鳥羽上皇の熱演に笑う

美川圭
No.9461

 あまりに待賢門院にいじめられる鳥羽上皇に笑ってしまい、思わずビデオにとっておいたのをその部分だけ再視聴してしまいました。いじめられたすえ、殿上から地下におちて、そのまま美福門院と契りをむすび、待賢門院と亡き白河法皇への復讐を誓う2人。政治をけっして崇徳天皇にお譲りなされなかったというけれど、実子でないことが公然の崇徳天皇のもとで鳥羽上皇に政治つまり院政ができるわけないでしょう。実子であることが確実な後白河はもう生まれているのだから、早う崇徳から後白河への譲位をさせなさい。後白河も待賢門院の子供だから、そんなに反対しませんよ。

 海賊討伐を審議する公卿会議、つまり院御所議定の場に、まだ五位のはずの藤原通憲(出家前の信西)がよばれていた。とくべつに鳥羽上皇の仰があったというけれど、ありえないでしょう。議定での通憲の発言が、テロリストを再生産する先進国に対する、発展途上国側みたいで、これもおかしくなりました。何のために、あの場に出されたのか、よくわかりません。政府批判をさせようとしたのでしょうか。でも政治をやっているのは鳥羽上皇だし。保元の乱のあと、大内裏造営などの大出費するのにねえ。海賊討伐の船にかくれて清盛とともだちになったり。ようやります。意味が分からん。
編集:2012/02/06(Mon) 00:24

リニューアルの御礼と源義朝に関する御質問への回答

No.9462

 >鈴木君 掲示板のリフォームありがとうございました。

 関東からの出張から帰ってきてPCを開いてみて、アッと驚きました。 
 なんか、相当雰囲気が変わったので、まだ馴染めない感じですが、創設当時からの検索が出来るというのは有り難い限りです。

 それにしても第一回の書き込みは懐かしい。昔はゼミのメンバーがみんな臆することなく書き込んでいた様子がよく分かります。その後、残念なことに、そう出来なくなってしまった事情も十分に分かっています。
 迷惑な書き込みへの対応もされたとのこと。心強い限りです。

 この掲示板がこんなに長く続いているのは、優秀な管理人の存在によるというのが専らの評判です。これからも宜しくお願い致します。

 ちなみに、継続の標識として、カウンターを復活させて欲しいという要望が届いていますのでお伝えしておきます。

 >美川先生 昨夜はそんな話でしたか。
  角田文衞先生が御健在たったら、何と言われたことか?

 私の所には源義朝に関する御質問がいろいろ届いているのですが、義朝については、何にせよ元木泰雄先生の「源義朝論」(『古代文化』54-6)をお読みいただくに如かず。

 それから、為義が義家の実子であることについては、佐々木紀一先生の御説を拙著『武門源氏の血脈』に紹介してあるはずです。ちゃんとお読み下されたし。
 
 明日はいよいよ『研究紀要』が納品になるようです。日本中世史関係では、昨年の公開講座の講演録と拙稿「北条時政の上洛」が掲載されています。お楽しみに。
編集:2012/02/07(Tue) 00:10

こっそり

鈴木 潤
No.9464

カウンターを設置しました。
その他、ご要望がありましたら、またよろしくお願いします。

御礼言上。

No.9466

 >鈴木君 カウンターの設定、ありがとうございました。
  セキュリティも充実したようなので、これなら、学生さんも書き込みやすいのではないかと思います。
  ゼミの紹介や私の研究業績などのリニューアルも、そのうちお願いしたいところです。
      
  そういえば、2回生の滝沢さんは写真部なので、あらためて写真を撮って貰うのもいいかも知れませんね。

 >美川先生 この掲示板の一番人気は、美川先生の大河ドラマに対する切れ味鋭い「つっこみ」だそうです。
  今後ともどんどんお願い致します。
  学生さんも楽しみに見てくれていますので。       
編集:2012/02/08(Wed) 20:52

無題

滝沢智世
No.9467

>野口先生 写真部というだけで大した腕があるわけではないですが、もし必要ならいつでも仰ってください、一眼レフを持って行きますので。

ページの更新

No.9468

>滝沢さん
はじめまして。古い写真ばかりなので、野口先生の写真も含めて、今のゼミの様子をたくさん撮ってもらえたら助かります。


http://donkun.ath.cx/~sion/about/ のページの文章も、現役ゼミ生でどなたか更新をぜひ考えてください。データさえいただければ、差替えます。

