書評 元木泰雄著『平清盛と後白河院』
No.10210
京都大学大学院人間・環境学研究科の『人環フォーラム』No.33に元木先生の御高著『平清盛と後白河院』の書評を書かせて頂きました。Facebookでお知らせしたところ、入手が難しいという御連絡を頂きました。いずれPDF化されるようですが、ここに原稿を貼り付けさせて頂くことに致しました。
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元木泰雄著『平清盛と後白河院』角川書店
角川学芸出版 二〇一二年三月 二三九頁 定価(税込)一六八〇円
評者 野口実(京都女子大学宗教・文化研究所 教授)
前世紀の後半、京都大学教養部で日本中世史を講じられた上横手雅敬氏は、その最初の論文集『日本中世政治史研究』(塙書房、一九七〇年)の「あとがき」に「政治は社会的諸現象の集中的反映であり、歴史学の究極の目的は政治史にある」と断じ、氏が学問を志した当時の歴史学界にたいして「基礎構造の分析に主たる情熱が注がれ、上部構造としての政治は、その中でおのずと明らかになるという風な安易なオプティミズムが少なくなかった」と評し、「このような傾向への不満が、私を政治史に赴かせたのであろう」と述べられた。その後、国際社会における東西冷戦構造の解消などにともなって、社会変革の因果関係を下部構造の理解によって解明しようとした戦後歴史学は行き詰まりを見せ、一九八〇年代ころからは静態史観ともいうべき「社会史」が一世を風靡した。さらに、現代の歴史学はそれを通り越して、民俗学・文化人類学、さらには美学・文学に類するものが持て囃される時代になり、「政治史」ははるか後景に追いやられてしまった観がある。そして、サブカルチャーは盛んだが、「『平家物語』史観」のような、「国民共通の文化認識」そのものが社会から消滅しつつある、という深刻な状況が眼前に展開するに至っている。本書は、そうした現状に一石を投じ、「政治史」の健在を世に示したとものとして評価されるべき著作である。本文は七章をもって構成され、平清盛と後白河院が最初の政治的接点を持った保元の乱から両者の破局によってもたらされた平氏滅亡までの時代をダイナミックに描いている。
著者は上横手雅敬氏の愛弟子で、すでに院政期政治史研究の泰斗としての評価を得て久しい。そして、これまでに、当該期を対象にした啓蒙書として『藤原忠実』(吉川弘文館、二〇〇〇年)・『平清盛の闘い』(角川書店、二〇〇一年)・『保元の乱・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス、二〇〇四年)・『源義経』(吉川弘文館、二〇〇七年)・『河内源氏』(中公新書、二〇一一年)を矢継ぎ早に上梓されている。本書はこれらの著作に示された保元・平治の乱から平氏滅亡にいたる時代の政治の流れを、あらためて平清盛と後白河院の権力闘争という観点から捉え直し、その後の研究で得られた新たな知見を加えて叙述されたものである。著者は当該期のあらゆる史料を博捜・精読され、綿密な史料批判に基づいて論を構築される。その結果、通説的な「物語史観」の誤りが所々に指摘されることとなる。そうした作業によって藤原信頼・成親、平重盛・宗盛などの実像が明らかにされた。また、いわゆる鹿ヶ谷事件にたいする新たな評価も提示される。貴族社会の制度・慣習・人脈に精通するから、清盛の権力伸張の過程において、政界引退を前提とする太政大臣よりも事実上の皇胤および摂関家家長の認定を意味する内大臣に就任したことを重視すべきである、というような説得力のある指摘が随所に見られる。また、中世成立期の武士論研究の第一人者でもある著者は、地方武士団の動向についても中央の政局との関連を視野に入れながら卓見を差し挟む。このような目配り、貴族も地方武士も視野に入れた歴史叙述は、この著者によってしか成し得ないことであろう。
そして、何よりも申し上げたいのは、本書が間違いなく面白いことである。自身の願望のためなら帝王の威厳もかなぐり捨てる激情の後白河院と一族の統制に腐心する沈着冷静な清盛との間で織りなされる人間ドラマが、緻密な実証をベースに語られているのは見事というほかはない。ともに支え合い、互いの地位を高め合いながら、ついに両者は最終的な衝突を迎えることとなる。不評に終わった昨年のNHK大河ドラマ『平清盛』が、この本をベースに制作されていたならば・・・と思わざるを得ない。本書は、まさに「歴史の醍醐味は政治史にある」ことを再確認させてくれるのである。
