京都文化博物館現歴史展示室との別れ
No.7885
諸事錯綜しているせいか、はたまた老化現象の一環によるものか、このところ非生産的な行動がしばしばです。火曜日はゼミの後、研究室の鍵を門衛さんに渡すのを忘れて帰宅してしまい、また「出勤」。それから、水曜日には、まだ度数が800以上ものこっていたコピーカードの紛失に気づき、前日にコピーをとった際に忘れたのだと思って図書館の新聞・雑誌室に行ったのですが、届けられておりませんでした。
こんな具合ですから、気を引き締めなければならないのですが、風邪をひいてしまって体調不良(のどの痛み・鼻づまり・頭痛・微熱・・・)。これは医者にかからなければならなくなるかと思って健康保険証を見ると先月末で有効期限が切れていて、更新に行かなければならなかったりと、次から次へと「不幸」が重なっております。
さらに追い打ちをかけているのが1時間半後の胃部検診。バリウムを飲んで検査をするので、前日の22時から食物はおろか水も摂取してはいけないというのです。風邪の症状が出ているときに水が飲めないというのは辛い話です。
不幸と言っても極めて小規模なつまらない愚痴を書いてしまいましたが、昨日は身体の不調をおして古巣の京都文化博物館でギャラリートークなるものをして参りました。
平日の昼間なので、あまりお客さんはいませんでしたが、もと同僚の植山先生や中世を担当しておられる横山先生、それに新任の学芸員の西山先生、その昔、平安時代史事典の編集室におられた大森さんの妹さん、それに、なんと山本みなみさんの妹さんともお目にかかる機会を得ることが出来たのは幸いでした。副館長さんにも御挨拶を頂いて恐縮いたしました。
どんな話をしたのか、ということで、以下にメモ書きを貼り付けておこうと思います。だいたい、こんな内容の話を致しました。タイトルは大げさでしたね。
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◇ 歴史展示「武者の世に」の構想 ◇
この博物館には開館の準備段階から携わり、開館の翌年の平成元年(1989)3月まで主任学芸員として勤務させて頂きました。
私が主に担当したのは通史展示のうち「武者の世に」のコーナー、集中展示のうち「えがかれた京」、それから展示図録の作成でした。
私は千葉県の出身で、もともと東国の武士を研究対象としておりましたから、千葉の高校の教員をやめて京都に来るまでは、京都に関する知識で専門的な部分というのは、中世前期における東国武士との関係という極めて狭い部分でありました。ですから、中世(「武者の世に」と「描かれた京」のコーナー)を担当するといっても殆ど一からの勉強となりました。
展示案そのものは既に有識者によって既に策定されており、私たちの仕事は展示業者(トータル・メディアという佐倉の歴博を担当した業者)を指導しながら、それを形にしていくという仕事でした。
この博物館の歴史展示のコンセプトは、藤原道長とか平清盛のような個人の名前は出さず、古代から現代にまで連綿と再生を続けてきた希有の都市として京都の歴史を通史的に解説する場をつくり、その展示を踏まえて、外に出て、今でもそこかしこに史跡に満ち満ちている京都を楽しんでもらうというものでした。京都には美術品の展示施設や資料館はあっても、通史を語ることを一義的な目的とした施設はほかにありませんので、おおいにやり甲斐を感じたものでした。環境に関わる都市問題の発生を取り上げた部分など、当時としては先鋭的な展示であったと思います。
しかし、思うに任せないところもありました。場所が京都であるということで、今日、京都に残されている伝統工芸の技術を宣伝する目的が展示形態に反映されており、それによって、歴史情報として伝えるべき内容が曖昧なものになったことは否めないと思います。
たとえば朝廷の警察機関である検非違使の行列を描いた『平治物語絵巻』の「信西首渡し」の場面を人形によって立体的に復元したのはよいのですが、首渡しの場面なのに、首を取り払って、武士の時代の到来を印象づける目的で展示するなど、イメージ先行の展示でありましたから、そこに(かっこよく言えば)「研究者としての良心」を注ぎ込むのに苦労するところがありました。首をつけて展示するようになったのは、数年前からのことです。
ほかに、私が担当したことによって、特色が出せたと思われるのは(これはむしろマイナス面かも知れませんが)、「ひろがる京文化」の地図で、中世後期に京都の文化人が地方に出掛けていったルートを示したのですが、それが、やたらと関東、それも房総半島に集まっているのは、私が千葉の出身であるからです。
それから、今はもう無くなってしまいましたが、以前、歴史情報サービスというコーナーがあり、京都の歴史に関するキーワードから情報を得ることが出来るモニターが置いてあったのですが、そこで「京女」ということばを入力すると、一般の方たちがイメージする優美な京都の女性とは対照的な、自ら金融業を営んで莫大な富を築き、美食が昂じて肥満し、下女の助けを借りなければ歩行も困難になった、ある意味でたくましい女性の姿が現れるようにしたりもいたしました。これこそ本来の自立した京都の女性に近い姿だと考えたからです。
