謹賀新年   HAPPY NEW YEAR

No.7942

 あらためまして、明けましておめでとうございます。

 年賀状や年賀メールをありがとうございました。略儀ながら、この場を借りて御礼を申し上げます。
 それにしても、年賀状には貴重な情報が満載です。

 当ゼミの今年。就職する人、進級や進学する人、卒論や修論を書く人、博士になる人、大学の教壇に立つ人。結婚する予定の人は今のところおられないようですが(知らぬは私ばかりなのかも?)、様々な一年を送られることと思います。
 みなさんは若いので、決して焦る必要はありませんが、健康にだけは気を付けて充実した毎日をお過ごし下さい。

 今、卒論の草稿に対するコメントを、私が卒論指導を担当している現社4回生に送信している途中です。あとは自力救済。最後の一踏ん張り、頑張ってください。結構、面白くなっているのかも知れませんね。

 『紫苑』執筆の方たちは、そろそろ脱稿の段階でしょうか。11日の締切後、即、印刷経費の見積もりを事務方にお願いしなければなりませんので、宜しくお願い致します。

 ☆ 國學院大学の千々和到先生より、御高論「思いもかけぬめぐりあい-中村直勝旧蔵の牛玉宝印-」掲載の『國學院雑誌』第111巻第10号を御恵送頂きました。
 中村直勝氏はかつて本学の教壇に立たれていたことのある古文書学の泰斗です。昨夏の古文書学会の見学会の際、千々和先生から、このことに関してお話をうかがう機会があり、今回わざわざお送り頂きました。
 千々和先生にあつく御礼を申し上げます。

今年一年のお礼

No.7939

 宇治はすっかり雪景色になっております。
 もう、大晦日とは。まったく実感が湧きません。卒論指導の諸姉にもコメントをお送りしなければならないのですが、自分の論文がちっとも進んでおらず、指導などおこがましい限りに思えてしまいます。
 とはいえ、卒論や『紫苑』の原稿の追い込みで年末年始返上の皆さん、頑張ってください。

 今年も多くの方々のお世話になりました。ゼミの運営では、『吾妻鏡』講読会は岩田君、『小右記』講読会は大谷さんがリードしてくれました。『紫苑』の編集や細々とした雑務は山本さんがしっかりと引き受けてくれました。例会で御報告をして下さった方、そしてコンスタントに講読会に参加してくれた諸姉兄にも、御礼を申し上げたいと思います。

 共同研究では、調査や講演で訪れた各地(岡山県岡山市・総社市、茨城県鹿島市、千葉県成田市・千葉市・佐倉市、静岡県磐田市・森町、神奈川県秦野市、徳島県阿南市、山梨県笛吹市)で多くの方のお世話になりました。ありがとうございました。

 担当した授業では、現代社会学部の前期「基礎演習Ⅰ」のメンバーが皆よくやってくれました。これからの成長が楽しみです。いつまでも結束を保って欲しいと思います。

 ☆ 昨年三月、中央大学より学位を授与された日本学術振興会特別研究員の赤澤春彦先生より、新刊の御高著『鎌倉期官人陰陽師の研究』(吉川弘文館)ならびに御編著の『陰陽道史料目録-院政期~鎌倉期篇-』(日本史史料研究会)・『同 索引・参考資料』(同)を御恵送頂きました。
 当ゼミにおいて、鎌倉幕府の文士を研究テーマの一つに掲げている山本さんや、権門家の家産機構として幕府機関を捉えようとしている岩田君にとって大いに有益な内容です。一緒に学ばせて頂きたいと思います。
 赤澤先生にあつく御礼を申し上げます。

 【追記】 宇治の雪はだいぶ小降りになってきました。
      そんな中、郵便屋さんが今年最後の配達。ご苦労様です。

 ☆ 大阪大学の平雅行先生から、御高論「中世仏教における呪術性と合理性」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第157集)・「建永の法難と『教行信証』後序」(『真宗教学研究』第31号)・「鎌倉中期における鎌倉真言派の僧侶-良瑜・光宝・実賢-」(『待兼山論叢』第43号史学篇)ならびに『朝日新聞』に連載された「時代を生きる 法然・親鸞と今」のコピーを御恵送頂きました。
 何れも学ぶこと多大。じっくり拝読させて頂きたいと存じます。
 平先生とは、元木泰雄先生の御縁を得て、今年からある仕事を御一緒させて頂くことになりました。奇しくも来年は、ともに還暦を迎えます。
 平先生にあつく御礼を申し上げます。 