掲示板リニューアルのお知らせ

No.9459

紫苑がいよいよ第10号ということで、大変楽しみにしています。

さて、突然ではありますが、掲示板のプログラムをリニューアルしました。
自分自身の新技術の習得と、ストレス解消も兼ねて、一からプログラムを組んでみました。

以前と変わったところは
・ちょっと見た目的にかっこよくなった。
・過去ログと現行掲示板の区別をなくしました。(2003年の掲示板設立当時のデータまで一気にさかのぼれます)
・記事検索に関しても、すべてのデータを対象に検索できるようになりました。
・迷惑投稿の撃退の仕組みもこっそり組み込んであります。


まだまだ、プログラムのシェイプアップも必要ではありますが、動かしながら修正していく予定です。
動作がおかしい!というものがあれば、掲示板に不具合などをコメントしていただければ助かります。

補足

No.9460

以前の掲示板からのデータ移行時に、①②のような丸数字などの機種依存文字と呼ばれるものが?に変換されているかもしれません。変なところがあればお知らせ下さい。

また、こんな機能がほしいというご要望がありましたら。あわせてお寄せください。
>>No.1 ←一番最初の記事です。

『紫苑』第十号入稿

山本みなみ
No.9458

   『紫苑』第十号についてお知らせです。
    先日、無事入稿することができました。初校の受け取りは、再来週の16日(木)15時となります。
    また、目次(予定)は以下の通りです。

  〔論  文〕
   鎌倉幕府における政所執事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山本みなみ
   『平家物語』小督条に見られる漢詩文及び『源氏物語』の影響・・・・尾田沙祐里

  〔研究ノート〕
   北条泰時執権期の鎌倉幕府に関する一試論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岩田慎平
  
  〔研究余録〕
   建春門院陵はもと後白河院陵か?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐伯智広

  『紫苑』第十号に寄せて―歴代編集長から―
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木絵里子・山岡瞳・江波曜子

  今号は第十号という節目を迎えるにあたり、現役ゼミメンバーはもちろん、ゼミのOG・OBの方々にもご協力いただきました。多くの方々にお世話になり、心より御礼申し上げます。私も今から出来上がりが楽しみです。
  執筆者の方々には、初校の受け取り方法(郵送あるいは研究室で手渡し)等についてご相談させていただきたいので、私から個別にご連絡させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

答案と書評

No.9457

 半年間の授業を終え、成績評価の段階で、こちらの意図することが明確に伝わっていることの分かる試験の答案やレポートを読んだときの嬉しさは格別なものがあります。
 
 書評も同様で、アマゾンのブックレビューのことは前に書きましたが、ブログでもそういう例に時々遭遇することがあります。これは著者冥利に尽きるというもの。
 今日は、そんなブログの存在を教えていただきました。『武門源氏の血脈』で検索をかけると見つかるはずです。

 もちろん、逆のケースもあって、「どうしてこんな読まれ方をされてしまったのだろう」と考え込んでしまうこともあるのですが・・・。

 ところで、そろそろ『紫苑』第10号の内容を報じるスレッドが立つ頃かと思います↑。

日本古文書学会見学会のご案内

元木泰雄
No.9452

 すでにご案内しましたように、来る2月18日土曜日に、関西学院大学において、日本古文書学会見学会が開催されます。
 永島福太郎先生が蒐集された東寺文書、灘の酒造などに関する近世文書を拝見致します。
 なお、今回見学する東寺文書については、上島有先生のご紹介があります。
 上島先生の御著書『東寺・東寺文書の研究』(思文閣出版、1998年)第五部第一章「関西学院大学図書館蔵東寺文書について」です。是非ご参照ください。

 参加希望の方は、2月10日までに、下記までハガキでご連絡ください。
 〒606-8501 京都市左京区吉田二本松町 京都大学大学院人間・環境学研究科 元木研究室
 
 すでに、メール、口頭で参加をお伝えいただいた方も、再度ご確認をお願い致します。
 また、3月13日火曜日の京都府立総合資料館での見学会も参加を希望される方は、その旨も御書き添えください。  

