笠さんご上洛

平田樹理
No.952

ご無沙汰しております。卒論提出後、初の書き込みです。しかしながら、まだまだすべきことが残っているので田中さん同様、年末年始もエンジン全開で突っ走りたいと思います(途中でこけないように)。
明日のお食事会ですが、実家に帰らなけらばなりませんので、参加できなくなりました。すみません。笠さん、すれ違いになってしまいますね。お会いできなくて申し訳ないです。皆さん、楽しんできてください。ご報告、楽しみにしております。

Re: 笠さんご上洛

No.954

明日の件、了解しました。お会いできなくなり残念ですが、よいお年を・・・
しつこいようですが、「紫苑」の原稿も「エンジン全開」でよろしくお願いいたします。笑

笠さん歓迎会&忘年会の件

No.951

MLでもご連絡いたしましたが、明日の歓迎会の集合場所を河原町阪急百貨店前から京阪五条駅に変更したいとおもいます。
ご連絡が直前になってしまい申し訳ありませんがお間違いの無きようお願いいたします。
ちなみに明日の会場は【アジアン レストラン 三里舞味(さりぶみ)】です。http://www.saribumi.kyoto.walkerplus.com/index.html

もしお時間のある方はここのメニューリストを参照の上、明日のオーダーを考えておいてくださいね(笑)

明日の参加者は
野口先生、笠さん、山本君、野口君、田中さん、鈴木君、廣政さん、永富の八人です。

壇ノ浦より帰洛いたしました。

No.950

 山口・長府・壇ノ浦の調査旅行から先ほど帰洛いたしました。この間、御連絡あるいは諸種御送付をいただいた皆様には、不在による非礼をお詫び申しあげます。
 おかげさまで、今回の旅行でも実に大きな成果をあげることが出来ました。山口では共同研究者の山田邦和先生の御高配により、山口市史編纂室室長古賀伸幸氏・文化財保護課主事増野晋次氏の懇切な御案内をいただいて大内氏館跡の見学をすることができました。多くの知見があった中で、とくに庭園遺構には目を見張るものがありました。そして、遺跡所在地の買い上げを積極的に進めて、調査・保護・復元を進めている山口市の文化財行政の方針には深い感銘を受けました。
 また、まさに完璧な小京都として知られる大内館を中心とする空間以外の、大内御堀とよばれるエリア、あるいは大内館からはるかに離れた山間に所在し、高度な技術によってくみ上げられた石垣遺構ののこる凌雲寺跡など、複雑な大内氏の権力構造を示唆する特殊な空間の存在を知ることも出来ました。
 長府では、これまた、山田先生に御用意いただいた、歴史地理学の山村亜希氏の論文「南北朝期長門国府の構造とその認識」(『人文地理』52-3,2000)を手にしながら、中世都市長府の空間を歩き回ってまいりました。
 壇ノ浦では、満珠島・干珠島から彦島に至る海域、海峡を挟んだ門司・下関の海岸線ぞいの地形、また安徳天皇内裏跡の伝承地などを、小雨と日差しの交錯する天候の中、自らの目と脚で確認して来ました。赤間神宮に参拝したことはもちろんです。
 このほかにも山口の瑠璃光寺五重塔・常栄寺雪舟庭、宇部市宗隣寺の庭園など、感興を催された見学地はたくさんあるのですが、それらについては後日機会がありましたら、お話しさせていただきたいと思っています。また、調査の成果をふまえた論文は、再来年以降に刊行される研究所紀要などに発表の予定です。
 以上、とりあえず帰洛の御報告まで。なお、22日夜以降、大学研究室あてにメールを送信された方は、しばらくパソコンを開く機会がありませんので、お急ぎの御用の場合、お手数ながら、自宅宛に再送信をお願い申しあげます。

ご報告

山口博史
No.955

大学の方のメールに入れましたが、ご自宅のアドレスを失念いたしましたので、この場を借りて報告させていただきます。
ご紹介くださいました母利先生、歴史ハイキングの講師お引き受けくださいました。ただ、希望しておりました3月14日ではなく、4月になりますが。コース、テーマ等詳細についてはまだ詰まっておりませんが御案内いただくということで進めております。今年も色々とお世話になり有難うございました。
なお、貴船神社についてはなかなか史料は見つかりませんが、祭神などを調べておりますと面白いです。また、「平家物語」通して読んだことがありませんが、屋台本に貴船が登場する場面があるということなので読んでみたいと思います。
それでは良いお年をお迎え下さい。

