京都冬の旅
野口洋平
No.995
現在市内の寺院を中心に恒例の非公開文化財特別拝観、京都冬の旅が行なわれています。冬の旅は毎年一月から三月末まで京都市内の社寺が、普段公開していない塔頭やお茶室などを特別に公開する催しです。
今年僕が所属する団体は東福寺の光明院を担当しており、僕も13日と15日半日だけガイドに入る事になりました。もし興味のある方いらっしゃいましたら、是非これを機会にお越し下さい。連絡いただければ無料で通す事もできます。
しかし今回は急な話でもあり、皆さん試験勉強などの関係で行けないという人も多いかと思います。そこでまだ先の話になりますが、三月にまた去年のような史蹟見学会を開きたいと考えてます。場所は冬の旅のお寺を中心に考えていますが、何かリクエストがあれば考慮しますので遠慮なくどうぞ。まだまだ先の話にはなりますが、僕もこれが実現できるよう勉強に励みたいと思います。gucci_0529@vodefone.ne.jp 野口
あのー・・・
No.992
なめかわさん、なかなか面白いレポートを有難うございました。あのー、私の歌はカラオケにお付き合いいただいている方には珍しくはないはずですがね・・。そりゃ、フランク永井に水原弘に、裕次郎にナットキングコールでは古すぎるでしょうけど。あとは藤山一郎にディック・ミネ、それに美空ひばりに谷村新司あたりですが。よかったらどなたか歌会始ならぬ、歌い始めにお付き合いください。
それはともかく、去年末からなにやら神戸づいております。12月23,24両日の神戸探訪ですが、近藤氏によるとご先祖のご加護ではないかというくらいの好天で、温暖、無風の好コンディションでした。なめかわ報告にない部分を少しフォロー致します。食べてばかりいたわけではありませんので・・・。
23日は13時過ぎに山陽電鉄須磨浦公園に集合しました。当日の参加者は、兵庫県史の元職員で、武蔵七党庄一族の末裔,庄洋二さん、当方の京大の同級生小林基伸氏、府立総合資料館の職員で、「平氏家人表」の執筆者西村隆氏、それに美川、近藤両氏、そして立命の佐古、滑川、龍大の吉田の諸君、それに当方の9名です。
まず、駅西方の敦盛塚に参りました。もちろん時代は下るのですが、巨大な五輪塔に敦盛や平氏一門に対する深い追慕の念を痛感しました。ついで、ロープウエイと、カーレールなる代物で須磨浦の山上に上りました。少しもやでかすんで景色がもう一つだったのは残念でしたが。須磨背景の山脚の急峻さ、須磨の海岸線の狭さは痛感されたしだいです。近藤氏によれば、こうした断崖は三浦半島では珍しくないとの事で、佐原義連が断崖を駆け下りることを主張したことは納得できる由。ただし、崖を何百キロもある馬を背負って下りるのは、300キロを持ち上げた体験から不可能と伺いました。これから武士論をやる人は、武具の重さを体感できる人でないと無理なのかも?
それにしても、展望台では、須磨から生田の森までの遠さはどのように理解すればいいのか、という議論が交されたことでした。再び駅に戻り、今度は東に向かって、海岸に立つ「戦闘の浜」(多分、一の谷合戦のことでしょうが)の碑をみて、今度は山道を登り、安徳内裏跡を見学。隣接して、和宮像とモルガンお雪が立てたという灯篭を見物、今度は山道を下ると、一の谷不動という、洪水で流されてきたという南北朝時代の不動明王の摩崖仏を発見。ついで、須磨駅近辺で村上帝神社という、藤原師長を祭る神社に遭遇。案内の出ていないこうした寺社とのい出会いは、歴史散歩ならではのことと思います。さらに源氏寺などという曰くありげな寺院に出くわし、さてこそと思えば、何のことはない光源氏の須磨閑居にちなんだ寺の由。かつて、源氏物語に平家物語以上の合戦、武勇談を期待されて愕然とされた野口先生の御落胆と同様の失望を味わいました。ついで須磨寺。敦盛の首塚、青葉の笛、その他の宝物については近藤先生の御解説に従うばかりです。ついで山陽須磨寺駅に向かう途中に、重衡が囚われた場所と言う石碑がありました。捕えたのは庄さんのご先祖の由。山陽電車、神戸高速鉄道を経由して三宮。生田神社を見学。名前ばかりの生田の森を見て、なめかわさんが詳しくご紹介された吉膳に行きました。
近藤氏の弱点?は牡蠣が食べられないこと。それに長時間の徒歩が苦手なこととお見受けしました。超人にも意外な弱点がおありなようですね。
その晩はルミナリエの最中。お帰りの方々は電車が込んで大変だったことと思います。単なる観光行事ではなく、震災の慰霊だということを忘れないでほしいものです。まさに一瞬の出来事で、多くの生命が失われた意味、そして当方にとっては同様の危険に遭遇しながら生き残った意味を考えずにはおられません。
翌日は、近藤、美川両氏、それに竜大の吉田君の四人で見学を致しました。まず、布引の滝。これで美川氏は帰京。ついで地下鉄で大倉山に行き、例の堀を見に行ったらすでに埋めた後で近藤氏はがっかり。近くの昌園という中華料理で昼食。南京町に本店がある名店ですが、やや少量でした(近藤氏はチャーハンを追加、その後でお変わり自由と聞き憤然)。荒田八幡、湊山小学校の雪見御所の碑、祇園遺跡、平野展望公園から眺めを堪能して、タクシーで兵庫へ。能福寺の忠快の石塔、清盛の墓?等、真光寺の一遍の墓、そして清盛塚、その南の薬仙寺、運河沿いに歩いて築島寺(ただし無人のため施錠中)を経て、地下鉄で居留地に行き、三宮神社で河原兄弟の碑を見て、16時ころ。そろそろルミナリエ見物の観光客で混み始めた神戸を後にしました。
