「帰洛な稼業」は「気楽」とは言えない話
No.6480
先ほど京都に帰って参りました。毎週、離洛しては帰洛する。「帰洛な稼業」とは、こういうことを言うのだと思います。
さて、昨日は早稲田大学で開かれた鎌倉遺文研究会第147回例会において、「東国出身僧の在京活動と渡宋・渡元」と言うテーマの報告をさせて頂いて参りました。
会の予告に掲載して頂いた「報告者の一言」は、以下の如しです。
「鎌倉時代、千葉氏一族の出身で京都権門をパトロンとして宋や元に渡り、経典を日本に将来した了行・道源という二人の僧の存在を紹介する。了行については渡宋を裏付ける新出の史料について検討すると共に、九条家と密着した彼の行動と宝治合戦前後の千葉氏一族の去就を関連づけて考察する。道源については、その出身と周辺の文化環境について明らかにする。これらを踏まえて東国武士の在京活動について再評価してみたい。」
要するに東国武士の在京活動について考えるための材料を、東国出身の渡宋・渡元僧の活動に探っただけのものなので、タイトルには「東国武士研究の視点から」というような副題をつけておくべきだったと反省しています。
ほかに多くの日本中世史関連の研究会が開催されていた中、わざわざ御出席下さいました皆様方にあつく御礼申しあげます。拙い話であったにも拘わらず、樋口州男先生に、「来た甲斐があった」と言って頂けたのが救いでした。久保田和彦先生に久しぶりにお目に掛かれ、また、錦昭江先生と鎌倉と京都の女子中・高・大の連携歴史教育についての構想を語る機会を得ることが出来たのは幸いでした。
いずれにしましても、このような貴重な機会を与えて下さった海老澤衷先生と、いろいろとお世話になった海老澤研究室の院生の皆様に重ねて御礼を申し上げる次第です。
なお、報告内容は論文化して『鎌倉遺文研究』に投稿させて頂く予定です。
さて、当ゼミ関係者の次の東国出陣は、岩田慎平君。来年2月、歴史学研究会の部会報告です。ちょうど懇親会の後、早稲田駅に向かう途中でお目に掛かることのできた(しばしば、当家の一族と誤解されて御迷惑をお掛けしている)野口華世さんにも、ぜひ御出席下さるようにお願いしたのですが、中世前期を専攻されている関東の若手研究者の皆様には、挙って御参集下さいますように、お願い申しあげておきたいと思います。
このところ、中世前期の武士が列島をまたにかけて移動することにより、大きなネットワークを形作っていたのに比べて、それを研究対象にしている我々の方が余程地域的に固まりすぎていることを実感させられることが多く、ぜひ若い方々には交流の機会を増やして頂きたいと考える次第です。
ところで、20日は大学で卒論提出日の喧噪を「観戦」し(時に、血相を変えて糊とかハサミとかを「貸して下さ~い」と、研究室に飛び込んでくる方がおられますので)、また提出直後の簡単な慰労会を開催したいとも思っていたのですが、不在にてたいへん失礼いたしました。
江波さんも、ゆっくり休んでひと区切りがついた事と思います。そこで、すぐにこういうことを言うのは酷かとも思いますが、・・・『紫苑』をよろしく!
なお、一回生のゼミメンバーの皆さん、明日の『吾妻鏡』講読会は、今年の打ち上げ(昼食会を含む)ですので、そのおつもりで。
☆ 茨城県立歴史館の宮内教男先生より、当方の共同研究に関わる貴重な情報の御教示を頂くと共に御高論「「開基帳」にみる中世常陸北部の真言宗」(『茨城県立歴史館報』34)および先生御担当の『茨城県立歴史館史料叢書 鹿島神宮文書Ⅰ』を御恵送頂きました。
御教示頂いた史跡は、ぜひ機会をみて見学にうかがいたいと存じております。
宮内先生に、あつく御礼を申し上げます。なお、今後とも何卒宜しくお願い申しあげる次第です。
さて、昨日は早稲田大学で開かれた鎌倉遺文研究会第147回例会において、「東国出身僧の在京活動と渡宋・渡元」と言うテーマの報告をさせて頂いて参りました。
会の予告に掲載して頂いた「報告者の一言」は、以下の如しです。
「鎌倉時代、千葉氏一族の出身で京都権門をパトロンとして宋や元に渡り、経典を日本に将来した了行・道源という二人の僧の存在を紹介する。了行については渡宋を裏付ける新出の史料について検討すると共に、九条家と密着した彼の行動と宝治合戦前後の千葉氏一族の去就を関連づけて考察する。道源については、その出身と周辺の文化環境について明らかにする。これらを踏まえて東国武士の在京活動について再評価してみたい。」
要するに東国武士の在京活動について考えるための材料を、東国出身の渡宋・渡元僧の活動に探っただけのものなので、タイトルには「東国武士研究の視点から」というような副題をつけておくべきだったと反省しています。
ほかに多くの日本中世史関連の研究会が開催されていた中、わざわざ御出席下さいました皆様方にあつく御礼申しあげます。拙い話であったにも拘わらず、樋口州男先生に、「来た甲斐があった」と言って頂けたのが救いでした。久保田和彦先生に久しぶりにお目に掛かれ、また、錦昭江先生と鎌倉と京都の女子中・高・大の連携歴史教育についての構想を語る機会を得ることが出来たのは幸いでした。
いずれにしましても、このような貴重な機会を与えて下さった海老澤衷先生と、いろいろとお世話になった海老澤研究室の院生の皆様に重ねて御礼を申し上げる次第です。
なお、報告内容は論文化して『鎌倉遺文研究』に投稿させて頂く予定です。
さて、当ゼミ関係者の次の東国出陣は、岩田慎平君。来年2月、歴史学研究会の部会報告です。ちょうど懇親会の後、早稲田駅に向かう途中でお目に掛かることのできた(しばしば、当家の一族と誤解されて御迷惑をお掛けしている)野口華世さんにも、ぜひ御出席下さるようにお願いしたのですが、中世前期を専攻されている関東の若手研究者の皆様には、挙って御参集下さいますように、お願い申しあげておきたいと思います。
このところ、中世前期の武士が列島をまたにかけて移動することにより、大きなネットワークを形作っていたのに比べて、それを研究対象にしている我々の方が余程地域的に固まりすぎていることを実感させられることが多く、ぜひ若い方々には交流の機会を増やして頂きたいと考える次第です。
ところで、20日は大学で卒論提出日の喧噪を「観戦」し(時に、血相を変えて糊とかハサミとかを「貸して下さ~い」と、研究室に飛び込んでくる方がおられますので)、また提出直後の簡単な慰労会を開催したいとも思っていたのですが、不在にてたいへん失礼いたしました。
江波さんも、ゆっくり休んでひと区切りがついた事と思います。そこで、すぐにこういうことを言うのは酷かとも思いますが、・・・『紫苑』をよろしく!
なお、一回生のゼミメンバーの皆さん、明日の『吾妻鏡』講読会は、今年の打ち上げ(昼食会を含む)ですので、そのおつもりで。
☆ 茨城県立歴史館の宮内教男先生より、当方の共同研究に関わる貴重な情報の御教示を頂くと共に御高論「「開基帳」にみる中世常陸北部の真言宗」(『茨城県立歴史館報』34)および先生御担当の『茨城県立歴史館史料叢書 鹿島神宮文書Ⅰ』を御恵送頂きました。
御教示頂いた史跡は、ぜひ機会をみて見学にうかがいたいと存じております。
宮内先生に、あつく御礼を申し上げます。なお、今後とも何卒宜しくお願い申しあげる次第です。