シンポジウム「寝殿造と書院造の間」開催

No.7991

 川本重雄先生(本学学長)より御案内を頂きました。
 伊勢平氏の本拠地、そして平泉・鎌倉・北陸などで発掘調査に関わっておられる第一線の研究者の方々のお話が聴けそうで、たいへん楽しみです。
 中世前期の武士の存在形態を考える上でも、おおいに得るところのあるシンポジウムになりそうです。
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           ◇ シンポジウム開催のお知らせ◇

下記のとおり、シンポジウム「寝殿造と書院造の間~建築史学と考古学の接点を求めて~」(連続シンポジウム『日本建築様式史の再構築』6)を開催いたします。中世考古学の成果の蓄積は、床・棚・書院の成立といったディテールからの書院造成立史とは異なる視点を私たちに与えてくれる段階にあります。今回のシンポジウムでは建築史学・考古学・歴史学のそれぞれの立場から、新しい成果や視点を紹介し、討議します。年度末のお忙しい時期ではございますが、是非ご参加いただけますようご案内申し上げます。

                 記

日時:2011年3月19日(土)午後1時30分~午後5時00分

場所:京都女子大学 B420教室

発表者・発表題目
 川本 重雄 (京都女子大学):寝殿造と総柱建物
 伊藤 裕偉 (三重県埋蔵文化財センター):伊勢・伊賀における古代中世移行期の建物遺構
 水澤 幸一(胎内市教育委員会):北陸の総柱建物-越後国を中心に
 岡 陽一郎 (兵庫大学兼任講師):東国の大型建物をめぐる武士の心性-古代末から中世を例に-
 羽柴 直人 (岩手県文化振興事業団):奥州藤原氏の権力中枢の建物

 司会・コメンテーター 藤田盟児(広島国際大学)

交通・アクセス:京都女子大学ホームページ
http://www.kyoto-wu.ac.jpを御覧ください
参加申し込み不要、参加費無料、ただし、当日資料配布希望の方は印刷部数確認のため、kawamoto@kyoto-wu.ac.jpまたは075-531-7077(FAX)宛て参加を申し込んでください。

      〒605-8501京都市東山区今熊野北日吉町35    京都女子大学 川本重雄

“長岡京”が都だった頃-次回の『吾妻鏡』-

No.7992

 次回の火曜日『吾妻鏡』は2月22日(火)ですが、そのあとはしばらくお休みをいただきまして、その先は3月16日(水)の予定です。

 日時:2011年2月22日(水)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)八月十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日。
    弘長三年(1263年)正月一日・十日・十一日・十四日・十八日・二十三日・二十五日、二月五日・八日・九日・十日、三月十日・十三日・十七日・十八日・二十一日、四月七日・十四日、五月九日・十七日、六月二日・二十三日・二十五日・二十六日・三十日、七月五日・十三日・十六日・十八日・二十三日・二十七日、八月一日・四日・六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新しい歳に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

今年もあと10ヶ月半

No.7988

 昨年12月が締切だった論集の原稿。未提出者は私のみということのようなので、大慌てで書き上げて送付。編者の先生や出版社の方に大変御迷惑をお掛けしてしまったのですが、その一方で、さる論集に2008年の秋に提出した論文の校正刷が先月下旬になって漸く届き、間の悪いことに今月中旬を目途に小見出しやルビを付して返送しなさいというのもございます(こちらは、まだ送付に到っておりません)。
 ジャンルが異なると研究者の真面目度?も相当に異なるようであります。

 今月は本務・成績処理はもとより、原稿、自治体史関係の校正、学術雑誌の論文査読、さらに運転免許の更新・確定申告等も重なって大変充実した毎日です。本当は明後日締切の原稿もあるのですが、これは内々に年度末まで延ばして頂きました。しかし、来月は(ある私的な事情も重なって)また大変なことになりそうです。

 そんな中で一番困っているのが、年金の申請書類への対応です。日本年金機構・公立学校共済組合・私学共済からいろいろ書類を用意して提出しなさいという指示が来ているのですが、こういうのは大変苦手なのです。かといって、長く放置すれば今以上に周囲の皆様に御迷惑をお掛けすることになることは必定。困ったものです。
 ゼミの皆さんのお知り合いに、この方面に詳しくて、御教示頂けるような方がおられたら、ぜひ御紹介下さい。