Re: 今年一年のお礼

元木泰雄
No.7940

野口先生、野口ゼミの皆さん、今年はお世話になりました。
まさにあっという間の一年でした。しかし、仕事ははかどらず、処理能力も気力も大幅減退で、情けない限りです。野口先生も来年は還暦をお迎えになるとのこと、思えばその三年後には当方も還暦になるはずですが・・・・

 今年前半は、学務重畳の上に神戸市史の刊行で追いまくられ、二回肺炎、さらに初体験の入院まで経験する始末でした。もっとも入院といっても検査目的、結果は大事には至らずということで、やれやれでした。
 とはいえ、その後も学内の繁忙に追いまくられ、体力、気力の衰えは覆いがたいものがありました。人生の残り時間ばかり気になる毎日です(だから酒で紛らわせている?そうかもしれませんね)。野口先生、平先生とのお仕事、ご迷惑をかけなければいいのですが。
 いやいや暗くなってばかりはいられませんね。
 お約束した今年後半の旅行をご報告します。すでに書き込ませていただいた濃尾旅行のあと、9月初めに金沢大学の集中講義、同下旬に松山での古文書学会大会とインパクトの強い体験が目白押しでした。
 金沢では金沢大の平瀬先生にお世話になりました。熱心にあちこちご案内いただき、大変勉強になりました。ただ、史跡の位置を間違えて、炎天下に30分歩かされ、日焼けで真っ黒になってしまったのはご愛嬌でしょうか(笑)。
 受講した学生諸君の熱心さ、優秀さも特筆できると思います。それにしても、金沢の中心からタクシーで3500円もかかるキャンパスは、たしかに広大ではあるのですが、通学も不便で、バイトも楽ではなく本当に気の毒です。
 金沢で忘れられないのは肴のうまさ。どうしてもそんな話にゆきますな(笑)。平瀬先生おすすめの「いたる」のあじの刺身は絶品。また学生諸君とのコンパで行った居酒屋の能登豚の照り焼きは風味豊かでした。
 それに、金沢城・兼六園を中心とした、歴史に根差した熱心なまちづくりも印象に残りました。日本人は歴史が好きであり、そこに誇りとアイデンティティーの基盤があると思わざるを得ません。正しく、わかりやすい歴史学の重要性を痛感させられます。
 古文書学会大会が行われた松山も、松山城二の丸、三の丸の復元も進み、以前に増して歴史が重視されている様子がうかがわれました。道後の湯築城跡も素晴らしい歴史公園として整備されております。
 今回の古文書学会大会は、道後温泉のにぎたづ会館で開催され、松山大学の山内譲先生のお世話になりました。先生は県立西條高校の校長先生をお勤めになったのですが、昨年西條高校はエース秋山を擁して、春夏の甲子園に出場しております。しかも、その時の野球部長が、3日目に訪問した忽那文書も所有者、忽那家の御当主とのこと。御当主にかわって文書見学会に立ち会われたご尊父の携帯の着メロが「六甲おろし」でした。
 富田正弘先生の古文書学の分類に関する刺激的なご講演、そして山内先生の忽那文書の全貌をわかりやすく紹介されたご講演をうかがい、大変勉強になりました。その晩、懇親会後の二次会は、山内先生ごひいきのバー「やまうち」。別に先生がオーナーというわけではないそうです(笑)。村井章介、漆原徹、美川圭、松本一夫の諸先生と遅くまで談笑の機会を得ました。
 今回の大会では、関西の若手研究者諸君が、運営委員として活躍されました。古文書学会の担い手として、ますますの健闘を期待したいと思います。二日目の晩の鯛そうめん、三日目の忽那文書見学に赴いた中島までの瀬戸内海クルーズなど、思い出は尽きません。そして、南北朝時代を中心とした忽那文書の迫力は、さすがでした。

 11月には上横手先生の叙勲もあり、明るい話題で終わった今年ではありました。
 でも依然として続く会議攻めには閉口させられます。ちなみに12月16日には、11時から会議、13時から授業、14時50分から教務委員会(委員長をさせられています)、17時から人事に関する委員会が連続し、終わったら21時。心身ともに摩耗です。
 来年はこんな生活に別れを告げて、お引き受けした原稿を書きたいものです。
 でもこれだけ消耗すると、加齢と相まって元には戻らないことと思います。その際にはいろいろご迷惑をおかけすると思います。何卒よろしくお願い申し上げます。

