油津で会った女性のこと
美川圭
No.11023
ここのところ、夏と春に時間をみつけて一人で船に乗ることにしている。5年ほど前までは中国各地に行っていたが、前の職場を退職するとともに一緒に行っていた中国史の先生も退職されたので、それができなくなったためである。
今年の春も、3月中旬、大学の会議の合間をぬって、商船三井客船のにっぽん丸に乗った。10万トン以上のクルーズ客船が数多ある最近の世界の趨勢からすれば、この建造後四半世紀になろうとする2万3千トンの日本船はもう小型客船の部類である。行き先はどこでもよかったのだが、たまたま予定に合致したのは神戸から2泊3日で宮崎県の南部の油津行であった。このコースは以前にも1度経験済みだが、そのときは日本郵船の飛鳥(先代)であった。油津に上陸したとはいっても、船から直接バスで飫肥の城下町へ行ったので、まったく油津は見ていない。今回はこのそれほど観光客の行かない油津を徒歩散策してやろうという心づもりであった。そのため船会社が募集するオプショナルツアーの類は一切申し込まなかった。
8:00に船が着岸したのは、油津港東埠頭10号岸壁というところで、市街地からは2kmほど離れている。市街地との交通手段は車しかない。着いてみると数台待つタクシーはほとんど予約車で、あとはオプショナルツアーのバスばかりである。まあ、17:00の出港まで時間は余るほどあるので、予定通り歩くことにする。ところが、貨物港のため、ビュンビュン大型コンテナのトラックが行き交い、途中の道は殺風景この上ない。歩いている人間など一人もいない。それでも小一時間ほどで、堀川運河から明治36年に建設された堀川橋に着いた。
そういえば、ここは渥美清の「男はつらいよ」45作目の「寅次郎の青春」という映画の撮影現場なのである。この映画にはこの特徴的な明治の石橋、すぐ近くの吾平津神社の祭礼などが映画で登場していた。運河沿いに今でも建つ家が、風吹ジュンがやっている散髪屋として使われた。すぐ近くに堀川資料館という無料の展示施設がある。もともと運河沿いに建つ立派な2階建ての会社の建物のようだが、中にはこの映画の写真などが展示してある。そのテラスから見ると、ちょうど堀川橋を撮影するには格好のスポットともなっている。
入ってみると、中にはおばあさんが一人いて、掃除などしながら管理しているらしい。2階へ上がると、ロングヘアの女性が一人。先客である。熱心に写真をながめている。ふと横顔を見てみると、あれ、だれかに似ている。まさか。その通り、写真に写っている女性その人である。私の気配に気がついたその女性が一瞬、私と目をあわせた。他に誰もいないため、図々しくも「後藤久美子さんですよね」と声をかけてしまった。彼女もすっとうなずいた。「たしか、ヨーロッパ、たしかパリでしたかにお住まいですよね」と話を続けた。
「日本に来て少し時間ができたので、東京から宮崎に飛んでみました。もう20年も前です。ここで撮影したのは。そのときはここと、飫肥と、それから海岸1箇所ぐらい。それしか見ていないので。なつかしいですよね。あのときは渥美さんがもうあまり体調がよろしくなくって、スタッフも皆気をつかっていました。私も何だか撮影を心から楽しむ雰囲気にはなれませんでした。このシリーズの最後のほうの5作品にも出させていただいて、それで私の俳優生活も終わり。渥美さんも亡くなりました。」
油津の狭い路地をほんの少し彼女と歩き、そのあと、彼女の運転する車で船まで送ってもらった。その道すがら「車の運転が好きなので、いつも飛行機と車ばかりですが、こういう旅もすてきですね。こんど船にも乗ってみます」とつぶやいた。彼女はこれから午後に飫肥に行くつもりだという。職業柄、ほんの少し、飫肥の史跡を案内しようかとも思ったが、出過ぎたことはさすがにやめた。出会いは、この程度がよいのである。もう若い人は知らないかもしれないが、後藤久美子さんといえば、10代のころ日本の代表的美少女として一世を風靡した人である。今は、それなりに年齢を重ね、落ち着いた大人の女性となっていた。それを知っただけでもう十分である。もう2度と会うことはないだろう。