 しかし、考えてみればこの程度の忙しさは、昔経験した高校教員時代の時間的に縛られた中での忙しさに比べれば、何ということはありません。いつも申し上げているように、耄碌が輪をかけているのでしょう。

 以下、個別連絡です。

 >山岡さん 先日はお気遣い、ありがとうございました。
  >岩田君 運転免許の更新、済ませました。『カノッサの屈辱』は原稿執筆の間に一話だけ見ました。私の世代にはとても面白い。岩田君はやはり、年齢を偽っているのでは?
 >鈴木君御夫妻 明日、お待ちしております。

「加納さんの屈辱」というものもありました

No.7989

 >野口先生 免許の更新、祝着に存じます。寒くて大変だったのではないでしょうか。
 『カノッサの屈辱』は、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の抗争のなかで、皇帝に対するローマ教皇権の優位性を示した事件…のことではなく、昔(20年ほど前)フジテレビで放送された番組ですね。私は日清帝国の「3C政策」を大いに支持します。

 次回(明日)の『吾妻鏡』のご案内を再掲します。

 日時:2011年2月15日(水)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)七月二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日。
    弘長三年(1263年)正月一日・十日・十一日・十四日・十八日・二十三日・二十五日、二月五日・八日・九日・十日、三月十日・十三日・十七日・十八日・二十一日、四月七日・十四日、五月九日・十七日、六月二日・二十三日・二十五日・二十六日・三十日、七月五日・十三日・十六日・十八日・二十三日・二十七日、八月一日・四日・六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新しい歳に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

『研究紀要』第24号ができました。

No.7986

 京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第24号が手もとに届きました。公開講座の講演録として次の2つの論稿が掲載されています。もちろん、講師御本人の執筆によるものです。

 「南北朝内乱と祇園社」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市沢 哲

 「洞院公定をめぐる書物-字書・部類記・未来記-」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小川剛生

 ついでながら、
 「鎌倉時代における下総由縁の学僧たちの活動-了行・道源に関する訂正と補遺-」
なる拙論も掲載されております。
 
 ちなみに、この『研究紀要』のバックナンバーも含む寄贈依頼が、さる国立の文科系研究機関から届いたと、事務の方から報告を頂きました。

見えない。判別できない。理解できない。

No.7983

 執筆中の原稿に一応先が見えてきたし、前期入試の仕事も終わった・・・、と一段落を決め込んだのが失敗のもとで、目下たいへんな時間不足の状態。ウサギとカメのエピソードか思い出されます。
 ドン・ガバチョのように「今日がダメなら明日にしましょ♪」という生き方を望むところなのですが、耄碌して能率が低下していることも相俟って大変です。
 
 耄碌でとくに困っているのは視力です。もともとひどい不同視(右目と左目の度の差がおおきい=いわゆる「ガチャ目」)なので、近視と老眼の進行はこたえます。
 日常用の眼鏡では本が読めない。そのたびに眼鏡を取り替えるのですが、その眼鏡が必ず行方不明で大騒動。車を運転する時の眼鏡では全く手もとの地図か読めない。カーナビはそのために買いました。

 格好などはどうでもよいので、掛け替え無しでピント調節のできる眼鏡をつくれないものでしょうか?

 若いみなさんはくれぐれも目を大切に。年をとるにつれて、それでなくても目は曇りますから。

 ☆ 東京大学史料編纂所の高橋慎一朗先生より、御高論「日光山と北関東の武士団」収録の御編著『列島の鎌倉時代 地域を動かす武士と寺社』( 高志書院)を御恵送頂きました。
 地域の視点からの武士論。学ぶべきところ多大です。
 高橋先生にあつく御礼を申し上げます。 

二月も中旬の『吾妻鏡』

No.7985

 次回15日は『紫苑』初校の受け渡しも予定されております。
 2月はこのあと、15日(火)、22日(火)と開催予定です。昨日は水曜日の開催となりましたが、また火曜日に戻ります。

