『史人』の復活を寿ぐ。

No.8249

 『史人』は広島大学大学院教育学研究科下向井龍彦研究室の機関誌である。創刊号は1997年に創刊され、翌年に第2号が出たが、それ以降、長く休刊の状態だった。99年の夏に下向井先生が病に倒れられたのが、その直接の原因で、その後も先生が講座主任などの激職にあったため、長い中断を余儀なくされたようだ。

 しかし、研究室やゼミにおける研究成果や彙報を編集する作業は、やはりその構成メンバーの活力が何よりの支えである。指導教員一人で作るようなものではない。

 2008年、宮島で開かれた古代史サマーセミナーは、まさしく下向井研究室の活況を示すものであった。参加した私は実に羨ましく思うとともに、どうして『史人』の再刊がなされないのかが不思議でならなかった。
 しかし、それは一時の杞憂であったようだ。

 あのサマーセミナーを下向井先生の下で主導した渡邊誠さんが編集を担当して、休刊されていた期間の活動状況までぎっしりつまった第3号(B5版で2段組105ページ)が、いま眼前にある。素晴らしいことだ。

 本来、研究機関としての大学においては、ゼミや研究室ごとに、このような刊行物を出していくのが、あるべき姿なのだと思う。しかし、予算・時間、そして一義的にはゼミメンバー・研究室員の意志・情熱の制約によって、その実現が左右されることとなるのである。
 而して、下向井先生はもとより、渡邊誠氏をはじめとする下向井研究室を構成する諸姉兄に深甚の敬意を表するものである。

 翻って、当ゼミの機関誌『紫苑』第10号の発刊に向けて、ゼミメンバー・関係者の御協力をお願いする。

 編集長の山本さんには、また大きな負担をお掛けすると思いますが、宜しくお願い致します。

 ☆ 広島大学の下向井龍彦先生より、上記の『史人』第3号を御恵送頂きました。
 下向井先生に、あつく御礼を申し上げます。

しんだんちゃう。まだ生きてはりますねん。

No.8248

 京都生活も通算すると、はや15年近くなるというのに、関西弁の完全マスターはできておりません。タイトルの関西弁は正しいのかどうか?

 やはり個々の人間の思考を支配する言葉というのは子ども時代のものだと、つくづく思います。

 もはや当ゼミでは伝説的存在になりつつある山本陽一郎君が中心になってはじめた『吾妻鏡』講読会。岩田君によって上級編として引き継がれ、昨日、ついに文永三年の巻を読み終えました。
 私もこれで「『吾妻鏡』は完全に読破した」と大見得を切ることが出来ます。
 しかし、何度読み返しても新しい発見がある。
 史料をデータ化して、検索をかければ論文が書けるというものではありません。

 PCが普及したお蔭で、レポートも安直なものが多くなりました。我々の世代なら、よく分かることだと思いますが、そもそも手書きとワープロ入力では、思考回路がまったく異なります。私の論文など、手書き時代の方がまともだったかもしれません。もっとも、若くて頭がまだクリヤーだったことも考慮しなければなりませんが。

 さて、そういうわけで次回の上級編は建久十年に戻るとのことです。初級編(もう初級ではなくなりましたが)の方は元暦元年を継続します。
 なお来週は、初級編はこれまで通りの13時からですが、上級編はやらずに17時から公開研究会開催ということになります(詳細は>>No.8241参照)。

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  報告者:藪本勝治氏(神戸大学非常勤講師・中世文学)
  テーマ:「軍記物語として読む『吾妻鏡』野木宮合戦記事」
   日時 :7月28日(木)午後5時~7時(予定)
  会場 :本学L校舎3F 宗教・文化研究所共同研究室

 『平家物語』を専攻されている方はもとより、中世前期政治史・武士論専攻の方、鎌倉幕府成立期の歴史に関心のある方など、多くの皆様の御来会をお待ち致しております。
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 ところで、「けんこうしんだん」の結果、行く必要の生じた精密検査ですが、逡巡と躊躇を経て、意を決して行って参りました。受付から会計が済むまで3時間。いろいろ検査をして頂いた結果、幸いにも「異常ナシ」の結論。しかし、検査結果のデータによると明らかに老化は進行。お医者さんの説明によると、白髪が増えるのと同じなのだそうです。個人差も大きいということなのでしょう。

 ☆ 青山学院大学の藤本頼人先生より、新刊の御高著『中世の河海と地域社会』( 高志書院)を御恵送頂きました。
 藤本先生は私の大学の後輩。博士論文をベースにした論文集です。
 藤本先生にあつく御礼を申し上げるとともに、さらなる御活躍を祈念するところです。

「くすし」に友なく、兼好しんだん?