しかし、とくに文化・芸術の面で東夷(あずえびす)の私など到底には分からないところも多く、コンパニオンさんに教えて頂いたりしたことも多くございました。ちなみに、茶道具の展示のさいに重いガラスケースを持ち上げて、無理なカッコウで中に入ろうとした事が原因でギックリ腰におそわれたという苦い思い出もございます。山村美紗原作の2時間ドラマに出てくる博物館学芸員はみんな優雅に仕事をしておられますが(時には死体になったり致しますが)、学芸員の実態は「雑芸員」で、なかなか大変な側面があるのです。
それにしても、京都という所は、NHKの大河ドラマが何を取り上げても必ず主な舞台として登場することになることからも分かるように、一つの時代について巨大な博物館が一つずつ造られてもおかしくないようなところです。
京都は世界的にも文献史料が圧倒的に豊富な所でありますから、考古学的な調査で検出された遺構・遺物を文献史学の立場から評価することが可能なので、考古・文献双方からの実証作業という、ほかでは経験の出来ない歴史学の醍醐味を味わうことが出来るところです。
今ふりかえって見ますと、京都文化博物館の歴史展示の仕事というのは、過渡期の大変な職場環境の中で、多くの方々の御助力に頼りながら、暗中模索で行ったものではありましたが、そうした恩恵に与ることの出来た、得難い経験の機会であったと思っております。
この歴史展示室のリニューアルがいよいよ実現することになりました。これまでの展示には思い出深いものがあり、それが失われてしまうのは、些か寂しいというのが、私の個人的な感想です。しかし、開館以来、すでに20年以上が経過し、展示内容も現在の研究どころか教育現場の水準をも反映しないものになっていましたから、これはたいへん喜ばしいことであります。
最後に、この消えゆく歴史展示の制作に関係した者からの遺言のようなことになりますが、このたびのリニューアルについて一つ注文をつけたいと思います。
今回のリニューアルでは、「ほんまもん」の展示が志向されているようですが、何が「ほんまもん」なのかよく吟味する必要があると思います。マスコミで喧伝されているような通俗的な京都のイメージに合致した「実物」を並べて「京都文化はこんな素晴らしい」というのでは、悪い表現ですが、成金の骨董趣味のようなことになってしまわないかという懸念がもたれます。観光客がたくさん足を運ぶことを一義的に考えて、かえって教育目的にも観光目的にも施設として中途半端なものになってしまわないように願うものです。ステレオタイプの京都像を再生産するのではなく、きちんとした学術的背景をもった京都の歴史を通史的に語る施設として再生してほしいと願うものです。
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※ 京都文化博物館の歴史展示室は5日まで無料で公開されています。まだ、行ったことのない方は是非この機会に見ておいていただきたいと思います。二度と見ることが出来なくなります。
こんな具合ですから、気を引き締めなければならないのですが、風邪をひいてしまって体調不良(のどの痛み・鼻づまり・頭痛・微熱・・・)。これは医者にかからなければならなくなるかと思って健康保険証を見ると先月末で有効期限が切れていて、更新に行かなければならなかったりと、次から次へと「不幸」が重なっております。
さらに追い打ちをかけているのが1時間半後の胃部検診。バリウムを飲んで検査をするので、前日の22時から食物はおろか水も摂取してはいけないというのです。風邪の症状が出ているときに水が飲めないというのは辛い話です。
不幸と言っても極めて小規模なつまらない愚痴を書いてしまいましたが、昨日は身体の不調をおして古巣の京都文化博物館でギャラリートークなるものをして参りました。
平日の昼間なので、あまりお客さんはいませんでしたが、もと同僚の植山先生や中世を担当しておられる横山先生、それに新任の学芸員の西山先生、その昔、平安時代史事典の編集室におられた大森さんの妹さん、それに、なんと山本みなみさんの妹さんともお目にかかる機会を得ることが出来たのは幸いでした。副館長さんにも御挨拶を頂いて恐縮いたしました。
どんな話をしたのか、ということで、以下にメモ書きを貼り付けておこうと思います。だいたい、こんな内容の話を致しました。タイトルは大げさでしたね。
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◇ 歴史展示「武者の世に」の構想 ◇
この博物館には開館の準備段階から携わり、開館の翌年の平成元年(1989)3月まで主任学芸員として勤務させて頂きました。
私が主に担当したのは通史展示のうち「武者の世に」のコーナー、集中展示のうち「えがかれた京」、それから展示図録の作成でした。
私は千葉県の出身で、もともと東国の武士を研究対象としておりましたから、千葉の高校の教員をやめて京都に来るまでは、京都に関する知識で専門的な部分というのは、中世前期における東国武士との関係という極めて狭い部分でありました。ですから、中世(「武者の世に」と「描かれた京」のコーナー)を担当するといっても殆ど一からの勉強となりました。
展示案そのものは既に有識者によって既に策定されており、私たちの仕事は展示業者(トータル・メディアという佐倉の歴博を担当した業者)を指導しながら、それを形にしていくという仕事でした。