その晩は、四条の木曽路で上横手、井上満郎両先生と美川氏を交えて一次会、ついでサントリーバーで観世流能楽太鼓方の井上敬介氏、門下生で同志社卒業生の澤田さんを交えて二次会と相成りました。二日付き合って、当方はダウン。
ただ、布引のロープウエイに乗ると、西側に山が張り出しているのが分かりました。昔の海岸線はかなり山に近かったでしょう。そう考えると、生田は西の須磨と並ぶ要害で防御線だったのではないでしょうか。生田と、安徳内裏はかなりはなれ、その間は空白だったのではないか。しかし、有馬街道のように,北側に抜ける道には守備隊を配置していた、そのために義経は須磨浦の平氏本拠のすぐ裏まで移動して、そこから奇襲せざるを得なかったのではないか。近藤氏の推察です。
10日の緊急シンポ。まことに盛会で何よりです。堀は緊急に掘削したのかどうか、根本的な問題から問い直され、まさにシンポが議論の出発点になりました。遺跡保存の第一歩になってもらいたいものです。第二回も計画中の由、今度は各地の武士の邸宅の発掘事例の比較検討が必要かもしれません。
ちなみに夕食の六甲苑の中華風寄せ鍋は一食の価値有りでした。ついでに、あの日の朝、当方のベルトが壊れ冷や汗をかきました。高橋昌明先生は、紐で結べとか仰ったのですが、そういわれても・・・。上手くごまかせましたかね。嘘ばかりついているという清盛のたたりでしょうか。
追伸
No.996
本当はなめかわさんのレスとして作成したのですが、どういうわけか別個に掲載されてしまいました。ご容赦ください。須磨寺の件、一の谷の地形と義経の行軍の問題など、近藤先生より書き込みをお願いします。
平家物語研究会
No.997
元木先生から、論文の典拠にも使えそうな内容を含む書き込み、また滑川さんからは、楽しい神戸グルメ報告をいただいて、蟄居謹慎中にもかかわらず、つい顔を出したくなりました。
一ノ谷は去年9月の平家物語研究会の史跡調査で、ゼミの皆さんも、ほとんどの方が歩きましたよね。あの時もそうでしたが、滑川さんが気になったという敦盛塚のおそば屋さんはいつも閉まっていますから、今はどうも営業していないようです。
ところで、敦盛塚というと村井康彦氏『平家物語の世界』(徳間書店)に紹介されたモラエスにまつわるエピソードを思い出します。いい話なので、ぜひ、読んでみてください。
それから、須磨寺の参道に「敦盛だんご」というのがあったのを覚えていますか?歩きながら何人かの人にはご馳走しましたよね。あれはなかなか美味い。長老山本君が伊藤さんと仲良く一串を分け合って食べていた姿は実にほほえましかったです。モラエスとおヨネを連想してしまいました。ちなみに、近藤先生はこのおだんごを召し上がられたのでしょうか。10串くらいは簡単にいけることと思います。
話は変わりますが、昨日、東京で平家物語研究会がありました。源先生にも久しぶりにお目にかかり、昨年のお礼を申しあげることが出来ました。また、兵藤先生には、今年六月の公開講座での講演をあらためてお願いいたしましたが、さあて、そのころ、この3月で卒業・修了予定のゼミの諸君はどのような境遇におられることか。
失礼な言い方で恐縮ですが、ゼミの皆さんにたいして、こと学問とか研究の面で、このところ、ちょっと手綱を緩めすぎたかなと、反省しています。現実は実に厳しいのです。甘く見てはいけません。あまり楽観視してはいけません。自らへの戒めもこめて、年頭に当たり、このことをしっかりと確認しておきたいと思います。
少しの補足
No.999
元木先生、その折はお疲れ様でした。さて、私の書き込みをというご要望ですが、元木先生の詳細なご報告で坂落としに関する私の考えの基本線は尽くされていますが、少し補足すると、戦略的には場所は須磨浦山上で良いのでしょうが、『平家物語』によれば、坂落としは二段階になってます。つまり途中に平坦地があり、そこまで落ちて、また落とすという形です。しかし、須磨浦山上の地形はそのようになってはいないようでした。また、樹木の問題もあります。現在のように樹木が生い茂っていたのでは、平地でも騎馬で行くのは困難です。それに関わって、坂落としの地面が土か岩かの問題もあります。『平家物語』によれば岩のようですが、現状の地形は岩ではないようです。土ならば樹木が生い茂っているでしょうが、禿げ山だったかも知れず、禿げ山だった場合、土と岩でどちらが騎馬で降りやすいかも考えなければならないでしょう。いずれにしろ、史料は『平家物語』しかないわけですから、諸本を校合して考えるしかないですね。なお、現在私が参加している歴博の共同研究・展示プロジェクト委員会のメンバーに、植生による景観史をご専門にしている先生がいます。京都精華大学の小椋先生ですが、その先生にうかがってみるとかつての植生が分かるかもしれません。
一方、須磨寺での一件ですが、かつてはよく元木先生とカラオケをご一緒したので、私には自然でした。元木先生は歌がお好きで上手いのです。それにしても、最近はカラオケをご一緒しなくなりましたねえ。ちなみに、私もカラオケは大好きです。
ところで、最近、スポーツ界では古武術の動きを見直す方向にありますが、古武術の動きは私の専門とする(?)パワーリフティングだけでなく、戦闘論の考察に役立ちます。これは当然のことで、中世の戦闘はまさに古武術そのものですからね。
源平合戦あれこれ
No.1000
