松殿山莊(摂政藤原基房の別業址)の見学

No.806

本日、拙宅の近く、木幡南山に所在する松殿山莊(松殿基房<1144~1230>の別業跡に立地)の見学に行って来ました。一般公開は20年ぶりとのことです(予約申込制、締切済み)。
この山莊は近代の茶道家・高谷宗範が1918年から十年以上の歳月をかけて完成したもので、建築・庭園ともに他に類例をみない、なかなかのものでした。敷地は6500坪、建物だけで1000坪もあるそうです。お茶の接待をうけ、書院造りの建物や方円のプランで設計された見事な庭園を鑑賞させていただき、京中の観光地とはまったく異なる趣の中で、秋の風情を楽しむことが出来ました。
しかし、すでにお察しのように小生がそのような高尚な趣味を持っていようはずはございません。小生はかねがね、宇治と京都の中間に位置し、西に巨椋池から鳥羽、さらには摂津・河内を臨み、比叡山・愛宕山も眺望できるというこの地の軍事的重要性に着目していたのです。北の崖下を流れる堂の川をはさんだ低地には、藤原道長の墓の営まれた浄妙寺が置かれていましたが、ここは独立した台地上に位置し、ちょうど中世城郭の立地にふさわしいところです。基房がこの台地上に別業を営んだ理由もその辺にあり、おそらく中世を通じて、この地が軍事・戦略上の要地であったことは間違いありません。山荘の敷地内には、空堀と思われる痕跡や高さ1.2㍍ほどの土塁が別業跡の周囲を囲むように数百㍍にわたって遺存していました。ぜひ、考古学研究者に調査のメスを入れていただきたいものです。山田邦和先生をお誘いすればよかったと思いました。
ちなみに、松殿基房の娘・伊子は木曽義仲の室となり、義仲滅亡後は源(土御門)通親に嫁したことが知られますが、その通親との間に生まれた道元(曹洞宗開祖)の生誕地は、この木幡の松殿別業であったといわれています。小生は体育会系的な今日の永平寺は苦手ですが、平雅行先生の御研究などから、道元の女性観には感心させられておりました。そんなことを考えながら、寒気に包まれ始めた松殿山荘をあとにした次第です。この寒さで、ちょっと体調をくずしそうなので、午後に予定していた日本史研究会大会行きは中止しました。
なお、山莊で御案内いただいた方のお話によりますと、明日、上横手雅敬先生がお出でになられるとのことでした。

>>本日、日本史研究会大会に出かけられた方へ
母利先生の御報告など、その他、大会の様子をレポートしていただければ幸いです。

法住寺殿跡見学会中止のお知らせ

No.804

在京の方以外からの参加希望がありませんでしたのでno.697所掲の法住寺殿跡見学会は中止します。参加を希望された在京の方については、適宜御案内の機会を作りたいと思いますので、御了承下さい。
平田さん・長村君は卒論で大変なご様子ですが、早くも11月も下旬となり、小生も12月・1月は講演・研究発表やら論文・書評の月末締切等々と、大変な事態に立ち至っていることに気がつきました。目が覚めたら、すでに出勤時刻だった時のようなゾッとする気分です。いよいよ背水の陣をしかなければなりますまい。
卒論・修論・院試に臨む諸姉兄よ。あの「後悔」というイヤーな代物に遭遇しないよう、ともにしっかり頑張りましょう。

同志社EVE能

長村祥知
No.798

基本的に、本HPはゼミ員を中心とした学問交流の場であると心得ています。
・・・ので、大変心苦しいのですが、この場をお借りして、
「同志社EVE能」の宣伝をさせていただきます。
現代に伝わる(多分に変化しているとはいえ)日本中世文化を代表する芸能でもあり、世界文化遺産にも登録されましたので、許されるかと勝手に判断して・・・

11月28日(金)、於金剛能楽堂、9時半始曲(入場無料)
 (金剛能楽堂の地図)
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ijiri/map.html

 11時半頃、能 「賀茂」
 2時半頃、 狂言「名取川」
 3時頃、  能 「清経」
 4時半頃、  狂言「朝比奈」
 5時半頃、 能「船弁慶」
  他、仕舞・舞囃子多数
(時間は大体の目安で、前後することがよくあります。ご来場賜ります場合は余裕を持ってお越し下さい。)

