全ては節電のために・・・

No.8235

 当方の研究室前の廊下の蛍光灯(蛍光管)2本が取り外されていました。節電のためだということです。
 昼間はいささか、夜はかなり暗くなると思いますので、十分にお気をつけ下さい。

 京女の周辺でもせみの鳴き声が聞こえるようになりました。

明日12日の演習と講義

No.8233

 Ⅲ講時「基礎演習Ⅰ」の担当は戸田さん。
 報告のテーマは「脳と愛の関係性について」。
 私はコメントのしようがなさそうです。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目」の講義テーマは「中世の仏教と女性」。
 これまた、難しい話です。

 ◎ 後期に学部生(所属大学、学部学科を問いません)を主体とした史料講読会あるいは勉強会などを週一回のペースで開催することを考えています。
 とくに今まで、授業などの都合で参加できなかった皆さんで、何か希望する企画(読みたい史料など)がありましたら、遠慮なくお知らせ下さい(上の赤い字で書かれた私の名前をクリックすると、メールを送信できます)。
 今のところ、『百錬抄』、『玉葉』、『明月記』などが候補に挙がっています。

 以前、ある2回生から、よその大学では卒論に向けで学部生はどんな段階を踏んで勉強を進めているのかという御質問を受けました。
 私の卒業した大学(青山学院大学文学部史学科貫達人ゼミ)と前任の大学(聖徳大学人文学部日本文化学科野口実ゼミ)での例のお話を致しましたが、上智大学について、ここに適切な紹介がありました。
   →http://sophia1942.exblog.jp/16247937/

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、編集を担当された新刊のNHKブックス・池田譲『イカの心を探る 知の世界に生きる海の霊長類』を御恵送頂きました。
  イカのイメージが一変。私の大好物なのですが・・・。
  石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。 

今朝の『京都新聞』から。

No.8231

 今日の京都新聞には面白い記事が沢山載っていました。

 まず、3面の「点眼」欄には、宗教学者の山折哲雄氏が「金色堂と鳳凰堂」というエッセーを書いておられます。平泉が世界遺産に選ばれたことに触れて、その文化の独自性を指摘した内容ですが、平泉藤原氏の遺体が金色堂に葬られたことをもって、平安貴族との文化的相違を論じておられる点に違和感を感じました。
 山折氏は平泉藤原氏と藤原道長・頼通を比較の対象としておられますが、時代が異なります。平泉藤原氏の時代なら、白河や鳥羽・法住寺殿を比較の対象としなければならないでしょう。これらの空間が平安京外に設定されたことは押さえておかなければなりませんが、鳥羽・法住寺殿ともに院の墓所(法華堂)を取り囲む形で造営されています。また、平家の六波羅は、平正盛の墳墓堂をとりこんだ泉殿を中心に一門と家人の居住空間が形成されていました。
 平泉はこれら同時代の京都周辺の「権門都市」をモデルプランとして造営されたと見るべきでしょう。

 平安時代の京都というと、研究者の間でも、すぐに平安京の条坊図と『源氏物語』や『枕草子』に描かれた世界が想起されてしまうようで、このあたりが中世前期の武士論研究の障害にもなっているように常々思っているところです。

  24面(山城版)には、城陽市歴史民俗資料館で「あの世・妖怪」、府立山城郷土資料館で「中世やきもの風土記」という企画展がはじまったという記事がありました。

 そして私の興味を一番そそったのは、25面(地域版)の京都神田明神で例大祭が行われたという記事。15年ほど以前、山田邦和先生に京都でただ一つ平将門を祀った祠があるというので案内して頂いた所だと思いますが、今は移設されて鳥居の立つ立派な神社になったようです。将門を祀った社が京都にあるというのは極めて興味深い事実ですが、「天下を夢見た平安期の豪族に思いをはせた」という、この記事の結びの文言も、研究と通説的理解の大きな乖離を示すものといえましょうか。

『吾妻鏡』の輪舞曲-次回の木曜『吾妻鏡』Ⅱ-

No.8232

 文永年間の『吾妻鏡』は、頼家将軍期の建久十年(正治元年)に戻っていきたいと思います。一気に70年近く遡りますが、よろしくお願いいたします。
 次回の『吾妻鏡』(文永年間)のご案内です。