近藤先生、有難うございました。今の一の谷の植生、地形と平家物語の叙述との対比は、なかなか興味深い問題と思います。地形に関して言うなら、神戸は洪水などの多いところですから、崩落などによる変化も考えられますが、我々はロープウエイから少し東を見ただけですから、さらに探せば合致する地形も存在するのかもしれません。さらに、文献の問題ですが、玉葉に出てくる、多田行綱が最初に山手を攻め落としたという記述も、平家物語などとどのように整合させれば良いのか、大きな問題として残っているように思います。
近藤先生とは、屋島、それに野口先生が先日ご覧になった壇ノ浦を見学し、大河ドラマ開始前に義経の本を出そうという欲深い計画をしているのですが、3月ごろに実行しますかね。その前に、一度カラオケ大会も宜しいですね。後期は8コマの講義で、すっかり喉をいためてしまい、しばらく自重していました。休み中にでも一度。
ところで、福原シンポの報告は、当方のを除いてどれも面白かったのですが、一番興味深かったのは須藤さんのご報告で、治承4年11月11日の新造内裏行幸の記事を地形と照合しながら分析された部分では、思わずうなって臨席の藤田裕嗣先生に変な顔をされてしまいました。それはともかく、あの分析の最後の入道太政大臣亭の解釈、当方も史料を読んだ限りでは須藤さんと同じ解釈だったのですが、高橋説にも一理あり迷っております。内裏行幸と冒頭に称しているのだから、あえて入道太政大臣亭と書くのはおかしいという認識で須藤さんと意見は一致したのですが、すぐ門に入ったようにも取れ、微妙です。広くご意見を頂きたいと思います。
ちなみに須藤さんは近藤先生の大学の御後輩の由です。
1000番は元木先生の手に。
No.1003
元木先生。記念すべき書き込み1000番をゲットされました。
当HP管理人の鈴木君が1000になったら何かイベントをやろうかとか、言っておられましたね。今日研究室に見えた永富さんは、元木組と野口組に分かれてカラオケの歌合戦をやりましょうと、仰っていました。元木先生もやる気満々の御様子ですから、何か相当実現性が高そうなあんばいですね。私も昔手にしたギターなど引っ張り出して・・・と、論文が書けないとつまらないことを思いつくものです。
それにいたしましても、元木先生、これも何かの因縁。今後ともゼミメンバーの御指導、よろしくお願い申しあげます。
Re: あのー・・・
No.1006
ちょうど1000番の「キリバン」を当方のような部外者がゲットしてしまい若干申し訳ないような気分です。まあ、当方の授業に参加された方も多いようだし、ご勘弁願いましょう。春休みくらいはパ-ッと発散したいものですね。一度、その歌合戦でもやってみましょう。楽しみにしております。
ところで、福原シンポについてのご意見ももっといただければと思います。
ともかく、今後とも宜しくお願いします。
一ノ谷合戦時の福原の機能は?
No.1007
シンポで神戸大名誉教授の田淵先生は、二重堀が臨戦態勢の中で急造された可能性が高いとの意見をのべておられたように思いますが、櫓と考えられる建造物も遺構の様子から、やはり急造の可能性が高いようです。その時期を特定するならば、都落ち後いったん九州まで後退した平家が勢力を盛り返して福原に復帰し、源氏との合戦を想定していた時期ではないでしょうか。とすれば、一ノ谷合戦のときにあの堀や櫓はどのように機能したのか、はたまた平家の本隊や安徳天皇はどこにいたのか、そんなことが問題になろうかと思います。海上にあったとの説や一ノ谷の安徳天皇御所跡の伝承もありますが、生田の森・一ノ谷・三草山という平家方の布陣と防御態勢をふまえると、その中心に福原が位置するように思えます。
一ノ谷の合戦が実はかなり広いエリヤで展開されたことは、喜田貞吉氏以来の定説ですが、この点については国文学の研究者が深められており、佐伯真一先生・早川厚一先生がすぐれた考察を加えておられます。どうでしょう、この福原の辺りは合戦のときにどんな状況だったのか。
それから、小生が関心をもっているのは二重堀です。このような堀の例が伊勢平氏の本拠地で検出されていること。また、シンポで高橋昌明先生も指摘されていましたが、清盛が洛外の法性寺一橋の近く(HP管理人鈴木君の家の近くですよ)に二重の堀をめぐらした城郭を築いた話が『平家物語』に見え、あるいはこのような二重堀は伊勢平氏独自の構築形態なのではないかと思われるからです。シンポ会場で、同志社の鋤柄先生は軍事的意図にたいして否定的な見解を示しておられたように思いますが、規模は異なるものの奥州合戦のときに平泉藤原氏が構築した堀も二重であったこともあり(東北大学柳原先生からの情報によると福島県会津地方にも例あり、越後城氏関係か?)、この時代の二重堀にすこしこだわってみたいと思っています。幸い、京女には前任大学が三重大学で津市にお住まいの稲本紀昭先生がいらっしゃいますので、先生に二重堀の出た「雲出島貫遺跡」を発掘調査され、多くの研究成果を発表されている伊藤裕偉氏を御紹介いただくことをお願いすることができました。稲本先生や伊藤氏からいろいろ御教示をいただいて、考えてみたいと思っています。ちょうど、ゼミ旅行でも伊勢が企画されましたので、このとき伊藤氏のお勤めの斎宮歴史博物館や伊勢平氏関連の史跡を回りたいと考えております。
それにしても、福原と六波羅・鎌倉の地形、空間構造がそっくりなのには驚かされます。祇園遺跡と有馬道の関係を六波羅東南角の小松殿と渋谷越えに置き換えると、専売病院の積翠園は重盛邸庭園遺構としてもおかしくはないと思えます。発掘調査をしてみれば、はっきりするのですが。花園大の山田先生は、どう思われますでしょうか?