No.8246

 今日は台風のために午前の講義が休講になりました。
 私が大学に入った頃、もう40年以上も前のことですが、帰宅してから近くの祖母の家に遊びに行ったとき、「休講だから早く帰れた」と言ったら、同居の叔母に「急行だから早く帰れた」と誤解されたことを思い出しました。
 私の脳は。変なことを覚えているものです。

 ところで、昨日、先月に受診した健康診断結果の書類を受け取りました。
 ひどく体調が悪い時でしたし、また、急に受診を決めたので、結果は良くはないだろうと予想していたのですが、案に相違せず、「精密検査を要する」とのお達し。眼底検査でひっかかりました。
 病院とか役所というのは、心底行くのが嫌なのですが。それにしても、以前、眼科の医院に行ったのはいつのことか。
 聞くところによると、当節はだいぶ患者さんが多いのだそうです。

 ちなみに、私の母方の御先祖様の中には盲目の学者がいたそうで、その子孫で学問を生業?とする至ったのは、私がはじめてのことのようです。
 学者といっても、どのようなジャンルが御専門だったのか分かりませんが、眼病の遺伝子はお断りです。
 まぁ、そのうち検査だけはちゃんと受けに行くつもりです。

 なお、お楽しみの「メタボ診断」ですが、これは腹位だけ基準値オーバーですが、ほかはクリヤーいたしましたので、大丈夫でした。
 しかし、どんどんズボンがウェストの部分だけきつくなっていくのには参っています。

 「腹位」というと「ふくい」で、今度は、昔、関西テレビで天気予報を担当された福井敏雄さんを思い出しました。
 あんな楽しい天気予報は関東では絶対に見られません。カルチャーショックでした。

 ☆ 立命館大学の杉橋隆夫先生と佐古愛己先生の御連名で、立命館大学京都文化講座 京都に学ぶ」シリーズのブックレット『京の公家と武家』(白川書院)を御恵送頂きました。杉橋先生は第2章「京都の朝廷と関東の府」、佐古先生は第1章「平安貴族の「雅」と「武」」の御執筆を担当されています。
 杉橋先生、佐古先生に、あつく御礼を申し上げます。

『水戸黄門』も終わってしまうらしい。

No.8243

 京都は雨です。
 大きな台風が南から接近中とのことですが、定年後、鹿児島に移住した高校時代からの親友からは、これから硫黄谷温泉に出掛けるなどというメッセージが届きました。
 羨ましいことです。

 原稿一件落着。本来4月末締切のものです。明日、ひかえを取って発送致します。
 論文を一本仕上げるたびに発熱して寝込むという先生を存じ上げておりますが、私はそれほどのものは書けません。
 脱稿したのだから「脱肛」くらいですか?と問われた方がおられましたが、私はせいぜい胃腸の具合を普段より悪くする程度です。
 
 さて、明日の授業ですが、Ⅲ講時の基礎演習Ⅰは、辻さんの「ダイエットの心理」という報告。今回は私にとって「ストラ~イク!」のテーマです。

 Ⅴ講時は「中世の仏教と女性」の続き。
 一条尼の往生について、『中右記』の記事を引いてお話しするところから始めます。

 先週実施した学生による授業アンケート。回収して即、教務課に提出致しましたが、きっといろいろお叱りやら注文が書かれていたことでしょう。
 ただし、板書が不親切とか、書き順が違うなどと、小中高の授業と同じようなモノサシで評価されると、これはゴメンナサイとお詫び申し上げるしかありません。

軍記物語として読む『吾妻鏡』

No.8241

28日(木)に下記の公開研究会を開きます

  報告者:藪本勝治氏(神戸大学非常勤講師・中世文学)
  テーマ:「軍記物語として読む『吾妻鏡』野木宮合戦記事」
   時間 :午後5時~7時(予定)
  会場 :本学L校舎3F 宗教・文化研究所共同研究室

 『平家物語』を専攻されている方はもとより、中世前期政治史・武士論専攻の方、鎌倉幕府成立期の歴史に関心のある方など、多くの皆様の御来会をお待ち致しております。
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 もう締切はとっくに過ぎているのですが、ある論集に掲載予定の原稿がようやく形になってきました。それにしても、最近は頭の回転が以前に増してぎごちなくなり、まったく満足のいかない内容です。