 日時:2011年7月14日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文永三年(1266年)二月十日・二十日、三月五日・六日・十一日・十三日・二十七日・二十八日・二十九日、四月七日・十五日・二十一日、六月五日・十九日・二十日・二十三日・二十四日・二十六日、七月一日・三日・四日・二十日の各条
    建久十年(正治元年、1199年)二月六日、三月二日・五日・六日・十二日・二十三日、四月一日・十二日・二十日、五月七日・八日・十三日、六月八日・二十五日・二十六日・三十日、七月十日・十六日・二十日・二十五日・二十六日、八月十八日・十九日・二十日、九月二十六日、十月七日・二十四日・二十五日・二十七日・二十八日、十一月七日・八日・十日・十二日・十三日・十八日、十二月九日・十八日・二十九日の各条

 7月は14日、21日、28日に開催予定です。
 今年度から木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

「七夕」よりも「棚ぼた」。

No.8230

 明日は長村君の日本歴史学会賞の授賞式。おめでとうございます。

 ちなみに、長村君の最新の論文「木曽義仲の畿内近国支配と王朝権威」(『古代文化』掲載)のコピーは、研究室ドア脇のボックスの中にあります。
 読んでみようという方はお持ち帰り下さい。

 昨日は七夕でしたが、京都は蒸し暑い梅雨空。笹に願い事を書いた短冊を吊す光景に出会うことはありませんでした。
 「七夕」を思わず、「棚ぼた」を頼む浮世。致し方なきことか。
 
 一昨日、さきに平先生から頂いた『歴史のなかに見る親鸞』(法蔵館)を読了。学ぶところ多大。長年の疑問も氷解。歴史学者の著書はかくありたい。
 今年最高の一冊でした。

我ながら呆れ果てる日々。

No.8227

 鬼門のお役所。雨の中、一番乗りで行ってきました。
 さて一段落かと思いきや、帰宅して後、この件に関連して郵送してもらった大切な書類の処理でちょっとした大失敗。一歩進んだのに、また一歩後退。
 まことにお粗末。

 今日から『吾妻鏡』はダブルヘッダー。さすがに二試合の登板は無理なようです。
 岩田君、よろしく。
 
 ☆ 國學院大学の菱沼一憲先生より、新刊の御高著『中世地域社会と将軍権力』(汲古書院)を御恵送頂きました。
 菱沼先生に、あつく御礼を申し上げます。

いつまで経っても「おそ松くん」

No.8226

 数年後からの生活のかかった問題を処理するために、鬼門のごとき存在である、かのお役所にいよいよ出頭しなければならないかと覚悟を決めたのですが、明日の天気は雨という口実が発生。傘を差してまで出掛けるかどうか。つまらぬ心配で消耗しております。いい歳をして、まことに「お粗末」。

 赤塚不二夫の「おそ松くん」掲載の『少年サンデー』は、小学生時代毎週購入。たしか40円くらいでした。その後は月刊の『ボーイズライフ』。これは200円くらいだったか。面白かったのは戦争物とSF。『丸』もよく買っていました。木を削って零戦52型のかなり精巧な模型も作りました。戦後生まれの軍国少年。

 このところ、とらえどころのない問題で疲れることが多いのですが、今日多かったのは電話。とても嬉しい話もありましたが、仕事の依頼もあり。この夏こそ債務返済、と考えていたのですが、わが国の経済と同じような状況に陥りつつあり。

 原稿で思い出しましたが、そろそろ『紫苑』第10号の原稿執筆希望を受け付けます。すでに、研究ノートで一本、申込みを受けています。編集長の山本さんにも是非また一本。
 節目の第10号ですから、遠く東は越後・上総、近くは越前・近江、西は安芸や讃岐で御活躍の面々にも、何かゼミの思い出話なり、近況報告なり(もちろん大論文でも)お寄せ頂ければ楽しいのになぁ・・・などと考えております。