伊勢
No.1016
花園大学の山田先生ではありませんが、お話の関係上割り込ませていただきます。
福原のシンポジウムは、個別報告を興味深く聞かせて頂きながら、討論を前に神戸を去らねばならず、大変残念でした。
少し話が外れるのですが、私、来る伊勢へのゼミ旅行で、副幹事として事前学習及び見学予定史跡のリストアップを拝命いたしました。
野口先生に加えて、美川先生にもご一緒させていただけるようなので、日本史専攻に相応しい準備をしたいと考えております。
そこで、本HPをご覧の皆様に広く情報提供をお願いする次第であります。
私、京都府に生まれ育ちながら、ほとんど伊勢の事は知らないので、小さな情報でもお待ちしております。
この場をお借りして、野口先生へ。
今日、研究会の後、元木先生と焼肉の南大門とサントリーバーにご一緒させて頂きました(変な場所でお礼してすいませんが、
元木先生ご馳走様でした。大変美味しく、弾んだお話も楽しかったです)
サントリーバーで
元木先生から、上にも話題に登っている「元木先生キリ番ゲット!記念歌合戦」の正式な果たし状をお預かりしました。
元木総大将は、六甲おろし他多数の戦術を用意されているそうです。もしかすると、元木軍からは侍大将の佐伯さんが参戦してくださるかもしれません。
さて野口ゼミからは、野口先生のギターを陣太鼓代わりに、誰が討手を務めるのでしょうか。
歌合戦、付福原の堀と櫓
No.1022
長村君、焼肉の影響でちょっと興奮気味では?「果し状」は、いくらなんでも言いすぎです。武士の合戦より、歌合せのつもりで優雅に参りましょう。でも、当方の蛮声はやっぱり合戦の名乗りみたいなものですかね。六甲おろし、ナット・キング・コールでモナリザか何か、それに昴あたりを予定します。余談ですが、次のコンパは、小料理の住吉か、天ぷらのかふうにしましょう。
福原の話ですが、堀は緊急に掘削されたにしても、多数の瓦器が出土するなど、生活のあともあるようです。治承三年政変か福原遷都後の緊張状態の中で、掘削されたのではないかと思っております。櫓は、もとの建物を破壊して作られたらしいようですから、こちらは一の谷合戦のころに、すでに焼亡した邸宅後に作られたのかもしれません。櫓とすれば、ですが、邸宅の端にあるべきと思いますが、堀より大分北になっております。これも、堀と櫓が別に存在したことを物語るのではないかと思います。いかがでしょうか。
昨年の神戸グルメ探訪記
なめかわあつこ。
No.990
皆様、新年あけましておめでとうございます。
遅ればせながらご挨拶申しあげます。今年も宜しくお願い申し上げます。今回は昨年体験した12月23日一の谷見学会後に行われた神戸グルメ探訪記についてレポートさせて頂きたく思います。
23日はとてもいい天気で見学会日和でした。午後に須磨浦公園駅に集合しました。始めに敦盛塚を見たのですが、その傍にあった「敦盛そば」というお店が何故か気になりました。この日は閉まっていたのですが、営業しているのでしょうか??
それから展望台へ足を運びました。ロープウェイはともかく、「カーレール」なる乗物は一体何なんでしょう?乗物の形から「選別されてかごに詰められベルトコンベアーで運搬されるみかん」の気持ちが解ったような気がします(笑)。
展望台から見渡す街や海は最高でした。明石海峡大橋がかすんであまりはっきり見えなかったのが残念でしたが…。
須磨寺ではちょっとしたハプニングがありました!!何と、元木先生がお歌を披露して下さいました!!須磨寺境内にある石碑が「青葉の笛」(歌の方)を紹介しており、ボタンを押すと曲が流れるしくみになっております。ご存知の方もいらっしゃるでしょう。近藤先生の「伴奏」(ボタンを押した)で元木先生がお歌いになられたんですよ~!!小声で歌っていらっしゃったのですが、感情がこもっていました。録音してこの掲示板にて試聴できるようにしたら良かったかもしれません(笑)。
この他にも色々回りましたが、神戸グルメ探訪記執筆のため割愛させていただきます。あしからず。
今回のグルメスポットは神戸元町です。神戸の街を歩いたのはこの時が初めてでした。お店は「創作料理 吉膳」さんです。
お座敷でお料理を頂きました。このお店は、お料理をいっぺんに出すのではなく、一つ一つ丁寧に出して下さっていたので、食べる方もしっかり味わって食べる事が出来ました。
中でもここのお料理で一番美味しかったのが、「牡蠣の味噌鍋」と「パスタ」です。牡蠣の味噌鍋は、和紙で作ったお鍋が印象的でした。牡蠣も去ることながら、そのスープは大変まろやかで残すことなく全て頂いてしまうほど美味でした。パスタは、バジルとオリーブオイルをふんだんに使ったボリューム感のあるものでした。ここのお店のお料理の中で一番人気があるメニューだそうです。この二品を召し上がっている時の皆様は、「無言」でした。食べている時の音しかなかったような…。
食欲旺盛な近藤先生のため(?)炒飯を追加注文致しました。この時食欲旺盛だったのは近藤先生だけではないですよ。かく言う私もこの日は近藤先生に負けず(?)大変食欲旺盛でした。基本的には食べることが大好きなので。
ところで皆様はどんな「学校給食の思い出」をお持ちでしょうか??美川先生がお話されていたのですが、今では高級品のくじらの肉が給食に出ていたのですね。とても固いものだったようですよ。給食が食べれなかったりすると、昼休みもその後の掃除の時間も席に縛り付けられている子とかいませんでしたか?近藤先生は、そうした子の嫌いな物を食べてあげていたとおっしゃっていましたので。私は月一回憂鬱なメニューがありました。別に嫌いではないのですが「なめこ汁」があって、毎月もらう給食の献立が「滑子汁」(漢字として正しいのでしょうか?)と表記しているため、クラス内だけではなくクラス外あるいは上級生(特に男子)にまでバカにされました(泣)。バカにした人間に対する「制裁」についてはノーコメントです(笑)。世代の違う方々とお話する時の話題として、「給食」ネタは結構楽しいものですね。
本論に戻しますが、ここのお料理も去ることながら、お世話して下さいましたお店のママさんがとても素敵な方でした。
一つ一つのお料理を平らげる姿を見て「全部召し上がってくれて嬉しい」と喜んで下さったのは私自身も嬉しかったです。
最後に、企画下さいました元木先生、現地をご案内下さり色々お気遣い下さいました庄さん、この企画に参加され、色々楽しいお話をして下さいました先生、先輩方にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
