明日は平日ダイヤで運行。

No.8113

 明日は国民の祝日ですが、京都女子大学では平常授業が行われますので、ゼミの講読会も実施することに致します。

 本日のゼミには、久しぶりに大森さんが御参加。私こと、『吾妻鏡』をそっちのけにして、イタリアの話にのめり込んでしまい失礼致しました。
 岩田君には、是が非でも、某書の書評に真っ正面から取り組んで頂きたいと思います。

 ☆ 東北福祉大学の岡田清一先生ならびに岡田ゼミナール33期生の方々より、研究年報33輯『宮城県岩沼市調査報告書-地域研究の方法と課題-」を御恵送頂きました。岡田先生の御高論「中世の岩沼、中世の名取郡-岩沼中世史の研究課題-」が収録されています。
 東日本大震災被災直後の御刊行、さぞかし大変だったことと思います。
 岡田先生と岡田ゼミ33期生の皆様にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 早稲田大学名誉教授の瀬野精一郎先生より、新刊の御高著『『鎌倉遺文』の研究』(東京堂出版)を御恵送頂きました。
 「あとがき」の末尾に記された「本書を刊行することによって、竹内先生と私との、暗黙の約束を果せたと安堵している」という一文には、とても重いものを感じました。
 瀬野先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学名誉教授の千田稔先生より、新刊の御高著『新・古代史検証 日本国の誕生4 飛鳥の覇者 推古朝と斉明朝の時代』(文英堂)を御恵送頂きました。
 こちらの「あとがき」の末尾に記された「歴史にまつわる研究にたずさわる者も、やたら、権力の興亡史を探るのではなく、まして、さめきった実証の枠組に得意顔してはまることをみずから恥じらい、人間の真の存在をみつめねばならない時が、到来したことを、切に思います」という文章も、胸にグサリと突き刺さるものがありました。
 千田先生に 、あつく御礼を申し上げます。

五月の『吾妻鏡』

No.8114

 連休を挟みまして、次回は五月の木曜日『吾妻鏡』のご案内です。
 けっこう重要な記事が続いておりますので、なかなか進まないのですが、きちんと理解できるようじっくり読みたいと思います。

 日時:2011年5月12日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:弘長三年(1263年)八月十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 「木曜日の『吾妻鏡』」5月は12(木)、19(木)、26(木)と開催予定です。

 今年度から木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

「緑茶」と「紅茶」ではどちらが美味いか?

No.8111

 このところ、今日はこの仕事を片付けようと研究室に出掛けると、必ず、まったく「想定外」の用件が待ち受けていて、予定の仕事がぜんぜん進まず、溜まる一方という事態が続いていて、疲労感から解放されません。
 二月に、よい機会だからとイタリアに出掛け、その後に年度末の仕事を片付けようと思っていたら大災害が発生、というあんばいで、すっかり予定が狂い、原稿締切のお約束も確実に守れなくなりそうです。面目ありませんが、近々、個別にお詫びの連絡を差し上げたいと思います。

 さて、昨日の「基礎演習」における角田さんの発表は、とてもユニークなものでした。いろいろな種類のペットボトルのお茶を試飲して、すっかりお茶腹になりました。それにしても「緑茶」が「紅茶」に化ける話は面白い。「紅茶」になると、砂糖やレモン・ミルクで引き立ちますね。
 ここで教訓。⇒人間もこのように化ければよいのだと思います。

 Ⅴ講時目の「基礎・教養科目」の講義は、なりふり構わずいつもの調子でやっておりますが、出来るだけインパクトのあるお話で、受講者に自分で考えて頂く材料を提供できればと考えております。