この博物館の歴史展示のコンセプトは、藤原道長とか平清盛のような個人の名前は出さず、古代から現代にまで連綿と再生を続けてきた希有の都市として京都の歴史を通史的に解説する場をつくり、その展示を踏まえて、外に出て、今でもそこかしこに史跡に満ち満ちている京都を楽しんでもらうというものでした。京都には美術品の展示施設や資料館はあっても、通史を語ることを一義的な目的とした施設はほかにありませんので、おおいにやり甲斐を感じたものでした。環境に関わる都市問題の発生を取り上げた部分など、当時としては先鋭的な展示であったと思います。
しかし、思うに任せないところもありました。場所が京都であるということで、今日、京都に残されている伝統工芸の技術を宣伝する目的が展示形態に反映されており、それによって、歴史情報として伝えるべき内容が曖昧なものになったことは否めないと思います。
たとえば朝廷の警察機関である検非違使の行列を描いた『平治物語絵巻』の「信西首渡し」の場面を人形によって立体的に復元したのはよいのですが、首渡しの場面なのに、首を取り払って、武士の時代の到来を印象づける目的で展示するなど、イメージ先行の展示でありましたから、そこに(かっこよく言えば)「研究者としての良心」を注ぎ込むのに苦労するところがありました。首をつけて展示するようになったのは、数年前からのことです。
ほかに、私が担当したことによって、特色が出せたと思われるのは(これはむしろマイナス面かも知れませんが)、「ひろがる京文化」の地図で、中世後期に京都の文化人が地方に出掛けていったルートを示したのですが、それが、やたらと関東、それも房総半島に集まっているのは、私が千葉の出身であるからです。
それから、今はもう無くなってしまいましたが、以前、歴史情報サービスというコーナーがあり、京都の歴史に関するキーワードから情報を得ることが出来るモニターが置いてあったのですが、そこで「京女」ということばを入力すると、一般の方たちがイメージする優美な京都の女性とは対照的な、自ら金融業を営んで莫大な富を築き、美食が昂じて肥満し、下女の助けを借りなければ歩行も困難になった、ある意味でたくましい女性の姿が現れるようにしたりもいたしました。これこそ本来の自立した京都の女性に近い姿だと考えたからです。
しかし、とくに文化・芸術の面で東夷(あずえびす)の私など到底には分からないところも多く、コンパニオンさんに教えて頂いたりしたことも多くございました。ちなみに、茶道具の展示のさいに重いガラスケースを持ち上げて、無理なカッコウで中に入ろうとした事が原因でギックリ腰におそわれたという苦い思い出もございます。山村美紗原作の2時間ドラマに出てくる博物館学芸員はみんな優雅に仕事をしておられますが(時には死体になったり致しますが)、学芸員の実態は「雑芸員」で、なかなか大変な側面があるのです。
それにしても、京都という所は、NHKの大河ドラマが何を取り上げても必ず主な舞台として登場することになることからも分かるように、一つの時代について巨大な博物館が一つずつ造られてもおかしくないようなところです。
京都は世界的にも文献史料が圧倒的に豊富な所でありますから、考古学的な調査で検出された遺構・遺物を文献史学の立場から評価することが可能なので、考古・文献双方からの実証作業という、ほかでは経験の出来ない歴史学の醍醐味を味わうことが出来るところです。
今ふりかえって見ますと、京都文化博物館の歴史展示の仕事というのは、過渡期の大変な職場環境の中で、多くの方々の御助力に頼りながら、暗中模索で行ったものではありましたが、そうした恩恵に与ることの出来た、得難い経験の機会であったと思っております。
この歴史展示室のリニューアルがいよいよ実現することになりました。これまでの展示には思い出深いものがあり、それが失われてしまうのは、些か寂しいというのが、私の個人的な感想です。しかし、開館以来、すでに20年以上が経過し、展示内容も現在の研究どころか教育現場の水準をも反映しないものになっていましたから、これはたいへん喜ばしいことであります。
最後に、この消えゆく歴史展示の制作に関係した者からの遺言のようなことになりますが、このたびのリニューアルについて一つ注文をつけたいと思います。
今回のリニューアルでは、「ほんまもん」の展示が志向されているようですが、何が「ほんまもん」なのかよく吟味する必要があると思います。マスコミで喧伝されているような通俗的な京都のイメージに合致した「実物」を並べて「京都文化はこんな素晴らしい」というのでは、悪い表現ですが、成金の骨董趣味のようなことになってしまわないかという懸念がもたれます。観光客がたくさん足を運ぶことを一義的に考えて、かえって教育目的にも観光目的にも施設として中途半端なものになってしまわないように願うものです。ステレオタイプの京都像を再生産するのではなく、きちんとした学術的背景をもった京都の歴史を通史的に語る施設として再生してほしいと願うものです。
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※ 京都文化博物館の歴史展示室は5日まで無料で公開されています。まだ、行ったことのない方は是非この機会に見ておいていただきたいと思います。二度と見ることが出来なくなります。