ついでに、先日髪を短く切りました。少し若返った気分です。
自分では漫画「あさりちゃん」の中の登場人物・タタミちゃんみたいと思うのですが…。ご存じない方はネットでご確認下さい。長々と駄文を書いてしまい申し訳ございません。ここらで失礼させていただきます(落語風に「ぺこり」とお辞儀)。
Re: 昨年の神戸グルメ探訪記
No.991
ボリュームのある投稿で、読むだけでもおなかいっぱいになりそうでした。
問題の“なめこ”ですが、広辞苑では「滑子」との記述がありました(ATOKでも一発変換でした)。
給食には僕もいろいろ思い出があります。給食後すぐに掃除だったのでほこりまみれで食べていたのを思い出します。今思うと、食べるのが遅かった理由は給食時間中にしゃべりすぎていたのではという事です。その時のトラウマのせいか今ではかなり食べるのは早くなりました。
和紙のお鍋は、あれは電磁調理器の発達のたまものですね。山本さん家で鍋パーティの計画があるみたいなので、その時は和紙の鍋がよさげですね。<片づけ楽なんで。
カーレーターだったと思いますが..あれはれっきとした「新交通システム」みたいです。ネット上ではエスカレータ式車いす昇降機と書かれていましたが、営業しているのは須磨浦公園だけでしょうか。(乗り物だいすきっこなので、一度いってみたい)
あまりしゃれたレスが出来ませんが、とても楽しめました。
賀正。そして原稿は元寇の如きものなり。
No.989
鈴木君、ご心配ありがとうございます。また、昨日の同志社演習、本日のシンポジウムの席でも、このところ書き込みがないと諸方からお叱り(いや、励まし?)を頂きました。長い間、でもないと思いますが、ご無沙汰失礼いたしました。例年、年末年始は大多忙で、この正月も論文にかかりきりでした。「鎌倉武士の心性」について、なにも新しい所論はないのですが、一応まとめました。続いて、「頼朝のイメージと王権」というテーマの論文を何としてもまとめなければなりません。そんなわけで、忙しかったからと言うことで、お許し下さい。ゲンコウに人生を費やしている点では、時宗さんにシンパシィーを感じる今日この頃です。
本日のシンポはとても盛況でした。小生も発言の機会を与えていただきましたので、ぜひ客観的な立場から、どなたかがレポートをしてくだされば幸いです。それでは、いずれまた。
今日は法事でした。
No.988
我が家の宗教的行事という事で、だいぶ興味深く参加できました。
さすがに、山本さんに話を聞いたほどの「しきたり」はありませんでしたが、お寺さんの話などいろいろ勉強になりました。
(今日は、親鸞上人の悟りをひらくまでの過程と、他力本願の話でした。)小さい頃は何もわからず、話を聞いていましたが、この年になるとよくよく理解できます(^o^)
P.S.掲示板も沈静化しているので、書き込みましたが、
特に、野口先生は最近書込がないですが、どうされているのでしょうか?
僕は掲示板でしかお会いしにくいので、よろしくお願いします。
今日は、緊急フォーラムの日だったと思いますが、どんな内容だったか、また教えてください。
謹賀新年
No.975
大変遅くなりましたが、皆様明けましておめでとうございます
先月は私ごときのために時間を割いていただき、誠にありがとうございました。
食後のカラオケも楽しかったです♪
山本さんのあややも聴けましたし(笑)
・・・それにしても、山口百恵はいったいどなたが歌われたのか・・・
本当はもっと皆様とご一緒に遊んでいたかったのですが
先約がございましたもので、皆様と別れた後大阪へ出向きました。
初詣は、知恩院の除夜の鐘を見物した後に八坂神社へ行きましたが、
あまりにも人が多すぎたため断念し、1日午前中も多いようでしたので、
急遽下鴨神社へ向かいました。
大炊殿の特別公開もやっていて、甘酒をいただき、鴨長明の方丈の庵も見学でき、大変満足でした。
伏見稲荷も考えたのですが、八坂の二の舞になるかもと考え
とりやめました。
次はいつ上洛できるか分かりませんが、また遊んでくださいませ。
あ~明日からまた仕事だぁぁぁ(T_T)
Re: 謹賀新年
広政 愛
No.976
去年は(もう去年!)初対面なのにも関わらす、気さくにお話して下さってとても嬉しかったです。
カラオケでは笠さんの澄んだお声に、もぅうっとりでした。
百恵ちゃんもイチオシですが。笑
どうもありがとうございました。
お仕事、お体に気を付けて頑張って下さい。
またお会いしたいなぁ・・・。
謹賀新年
田中裕紀
No.977
あけましておめでとうございます。
あまりお話できなかったので、ぜひ、また上洛してくださいね。(今度は私達が行くほうかもしれませんが)
伏見稲荷は、大晦日から2日までの間に112万人の人出があったらしく、3箇日合わせて更に昨年を12万人上回って、288万人の人出だったそうですよ。くわばらくわばら。
Re: 謹賀新年
末松憲子
No.978
あけましておめでとうございます。
伏見稲荷は3日からバイトで入っております。
3日の日の人出は、1日程ではなかったと思いますがすごかったです。鳥居出てすぐのお店にパンを買いに行っただけなのに、通行規制で入り口と出口が分けられていた為に30分以上かかりました。
今日は会社総出で参拝に来ている所が多かったようですが、まあまあすいてました。
次に混むのは奉射祭のある12日だと思います。鳴弦式とか大注連縄をかけた的に紙の矢を射る神事があるようで、面白そうですよ。
「鳴弦」って文字がもうかなり興味が惹かれます。私は。笑
Re: 謹賀新年
No.980
おそくなりましたが、明けましておめでとうございます。
みなさま様々なお正月を過ごされたようですね。私は初詣・親戚廻りといった家庭内イベント等(といっても、京都・奈良・大阪の範囲内を動いていただけですが)によって時間が無くなり、ゆっくり掲示板開くのも久しぶりです。
さて、紙の束で埋まった部屋を大掃除をしましたところ、人から貰ったり買い直したりしてダブった本が手元にあります。もしどなたか必要な方がいらっしゃいましたら、差し上げますのでご連絡ください。
全て岩波新書(青版)です。
西郷信綱『古事記の世界』1967。(美)
西郷・永積・廣末『日本文学學の古典』1954。(古)
家永三郎『日本文化史』1959。(線引きあり)
北山茂夫『萬葉の時代』1954。(線引きあり)
北山茂夫『藤原道長』1970。(美)
それでは良いお年を。
古書店開店!?