追悼。そして明日の授業予告。

No.8109

 今日で、JR福知山線脱線事故から6年。本学史学科で西洋史を専攻されていた四回生がこの事故で亡くなられました。御冥福を祈りたいと思います。

 そしてまた4月25日は、私が千葉に住んでいた時代に大変お世話になった吉野幸久先生の御命日でもあります。先生は、私が1972年6月に母校千葉東高校で教育実習をしたときの担当教員。私を大いに評価して、二週間で28時間も授業をさせて下さいました。院生時代には生活を心配して塾講師のアルバイトや高校の非常勤講師の仕事を紹介して下さり、高校に就職する際もいろいろ相談に乗ってもらいました。常に、こちらからお願いするというより、先生の方から先回りして手をさしのべてくれるといった有様だったと思います。先生は校長になると、さっそく私を日本史担当の教員として招いてくださいました。人生の大恩人の一人です。しかし、1995年、還暦にいたる前に亡くなられました。

 同じ年の数日前、私はもう一人、人生の恩人を失っています。千葉県における中世城郭研究の先鞭をつけた清川一史(いっし)さんです。清川さんは兄のような存在で、たしかまだ私が大学一年だったとき、千葉の城跡でお目にかかったのをきっかけに、知己を得たのだと思います。当時、清川さんは早稲田大学の学生でした。清川さんは聴覚障害者だったので、意志の疎通は筆談。作家をされているお母様が電話で連絡をして下さり、よく市川駅前の喫茶店で筆談で遣り取りをしていたことを思い出します。清川さんは精悍な風貌、行動的な人で、いろいろ城跡に連れて行って下さり、自ら現地を歩いて作成した沢山の城郭の縄張図を頂きました。御健在ならば、まだまだ活躍されていた世代です。

 という次第で、四月の末はいろいろ昔のことが思い起こされる時期なのです。

 さて、明日の授業。まず、Ⅲ講時の現社「基礎演習Ⅰ」ですが、いよいよ個別発表が始まります。先陣を切るのは角田さん。
 発表のテーマは「お茶」とのこと。お茶の歴史について話をしてから、市販のペットボトルのお茶を何本か持って来て、みんなに飲み比べてもらって、アンケートを取るというような段取りをお考えのようです。
 お茶が出るなら、御菓子を用意しないといけませんね。
 それから、オリエンテーションと史跡見学の時に撮影した記念写真を配付します。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目」のテーマは「日本女性史概説」です。資料は100部用意しましたが、足りるかな?

【追記】
 ☆ 栃木県立宇都宮商業高校の松本一夫先生より、新刊の御高著『日本史へのいざない2-考えながら学ぼう-』(岩田書院)を御恵送頂きました。
 松本先生に、あつく御礼を申し上げます。

若者たちへ

No.8105

 本日、昼間は暇だという御人は、NHKプレミアムで14:00から放送される ハイビジョン特集「日本最大の国宝絵巻 法然上人絵伝~中世・心の原風景をよむ」を御覧あれ。

 暇が無い人にも御覧いただきたいのは、22:00からの BSシネマ「若者たち」。まぁ、団塊世代の内面理解には大いに役立つと思います。
 
 私もこれを視てスタート地点の自分の姿を思い出したいと思います。

【追記】
 ☆ 茨城大学の高橋修先生より、御高論「中世史を関西で学ぶ幸せ、関東で学ぶ楽しさ」掲載の『人民の歴史学』第187号、および御高論「中世前期の都市・町場と在地領主-中世都市・宇都宮をめぐって-」(『中世都市研究』15)・「中世東国の在地領主と首都・京都-宇都宮氏を事例として」(大阪市立大学都市文化研究センター編『都市の歴史的形成と文化創造力』清文堂)を御恵送頂きました。
 高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

パイレーツ・オブ・瀬戸内-次回『吾妻鏡』-

No.8107

 いろいろな情報を伺うにつけ、来年の大河ドラマはグーンドックスの少年たちが片眼のウィリーの財宝を求める物語、というよりは、浦安のアドベンチャーランドにゆかりのある映画のほうが近いかもしれませんね…。
  http://www.tokyodisneyresort.co.jp/tdl/al/atr_carib.html
 寒暖、晴雨の一定しない日が続きますが、みなさまどうぞご自愛ください。
 次回の木曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2011年4月28日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:弘長三年(1263年)八月七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 「木曜日の『吾妻鏡』」5月は12(木)、19(木)、26(木)と開催予定です。