 学務をこなし、若手の育成を行いながら、きちんとした実証に基づく研究を進めることが、我々の世代の研究者の責務と思います。それを実践しておられる野口先生を追いかけながら、当方も少しは頑張りたいと思います。
 今年は本当に有難うございました。
 来年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 2011年が、良い年になりますようにお祈りいたしております。    

あけましておめでとうございます。

No.7941

 締切の過ぎた原稿を「二年越しで」執筆していたら新年を迎えてしまいました。この論文も、元木先生の御研究に依拠するところ多大です。
 元木先生、そして元木研究室の皆様。こちらこそ本年もどうぞ宜しくお願い申しあげます。

 還暦を迎えますので、生まれ変わった気持ちで何か新しいことにチャレンジしたいと思っているのですが、当面は原稿執筆、それに卒論指導です。それが済んだら、来年度のシラバスを書き、続いて期末試験に入学試験。それからまた締切の過ぎた原稿にとりかかる・・・。
 ・・・やはり、なかなか新しいことにチャレンジするのは難しそうですね。そういえば、昨年の末にまた原稿依頼が届いていたのでした。
 やはり国外逃亡でしょうか?

 余裕なきところに陥穽あり

No.7929

 年末ということで、帰省や旅行のために宅急便を利用する方も多いと思います。
 昨日、こんなことがありました。インターネット利用の宅急便のメンバーに入っているので、ネットで集荷を依頼しました。するとすぐに確認メールが届いたので、安心して待っていたのですが、指定した時間を過ぎても取りに来てくれません。電話で問い合わせをしようにもずっとお話中。以前は遅くなる場合は電話をくれたのですが、それもなし。ついに夜になっても取りに来てくれませんし、何の連絡もありませんでした。
 再度、メールで本日の集荷を依頼して、ようやく取りに来てくれたのですが、こんな事態も発生することがありますので、どうかお気を付け下さい。以前、鹿児島に住んでいたとき、別の運送会社でしたが、配送がひどく遅延して鹿児島に到着した人が、そこからさらに旅行するための荷物が間に合わなくなりそうになったことがありましたが(もちろん、その頃はインターネットでの依頼ではありません)、今回は「集荷」で、しかも確認メールまで送った上でのトラブルですから、ちょっと問題ではあります。
 本日集荷に来た人に直接責任はないと思うので、あまり追及はしませんでしたが、こういうこともありますから、諸事余裕を持って行うことが肝要だと、とくに卒論提出を控えている諸姉にお伝えしたいわけであります。
 しかし、こんなことを書くと、「そういうおまえだって、原稿締切の約束を破っているではないか!」と諸方の編集者の方々の糾弾を浴びそうなので、内心忸怩たるものがございますね・・・。

 本日、新刊の『古代文化』第62巻第3号が届きました。巻頭論文は野木雄大君の「平安期国家軍制と追討使」。
 「国家軍制」を、中央から派遣され公的な軍事活動を担う制度と規定し、「追捕」と「追討」の用法に注意を払いつつ、10~12世紀における、その展開過程を明解にあとづけたもので、論者によって齟齬の多かった従来の研究を鮮やかに整理したすぐれた論文だと思います。
 中世前期の武士論を専攻されている方は、ぜひお読み下さい。

 ☆ 本学史学科の御出身である佐藤文子先生より、御高論「古代の得度に関する基本概念の再検討-官度・私度・自度を中心に-」(『日本仏教綜合研究』第8号)を御恵送頂きました。この論文は、今春入院された際に、病室にPCと資料をもちこんでまとめあげたものであるとのこと。
 佐藤先生にあつく御礼を申し上げます。

【追記】☆ 駒場中学・高校の田中大喜先生より、御高論「『人返法』の誕生」(阿部猛編『中世政治史の研究』日本史史料研究会)を御恵送頂きました。
 田中先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、編集を担当された新刊の井上寿一『山県有朋と明治国家』を御恵送頂きました。
 石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。

古代の甘味料“甘葛煎”の復元のご案内(1月12日・13日)

