「在[東]京活動」報告

No.6516

 本年最初の「在[東]京活動」を「勤仕」して参りました。今回は、立川の国文学研究資料館で、今年6月に当研究所の公開講座で御講演をいただく小川剛生先生にお目に掛かり、また学習院大学で開催された第7回「中世戦記研究会」に出席して、例の如く知見を深め、さらに短時間ながら、高校時代以来の親友たちと旧交を深める機会も持って参りました。

 小川先生とは初対面と思っていたのですが、先年、五味文彦先生率いる『明月記』研究会の方々の宇治見学を御案内した際に、お目に掛かっていたということで、本当に耄碌も極まるところが無く、恐縮に存じた次第でした。御多忙の所、お時間を割いて頂いて、図書館の御案内までして下さり、大変有り難く存じました。久しぶりの立川は思いの外、遠いところだと思ったのですが、行った甲斐がありました。ゼミメンバーにも、早いうちに訪問の機会を得られることを勧めます。

 「中世戦記研究会」。とても寒い中での開催でした。報告は、清水眞澄先生の「簒奪と落魄の間―醍醐寺をめぐる義経像の再検討から―」、樋口州男先生の「中世江戸の将門伝説再考」、志立正知先生の「『承久記』研究の現状と課題」の三本。

 清水先生の御報告は、九条兼実による摂関(九条家)家の権威確立のためのイデオロギー操作に関するお話しでしたので、この方面に業績のある高松百香さんが出席されていなかったのが残念でした。私はひそかに、資料に、平家による京郊からの軍事動員について、手がかりとなる史料が示されていたのを喜んでおりました。

  樋口先生の御報告では、在地支配におけるイデオロギー操作の問題として、江戸氏による将門信仰がとりあげられました。ここでは資料に示されていた江戸氏の系図の記事に着目された坂井孝一先生の御発言などから、幕府成立以前における地方武士の「在京活動」や広域的なネットワークにも話が及び、私も御迷惑を顧みずに調子に乗っていろいろ申し上げさせて頂きました。

  志立先生の御報告は『承久記』に関する研究史を適切に整理された内容で、たいへん勉強になりました。やはり承久の乱以降、『太平記』が書かれる頃までの政治思想にたいする理解がポイントになりそうです。この点、長村君の参加がなかったのがとても残念でした。歴史学の方からの知見ということで、すこし発言させて頂いたのですが、会場に若手の優れた研究者の方々がおられたのに、分際をわきまえずに出しゃばりすぎの観少なからず、あとで反省した次第です。

 この研究会は、いつ行っても得るところが多く(久しぶりに石浜さんにもお目にかかれましたし)、私のような存在には本当に有難い研究会だと思います。ちなみに、今回は、休憩時間、藪本君の年賀状に話題が集中しておりました。

 高校・大学生の頃、ともに暴れ、悩み、挫折と達成を分かち合った親友達も、いよいよ人生の秋の世代となり、話の中味も隔世の感ありといったところでした(まさに「色即是空」)。

 さて、本日の女子駅伝、さすがに「京都の女子」は強い!

 >岩田君  「在[京]」の分業、ありがとうございました。明後日から、また『吾妻鏡』講読会を宜しくお願いいたします。
 >江波さん  「在京活動」の再開、まずは「見積書」から宜しくお願いいたします。
 >山本さん  例の書類、12月分とあわせて提出して下さい。

早くも鬼を笑わせる

No.6513

 >2008年度、宇治共同研究メンバーのみなさん
 目下、3月刊行予定の研究所『研究紀要』第22号に掲載する拙論(タイトルは「中世前期における宇治の軍事機能について」)の再校を進めております。
 昨年度の宇治共同研究の成果のうち、紀要には、この、私の単著論文を発表するということになりましたが、もし今年度の成果を来年発行の『研究紀要』第23号に発表したいという方がおられましたら、お知らせ下さい。
 手を挙げる方がおられれば、第21号のように共著論文の形式で発表したいと思います。なお、第23号に発表する論文のテーマは「摂関・院政期の宇治と地方」あるいは「摂関・院政期における宇治の文化の地方伝播」といったものにしたいと考えています。とくに、建築・庭園・都市空間に関するものを期待していますので、宜しくお願いいたします。なお、紀要以外の学術雑誌、或いは『紫苑』への発表も、ぜひ、期待したいところです。

