本日の授業・ゼミと拝受の御礼

No.7174

 昨日は久しぶりに満田さんが来室され、御高論掲載の科研報告書(研究代表者は学長の川本先生)とお土産のお菓子を頂きました。
 京大院に進学された方たちの御活躍は、さすがに目覚ましいものがあると思いました。

 本日の「基礎演習Ⅰ」。高田鈴さんの報告は、なかなかよかった。外山 滋比古『思考の整理学』は、私も読み直してみたいと思いました。

「基礎・教養科目」では、『吾妻鏡』の読解も取り入れたかったのですが、時間不足で途中で端折ることとなり、ちょっと残念でした。

 研究所ゼミは、「本覚尼置文」を読了。
 探していた大通寺関係の資料は、やはり自宅の方にありました。

 ☆ 群馬大学の高山利弘先生より、科研報告書『『源平闘諍録』を基軸とした古代中世東国をめぐる軍記文学の基礎的研究』を御恵送頂きました。
 学ぶべき情報が満載のようです。
 高山先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 同志社大学の竹居明男先生より、御高論「天神信仰編年史料集成続編稿(一)-建長二年(一二五〇)~弘長元年(一二六一)-」(『人文学』183)・「同(二)-弘長元年(一二六一)~文永七年-」(『文化学年報』59)・「北野天神縁起絵巻研究の課題-承久本(国宝本)絵巻を中心に-」(『神道史研究』56-2)・「「北野天神」神号考-「天満天神」から「天満大自在天神」へ-」(『文化史学』65)を御恵送頂きました。
 竹居先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 名古屋学院大学の早川厚一先生より、早川厚一・曽我良成・橋本正俊・志立正知「『源平盛衰記』全釈(五-巻二-1)」(『名古屋学院大学論集』人文・自然科学篇46-2)および、早川厚一「源平闘諍録全釈(五-巻一上⑤(八ウ6~九ウ5))」(『名古屋学院大学論集』言語・文化篇21-2)を御恵送頂きました。
 メンバー配布用に複数ずつ頂いております。
 早川先生に、あつく御礼を申し上げます。 

コミュニティ・カフェと明日の授業のご案内

No.7168

 昨日は、ご近所のかかりつけのお医者さんの主宰されているコミュニティ・カフェ「カフェ頼政道」
     →http://www.eonet.ne.jp/~kadosaka-naika/cafe/index.html
で、「頼政道」の由来とともに源頼政や木幡周辺の史跡についてのお話をさせて頂きました。

 近年の新興住宅地というのは、近隣の結合が弱く、また多様な価値観の交錯する時代だけに、他者への迷惑を迷惑と思わない困った住民もおり、またそれを調停・解決しうる地域の尊敬される人物も見当たらなくなっています。
 結局、善良な人々が我慢を強いられるような構造が、日本の全社会に及びつつある中で、閉塞感も生まれるのだろうと思います。
 そうした意味で、こうしたコミュニティの存在は、一つの解決策として大きな意味を持つものと考えます。

 さて、明日の授業ですが、Ⅲ講時の「基礎演習Ⅰ」は、高田鈴さんの報告。テーマは「なぜ忘れるのか、『忘却論』」です。私のためにあるようなテーマ。どんなアプローチをされるのか楽しみです。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目B25 女性の視点から日本中世の歴史を考える」は、第4回目の講義で、テーマは「日本中世の女性-結婚と妻の役割・貞女観-」です。
 『吾妻鏡』など、生の史料を読みながら考えたいと思います。

 ☆ 同志社大学の浜中邦弘先生より、御高論「宇治と藤原摂関家」掲載の増渕徹編『史跡で読む日本の歴史5 平安の都市と文化』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 浜中先生に、あつく御礼を申し上げます。

 > 現社卒論演習(野口担当)の学生さん
  当方が研究室に在室しているときは、遠慮無くお立ち寄り下さい。 

 > 岩田君
  長い間の祇園でのお仕事、お疲れ様でした。
  これから、美味しいコーヒーが飲めなくなるのが残念ですが、引き替えに得た貴重な時間を有効に活用して大きな飛躍を期して下さい。