学生が出す舞台ですので、技術は拙いのですが、若さ故の一途さ、と言いますか、プロの芸では味わえないものが感じられて、しかも無料なので僕は学生の自演会は大好きです。

そして、この日は四回生の卒業公演です。
実は、私長村は狂言を習っておりまして、学生最後の舞台で
狂言「朝比奈」に出演いたします。(シテ=朝比奈三郎で)
学問も芸事も、どちらも中途半端ではありますが、僕の四年間の大部分を占めています。四年間続いたことに、感慨も一入です。

卒論・修論の合間の一時に、違う世界を観てみるのもよいことかと存じます。無料ですので、気軽にのぞいてみてください。


ちなみに、朝比奈三郎義秀は和田義盛の三男で、和田合戦の時に戦死したとも、戦場から逃れたとも伝えられます。(吾妻鏡)また、巴御前の子と言う伝承もあり(源平盛衰記。これは年齢計算が合わないとされていますが)、太平記や御伽草子の世界を通じて中近世の伝説的英雄だったようです。朝比奈伝説の一つが、この狂言「朝比奈」。「地獄破り」を題材としています。

参考までに、
京都学生狂言研究会HP「太郎冠者」の演目紹介
http://www.tarokaja.com/list/frame.htm
を挙げておきます。

田中姉さま。と、いう訳で卒論が危機的状況なので、湖東三山は遠慮させていただきます。すいません・・・

朝比奈三郎義秀

No.807

長村君は真面目で堅い。この掲示板は、メンバーの活動紹介といった、こういう目的で使っていただいて良いのです。そもそも貴兄は当ゼミ歴史学分野における学術面での最高指導者的な地位?にある人物ではありませんか(なにやら某国権力者の序列表記みたいになってしまいましたが)。「御遠慮無用にてござ候」
ただし、残念なことに小生は29日、埼玉県飯能市の市民会館で「源平内乱と武蔵の武士たち」という講演を一席つとめる用務があり、28日から東下いたしますので、観賞に伺うことができません。長村君の朝比奈三郎をぜひ拝見したかったのですが、残念です。
朝比奈三郎は実在の人物で、鎌倉幕府侍所別当・和田義盛の子。名字地の朝比奈は安房国の郡名「朝夷」です。伝承では義盛と巴御前の間に生まれたことになっておりますね。
これも伝承話ですが、小生の配偶者は朝比奈義秀の子孫ということになっております。その実家の庭先から臨むことの出来る「三日月山」(栃木県下都賀郡壬生町朝比奈)には、古色蒼然たる巨大な五輪塔があり、義秀の墓と伝えられています。ここには何故か同時代の摂津渡辺党の武士(一字名の名前は失念)の墓という、同じくらいの大きさの五輪塔もあります。これまた、中世芸能民の活動の痕跡でしょうか?田中さん(こんなところで恐縮ですが、21日にいただいたケーキはたいそう美味でございました。ご馳走様でした)。
義秀の亡霊が乗り移ったかのような、同志社EVE能の歴史に残る名演を長村君には期待しています。お財布も早く見つかればよいと思っています。時間のある方は、長村君の晴れ舞台をぜひ見に行ってあげてください。

Re: 同志社EVE能

長村祥知
No.808

野口先生にそこまで言って頂くとは、もったいない限りです。
僕は「朝比奈」という地名は安房国の「朝夷」しか知らなかったので、栃木に(伝)お墓まであり、さらにさらに孝子先生の祖先と聞いては、びっくり仰天です。

舞台なんかうっちゃって先生の講演を聴きに行くべきですが、さすがにそれはできないので、先生のご成功をお祈りしております。

「朝比奈」の時間なんですが、5時を回るかもしれません。本番はみんな練習どおりにできなくて、時間が本当に読めないんです・・・

それにしても、私のお財布よ、はやく戻ってこーい・・・

道長や秀郷でない「藤原氏」の展覧会

No.796

四条にある何必館(京都現代美術館)で「藤原新也展」が開催されています。くわしくは下記をご覧下さい。
http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html

Re: 道長や秀郷でない「藤原氏」の展覧会

No.800

先生、貴重な情報をありがとうございます!!
孝子さんに本をお借りしてからすっかりファンなので・・・照

また見に行かせていただきます!!