◇ 第7回「中世戦記研究会」の開催について再掲します(私は出席の予定です)。

  日時:2009年1月10日(土)13:30~18:00
  場所:学習院大学 北2号館10階大会議室
  研究発表:清水眞澄氏「簒奪と落魄の間―醍醐寺をめぐる義経像の再検討から―」
        樋口州男氏「中世江戸の将門伝説再考」
     概説:志立正知氏「『承久記』研究の現状と課題」

     ゼミメンバーないし関係の方で出席を希望される方は、当方までお知らせ下さい。
     事務局に連絡させて頂きます(自由参加ではありません)。

 ☆ 静岡県伊豆の国市教育委員会の池谷初恵先生から、『吾妻鏡』講読会で話題になった「小奈温泉」に関する資料を送って頂きました。不躾な質問に対し丁寧な対応をして頂き、恐縮いたしております。ありがとうございました。
 先般の茨城大学におけるシンポで、伊豆北条氏の存在形態についてヒントを得たこともあり、かくなる上は、ミネルヴァ日本評伝選『北条時政』の執筆に更にエネルギーを振り向けなければならないと思う次第です。
 池谷先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 鹿児島県霧島市教育委員会の重久淳一先生より、先生の御高論「貿易陶磁器の終着点-錦江湾奧部の遺跡-」掲載の『海上の道と陶磁器』(南さつま市坊津歴史資料センター輝津館図録)を御恵送頂きました。
 目下、九州、とくに南九州の武士をテーマにした著書も計画中であり、これまた大変うれしい資料です。
 重久先生にあつく御礼を申し上げます。

☆ 神奈川県の遠藤明子さんより、『センゴクバトル歳時記』 (講談社)および『花の慶次-雲のかなたに-公式ガイドブックいくさ人読本 』(講談社)掲載の御高論を御恵送頂きました。
 遠藤さんに、あつく御礼を申し上げます。

『吾妻鏡』もよろしくおねがいします

No.6514

 下の方に沈んでしまいましたので再掲しますが、また来週より『吾妻鏡』も再開したいと思います。新しい年に新しい取り組みを始めたいとお考えの方は、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。今年もひとまずまた火曜日に読んでいきたいと思います。

 日時:2009年1月13日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:延応二年(仁治元年、1240年)十一月二十一日・二十三日・二十八日・二十九日・三十日、十二月十二日・十五日・十六日・二十一日
     仁治二年(1241年)正月二日・十四日・十七日・十九日・二十三日・二十四日、二月七日・二十二日・二十三日・二十五日・二十六日、三月十六日・十七日・二十日・二十五日・二十七日、四月二日・三日・五日・十六日・二十五日・二十九日、五月六日・十日・十四日・二十日・二十九日、六月八日・十一日・十六日・十七日・十八日・二十八日、七月八日・二十六日、八月十一日・十五日・二十五日・二十八日、九月三日・七日・十日・十一日・十三日・十四日・二十二日、十月十三日・二十二日、十一月三日・四日・十七日・二十一日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、十二月一日・五日・八日・十三日・二十一日・二十四日・二十七日・二十八日・二十九日・三十日、の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

ほんとうに「行く川の流れは絶えずして・・・」

No.6511

 先日、岩田君から、この掲示板を野口先生のブログだと思っている人がいる、ということをうかがいましたが、本当にそんな有様で申し訳ありません。

◇ 昨年も書いたような気がしますが、今日、正月5日は私の曾祖母(野口きち)の命日です。彼女は慶応3年(1867)12月29日、太平洋に面した上総国豊海村粟生の篠崎家に生まれました。亡くなったのは、私がたしか小学校5年生の年で、享年は94歳でした。子どもだった私にとって、彼女は生まれたときから「大きいおばあさん」(すなわち祖母が「小さいおばあさん」)以外の何ものでもありませんでしたが、自分がおじいさんになってみると、彼女に若い時代があったことを想像する能力が身についてきました。明治維新の前年に生まれた彼女の人生は、日本の近代の歴史にすっかりオーバーラップするのです。
 昨年は大河ドラマの「篤姫」がブームになり、これから数年は、史学科進学者の近世末・近代史専攻希望の増加が見込まれるわけですが、この時代に活躍した有名人の名を挙げても曾祖母の人生と重なります。京都で坂本龍馬が殺されたのは彼女の生まれる僅か一ヶ月ほど前、篤姫の亡くなった明治16年は満16歳の娘盛りという次第です。
 篤姫や西郷隆盛と同じ時代の空気を吸った曾祖母に、赤ん坊だった私は抱っこして貰ったりしたわけです。そんなことを考えると、「歴史」が自らの身体と切り離しがたいものであることを実感させられるのです。
 このところ、私は800年とか1000年とかいう過去が、それほど遠いものではないと思うようになりました。