 日時:2011年2月8日(水)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)七月二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日。
    弘長三年(1263年)正月一日・十日・十一日・十四日・十八日・二十三日・二十五日、二月五日・八日・九日・十日、三月十日・十三日・十七日・十八日・二十一日、四月七日・十四日、五月九日・十七日、六月二日・二十三日・二十五日・二十六日・三十日、七月五日・十三日・十六日・十八日・二十三日・二十七日、八月一日・四日・六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新しい歳に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

柳原敏昭『中世日本の周縁と東アジア』刊行

No.7982

 東北大学の柳原敏昭先生より、新刊の論文集『中世日本の周縁と東アジア』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。以前から準備をされていたことは伺っていたのですが、ついに刊行の運びとなり、嬉しい限りです。そして、御恵送ありがとうございました。

 私が鹿児島経済大学社会学部に赴任したのは1989年。柳原先生は、その翌年に鹿児島大学法文学部に赴任して来られました。鹿児島で柳原先生に出会えたことは、私の研究人生においてまさに僥倖ともいうべきものでした。柳原先生は私よりちょうど一回りお若い。でも学問の世界では明らかに「学兄」と呼ぶに相応しい存在です。 

 鹿児島大学御在任中の御活躍はまさに獅子奮迅というべきもので、とくに鹿児島を500年に一度という豪雨が襲った直後に開催された1993年の中世史サマーセミナーの開催に向けての名采配は未だに語り種になっています。

 前任の五味克夫先生が着実に積み上げてこられた南九州の中世史料に関する研究を踏まえて、まさに南からの日本中世史を立ち上げられました。その成果が一書にまとめられたことは、同慶にたえません。研究者としての矜持と責任感にもとづいた配慮が随所にみられる、柳原先生らしさの溢れる論文集だと思います。

 【内容】
 鹿児島県万之瀬川下流域は、中世日本の南の周縁に生まれた一大交易拠点だった。地域の様相に復原し、領主や国家との関係を再検討。東アジア規模で広がる人・物の流れを明らかにする。地域史研究の新たな可能性の提起。

 【目次】
 第1部 南の周縁=万之瀬川下流地域のすがた(中世前期南薩摩の港・川・道/中世万之瀬川下流地域の様相について─近世絵図を手がかりとして)/第2部 南九州の港と唐坊(中世前期南九州の港と宋人居留地に関する一試論/唐坊再論/中世前期坊津像の形成と普及)/第3部 万之瀬川下流地域の領主たち(薩摩国阿多郡地頭鮫島氏系譜考/二階堂氏の所領と海上交通)/第4部 国家周縁地域の比較史(中世日本の北と南/東北と琉球弧─島尾敏雄「ヤポネシア論」の視界/モンゴル襲来と近代の地域社会─十五年戦争期の鹿児島県を事例として)

土曜日は女性史総合研究会があります。

No.7979

 まず、ゼミの皆様へ。明日の『吾妻鏡』講読会は、共同研究室ではなく、教授室で行います。狭く・汚く・ゼロックスもなく、申し訳ありませんが宜しくお願い致します。
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 期日が近づいてきたので「女性史総合研究会」からのお知らせを再掲します。

 平安時代の政治や文化に関心をお持ちの方は、ぜひ行ってみると良いと思います。榎村先生のお話の面白さは定評があるそうです。
 後期の授業が終わってしまって物足りなさを感じている史学科・国文学科の学生さんにはとくにお勧めです。
 司会は、みなさんのよくご存じの人がされるようです。

 ◇ 女性史総合研究会例会・懇親会のお知らせ ◇

 日  時: 2011年2月5日(土) PM1:30~5:00
        (今回は2月になりました。お間違えのないようお願いします。)

 報 告 者: 榎村 寛之氏 「女性史としての斎宮研究の課題」
       
 場  所: ウイングス京都 2F会議室 
 (〒604-8147 京都市中京区東洞院通六角下ル御射山町262 075-212-7490)
 http://www.wings-kyoto.jp/about-wings/access/