名古屋大学集中講義

No.949

しばらく掲示板が止まっているようですね。
24・25日と、世間がクリスマス一色に染まっている頃、名古屋大学の集中講義に行って来ました。修論提出一ヶ月前なので、本当に無謀なことは重々承知の上でしたが、テーマが「延慶本『平家物語』を多面的に読む」ということでは、「どうしても聞きたい!!」と、名古屋大の先輩を頼って京都を飛び出しました。
阿部泰郎氏(名古屋大)「中世日本の領域と延慶本『平家物語』ー中世宗教テクストの世界からー
佐伯真一氏(青山学院大)「延慶本研究はどこまで来たかー全注釈の船出を前にー」「延慶本の言葉から日本中世を見つめる」
牧野淳司氏(学術振興会)「延慶本『平家物語』における弘法大師と真言宗」
大島薫氏(関西大)「康頼をめぐる物語の形成」
松島周一氏(愛知教育大)「治承五年前半期における内乱の状況と平家物語」
櫻井陽子氏(駒沢大)「延慶本『平家物語』の「古態性」をめぐってー巻六「高野御幸」記事を糸口にー」
という、いま最も着目されている研究を二日間という短時間で聞いて、現在「栄養過多」の状態です(笑)「栄養過多」の現段階で、どこまで私の中に吸収できているかは分かりませんが、本当に勉強させていただきました。
 特に、現在佐伯先生が準備をしていらっしゃる「延慶本の全注釈」は、その緻密な作業に驚かされました。とても言葉では説明できません。(資料として部分的に公開していただいたので、今度お会いしたときに皆さんにもお見せします)
 色々な先生方とも、懇親会の席でお話をすることが出来て、大感激の二日間でした(まだまだミーハーです(^^;)神戸大の高橋昌明先生もお見えになって、先生から「楠・荒田遺跡」のシンポジウムの告知がありました。二日目には源健一郎先生や近藤好和先生もお見えになりましたよ。近藤先生にはご挨拶できなかったのが残念でした。この掲示板も、どうやらご登場には至っていないまでも、ちょくちょく覗いていらっしゃる先生方もおられるようですよ。是非ともご登場いただきたいものです(^^)
 本当に治承寿永内乱期の勉強をしている人も、そうでない人も、国文の人も歴史の人も、ぜひとも聞いていただきたい講義の数々でした。ということで、資料がご入り用の方はお申し付け下さい。私のキタナイ書き込みには目をつぶっていただきます。
 で、今日は国宝の犬山城を見学して、頼朝のお母さんの実家である熱田神宮にお参りして帰ってきました。エンジン全開で、あと一ヶ月がんばります!!

四条の鳥辺野。

No.946

 ようやく、NO.796で御紹介した「藤原新也展」を四条の何必館に見に行く機会を得ました。源先生がNO.819で御感想を述べておられますが、小生も往事の鳥辺野に佇んだような感慨をおぼえました。外に出ると、入館したときに降りしきっていた雪はすっかりあがって、暖かい日差しが四条通にさし、南座の顔見世興行の看板がきらきら輝いていました。
 京都文化博物館で同僚だった畏友、故山下秀樹氏への追悼文の掲載された同博物館の研究紀要『朱雀』第15集は今朝、手にいたしました。

未練と充実感と

長村祥知
No.943

本日、同志社大学は卒業論文提出日でした。
元木先生の丁寧なご指導と野口先生の励ましとを頂きながら、すべてを内容に反映させる事は出来ず、できたのは体裁を整えることだけでした。
今年は卒論の作成だけでなく、教育実習、能の間狂言、院試、狂言の舞台、とそれぞれ大きな出来事が重なりました。
全てにおいて自分の未熟さを痛感しました。未練が残りました。
しかし、その毎日が大切な時間であったことは間違い有りません。区切りごとに、充実感が有り続けました。

久しぶりに開いたPCからは過ぎて行った時間が流れ出してきました。新しく参加されるメンバーのみなさまへの、今日限りのご挨拶です。時間を大切に。
大勝負の待っている皆様のご健闘もお祈りしております。