◇ そろそろ研究室に行って仕事をしようかと思ったのですが、大学は今日、ネットワークメンテナンスが行われるということなので断念。久しぶりにユリカモメの舞う鴨川の河原を散策(うろつき)、それから四条のデパートや河原町通りの書店を回ってまいりました。30年ほど前には旅行先であった空間が、今や日常の場となっていることにあらためて気がつき、また時の流れを実感した次第です。

◇ さて、各地に帰省中のゼミメンバーの皆さんも上洛の準備を始められたことと思います。新年の開始とは年度の終わりを意味するわけで、これから期末試験やら入学試験やら大忙しの時期に入るわけですが、気を引き締めてしっかりとがんばりましょう。

◆ 「行く川の流れは絶えずして・・・」の鴨長明が隠棲した日野の辺り(うちの近所です)は、ここ数年ですっかり大住宅街と化し、ぞろ目のナンバープレートをつけたワンボックスカーが轟音を立てて走り回っています。

【追記】
> 山本みなみさん  備中松山城の写真の送信、ありがとうございました。とてもよく撮れています。

「年賀状」放談

No.6508

 「研究者に正月はない」などと気取って、年末年始は家でPCに向かってほとんど原稿執筆。ワープロソフトは一太郎ですが、一息入れるとインターネットの方に気が向いてしまいます。

 今年もたくさんの年賀状をいただきました。ありがとうございました。
 その中には、貴重な情報が盛りだくさん。

 まず、思いもかけない方から、この掲示板を見ているとのメッセージ。こんなことを書くと、また若い人の書き込みが減ってしまうかも知れませんが、たとえば、学界の重鎮のお一人である某大学の名誉教授の先生など・・・。恐縮の極みでした。

 次に、「なるほど、そう言えば」という情報。
 大の義経ファンの女性(ただし、前川さんではありません)からは、「今年は牛若丸生誕850年」。
 だとすると、「平治の乱勃発850年」の年ということでもあります。中世武士論の研究者にとって、平治の乱は重要なメルクマールであり、これは小規模でも何かイベントを企画しなければならないと思います。たとえば「信西顕彰の夕べ」とか。 

 一方、昨年「篤姫」ブームで湧いた鹿児島からは、「島津斉彬生誕200年」とのお知らせ。
 人気の「篤姫館」も3月まで開館延長とのことなので、「幕末の薩摩」ブームは暫く継続することでしょう。それにしても、昨年は鹿児島の博物館の学芸員の皆様は大変だったことと思います。お疲れ様でした。ちなみに、島津氏成立期の話は大河ドラマにはならないでしょうか。

 大河ドラマの呼び込みといえば、横須賀市の「三浦一族研究会」の活動を思い出します。その関係の方からの年賀状によると、来年、この会が十五周年を迎えるのを記念して、三浦義村に関するシンポジウムを企画する案が浮上している由。これは楽しみです。

 大学・大学院の後輩には博物館で活躍されている方たちが多いのですが、北陸にいる後輩からの年賀状には、ついに「館長」に就任された由。
 ゼミ旅行は、木曾義仲の戦跡を訪ねるという目的にして北陸にしましょうか?
 