 懇親会のご案内
  ※例会終了後、恒例の懇親会を下記のように持ちたいと思います。是非ご出席ください。
 日  時: 2011年2月5日(土) PM5:40~
 場  所: びすとろ 希味  
 (〒600-8096 京都府京都市下京区  tel 075-361-0802
 烏丸仏光寺1本東の細い路地を北に入る。角に「株式会社 集治」)
               http://www.bistro-nozomi.com/access/
 会  費:一般 4000円  学生・院生3000円(予定)
 ※ご出席、ご希望の方、おられましたら、下記までご連絡下さい。
      e-mail papagheno@hotmail.co.jp

次回は再び火曜日の『吾妻鏡』

No.7980

 昨日の『吾妻鏡』は共同研究室を使わせていただけることとなりましてよかったです。ありがとうございました。
 2月はこのあと、8日(火)、15日(火)、22日(火)と開催予定です。昨日は水曜日の開催となりましたが、また火曜日に戻ります。

 日時:2011年2月8日(水)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)三月二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日。
    弘長三年(1263年)正月一日・十日・十一日・十四日・十八日・二十三日・二十五日、二月五日・八日・九日・十日、三月十日・十三日・十七日・十八日・二十一日、四月七日・十四日、五月九日・十七日、六月二日・二十三日・二十五日・二十六日・三十日、七月五日・十三日・十六日・十八日・二十三日・二十七日、八月一日・四日・六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新しい歳に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

自らの怠惰を棚に上げての話

No.7981

 昨日はゼミ開催の場所の変更が重なったことにより、大森さんなどに御迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。

 『紫苑』第9号の原稿もようやく印刷屋さんに入稿の運びとなりました。初校ゲラは15日に出て参りますので、執筆者は何卒宜しく。
 ・・・と言いながら、自分も厄介な校正をかかえていることに気がつきました。

 本務の多忙はもとより、原稿の執筆に追われているときに、数年前に執筆した原稿の校正が戻ってきたり致しますと結構大変です。さらに、編集方針が変わって、これこれを書き足せ等という話になると、もう如何ともし難い場合があります。なにしろ、その原稿の執筆当時の資料はすでに散佚してしまっているわけですから。

 原稿が締切通りに提出され、すぐに印刷にかかって校正が順調に進んで刊行に至るというのが、編集者にとっても執筆者にとっても理想なのでしょうが、とくに複数の執筆者による論集などは、なかなかそうは行きません。執筆者はお互いに加害者になったり被害者になったりするわけです。加害者になるのは気持ちが悪い。ですから、どうしても単著よりも共著の執筆を優先せざるを得なくなってしまいます。単著では、もう十年以上もお待ちいただいているものもあります。申し訳ない限りです(編集者の方に手を合わせています)。

 しかし、その一方、とりわけの急ぎだというので、ほかの仕事を投げ打って、しっかりと締切厳守で原稿を送ったにも拘わらず、数年を経ても梨の礫というケースもあります。まあ、出版社にもいろいろな事情があるのでしょうが。

 現在、ある出版社から、締切の過ぎた原稿(単著です)について、いつ頃完成できるのかという問い合わせが書面で届き、その返信を書いているので、こんな話を書いてしまいました。不徳の致すところです。

 ☆ いつも中世戦記研究会で御一緒させていただいている田辺旬先生より、御高論「『平家物語』と頼朝挙兵」(明治大学古代学研究所『古代学研究所紀要』14)を御恵送頂きました。
 『延慶本平家物語』に斬り込んだ歴史学の成果です。
 田辺先生にあつく御礼を申し上げます。 

ジャンルをこえた儀式・儀礼研究の提案

No.7978

 耄碌に寒さが加わって、なかなか目の前の仕事が片付きません。

 ところで、本日、広島大学大学院で尻池さんの先輩にあたる山本(嶋村)佳奈さんから、御高論「儀式書に見る平安時代の勝負儀礼と勝敗と勝負楽」(『広島大学大学院教育学研究科紀要 第二部』第57号)と「相撲儀礼の転換-相撲「節会」から相撲「召合」へ-」(『九州史学』第156号)を御恵送頂きました。