 今年度から木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

治承・寿永内乱の立役者は十郎さんか

No.8104

 なかなか復調に到らず、本日は朝から左の偏頭痛と生あくびの連発。こういうときには会議に出られません。

 仕事にもなりませんが、長村君の論文は読めました。行家こそ、源平内乱を影で動かした張本人のように思えてきました。あの後白河院でさえもが、彼にのせられている模様。戦争は下手で、先見性にも乏しいが、けっこう好人物だったのではないかと思えてきました。
 小説家の皆さんは、こういう人物を取り上げたらよいと思います。

 熊本の落雁の御菓子はとても美味しかったです。ご馳走様でした。「朝鮮飴」の味もなつかしい(催促している訳ではありません。←否、明らかに、している=天の声)。
 この御時世のこと。人間30代前半くらいで人生の行く末が分かるものですか!希望ややりたいことには、まだまだ執着すべきだと思います。

 ☆ 鶴見大学の平藤幸先生より、御懇書と共に御共著『中世文学十五講』(翰林書房)ならびに御高論「帥典侍考」(『国文鶴見』45)・「平時忠略年譜稿-付 詠作拾遺-」(同)を御恵送頂きました。
 平藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

♪ あんた方何処さ、肥後さ、熊本さ。

No.8099

 治承・寿永内乱期に活動した人物の中で、以前からもっと調べてみたいと思っていた源行家(新宮十郎)について、待望の専論が出ました。
 長村祥知「源行家の軌跡」(『季刊iichiko』110)がそれです。

 なお、木曾義仲についても、『古代文化』の次号に長村君による、従来のイメージを根底から覆すような、実証的でありながら斬新な内容の論文が掲載されるとのことです。乞う!ご期待。

 本日のゼミ、史学科3回生の川上さんが初参加。
 >尾田さん 美味しいお土産をありがとうございました。

 お昼休みからは「千客万来」というか、「万客億来」。インド旅行のお土産や熊本の御菓子を頂戴致しました。

『小右記』は5月から開講。曜日は土曜日。

No.8094

 ゼミ史料講読会のうち、『小右記』ですが、牽引役の大谷さんの御都合により、水曜日の実施は困難ということで、土曜日の午後に曜日と時間を変更することに致しました。
 午後2時から5時くらいまでと時間を2倍にし、毎週ではなく、月二回の割りで実施する予定です。初回は5月7日になります。場所は共同研究室(もし、行事等で使えない場合は教授室に変更します)。
 資格関係の科目を履修している方の参加が難しくなる場合があるかとも思いますが、水曜Ⅳ講時では授業があって出席できないという学生さんが多かったことですし、社会人の方などは参加がし易くなるのではないかと期待しています。
 実施形態の詳細については大谷さんから告知があると思います。

 ☆ 法政大学大学院生の花岡康隆さんから、御高論「南北朝・室町前期信濃守護小笠原氏の人的基盤についての基礎的考察」(『法政大学大学院紀要』66)を御恵送頂きました。
 花岡さんに、厚く御礼を申し上げます。

 ☆ 瀬野精一郎先生より、佐世保随筆集『はまゆう』108号~110号に御執筆になられたエッセイ三篇を御恵送頂きました。
 瀬野先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 名古屋学院大学の早川厚一先生より、御高論「『源平闘諍録』は五冊本で成立したか」(『名古屋学院大学研究年報』23)および早川厚一・曽我良成・橋本正俊・志立正知「『源平盛衰記』全釈(六-巻二-2)」(『名古屋学院大学論集(人文・自然科学篇)』47-2)を御恵送頂きました。
 早川先生に、あつく御礼を申し上げます。
 なお、複数部数を頂きましたので、ゼミ関係者で必要な方はお申し出下さい。

