源義光と承久の乱に関する画期的な研究
No.9802
第一線で活躍されている研究者の方たちとの会合の席で人名を混同して恥をかくなど、おのれの耄碌を実感する毎日を過ごしておりますが、なにしろ困るのは、休んでも、なかなか疲労が回復しないことです。これから人並みに活動するには、人並み以上に休む時間を確保せざるを得ないと思います。
「休む」という形態は、人によって様々だと思いますが、私は何しろ家に戻って安静にしているのが一番のようです。いろいろ大変でしたが、一晩休めば翌日は全力で動けた、あの若い時分の体調がいとおしく思い出されます。
若さと健康こそ最大の財産。元気な若者は落ち込むことなかれ。
☆ 当ゼミの古参メンバーで、草創期における活況の立役者のお一人である田中(丸山)裕紀さんから、御高論「『延慶本平家物語』における八条院」収録の関西軍記物語研究会編『軍記物語の窓 第四集』(和泉書院)を御恵送頂きました。
だいぶ前に頂いたのですが、例によって???信じがたいような一騒動がありまして(ゼミにまつわるエピソードとして長く語り伝えられそうです)御紹介が遅れてしまいました。
田中さんにあつく御礼を申し上げます。
そこで、思い出しましたが、田中さんと出身大学が同じで、やはり草創期の活況に貢献してくれた長村祥知君から御高論「〈承久の乱〉像の変容-『承久記』の変容と討幕像の展開-」(『文化史学』68)を頂きました。本欄では、手渡しで頂いた研究成果の御紹介は原則としてしない方針なのですが、この論文は中世の政治史や政治思想史の研究者のみならず、国文学を研究されている方にも是非読んで頂きたいので、あえて書かせて頂きました。
いずれにしても、承久の乱および『承久記』研究における画期的成果であることは疑いありません。
画期的成果といえば、これも同様。
☆ 明治大学大学院(DC)生の小野真嗣さんから、御高論「後三年合戦と源義光-河内源氏の東国進出を中心として-」(『駿台史学』146)を御恵送頂きました。
海道(常陸)平氏と清原氏との関係を前提に、源義光の北関東進出について極めて説得力のある論を展開された御研究です。私がかつて紹介した中条家文書「桓武平氏諸流系図」による知見が、ここまで発展してきたことには喜びを感じざるを得ません。
東国における源氏系武士団の研究に大きな進展をもたらした成果だと思います。
小野さんに、あつく御礼を申し上げます。
最近の東国武士の研究は北関東が盛んなようですね。
「休む」という形態は、人によって様々だと思いますが、私は何しろ家に戻って安静にしているのが一番のようです。いろいろ大変でしたが、一晩休めば翌日は全力で動けた、あの若い時分の体調がいとおしく思い出されます。
若さと健康こそ最大の財産。元気な若者は落ち込むことなかれ。
☆ 当ゼミの古参メンバーで、草創期における活況の立役者のお一人である田中(丸山)裕紀さんから、御高論「『延慶本平家物語』における八条院」収録の関西軍記物語研究会編『軍記物語の窓 第四集』(和泉書院)を御恵送頂きました。
だいぶ前に頂いたのですが、例によって???信じがたいような一騒動がありまして(ゼミにまつわるエピソードとして長く語り伝えられそうです)御紹介が遅れてしまいました。
田中さんにあつく御礼を申し上げます。
そこで、思い出しましたが、田中さんと出身大学が同じで、やはり草創期の活況に貢献してくれた長村祥知君から御高論「〈承久の乱〉像の変容-『承久記』の変容と討幕像の展開-」(『文化史学』68)を頂きました。本欄では、手渡しで頂いた研究成果の御紹介は原則としてしない方針なのですが、この論文は中世の政治史や政治思想史の研究者のみならず、国文学を研究されている方にも是非読んで頂きたいので、あえて書かせて頂きました。
いずれにしても、承久の乱および『承久記』研究における画期的成果であることは疑いありません。
画期的成果といえば、これも同様。
☆ 明治大学大学院(DC)生の小野真嗣さんから、御高論「後三年合戦と源義光-河内源氏の東国進出を中心として-」(『駿台史学』146)を御恵送頂きました。
海道(常陸)平氏と清原氏との関係を前提に、源義光の北関東進出について極めて説得力のある論を展開された御研究です。私がかつて紹介した中条家文書「桓武平氏諸流系図」による知見が、ここまで発展してきたことには喜びを感じざるを得ません。
東国における源氏系武士団の研究に大きな進展をもたらした成果だと思います。
小野さんに、あつく御礼を申し上げます。
最近の東国武士の研究は北関東が盛んなようですね。