節分ですね-次回の『吾妻鏡』-

No.9453

 昨日は途中退席させていただくこととなり失礼致しました。
 建仁元年の四月いっぱいまで読まれたそうですから、次回は五月からだそうですね。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年2月9日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正治三年(建仁元年、1201)五月六日・十三日・十四日・十七日、六月一日・二日・二十八日・二十九日、七月六日、八月十一日・二十三日、九月七日・九日・十一日・十五日・十八日・二十日・二十二日、十月二日・六日、十一月十三日、十二月二日・三日・二十八日・二十九日の各条
    建仁二年(1202)正月十二日・十四日・二十八日・二十九日、二月二十日・二十九日、三月八日・十四日・十五日、四月二十七日、六月一日・二十五日・二十六日、八月二日・十五日・二十三日・二十四日・二十七日、九月十五日・二十一日、十月八日・二十九日、閏十月十三日・十五日、十一月二十一日、十二月十九日の各条

 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 昨今は、“ポップでライトな”歴史が流行っているようですが、そんなポップでライトで楽しげなイメージも、もとはといえば何らかの史料に依拠して形作られたはずです。そのもとの部分の史料に当たって事実関係をきちんと踏まえて整理するという作業に慣れておくことも、いろいろな角度から楽しむのに役立つかもしれません。
 ただ、そうすると今度は“ポップでライトな”歴史を楽しめなくなってしまうのかもしれませんが…

 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、2012年、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

紅旗征戎、吾事となる

No.9449

 京都もひどい寒さです。
 今日は元木先生から鹿ケ谷事件のお話が聴けたのに、うかがえずに残念なことをしました。

 以前「紅旗征戎、吾事に非ず」の心境 >>No.9378などと書いてしまいましたが、市民講座・カルチャーセンター等々、たくさんの御依頼を頂いている関係上、視聴しないわけにも行かなくなりました。
 近藤先生も、ぜひ御覧になって下さい。うかがいたいことが山ほどあるのです。

 為義については、各方面から、同情の声しきりです。私はけっこうプラス評価です。なにしろ、拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)第一章のタイトルは「構想する為義-列島ネットワークの構築」ですから。

 それから、おそらく今年中には大阪の出版社から刊行される人物史のシリーズ(一人一冊のではありませんが)に、「源為義」は取り上げられることになっております。

 話は変わりますが、今夜の「SONGS」はよかったですね。私は未だにカセットテープで聴いております。20~30代の頃が懐かしい。

☆ 鹿児島経済大学在勤の時代に、組合で御一緒させていただいた経済学部教授の八尾信光先生から、新刊の御高著『21世紀の世界経済と日本 1950~2050年の長期展望と課題』(晃洋書房)を御恵送頂きました。
 世界経済は身近な問題になりつつあります。
 八尾先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生より、御懇書とともに御高論「梶原父子の栄光」(『銕仙』609)・「書評 佐倉由泰著『軍記物語の機構』」(『国語と国文学』89-1)を御恵送頂きました。
 佐伯先生にあつく御礼を申し上げます。

 このところ、御恵送に対する御礼が、この場ばかりになっており、非礼をお詫び申し上げる次第です。

「あなろぐ、あなろぐ」(「殿上闇討」の話)

No.9443

 御質問に答えて。
 『平家物語』「殿上の闇討の事」の話ですが、そもそも殿上でのことですから、「闇討ち」と言っても血を見るような行為は想定できません。
 これは忠盛が目をいからせながら携帯した刀をちらつかせたり、庭に屈強の郎等をひかえさせたりして、「武士ならではの名誉感情」を傷つけられるのを避けると同時に、武器の携帯を禁じている事に対しては銀箔を貼った木刀を使うなど、うまく立ち回ったのを鳥羽院に褒められたという話で、たんに「貴族対新興の武士」の図式で説明するような話ではないと思います。
 むしろ、武士独特の主従結合のあり方や忠盛のマッチョな側面が看取される逸話とみるべきでしょう。

 「伊勢の瓶子(平氏)は素甕(眇)なりけり」と囃されたのも、五節で雲上人が舞うときには、その形、有様を囃すのが恒例になっており、新参者に対する通過儀礼みたいなもので、貴族の座興と見るべきものでしょう。上級貴族である藤原季仲は蔵人頭(今でいえば官房長官)だったときに五節で舞ったところ、色黒なので「あなくろ、あなくろ、くろき頭かな。いかなる人のうるし(漆)ぬりけむ」と囃されたといいます。

 この時代にPCがあったなら、時代遅れの貴族は、姿形をコケにされた上に「アナログ、アナログ」などと囃し立てられたのでしょうか?

