傍らに人無きがごとし。

No.9655

 雨上がりの日曜の夜。また、京都郊外の狭い建て売りの住宅地に住んでいる友達の家の隣人がバーベキューを始めたとのことです。まさに「傍若無人」。
 かつては、共生こそ京都都市民の文化であったはず。それを現代の京都人、しかも近郊住宅地の住民の意識にまで敷衍するのは無理な話でしょうか。

 平治の乱の評価は平清盛と源義朝の戦いに矮小化されるべきものではありませんが、その部分だけを取り上げるのなら、昔から、興味津々に思っているのは、上総広常ら義朝配下の東国武士がどのようなルートで帰東を果たしたのかということ。
 広常の場合、のちに尾張の原氏(良峯氏)と姻戚関係にあったことが知られるから、その援助を得たものか。いずれにしても、かれらは既に東海道や東山道の各所にネットワークを張っていたのでしょう。当時の東国武士は人生のかなりの時間、在京生活を送っており、歌も詠めるし、ドラマに描かれるほどに粗野ではありませんでした。

 平治の乱について勉強したい人は、元木泰雄先生の『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス)を図書館で借りてくるか、近く刊行される『保元・平治の乱 平清盛 勝利への道』(角川ソフィア文庫)を待つのがベスト。それ以外の関連書籍をお読みになっても、必ず最後は元木先生の御著書でしめて下さい。

 政治史的評価云々よりも、義朝の東国への逃走など、枝葉末節な合戦話にこそ関心があるという向きには、拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)で十分かと存じます。

 それから、私が現在校正中の本というのは、山川ブックレットの『源義家』です。副題はいろいろ迷ったあげく『中右記』の一節から「天下第一の武勇の士」といたしました。順調に進めば、9月末頃には世に出ることになります。

 それにしても、近藤好和先生が今回の大河ドラマを御覧になっていなくて本当に良かったと思います。
 なにしろ、とくに合戦の場面は、専門外の私が見てもあんまりですから。

 【追記】 先ほど、「日本の古本屋」を見ておりましたら、早稲田の古本屋さんに(幻の)拙著『坂東武士団の成立と発展』(弘生書林)が出ておりました。

 六波羅・法住寺殿跡の歴史散歩

No.9654

 まずは、管理人の鈴木君にお礼を申し上げます。

 さて、本日の歴史散歩。幸い、雨に降られることもなく無事に終了することが出来ました。ただ、このところ胃腸の具合が悪いため、朝昼食事抜き、栄養ドリンク一本のみで臨んだためか、さすがに疲労困憊の有様。
 手前勝手な案内と解説にお付き合い下さった市民の皆様、私のレールをはずれた話にかなりヤキモキされたことと思われる主催者京都文化博物館職員の方々、それに、ボランティアでお手伝いいただいた佐伯君と当ゼミ生の池嶋さん・滝沢さんに、心よりお礼を申し上げます。
 しかしながら、終了後のお茶の席(於、女坂の「里」)に至ってまでも毒舌吐き放題の為体、まったくもって、われながら老耄の醜態としか言いようがありません。御寛恕の程。
 これで、前期末までの間での大きなイベントは終了。心置きなく校正作業にとりかかれると思いましたが、提出期限は10日(必着)ですから、如何ともし難い有様です。
 こんな状態の時でも、一念発起して頑張れたのは40代の頃までか。

 ところで、明日(もう本日か)放送の例の番組ですが、予告がやたらに流されているので見せていただいたところ、なにやら「平治の乱」を源平合戦と割り切ってしまうような脚色がされている様子で、驚くべきことに六条河原の合戦では平清盛と源義朝が歩行立ちの斬り合いをするようです。
 ちなみに、保元・平治の乱に関する一般向けの本の決定版でありながら品切れになっていた元木泰雄先生の『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス)は、近く『保元・平治の乱 平清盛 勝利への道』と改題して(角川ソフィア文庫から再刊されるとのことです。もう予約殺到のようですね。

 〈自戒〉 けっせきでけっせきとならないように。

No.9652

 蒸し暑いですね。明日はやはり雨儀になるのかな?