田中裕紀
No.981
長村くん、あけましておめでとうございます。
とうとう、古書店を開店するのかとびっくりしてしまいました(笑)『古事記の世界』とか読んでたのね・・・というのも、呆れるやら、びっくりするやら・・・。(私自身が、記紀と万葉集をちゃんと勉強してないので(^^;)
今年もよろしくお願い致します。
P.S.「よいお年を」は年末のご挨拶の言葉ですよ。
Re: 謹賀新年
No.982
ひさびさに覗いてみると、たくさんの書込ですね。
家永三郎さんは、教科書裁判の人ですよねぇ。
記紀もそうですが、野口ゼミに関わらなければ読めなかったような単語はいっぱいあります。
お稲荷さんは元旦に行きましたが、今年は警察が入場制限をかけていたおかげで、それほど歩くのに大変な所は無かったと思います。まぁ、288万分の1なんですが..
やはり、野口ゼミのページに「売ります・買います」コーナーは必要でしょうか?(^O^)
Re: 謹賀新年
No.983
いやぁ、「売ります買います」コーナーなんて作ったら、僕が古本屋店主になりたくなっちゃいますよ(笑)。
業界での常識を知ったかぶるのもどうかと思いますが、家永氏について少々。
彼は学生時代哲学に傾倒して、「文化科学」を主張したリッケルトやヴィンデルバントの歴史方法論に惹かれるところ多く、研究テーマも仏教思想だったそうです。
教科書裁判の頃は近代思想史研究者として著名だったそうですが、今でも古代中世の仏教史では研究史上避けて通れない位置にあり、宗教以外にも広狭両義で日本文化史・思想史の研究を残されています。岩波新書のは狭義の「文化」が中心ですが。
また方法論の専論もあり、当時の日本史研究者には珍しく、思想は下部構造に規定されるとするマルクス主義史観に対抗して、思想史の独立性を論じたりもされています。
一学生として宗教を離れた思想史の難しさを感じる今、顕密体制論以前の研究者として以外に再評価されてもいいのではないかと思います。
家永三郎について
No.984
長村くんあけましておめでとう。今年もよろしく&お手柔らかに。
書き込みを見ていたら、家永三郎の事が話題になっていたので、ついつい自分も書き込みしたくなりました。自分が五回生だった2000年は、「発掘捏造事件」や一連の「教科書問題」など歴史学を勉強するものにとっては考えさえられる年でした。そんな時に、古本屋で家永三郎著の『一歴史学者の歩み』という本を見つけ、熟読したのを憶えています。読んで全てが氷解した訳ではないのですが、歴史学の一つの在り方みたいなもののをその本から学んだと思います。また特に印象的だったのは、家永三郎が小学生の時から算数や数学などが苦手だったという一節には、何だかホッとしたのと親近感をよけい感じたのを憶えています(笑)。その後何本か論文を仏教関係の論文を読みましたが、歴史学の論文といいうより、宗教論もしくは宗教哲学のような印象をうけました。でも長村君の指摘する方法論についてはよくわかりませんが、古いとか言う問題ではなく、何か違うものを感じたのは事実です。上手く言えませんが。
そういう印象を持っていたので、最近亡くなったというニュースを聞いた時は本当にショックでした。すいません。長々と固い話をしてしまいました。
(なお上記の『一歴史学者の歩み』は岩波現代文庫で再販されています。是非御一読を)
>長村君
他に売りたい古本はないの?また出てきたら教えてください。それと、歴史学は社会科学です(笑)!
>笠さん
あややをお見せ出来て光栄です。京都に来た甲斐が有りましたね(笑)。多分二度と「あやや」はやらないでしょう。
>末松さん
お久しぶりです。明けましておめでとうございます。今年もよろしく御願いします。
すいません。橋本先生の授業に途中からいけなくなってしまい、本当に申し訳ないです。
今年の目標パート2
①デジカメ買うぞ!
②文章上手になるぞ!
③気が利く人になるぞ!
とりあえず以上です。また缶詰に帰ります(泣)。
Re: 謹賀新年
No.985
笠さん>こちらこそ楽しかったです!!
また博物館学の旅行で九州へ行った折はよろしくおねがいいたします♪
末松さん>お久しぶりです!!
お稲荷さんでバイトですか・・・私、実は小さい頃から巫女さんにあこがれていましていつか神社でバイトがしたいともくろんでいたのですが、あれって年齢制限とかってあるのでしょうか???
あと、下のスレッドの「三宅さん」は「山口さん」の間違い・・・ですよね???
晴明ツアー+京樂先生のキーワードが合致するのはおそらく山口さんしかいないとおもうので・・・
山本さん>あやや、二度とやらないなんて言わないでくださいよ~今度はフリまでちゃんと教えてあげますから心配しなくていいですよ~♪v(=∩_∩=)
長村くん>西郷信綱『古事記の世界』1967。
譲っていただけませんでしょうか?最近思想つながりで記紀などのほうへ手をひろげているので・・・助かります!よろしくお願いします m(._.)m
ALL>そうそう、旅行で思い出したんですが、ゼミ旅行どうします???(先日廣政さんにきかれるまで忘れてました・・・爆)
誰か幹事してくれる人いないかな・・・☆←期待
Re: 謹賀新年
No.986
ゼミ旅行、運転手ならやりますので、お供させてください(^o^)
長村君の書込みで、わからない単語が多かったので、辞書を引きながらも読んだのですが...。
歴史観や学問の中身は、さすがにわかりませんが、
「マルクス主義史観」とネットで検索すると、護国神社のフォーラムであったり、すごく右なページがヒットしてびっくりしました。
自分が習ってきた教科書での中身は、刷り込みのようにこびりつくのはしかたないですが、それが完全に正しいと言い張って(思いこんで)行動する人が多いのには驚きます。
家を整理したら“有事国民なんちゃら法令集”っていう戦時中での市民がどういう働きをしなければならないか書いた冊子が出てきました。実際にどこかの国の有事法制でやろうとしてる中身と大差ない内容でした。
歴史を学ぶってどういう事なんだろうか?、つい数十年前の大事な事でも、忘れられてるんじゃないか...そんな気がしました。
みなさんの書込の多さにびっくりして書いてしまいました。
No."1000"まで後少し、何かイベントしませんか?