 著名な同業の研究者からの年賀状で<厳しかった>のは、「この冬、野口さんの御論をいくつか拝読中です」というもの。
 結果が気になります・・・が、ありがとうございます。

 和歌文学の研究者の方からの年賀状には、藤原良経の和歌が記されていました。

    見ぬよまでおもひのこさぬながめより
         むかしにかすむ春のあけぼの

 夕刻、年賀状を出しにポスト(御蔵山中央のバス停前-岩田君だけが知っている)に行ったところ、比叡山の方に大きな虹が立っていました。「こいつぁ、陰陽師の出番だぜ!」と思ってしまうのは、『吾妻鏡』講読会(上級)のせいに違いありません。
 ちなみに、陰陽師と言えば、元日のテレビ大阪の特集番組に、山下克明先生が出ておられました。新年早々にお目にかかれて嬉しい限りでした。

 >山岡さん・尻池さん・満田さん 修論、もう一息がんばってください。

 >江波さん 大晦日からの御奉仕、お疲れ様でした。これから六波羅に戻られるなぞ、「厳島内侍」さながらの御活躍ですね。

「年賀状」放談二丁目

No.6509

 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

 お正月は初詣。そんなわけで今年も三が日は初詣客で賑わう八坂神社門前でバイトしておりました。今年は昨年と比べどことなくお客様の財布のヒモも固めのご様子でしたが、なによりもの大きな違いは、アジア(中国系)からの外国人旅行客の姿が激減したことでしょうか。昨年は、北京オリンピックを前にした空前の好景気に沸く(?)中国からの観光客の方々が京都土産のタンブラーを盛んに大人買いしていたのですが、今年はそんな方々の姿は気配すら漂いません。

 以上、頂戴した年賀状のお返事が遅れた言い訳でした。ただいま鋭意作成中につき、このあと野口先生と同じポスト(御蔵山中央のバス停前)まで投函しに行ってこようと思います。

「たらふくまんま」との再会

No.6505

 新年、明けましておめでとうございます。
 本年も、京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナールを宜しくお願い申しあげます。

 元木先生には、過分なお言葉と、年頭を飾るに相応しい素晴らしい御挨拶をいただき、恐縮いたしますとともに、たいへん有り難く存じました。
 御提言は、歴史学に携わる者、志す者すべてが肝に銘ずべきことだと思います。
 本年もまた、よろしく御教導の程、お願い申しあげる次第です。

 さて、私の近況ですが、久方ぶりに、少しばかり正月気分を味わっていたところ、どうやら過食と運動不足の相乗効果が現れてきたようで、今朝、鏡を見たところ、むかし、むかーし、どこかで出会ったことのあるような、太ったむさ苦しいオジサンの姿がそこにありました。
 記憶の糸をたぐると・・・
 私が小学生の頃、学校を通じて定期購読していた学研の雑誌に『○年の学習』というのがあり、それに馬場のぼる作の漫画が連載されていました。タイトルは「たらふくまんま」。主人公の名前です。「たらふくまんま」は、肥満で、髪の毛ぼうぼうの原始人。幼かった妹が大好きだったキャラクターでした。
 今朝、鏡に映った私の姿はまさに彼そのものだったのです。

 なつかしい人との再会といえば、小学校低学年の時に彼が転校して以来、会うことのなかった幼稚園時代のいちばんの友達から年賀状が届き、この三月頃再会が叶うことになりそうです。なんという偶然か、専攻こそ異なりますが、彼も現在、大学の教授をしています。
 人生というのは本当に不可思議なものであります。