 昨夜、NHKで祇園祭の宵山が中継されていました。菊水鉾に上がってから、もう二十余年。猛暑の中、ちょっと出掛けるのが億劫になってきました。お祭に行くのも若いうちです。

 東京の大学の中には、もう授業が終わったという所もあるようですね。ゴールデン・ウィーク後に前期授業開始という所もあったようですが。
 私の授業は今月の最終週まであります。

 月末には昨年度前期「基礎演習Ⅰ」のコンパ。参加者は有志のみと思っていたら、全員とのこと。みんな一年で、どう変わったのか、楽しみです。

 ☆ 国立歴史民俗博物館の髙橋一樹先生より、御高論「中世成立期における王権の宝蔵とその歴史的性格-蓮華王院宝蔵を中心に-」収載の小野正敏・五味文彦・萩原三雄編『中世人のたからもの 蔵があらわす権力と富』( 高志書院)を御恵送頂きました。
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

真夏の『吾妻鏡』

No.8242

 ほんとうに暑い日が続いていますが、みなさまどうぞお大事にお過ごし下さい。
 次回の『吾妻鏡』(文永年間)のご案内です。

 日時:2011年7月21日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文永三年(1266年)六月五日・十九日・二十日・二十三日・二十四日・二十六日、七月一日・三日・四日・二十日の各条
    建久十年(正治元年、1199年)二月六日、三月二日・五日・六日・十二日・二十三日、四月一日・十二日・二十日、五月七日・八日・十三日、六月八日・二十五日・二十六日・三十日、七月十日・十六日・二十日・二十五日・二十六日、八月十八日・十九日・二十日、九月二十六日、十月七日・二十四日・二十五日・二十七日・二十八日、十一月七日・八日・十日・十二日・十三日・十八日、十二月九日・十八日・二十九日の各条

 7月は21日、28日に開催予定です。
 文永年間の『吾妻鏡』は、頼家将軍期の建久十年(正治元年)に戻っていきたいと思います。一気に70年近く遡りますが、よろしくお願いいたします。

 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

稲毛の浅間神社はすぐ下が海でした。

No.8240

 毎年、同じことを書いている気がしますが、今日七月十五日は私の郷里の千葉では稲毛の浅間神社でお祭りのある日。子どもの時、地味な色だった京成電車に乗って出掛けたことが思い出されます。
 あれから半世紀。三条通りにある博物館での会議の後、御池の駅を目指して歩いていると、イカを焼く美味しそうなにおいが漂ってくる。それに、浴衣姿の歩行者が多い。そういえば、今日は祇園祭の宵々山の日でもあったのでした。
 
 今年の日本史研究会大会の会場は本学に決まったようです。
   → http://www.nihonshiken.jp/general-meeting.html
 よい機会ですから、土曜日の午後あたり、法住寺殿跡を中心にした史跡見学会でも致しましょうか?
 いずれにしても、しばらくお会いすることの出来なかった同学の諸姉兄にお目にかかる機会を得られるのは嬉しいことです。

後世の史家に評価は委ねる?

No.8236

 暑いですね。
 そろそろ洗車をしないと水アカが落ちなくなってしまいそうなのですが、あまりの暑さに外に出る気がしません。
 それにしても、この夏は小さい子どもたちが可愛そう。放射能が心配ですから、思う存分にトンボを追いかけることも出来ません。
 この小さな子どもたちや後世の人たちから、私たちが厳しい指弾を受けることは覚悟しておかなければなりません。 

☆ 学科は異なりますが大学の後輩にあたる清水眞澄先生より、後高論「法会と歌詠-源経信から藤原俊成へ-」(阿部泰郎・錦仁編『聖なる声 和歌にひそむ力』三弥井書店)を御恵送頂きました。
 清水先生に、あつく御礼を申し上げます。

全ては節電のために・・・

No.8235

 当方の研究室前の廊下の蛍光灯(蛍光管)2本が取り外されていました。節電のためだということです。
 昼間はいささか、夜はかなり暗くなると思いますので、十分にお気をつけ下さい。

 京女の周辺でもせみの鳴き声が聞こえるようになりました。

明日12日の演習と講義

No.8233

 Ⅲ講時「基礎演習Ⅰ」の担当は戸田さん。
 報告のテーマは「脳と愛の関係性について」。
 私はコメントのしようがなさそうです。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目」の講義テーマは「中世の仏教と女性」。
 これまた、難しい話です。