大河の新しい「殿上闇討」..

美川圭
No.9444

『平家物語』を改変して、新しい「殿上闇討」を創造しようとした意欲的な今回の大河でした(笑)。なにせ、藤原忠実が黒幕で、源為義に忠盛を暗殺させようとした「陰謀」でした。しかし、その「陰謀」よりにもよって、為義の馬鹿な家来が、忠盛の子の清盛と戯れていた?義朝のところへ言いに行って、あたりまえだが、ばれてしまう。しかも、為義も、殿上ではなく、地面らしきところを歩いている忠盛に切りつけて、何を血迷ったか、黒幕が忠実ということもばらしてしまう。しかも、よくわからないうちに、暗殺に失敗。そのときに、一部始終を見ていた清盛が、父の「王家の犬で終わらん」とかいう発言に、みょうに感激したらしい。ということで、かつての「松竹新喜劇」でも見ているようでした。ようわからんのは為義で、こういうお馬鹿キャラに描かれては、いくらなんでもかわいそうでした。まあ、今回も「とんでもドラマ」でした。こういう筋立てをまさか、まじめに考えているわけではないでしょうね。

僭越ながら・・・

近藤好和
No.9445

大河ドラマは一切見ていませんが、『平家物語』「殿上闇討」については、
佐伯真一「「殿上闇討」の語義」(水原一編『延慶本平家物語考証一』新典社、1992年)
近藤好和「「殿上闇討」の「刀」についての雑感」(水原一編『延慶本平家物語考証二』新典社、1993年)
という論文があります。ご参考までに。

源為義の評価について.

No.9446

 なるほど、殿上じゃなくて「地面上の闇討ち」でしたか?
 地面の上でも、閉鎖空間だったら、やっぱり相当にマズイでしょうに。

 それにしても、どうも、源為義が気の毒な役回りを負わされているようですね。

 今出ている本の中でも、為義を少しでもプラス評価しているのは拙著くらいなものなのでしょうか?

 近藤先生。論文の御教示ありがとうございます。 

「チュウチュウ」 「ニャーオ」「ぎゃー

No.9448

 「天井の闇討ち」だそうです。

 しかし、これは日本の伝統的家屋構造でなければ無理だ、と、ウチの老ネコが申しております。

Re: 「あなろぐ、あなろぐ」(「殿上闇討」...

佐伯真一
No.9451

近藤先生に名前を挙げて戴いているのに気づき、恐縮して、遅レスです。
拙稿は、野口先生が、このスレッド一番上に書いていらっしゃるようなことを書いているだけです。
「あな黒々」については、故・美濃部重克氏が、『貫首秘抄』を引いて考察された短い論文が、『中世伝承文学の諸相』(和泉書院1988年)に載っています。
大河ドラマの「闇討ち」、私も目を丸くしてみていましたが、まあ、「スガメ」をNHKでやるわけにはいかないでしょうね。解説を書こうとするだけで、いつも規制に引っかかって苦労しています。

「殿上闇討」→誠に遺憾に存じます。

No.9455

 J校舎の図書館に行って、近藤先生御紹介の『延慶本平家物語考証一』『同 二』を探したのですが、一しかなく、近藤先生の御高論は拝読できませんでした。

 一に収録されている佐伯先生の「寿永年間頼盛関東下向について」は、もうすぐ刊行される所属先の『研究紀要』に発表する拙論「北条時政の上洛」執筆の際に大変参考にさせて頂いたのですが、今回、再度この本を開いてみると、佐伯先生の御高論は、ほかに「「殿上闇討」の語義」のみならず、「三井寺炎上の実態について」、「「雪山の鳥」と維盛」、「副将の年齢とその母」「「悪別当経成」のこと」が収録されているのに気づき、おおいに勉強させて頂きました。

 それから、研究室に戻ってPCを開いたところ、佐伯先生のメッセージが書き込まれていて、何たる奇遇かと驚いた次第です。

 しかし、このごろは、『平家物語』の「殿上の闇討」のエピソードなど、ほとんど人口に膾炙しておらず、そのために、「天井」のジョークも冗談にならなかったようで、きわめて遺憾とせざるを得ないところであります。 