とにかくもう今日はふらふらです。

ドラマチックマン。

No.944

 長村君はいつも言うことが「劇的」です。卒論は拝読させていただきましたが、実にすぐれた内容でした。ゆっくり休んで、次は『紫苑』の原稿をよろしく。さて、明日は京女の卒論締切日です。
 今日は同志社のあと、『古代文化』の編集委員会、ついでその忘年会に出席してきました。帰りはなんとか、バスのある時間に六地蔵までたどり着きましたが、なんとも寒いのには参りました。みなさん、風邪などひかないよう、くれぐれもお気を付け下さい。

今日の推敲会。

村井 愛
No.941

今日は推敲会で貴重なご意見を頂き、ありがとうございました。
漢字や言葉の読み方に対して全くいい加減のまま生きてきた人生にも遂にボロが出ました(爆)今までは言葉の意味さえわかれば読み方なんて~♪と思っていましたが・・・、自分で書いた文章さえ正しく読めないなんて、なんと恥ずかしいことか。ってか、今まで「法皇」の読み方間違って認識してたなんて・・・!よくもまぁ京女の史学科に入学できたなって感じ!間違っていたことに気付けて良かったです。
いろいろ、恥かいたところも多かったんですが、何よりも恥ずかしかったのが「極道」です・・・・!ああ、もう、これはあの場に居た方々だけがわかればいいです。はぁ。ドジすぎる。

推敲はして頂きましたが、どうしても最後のまとめに無理矢理さを感じてしまいまう、自分が書いた論文なのに。感性が先走って、理論性が欠けてるような・・・。
今日指摘して頂いたところは勿論ですが、最後の方をもう少し練ってみます。ありがとうございました。

六波羅。

No.945

 村井さんは、六波羅について、多くの先行研究の成果を、自分なりに、上手にまとめ上げたと思います。読み方の間違いなど、時々、いわゆる「大先生」もやらかすことですから、まあ、仰るように若いうちに気がついたことを喜ぶべきだと思います。大いにドジって下さい。若い時にふんだドジは、結構、楽しい思い出になるものです。小生など「ドジの雪だるま」みたいなものです。
 25日の再提出まで、文章表現のみならず、先行研究の整理についても(すでに誰かが指摘していることと自分の考えを明確に峻別した形で述べることなども)、おおいに自ら推敲を重ねて、すぐれた研究ノートを完成させてください。期待しています。

Re: 今日の推敲会。

No.948

レスが遅くなりましたが、お忙しい中推敲会に参加していただきありがとうございました。
「自分が書いた論文なのに。感性が先走って、理論性が欠けてるような・・・。」というのは私も同じです・・・☆
この悪い癖をなんとかしなくてはといつも思うのですが(反省)
再提出まであとわずかですが、お互いにがんばりましょうね!楽しみにしています。

はじめまして

No.937

 鹿児島に住んでいます永山といいます。野口実さんにいつもお世話になっているものです。今回も、お世話になるついでといってはまずいのですが、この掲示板をご覧の方に御教示いただきたく、初めてお邪魔させていただきます。
 最近、鹿児島市の横井竹ノ山遺跡(発掘は鹿児島県埋蔵文化財センター)で面白い墨書土器が出土しました。その状況は概略以下の通りです。
 口径15cmほどの土師器の高台付埦が口縁を逢わせた形で埋められていました。古代の調査面は狭く、遺構はこれ以外には確認されていません。土師器は、2個とも内側・外側とも赤色顔料が塗ってあります。(外面は、口縁から4分の3程度が塗られています。鹿児島では、内外赤といってそれほど珍しいものではありません。)時期は、9世紀後半のものということです。上の(蓋)土師器に「肥道里」(おそらく人名)の墨書が体部外面に正位で墨書され、底部内面に「八万」と刻書されています。下の土師器には、計3字が体部外面に正位で墨書されています。「子」と「☆□」で、これは土師器の反対側に描かれています。五芒星の下の字は判読できません。
 横から見ると「肥道里」と「子」は、位置をそろえて書いてあり、だいたい南向きに置かれていました。したがって五芒星の方は、だいたい北を向いています。
 遺跡は、近世の参勤交代路のすぐ横にあり、交通路としては古代にさかのぼる可能性のあるところです。
 祭祀に関わるものであることは明らかだと思われますが、はたして具体的にどのような祭祀があり得るのか、もちろん可能性の話として、御教示いただければ幸いです