湖東三山ツアーについて

田中裕紀
No.791

ゼミの皆様こんばんは。
さて、先日書き込みました湖東三山ですが、どうやら皆さんの予定を鑑みると11月30日に決行するのがよさそうですね。我が家の車が出せればいいのですが、もしダメならレンタカーになるでしょうか。予定としては9時に京都(場所は後日決めましょう)を出発すると後の予定が楽なのではないでしょうか。で、私の希望としては時間があれば多賀大社なんかにも行ってみたいです☆もう一度人数確認をしたいので、行きたいという人はレスをください。必ずですよ、山本さん・野口くん。

Re: 湖東三山ツアーについて

No.792

保険とかの関係もあるんで、レンタカーにしましょうか?
僕は参加します。教育大生協で申し込む事もできますよ。
京都駅八条口にある営業所になると思います。
いろいろみたいですのでよろしくお願いします。運転手がんばりますよ~

Re: 湖東三山ツアーについて

No.793

私も行きます~!当日ってやっぱ寒いですよね。。。防寒しっかりしていかないと!!ダウンジャケット出して備えておきます!あ、ご朱印帳も忘れないようにせねば!!

駄目だし男パート①

No.794

田中さん、実名での駄目だしはきついです(泣)。
一応、宿老としての立場があるので。
(「そんなもんあると思ってたんですか~」というセリフが、帰ってきそうな気がする)
11月30日の「湖東三山」ツアーには、もちろん参加します。
以前湖北地方の寺院を巡ったので、前々から、次は湖東地方にいきたいと思っていました。
もう、湖東三山の具体的な行く場所等は、決まったのでしょうか?
自分は、佐々木道誉の勝楽寺を希望します。よろしくお願いします。

湖東三山

田中裕紀
No.795

>山本さん。
 そんなことを言われると、何でもダメ出ししたくなります。天邪鬼なもので(-u-)勝楽寺は西明寺近くですから、行けるのではないでしょうか。早起きしましょう。勝楽寺の詳細はこちらへ。↓
http://siro.parfait.ne.jp/oumi_castle/second_page/syourakuji/syourakuji.html
>鈴木くん。
 レンタカーの方がかえって楽かもしれません・・・とも思っております。同志社の生協でもレンタカー申し込めますので、人数が確定しだい申し込みということで・・・というか、早めに申し込んでおいたほうがいいでしょうか???
>永富さん
 朱印帖は必須アイテムです☆先日の東京下向の折にも浅草寺で一つ朱印を頂いてきましたよ。自称「東京でも朱印帖を持ち歩く女」(笑)11月の半ばの比叡山が相当寒いので、11月末の湖東はダウンあったほうが絶対いいですよ。先週の三井寺ですら寒かったので。滋賀県は寒いです。

追加

田中裕紀
No.797

湖東三山参加者のみなさまへ。
 うちの大学院にいて、狂言を勉強しているオンドレイ・ヒーブルさんも一緒に参加させて頂いて良いでしょうか???チェコ人の留学生で、日本語もとてもお上手です。ちなみに、同志社の狂言会で長村くんの知り合いにあたります。チェコでのワークショップの話なんかもたくさん聞けるかと思います。

Re: 湖東三山ツアーについて

No.799

田中さん>もちろん大歓迎です♪初めての人と話すの大好きです!!わ~い楽しみ~♪♪♪

Re: 湖東三山ツアーについて

No.801

今のところ参加者は5人ですか?
という事は、車がでかくなるんでしょうか?
できれば、プレマシーかストリームあたりのミニバンがいいですね。山本さんも運転OKですよね?w

駄目出し男パート②

野口 洋平
No.802

レスが大変遅れて申し訳ありません。ちょっと家の事情でいろいろばたついてまして...。
遅ればせながら30日はもちろん参加します...といいたいところなんですが、家の都合でもしかしたら行けなくなる可能性があるんです。
けど湖東三山は是非いきたいので参加の方向でお願いします。今の状態ならおそらく大丈夫だと思いますので。
返事が遅れたうえ勝手な事ばかりいってほんとすみません。どうかよろしくお願いします

Re: 湖東三山ツアーについて

平田樹理
No.803

私もレスが遅れてしまって、本当にすみません。
車でもないとなかなか行きづらい場所ですし、行きたいのですが、長村君同様卒論がやばいので今回は参加できません。
申し訳ないです。