渋谷 「しぶや」と「しぶたに」

No.8224

 >>>No.8223 佐伯先生、書き込みを頂きありがとうございます。
 『銕仙』掲載の拙文は、先生の御著書をあげさせて頂くことで、話をまとめることが出来ました。
  「青山能」。私が在学していた頃にもあったのでしょうか。

 つまらないことに、私は大学在学中、同志社における「わびすけ」のような場所を大学近くに見いだすことが出来なかったようです。
 しいて言えば、青学会館の地下か。ここでは透明なドアに激突して、鼻をしたたかに打ったという痛い思い出があります。
 あとは、青山通りを隔てて大学正門の向かいにあった古書店巽堂くらいでしょうか。

 昔は大学の回りには喫茶店や麻雀屋がたくさんあったものです。今は、喫茶店でゼミをやるなどという話はあまり聴かなくなりましたね。

 若者たちが仲間同士で議論をするという時代ではなくなった。
 社会に矛盾を感じても、空気を読んで順応するか、ひきこもってバーチャルの世界をさまようか、居酒屋で酩酊して、即ストレス発散ということなのでしょうか?
 それもまたよしとすべきなのでしょうが、酒を飲めない私としては、喫茶店の激減は残念なことに違いありません。

 このところ、年寄になったせいか、すぐに「何かの御縁」のようなものを考えてしまうのですが、私は生活の場として「渋谷」という地名に御縁があるようです。  

 青学のアドレスは渋谷区渋谷4-4-25。京都女子大のJ校舎は渋谷通りに面しています。さきほども、この通りを渡って、J校舎にある図書館分館に行ってきました。
 それにしても猛暑ですね。 

竹本処分粉砕

美川圭
No.8225

 渋谷というと、私の高校時代の遊び場所の1つでした。あのころ、野口先生もあのあたりにおられたと思うと、感無量です。

 ところで、最近「マイバックページ」という川本三郎原作の映画を見ました。来年清盛をやるマツケンと私の同年代の女性に絶大な人気のある妻夫木くんが出ています。

 私が京大に入学した1977年、京大時計台には大きく「竹本処分粉砕」のペンキ文字が書かれていました。それと、映画評論家の「川本三郎」、そして「冷泉家」「冷泉家時雨亭叢書」に深い関わりがあることが、この映画と、その原作を読むことではっきりわかりました。もう30年以上前の昔話です。映画はそのどれかと接点がないと、あまり興味をひかなかったらしく、もうほとんどの映画館で上映されていません。が、原作の方は長く売り切れでしたが、映画のおかげで再版です。

 「わびすけ」もその時代背景と関わりがあるのかなあ。

明日7日の演習と講義

No.8222

 Ⅲ講時の報告は、寺西さんの「マスメディア」論。

 Ⅴ講時の講義テーマは「七条町と西八条-「女の都市」-」。
 後白河院の妹八条院、平清盛の妻時子・娘の盛子、源実朝の後家「西八条禅尼」、そして七条町の女性金融業者等々。12~13世紀の頃、現在の京都駅周辺で活動した女性たちを取り上げます。

 【追記】
 ◎ 後期に学部生を主体とした史料講読会あるいは勉強会などを週一回のペースで開催することを考えています。
 とくに今まで、授業などの都合で参加できなかった皆さんで、何か希望する企画(読みたい史料など)がありましたら、遠慮なくお知らせ下さい。

 ☆ 同志社大学の竹居明男先生より、御高論「天神信仰編年史料集成続編稿(三)--文永八年(一二七一)~弘安三年(一二八〇)-」(『人文学』186)・「同(四)-弘安四年(一二八一)~弘安八年(一二八五)-」(同187)を御恵送頂きました。
 竹居先生に、あつく御礼を申し上げます。 

卒業生に、また先生が増えました

No.8220

 7月28日(木)開催予定の例会(公開研究会)における藪本勝治君の発表テーマについて、御本人から御連絡を頂きました。

  「軍記物語として読む『吾妻鏡』野木宮合戦記事」

とのことです。
 開始時刻ですが午後5時(17時)を考えています。
 『吾妻鏡』講読会は13時からと15時からの2部制で、その終了後というハードスケジュールになりますが、講読会はゼミメンバーだけですから、フレキシブルにやりましょう。

