壇ノ浦より帰洛いたしました。
No.950
山口・長府・壇ノ浦の調査旅行から先ほど帰洛いたしました。この間、御連絡あるいは諸種御送付をいただいた皆様には、不在による非礼をお詫び申しあげます。
おかげさまで、今回の旅行でも実に大きな成果をあげることが出来ました。山口では共同研究者の山田邦和先生の御高配により、山口市史編纂室室長古賀伸幸氏・文化財保護課主事増野晋次氏の懇切な御案内をいただいて大内氏館跡の見学をすることができました。多くの知見があった中で、とくに庭園遺構には目を見張るものがありました。そして、遺跡所在地の買い上げを積極的に進めて、調査・保護・復元を進めている山口市の文化財行政の方針には深い感銘を受けました。
また、まさに完璧な小京都として知られる大内館を中心とする空間以外の、大内御堀とよばれるエリア、あるいは大内館からはるかに離れた山間に所在し、高度な技術によってくみ上げられた石垣遺構ののこる凌雲寺跡など、複雑な大内氏の権力構造を示唆する特殊な空間の存在を知ることも出来ました。
長府では、これまた、山田先生に御用意いただいた、歴史地理学の山村亜希氏の論文「南北朝期長門国府の構造とその認識」(『人文地理』52-3,2000)を手にしながら、中世都市長府の空間を歩き回ってまいりました。
壇ノ浦では、満珠島・干珠島から彦島に至る海域、海峡を挟んだ門司・下関の海岸線ぞいの地形、また安徳天皇内裏跡の伝承地などを、小雨と日差しの交錯する天候の中、自らの目と脚で確認して来ました。赤間神宮に参拝したことはもちろんです。
このほかにも山口の瑠璃光寺五重塔・常栄寺雪舟庭、宇部市宗隣寺の庭園など、感興を催された見学地はたくさんあるのですが、それらについては後日機会がありましたら、お話しさせていただきたいと思っています。また、調査の成果をふまえた論文は、再来年以降に刊行される研究所紀要などに発表の予定です。
以上、とりあえず帰洛の御報告まで。なお、22日夜以降、大学研究室あてにメールを送信された方は、しばらくパソコンを開く機会がありませんので、お急ぎの御用の場合、お手数ながら、自宅宛に再送信をお願い申しあげます。
おかげさまで、今回の旅行でも実に大きな成果をあげることが出来ました。山口では共同研究者の山田邦和先生の御高配により、山口市史編纂室室長古賀伸幸氏・文化財保護課主事増野晋次氏の懇切な御案内をいただいて大内氏館跡の見学をすることができました。多くの知見があった中で、とくに庭園遺構には目を見張るものがありました。そして、遺跡所在地の買い上げを積極的に進めて、調査・保護・復元を進めている山口市の文化財行政の方針には深い感銘を受けました。
また、まさに完璧な小京都として知られる大内館を中心とする空間以外の、大内御堀とよばれるエリア、あるいは大内館からはるかに離れた山間に所在し、高度な技術によってくみ上げられた石垣遺構ののこる凌雲寺跡など、複雑な大内氏の権力構造を示唆する特殊な空間の存在を知ることも出来ました。
長府では、これまた、山田先生に御用意いただいた、歴史地理学の山村亜希氏の論文「南北朝期長門国府の構造とその認識」(『人文地理』52-3,2000)を手にしながら、中世都市長府の空間を歩き回ってまいりました。
壇ノ浦では、満珠島・干珠島から彦島に至る海域、海峡を挟んだ門司・下関の海岸線ぞいの地形、また安徳天皇内裏跡の伝承地などを、小雨と日差しの交錯する天候の中、自らの目と脚で確認して来ました。赤間神宮に参拝したことはもちろんです。
このほかにも山口の瑠璃光寺五重塔・常栄寺雪舟庭、宇部市宗隣寺の庭園など、感興を催された見学地はたくさんあるのですが、それらについては後日機会がありましたら、お話しさせていただきたいと思っています。また、調査の成果をふまえた論文は、再来年以降に刊行される研究所紀要などに発表の予定です。
以上、とりあえず帰洛の御報告まで。なお、22日夜以降、大学研究室あてにメールを送信された方は、しばらくパソコンを開く機会がありませんので、お急ぎの御用の場合、お手数ながら、自宅宛に再送信をお願い申しあげます。