田中さんへ

No.809

ところで車の方はどうなりました?
そろそろ紅葉も終わりの季節なので、道は大丈夫そうだと思うのですが。

湖東三山ツアーの車調達について

田中裕紀
No.810

鈴木くんへ。
家の車は姉が使うそうです。で、来週学校でレンタカーを借りようと思っていたのですが、それでよいかしら???プレマシーかストリームで大丈夫かと思いますが、私の好みはホンダ車ですので、あしからず。大きさ次第では私も運転できます。が、鈴木くんと山本さんが同時に骨折でもしない限り、私の出番はないでしょう。

Re: 湖東三山ツアーについて

No.811

僕的にもホンダ車の方がいいですね。ブレーキのききが良いらしいので。という事で運転は山本さんにお願いしましょうか?

車の方、よろしくお願いします。京都駅前の営業所でしょうか?

レンタカー

田中裕紀
No.812

私はホンダ車のアクセルのスムーズさがお気に入りです。
さて、レンタカーの営業所ですが、たぶん集合が京都駅でしょうから、やっぱり京都駅前のところですね。では、火曜日に早速借りてきます。

性格を見たり。

No.813

脈絡からはずれますが、ホンダ車にたいする鈴木君と田中さんの評価から、お二人の性格が期せずして露呈しているようで、面白く拝読させていただきました。クラッチが気に入ったという人がいれば、なお面白いのですが(野口君あたりかな?)、このごろはみんなオートマになりましたからね。
それにしてもアクセルとブレーキの加減は授業でも日常会話でも難しいところがあります。このところ反省しきりです(本日もしかり)。
ともあれ、湖東三山に行かれるみなさん、どうぞお気をつけて。
ちなみに、小生はドアの閉まる音でプレミオを買いました。ドアが開かないと田中さんに御指摘を受けた1988年式ビスタとは大違いです。

車うんぬん

鈴木潤
No.814

人を車に乗せるのも、話にのせるのも、ブレーキングの上手下手がポイントでしょうね。(笑)
大学の作業場を管理されてる先生が、元トヨタの下請けされていた方で
日産や他のメーカで、同じクラスだったとしても、ドアの作りではトヨタにかなわないと言ってました。やはりトヨタはトヨタですね。
>田中さん
値段が高くなければナビ付きがありがたいですが‥注文が多くてすみません

運転うんぬん

No.817

今日、田中さんにレンタカーの手配をしもらいました。
運転手の件はどうなるのでしょう?在地では、主に軽自動車を運転していたので、普通乗用車で七人乗りとなると、慣れるまで時間がかかるかもしれません。
鈴木君の「話をのせる」のと「車に人を乗せる」のは、ブレ-キングのテクニックと指摘していましたが、なるほどという感じです。自分は両方下手かも。人を話に乗せるというより、逆に乗せられるパターンが多いので。すでに今回のツアーも、乗せられているのかも(笑)。
運転だけでなく、文章(作文)に関しても、自分はブレ-キングのテクニックが必要だとつくづく感じています(泣×2)。
前回の発表のレジュメというか「駄文資料」を、どっかの企業みたいに自主回収したい気分です。
また新たな問題に立ち向かわなければならない日々です。
ガンバリマス。

Re: 湖東三山ツアーについて

田中裕紀
No.818

先に山本さんに書き込まれてしまいましたが、レンタカーの予約をしてきました。車種は予定通りストリーム(1700cc・ナビ付き)。京都駅前の営業所で、晩の8時半まで借りていますので、時間的にも十分でしょう。ま、ちょっと調べてみたところ、湖東三山はどこも大きな駐車場があるようですので、ちょっと気をつけたら大丈夫ですよ(私は運転しませんが)。というわけで、鈴木君、山本さん、運転お願いしまーす。カーナビのおまけナビならします。

Re: 湖東三山ツアーについて

No.826

田中さん>レンタカーの手配、ありがとうございました。
当日楽しみにしています♪
ところでレンタカー代は当日お支払いすればよいのですよね?おいくらぐらいになりますか???