 ☆ 本学文学部史学科の瀧浪貞子先生より、御高論「女帝と『万葉集』-草壁「皇統」の創出-」(『史窓』68)を御恵送頂きました。
 瀧浪先生に、あつく御礼を申し上げます。

『小右記』講読会の御案内

大谷久美子
No.8095

野口先生
 告知ありがとうございます。最近いろいろとバタついておりまして、書き込みが遅くなってしまい、すみませんでした。
 午前の神戸での講義に引き続き、先ほど京都で5講時の講義が終わりました。水曜日は1日3講なのですが、往復に時間がかかるのが最大の難点です。御陰様で講読会の時間までずらしていただくことになってしまい、御参加(を御希望)くださる方々には御迷惑をおかけいたしまして、たいへん申し訳ありませんでした。


 さて、改めて今年度『小右記』講読会についてお知らせ申し上げます。初回は、

日時:5月7日(土)14時~
場所:京都女子大学L校舎3階 共同研究室
範囲:『小右記』長和四年(1015)五月十七日条(発表担当;大谷)

です。初回は『小右記』や当時の社会の概説から今までの内容についてのまとめ(おさらい)から始める予定にしておりますので、史料講読は初めて…という方にもお気軽に御参加いただけるかと思います。

 なお、先生からも御案内いただきましたが、今年からは月2回、土曜日の午後に実施したいと思います。何週目に実施するかについては、参加者同士の予定を勘案しながら決めていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

『吾妻鏡』講読会のご案内

山本みなみ
No.8097

  
  4年目を迎えます『吾妻鏡』講読会ですが、前期は毎週金曜日(月に1回休会)
  開催となりました。明日から始まります。

  日時:4月22日(金)10:40~12:05
  場所:京都女子大学L校舎3階 共同研究室
  範囲:『吾妻鏡』元暦元年(1184)二月八日条~

  今のところ、参加メンバーは国文院生1名、国文4回生1名、史学4回生2名です。 
  新たに参加をご希望される方がおられましたら、お気軽においでください。
  

歴史学の究極の目的は政治史にある。

No.8098

 大谷さん、山本さん、告知をありがとうございました。
 かくして、本年度のゼミ史料講読会も無事スタート。今日は鈴木夫人も久しぶりに出席されました。

 >鈴木君、『紫苑』第9号PDFのアップロード、お時間のあるときに宜しくお願い致します。
 
 当方の体調について、多くの方から御心配を頂き、恐縮しています。
 「ふっか~つ!」とばかりに意気込んではみるものの、やはり何処かに異常を感じてしまうというのが現状です。「年寄り」になったことを実感しています。

 今日の『吾妻鏡』講読会では、千葉氏がらみで、今まで気がつかなかったスゴイ記事を発見しました。史料は何度もちゃんと読まなければいけませんね。

京都の天気は雷雨のち晴れ、のち小雨

No.8093

 明日の『小右記』講読会は月一回のお休みの日です。

 このところ全身が衰弱しているらしく、今日はのどが痛みます。
 Ⅲ講時の史跡散歩。朝方の雷雨にもかかわらず、すっかり晴れ上がりましたので決行。全員参加。それに、わざわざ新潟から田中(現姓、丸山)さんが参加して下さいました。
 例によって豊国神社と後白河天皇陵の前で記念写真。オリエンテーション風景と共に、いずれプリントアウトしてお渡ししたいと思います。

 どこで決まったのか、オフィスアワーの時間を書いたプレートを研究室のドアに掲げることになったようで、私も月間予定表の隣に掲出させて頂きました。御覧おき下さい。
 しかし、研究室を訪問するのは基本的にアポイントメントをとってからというのが常識。そうして頂きさえすれば、別にオフィスアワー以外でも構いません。