 トップページから掲示板を開いていたので、昨日まで、しばらくメンテナンスが続くのかと誤解しておりました。
 管理人の鈴木君が何か新しいことにチャレンジしてくれているのだと思います。乞うご期待といったところでしょうか?

 それにしても、昨日はⅢ講時の講義後、研究室には千客万来の新記録?。まず学生さん(2回生)、ついで放送局の方、博物館の方、ゼミ古参メンバー、本屋さん、学生さん(1回生)、新聞社の出版センターの方・・・。そんなわけで混乱してしまい、失礼な対応しかできなかったことをお詫び致します。

 お知らせが遅くなってしまいましたが、7月2日(月)付『京都新聞』夕刊に、長村祥知君が京都文化博物館で開催中の特別展「平清盛」に出展されている『兵範記』の解説記事を書かれています。

 ところで、この夏、「京都の歴史」について、もっと勉強したいという方へ、古代学協会と朝日カルチャーセンターの共催講座の御案内。

  ◇7月7日(土)10:30~12:00
   田中俊明(滋賀県立大学教授)「国際交流都市平安京 ―新羅・渤海・唐との関係―」
 ◇8月4日(土)10:30~12:00
   野口孝子(同志社女子大学嘱託講師)「祝祭空間と京都―王朝の賀茂祭巡行―」
 ◇9月12日(水)13:00~14:30
   関川尚功(前橿原考古学研究所主幹)「古代大和と京都」(仮題)
 ◆各講座、京都朝日会館8階朝日カルチャーセンターの教室で開催。
 ◆(財)古代学協会正会員は、会員料金。
  《お申し込み・お問い合わせ》朝日カルチャーセンター・京都
   〒604-8005京都市中京区河原町三条上ル京都朝日会館8階℡075-231-9693
編集:2012/07/09(Mon) 14:56

失礼いたしました

鈴木 潤
No.9653

掲示板のスパム対策をしていて、トップページの書き戻しを忘れていました。
申し訳ありませんでした。
とりあえず、海外から飛んでくる虫さんの対策はできたと思います。

この掲示板は、「清盛」放映に合わせて…ではないですが、掲示板のプログラムを一から書きましたので、気づいていない不具合等もあると思います。
必要な機能などがあれば、この掲示板でお知らせください。

 そのうちなんとか、・・・・・

No.9651

 火曜日の「基礎演習Ⅰ」の発表は大変充実した内容で、いろいろな側面から学ぶところ大きいものがありました。また、来週の発表も楽しみにしています。
 
 土曜日の歴史散歩は雨が心配ですが、いかに天気が悪くとも体力さえあれば・・・と考えてしまいます。

 今年はこのゼミに関係する若い研究者たちの人生にとって、それぞれ大きな画期の年になりそうな気配を感じています。

 暇を見つけながら新著の校正を進めていますが、ときに原史料に立ち戻って考え直さなければならない局面もあり、なかなか苦労しております。若いうちなら、すぐに思い出せたことが、思い出せても間違えていたりするというわけです。
 若者は、先の心配などしている暇があったら、勉強しなさい。そのうち、なんとかなるものです。

 ☆ 京都市埋蔵文化財研究所の上村和直先生より、御高論「平安京の変容」(『帝塚山大学考古学研究所研究報告』16) を御恵送頂きました。
 上村先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 国立歴史民俗博物館の井原今朝男先生より、先生が研究代表者である平成20~23年度科研基盤研究C「室町期禁裏・室町殿統合システムの基礎研究」の研究成果報告書を御恵送頂きました。
 井原先生にあつく御礼を申し上げます。

明日の「基礎演習Ⅰ」

No.9650

 雨は上がりましたが、今日はとても暑い一日でしたね。

 ところで、明日の基礎演習Ⅰの発表は、東城さんの担当。テーマは「在日朝鮮人の歴史と文化」とのことです。
 そういえば、明日がお誕生日だという人がおられましたね。えっ、まだ19歳?
 羨ましい限りであります。
 