Re: 湖東三山ツアーについて

田中裕紀
No.828

レンタカーですが、現在車代のみで¥9450です。保険、ガソリン代が加算されますので、当日精算するほうが良いでしょう。週間天気予報では残念ながら雨マークが出ておりますが、私と山本さんが晴れっ子なので大丈夫でしょう(←非科学的)

「紫苑」第二号について

No.784

遅くなりましたが、「紫苑」第二号の編集にあたって、原稿の依頼、規定などを書かせていただきます。
原稿を依頼した方々、お忙しいとは思いますが、何卒よろしくお願いいたします。

今回、原稿の締め切りは編集などの段取りもございますので、12月17日(水)とさせていただきます。(もちろんこれより前に出していただいても結構です。)
17日に提出していただけたら、その次の日のゼミですぐに推敲作業をさせていただきます。手直しなどの必要があれば、その次の週の25日(よりによってクリスマスですね☆)に再度提出していただきます。
年内に原稿がそろえば、冬休み中に私が責任を持って編集作業をさせていただき、年明けのゼミあたりでは原稿の下地が完成しているという状態でみなさんにお見せできればと考えております。
そして、そこから印刷業者に委託し、印刷、製本をして、晴れて二号完成!!という予定です。
ちょっとハードスケジュールですが、よろしくお願いいたします。

<原稿規定>
・字数は8000字程度とさせていただきます。

・原稿は、word、またはメモ帳で提出してください。wordで作成される場合はフォントや文字飾り、記号などの機能を使用なさらないよう、お願いいたします。(「」や『』などはOKです。でも☆や①などの機種依存文字は使わないでください。機種依存文字や、フォントにばらつきがあると後の編集作業がスムーズに進みません。)

・註をつける場合は、wordの編集機能を使って註つけるのではなく、お手数ですが手書きでその箇所に印または番号をつけておいてください。

・提出は直接永富に手渡していただいても、またはメールの添付ファイルでもどちらでもかまいません。

・段落、改行などはわかるようにはっきりさせておいてください。

何か不明な点があれば永富までご質問ください
よろしくお願いいたします。

京都と平泉

No.779

本日午前、ようやく京博の「金色のかざり」展を見てきました。一言で言って「圧巻」でした。新聞社などがかんでいないので、あまり宣伝はされていないようですが、日本史をやっておられる方は必見です。とくに京都法住寺殿跡と平泉志羅山遺跡出土の同時代の鏡轡が並べて展示してあったのには感激しました。この比較は、拙論「列島ネットワークの中の平泉」(入間田・本澤編『平泉の世界』)において図面で試みてはあるのですが、実物でそれがなされていました(もっともこの二つの轡について、両者の比較や製作者の推定に至るまでの御研究は京博の久保智康先生がされたことです→志羅山遺跡の報告書「岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告312集」参照)。これを見れば、すくなくとも12世紀段階における、京都と平泉の文化的関係は一目瞭然だと思います。「京都の研究者は、常に京都を地方の上位において、水が高いところから低いところに落ちるのと同じように文化を評価する」だとか、「『首都論』ですか、どうせ京都の話でしょ」などと仰っておられる(関東の)研究者の方の気持ちも分かるのですが(一部同意します)、これを御覧になれば、すこしはお考えが変わるかも知れません。日本史研究会で御上洛のさいに、ぜひ御覧頂きたいと思います。幸い24日までです。なお、NO.697で御案内申し上げた、小生主催の「法住寺殿跡見学会」は目下、参加者ゼロのようです。文字通り「余計なお世話」だったのかも知れません。
ちなみに、「金色のかざり」には、春日大社の国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」が出ていましたが、これには螺鈿で猫が描かれており、たしか『台記』に頼長が猫を飼っていた話があったのを思い出しました(間違いでしたら、御指摘下さい)。それ以上の思いつきは申しません。
ほかにも、中尊寺経・平家納経などが出品されており、12世紀末のことしか頭にない小生にも存分に楽しめました。
それにしましても、常設展の方にも「一遍上人絵伝」やら美福門院寄進の阿弥陀経やらが盛りだくさんで、こんな具合ですから、小生は、徒歩5分のところに職場があるのだから、月に一度は必ず京博に行かなければいけないのだという義務感にさいなまれるのです。
これを称して「キョウハクカンネン」と申します。お後がよろしいようで。