祇園町南側

No.7169

 野口先生、暖かい労いと励ましのお言葉をありがとうございます。
 先日5月8日、約9年間勤めた(バイトですが)コーヒー屋さんを辞めてまいりました。
 店員として勤めた9年間では、多くのお客様と仲間に恵まれました。特に京都の祇園の一角で働いたことにより、そこに住む人々の懐の深さのようなものを学ぶことが出来たのは、何ものにも代え難い貴重な経験となりました。

 『紫苑』第4号に寄稿した「草創期鎌倉幕府研究の一視点 ―奉行人を中心に―」は、頼家・実朝将軍期における鎌倉幕府の奉行人それぞれの「個性」に応じた「役割分担」に注目して書いたものですが、着想自体はそのバイトで「役割分担」を意識しながら働く経験から得られたものです。
 一方、バイト先でちょっと身だしなみを注意するときに、人前に出るときの身だしなみについて書かれた北条重時家訓の一節(『中世政治社会思想 上』p318・319)を持ち出して『吾妻鏡』講読会の成果を活かした(?)こともありました。北条重時とは750年ほどを隔てて「職場が近所」でした。
 コーヒー屋さんと鎌倉幕府と全く別の分野ではありますが、それぞれ楽しく取り組むことができたと思います。
 そのほか、当ゼミ関係者のみなさんにも何度もご来店いただきました。

 9年前の5月の連休明けから研修(いわゆる「OJT」)が始まりましたが、まだ店舗は完成しておらず、三条烏丸やカナート洛北にお邪魔しての研修となりました。そのころふと店舗が出来る場所を覗いてみると、全面作業シートに覆われてはいましたが、ここで働くのだという楽しみな気持ちを抑えられませんでした。
 6月1日に新装開店でしたが、オープニングスタッフは一週間前から資材の搬入や陳列、最終的な打ち合わせなどを、少しの緊張と大きな期待を抱きながら繰り返しました。初夏というよりは真夏を思わせる気候だったのを覚えています。
 いろいろと問題の多い店員だったと思うのですが、足繁く通い続けて下さったお客様と常に暖かく接してくれた仲間達にこの場を借りて御礼を申し上げたいと思います。


 さて、明日(5/11)の火曜日の『吾妻鏡』も、引き続き源実朝夫人(西八条禅尼、本覚尼)の置文を読んでみたいと思います。 

 日時:2010年5月11日(火)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:「本覚尼置文」(『中世法制史料集 第6巻 公家法 公家家法 寺社法』)

 ちなみに、次回以降の火曜日の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。
 康元二年(正嘉元年、1257年)八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、
 正嘉二年(1258年)正月一日・二日・六日・十七日・二十日、二月十三日・十九日・二十八日、三月二十日、四月十九日・二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。『紫苑』第8号も『吾妻鏡』講読会の成果が大きく反映されております。

中世成立期の武蔵武士研究に新展開

No.7163

 昨日の『吾妻鏡』講読会。
 連休中に帰省された井草さん・山本さんから美味しいお土産を頂きました。
 大河ドラマ『草燃える』で比企能員を演じた俳優佐藤慶氏逝去の報道があったばかりなので、大河ドラマにも話題がおよびました。私にとって、佐藤慶氏は『太閤記』における明智光秀役のイメージの方がつよくのこっています。
 このところ、昭和の名優の訃報が相次いで、寂しい限りです。

 ☆ 前田育徳会尊経閣文庫の菊池紳一先生より、御高論「武蔵国留守所惣検校職の再検討-「吾妻鏡」を読み直す-」・「財団法人前田育徳会所蔵文書(三)」(ともに『鎌倉遺文研究』25)・「林家往復書簡」(『日本歴史』743)および一部御執筆の図録『国宝万葉集』(前田育徳会)を御恵送いただきました。
 菊池先生にあつく御礼を申し上げます。