 ゼミの史料講読会は、『玉葉』と『吾妻鏡』を着々と読み進めるばかり。

 六波羅は~今日も雨だった。

No.9649

 昨日の六波羅・法住寺殿跡の歴史散歩ですが、京都文博の植山先生(考古学)、私の補佐役を引き受けてくれた佐伯君、それに山本さん・池嶋さん・滝沢さんという精鋭メンバーで、鴨川河畔(珍しいものを見ました)を北上、松原通を東進(車が多くて歩きにくい)、六道の辻(幽霊飴のお店の前)から六波羅蜜寺の前を南進して池殿町、さらに五条通を渡って(東山郵便局の脇)、大和大路を南下して三十三間堂・後白河天皇陵(ここで池嶋さんから、院政期の「権門都市」の本質を突く、よい質問あり)、最勝光院跡、そして今熊野神社まで、ちょうど2時間程で歩きました。
 歩数でいうと1万歩弱くらいでしょうか。空は曇っていたのですが、蒸し暑く、耄碌と病み上がり(上がっていませんが)が重なって、私はとても疲れました。
 ほんの数年前までは、このくらい歩いても何でもなく、案内の話も陽気に楽しく弾んだものですが、これでは来週が思いやられます。ただ、今熊野神社で礼式に叶わないやり方ながらも、一応「茅の輪くぐり」をして参りましたので、健康の回復は叶うかも知れません。当日用のレジュメ原稿やおまけの配付資料も植山先生にお渡しできましたし、あとはお天気次第でしょうか。

 さて、本日のお話に関してですが、一事が万事とはよく言ったもので、
 「三条殿」は「さんじょうでん」では×。「さんじょうどの」○です。脚本のルビは正確にお願いしたいものです。
 
 平治の乱に関しては、いまだに『平治物語』に依拠した旧説が大手を振っておりますが、今日の歴史学の水準を知りたければ、元木泰雄先生の『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス)・『平清盛と後白河院』(角川選書)・『河内源氏』(中公新書)を御覧なるに如かずです。それから、藤原信頼の評価については、通説は本当に不当なものであるとしか言いようがありません。
 平治の乱における平清盛と源義朝の合戦の様子や、とくに義朝の東国への逃走の過程、さらに頼朝の伊豆配流の問題については、拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)の第2章「 調停する義朝―坂東の平和と平治の乱」2「平治の乱における義朝」と、第3章「 起ち上がる頼朝―軍事権門「鎌倉殿」の誕生」1「伊豆配流」に詳述してあります。 

南九州と東北から

No.9648

 ☆ 2005年夏のゼミ旅行の際に大変お世話になったミュージアム知覧の上田耕先生と新地浩一郎先生より、以下の御高論と共に、南九州の歴史に関わる多くの資料をお送り頂きました。
 新地浩一郎「『川邊名勝誌』(大正写本)一」(『南九州市薩南文化』3)
  同 「史料紹介「川邊村教授資料」(明治四十一年)」(同 4)
上田 耕「猿山陣跡の縄張構成について」(同 3)
  同  「知覧浮辺の愛宕講と将軍地蔵像について」(同 4)
同 「鹿児島 本土最南端の戦跡群-沖縄戦から本土決戦に向けて-」(『季刊考古学』116)
  同  「薩摩における在来製鉄技術-南九州の鉄づくりの歴史から-」(薩摩のものづくり研究会『集成館溶鉱炉(洋式高炉)の研究』薩摩藩集成館溶鉱炉跡発掘調査報告書)
  同  「鹿児島城(鶴丸城)二之丸跡から発見のキリシタン瓦とその背景(報告)」(『南九州の城郭』30)
  同  「【調査報告】猿山陣跡の発掘調査と縄張図」(同 31)

 新地先生・上田先生に、厚く御礼を申し上げます。
 機会があったら、また、鹿児島を訪れたいものですね。

☆ 東北福祉大学岡田ゼミナール・岡田清一先生より、『平成23年度 岡田ゼミナール研究年報 宮城県角田市調査報告書-地域研究の方法と課題-』および岡田清一「小高から中村へ-戦国武将相馬義稙の転換点-」(『東北学院大学経済学論集』177)を御恵送頂きました。
 岡田先生ならびに岡田ゼミナールの皆様に、あつく御礼を申し上げます。

 6月30日(土) 六波羅・法住寺殿跡見学会の案内

No.9645

 昨日は、一部の方はお気づきであったかも知れませんが、ゼミの途中(16:30頃)から体調に異変が生じておりました。痛み耐え難く、帰宅途中、内科の医院に駆け込むという事態に陥りましたが、幸い、症状そのものは軽快の方向に向かっております。