 本日は原稿の御依頼の電話が2件。そして、先週ドタキャンで御迷惑をおかけした伏見区役所の方とも、ようやくお目にかかることが出来ました。  

明日19日(火)の授業について

No.8087

 何とも気がかりなのは、放射能汚染の問題です。

 ノルウェー気象研究所による今後の放射性物質の流れのシミュレーションがアニメーションで見られます。
 ⇒http://transport.nilu.no/products/browser/fpv_fuku?fpp=conc_I-131_0_;region=Japan
 これを見ると、首都圏はもとより関西圏も安心できません。

 ネットから得られる原発問題の事実関係に関する情報の中で、私が信頼し、対応の参考にさせて頂いているのは、中部大学の武田邦彦氏、写真家の藤原新也氏、同業の文教大学教授中村修也氏のブログです。

 さて、明日19日(火)の授業ですが、Ⅲ講時の基礎演習Ⅰは、履修生の親睦を兼ねて京都女子大周辺の史跡見学。13時に共同研究室前に集合。ここで、資料を配付の後、馬町から方広寺・豊国神社・三十三間堂のあたりを巡見します。短距離とはいえ、歩きやすい服装で。

 Ⅴ講時の基礎教養科目B25(女性の視点から日本中世の歴史を考える)のテーマは「多元的社会としての日本」。日本社会の多元性について、とくに東日本と西日本を比較する形で論じます。前回は前年度と同数の出席者を見込んでレジュメを用意したのですが、教室いっぱいの学生さんで(座席は足りていたのでしょうか?)、全員に行き渡りませんでしたので、今回は30部ほど増刷するつもりです。なお、前回分は増刷しませんので、自力救済をお願い致します。

 ※ 前にも書きましたが、Ⅲ講時の史跡見学の同行者を募集中です。

19日(火)雨天の場合

No.8092

 Ⅲ講時の史跡見学はミーテイングに切り替えます。共同研究室にて。
 

傍らに人無きが若し

No.8085

 思うことあって、4年ほど前に宗教部の発行している『芬陀利華』という新聞に掲載した拙文を転載させて頂きます。

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【傍若無人とシカト】
 「傍若無人(ぼうじゃくぶじん)」という言葉がある。これを読み下すと「傍(かたわ)らに人(ひと)無(な)きが若(ごと)し」。つまり、「周囲にいる人を人と思わないような行動をする」という意味である。『日本国語大辞典』で調べると、中国の古典である『史記(しき)』の用例が示されているが、院政期の貴族の日記『中右記(ちゅうゆうき)』や南北朝の動乱を活写する『太平記(たいへいき)』などにも所見していて、我が国でも古来ひろく使われていたようである。
 人を人と思わないというのは、要するにその存在を否定すること。すこし古い若者言葉で言うと、イジメの最悪の方法である「シカト」(もとは博奕(ばくち)打ちの間で使われた隠語(いんご))と同じことである。したがって、イジメが学校や職場に蔓延(まんえん)しているように、「傍若無人」もそこら中に広まりを見せている。
 たとえば、密集した住宅地の狭い庭で隣近所の迷惑を顧みずにモウモウたる煙と悪臭を発散させながらバーべーキューを行う。日曜大工と称して電動工具を持ち出して大騒音を発する。早朝深夜にマフラーを改造した車で住宅街を爆走するなどという事態である。私のゼミのメンバーにも、アパートの隣室の騒音のために論文執筆を阻害されている気の毒な院生さんがいる。
 こうした行動に走る人たちにも理屈があるようだ。庭で家族と食事が出来るステイタスをえたことを実感したい、周囲の注目を浴びたいなどという「小さな幸せ」を実現してどこが悪いのだというのである。しかし、かれらには、心地よい風の吹き込む春の日の夕刻に家中の窓を閉ざさなければならない隣人や、ようやく寝かしつけたばかりの赤子に目を覚まされて途方に暮れている憔悴(しょうすい)しきった母親の姿などが、まったく見えていないらしい。かれらは、隣人、さらにいえば社会を「シカト」しているのである。
 物理的に身体を接している他者がいるのに、その存在を意に介さないという人も多い。電車内で化粧をする女性、カシャカシャと耳障(みみざわ)りな音を漏らしながらイヤホンで音楽を聴いている人たちなどがその典型である。電車内で化粧をする女性にとっては、化粧をした後の姿を見せる対象とする個人または集団のみが人間であって、同じ車両に乗り合わせた人たちはモノに過ぎないのであろう。
  「袖(そで)刷(す)り合うも多生(たしょう)の縁」という人と人とのスタンスが大切にされていた時代には、これに類する行動をよしとする人は極めて少なかったはずである。