Re: 謹賀新年
末松憲子
No.987
>山本さん
お気になさらないで下さい。
来年度ももぐりで行くので、よかったらまた一緒に受講しましょう☆
>永富さん
そうでしたー。山口さんでした。汗。去年からずっと名前を勘違いしていたことが、おとつい判明しました。
まったくおマヌケでした。
Re: 謹賀新年
No.998
>山本さん、お返事有難うございます。
何も知らない頃に買った、校訂の悪そうな国文学の古い叢書でしたらいくつかありますよ。
>永富さん、『古事記の世界』今度お渡ししますね。
>鈴木君、辞書まで引いて読んでくれてありがとうございます。歴史を学ぶとは・・・本当に難しい問題ですね
Re: 謹賀新年
平田樹理
No.1009
大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願い致します。
恐々謹言。
ちょっとレスが下がって話題がずれてしまいますが…。
>笠さん、この間は失礼いたしました。また九州に帰る際には連絡させていただきます。お忙しいことと思いますが、お時間が合えば、久留米でお茶しましょう。
A Happy New Year!!
No.966
☆ ___
☆ / ̄∨ ̄\\
〔| ● ● | 〕
|〓 ┳ 〓 ||
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明けましておめでとうございます
年賀状、やっぱり元旦に着かせるのは無理でした(苦笑)
あと、住所がわからない方々もおられますのでこの場を借り
新年のご挨拶をさせていただきます。
振り返ればあっという間の2003年でしたが、たくさんの出会い、出来事がおこり、私なりに成長できた一年でした。これもいつも暖かく支えてくださる皆様のお陰だと感謝いたしております。
今年はより一層努力し、学問はもちろん、中身も外見も磨きをかけ「マブい女」になることを目標とします。←宣言(!)
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
Re: A Happy New Year!!
広政 愛
No.968
あけましておめでとうございます、
とはいえ、一体どこがおめでたいんだろうなんて
思ってしまう私は無粋なのかもしれませんが・・・。
年越しはお風呂の中でした。
少し前まではテレビの前で“わくわく”していたのですが(笑)。
友達伝いに野口先生の存在を知り、入ゼミさせてもらい、とても魅力的なゼミ生の皆さんにお会いできた事が、昨年の私の一番のヒットです。
もし不安や質問があれば・・・、と入ゼミ前に時間をわざわざ割いて下さった永富さんに改めて感謝致します。
お互いの顔を知らないのに食堂で待ち合わせをした事、忘れません(笑)。
今年もわくわくしつつ張り切って参ります。
皆さんどうぞ宜しくお願い致します。
あけましておめでとうございます
No.969
本当は年賀状を出すべきなのですが、掲示板上で失礼します。
このサイトのトップページを、お正月モードに変更しました。ぜひご覧ください。
さて、自分の話にもどりますが
大晦日はおけら詣りに行き、今日は伏見稲荷大社に行きました。JRは予想どおりの混雑でしたが、参道の屋台や骨董品の店などは、例年よりも少ない感じがしました。
お稲荷さんの境内の東丸神社は受験生らしき人たちでごった返していて、鳥居の外まで行列ができていました。
また日を改めてお参りしようと思いますが、「自分も受験生ではないか」と我に返って背筋が寒くなりました(^_^;
本殿でお参りを済ませて、おみくじをひきました。
「第一番 吉凶未分 末大吉(きっきょういまだわからず すえだいきち」でした..。
おみくじにまで“未だわからず”と言われてしまい、いろんな意味で驚きましたが「末大吉になるように努力せよ」という事だと理解して、結んで帰りました。
今年は、試練の年になりそうです。
以上、初詣報告でした。
今年もよろしくお願いします。
みなさんにとって実りの多い一年になりますように...。
Un-happy New Year!!!!!!!
田中裕紀
No.970
受難の2004年です!!!恐怖の大王(古い・・・)よりも恐ろしい2004年・・・(泣)こうなったのも、自分のせいなのでしょがないのですが(夏休みぐらいまでプレイバックしたい~)しばらくは引きこもりで頑張ることになりました。年末も年始もないのですが、慌てぶりは盆と正月を合わせたようです。神頼みの為の初詣は、明日に上賀茂神社に行くことにしました。おみくじは、昨年多賀大社の小吉、年末の熱田神宮の中吉、とどうやら上向きではあるようなので、是非とも初詣で大吉を引きたいものです。
2004年は、もう少し手前から仕事の出来る、落ち着いた大人の「ちょっとイイ女」目指して頑張ります。さて、勉強勉強。みなさんも風邪などひかずに頑張りましょう(^^)
明けましておめでとうございます。
No.972
明けましておめでとうございます。
今年もよろしく御願いします。
去年は本当にいろいろ行事などが有りましたが、いろんな意味で勉強になりました。今年も(?)いい年にしたいと思います!あ~でも、今年で2×歳(書くのが怖い・汗)!光陰矢の如しです。新しく入ってきた人に「おじさん」と呼ばれないように、またいろんな意味で頑張りたいと思います。
今年の目標:延慶本『平家物語』を手に入れて読破するぞ!
有意義な二十代最後の年にするぞ!
親をひとまず安心させるぞ!
この前みんなで撮ったプリクラで、一番Tさんのが目立つので、魔除けに丑寅の方角に張っとこうと思います(笑)。多分効きます。
魔除け???
田中裕紀
No.973
さて、自分の書き込みの修正に来たら、なんだか、Y本さんからよくわからない書き込みが入ってるんですけどっ!