陰陽道研究上の重要史料。

No.938

 古代史を専攻されている方は永山先生をよくご存じだと思います。先生は鹿児島ラ・サール学園にお勤めで、隼人文化研究会の事務局を担当されるなど、古代史に限らず、南九州史全般にわたって大活躍されている方です。小生、鹿児島経済大勤務時より今に至るまで、たいへんお世話になり続けております。
 ここに御紹介いただいた遺物は、陰陽道的な呪術祭祀が地方社会でどのように行われていたのか、あるいは陰陽道そのものの社会的意味を究明する上で、きわめて貴重な史料だと思います。永山先生からの情報により、すでに、陰陽道を研究されている山下克明先生と花園大学の山田邦和先生には、御教示をお願いしているのですが、小生からも、出来るだけ多くの、様々なジャンルを御研究の方からの御教示をお願いするものです。
 なお、出土状況の写真はここで御覧下さい。
 http://maibun.net-shinwa.co.jp/f2.html

紫苑原稿

No.929

本日は「紫苑」の原稿の締切日でした。
提出してくださった村井さん、谷垣さん、お疲れ様でした。
平田さん、長村くんも卒論提出で大変でしょうが、原稿の方、お待ちしておりますのでよろしくお願いいたします。
明日の原稿推敲は16時30分より共同研究室にてです。
ご都合のつくかたはぜひご協力よろしくお願いいたします。

ゼミ忘年会の件ですが、山本隊長と相談の結果、28日にまとめて行うこととなりました。
一次会....笠さんを囲みながらランチ
二次会・・・カラオケorボーリング(当日のメンバーで相談して決めましょう)
という形にしたいとおもいます。
カラオケなら山本隊長念願の「シダる」が実現しますね(笑)
賞品をかけてボーリングで闘うもよしです。
28日の午前11時半に阪急百貨店1Fの看板前集合です。
二次会からの参加でも結構ですので、参加する人は永富までメールするかここにレスをください。よろしくお願いいたします。

やるべき時はやるものですね。

No.930

 永富さん、体調不良の中、頑張ってくれてありがとうございます。村井さんも谷垣さんも、締切厳守で御苦労様でした。どんなものを書かれたか楽しみです。「近頃の若者は」とか言いたくなるときもありますが、君たちはとても良くやっていると感心してしまいます。
 昔、「あばれはっちゃく」という子供向けのテレビドラマで、今は亡き東野英心(テレビで水戸黄門を演じた東野英治郎の子息)演ずるところの、はっちゃくのとうちゃんが「とうちゃん、情けなくて涙が出てくらあ」というセリフで主人公を毎回どやしつけていましたが、小生の場合「うれしくて、頼もしくて涙が出てくらあ」の心境です。
 28日は、おそらく原稿締切直前で大焦燥状態だと思いますので(実は今もそうなのですが)、一次会のみ参加(笠さんへのご挨拶)ということにさせてください。
 それにしても、「山本隊長」・・・なつかしい呼び名ですねえ。この隊長、ひょっとすると北陸道の武士団の存在形態に関する画期的な論文を仕上げるかも?しれませんよ。まあ、年齢相応ですが・・・期待しましょう。
>鈴木君 本日は宇治まで出動してくださり、ありがとうございました。
>京大院の佐伯君 お暇なときにでも、日本史研究会大会シンポのレポートを書き込んでくだされは幸いです。
>滑川さん 本日はお久しぶりでした。お願いしていた保立道久氏の論文コピーありがとうございました。頼んでいた方が忘れているなど、耄碌も極まれりです。失礼いたしました。この掲示板に、また元気なジャジャジャジャーンというやつを待望しておりますので、なにとぞ宜しく。そうだ、薗田さんも是非に・・・。

Re: 紫苑原稿

広政 愛
No.931

参加させてもらえますか?宜しくお願いします。
(感銘を受けたい・・・)わくわく。

Re: 紫苑原稿

No.932

 ほとんど、みかんとクッキーを食べに行っただけになってしまいましたが...野口邸の木になったミカンはとてもおいしかったです。
 某永富絵里子さんから、「あばれはっちゃく」って?というコメントをもらいましたので、調べてみました
http://members.at.infoseek.co.jp/bagwell/