 最近、秩父平氏を論点とした平安末~鎌倉時代の武蔵国支配の研究が活況を呈しているように思います。この菊池先生の御研究をはじめ、さきに御紹介した川合康先生の御高論「鎌倉街道上道と東国武士団」(『府中市郷土の森博物館紀要』23)や伊藤邦彦先生の御高著『鎌倉幕府守護制度の基礎的研究 【国別考証編】』(岩田書院)の武蔵の項は、従来の理解に再考をせまる内容をもつものです。

 ちなみに、当該期の秩父平氏を対象とした拙論としては、「中世成立期における武蔵国の武士について-秩父平氏を中心に-」(岡田清一編『河越氏の研究』)・「鎌倉武士と報復-畠山重忠と二俣川合戦-」(『古代文化』54-6)・「鎌倉武士の心性」(五味文彦ほか編『中世都市鎌倉の実像と境界』)・「坂東平氏と『平家物語』-上総広常・『源平闘諍録』・畠山重忠のことなど-」(『軍記と語り物』38)・「武蔵武士団の形成」(横浜市歴史博物館ほか編『兵の時代-古代末期の東国社会-』)などがありました。
 けっこう書いたものです。これらが、新しい研究の踏み台になれば幸いです。

『平家物語』関連、シンポジウムの御案内

No.7158

 シンポジウム  「平家物語研究の視点
  ―歴史学の視点・文学の視点、その相互理解をめざして―」

 2010年6月6日(日曜日) 13:00~17:00
 國學院大学渋谷校舎AMC棟1階 常磐松ホール
        JR渋谷駅から、徒歩15分または都バス日赤医療センター行國學院大学前下車。
 
 野口 実(京都女子大学教授)
   「東国武士研究と軍記物語」

 佐伯真一(青山学院大学教授)
   「歴史学の視点と文学研究の視点―作品の認識をめぐって―」

 高橋典幸(東京大学史料編纂所助教)
   「「史料」と軍記物語-軍事史の観点から-」

 司会:坂井孝一(創価大学教授)

 主催:科研費(C)「平家物語の初期形態に関する多角的研究」
   (課題番号20520199)による共同研究会  代表:千明守

 ※ 「来聴歓迎!」とのこと。
  私は何をお話しすべきか、未だに思案中です。

連休明けに『吾妻鏡』

岩田慎平
No.7161

 四月は寒い寒いといって過ごしたのですが、五月に入った途端に暑い暑いといって過ごしております。急に暑くなって遮熱対策もできていませんからバテ気味です。

 次回の火曜日の『吾妻鏡』も、引き続き源実朝夫人(西八条禅尼、本覚尼)の置文を読んでみたいと思います。 

 日時:2010年5月11日(火)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:「本覚尼置文」(『中世法制史料集 第6巻 公家法 公家家法 寺社法』)

 ちなみに、次回以降の火曜日の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。
 康元二年(正嘉元年、1257年)八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、
 正嘉二年(1258年)正月一日・二日・六日・十七日・二十日、二月十三日・十九日・二十八日、三月二十日、四月十九日・二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。『紫苑』第8号も『吾妻鏡』講読会の成果が大きく反映されております。

卒論演習履修生のみなさんへ

No.7156

 本日、横田先生にお目にかかりました。
 とても御元気な御様子で安心致しました。

 なお、まだ研究室に来ていない方は、お渡ししたい書類と重要な伝達事項がありますので、事前連絡の上、早々のうちに来室して下さい。

本年度「研究所公開講座」の公式案内

No.7146

 宗教・文化研究所市民公開講座
  「シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化 12」
  テーマ『京・六波羅と鎌倉』