魔除けに効くくらいなら、山本さんの「出会い」も除けられますよね(-o-)あー、楽しみ楽しみ♪
今年の目標(追加):ハンムラビ法典を遵守すること(笑)
未だ夜明けは遠く~byGLAY
野口 洋平
No.974
明けましておめでとうございます。年は明けましたが進路の決まらない自分には未だ夜明けは遠いようです。なんとか三月には今日の天気のような晴れやかな春を迎えられるよう頑張りたいと思います。
どうでもいい事ですが、30日忘年会でオール後、寝ないで部屋の片付けと論文の整理などを行い、そのまま電車で実家に。休む間もない状態でお婆さまの35日供養に出席、夜は親戚と宴会、しかも今日も…といった感じでかなりハードな年末年始を送っています(ほとんど自分の責任ですが)
なにはともあれ今年もどうぞよろしくお願いしますm(__)m
Re: A Happy New Year!!
末松憲子
No.979
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末年始は伏見稲荷とともに過ぎました。(巫女バイトではなく、地味なデータ入力です笑)
来年は修論でヒーヒー言いつつも、また伏見稲荷に行っていることと思います。稲荷研究の身としては、季節限定の趣味バイトという感じですし、就職浪人していない限りはもう二度と出来ない仕事ですからねー。
さて、その稲荷の仕事場ですが、意外なことにゼミメンバーにお会いしました!先日の晴明ツアーに参加していた三宅さんという方です。
前年のバイトの時も一緒だったので、三宅さん自体は知っていたのですが、まさか野口ゼミに顔を出していたとは!京樂先生の所の学生さんだったんですねー。
またゼミに顔を出したいと言っておられましたよ。特に夏休みにやった平安遺文に興味を持たれていました。
2004年!!
谷垣有香
No.965
あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。今年も頑張って勉強していきますので、よろしくお願いします。
〉山田先生
1月4日放送のの「世界遺産」、今から楽しみにしています。
Re: 2004年!!
No.967
明けましておめでとうございます。
昨年はこちらこそお世話になりました!
昨年谷垣さんがこのゼミに入ってきてくれたのをきっかけに一気に10人近くの新入ゼミ員が増えたことは、本当に大きな出来事です。(危うくこのゼミが私の代で途絶えそうな危機すら感じていましたから・・・笑)
そして、また紫苑の原稿執筆も初めてのことで大変だったでしょうがよく頑張ってくれましたね。
本当にありがとう。
今年も色々お願いすることもあるでしょうが、よろしくお願いいたします!!
山田邦和先生監修テレビ番組 の御案内
No.958
新年正月四日(日)23:45~24:15毎日放送『世界遺産』「古都京都の文化遺産Ⅳ」。ゼミメンバー必見のこと。
>ゼミメンバー諸姉兄
本日の笠さん歓迎会の席でも話したことですが、新年正月は第二・第四木曜日の定例会が試験などのために開催不可能なため、別の日程を御検討下さい。研究報告希望の人があれば、平田さんまたは永富さんにお申し出下さい。
なお、10日(土)に神戸大学で開催されるシンポ「平家と福原京の時代」への参加を例会に代わる一月のゼミの公式行事としたいと思います(このシンポは、報告者の名前を見ただけでも圧倒されてしまいそうで、ちょっとこういう機会は得がたいと思います)。授業などにぶつからない方は、積極的に参加を申し込んでください(定員100名のみなので、お早めに)。
>『歴史手帳』04年版を申し込んだ人・代金未納の人
8日以降、在室予定参照の上、御都合の良いときに研究室においで下さい(代金は640円です)。
Re: 山田邦和先生監修テレビ番組 の御案内
山田邦和(花園大学・考古学)
No.964
野口先生、みなさま、新年あけましておめでとうございます。
「世界遺産」のご案内、ありがとうございました。
とはいっても、私は放送局の原稿にちょこっと手を入れただけですので、「監修」とはおこがましいのですが・・・ まあ、最後のテロップに一行だけ名前が出ると思います。
とはいうものの、この「世界遺産」という番組、いつもなかなか質が高いので、続けて御覧になっても損はしないと思います。
それでは、本年もなにとぞよろしくお願いいたします。
忘年会☆
広政 愛
No.957
伝説の笠さんにお会いできて大変光栄でした!
永富さん、おいしいお店を紹介して下さってどうもありがとうございました。
その後も楽しかったです。
また近いうちにあるといいなぁ・・・。
(文が短いですね・・・。)
P.S
広政 愛
No.959
野口先生ごちそうさまでした!
あんなに沢山食べたのにあんなに安く・・・。
↑ご苦労様でした。
No.961
お店が空いていたのを良い事に長居しすぎてしまいましたが、なかなかおしゃれな店で、とても楽しい時間を過ごせたと思います。
>笠さん
席が少し離れていたので、笠さんとこってりお話出来なかったのが残念ですが、初詣報告等も掲示板のほうへよろしくお願いします。(地元人は、いつもの所に行くことが多いので...)
>カラオケ参加者
やっぱり、山口百恵が良かったです♪
生きていく中でいろんな出来事や節目に「テーマ曲」があるみたいで、カラオケの中でいろんな人のエピソード?を垣間見た気がします...。
できれば、エアロスミスよりは「階(きざはし)」に注目してほしかったですが(^_^;
おまけのおまけですが、阪急百貨店で荒木さんと遭遇しました!
いつも宴会ごとに参加して、宴会担当みたいになっていますが、また機会があれば呼んでください☆
Re: 忘年会☆
広政 愛
No.962
年の差って、たった数年ではないですか!
私は永富さんや田中さんのような素適なアネゴに早くなりたいなぁといつも思っておりますのに・・・。
それにメドレーは2001年のより93年の方が知ってる歌が多かったです、実は(笑)。
(選んで下さった野口さんすみません)
アネゴ・・・!?
田中裕紀
No.971
アネゴとはとんでもないですよ。山本さん辺りから邪険に扱われるので、今のままカワイイキャラで進んでくださいな。
忘年会は、あれから姉に作ってもらった大事なイヤリングを落としたことに気が付き、大慌てで道を引き返したのでした。(ちゃんとありましたよ)また修論明けに遊びにいきましょう