 痛みの再発はないであろうという楽観的観測を前提として、30日(土曜日)に予定している史跡見学会は予定通り実施するつもりです。
 この見学会は、ゼミメンバーを対象とする私的な勉強会として行いますが、7月7日(土)に予定されている京都文化博物館主催の特別展「平清盛」関連イベントの歴史散策『清盛ゆかりの地を巡る』の下見を兼ねたものといたしますので、その関係者(法住寺殿武将墓の発掘調査を担当された植山茂先生もお出でになります)や、当日お手伝い頂く立命館大学非常勤講師の佐伯智広さん等も同行して下さることになっています。
 行程は2時間の予定ですので、六波羅蜜寺とか三十三間堂の内部の見学はありません。六波羅・法住寺殿の立地空間について、かなり専門的な説明をしながら歩くつもりです。今回は一般市民の方が対象ではありませんから、「観光」気分ではない歴史散歩を意図しています。

 【集合場所等の確認】
 日時:2012年6月30日(土)
 集合場所:清水五条駅(京阪)の地上出口(五条通北・鴨川東)
 集合時間:13:30

※ 当日、直接お出でになっても構いませんが、資料が必要な人は参加の意志を事前に連絡して下さい。
編集:2012/06/28(Thu) 12:42

 うれしやみず~「法住寺合戦」へのお誘い

No.9646

 上記、6月30日の資料については、ゼミメンバーであっても事前連絡の無い方の分は用意できませんので注意して下さい(当たり前のことですが、そんな雰囲気なので)。

 なお、同じ6月30日には、名古屋で中世史研究会の例会が開催され、長村君が研究成果を発表されます。
++++++++++++++++++++++++++++++++++
   ◇中世史研究会6月例会◇
   報告者:長村 祥知 氏
   題 目:「中世前期の在京馬政機関」
   日時:2012年6月30日(土) 14: 30~17:00 (開場14:00)
   会場:名古屋大学文学部127講義室
     (地下鉄名城線 名古屋大学駅下車1番出口より西へ徒歩5分)
++++++++++++++++++++++++++++++++++
  ところで、昨夜、学習院大学の兵藤裕己先生から、夏休みのゼミ旅行で京都に行くので、先年のように、法住寺殿跡のあたりの史跡案内を願いたいという旨のお電話がありました。 旅行の日程は9月3日(月)~5日(水)とのことで、京都駅から近いので到着後すぐ、すなわち3日に、というお話でした。無論、了解いたしました。
 ゼミメンバーは帰省中の方も多かろうと思いますが、在京中の方は予定に入れておいて下さい。また、兵藤先生ゆかりの古参メンバーの方たちも、是非お出かけ下さい。
 なお、本年度、兵藤先生のゼミの人数は、大河ドラマの影響によるものか、大人数であるとのことです。なにも合戦を企てるつもりはありませんが、「衆寡敵せず」か?
編集:2012/06/28(Thu) 11:45

 大河ドラマの功罪

No.9647

 先日、公開講座で御講演を頂いた京都大学の元木泰雄先生が、6月26日(火)付『京都新聞』朝刊の文化欄に「大河ドラマの功罪」というタイトルの一文を寄せておられます。
 ぜひ、御一読下さい。

明日の基礎演習と史料講読会

No.9643

 ちょっとバテ気味のために、お知らせするのが、すっかり遅くなってしまいましたが、明日の「基礎演習Ⅰ」は辻本さんの発表。
 テーマは「低価格航空会社について」とのことです。
そういえば、最近、「スカイマーク・サービスコンセプト」が問題になったことがありましたね。

 ゼミ史料講読会の時間には、岩田君御出演のテレビ番組を見そこなった人のために、なんらかの対策を講じておくつもり。また、土曜日の公開講座の感想もうかがいたいと思います。

七月の吾妻鏡

No.9644

 先日の公開講座では、元木泰雄先生、服藤早苗先生のお話を伺うことができました。大河ドラマで関心の集まるテーマにも多く触れられた、まことに時宜にかなったご講演をしていただいたと存じます。
 両先生とご来場いただきました皆さまに御礼申し上げます。