 ◎ 後期に学部生(所属大学、学部学科を問いません)を主体とした史料講読会あるいは勉強会などを週一回のペースで開催することを考えています。
 とくに今まで、授業などの都合で参加できなかった皆さんで、何か希望する企画(読みたい史料など)がありましたら、遠慮なくお知らせ下さい(上の赤い字で書かれた私の名前をクリックすると、メールを送信できます)。
 今のところ、『百錬抄』、『玉葉』、『明月記』などが候補に挙がっています。

 以前、ある2回生から、よその大学では卒論に向けで学部生はどんな段階を踏んで勉強を進めているのかという御質問を受けました。
 私の卒業した大学(青山学院大学文学部史学科貫達人ゼミ)と前任の大学(聖徳大学人文学部日本文化学科野口実ゼミ)での例のお話を致しましたが、上智大学について、ここに適切な紹介がありました。
   →http://sophia1942.exblog.jp/16247937/

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、編集を担当された新刊のNHKブックス・池田譲『イカの心を探る 知の世界に生きる海の霊長類』を御恵送頂きました。
  イカのイメージが一変。私の大好物なのですが・・・。
  石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。 

今朝の『京都新聞』から。

No.8231

 今日の京都新聞には面白い記事が沢山載っていました。

 まず、3面の「点眼」欄には、宗教学者の山折哲雄氏が「金色堂と鳳凰堂」というエッセーを書いておられます。平泉が世界遺産に選ばれたことに触れて、その文化の独自性を指摘した内容ですが、平泉藤原氏の遺体が金色堂に葬られたことをもって、平安貴族との文化的相違を論じておられる点に違和感を感じました。
 山折氏は平泉藤原氏と藤原道長・頼通を比較の対象としておられますが、時代が異なります。平泉藤原氏の時代なら、白河や鳥羽・法住寺殿を比較の対象としなければならないでしょう。これらの空間が平安京外に設定されたことは押さえておかなければなりませんが、鳥羽・法住寺殿ともに院の墓所(法華堂)を取り囲む形で造営されています。また、平家の六波羅は、平正盛の墳墓堂をとりこんだ泉殿を中心に一門と家人の居住空間が形成されていました。
 平泉はこれら同時代の京都周辺の「権門都市」をモデルプランとして造営されたと見るべきでしょう。

 平安時代の京都というと、研究者の間でも、すぐに平安京の条坊図と『源氏物語』や『枕草子』に描かれた世界が想起されてしまうようで、このあたりが中世前期の武士論研究の障害にもなっているように常々思っているところです。

  24面(山城版)には、城陽市歴史民俗資料館で「あの世・妖怪」、府立山城郷土資料館で「中世やきもの風土記」という企画展がはじまったという記事がありました。

 そして私の興味を一番そそったのは、25面(地域版)の京都神田明神で例大祭が行われたという記事。15年ほど以前、山田邦和先生に京都でただ一つ平将門を祀った祠があるというので案内して頂いた所だと思いますが、今は移設されて鳥居の立つ立派な神社になったようです。将門を祀った社が京都にあるというのは極めて興味深い事実ですが、「天下を夢見た平安期の豪族に思いをはせた」という、この記事の結びの文言も、研究と通説的理解の大きな乖離を示すものといえましょうか。

『吾妻鏡』の輪舞曲-次回の木曜『吾妻鏡』Ⅱ-

No.8232

 文永年間の『吾妻鏡』は、頼家将軍期の建久十年(正治元年)に戻っていきたいと思います。一気に70年近く遡りますが、よろしくお願いいたします。
 次回の『吾妻鏡』(文永年間)のご案内です。

 日時:2011年7月14日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文永三年(1266年)二月十日・二十日、三月五日・六日・十一日・十三日・二十七日・二十八日・二十九日、四月七日・十五日・二十一日、六月五日・十九日・二十日・二十三日・二十四日・二十六日、七月一日・三日・四日・二十日の各条
    建久十年(正治元年、1199年)二月六日、三月二日・五日・六日・十二日・二十三日、四月一日・十二日・二十日、五月七日・八日・十三日、六月八日・二十五日・二十六日・三十日、七月十日・十六日・二十日・二十五日・二十六日、八月十八日・十九日・二十日、九月二十六日、十月七日・二十四日・二十五日・二十七日・二十八日、十一月七日・八日・十日・十二日・十三日・十八日、十二月九日・十八日・二十九日の各条

 7月は14日、21日、28日に開催予定です。
 今年度から木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。