 明日は、原稿の推敲という事ですが、みなさん頑張ってください。

東国武士の狼藉現代版。

No.933

 鈴木君。面白いサイトの紹介をありがとうございました。懐かしかったです。そうか、君たちの世代は「あばれはっちゃく」を知らないのかぁ。何と言っても、小生たちの世代は、網野善彦氏の言う「日本歴史の分水嶺」の第二番目(1960年代の高度成長期)の前後を股にかけて生きているのですからねぇ。
 それにしても、インターネットは便利ですね。今、YAHOOのニュースを見ていたら、面白いのがありました。春日若宮おん祭りの遷幸の儀のさい、静寂の中で神秘的に執り行われるべきこの儀式が、私語と携帯で台無しになったというのですが、記事(毎日新聞配信)に「大学のゼミ生らとみられる女性中心の約600人の集団が、神の行列の来る直前まで、関東ふうの発音でべちゃくちゃ。さらに、あちこちで携帯電話が取り出され・・・」とあったのには笑ってしまいました。この記者さんは、東国武士嫌いの順徳天皇みたいですね(『古今著聞集』参照)。武士は女子大生に置き換えられていますが。

あばれはっちゃく!!!

田中裕紀
No.934

「あばれはっちゃく」という言葉を久しぶりに聞きました。内容はまったく覚えてませんが、我が家では見ていた記憶がありますよ。永富さんとは3つしか離れてないはずなんですけどねえ・・・。ちょっとしたジェネレーションギャップを感じます。こんな時は山本隊長とツルんでしまいます(笑)(気が付けば、ゼミでも上から数えたほうが早いのです。自覚はありませんが。)
 春日若宮の遷幸で私語とは・・・。昨年、雨の中で見た覚えがありますが、携帯電話は非常識にも程がありますね。この記事を書いた記者さんは、関西の人だったのかも知れませんよ。関西には、順徳天皇に匹敵する東国嫌いがいますから。・・・順徳天皇は阪神ファンみたいな人だったんでしょうか・・・?
>永富さん 
 ワガママを聞いていただいてしまいまして、アリガトウ。明日の校正は行けるかどうか分かりませんが、行くつもりではおりますので、お手伝いできることがあれば言って下さい。

告解

No.935

告解します。先日の14日の頼盛邸跡の現地説明会に行きませんでした。すいません。起きたらお昼過ぎてまして・・・。
先生から「先生情けなくて、涙がでらぁ~」というセリフが聞えて着そうな気がする。

「あばれはっちゃく」は、もちろんタイムリーで見てました(笑)。お父さん(東野英心は『中学生日記』にも出でました)の「父ちゃん、情けなくて、涙がでらぁ~」のセリフは今でも耳に残っています。また主人公が困った時に、逆立ちをして「ひらめいた!」というお決まりの事件解決パターンも憶えています。たしか「あばれはっちゃく」君は犬も飼ってました。やばい詳しすぎる・・・。やはり年の功かな。ところであの「はっちゃく」君は、現在どうしているんでしょう?「あの人は今!」かなんかで、探して欲しいですね。
自分もはっちゃく君に見習って、論文も煮詰まった時、逆立ちしようと思ってます。「ひらめいた!」というふうに解決できたらいいですけど。

>田中さん
 本当はタイムリーで見ていたんじゃないの?真実を告解しま しょう。
 
>広政さん
 1回生かと思ってました。すいません。『吾妻鏡』の講読会 は参加大歓迎です。がんばりましょう!

布団から出づらい季節になりました。ストーブの前は、うちの猫によって占領されています(俺はイラクか!ちなみに猫はアメリカンショートヘアー)。いよいよ冬本番ですね。風邪を引かないように頑張りましょう!

愚か者

野口洋平
No.936

告白します。なぜか今から上醍醐登る事になってしまったため、本日の紫苑推敲会は参加微妙になってきました。
まったくこの忙しい時期にいったい何やってるのかと自分事ながら情けなく思います。私はアホデス。愚か者と呼んで下さい。
そうそう28日ですが、参加できるようになりました。こんな愚か者の僕ですがよろしくお願いします。
それと25日の件ですが、忘年会は28日にやるとして、それとは別に懇親会みたいな感じで集まりたいなといったノリで話を出したまでの事なんです。単に僕が28日まで京都にいれるか微妙だったんで(田舎はいろいろ面倒なんですよ)その前に何かやりたいなと勝手に思っただけなんです。どうもいろいろ誤解やご迷惑おかけしてしまったようで(特に永富さん)申し訳ありませんでしたm(__)mほんと愚か者ですね。