No.7925

 奈良女子大学の前川佳代です。皆さま、ご無沙汰いたしております。本日は、年明け早々の1月12日・13日に奈良女子大学で開催される「古代の甘味料“甘葛煎”の復元」というイベントをご案内させていただきます。
 私、今年度一杯、奈良女子大学大学院の特任助教として平日は大学に勤務しております。前期マスターの授業「文化史総合演習」を先生方と担当させていただき、「菓子の文化史」をテーマに史料に基づいた菓子研究を行いました。歴史研究者による先行研究が少ない菓子研究において、通説と異なる見解を導き出すことができました。授業終了後もさらに研究を深めたい院生さんたちと相談し、古代の甘味料である“甘葛煎”を再現したいと希望するようになりました。そして今回、授業成果報告会として古代から中世の菓子について報告するとともに、北九州から日本で初めて“甘葛煎”を再現された先生をお招きしてお話いただき、翌日には学内で再現するという計画をたてました。
 『枕草子』に「あてなるもの」として描かれる「あまづら」、『芋粥』で想起される方も多いでしょう。“甘葛煎”とは、日本独自の植物性甘味料で、冬季のツタ樹液から作ります。砂糖が流通する近世までは甘味料の主流を占めていたのですが、その後は作られなくなり、原材料までも不明でした。よく、甘茶ヅルと混同されるのですが、ツタの樹液を煮詰めたものが“甘葛煎”です。お招きする先生は薬草学者である石橋顕先生で、“甘葛煎”について二年がかりで研究され、20年前に復元を成功されました。原料のツタが入手しにくいことから、この10年間復元は止まっていますし、先生のグル―プ以外他は誰も成功していません。今回、成功したら、日本で二番目ということになります。
 これまで二回の予備実験を行っておりますが、23日の実験では、非常に甘い、上品なお味の“甘葛煎”を得ることができました。ですから、来年13日も成功が期待できます。
 千年以上の時を超えた「甘み」を一緒に作ってご賞味されませんか?
 日程は、下記のポスターの通りです。
http://www.nara-wu.ac.jp/news/H22news/110112.pdf
 13日の復元に際しては、寒い時期ですので、防寒の用意をしていただき、軍手をご持参くださいませ。
 お問い合わせは前川までお願いいたします。maekawakayo@cc.nara-wu.ac.jp

 なお、演習での成果は、『奈良女子大学文学部研究教育年報』第7号(2010刊行予定)に連名でまとめ、さらに後期授業の「Web情報実習」で高校生向けのHPを作成中です。菓子研究グループとして、古代菓子や奈良饅頭の復元も行っています。もしご興味がある方は前川までご一報くださいね。

甘いものもすきです

No.7928

 >前川先生
 「古代の甘味料“甘葛煎”の復元」のお知らせをいただきまして、ありがとうございます。
 どのような甘みなのか想像もつきませんが、なにやら炭水化物系(米や芋)の甘みとよく合いそうですね。大変興味をそそられる実験だと思います。

 *ところで、まだ少し先のことですが次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内を再掲致します。次回は年明けです。

 日時:2011年1月11日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)正月十日・二十五日・二十六日、二月二十日・二十五日・二十九日、三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新しい歳に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

Re: 古代の甘味料“甘葛煎”の復元のご案内...

No.7930

岩田さま
ご興味をお示しくださり、ありがとうございます。
私も正直申し上げて半信半疑でしたが、本当にツタから甘い樹液が出た時は感動でした。どのような甘さかは私が説明するよりは、味わってみていただいたほうがよろしいかと思います。最終的に糖度75度まで煮詰めます。かなり甘そうでしょう?
『吾妻鏡』と菓子といえば、「十字」は蒸餅といわれていますが、どのようなものなのか、小麦粉を使用しているのか米粉なのかなど、非常に気になります。何物かご存知でしたら、ご教示くださいませ。

蒸餅ですか…

No.7935

 >前川先生
 糖度75度というのはすごそうですね。
 ところで「十字」という菓子のことは全く知りませんでした。すみません…。あの時代の菓子といえば、果物かその加工品とばかり思っておりましたので…。甘いもの好きとしては、ぜひ調べてみたいと思います。

耐えねばや 果ては石をも穿つらん※

No.7924

 諸事に追われて床屋さんに行く機会を逸したため、「丸顔になった寝起きの由井正雪」の如き様相を呈しております。まぁ、これで入院ということにはならないと思いますのでヨシとしたいと思います。

 ☆ かつての同僚で考古学者の田中新史先生より、先生が資金を負担し、自ら編集を担当された『武射 経僧塚古墳 石棺篇 報告』(早稲田大学 経僧塚古墳発掘調査団刊行 土筆社取扱)を御恵送頂きました。1970年の調査成果が今になって形になったもので、中世の東国理解にも有益な内容です。田中先生の研究者としての御矜持にあらためて感服致しました。
 田中先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 群馬県立文書館の須藤聡先生より、御高論「新田荘成立史論-女堀・新田堀との関わりを中心に-」収録の大間々扇状地研究会編『共同研究 群馬県大間々扇状地の地域と景観-自然・考古・歴史・地理-』を御恵送頂きました。
 御高論は新田荘開発過程の在地状況を克明に描いたもの。
 須藤先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 筑波大学の山本隆志先生より、御高論「東国における武士勢力の成立-千葉氏を中心に-」(『史境』第61号)を御恵送頂きました。
 山本先生にあつく御礼を申し上げます。