 儀式や儀礼は政治史の研究において大変重要なテーマなのですが、史料が難解でなかなか取り付きにくいところがあります。
 そういえば、かつて、当ゼミに参加しておられた満田さおりさん(現在、京都大学大学院工学研究科DC)が、建築史の立場から「平安宮内裏の空間構成と儀式に関する歴史的研究」に取り組んでおられ、『吾妻鏡』の講読会で、鎌倉将軍御所の空間構造について、いろいろ教えて頂いたことが思い出されます。

 差し出がましいことですが、同じ世代の山本さんと満田さんが共同で平安時代の宮廷儀式・儀礼についての研究を進められたら、お互いに啓発されるところも多く、且つ、さぞかし視覚的にも具体的な形で素晴らしい成果が還元できるのではないかと思った次第です。

 さらに、差し出がましいこと乍ら、将来、お二人のお力をお借りして、『古代文化』の編集委員会で、こんなテーマの特輯号を提案できれば良い・・・などと考えてしまいました。
 尻池さん(摂関家)や、大谷さん(仏教儀礼)、岩田君(幕府)も御一緒に如何ですか?

 「カシマシクテ人更ニ聞カズ」

No.7976

 いよいよ入学試験が始まりました。

 昨日の『台記』研究会は元木先生の「延慶本に見る義経」というテーマでの御発表でした。
 『延慶本平家物語』の記述の史実としての蓋然性を検討することを通して、従来とは異なる義経像を提示された、とても面白いお話でした。元木先生の御研究にはいつもワクワクさせられます。もちろん学ぶところは絶大。「目から鱗」の連続です。
 元木先生はすでに吉川弘文館歴史文化ライブラリーの『源義経』で極めて精緻な政治史的考察を踏まえた上で義経論を展開されておられますが、今回の御報告でそれが深められ、義経の人生の全体像がさらに鮮明になりました。
 この御報告の内容は近く論文化され、佐伯真一先生編の論文集に収録される予定ですので、お楽しみに。ちなみに、この論文集には近藤好和先生の御高論も収録されます。実は拙論も載せて頂けることになっているのですが、未だに執筆途中で、諸方に御迷惑をお掛けしている次第です。

 ところで、研究会の席上、長村祥知君から御高論「承久の乱における一族の分裂と同心」(『鎌倉』110号)を頂きました。例によって堅実な論証によって、従来いろいろな解釈がなされていた承久の乱における幕府御家人の一族分裂の理由を明快に論じられた秀作だと思います。
 内容は褒めればきりがないのですが、私が嬉しかったのは、その掲載誌です。『鎌倉』は恩師貫達人先生が長く発行兼編集人をつとめていた雑誌で、私はその 28号に「「平氏政権」の坂東武士団把握について」という思い出深い論文を掲載させて頂いたことがあるからです(当時の発行兼編集人は沢寿郞氏)。1977年のことでした。
 長村君の論文を貫先生にお見せ出来ないのがとても残念です。

 ☆ 東京大学史料編纂所の遠藤基郞先生より、新刊の御高著『後白河上皇 中世を招いた奇妙な「暗主」』(山川出版社 日本史リブレット)を御恵送頂きました。
 掲載の地図に、当研究所における山田邦和先生との共同研究の成果がお役に立ったようです。
 遠藤先生にあつく御礼を申し上げます。

 ※ 標題は源義経にとてもシンパシーを感じた『延慶本平家物語』の一節です。

日本古文書学会見学会のご案内

元木泰雄
No.7971

 日本古文書学会の見学会を以下の要領で2月、3月に行います。
 ふるってご参加ください。

① 奈良国立博物館
 日時 2月19日土曜日13時~16時(12時45分より受付)
 集合場所 奈良国立博物館新館玄関前 セキュリティ―の関係上、遅刻すると入場できません。時間を厳守してください。
 額安寺文書(鎌倉~南北朝)、造東大寺司請経牒、弘福寺牒以下の古代・中世文書、紫紙金字最勝王経以下、経典などの典籍類を見学、熟覧。
 参加費500円(予定) 博物館の展示の見学には別途入場料が必要です。
 参加希望者はお名前、ご連絡先を明記の上、下記までハガキで申し込んでください。2月14日月曜日必着でお願いいたします。
 
