佐々木さんちの馬は水陸両用だったか?
No.8175
昨日は岡山駅前のホテルで開かれた地元ロータリークラブの会合で「武士と貴族」をテーマにしたお話しをさせて頂いた後、畏友にして共同研究員である畠山誠先生の御案内で藤戸合戦の古戦場の見学に出掛けました。
場所は岡山市の西隣の倉敷市域で、源氏の陣地が置かれたと伝承される山上からは市内が遥かに見渡せました。あのどこかしらで山本さんが教育実習体験中だと思うと、いささか楽しい気分になりました。
藤戸の海峡はすでに近世までに干拓で埋め立てられてしまっていますが、地形からは当時の様子が手にとるように想像することが出来ました。謡曲『藤戸』で、人口に膾炙されたことからか、例によって後世になって作り上げられた「史跡」(乗り出し岩・鞭木・篝地蔵など)も数多く、屋嶋での見学を思い出しました(あのときは、野中寛文先生に大変お世話になりました)。ちなみに、往時の藤戸の海峡の景観は壇ノ浦に似るところがあったように思えます。
ここは実にもって面白いところです。伝説の生成の拠点になったのは藤戸寺でしょう。屋島における志度寺、壇ノ浦における阿弥陀寺(赤間神宮)に匹敵すると思います。
それから、もう一つ驚いたのは、承久の乱の後、ここに後鳥羽院の皇子頼仁親王が配されていたということ。その五流尊瀧院と墓所にも行くことが出来ました。
頼仁親王といえば、たしか実朝の後継者として東下して四代目の「鎌倉殿」になることが予定されたことのある親王ですから。また、ここは『太平記』で有名な、あの児嶋高徳の遺跡でもあるようです。
倉敷というのは、こういう歴史もあるところだったのですね。山本さんが帰ってきたら、地域史もしっかりやるようにお願いしなければなりません。もっとも、私も来年中には、平家との関わりでこの地域の歴史に関する論文を一本まとめなければならないことになっているのですが。
それにしましても、畠山先生には3ナンバーの自家用車で御案内頂き、たいへん助かりました。関係する資料を集めて検討しておいて頂いたり、事前に現地を回って時間の設定をして下さったり、本当に至れり尽くせりの御案内で、恐縮あるのみでした。
ちょっと残念だったのが、藤戸寺や盛綱橋(岩田君お気に入りの佐々木盛綱のブロンズ像のある橋)の近くにある藤戸饅頭の本店が営業していなかったことでした。
私はその代わりに岡山駅で内田百閒の大好物だったという大手饅頭を買いました。
私はこしあんの饅頭がすきなのであります。粒あんは苦手です(と、土産の催促をしている)。
ゼミの皆さんのお土産には、「ひとつ私に下さいな♪」のきびタンゴを買いました。来週の木曜日に開封します。
なお、今週土曜の『小右記』講読会の際には、愛知の野口君のお土産「ういろう」をご賞味頂く予定でおります。
☆ 日本大学の川合康先生より、御高論「鎌倉幕府の草創神話-現代人をも拘束する歴史認識」掲載の『季刊 東北学』27を御恵送頂きました。
川合先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 東北芸術工科大学で入間田宣夫先生のゼミに所属された大内朋香さんより、御高論「源氏物語にみる「御をくり」(葬送)の情景」(東北芸術工科大学歴史遺産学科『歴史遺産研究』6)を御恵送頂きました。
大内さんに、あつく御礼を申し上げます。
場所は岡山市の西隣の倉敷市域で、源氏の陣地が置かれたと伝承される山上からは市内が遥かに見渡せました。あのどこかしらで山本さんが教育実習体験中だと思うと、いささか楽しい気分になりました。
藤戸の海峡はすでに近世までに干拓で埋め立てられてしまっていますが、地形からは当時の様子が手にとるように想像することが出来ました。謡曲『藤戸』で、人口に膾炙されたことからか、例によって後世になって作り上げられた「史跡」(乗り出し岩・鞭木・篝地蔵など)も数多く、屋嶋での見学を思い出しました(あのときは、野中寛文先生に大変お世話になりました)。ちなみに、往時の藤戸の海峡の景観は壇ノ浦に似るところがあったように思えます。
ここは実にもって面白いところです。伝説の生成の拠点になったのは藤戸寺でしょう。屋島における志度寺、壇ノ浦における阿弥陀寺(赤間神宮)に匹敵すると思います。
それから、もう一つ驚いたのは、承久の乱の後、ここに後鳥羽院の皇子頼仁親王が配されていたということ。その五流尊瀧院と墓所にも行くことが出来ました。
頼仁親王といえば、たしか実朝の後継者として東下して四代目の「鎌倉殿」になることが予定されたことのある親王ですから。また、ここは『太平記』で有名な、あの児嶋高徳の遺跡でもあるようです。
倉敷というのは、こういう歴史もあるところだったのですね。山本さんが帰ってきたら、地域史もしっかりやるようにお願いしなければなりません。もっとも、私も来年中には、平家との関わりでこの地域の歴史に関する論文を一本まとめなければならないことになっているのですが。
それにしましても、畠山先生には3ナンバーの自家用車で御案内頂き、たいへん助かりました。関係する資料を集めて検討しておいて頂いたり、事前に現地を回って時間の設定をして下さったり、本当に至れり尽くせりの御案内で、恐縮あるのみでした。
ちょっと残念だったのが、藤戸寺や盛綱橋(岩田君お気に入りの佐々木盛綱のブロンズ像のある橋)の近くにある藤戸饅頭の本店が営業していなかったことでした。
私はその代わりに岡山駅で内田百閒の大好物だったという大手饅頭を買いました。
私はこしあんの饅頭がすきなのであります。粒あんは苦手です(と、土産の催促をしている)。
ゼミの皆さんのお土産には、「ひとつ私に下さいな♪」のきびタンゴを買いました。来週の木曜日に開封します。
なお、今週土曜の『小右記』講読会の際には、愛知の野口君のお土産「ういろう」をご賞味頂く予定でおります。
☆ 日本大学の川合康先生より、御高論「鎌倉幕府の草創神話-現代人をも拘束する歴史認識」掲載の『季刊 東北学』27を御恵送頂きました。
川合先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 東北芸術工科大学で入間田宣夫先生のゼミに所属された大内朋香さんより、御高論「源氏物語にみる「御をくり」(葬送)の情景」(東北芸術工科大学歴史遺産学科『歴史遺産研究』6)を御恵送頂きました。
大内さんに、あつく御礼を申し上げます。