ゼミ、この一年

No.6499

 大つごもり。帰省中の方々は、巫女さんをされていたり、お餅つきをされていたり、楽しく過ごされているようで、何よりだと思います。

 さて、なにごとも最後は必ずやってくる。今年最後の日にあたり、ゼミの活動を中心に、この一年を振り返ってみたいと思います(※は野口)。

【1月】
 科研報告書の作成(ゼミ関係者の援助)・『紫苑』第6号の編集作業(山岡編集長の活躍)
※ 27日、中世戦記研究会(都立九段中等教育学校)で『曽我物語』巻八の輪読担当(佐伯君・伊藤さん参加)
【2月】
 『紫苑』第6号入稿
※ 拙稿「執権体制下の三浦氏」収録の峰岸純夫編『三浦氏の研究』(名著出版)刊行
 ※ 17日、隼人文化研究会(鹿児島市黎明館)で報告(「地域史研究における京都認識-閑院内裏・宇治と南九州・奥羽-」)。
【3月】
   研究所『研究紀要』第21号刊行(野口実・佐伯智広・田中裕紀・大原瞳「摂関家の空間における政治と文化(中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅱ)」収録)。
1日 米谷豊之祐先生逝去(92歳)
3日・10日 ゼミ史料講読会
9日 神戸大学高橋昌明教授最終講義
13日 国際日本文化研究センター 千田稔教授・今谷明教授退任記念講演会
※ 14日 『台記』研究会(京都大学)で報告(「平家の坂東支配に関する新知見」)
23日 鈴木潤君・永富絵里子さん結婚式(同志社高校チャペル)
26日 ゼミ見学会(宇治市歴史資料館・浄瑠璃寺・般若寺など)
29日 上横手雅敬先生喜寿記念会(ウェスティン都ホテル)
ゼミ機関誌『紫苑』第6号刊行
 ※ 科学研究費成果報告書『閑院内裏の政治史的研究』刊行(資料は佐伯君・長村君・坂口君が分担、作成協力は山岡さん)  
【4月】
3日 ゼミ・ 9日 ゼミ(1回生5名参加)
11日 吉田泉殿跡現地説明会(京都大学構内)
12日 千葉乗隆先生逝去(86歳)
17日 新たに『小右記』と『吾妻鏡』(治承四年)の史料講読会を開始
19日 ゼミ史跡見学会(木幡~宇治)
24日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 26・29日(『吾妻鏡』)
【5月】
8・15・22・29日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』)
10・13・20・27日  ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
14日 角田文衞先生逝去(95歳)
18日 歴史学研究会大会(早稲田大学、岩田君・佐伯君・伊藤さん参加)
24日 日本研究会例会(機関紙会館)
 ※ 「書評と紹介 落合義明著『中世東国の「都市的な場」と武士』」掲載の『古文書研究』第65号刊行
【6月】
 ※ 2日 京都労働学校出講(テーマ「京都と鎌倉-王権の行方-」)
3・17・24日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
5・12・19日  ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 
13日 愛知より野口洋平君上洛
16日 東大史料編纂所高橋慎一朗先生とゼミの懇親会(市場小路寺町)
22日 中世戦記研究会(学習院大学、伊藤さん・長村君出席)
28日 研究所公開講座・懇談会・懇親会(里)
 ※ 「書評 村井章介著『中世の国家と在地社会』」掲載の『史学雑誌』第117編第6号刊行
【7月】
3・10・17日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 
8・15・22日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
17日 ゼミ例会報告(小野翠さん「鎌倉将軍家の女房について-源家将軍期を中心に-」)
24日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
 29日  ゼミ公開講座事後勉強会・ 史料講読会(『吾妻鏡』)
【8月】
2日 平安京八条三坊四・五町現地説明会
27・28日 古代史サマーセミナー(広島県宮島、28日 尻池さん報告、岩田君・江波さん参加)
【9月】
    関幸彦・野口実編『吾妻鏡必携』(吉川弘文館)刊行
   (野口担当部分は、岩田君・佐伯君・長村君・坂口君・山本君・山岡さん執筆、岩田君が統括)
4日 学習院大学兵藤ゼミを案内(法住寺殿跡・清閑寺など)    
6・7日 中世都市研究会(東大武田先端知ビル)
※19日 唐津東高校にて出張講義(テーマ「武士の都としての平安京・京都」)
22日 ゼミ(一回生)
※24日 京都SKY大学講演「平安京・京都の歴史」(京都新聞社文化ホール)
29日  ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
30日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
【10月】
2・9・16・30日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
4日 鈴木夫妻結婚祝賀会(ル・デッサン、幹事田中さん)
6・20・27日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
7・14・21・28日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
21日 ゼミ例会報告(岩田慎平君「泰時政権下の鎌倉幕府について」)
【11月】
4・11・18・25日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
10・17・24日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
13・20・27日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
 ※  26日 『台記』研究会(京大、元木研究室)で研究報告(テーマ「渡宋僧了行と渡元僧道源」
 ※ 「書評 牧野和夫著『延慶本『平家物語』の説話と学問』」掲載の『日本宗教文化史研究』第12巻第2号刊行
【12月】
1日 『紫苑』第7号原稿締切(新編集長は国文4回生の江波曜子さん)
1・8日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
2・9日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
4日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
14日 茨城大学シンポ「北関東の武士たち」(岩田君・長村君)
15日 筑波山南麓史跡見学(岩田君・長村君・伊藤さん)
※ 20日 鎌倉遺文研究会例会報告「東国出身僧の在京活動と渡宋・渡元」
22日 ゼミ(一回生 昼食会)
23日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)