② 京都府立総合資料館 
 日時 3月29日火曜日13時~16時(12時45分より受付)
 集合場所 京都府立総合資料館入口
 東寺百合文書を上島先生のご解説を承りながら見学、熟覧します。今回は第二類の文書を取り上げます。
 参加費500円(予定)。
 参加希望者はお名前、ご連絡先を明記の上、下記までハガキで申し込んでください。3月11日金曜日必着でお願いいたします。
 上島先生より関係資料が送られますので、申し込み締め切りが早くなっております。ご注意ください。

 申し込み先 〒606-8501 京都市左京区吉田二本松町 京都大学大学院人間・環境学研究科 元木研究室
 2月19日までにご連絡くださる場合は、どちらの研究会に参加されるか、または両方に参加される旨を必ず明記してください。
 いずれも大変貴重な文書を直に見学できる、大変貴重な機会です。ぜひともご参加ください。

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山田先生、例の番組、ご覧いただいたようで恐縮です。
  NHKは何やらホモのお話をやたら強調したようで、武士を組織した中世的側面など、すっかり捨象されてしまいました。男色は官僚制的秩序を逸脱し、情誼的な人間関係が表に出る武士社会で発展するものであり、その意味でも頼長は中世に向かう貴族であったと述べたのですが、肝心なところはカット。
 また、貴族を無能集団と描き、貴族社会には信西のような有能な院近臣がいて、現実的な政治が行われたことも、無視されています。それがなければ、院近臣が台頭するはずもありません。忠実の偏愛とか、傭兵同士が争った保元の乱とか、古めかしい俗説にまみれた描き方にも失望致しました。
 野口先生ご指摘の矛盾、たしかに何であんな演出になるのか、首をかしげたくなります。武士が治安を乱す存在というのは、高橋昌明先生らが提起された、新しい武士論に基づく見解なのですが、無能な貴族にかわる武士政権という超陳腐な通説と無理にくっつけるのは、いくらなんでも無茶という気がします。

 そんなこんなで、むなしい気分ですが、頼長を取り上げただけでも意味があるのかもしれません。あまりにひどかったこの前のことを思えば、まだ多少我慢もできます。まああんなもんでしょう。
 ジュンク堂の分類で言えば「歴史読み物」の番組ですから。
 でも歴史学的番組がないのも困ったことですが。

 そういえば、今回の大河ドラマもまるで学芸会。来年どんなことになるのか、おおよそ想像もつきます。
 せめてとんでもない歴史像、清盛像を描く犯罪的行為だけはやめてもらいたいものです。

1.26はテレビ人間としての私の誕生日

No.7972

 元木先生 日本古文書学会見学会のご案内ありがとうございました。
 また件の番組についての率直な御見解をお示し下さり、恐縮に存じております。
 明後日の『台記』研究会が楽しみです。

 さて、昨日の『吾妻鏡』講読会。久しぶりに大森さんがお出で下さいました。お土産に頂いた干し柿の入った最中は絶品。のこった分は独占をはかるために、いそいそと冷蔵庫にしまい込んだ次第です。
 『中世法制史料集』を読んでいくと、かつて全盛を極めた「社会史」でテーマとされたキーワードがたくさん出てきて、これは勉強をし直さなければいけないと痛感させられました。
 折良く、『紫苑』の印刷をお願いする日東印刷の黒澤さんもお出でになって、一件落着。
 なお、火曜日の『吾妻鏡』講読会だけは2月も継続して行うことになりました。ただし、次回は入試日程の関係で2月2日の水曜日です。
 『吾妻鏡』の全巻読破達成も時間の問題になって参りました。

 たしか、今日は、かつて当ゼミで古文書の師範代をつとめて下さった方(すでに学位を取得されて、大学の非常勤講師をつとめておられます)のお誕生日だったと思います。ますますの御活躍を祈念致します。
 なお、本日は、私が小学校2年生の時に、家にテレビ(松下電器の14インチ)が設置された、私にとっての「テレビ記念日」なのであります。