 研究発表は、17時からなら前期末のことですし、多くの方の参加が見込めるのではないでしょうか。研究室も20時までなら大丈夫です。

 それから、もう一件、大事なお知らせがあります。

 昨日、午前、伊藤明日香さんが上洛、来室され、千葉県の公立高校に勤務することになった旨の御報告をいただきました。私も、一安心。
 担当科目(国語)は異なるのですが、私の高校教員時代の経験などをいろいろお話し致しました。
 
 伊藤さんは学習院大学大学院出身の俊秀。人柄も申し分ありません。
 千葉の元同僚の皆さん、後輩の諸先生方、なにとぞ宜しくお願い申し上げます。

「木曽義仲の畿内近国支配と王朝権威」

No.8218

 「わびすけ」は建てかえられて「貸しビル」になるのだそうですね。

 金曜日Ⅱ講時の『吾妻鏡』ですが、7月は木曜日Ⅲ講時に実施することになりました。
  15時からの『吾妻鏡』に出席されている方も、時間があったらご参加下さい。次回(7日)は元暦元年三月十四日条からです。
 なお、28日は講読会の後、午後5時くらいから藪本勝治君(神戸大学非常勤講師・中世文学)の研究発表を例会(公開研究会)として行う予定です。
 テーマなどは追って告知致しますが、『吾妻鏡』を素材にした軍記論ですので、史学・文学を問わず多くの方の御出席をお願い致します。

 長村祥知君の「木曽義仲の畿内近国支配と王朝権威」を巻頭論文とした『古代文化』63-1が刊行されました。内乱や幕府成立の意味はもとより、通説的な義仲の評価を一変させる内容です。ぜひ、御一読下さい。
 中世前期の歴史を専攻していたり、『平家物語』を研究課題とする院生以上のゼミメンバーには、とくに熟読を課します。
 コピーを5部ほど私の研究室ドア脇のボックスに入れておきますので、ゼミメンバーや基礎・教養科目受講者で、読んでみようという方はお持ち帰り下さい。

 『古代文化』のこの号には、渕原智幸「藤原実方の陸奥守補任-10世紀末の小一条家に関する一考察-」が研究ノートとして掲載されていますが、これまた武士論専攻の方には必読の内容です。長く国文学・国史研究者間で議論の対象となっていた、実方がなぜ、陸奥に赴任することになったのかという謎の解明も、ピリオドを打たれることになりました。 

  『古代文化』の次号には、生駒孝臣「平安末・鎌倉初期における畿内武士の成立と展開-摂津渡辺党の成立過程から-」が掲載されますが、これも、やはり武士論研究者必読の論文でしょう。
    参照→ http://kodaigaku.org/kodaibunka/new_vol.html

 ところで、『古代文化』の刊行母体である(財)古代学協会で、「古代学講座」が開講されることになりました。
 『小右記』や『栄花物語』講読の講座も用意されているようです。
 平安京の真ん中で、平安時代の日記や文学作品を読むというのは贅沢な話ですね。
   参照→ http://kodaigaku.org/study/koza-koenkai/kodaigaku-koza/2010/2010koza.html

真夏の梅雨-次回の『吾妻鏡』-

No.8219

 木曜日の『吾妻鏡』は二本立てになったのですね。より厚く熱く読んでまいりましょう。
 七月初回はちょうど七夕の日と重なりました。
 スピッツの名曲「涙がキラリ☆」は、七夕をイメージした曲であるということを、以前、草野マサムネさんが言ってました。

 次回の『吾妻鏡』(文永年間)のご案内です。

 日時:2011年7月7日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文永二年(1265年)十月十八日・二十五日、十一月十三日・十六日・十七日・十九日・二十日、十二月五日・十八日の各条
    文永三年(1266年)正月二日・十三日・二十五日、二月一日・十日・二十日、三月五日・六日・十一日・十三日・二十七日・二十八日・二十九日、四月七日・十五日・二十一日、六月五日・十九日・二十日・二十三日・二十四日・二十六日、七月一日・三日・四日・二十日の各条

 文永年間が終わったら、頼家将軍期の建久十年(正治元年)にループしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 7月は7日、14日、21日、28日に開催予定です。
 今年度から木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。