 ※ 田中先生の編集された報告書に引かれた高野長英の座右の銘(蘭文で書かれてものを後世の人が和訳したもの)。
  『たえねばや はてはいしをも うがつらん
        かよわきつゆの ちからなれども』  

公卿日記と軍記物語の狭間にて

No.7921

 今、東国武士研究と軍記物語について、一文を執筆しなければならないところなのですが、そこへグッドタイミングな御高論を拝読する機会を得ました。先日開催された『台記』研究会の際に、元木泰雄先生より頂いた『人環フォーラム』第27号(京都大学大学院人間・環境学研究科)に掲載されている元木先生の「源平合戦をめぐる虚実-歴史学と史料批判-」がそれです。歴史学サイドから見た『平家物語』の評価や『吾妻鏡』の史料批判など、重要な問題が具体例を挙げて簡潔に纏められています。一ノ谷の合戦や腰越状の史実性ついては、これまで様々な議論がありましたが、これで決着の観があります。
 ゼミのメンバーには、史料講読会の際にコピーを差し上げますから、必要な方はお申し出下さい。国文で軍記専攻の諸姉兄は必読です。

 ちなみに、今月の『台記』研究会は「法親王」をテーマにした佐伯君の御報告でした。私にとってはとても新鮮なテーマで、鎌倉幕府政治史とも関連するところがあり、たいへん勉強になりました。

今は、訳の分からない話よりもジュニア版

No.7914

 「鎌倉政権成立以前の北条氏を『伊豆の小土豪』と呼ぶのはやめよう」という意見は、仏教美術史のサイドからも肯定的に捉えられているようです。
 先日、上横手雅敬先生にお目にかかった際、御教示頂いた新刊の『別冊太陽 運慶』を読んで意を強く致しました。

 ちなみに、私は「歴史上の事件に元号使っちゃダメ」という意見には加担しません。一方、歴史学者の末席に連なる者として「学者先生が訳のわからんことに拘泥してる間に、国史はどんどん一般人に馴染み薄いものになっちゃうんじゃないか」という懸念には全く同感です。「訳の分からんこと」を論じるのも学問の醍醐味なのですが、大学教員としての立場からも大変な危機意識を持っています。
 【参照】http://hogenheiji.enq1.shinobi.jp/enquete_p/90367/

 ☆ 東京大学史料編纂所の高橋慎一朗先生から、新刊の御共著『ジュニア日本の歴史3 武士の世の幕あけ』(小学館)を御恵送頂きました。私は小学生時代に、父親から読売新聞社の『日本の歴史ジュニア版』(全四巻、昭和35年)を買って貰ったことで「日本史」の世界に目を開かされました。子ども向けの日本史の本がマンガ全盛の中、このような堅実な本が出たことは朗報だと思います。
 子ども向けと言うことで、執筆は大変だったこととお察し致します。
 高橋先生に敬意を込めて、あつく御礼を申し上げます。

「『義経記』の金売り吉次と陵兵衛」の紹介

No.7912

 今朝、送信されてきたメールで、すっかり忘れていた今月締め切りの原稿のあることに気づかされました。
 卒論指導やら来年度のシラバスやらで大混乱の最中、まいりました。
 昨日、ある席で、冗談に「原稿に追われて、もはや国外逃亡しか術はない」と申し上げたのですが、冗談では済まされなくなってきたようです。さっそくバスポートの申請に出掛けたい・・・と思っております。
 でも、旅費が要るのか・・・。困りました。

 当ゼミに参加してくれている神戸大学大学院の藪本勝治君が、『國語國文』第79巻第11号に「『義経記の金売り吉次と陵兵衛』」と題する論文を発表されました。
 『義経記』が、支配層の一般的秩序の枠組みを保持しながらも、鋳物師・山伏といった遍歴民の視点・価値観における義経伝承によって、その作品の論理が構築されていることを論じた秀作。牛若奥州下りに関する諸史料を比較・検討され、歴史学研究者の諸説を俎上にあげて手際よく整理と批判を加えています。
 とくに、義経に関心を持つ歴史研究者の皆様にぜひ御一読をお勧め致します。