 さて、次回は7月となる『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年7月3日(火)午後4時すぎ~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建仁三年(1203)十月二十六日・二十七日、十一月三日・六日・十日・十五日・十九日、十二月三日・十三日・十四日・十五日・十八日・二十二日・二十五日
    建仁四年(元久元年、1204)正月十日・十二日・十八日、二月十日・二十日、三月九日・十日・二十二日・二十九日、四月一日・十日・十六日・二十日・二十一日、五月六日・八日・十日・十六日・十九日、六月八日・十九日・二十四日・二十六日、八月三日・四日・十五日・二十一日、九月一日・二日・十三日・十五日、十月十四日・十七日・十八日、十一月四日・五日・七日・十三日・十七日・十八日・二十日・二十六日、十二月十日・十八日・二十二日の各条

 また、火曜日の『吾妻鏡』は7月は3日、10日、17日、24日に開催予定です。よろしくお願いします。

 わけあって開始時間を四時過ぎに変更させていただいております。メンバーのみなさんにはご迷惑・ご不便をお掛け致しますが、よろしくお願い致します。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

 公開講座の御礼&京都女子大学から眺める平家

No.9642

 昨日の公開講座http://www.saigaku.ac.jp/outline/upimg/201205221616221189201657.pdfは、前代未聞の盛況ぶりでした。御来場者数は300名に近かったようです。
 講師の先生方、コメントをお願いした先生方、それから宗教教育センターの職員のみなさん、そしてゼミメンバ-・関係者諸姉兄に、さらに御来場下さった皆様すべてにあつく御礼を申し上げます。
 また、広島・熊本などからお出で下さった方やゼミの古参メンバーから、たくさんのお土産を頂いたことにも、あわせて御礼を申し上げます。

 当方、情けないことに、一夜明けた後も、すっかり疲れ果ててしまっておりますので、今回も以前に『芬陀利華』に書いた拙文を貼らせて頂くことにします。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

           ◇ 京女から眺める平家 ◇
【平家の六波羅】
 今年はNHKの大河ドラマで平清盛が放送されています。その主人公である平清盛が本拠にしたのは六波羅。鴨川の東、現在の五条通の北側を中心にした一帯がその故地です。
 清盛の率いた一門を平家と称しますが、平家がこの六波羅に関係をもったのは清盛の祖父正盛のときでした。十二世紀の初め、正盛はここに自分のための墓堂を建てました。六波羅は平安京の左京六条の末(すえ)、すなわち左京六条を鴨川の東岸に延長したところにあって、ちょうど、葬地である鳥辺野(とりべの)への入口にあたりますから、鴨川が三途(さんず)の川にオーバーラップするというわけで、平安京に住む人々にとって、ここは、この世とあの世の境界として意識されていた空間だったのです。
 この正盛の堂を取り込むかたちで一町規模(約一二〇メートル四方)の邸宅を造営したのが、正盛のあとを継ぎ、瀬戸内海の海賊討伐のみならず、白河・鳥羽両院の近臣として並々ならぬ手腕を示した忠盛です。
 その子清盛は、平治の乱後、国家の軍事警察権を掌握して、公卿の地位に昇り、ついには王家(天皇家)の外戚となって国政をも掌握しました。これと並行するように、六波羅の拡大も著しいものがあり、本邸である清盛の泉殿(いずみどの)を中心に、弟の頼盛の池殿(いけどの)、教盛の門脇殿(かどわきどの)をはじめとする一門の居邸がたちならび、周辺には平家に仕える家人・郎等の宅が軒を連ねることになります。六波羅の東南の角で、山科に抜ける道路(渋谷越)に面した場所には、清盛の子で内大臣に任じた重盛の邸宅小松殿(こまつどの)がありました。その位置は、おおよそ現在の馬町交差点の辺りに比定することが出来ます。現在、その近くの東山武田病院には広大な池を備えた積翠(しゃくすい)園という名庭があり、小松殿の遺構である可能性が指摘されています。