推敲

田中裕紀
No.939

 今日は『紫苑』の推敲会にいけなくてごめんなさい。最近、家に引きこもり気味で、かなり思い切らないと家から出ない日が続いております。夏に出歩き回っていた自分がウソみたいです(笑)
>山本隊長
また話を聞いてませんね??リアルタイムで見てましたよ。私が生まれた年に始まったんで、覚えてないのです。事実だもーん(-o-) 

推敲作業。

No.940

 永富さんが本当に頑張ってくれております。今日は山本君が来れば勉強にもなったろうし、溜飲も下げられたはずなのに残念でしたね。野口君は赤い顔で、上醍醐から駆けつけてくれました。谷垣さんは、次期編集長に内定のようです。村井さんもバイトの時間まで頑張ってくれました。一回生の山内さん・渡辺さんも、良く来てくれました。歴史手帳を注文するのが遅くなり、山岡さんをはじめ来週早々に帰省する人には、お渡しするのが来年になってしまいました。ごめんなさい。他の人には、この掲示板で到着次第連絡します。28日には間違いなく渡せると思います。
 それにしても、永富さん、御苦労様でした。しかし一度に三人分は大変でしたよね。
>田中さん 明日、八井さんが同志社の授業に見えますよ。
>卒論等執筆中の皆さん みんな自分の為なんだから、大いにこの時を楽しんでください。「いやいや、自分のためなんかじゃない、低迷する学界のためである・・・」なんて言う人もいそうですが?

昨日の推敲会

谷垣 有香
No.942

本っっ当にお世話になりましたm(__)m
人の文章には口出しするのに、自分の文章はさっぱり・・・
穴があれば、いや、穴を掘って入りたいくらいでした。いっそ初心にかえって、小学校の教科書をかっぴらこうかと計画中です(笑)
本当に昨日はお疲れ様でした。

Re: 紫苑原稿

No.947

遅ればせながらですが、推敲会、お疲れ様でした。
谷垣さんや村井さんは初めての原稿執筆でしたが、期待以上によい原稿を仕上げてくださったので感動しましたよ。
紫苑第二号完成が楽しみです。
私もいただいたアドバイスをもとにがんばって手直しに励みます!!

野口先生>完成前からそんなに誉められてしまうとプレッシャーが・・・笑 
しかも「紫苑」のよしあしは編集もですが何より一番大きいのは原稿執筆者のみなさんあってこそです。
先生のお言葉を無駄にしないよう、またみなさんからいただいた原稿がより生きるよう微力ながらがんばります。

谷垣さん>穴を掘るだなんて・・・お墓や三昧聖づけの私にこそ必要な言葉です 笑
そんなことを言わずに前向きに自信をもってくださいね!



信西とフセイン-歴史は繰り返す?

No.926

 >原稿執筆中でも、HPを開く余裕のあるゼミ生諸姉兄。
 ニュースで報じられたフセインの隠れていた地下室と、平治の乱で京都を脱出した信西が宇治田原のあたりに掘らせた穴が小生の頭の中でオーバーラップ状態になっております。まさしく、「歴史は繰り返す」とするならば、登場人物の比定はまだまだ可能かと思うのですが、気分転換?にちょっと考えてみませんか?ついでに、これから先の展開も。

  仏教文学会の懇親会の時、名古屋学院大学の早川厚一先生から、清盛が熊野詣に出かけているとは言っても、信西はどうして清盛の弟たちのいる六波羅を頼らなかったのかという御質問をいただいたのですが、従来の通説の枠組みで考えればもっともなことで、実のところ彼は相当に孤立していたのでしょうね。それにしても、記録を読んでいるとしばしば出くわす彼の子孫たちは、男女を問わず皆才人ばかりで、驚き入るばかりです。

>野口君
 重要な連絡があり、掲示板に書き込んであるケータイのメールアドレスに送信したのですが、送信できません。研究室のアドレスに貴兄のEメールアドレスをお知らせ下さい。

>公開講座テープ起こし担当者へ
 バイト代は1月に一括して支払うことにしました。未提出の人は、仕事納め前までに直接事務にご提出下さい。