京博でも刊行物セール

No.780

NO.774に京都文化博物館の図録が半額で売られているという情報を書き込みましたが、京博でも一日だけ昭和41年から平成14年1月までに刊行した刊行物の中から完売分を除く61点を半額または30%引きで販売するとのことです。その一日というのは11月22日(土)で、この日は常設展の無料観覧日にあたります。来館者のみが対象とのことです。
博物館に勤務する研究者の血と涙と汗の結晶である刊行物の安売りとは、京都文博といい、どうしたのでしようか。まさか、阪神タイガースのリーグ優勝記念ではないとは思うのですが。

春日大社蔵 沃懸地螺鈿毛抜形太刀

前川佳代
No.782

再び、前川です。こちらこそよろしくお願いいたします。
京博に展示されている春日大社蔵国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」は、「沃懸地螺鈿毛抜形太刀」でしょうか?雀が宿る竹林でリボンをつけたが猫が雀を捕まえている情景が施されているもの。これについては、猪熊兼樹氏が「春日大社の沃懸地螺鈿毛抜形太刀の意匠」と題して『佛教芸術』266号(2003.1)に詳細な研究を展開されています。それによると、従来、和様工芸意匠の代表をされてきたこの太刀の装飾文はわが国独自の発想によるものではなく、当時請来されていた宋画の、それも流行していた画題をわが国の絵師や工人が学習し作成したものであることを論証されています。12世紀における和様といわれる工芸の見直しを迫るものであり、また当時どれだけの文物が中国から入ってきたかというネットワークについて、東アジア世界を見据える必要性を喚起するものと思います。ご存じかとは思いますが、ご参考までに。
猫といえば、奥州平泉館の焼け残った倉には銀造猫があったといいますし、その数年前に頼朝と西行が歓談したのちに頼朝が銀造猫を西行に渡していますよね。これらも中国からきたものなのでしょうか。どんな猫の意匠だったのでしょう?
猪熊氏の論文に目を通したばかりだったので、ぜひとも観覧にまいりたく存じます。

別ものです。

No.783

前川さんのタイトルに掲げられた太刀と、小生の紹介した太刀とは、すくなくとも呼称については別物です。その名称の太刀も隣りに出展されていました。
太刀の装飾意匠について、小生はまったくの素人ですが、当時の摂関家の家長は内裏の指図まで自ら作製するくらいですから、その方面の知識を持っており、工人に指示するくらいのことはあったと考えた方がよいのではないでしょうか。とりわけ、氏神へ奉献するほどのものですから。

Re: 京都と平泉

No.786

横レス失礼します。春日大社の金地螺鈿毛抜型太刀と沃懸地螺鈿毛抜型太刀は同じ物です。金地と指定名称ではありますが、技法は沃懸地です。また、野口さんがいう、その隣の太刀というのは、沃懸地螺鈿金装餝剱で、春日大社の遺品ではありませんし、太刀の様式も違います。念のため。

Re: 京都と平泉

No.788

すみません。同じのが2回入っちゃいました。ひとつ消去して下さい。

訂正。

No.789

近藤先生、御指摘ありがとうございました。
もう一度、図録で確認しますと、前川さんのおっしゃっている太刀は、この展示では「金地螺鈿毛抜形太刀」の名称で出展されています。ですから、指定名称と技法呼称の相違ということで、小生がNO.779で述べた太刀と同じ物ということになります(春日大社所蔵)。そして、その隣に展示してあったのは「沃懸地螺鈿金装飾剣」という名称で、東京国立博物館のものでした。
それにしても、指定名称と技法による名称とが専門家によって混用されるのは、研究上それなりの理由があるにせよ、社会還元・教育の場では、小生も含めた素人には迷惑な話であります。小生の専攻する「武士論」にも、こういうことがあるかも知れません。当事者は気づきにくい事なので、御指摘下さい。
「沃懸地」というのはよく分かりませんが、図録の解説文によると、金粉を密に蒔くという技法のようです。 

指定名称

No.790

文化財の指定名称は、指定する際に調査に関わった文化庁の担当官の見識で決まります。ですから、同じ技法や様式であっても、名称が異なることがよくあります。専門外や一般の方々はもちろん、われわれ専門に扱っている者でも混乱します。困ったものですが、文化庁は一向に改善する気がありません。ですから、私は論文などでは自分の見識で名称を変えますが、そうすると、所蔵者からクレームが付くこともあります。逆にいうと、文化庁の担当官には、私のように、遺品の名称(歴史的名称)に拘る人はいないということです。