 講題 「考古学からみた鎌倉北条氏―伊豆から鎌倉への足跡―」
 講師  伊豆の国市教育委員会 池谷 初恵氏

 講題 「北条氏一族女性の在京生活―六波羅探題金沢貞顕の周辺― 」
 講師  愛知学院大学文学部教授 福島 金治氏

 日時  6月26日(土)13:00~14:30・15:00~16:30
 場所  本学J420教室

お問い合わせは e-mail: gakuji@kyoto-wu.ac.jp までお願いします。

南九州門の浦で発見された絵巻の御紹介

No.7137

 昨秋、ミュージアム知覧をお訪ねしたときに拝見した絵巻。歴史学(文献・美術)・民俗学・国文学など、さまざまなジャンルから大いに研究の余地のある、とても貴重な文化財だと思います。多くの研究者による御検討を期待しています。
 こちらを、御覧下さい。

  → http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=23719

 5月3日というと、千葉から市川市菅野に引っ越した時のことを思い出します。あれから、はや35年。新築だった幸和ハイツはまだ健在なのでしょうか?

 あの時は友人・後輩の諸兄姉にたいへんお世話になりました。なんでも、自分たちでやった時代でした。今さらながら、御礼を申し上げます(利息無しで申し訳ありません)。
 そういえば、あの前の月の26日、畠山君の結婚式ではじめて広島に行ったのでした(それも日帰りで)。

 本日は、鈴木君御夫妻に来宅して頂き、電話の完全復旧とともに、PCにメモリを増設してもらいました。古いPCに新しい活力が吹き込まれた感じです。
 最近の中学・高校の現場における様々な問題についてもお話しをうかがうことが出来ました。私など、四半世紀前の体験に依拠することが多いのですが、それはもう通用しないようです。

 ☆ 栃木県立文書館の松本一夫先生より、新刊の御高著『下野中世史の世界』(岩田書院)ならびに御高論「小山氏と中泉荘」(『栃木県立文書館研究紀要』14)を御恵送頂きました。
 松本先生にあつく御礼を申し上げます。 

電話不通と博物館学芸員募集のお知らせ

No.7133

 昨日の『吾妻鏡』講読会。ちょうど仕事を手伝いに来て貰っていた長村君に顔を出して頂いたおかげで、院宣と院庁下文についての説明をお願いする事が出来ました。また、『玉葉』における「切腹」の用例も知ることが出来、とても勉強になりました。

 現在、当家の固定電話(FAX兼用)が不通になっています。原因はよく分かりませんが、リモート・ステーション(NEC Aterm Rs20)が機能しなくなっているようです。PCのネット接続やE・メールの送受信は問題ありません。
 鈴木君に対応方法を問いあわせたいと思いますが、さし当たり、私への御連絡はE・メールかケータイ電話(すぐには出ませんが)にお願い致します。

 ◎ 私の古巣の一つ京都府京都文化博物館で、歴史担当(主に近世史)の学芸員を募集するとのことです。
              ↓
       http://www.bunpaku.or.jp/info_bosyu.html
 この博物館は、来年7月のリニューアルオープンを目指して作業を進めているところで、やり甲斐のある職場だと思います。
 当ゼミメンバーの専攻は主に中世史ですから該当者はいないと思いますが、周囲に適任者がいたら、ぜひ紹介してあげて下さい。

 ☆ 日本大学の川合康先生より、御高論「鎌倉街道上道と東国武士団」(『府中市郷土の森博物館紀要』23)を御恵送頂きました。
 川合先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ※ 『日本歴史』744(5月号)昨日に到着致しました。   

電話復旧のお知らせ

No.7134

 この時期、数年前までは、ゼミの恒例行事として神護寺の虫払いに出掛けていたことが思い出されます。

 電話の件ですが、鈴木君に早速対応して頂き、リモート・ステーションの故障によるものと判明しました。
 とりあえず、直接接続で通話可能になりましたので、お知らせ致します。

