「醍醐史跡散歩」の御案内

No.10083

 本日(10日)、伏見区醍醐支所の谷口さんにお出で頂いて、11月2日の「醍醐もちもちぃんウォーク」の打ち合わせを行いました。

 例年のように、その下見を兼ねて当ゼミ独自の史跡散歩を実施することになりました。
 ゼミメンバー・関係者の方を始め、現代社会学部の「基礎演習Ⅱ」・「演習Ⅱ」、それにキャンパスプラザで私の講義を受講されている(された)方など、希望の方はぜひ御参加下さい。
 
 10月26日(土)午後1時、地下鉄東西線醍醐駅山科よりの改札口に集合です。
 所要時間は2時間ほど、歩数にすると1万歩ほどになると思います。
 見学するのは醍醐寺三宝院唐門→赤間薬師→朱雀天皇陵→曼荼羅寺跡→醍醐天皇陵→西方寺→防火稲荷→誓願寺
 等の予定です。

 参加希望者は当方またはゼミメンバーに、Eメールでお知らせ下さい。
 なお、この企画は大学の公式行事ではなく、個人の主体的参加によって行われるものです。

 「醍醐もちもちぃんウォーク」の参加について

No.10082

 表記の件について、明後日(10日、木曜日)、伏見区醍醐支所の担当者と打ち合わせをすることになりました。
 現代社会学部で私の担当する「基礎演習Ⅱ」・「演習Ⅱ」を履修している方で、これに参加を希望する方は、至急私宛にメールにて連絡してください。
 ウォークの日程や見学コースについては下記のサイトで確認できます。
  http://www.city.kyoto.lg.jp/fushimi/page/0000155059.html
現在のところ、「基礎演習Ⅱ」履修の1回生数名から申し込みを頂いています。

>研究所ゼミメンバーの皆さん
 というわけで、木曜日の講読会の時間の一部をお借りして、上記の打ち合わせを行いたいと思います。よろしく御了承ください。

現代社会学部「基礎演習Ⅱ」・「演習Ⅱ」

No.10081

 昨日の京都は猛暑日。なかなか体調を調えるのが難しい自然環境になってしまいましたが、頑張りたいものです。鹿児島も降灰で大変そうですが、如何でしょうか?

 15年越しの著作。少し短くなってしまいましたが、日曜日の時間の隙間を利用して何とか形になりました。あとは、図表を作成する作業が残っています。ただ、この本のために撮影した写真が見つかりません。ちょうど、フィルムカメラからデジカメへの過渡期であったことも災いしたようです。なにしろ、やりっ放しは禍根をのこします。

 さて、明日の現代社会学部の演習ですが、Ⅲ講時の「基礎演習Ⅱ」は、発表の初回。
 岡田さんが「日新館と什の掟からみる會津の教育」、寺島さんが「京都に来る外国人観光客」というテーマで報告されます。
 活発な議論を期待します。

  Ⅳ講時の「演習Ⅱ」は、河井寛次郎記念館の見学の予定。いつもの共同研究室に集合の後、歩いて出かけます。入館料500円(大学生)が必要になります。基本的には自由見学で現地解散にしますが、京都の芸術文化を鑑賞するだけでなく、文化財の保存や博物館学的な視点からも、よく観察して頂きたいと思います。
  これは必ず読んでおいて下さい→ http://www.kanjiro.jp/

  なお、立命館大学で講師をされている若い先生も同行して下さる由です。

 【追記】 河井寛次郎記念館に関する情報をFacebook(野口実)にも書き込んでおきました。

 「もちもちぃんウォーク」まで、あとひと月を切る

No.10079

 ゼミの始まる頃、エレベーター前に貼ってあるゼミ旅行の写真(佐賀県の川上神社)をスマホで撮影している人がいるので尋ねてみると、「地元だから」という。小城の御出身とのこと。
 ゼミ旅行で村岡羊羹の社長さんに御招待いただいたり、当時の町長さんと会談したり、桜城館でお世話になったことなど・・・、立ち話が弾みました。
  史学科の一回生ということなので、卒論には「ぜひ千葉氏を」と勧めておきました。
 お名前をうかがったら、名字は佐賀藩出身の明治の元勲と同じ。御縁はいろいろな場で広がります。

 まだまだ先だと思っていた「もちもちぃんウォーク」まで、もう一ヵ月を切ってしまいました。そろそろ打ち合わせや下見の日程を決めなければなりません。現代社会学部の学生さんはどのくらい参加するのでしょうか?
 「もちもちぃんウォーク」の前日11月1日も、学生行事週刊初日で授業がないので、どこかに出かけようかという案が浮上しています。
 私は万事体調次第。嗚呼無念!

