います。
 『平家物語』なんか、こんな感じで作られたのでしょうね。『大原御幸』なんて、こんな感じかも・・・。

 ちなみに、後世の学者さんたちのために関連「史料」の御紹介です。
 「平幹二朗さん来訪」という当BBS>>No.3485<2005/04/01(Fri) 00:13>
 そして、元木先生の慧眼>>No.3489。さらに、>>No.3505の「父は悪代官」<2005/04/02(Sat) 11:52> 。

 しかし、ほんとうに名文です。 
編集:2014/04/01(Tue) 13:14

今年度もどうぞよろしくお願い致します

美川圭
No.11036

今年の4月1日は少し手が込んだものをご披露致しました。楽しんでいただけたでしょうか。今年度もどうぞよろしくお願い致します。さて、このお話、どこまでが真実なのでしょうね。