今日の産経新聞の読書面

No.9442

 本日(28日)の『産経新聞』朝刊の読書面に、拙著『武門源氏の血脈』の編集を担当して下さった中央公論新社の並木光晴さんが、「編集者お薦めの1冊」として拙著の紹介をしてくださいました。
 サイトにもアップされていますので、紹介させて頂きます。
  http://sankei.jp.msn.com/life/news/120128/bks12012808220000-n1.htm

 とても、うれしいアフターサービスに感激しています。
 最後のオチの部分は全くその通りです。本書に優れた面があったとしたら、編集者のすぐれた見識と著者に対する適切な後押しの賜物だと思います。
 ありがたいことでした。

 正月二十七日「実朝忌」

No.9441

 今日も京都は、ときどき小雪がちらついています。

 車を車検に出しました。年式の新しい代車を借りたのですが、やはり自分の車が一番よい。ただし、この経費の負担は大きい。それでなくても寒いのに。
 
 拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)に対しては、諸方のみなさまから御感想を頂いており、ありがたく存じております。また、元木先生が『河内源氏』(中公新書)の「あとがき」で紹介して下さったためか、旧著『源氏と坂東武士』(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)も、あらためてお読み頂いているようで、うれしく思っております。さらに、『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』(新人物往来社)や『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)も。
 後者については、秀郷流藤原氏を出自とする西行がらみでしょうか?
 波及効果による相乗効果とでも、申すべきものか。

 ☆ 東京大学史料編纂所の本郷恵子先生より、新刊の御高著『蕩尽する中世』(新潮選書)を御恵送頂きました。
 第四章のタイトルは「御家人千葉氏を支える人々」。
  本郷先生に、あつく御礼を申し上げます。

   お寒うございます。

No.9439

 本年度のゼミ『吾妻鏡』講読会のうち、木曜日のⅢ講時に行っていた文治元年条については、本日で打ち止めということになりました。最後に、大分県御出身の高橋さんに臼杵惟隆や緒方惟栄の出てくる条を読んで頂けたのは、佳き廻り合わせだったと思います。
 新年度に継続ということになれば、屋島合戦のあたりからということになりますね。
 内乱期の鎮西や四国の情勢についても、追究の余地は多大だと思います。

 京都アスニーから出講の御依頼を頂きました。6月8日(金)の予定で、
   テーマは「源氏と平家~武士社会の夜明け~<仮題>」。

 こまかい話よりも、こういうひろい内容の方が、わかりやすい話が出来るかも知れません。
 なお、新年度の講演予定については、↓を御覧頂ければ幸いです。
           http://donkun.ath.cx/~sion/presence/

 それにしても、深刻な寒さですね。耄碌の身には酷くこたえます。

 それから、倉吉のお土産、ありがとうございました。

非寒冷地仕様です-次回の『吾妻鏡』-

No.9440

 寒くてしかも乾燥しているというのはなかなかつらいですね。そろそろ年度末が見えてくるこの時期、みなさまどうぞお大事にお過ごし下さい。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年2月2日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正治三年(建仁元年、1201)二月五日、三月四日・十日・十二日・二十四日、四月二日・三日・六日、五月六日・十三日・十四日・十七日、六月一日・二日・二十八日・二十九日、七月六日、八月十一日・二十三日、九月七日・九日・十一日・十五日・十八日・二十日・二十二日、十月二日・六日、十一月十三日、十二月二日・三日・二十八日・二十九日の各条
    建仁二年(1202)正月十二日・十四日・二十八日・二十九日、二月二十日・二十九日、三月八日・十四日・十五日、四月二十七日、六月一日・二十五日・二十六日、八月二日・十五日・二十三日・二十四日・二十七日、九月十五日・二十一日、十月八日・二十九日、閏十月十三日・十五日、十一月二十一日、十二月十九日の各条

 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 昨今は、“ポップでライトな”歴史が流行っているようですが、そんなポップでライトで楽しげなイメージも、もとはといえば何らかの史料に依拠して形作られたはずです。そのもとの部分の史料に当たって事実関係をきちんと踏まえて整理するという作業に慣れておくことも、いろいろな角度から楽しむのに役立つかもしれません。
 ただ、そうすると今度は“ポップでライトな”歴史を楽しめなくなってしまうのかもしれませんが…

 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、2012年、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。