大津雄一著『『平家物語』の再誕 創られた国民叙事詩』読了
No.10030
先日、NHK出版の石浜さんからお送り頂いた大津雄一著『『平家物語』の再誕』。一気に読了致しました。
西欧のもつ国民叙事詩を日本にも、ということで『平家物語』の叙事詩評価がはかられたというのは、まさに「騎士道」に対抗して創られた「武士道」と同じ。戦後も日本民族の独立を図るための英雄叙事詩として復活し、それにオーバーラップするように展開した国民的歴史学運動の中で武士の英雄化がはかられたという理解には納得。通説的な成立期武士論の陥穽について、これまでとは異なった見方を提示して頂けました。
戦後歴史学の担い手として活躍された研究者(我々よりも一世代上の)の方たちからは、内乱期の事件や人物について、時に普段の理論的な言辞とは似つかわしくないロマンティックな認識を示されることがあるのですが、その理由もよく分かりました。もっとも、私なども同様なのかも知れませんが。
それにしても、すでに21世紀も10年以上の歳月が経過したとはいえ、戦後の時期に至る多くの『平家物語』研究者の思想的評価を述べるのはかなり勇気の要ることではなかったのかと想像されます。
私が国文学(軍記)の研究者の方たちに親しくして頂けるようになったのは、この20年ほどの間のことですが、歴史学の学会の大会が組合の集会の如くあるのに対して、国文学の学会の大会は宛も大企業の株主総会の如き様子で驚いたり、国文の世界では師弟関係が厳格であることや若い方たちが礼儀正しいことなどに遭遇し、その理由についていろいろ思いを巡らせておりましたが、そんなことにも回答を与えてくれたと思います。
161ページに掲げられた石山徹郎による「国文学会の諸学派」は、今日の国文学研究者の色分けにも適用できそうで、参考になりました。同じ国文学の研究者といっても、かなりタイプの異なる先生方がおられて対応に窮することがありますので。
近年の歴史学も、なんだかよく分からなくなって参りましたが、個々の研究者のスタンスは、国文学よりは分かりやすいのではないでしょうか。
私は、若いころ、(幸か不幸か?)戦後歴史学とは外れたところで研究生活を送りましたので、「英雄時代論争」を知らず、その話題を提示した先輩の研究者から唖然とされた経験があるのですが、本書で、そのあたりの事情もよくつかむことが出来ました。
近代軍国国家における国民教化の材料として『太平記』がいかに利用されたのか、また国文学の学界が歴史学ほど戦後に変化(反省)が見られないことなどについては、かつて同じ職場におられた中村格先生から御教示を頂いており、それらを踏まえて「近代国民道徳としての「武士」認識-軍国国家形成の前提-」(京都女子大学『現代社会研究』創刊号、2001年)なる拙文を纏めたこともあるのですが、この本に接して、またよい勉強をさせて頂くことが出来ました。
いずれにしても、この本は武士論・鎌倉幕府成立史など中世前期の政治史を専攻する方には必読でしょう。いつまで経っても改まらない通説的認識(著者も指摘されていますが、昨年の大河ドラマのような)の背景がよく理解出来ると思います。
私に課せられた課題は、やはりあくまでも基礎的な「事実」を解明していくこと、これに尽きると思いました。物語は「事実」に乖離するものですから、一部の国文学の研究者のお役にも立てるところがあるのではないか思うのです。
西欧のもつ国民叙事詩を日本にも、ということで『平家物語』の叙事詩評価がはかられたというのは、まさに「騎士道」に対抗して創られた「武士道」と同じ。戦後も日本民族の独立を図るための英雄叙事詩として復活し、それにオーバーラップするように展開した国民的歴史学運動の中で武士の英雄化がはかられたという理解には納得。通説的な成立期武士論の陥穽について、これまでとは異なった見方を提示して頂けました。
戦後歴史学の担い手として活躍された研究者(我々よりも一世代上の)の方たちからは、内乱期の事件や人物について、時に普段の理論的な言辞とは似つかわしくないロマンティックな認識を示されることがあるのですが、その理由もよく分かりました。もっとも、私なども同様なのかも知れませんが。
それにしても、すでに21世紀も10年以上の歳月が経過したとはいえ、戦後の時期に至る多くの『平家物語』研究者の思想的評価を述べるのはかなり勇気の要ることではなかったのかと想像されます。
私が国文学(軍記)の研究者の方たちに親しくして頂けるようになったのは、この20年ほどの間のことですが、歴史学の学会の大会が組合の集会の如くあるのに対して、国文学の学会の大会は宛も大企業の株主総会の如き様子で驚いたり、国文の世界では師弟関係が厳格であることや若い方たちが礼儀正しいことなどに遭遇し、その理由についていろいろ思いを巡らせておりましたが、そんなことにも回答を与えてくれたと思います。
161ページに掲げられた石山徹郎による「国文学会の諸学派」は、今日の国文学研究者の色分けにも適用できそうで、参考になりました。同じ国文学の研究者といっても、かなりタイプの異なる先生方がおられて対応に窮することがありますので。
近年の歴史学も、なんだかよく分からなくなって参りましたが、個々の研究者のスタンスは、国文学よりは分かりやすいのではないでしょうか。
私は、若いころ、(幸か不幸か?)戦後歴史学とは外れたところで研究生活を送りましたので、「英雄時代論争」を知らず、その話題を提示した先輩の研究者から唖然とされた経験があるのですが、本書で、そのあたりの事情もよくつかむことが出来ました。
近代軍国国家における国民教化の材料として『太平記』がいかに利用されたのか、また国文学の学界が歴史学ほど戦後に変化(反省)が見られないことなどについては、かつて同じ職場におられた中村格先生から御教示を頂いており、それらを踏まえて「近代国民道徳としての「武士」認識-軍国国家形成の前提-」(京都女子大学『現代社会研究』創刊号、2001年)なる拙文を纏めたこともあるのですが、この本に接して、またよい勉強をさせて頂くことが出来ました。
いずれにしても、この本は武士論・鎌倉幕府成立史など中世前期の政治史を専攻する方には必読でしょう。いつまで経っても改まらない通説的認識(著者も指摘されていますが、昨年の大河ドラマのような)の背景がよく理解出来ると思います。
私に課せられた課題は、やはりあくまでも基礎的な「事実」を解明していくこと、これに尽きると思いました。物語は「事実」に乖離するものですから、一部の国文学の研究者のお役にも立てるところがあるのではないか思うのです。