【平家の女たち】
 ところで、平家の繁栄が清盛をはじめとする男たちによって担われたのに対して、一門の女たちは、父や夫に従うばかりで、主体的意志を発現する機会などなく、歌を詠んだり、楽器を奏でるような風雅な毎日を送るに過ぎない存在であったかのようにイメージされがちです。しかし、それは『平家物語』の情緒的なエピソードや近代の家族制度を前提にした理解であって、正しいものではありません。過去の事実を解明するのは歴史家の仕事ですが、歴史家も歴史的存在なのです。つまり、「男社会」が常識の時代の歴史家は、その価値観で歴史を解釈してしまったのです。
 たとえば、平治の乱(一一五九年)の後、謀反人として六波羅に連行されてきた源頼朝を見た池禅尼(いけのぜんに・清盛の継母)が、早世した息子に姿形が似ているのに心を動かされて、清盛に頼朝の助命を泣いて嘆願したという逸話について、従来は、池禅尼の母性と清盛の寛大さという次元で評価されていました。しかし、近年、中世における女性のあり方に関する研究が進んだ結果、このとき、平家一門の家長権は故忠盛の正妻であった池禅尼に属しており、しかも彼女は頼朝の母方に連なる人々との政治的関係が深く、その意志を代弁する形で清盛に助命を働きかけたという事実が明らかにされています。
 同じように、清盛の妻時子(二位尼・にいのあま)は、清盛が福原に退隠すると京都に常住。清盛の死後、プライベートな立場におけるリーダーとして、平家一門の要のような役割を果たし、ついには安徳天皇とともに壇ノ浦で入水するに至るのです。また、彼女の異母妹で後白河院の寵愛を一身に集めた建春門院(滋子)は、かつては「美貌」のみによって語られるような存在でしたが、実は院が熊野詣などで不在の間は、彼女が政務を代行していた事実が解明されました。彼女は、ただの飾りのお人形などではなかったのです。さらに、ともすれば悲劇のヒロインのように描かれがちな建礼門院(徳子・清盛の娘で安徳天皇の母)も、一門都落ちの後、公的な形で宗盛と並んで平家を代表する立場にありましたし、晩年を鎌倉幕府の支配下に置かれた六波羅を見下ろす東山鷲尾(現在、高台寺のある辺り)で過ごしたのでした。

【女性の視角】
 平家を滅ぼした後、鎌倉に幕府を樹立した源頼朝の仕事を完成させたのも、彼の妻政子でした。彼女は頼朝の後を受けて将軍の座に着いた息子たちの死後の混乱を見事に収拾して、幕府に安定をもたらしています。彼女は朝廷との交渉にも臨み、そのために上洛も遂げていますが、そのときに滞在したのは六波羅でした。平家滅亡後、頼朝はかつて池禅尼が住んでいた池殿の場所に、南北二町という広大な将軍邸を造営していたのです。
 ところで、この三月、建春門院の御所のあった最勝光院跡の現地説明会が行われました。場所は大谷高校の西側、本学から歩いて十五分ほどのところです。最勝光院は蓮華王院(三十三間堂)とともに後白河院の御所法住寺殿(ほうじゅうじどの)の一画を占めていました。院の御所は現在の国立博物館の辺りにも広がっており、六波羅はその北端に接していたのです。本学は、その全域を見わたすことのできる、素晴らしい場所に立地しているというわけです。
 「男社会」史観を脱して振り返ると、これまでとは違った歴史が見えてくる。こうした取り組みは、男社会の呪縛から解放された、とくに女性の研究者によって近年、精力的に進められました。おそらく、「男社会」というフィルターは、歴史学のみならず、あらゆる学問ジャンルに存在するものと思います。そうした意味からも研究主体としての「女子大」の存在意義はつよく主張できるのではないでしょうか。
 以上、満開の桜の木々の隙間から六波羅や法住寺殿の故地を眺めながら、思いつくままに綴ってみました。最後になりましたが、平家がその全盛から滅亡にいたる時期が、まさに親鸞聖人の幼・少年期に重なることを確認しておきたいと思います。
        (『芬陀利華』第317号より )
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
☆ 東北福祉大学の吉井宏先生より、御高論「日欧の城郭について」(『東北福祉大学生涯学習支援室年報』13)および『宮城県岩沼市鵜ケ崎城跡(岩沼要害)』の第9~11次発掘調査報告書(各1冊)を御恵送頂きました。
 吉井先生に、あつく御礼を申し上げます。