 ☆ 国立歴史民俗博物館の菱沼一憲先生より、御高論「下総国印東庄の領主と百姓・沙汰人」(『佐倉市史研究』23)・「『醍醐雑事記』紙背の具注暦と文書について」(『國學院雑誌』111-6)・「内海としての紀伊水道」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157)を御恵送頂きました。
 「下総国印東庄の領主と百姓・沙汰人」は、以前にも紹介させて頂いた記憶があるのですが(>>No.7126)、「かつての在地領主制という概念のみでは、描ききれない実態が存在しているといえよう」という末尾の一文に示されるように、12世紀における東国武士のあり方に再考をせまる内容をもつものです。また、「内海としての紀伊水道」も紀伊と四国の武士勢力の交流を明らかにした斬新な視角からの研究で、地域武士論に新たなフィールドを開拓した興味深く意義ある成果だと思います。
 菱沼先生に、あつく御礼を申し上げます。  

ナショナルキッドの時代?-次回の『吾妻鏡』は二月です-

No.7974

 次回の『吾妻鏡』は水曜日開催です。2月は、2日(水)、8日(火)、15日(火)、22日(火)と開催予定です。

 日時:2011年2月2日(水)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日。
    弘長三年(1263年)正月一日・十日・十一日・十四日・十八日・二十三日・二十五日、二月五日・八日・九日・十日、三月十日・十三日・十七日・十八日・二十一日、四月七日・十四日、五月九日・十七日、六月二日・二十三日・二十五日・二十六日・三十日、七月五日・十三日・十六日・十八日・二十三日・二十七日、八月一日・四日・六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新しい歳に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

テレビの中にあった「極楽浄土」

No.7975

 まだ、「ナショナルキッド」は放送されていませんでしたね。「七色仮面」もまだでした。私がテレビを見始めた頃の番組として記憶しているのは、民放では『名犬ラッシー』『名犬リンチンチン』『ヒチコック劇場』「若君日本晴れ」『パパは何でも知っている』『うちのママは世界一』『ローンレンジャー』、NHKでは「バス通り裏」「ゼスチュア」「お笑い三人組」『ハイウェイパトロール』「事件記者」「チロリン村とクルミの木」などです。
 『 』はアメリカで制作された番組で、日本語の録音と映像がずれてしまって「しばらくお待ち下さい」という静止画面になってしまうことがよくありました。
 1960~70年代に「アメリカ帝国主義粉砕」などと叫んでいた学生さんたちも、子どもの頃は『パパは何でも知っている』や『うちのママは世界一』を見てアメリカに憧れていた世代なのです。あの頃は、遠いところに憧憬の地があったのです。今は地球が狭くなりすぎてしまって、「西方極楽浄土」も何処へやらですね。 

大寒の試験シーズン到来。

No.7970

 今月もはやくも下旬になってしまいました。明日はキャンパスプラザで期末試験。それからゼミの『吾妻鏡』講読会です。入試業務が行われているために、共同研究室ではなく、教授室で行いますのでご注意下さい。『紫苑』についても、少し時間を使うことになると思います。

 先週、共同研究の一環として千葉県にのこる平安末~鎌倉時代の仏像を見学してきました。以前はあまり関心をもっていなかったので気がつかなかったのですか、いずれも大変な優品で、まさに当該期支配階級における文化の均質化を確認することが出来ました。
 中世前期の武士を「武」のみの側面や「在地」の領主としての側面のみで捉えてはいけないと、あらためて痛感させられた次第です。

 ☆ 姉崎高校教員時代の教え子で考古学者の小高幸男君より、彼が出版に尽力した橘考古学会編『多知波奈の考古学-上野恵司先生追悼論集-』および上野恵司『東国古墳文化論攷-上野恵司先生著作集-』を御恵送頂きました。いずれも箱入りの大著。前者には小高君の御高論「古墳時代首長居館と奧津城」が収録されています。
 小高君にあつく御礼を申し上げます。