津波警報の日に巨福呂坂の雨中行軍※
No.7040
昨夜、ゼミ旅行から帰ってきました。現地解散だったので、まだ伊豆方面を旅行中の方や郷里に帰省した方もおられますが、まぁ、一段落。私はすっかり疲れ果てて、またしても耄碌を実感しております。
それにしても、帰ってきたら校正2件のほか、授業評価アンケートに対する所見執筆等々の近日締切厳守の仕事がいくつも待ち構えており、次の調査出張の準備など、とてもしている暇は無いようです。
しかし、せめてゼミ旅行の記録は残しておく必要がありますから、ここに報告書に記した程度のことは記録しておきたいと思います。なお、参加者諸姉兄の追記を期待しています(どなたか『紫苑』の次々号に旅行記を書いて下さいね!)。
2月27日(土)。江ノ電藤沢駅に集合。参加者は当初予定の10名のほか、学習院大学大学院の伊藤さんが、この日のみ参加。見学先は、稲村ヶ崎・極楽寺・御霊神社・高徳院(大仏)・光則寺・長谷観音・甘縄神明社・妙本寺。江ノ電の一日乗車券を利用しましたが、京都と打って変わっての寒さの中をほとんど徒歩で移動しました。途中、御霊神社近くで名物の「力餅」を食べたので少しばかり元気がでました。
妙本寺境内の竹御所の遺跡を見る頃にはすっかり暗くなったので、鎌倉駅近くで解散して夕食をとり、それから藤沢に戻って宿泊。
28日(日)。JRにて北鎌倉駅に出て、以後徒歩にて移動。見学先は、円覚寺・東慶寺・浄智寺・明月院・建長寺・鶴岡八幡宮・(一時解散して昼食)・大倉幕府跡・源頼朝法華堂跡・北条義時法華堂跡・荏柄天神・永福寺跡・鎌倉宮・勝長寿院跡・宝戒寺・若宮大路幕府跡・宇都宮辻子幕府跡など。午前はとても寒く、しかも雨。靴下までずぶ濡れになる者多数。午後は天候が回復。
チリの地震による津波の警報で江ノ電が止まっていたため、JRで藤沢に戻り、懇親会。宿舎への帰途、ある「光景」を目にした藪本君・米澤君が「ハーメルンの笛吹き男」について議論すること有り。
3月1日(月)午前、鎌倉に出て、寿福寺・浄光明寺・相馬師常墓所・いわや堂を見学の後、鎌倉駅前にて解散。この後、岩田君以下、院生中心のメンバーはレンタカーを駆って、三浦半島を席捲したとの情報有り。
鎌倉幕府の公的歴史書である『吾妻鏡』の講読に際して、鎌倉の空間の地理的認識は不可欠だと思いますが、今回の旅行で実際に脚で確かめることが出来たことは、今後のゼミ活動に大きなプラスになったものと思われます。もちろん親睦の効果も甚だ大きかったはずです。
※ 前回の鎌倉ゼミ旅行の(結果的な)テーマは「称名寺裏山死の行進」でした(笑)。
それにしても、帰ってきたら校正2件のほか、授業評価アンケートに対する所見執筆等々の近日締切厳守の仕事がいくつも待ち構えており、次の調査出張の準備など、とてもしている暇は無いようです。
しかし、せめてゼミ旅行の記録は残しておく必要がありますから、ここに報告書に記した程度のことは記録しておきたいと思います。なお、参加者諸姉兄の追記を期待しています(どなたか『紫苑』の次々号に旅行記を書いて下さいね!)。
2月27日(土)。江ノ電藤沢駅に集合。参加者は当初予定の10名のほか、学習院大学大学院の伊藤さんが、この日のみ参加。見学先は、稲村ヶ崎・極楽寺・御霊神社・高徳院(大仏)・光則寺・長谷観音・甘縄神明社・妙本寺。江ノ電の一日乗車券を利用しましたが、京都と打って変わっての寒さの中をほとんど徒歩で移動しました。途中、御霊神社近くで名物の「力餅」を食べたので少しばかり元気がでました。
妙本寺境内の竹御所の遺跡を見る頃にはすっかり暗くなったので、鎌倉駅近くで解散して夕食をとり、それから藤沢に戻って宿泊。
28日(日)。JRにて北鎌倉駅に出て、以後徒歩にて移動。見学先は、円覚寺・東慶寺・浄智寺・明月院・建長寺・鶴岡八幡宮・(一時解散して昼食)・大倉幕府跡・源頼朝法華堂跡・北条義時法華堂跡・荏柄天神・永福寺跡・鎌倉宮・勝長寿院跡・宝戒寺・若宮大路幕府跡・宇都宮辻子幕府跡など。午前はとても寒く、しかも雨。靴下までずぶ濡れになる者多数。午後は天候が回復。
チリの地震による津波の警報で江ノ電が止まっていたため、JRで藤沢に戻り、懇親会。宿舎への帰途、ある「光景」を目にした藪本君・米澤君が「ハーメルンの笛吹き男」について議論すること有り。
3月1日(月)午前、鎌倉に出て、寿福寺・浄光明寺・相馬師常墓所・いわや堂を見学の後、鎌倉駅前にて解散。この後、岩田君以下、院生中心のメンバーはレンタカーを駆って、三浦半島を席捲したとの情報有り。
鎌倉幕府の公的歴史書である『吾妻鏡』の講読に際して、鎌倉の空間の地理的認識は不可欠だと思いますが、今回の旅行で実際に脚で確かめることが出来たことは、今後のゼミ活動に大きなプラスになったものと思われます。もちろん親睦の効果も甚だ大きかったはずです。
※ 前回の鎌倉ゼミ旅行の(結果的な)テーマは「称名寺裏山死の行進」でした(笑)。