耐えねばや 果ては石をも穿つらん※
No.7924
諸事に追われて床屋さんに行く機会を逸したため、「丸顔になった寝起きの由井正雪」の如き様相を呈しております。まぁ、これで入院ということにはならないと思いますのでヨシとしたいと思います。
☆ かつての同僚で考古学者の田中新史先生より、先生が資金を負担し、自ら編集を担当された『武射 経僧塚古墳 石棺篇 報告』(早稲田大学 経僧塚古墳発掘調査団刊行 土筆社取扱)を御恵送頂きました。1970年の調査成果が今になって形になったもので、中世の東国理解にも有益な内容です。田中先生の研究者としての御矜持にあらためて感服致しました。
田中先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 群馬県立文書館の須藤聡先生より、御高論「新田荘成立史論-女堀・新田堀との関わりを中心に-」収録の大間々扇状地研究会編『共同研究 群馬県大間々扇状地の地域と景観-自然・考古・歴史・地理-』を御恵送頂きました。
御高論は新田荘開発過程の在地状況を克明に描いたもの。
須藤先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 筑波大学の山本隆志先生より、御高論「東国における武士勢力の成立-千葉氏を中心に-」(『史境』第61号)を御恵送頂きました。
山本先生にあつく御礼を申し上げます。
※ 田中先生の編集された報告書に引かれた高野長英の座右の銘(蘭文で書かれてものを後世の人が和訳したもの)。
『たえねばや はてはいしをも うがつらん
かよわきつゆの ちからなれども』
☆ かつての同僚で考古学者の田中新史先生より、先生が資金を負担し、自ら編集を担当された『武射 経僧塚古墳 石棺篇 報告』(早稲田大学 経僧塚古墳発掘調査団刊行 土筆社取扱)を御恵送頂きました。1970年の調査成果が今になって形になったもので、中世の東国理解にも有益な内容です。田中先生の研究者としての御矜持にあらためて感服致しました。
田中先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 群馬県立文書館の須藤聡先生より、御高論「新田荘成立史論-女堀・新田堀との関わりを中心に-」収録の大間々扇状地研究会編『共同研究 群馬県大間々扇状地の地域と景観-自然・考古・歴史・地理-』を御恵送頂きました。
御高論は新田荘開発過程の在地状況を克明に描いたもの。
須藤先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 筑波大学の山本隆志先生より、御高論「東国における武士勢力の成立-千葉氏を中心に-」(『史境』第61号)を御恵送頂きました。
山本先生にあつく御礼を申し上げます。
※ 田中先生の編集された報告書に引かれた高野長英の座右の銘(蘭文で書かれてものを後世の人が和訳したもの)。
『たえねばや はてはいしをも うがつらん
かよわきつゆの ちからなれども』