【追記】Facebook(野口実)に「もちもちぃんウォーク」見学先の写真を貼っておきました。アカウントをお持ちの方は御覧下さい。
編集:2013/10/05(Sat) 14:42

旧体育の日の『吾妻鏡』

No.10080

 2020年、東京開催が決まったオリンピックは何月に開催されるのでしょうか。
 各競技の“カレンダー”を鑑みると、アテネ・北京・ロンドンなどの各オリンピックのように7~8月にならざるをえないと思いますが、真夏の日本での開催は競技のレベルにかなり大きな影響を及ぼすことになってしまうと思います。
 ここはひとつ「オリンピックといえば10月10日!」を強くアピールしてみてはいかがでしょうか(※近ごろは10月になってもまだ暑いですけどね)。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2013年10月10日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。ようやく秋が見えてきた季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞ「ご自由に」ご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 火曜日は体力勝負。

No.10078

 昨日はキャンパスプラザの本年度初講義。立命館と京都外大の学生さんが集まってくれました。講義のテーマは『平家物語』と中世前期の京都ですが、今年はあまり詰め込まずに楽しく講義を進めていきたいと思います。
 Ⅱ講時の講義時間が昨年度より10分あとにずれたので、京女に戻って午後1時から演習を始めるのがいささか大変になりました。要するに体力の問題なのですが。
 来年度から15年ぶりに曜日を変更するかも知れません。

 そのⅢ講時の「基礎演習Ⅱ」。昨日はS校舎のラウンジから平安京を俯瞰してから、近隣の小松谷(正林寺、ついでに文学部のあるJ校舎)→三島神社をへて、新日吉神宮まで、みんなでゾロゾロと歩きました。途中で撮影した写真はピンぼけばかり。ラウンジで撮った写真は必要な方にはプリントするかデータで差し上げたいと思いますが、私の写っているものは削除したい気分です。
 いよいよ来週から発表開始。

 Ⅳ講時の「演習Ⅱ」は発表の第一回目。先週、発表日を決めたので、準備に余裕がなかったのかも知れません。一コマで発表二件というのは少し時間不足のようです。もっと議論したいところでした。

 それにひきかえ、研究所ゼミは時間無制限なので議論が沸騰すると、終わらなくなって、私は駐車場の閉鎖時間が気になり始めます。
 かつて、20世紀半ばに近い頃までの大学では、授業時間割以外の時間、サークル活動以外の所で先生方が学生と学問・研究を語る機会をたくさん用意する機会を作れる環境があったのですが。

さて、本日は京都大学で研究会です。

山崎豊子氏死去

金澤正大
No.10076

報道されたとおり、作家の山崎豊子氏(88歳)が死去されました。歴史学には直接関係ありませんが、『白い巨塔』に代表されるように、社会的素材を豊富な取材材料を基にして作品を仕上げる点など、史料操作と通じるものがありました。それに、氏は旧制京都女子専門学校国文科(現京都女子大学)卒業生です。冥福をお祈りします。

京女出身の文化人・研究者

No.10077

 金澤先生、メッセージをありがとうございました。
 御帰国の由、うけたまわっております。
 また、さらなる日本中世史に関する御研究の発表を期待致しております。

 山崎豊子氏をはじめ、京都女子大学からはたくさんの文化人・研究者が輩出されています。
 近年、多くの大学は、学生にたいして企業への就職指導に力を入れておりますが、私は研究者、広くは社会における文化の担い手の育成こそ大学に与えられた本来的で重要な使命と認識しております。研究所所属ということでもありますので、その面において、微力を尽くして参りたいと存じております。