 【社会と人心の激変】
 歴史学者網野善彦(あみのよしひこ)は、日本社会史上の分水嶺(ぶんすいれい)の一つを1960年代に求めた。60年代は、民俗学者宮本常一(みやもとつねいち)がその名著『忘れられた日本人』に記録したような、在地社会に根付いた前近代以来の基層文化が、高度経済成長の名のもとに払拭(ふっしょく)されてしまった時代である。
 各家庭にテレビと電話が普及したのは、ちょうどこの頃であった。その後、ファミコン・パソコン・ケータイなど、人と人、人と社会を媒介(ばいかい)する情報機器は飛躍的な進歩をとげ、それにともなって個人と個人、個人と集団・社会・国家の間における意識のスタンスは大きく変化した。
 この間の恐ろしいほどの人の心の変化は、1951年生まれの私自身が直接かつ深刻に経験するところである。知識は身体に備わった五感を放棄した形で容易に獲得できる使い捨てのものとなり、確実に人のあり方、社会のあり方は悪くなった。人はその場にいる人間を眼中に置かず、想像力を失い、自分の世界に埋没(まいぼつ)するようになった。

【現実と向き合おう】
 しかし、バーチャルな世界では何でも自分の思うようになっても、現実はそうはいかない。周囲への配慮(はいりょ)を怠(おこた)ると何事もうまく進まない。その結果、思い通りにならない状況に対応できないで、逆上してしまう人間が増えている。人々は、人にとって最も大切な「無我の自覚」という、自分は自らの意志によって存在し得ないものであるという本質的な認識から、どんどん遠ざかっているのである。
 人をバーチャルな世界にいざなう道具たちは、人々の社会に対するまっとうな認識を阻害(そがい)し、想像力を破壊することに拍車をかけている。人が道具に隷属(れいぞく)させられているのである。このままでいくと、目にはゴーグル、耳にはイヤホン、口はマスクで閉ざした化け物のような集団が街中を支配することになるであろう。
 時には、キーボードを叩(たた)く手にペンを持たせ、パソコンのディスプレイで疲れさせた目は紙に書かれた文字で癒(いや)そう。身体に備わった五感を鍛(きた)えて生々しい現実と向き合おう。そうすれば、自(おのず)ら然らしめる不思議な働きに対する敬虔(けいけん)な心と、その働きに応えるための意志の自覚を持った人間に、少しは近づけるようになるのだと思う。
 巷(ちまた)には、本能的な感覚や帰属集団の意志に引きずり回され、自分の物差しを持てず、批判力を奪われ、だから敵と味方を見誤っている人が溢(あふ)れかえっている。こうした状況に対峙(たいじ)することこそ、本来の大学と大学にある者の使命であろう。
 私は貧弱な一歴史学徒にすぎないが、せめて、過去に生きた数知れない人たちの存在や彼らの築きあげた文化を、現代の人々、とりわけ権力者たちにシカトや曲解をさせぬように、日々の研究と教育に邁進(まいしん)していきたいと考えている。