 ☆ 高知大学の市村高男先生より、新刊の御高著『戦争の日本史10 東国の戦国合戦』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 戦国期の千葉氏や里見氏の動向が詳述されていて、千葉の中世史から歴史を志した私には、たまらない内容。少年時代のワクワクした気持ちが甦りそうです。
 四国にありながらも、郷里・東国の歴史を継続して研究されている市村先生に敬意を表したいと思います。
 これに励まされて、私も、来年から、中世前期の東国の歴史について、新たな角度から再チャレンジをはかりたいと考えています。
 市村先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 平泉町世界遺産推進室の千葉信胤先生より、御高論「菅江真澄と平泉」(『真澄学』第4号)を御恵送頂きました。
 千葉先生にあつく御礼を申し上げます。

ゆくゼミ、くるゼミ

No.6500

>野口先生
 この一年の詳細な振り返り、ありがとうございます。
 今年もゼミでの活動を通じて、実に多くの方々と出会う機会を得ることができました。もともと出不精の私にとってはそれは大変ありがたいことでありまして、今年も「あぁ、野口ゼミの…」とお声を掛けて下さいました皆様に深く御礼申し上げます。

 来年も、ゼミへの変わらぬご指導、ご支援をいただきますようお願い申し上げます。

お世話になりました、本年もよろしくお願いします

元木泰雄
No.6502

 野口先生、野口ゼミのみなさん、明けましておめでとうございます。
 昨年は本当にお世話になりました、厚く御礼申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 思えば去年は、研究室と自宅という二度の大移転を経験致しました。
 近衛寮への配流は半年に及び、赦免帰還は去年1月末。この間、研究室没官という非常事態に直面したのですが、野口先生には当方の研究会のために研究室をご提供くださり、危機を救ってくださいました。改めて御礼を申し上げます。
 また、6月の転居に際しましては、岩田君に大変お世話になりました。老母を連れた再度の下見、転居後の荷物整理など多大のご尽力には感謝の言葉もありません。本当に有難うございました。
 また野口先生には、上横手先生の喜寿記念会に際し、お心のこもったお祝辞を頂戴致しました。当方の『台記』研究会では二度もご報告を賜り、主席者を裨益してくださいました。本当に有難うございました。
 野口ゼミには当方の研究室メンバーも参加さえていただいております。正確にいえば、野口ゼミのメンバーが当方の研究室に属すようになったのですが。それはともかく、彼らをご指導くださったことに心より御礼を申し上げます。
 今年も、協力して若い諸君を叱咤、激励してゆきたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。
 
 歴史的な経済危機の中、人文科学は存続すら危ぶまれる事態に直面しております。しかし、経済面でも政治面でも根本的な価値観さえもが大きく動揺するときにこそ、歴史学が重要な意味をもつと存じます。
 過去の危機への対応の具体例を解明するのはもちろん、価値観の転換の中でも変わらない人間のあり方の本質を問い直せるのが、歴史学だからです。極端な言い方をすれば、歴史学をおろそかにし、政治的に歪曲する国は滅亡すると思います。
 こうした時代の中で、歴史学を守り、発展させるにはどうすべきか、学問を志す者は自身にできること、なすべきことを常に意識する必要があると存じます。
 歴史学を志すことの重要性と、意義を認識し、危機に立ち向かいたいと思います。
 何卒、今年もよろしくお願い申し上げます。
 

木曾義仲の父、帯刀先生義賢について

No.6497

 >>No.6477>>No.6493で『木曾義仲のすべて』を紹介させて頂きましたが、これに関連して、義仲の父義賢について書いた本はあるのかという御質問の声が届きました。

 拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』所収の「城外の乱逆」や『源氏と坂東武士』でも触れておりますが、いちばん読んで頂きたいのは、上横手雅敬先生の「院政期の源氏」(御家人制研究会編『御家人制の研究』吉川弘文館、1981)です。
 義賢が甥の義平に討たれた久寿2年(1155)の武蔵国大蔵合戦を保元の乱の前哨戦と捉え、また頼朝の挙兵の背後に後白河院の意志の存在したことを明確に指摘した点においても、僭越な申し様で恐縮ですが、もっと評価されるべき論文だと思います。

 ◇ 『古代文化』第60巻第3号が刊行されました。辻浩和君の「後白河と〈都市民〉」が掲載されています。
 史学・国文などのジャンルを問わず、平安末~鎌倉初期を研究対象としている方すべてに裨益多い論文です。

 ☆ 宮田敬三先生から、御高論「屋島・壇ノ浦合戦と源義経」(川合康編『平家物語を読む』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 宮田先生に、あつく御礼を申し上げます。  

広島大学大学院 2月の院試案内

No.6495

 当ゼミ出身(今もメンバー)の尻池さんが進学された広島大学大学院の下向井龍彦先生より、2月の院試案内の紹介についての御依頼を頂きましたので、以下に掲載いたします(下向井研究室の組織力・行動力の素晴らしさについては、今夏の「古代史サマーセミナー」で実証済みのことと思います)。
 なお、「尻池さん、がんばっています」とのメッセージも頂きました。嬉しい限りです。

           ☆    ☆    ☆    ☆    ☆
   広島大学大学院教育学研究科下向井研究室(SHIMOKEN塾)で平安時代史の研究しませんか

 大学院博士課程前期課程では第2次募集を行います。
 出願期間 2004年1月5日(月)~9日(金)
 受験日時 2004年2月12日(木)英語
             13日(金)午前:専門科目、              午後:口述試験
 [募集要項]には次のように書かれています。
 学校教育と生涯学習社会のつながり及び生涯発達を視野に収め,各発達段階における地理歴史・社会科学認識の形成過程と論理を,教育現場でのフィールド・リサーチを中心とした科学的手法を用いた研究によって解明し,これらの研究を踏まえて社会認識の教育的意義や教育方法,内容等に関する研究・教育を展開します。
 [募集要項]を読んだだけでは、とてもここで日本史の研究ができるとは思えませんが、「内容等に関する研究」のなかに、実は日本史の研究も含まれているのです。
私の研究室(SHIMOKEN塾)で仲間達と一緒に奈良平安時代史(王朝国家論)の研究をしてみようか、という人、是非、受験してみて下さい。現在、塾生は、教育学部・文学部の院生・学生など10数名。

 院生以上の塾生の研究テーマは、
 「平安時代対外関係史/平安時代国家財政論」(広島大学研究員)
 「平安時代の祭礼と武士」(文・D2)
 「平安時代の勝負儀礼と舞楽」(教・D1)
 「平安時代の受領統制」(教・M2)
 「摂関家と宇治」(教・M2)
 「平安時代の国衙と郡司」(教・M1)

 受験科目
 英語(全専攻共通)。25点に満たないと不合格。英和辞典持ち込み可。
 専門科目
 社会科教育学・日本史
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 下向井龍彦
 広島大学教育学部社会認識教育学講座
 〒739-8524 東広島市鏡山1-1-1
 Tel & Fax 0824-24-7065(直通)
 E-mail shimoken@hiroshima-u.ac.jp
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 ☆ 上記の御案内を頂いた下向井龍彦先生より、先生が研究代表者である科研研究成果報告書『律令国家・王朝国家の国家軍制に関する総括的研究』と御高論「明経生中原師重の明経得業生進学をめぐって-『小右記』長和三年十月~十二月条から-」(『日本歴史』727号)、御講演要旨「藤原純友の乱の実像」(『伊予史談』350号)を御恵送頂きました。
 下向井先生に、あつく御礼を申し上げます。  

『木曾義仲のすべて』の内容紹介

No.6493

 >山本さん  書き込みをありがとうございました。
         日本中世史に取り組むに素質十分。嬉しい限りです。
         年末年始の休暇の間に、たくさん本を読んでおいて下さい。