 『坂東武士団の成立と発展』を戎光祥出版より再刊します。

No.10075

 明日Ⅲ講時の「基礎演習Ⅱ」は、京都女子大学から平安京・京都の歴史や地勢を観望し、近くの寺社をめぐる予定です。まず、共同研究室に集合して下さい。
  Ⅳ講時の「演習Ⅱ」は、発表開始。上野さんが「ディズニーの歴史について」というテーマで報告されます。今枝さんからは、まだテーマ報告がありません。連絡があり次第、追記したいと思います。
 【追記】 今枝さんの報告テーマは「新撰組の歴史と新撰組ゆかりの地」とのことです。
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  『日本歴史』10月号での広告を御覧になった方も多いかと存じますが、1982年に弘生書林より出版されましたが、長く絶版になっておりました拙著『坂東武士団の成立と発展』が戎光祥出版から再刊されることになりました。

 旧版は、著者の無名・非力ゆえに、かなりの部数を断裁せざるを得ない結果となりましたが、その後、多くの研究者からの御高評もあり、幸いに各方面から復刊の御要望を頂くこととなりました。在庫の所在について、直接、当方に御連絡を頂くこともございましたが、ときに非礼な対応しか出来ないこともあり、心苦しく存じていた次第です。

 内容においては旧説に属する部分もあり、また、その後に解明できた事実も多々ございますので、そのままの形で再刊するのも憚られるような気も致しましたが、本文は旧版段階での誤植や校正の見落としの修正にとどめるものの、再刊に際してのあとがきに、その後の研究成果を掲げさせて頂くこと、また、版組は新しくなりますが、それに対応した索引を旧版の通りに付して頂くことを条件に、再刊に踏み切らせて頂きました。
 再刊についてお申し出を頂き、上記条件を快諾して下さった戎光祥出版に感謝申し上げる次第です。

 すでに、今月半ばに再校ゲラを送付致しました。編集は研究者としての実績をお持ちの丸山裕之氏が担当して下さっておりますので、もう安心して刊行を待っているという段階です。

 広告には10月刊行予定とありますが、おそらく初売りは10月12・13日の日本史研究会大会になることと思います。定価6000円ということですので、学会での販売価格は、旧版と同じ価格ということになると思います。30年間の物価上昇に見合いません。

 著者としては、営業面で御迷惑のかからないように祈念するばかりと言ったところです。

 中世前期の東国武士や武士論に関心をお持ちの皆様には、ぜひ御一読いただければありがたく存ずる次第です。

 そろそろ、ここ十年ほどの間に発表した論文を一冊の本にまとめて出版しなければならないのですが、これも実現には時間がかかりそうです。
 また、おりを見て出版関係の方に御相談申し上げたいと存じておりますので、その節は宜しくお願い申し上げます。

「京に田舎あり」

No.10073

 午前中、10月8日の「演習Ⅱ」の時間に見学を予定している河合寛次郎記念館の下見に行ってきました。京女の近くにあり、映画『男はつらいよ』(第29作「寅次郎あじさいの恋」1982年公開)のロケ地であることはよく知っていたのですが、中に入ったのは初めて。
 ちなみに、河合寛次郎氏は、当ゼミメンバーにも地縁を持つ人のいる島根県安来市の出身。

 これまで入らなかったのは、まさに一生の不覚。先日、当ゼミ古参メンバーで、現在、同志社高校で教鞭とっている、あの方から、京女在学中は空き時間になると、よく気分転換に出かけていたところだと教えて頂いたのですが、まさにそういう空間でした。

 京女に入学して、在学中に周囲の歴史をまったく知ることなく卒業してしまう学生さんが結構おられて残念なのですが、ここも同様。一度は行っておくべき所。
 そのうちFacebookに写真を貼りたいと思います。

 ただし入館料が必要。大学生は500円。10月8日の「演習Ⅱ」の時にもお忘れなく。

 Facebook(野口実)に栢ノ森遺跡(醍醐浄土寺)の写真と梶川敏夫先生(本学にも出講されています)作図の堂舎復元図を貼っておきましたので、ご覧下さい。

 ☆ 広島なぎさ高校の加栗貴夫先生より、先生が分担執筆された古代・中世史研究会『実隆公記』を読む会「〈史料紹介〉『実隆公記』文明八年(一四七六)九月~同九年(一四七七)正月条 注釈」(『吉備地方文化研究』23)を御恵送頂きました。
 加栗先生に、あつく御礼を申し上げます。
編集:2013/09/27(Fri) 00:33