今年の春も、3月中旬、大学の会議の合間をぬって、商船三井客船のにっぽん丸に乗った。10万トン以上のクルーズ客船が数多ある最近の世界の趨勢からすれば、この建造後四半世紀になろうとする2万3千トンの日本船はもう小型客船の部類である。行き先はどこでもよかったのだが、たまたま予定に合致したのは神戸から2泊3日で宮崎県の南部の油津行であった。このコースは以前にも1度経験済みだが、そのときは日本郵船の飛鳥(先代)であった。油津に上陸したとはいっても、船から直接バスで飫肥の城下町へ行ったので、まったく油津は見ていない。今回はこのそれほど観光客の行かない油津を徒歩散策してやろうという心づもりであった。そのため船会社が募集するオプショナルツアーの類は一切申し込まなかった。
8:00に船が着岸したのは、油津港東埠頭10号岸壁というところで、市街地からは2kmほど離れている。市街地との交通手段は車しかない。着いてみると数台待つタクシーはほとんど予約車で、あとはオプショナルツアーのバスばかりである。まあ、17:00の出港まで時間は余るほどあるので、予定通り歩くことにする。ところが、貨物港のため、ビュンビュン大型コンテナのトラックが行き交い、途中の道は殺風景この上ない。歩いている人間など一人もいない。それでも小一時間ほどで、堀川運河から明治36年に建設された堀川橋に着いた。
そういえば、ここは渥美清の「男はつらいよ」45作目の「寅次郎の青春」という映画の撮影現場なのである。この映画にはこの特徴的な明治の石橋、すぐ近くの吾平津神社の祭礼などが映画で登場していた。運河沿いに今でも建つ家が、風吹ジュンがやっている散髪屋として使われた。すぐ近くに堀川資料館という無料の展示施設がある。もともと運河沿いに建つ立派な2階建ての会社の建物のようだが、中にはこの映画の写真などが展示してある。そのテラスから見ると、ちょうど堀川橋を撮影するには格好のスポットともなっている。
入ってみると、中にはおばあさんが一人いて、掃除などしながら管理しているらしい。2階へ上がると、ロングヘアの女性が一人。先客である。熱心に写真をながめている。ふと横顔を見てみると、あれ、だれかに似ている。まさか。その通り、写真に写っている女性その人である。私の気配に気がついたその女性が一瞬、私と目をあわせた。他に誰もいないため、図々しくも「後藤久美子さんですよね」と声をかけてしまった。彼女もすっとうなずいた。「たしか、ヨーロッパ、たしかパリでしたかにお住まいですよね」と話を続けた。
「日本に来て少し時間ができたので、東京から宮崎に飛んでみました。もう20年も前です。ここで撮影したのは。そのときはここと、飫肥と、それから海岸1箇所ぐらい。それしか見ていないので。なつかしいですよね。あのときは渥美さんがもうあまり体調がよろしくなくって、スタッフも皆気をつかっていました。私も何だか撮影を心から楽しむ雰囲気にはなれませんでした。このシリーズの最後のほうの5作品にも出させていただいて、それで私の俳優生活も終わり。渥美さんも亡くなりました。」
油津の狭い路地をほんの少し彼女と歩き、そのあと、彼女の運転する車で船まで送ってもらった。その道すがら「車の運転が好きなので、いつも飛行機と車ばかりですが、こういう旅もすてきですね。こんど船にも乗ってみます」とつぶやいた。彼女はこれから午後に飫肥に行くつもりだという。職業柄、ほんの少し、飫肥の史跡を案内しようかとも思ったが、出過ぎたことはさすがにやめた。出会いは、この程度がよいのである。もう若い人は知らないかもしれないが、後藤久美子さんといえば、10代のころ日本の代表的美少女として一世を風靡した人である。今は、それなりに年齢を重ね、落ち着いた大人の女性となっていた。それを知っただけでもう十分である。もう2度と会うことはないだろう。