 ◎  >>No.6477で刊行をお知らせした『木曾義仲のすべて』の内容(各論テーマと執筆者)について、あらためて紹介させていただきます。

 「木曾義仲-物語と史実」・・・・ 樋口州男(専修大学非常勤講師)
 「木曾義仲の出自」・・・・・・・ 戸川 点(都立松原高校教諭)
 「木曾義仲と北陸合戦」・・・・・ 櫻井 彦(宮内庁書陵部主任研究官)
 「木曾義仲の武士団」・・・・・・ 松井吉昭(都立向丘高校教諭)
 「法住寺合戦」・・・・・・・・・ 長村祥知(日本学術振興会特別研究員・京大院DC)
 「木曾義仲の最期」・・・・・・・ 錦 昭江(鎌倉女学院中・高校教頭)
 「義仲にまつわる女性-史実と物語のあわい」・・・・・源健一郎(四天王寺大学准教授)
 「近世・近代の木曾義仲-『義仲勲功図会』から『木曾義仲勲功記』へ」・・・鈴木彰(明治大学准教授)
 「英雄論のなかの木曾義仲」・・・ 久保 勇(千葉大学助教)
 「木曾義仲関係史蹟を歩く」・・・ 川鶴進一(早大本庄高等学院教諭)・樋口州男・島崎直人(平塚市
                  立旭小学校教諭)・松井吉昭・野口孝子(同志社女子大学嘱託講師)
 「木曾義仲関係人物事典」 ・・・ 石附敏幸(開成高校教諭)・川鶴進一・堀内寛康(都立高校嘱託)
 「木曾義仲関係年譜」・・・・・・ 根本隆一(駒沢学園女子高非常勤講師)
 「木曾義仲文献目録」・・・・・・ 今西康二(愛知県立尾西高校教諭)・羽原 彩(博士〔文学〕)

 ☆ 長野工業高専の中澤克昭先生より、新刊の御編著『歴史のなかの動物たち2 人と動物の日本史』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 収録論文のうち、中澤先生の「狩る王の系譜」ならびに中込律子氏の「王朝の馬」は中世前期武士論研究にとっても貴重な研究成果だと思います。
  中澤先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 秋田大学の志立正知先生より、新刊の御高著『〈歴史〉を創った秋田藩 モノガタリが生まれるメカニズム』(笠間書院)を御恵送頂きました。
 秋田藩主佐竹氏が自らを源義家の後裔とするという虚構をつくりだした背景について、歴史学・国文学の枠組みを超えて追究した労作で、これまた武士論研究にとって裨益の大きな労作です。
 志立先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 駒場東邦中・高校の田中大喜先生より、御高論「平家一門の実像と虚像」(川合康編『平家物語を読む』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 田中先生に、あつく御礼を申し上げます。

京都は初雪。附、御寛恕のお願い二件

No.6486

 今朝の京都は周囲の山に冠雪が見られてなかなかの風情。しかれども、寒いこと尋常ではありません。そろそろ床屋さんに行かなければならないのですが、ここで髪を切ったら風邪を引くこと必定。むさ苦しい姿のままで、年を越すことになりそうです。周囲のみなさまの御寛恕を請う次第です。

 昨夜は四条で、上洛中の近藤好和先生を囲んでの大宴会。上横手先生・元木先生御師弟の間に席をえて、充実の時を過ごすことが出来ました。ついで、長村君と酔い覚ましに祇園に繰り込み、というのは虚言で(長村君はウーロン茶オンリーでした)、ただコーヒーを飲みに岩田君ゆかりのお店に行って歓談。店を出た時間のタイミングが良かったようで、京阪電車の特急、宇治線、京阪宇治バスの最終便と乗り継ぎ順調で、45分ほどで自宅に帰着することができました。
 なお、元木先生・近藤先生ご一行が二次会・→・→・・・へ行かれたことは言うまでもありません。

 寮生の皆さんは既に帰省の途につかれたことと思います。御家族と楽しいお正月をお迎え下さい。

 当方は、昨日、本当は10日締め切りの季刊誌の原稿を、ようやく添付ファイルで送信したという体たらく。これから、本年中に済ませなければならない最低限の「残務処理」にとりかかり、お正月には何とか中断中の原稿に手をつけたいと考えているところです。 そのような次第で、年賀状は三賀日は無理でも、松ノ内にはお届けできるように努力したいと存じますので、これまた御寛恕のほどお願い申し上げます。