遅ればせながら「源頼俊申文」について

前川佳代
No.771

初めて書き込みいたします。野口先生から小口氏が「源頼俊申文」について御高論を書かれたとお知らせを受け、掲示板を拝見いたしましたところ、議論されているようなので、実際に本文書を見た人間として一言書かせていただこうかと思いたった次第です。
私は2000年12月に宮内庁書陵部へいき『御堂摂政別記』柳原旧蔵本におさめてある「源頼俊申文」を実見させていただきました。
さて、本掲示板で問題になっている「貞衡」か「真衡」かであります。私が実見いたしたところ、大方のご意見のとおり「貞」であると思いました。ただ私はそれほど古文書に精通しているわけではありませんので、書体の特徴をメモ書きしてきた程度ですが、書陵部においでの石田実洋氏と検討させていただいた結果、「貞」でいいのではないかという結論でした。小口氏がご指摘のとおり一画目は横に短く入り、二画目の縦線の左に入ります。また下を「大」の字に作るのもそのとおりです。が、「大」の字の一筆目は短く止まりやや筆をうかして左と右にはらっています。元木先生のご指摘のように横線が突き抜けてないことは比較の対象にはできませんが、私のメモにはその次の行の9文字目にある「勧賞」の「賞」の字の「貝」のヶ所も同じく「大」の字に作ってありました。ゆえに「大」の字が根拠にはならないと考えます。ただし、小口氏が写本全体を検討され、柳原の特長であるなら考えなおさなければなりません。
そもそも本文書は江戸期に柳原紀光が書写したものです。現在は御堂関白記の抄出部の次に「裏ノ反古」と注書きされて申文が数通並ぶという冊子本であります。おそらくはこの形態のものを借り受け書写したと考えられます。申文群の年代から御堂は藤原師実本であろうかと推測されますが、柳原が書写するまで数回の書写があった可能性があることを考慮したうえで文書を使用する必要があると考えます。よく「貞」は「真」の誤記か?との指摘を見受けます。柳原が誤記した可能性は少ないと思いますが、柳原までの書写で誤記が生じた可能性は捨てきれない。しかしそれをいってしまったら、現在伝来している文書の多くは誤記だらけという危惧をいだかざるをえないわけです。したがって本文書の「字つら」のみを信用すると、やはり「貞」としか読めないかと思います。さらに野口先生のご研究で「貞衡」なる人物が実在した可能性があるのであれば、なおさらのことと思うのですが、いかがなものでしょうか?
なお、福原の情報はありがたかったです。私は神戸大学病院校内を治承4年11月11日に安徳天皇が移られた「新内裏」と考えております。おもしろくなってまいりましたね。

論文をよろしく。

No.772

前川さん、ありがとうございました。小口先生の御判読は、相当な確信的事実に裏打ちされているようなのですが、これまでの先生方の御意見によれば、どうも小生の説を再検討するほどのことはないようですね。それにしましても、この文書をズバリ、タイトルに掲げた前川さんの蝦夷研究会(盛岡、2000年12月)における御報告の早期論文化を小口先生は求めておられますが(別掲御高論注4)、この点については小生も同意見ですので、家事・育児・博士論文等々たいへんだと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
なお、前川佳代さんのことはすでにご存じの方も多いかと思いますが(歴史学を志す女子学生諸姉にとっては、神話的というか、あるいは伝説的とでもいうべき御経歴)、御紹介させていただきます。現在、奈良女子大学大学院博士課程に御在籍ですが、御出産と育児のために休学中。当ゼミ創設期にはいろいろ御助力いただいた方であります。そうです、滑川さんの先輩でもありますね。滑川さんを当ゼミに誘ってくださった八木さんを紹介してくれたのも前川さんでした。
前川さん、これからもしばしば御登場下さりたく、よろしくお願い申しあげます。