『紫苑』&『日本歴史』・『鎌倉遺文研究』

No.7127

 昨日の『小右記』講読会。Ⅲ講時なのにⅣ講時と間違えて、御迷惑をお掛けしました。
 
 卒論ゼミの時間について、宮本さん・濱千代さん・赤坂さんには水曜のⅡ・Ⅳ講時をⅡ・Ⅲ講時の誤りだと申しましたが、やはりもとのままでお願い致します。
 このところ、いろいろなことがあり、混乱しておりまして申し訳ありません。


 「昭和は遠くなりにけり」を実感する今日この頃です。

 『紫苑』の発送が遅れています。学会誌など、どのような順序で送られるのでしょうか。機関優先とか五十音順なのでしょうか。あるいはまた、会費の納入状況というのもあるのでしょう。
 『日本歴史』の5月号。ご近所の岩田君の所には火曜日に届いたそうですが、当方には未着。購読料の納入が4月になってしまったからだと思います。
 しかし、そういうときに限って早く読みたい。なぜならば、長村祥知君の承久の乱に関する力作が掲載されているからです。そこで、昨日、大学図書館でコピーを取って参りました。タイトルは「承久三年五月十五日付の院宣と官宣旨」。
 この論文によって院宣の発給が証明されました。これによって乱の評価も変わってくるではずですが、私が興味を持っているのは、その対象となった御家人です。
 それにしても、政治思想史にも明るい長村君は承久の乱研究の最前線に躍り出た観があります。5月15日の中世戦記研究会(於、学習院大学)における御報告はこの論文をベースにしているとのこと。鎌倉幕府論に一石を投じる岩田慎平君の報告とともに、「乞うご期待!」と言ったところです。

 長村君とともに京大元木研究室の若手ホープの一人である坂口太郎君から、いろいろ御教示を頂いたおかげでまとめることが出来たのが、『鎌倉遺文研究』第25号に載せて頂いた拙稿「東国出身僧の在京活動と入宋・渡元-武士論の視点から-」です。論点はバラバラで、文字通りの「拙」論ですが、千葉氏一族出身で千葉寺の住僧から九条堂の堂僧として法印にまでのぼりつめた了行に関する新知見と西園寺実兼の援助で元に渡って数多の経典を将来した「鹿島浄行千葉道源」の素性とバックグラウンドを、東国武士論研究の視角から明らかにしようとしたものです。

 道源については、坂口君の御教示で新たな知見を得たにも拘わらず、書き尽くせなかった部分があるのですが、鎌倉時代を研究対象とされている史学・国文を研究されている方や、千葉・茨城県の中世史に関心をお持ちの皆様にお読み頂き、御教示・御批判を頂ければ有り難いと考えております。
 執筆に当たってお世話になった方々には抜刷をお送りしなければならないのですが、それはかなり先のことになりそうですので(『紫苑』第8号も上記の通りです)、その点お詫び申し上げる次第です。 

複数年契約であります

No.7128

 『日本歴史』の5月号は今週月曜日に届きました。この雑誌は確か複数年契約にしていたと思いますから、それで早々に届けていただけたのでしょうか?あるいは五十音の「い」と「の」差が出たのでしょうか?

 次回の火曜日の『吾妻鏡』も、引き続き源実朝夫人(西八条禅尼、本覚尼)の置文を読んでみたいと思います。 

 日時:2010年5月11日(火)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:「本覚尼置文」(『中世法制史料集 第6巻 公家法 公家家法 寺社法』)

 ちなみに、次回以降の火曜日の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。
 康元二年(正嘉元年、1257年)八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、
 正嘉二年(1258年)正月一日・二日・六日・十七日・二十日、二月十三日・十九日・二十八日、三月二十日、四月十九日・二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。『紫苑』第8号も『吾妻鏡』講読会の成果が大きく反映されております。