ちなみに、上横手雅敬氏は冒頭に掲げた著書の「あとがき」に自身の研究姿勢について、こうも書かれている。「いわゆる啓蒙的著作といえども、煩瑣な考証を省き、表現を平易にしただけで、学術論文同様の姿勢で執筆したことが少なくない」と。本書の著者は、まさに師の研究者としての生き方と矜持を完璧に継承されているように思われる。
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元木泰雄著『平清盛と後白河院』角川書店
角川学芸出版 二〇一二年三月 二三九頁 定価(税込)一六八〇円
評者 野口実(京都女子大学宗教・文化研究所 教授)
前世紀の後半、京都大学教養部で日本中世史を講じられた上横手雅敬氏は、その最初の論文集『日本中世政治史研究』(塙書房、一九七〇年)の「あとがき」に「政治は社会的諸現象の集中的反映であり、歴史学の究極の目的は政治史にある」と断じ、氏が学問を志した当時の歴史学界にたいして「基礎構造の分析に主たる情熱が注がれ、上部構造としての政治は、その中でおのずと明らかになるという風な安易なオプティミズムが少なくなかった」と評し、「このような傾向への不満が、私を政治史に赴かせたのであろう」と述べられた。その後、国際社会における東西冷戦構造の解消などにともなって、社会変革の因果関係を下部構造の理解によって解明しようとした戦後歴史学は行き詰まりを見せ、一九八〇年代ころからは静態史観ともいうべき「社会史」が一世を風靡した。さらに、現代の歴史学はそれを通り越して、民俗学・文化人類学、さらには美学・文学に類するものが持て囃される時代になり、「政治史」ははるか後景に追いやられてしまった観がある。そして、サブカルチャーは盛んだが、「『平家物語』史観」のような、「国民共通の文化認識」そのものが社会から消滅しつつある、という深刻な状況が眼前に展開するに至っている。本書は、そうした現状に一石を投じ、「政治史」の健在を世に示したとものとして評価されるべき著作である。本文は七章をもって構成され、平清盛と後白河院が最初の政治的接点を持った保元の乱から両者の破局によってもたらされた平氏滅亡までの時代をダイナミックに描いている。
著者は上横手雅敬氏の愛弟子で、すでに院政期政治史研究の泰斗としての評価を得て久しい。そして、これまでに、当該期を対象にした啓蒙書として『藤原忠実』(吉川弘文館、二〇〇〇年)・『平清盛の闘い』(角川書店、二〇〇一年)・『保元の乱・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス、二〇〇四年)・『源義経』(吉川弘文館、二〇〇七年)・『河内源氏』(中公新書、二〇一一年)を矢継ぎ早に上梓されている。本書はこれらの著作に示された保元・平治の乱から平氏滅亡にいたる時代の政治の流れを、あらためて平清盛と後白河院の権力闘争という観点から捉え直し、その後の研究で得られた新たな知見を加えて叙述されたものである。著者は当該期のあらゆる史料を博捜・精読され、綿密な史料批判に基づいて論を構築される。その結果、通説的な「物語史観」の誤りが所々に指摘されることとなる。そうした作業によって藤原信頼・成親、平重盛・宗盛などの実像が明らかにされた。また、いわゆる鹿ヶ谷事件にたいする新たな評価も提示される。貴族社会の制度・慣習・人脈に精通するから、清盛の権力伸張の過程において、政界引退を前提とする太政大臣よりも事実上の皇胤および摂関家家長の認定を意味する内大臣に就任したことを重視すべきである、というような説得力のある指摘が随所に見られる。また、中世成立期の武士論研究の第一人者でもある著者は、地方武士団の動向についても中央の政局との関連を視野に入れながら卓見を差し挟む。このような目配り、貴族も地方武士も視野に入れた歴史叙述は、この著者によってしか成し得ないことであろう。
そして、何よりも申し上げたいのは、本書が間違いなく面白いことである。自身の願望のためなら帝王の威厳もかなぐり捨てる激情の後白河院と一族の統制に腐心する沈着冷静な清盛との間で織りなされる人間ドラマが、緻密な実証をベースに語られているのは見事というほかはない。ともに支え合い、互いの地位を高め合いながら、ついに両者は最終的な衝突を迎えることとなる。不評に終わった昨年のNHK大河ドラマ『平清盛』が、この本をベースに制作されていたならば・・・と思わざるを得ない。本書は、まさに「歴史の醍醐味は政治史にある」ことを再確認させてくれるのである。
ちなみに、上横手雅敬氏は冒頭に掲げた著書の「あとがき」に自身の研究姿勢について、こうも書かれている。「いわゆる啓蒙的著作といえども、煩瑣な考証を省き、表現を平易にしただけで、学術論文同様の姿勢で執筆したことが少なくない」と。本書の著者は、まさに師の研究者としての生き方と矜持を完璧に継承されているように思われる。