ぜひともご挨拶に

田中裕紀
No.778

 前川さん、はじめまして。同志社大学国文学専攻院生の田中裕紀と申します。以前から野口先生に前川さんのお話を聞いていましたので(史料編纂所にいらっしゃる岡さんからも聞きましたが)、ぜひともお会いしたいと思っていました☆掲示板の上ででもお会いできてとても嬉しいです(*^o^*)書き込みも前々から始まっていた先生方の議論と共にとても勉強になりました。野口先生から「これからは国文の研究者も古文書の勉強もしないと」と言われてもいることもあって、文書に書かれた文字の分析の仕方など、とても面白く拝見致しました。専門の国文も、そして歴史学は尚更、まだまだ不勉強の身ですが、いつか実際にお会いしたいと思います。ぜひゼミにもおいで下さいませ。

7日のこと。

No.766

久々に書き込みします。そのわりにはタイトルもシンプルなんですが・・。
7日の京都歴史資料館の「平安京模型」の展示はすごく面白かったです。二条付近にある閑院内裏や東三条院や保元の乱舞台である高松殿などから八条付近の八条院町や西八条院などいつも史料講読や本を読んでいて出てくる場所が平安京の大きさと比較して、またどの位置を占めるのかがビジュアルに分かるのでとても勉強になりました(気分はデイタラボッチ)。個人的には平清盛が死んだ「平盛国邸」がよかったです。できることなら常設展示して欲しいです!どうしてかあういう「模型」ものはワクワクしながら真剣に見てしまいますね。江戸東京博物館や歴博の模型も他の展示物より時間をかけて見た気がします。またあの「平安京模型」の何分の一かに縮小したプラモデルが欲しいとも思ってしまいました。田宮かバンダイからでないかな。坊ごとに発売して全部集めたら平安京完成!みたいなシリーズもので。金閣寺の模型もあるので発売してもおかしくないと思うんですが。
そのあと先生の研究室で柳原先生、佐藤先生、山口先生の諸先生方にお会い出来ました。自分も平泉と福井との関係について実際に東北に住んでいる方からお聞きできたことは大変勉強になりました。ありがとうございました。

福原京、平頼盛邸の(?)櫓の発掘

山田邦和(花園大学・考古学)
No.759

 今日、神戸の兵庫県埋蔵文化財事務所に行ってきました。仕事を終えて帰ろうとして、事務所の玄関の脇の小さな展示ケースに気がつき、覗き込むと・・・
 なんと、福原京跡の新しい発掘調査成果が紹介されていました。他地域にはほとんど報道されていないようですが、神戸大学附属病院構内の楠・荒田遺跡でこの夏に調査がおこなわれ、大量の土師器皿(京都系のものばかり!)を投棄した土坑と、それを切り込むようにして建てられた1間×2間(2.7×3.6m)の建物が検出されました。建物の柱穴は大きく、かつ深く、底には丁寧に加工された礎盤石が入れられていました。兵庫県埋蔵文化財事務所では、平面規模に比べて柱穴の深さが深いことから、この建物は高床建築であり、中世武家居館に付属する「櫓」ではないかと推定しています。
発掘地点の西側には荒田八幡神社があり、そこは安徳天皇の行宮ともなった平頼盛邸の伝承地です。もしかするとこの櫓は、頼盛邸そのものか、もしくはそれに隣接した平家の武家邸宅のものであったかもしれません。
 「幻」の福原京の調査の進展の様子、興味深々で眺めております。

「要塞都市福原」

No.762

山田先生。すごい情報をありがとうございました。
タイトルのようなことを、すぐ言いたくなってしまいますが、すると必ずどこからかクレームの声が聞こえてきそうです。
しかし、先年、元木先生の御案内で荒田神社に行ったとき、まさにここは城郭の立地にふさわしい場所だと思いました。また、神戸大学付属病院の立地も北高南低の傾斜地で、京都の鴨東を90度傾けた観がありました。しかし、櫓というのはインパクトがありますね。マスコミは兵庫県内だけしか報道しなかったのでしょうか。きわめつきの認識不足ですね。史学・考古学の鎌倉や平泉の研究者ばかりか、国文学の研究者も大いに関心を寄せるものと思います。福原の軍事的性格については他との比較の視点で、勤務先の紀要に山田先生と共同執筆した「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」という論文に関説しましたが、いよいよ自説の裏付けを得た思いです。内乱期に長く平家が本拠を置いた屋島の内裏跡伝承地など、ぜひ考古学的調査を行って欲しいとつくづく思います。山田先生、平家の本拠の研究、これからもしばらくお付き合い下さい。頼りにしています。