Re: 『紫苑』&『日本歴史』・『鎌倉遺文研究』

鈴木小太郎
No.7139

野口先生

「東国出身僧の在京活動と入宋・渡元」を拝読し、道源の出自については今回の御論文で完璧に解明されたものと感じました。
ところで、『鎌倉遺文研究』の同じ号に大塚紀弘氏の「宋版一切経の輸入と受容」という論文が載っていますが、p60には「入元僧による請来としては、先の大吉寺の他に、延慶二年(一三〇九)に道眼坊が一切福州版カ)を請来し、京都東山・焼野の那蘭陀寺に安置した」、「『千葉』出身と伝えられる道眼房は、御家人の千葉氏から支援を受けていた可能性がある」とあります。
那蘭陀寺といえば『徒然草』第179段と第238段に登場する「道眼上人」が開いた寺であり、「道眼上人」は今まで出自不明とされていましたが、仮に「道眼上人」と千葉氏の関係がきちんと根拠づけられるのであれば、「道眼上人」は明らかに千葉道源と同一人物ではないでしょうか。
大塚氏が注に挙げている落合博志氏の「『徒然草』に関する考察二題」(『法政大学教養部紀要』九〇、一九九四年)という論文を見れば根拠を確認できるでしょうが、連休中のため当該論文を入手するのに時間がかかりそうです。
既にこの点も解明済みであれば、ご教示をお願いいたします。
興奮を禁じえず、場違いを承知で投稿させていただきましたが、ご迷惑であれば削除してください。

千葉道源は「道眼上人」その人と考えます。

No.7141

 鈴木小太郎様

 拙文をお読み下さり、ありがとうございました。
 落合博志氏の論文のことですが、上に「坂口君の御教示で新たな知見を得たにも拘わらず、書き尽くせなかった部分がある」と書きましたのは、まさにそのことで、千葉道源こそ那蘭陀寺を開いた「道眼上人」にほかならないと考えております。
 京都大学の坂口太郎君から落合氏の論文の存在をうかがったのが、拙論の再校段階でありましたので、新稿を期したいと考えた次第です。
 那蘭陀寺はおそらく私の研究室から見渡せる範囲に存在したと思われ、私も思わぬ奇遇に驚かされました。
 かくして、道源は金沢称名寺との接点もうかがえることとなり、もはや「<草深い東国>認識に立脚した領主制論」による東国武士社会に対する理解は、克服されるべき段階に至ったように考えております。

 ※ 『紫苑』第8号もお読み頂ければ幸いです。宜しければお送り致しますので、私の名前をクリックして送付先をお知らせ下さい。 

やはり同一人物なんですね。

鈴木小太郎
No.7142

野口先生

ありがとうございます。
新しい御論文は『徒然草』研究者にとっても大変な刺激になりそうですね。
今は外出先からなので、後でメールを送らせていただきます。

基礎ゼミ・卒論ゼミ・研究所ゼミ

No.7126

 元木先生、クゲにお悔やみのお言葉を有り難うございました。
 クゲは荼毘に付しましたが、親ネコは急にいなくなったクゲをさがして落ち着きません。

 昨日の基礎演習Ⅰ。竹村さんが要領良く内容の濃い報告をしてくれて、初回にしてはなかなかうまく行ったと思います。
 Ⅴ講時の基礎・教養科目も出席率良好の上、とても熱心に受講してくれるので、やり甲斐があります。これからも、マイクなしでの講義を続けたいと思います。

 研究所ゼミは出席者が少なかったのですが、いつものように、岩田君持参の美味しいコーヒーを頂きながら、本覚尼(源実朝の後家)の置文をじっくり読みました。次回はその後半。彼女が京都と鎌倉の間でどのような役回りを演じていたのか、興味は尽きません。
 
 本日、現社卒論ゼミがスタート。メンバーは7人です。

 ☆ 千葉県立佐倉高校の外山信司先生より、御高論「佐倉藩の釈奠について-二つの「釈奠儀略」と堀田正睦-」掲載の『佐倉市史研究』23を御恵送頂きました。
 外山先生にあつく御礼を申し上げます。
 ちなみに、同誌掲載の菱沼一憲「下総国印東庄の領主と百姓・沙汰人」は、中世東国武士団研究における欠落を補う意義深い研究だと思います。