 キャンパスプラザの授業は明日まで。平泉のことをお話しする予定です。

来年は「平忠盛」

No.7910

 かかりつけのお医者さんによれば、今流行の風邪は症状が一ヵ月にも及ぶケースがあるとのことですが、私はまさにその状態。ウィルスをまき散らす危険がありますから、「近寄るべからず」かも知れません。外出を控えるべきなのでしょうが、そうも行かず、進むも引くも迷惑をお掛けするような有様で、何とも申し訳ない次第です。なにしろ、年末・年始(複数回入院経験があります)の健康管理には十分気を付けたいところ。
 こういうときに思い出されるのが「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」という『孝経』の一節です。

 ところで、再来年の大河ドラマが「平清盛」に決まったということで、いろいろ便乗企画も持ち上がっているようですが、来年度、ラボール学園(京都労働学校)の春季講座で、私に与えられたテーマは「平忠盛-平家全盛への道-」というものです(5月16日)。たった一回のお話ですが、おおいに「便乗」させて頂くつもりですので、お楽しみに。
 NHKの担当者の方の考えている清盛像は、私の理解では、むしろ忠盛に相応しいように思われるところがあるのです。

 さきほど、20日締切の校正ゲラをポストに投函したら、直後にまた速達で校正ゲラが届きました。「執筆が進まないのに、ゲラが届く」というのは大変腑に落ちない話です。 
 20日締切といえば、文学部の卒論もそうでしたね。私が卒論指導を担当している現社の7名の学生さんにとっては、最終的な「草稿」の提出締切日です。
 今ごろ大車輪で頑張ってくれていることでしょう。

 ☆ 学習院大学の兵藤裕己先生より、このたび岩波現代文庫として再刊された『王権と物語』を御恵送頂きました。
 兵藤先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 宮田敬三先生より、御高論「『覚禅鈔』「金剛夜叉法」と源平合戦」(中野玄三ほか編『方法としての仏教文化史-ヒト・モノ・イメージの歴史学-』勉誠出版)を御恵送頂きました。「源平合戦」について従来顧みられなかった角度から評価を加えられた労作です。研究史的にも学界に一石を投ずる内容だと思います。
 宮田先生にあつく御礼を申し上げます。

二世の時代。

No.7905

 本格的な忘年会シーズンを前にして、また胃腸の具合を悪くしております。

 昨日は山田さん(もと平田さん)が、生後6ヶ月の愛娘あおいちゃんを抱っこして研究室を訪ねて下さいました。さっそく『吾妻鏡』講読会に集まっていたメンバーと共に記念写真。ここに掲げられないのが残念です。
 山田さんには、いろいろ頂き物をしました。ありがとうございました。

 「はじめてお目にかかったときはお父さんみたいだったのに、いまはすっかりオジイサンですね」と遠慮会釈も無く評された某君の御指摘を待つまでもなく、私はすっかりジジイになり、ゼミメンバーにも二世誕生の時代が到来したのであります。

【追記】☆ 鹿児島県歴史資料センター黎明館の栗林文夫先生より、先生が担当された同館企画特別展図録『甦る島津の遺宝~鹿児島の美と心~』(御高論「島津斉興の密教受法について-玉里島津家資料の『御仏間道具』について-」収録)および御高論「石清水八幡宮寺の別宮支配について-大隅国正八幡宮の場合を中心に-」(『黎明館調査研究報告』23)・「石清水八幡宮寺による南九州の荘園支配」(地方史研究協議会編『南九州の地域形成と境界性-都城からの歴史像-』雄山閣)を御恵送頂きました。
 栗林先生にあつく御礼を申し上げます。
 久しぶりに鹿児島に出掛けてみたくなりました。

来年の『吾妻鏡』

No.7907

 もと平田さんの山田さん母子にお会いできたことはとてもよかったです。葵さんも二ヶ月ほど前にお会いしたときよりさらにかわいらしくなっておいででしたね。ご家族皆様どうぞ健やかにおすごしください。
 さて、次回は年明けの火曜日『吾妻鏡』のご案内です。'11の1月は11日、18日、25日に開催予定です。
 また、『紫苑』の原稿締切も2011年1月11日(火)となりましたので、よろしくお願いします。

 日時:2011年1月11日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)正月十日・二十五日・二十六日、二月二十日・二十五日・二十九日、三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

Re: 二世の時代。

山田樹理
No.7908

昨日は葵共々お邪魔しました。野口先生にお会いできてよかったです。ありがとうございました。また伺いたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。