秋分の頃の『吾妻鏡』

No.10074

 宗教・文化研究所ゼミナールのFacebookページに、野口先生が撮影・執筆してくださった栢ノ森遺跡についての投稿をシェアさせていただきました。
 また、同じ日に岩田が撮影した、栢ノ森遺跡から眺めた日没の写真もアップしております。Facebookのアカウントをお持ちの方はどうぞ併せてご参照ください。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。
 あらためて読み直してみると、いろいろな問題が見つかりますね。

 日時:2013年10月3日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。ようやく秋が見えてきた季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞ「ご自由に」ご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 関東は大分涼しい様子ですが、京都は相変わらずの猛暑。

No.10072

 連休中に東国での学会・ゼミ旅行等に出かけて帰洛された先生方は、さぞかし辟易されていることと存じます。

 本日は午前中、懸案の書類を全て提出。その上、図書館で選書のお手伝いまでして参りました。

 午後は現社の演習。師範代からお土産に頂いたスイスのチョコレートを配付させて頂きました。
 まだ、とうぶん学生さん全員のお名前を覚えられそうにありません。
 2回生にはS校舎のラウンジから平安京のお話をすることが出来たのですが、一回生にはつまらない身の上話ばかりでしたので、いまさら乍ら申し訳なく思っています。

 Facebookの方に、また鹿児島やフィレンツェの写真を貼り付けました。

 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生より、先生ほかによる新刊の御編著『人生をひもとく日本の古典第四巻 たたかう』(岩波書店)を御恵送頂きました。
 古典からの思索。史料もこういう風に読まなければいけないのかも知れません。
 佐伯先生に、あつくお礼を申し上げます。

授業アンケートの結果に対する所見の執筆に行き詰まっております。

No.10071

 1979年に高校に就職して以来、いろいろ授業に工夫はしてきたのですが、結局は教科内容に対する研鑽の度合いと、そのときの健康状態が授業の成否を左右するものです。もちろん、生徒・学生の側の受信能力、それに教える側のおかれている職場環境も重要な規定要因。

 私の経験から言うと、変わり者と言われる先生の授業ほど面白かった。
 高校の時、数学の先生がいきなり思いついた数式を黒板に書きまくって呻吟したあげく、授業を放りだしてしまったり、倫理の授業で、私が目立ちたい一心で国家体制についての理論的な質問をしたら、真剣に考え込んで、その後30分以上静止状態になってしまわれた先生とか、そういう先生の授業が最高でした。
 その後、数学の先生は神奈川大学、倫理の先生は東京学芸大学にうつられましたので、大学の講義というのはああいうものなのだな、と大いに期待したものでした。
 あの先生たちなら、授業アンケートにどんな所見を書くものか?

 現代国語の老先生(と言っても、今の私よりずっと若かったはず)は、教壇の椅子に座って「かざぐるま~、かざぐるま~」と詩の朗読をしている間に眠ってしまって、生徒たちもチャイムが鳴るまで静かに待っていた、という「事件」もありました。

 「シューベルト号」と名付けた自作の自動車(車検がよく通ったものです)で通勤していた美術の先生とか、清掃こそ教育であるという自負のもとに、佐原からの遠距離通勤にも拘わらず、早朝から出勤して木に登って枝下ろしをしていた物理の先生とか。
 ちなみに、この先生の授業はサッパリ分かりませんでした。ただ、ドップラー効果を説明するときの仕草のおかしさだけは記憶にあります。

 女子生徒が家庭科をやっている時間に、『徒然草』を教材に人生のはかなさを語ってくれた、これも老先生。
 その老先生と一緒に、よく司書室の日なたでお茶を飲んでいた小柄な女性の老先生。この音楽の先生は、教室の前の方に座っている生徒には、内職をしていても良い成績をくれました。
 あの頃の私は、ソプラノのパートまで声が出ましたっけ。
 こんな時代の千葉東高校に行ったので、今の私があるのでしょう。

 昨日の大河ドラマでは近代女子教育のポリシーが脚本に反映されていてよかった、ということを書こうとしたら、結局、昔話になってしまいました。
  同女の学生さんは、どのように受けとめられたでしょうか。
 ちなみに、本学の創立者もこの同志社女学校で学んだのです。

 【追記】
  ☆ 國學院大学大学院OBの池田陽平さんより、御高論「後白河・後鳥羽院政期における延暦寺嗷訴(Ⅰ)(Ⅱ)」(『政治経済史学』555・556)を御恵送頂きました。
 池田さんに、あつく御礼を申し上げます。