「帰洛な稼業」は「気楽」とは言えない話

No.6480

 先ほど京都に帰って参りました。毎週、離洛しては帰洛する。「帰洛な稼業」とは、こういうことを言うのだと思います。

 さて、昨日は早稲田大学で開かれた鎌倉遺文研究会第147回例会において、「東国出身僧の在京活動と渡宋・渡元」と言うテーマの報告をさせて頂いて参りました。
 会の予告に掲載して頂いた「報告者の一言」は、以下の如しです。

 「鎌倉時代、千葉氏一族の出身で京都権門をパトロンとして宋や元に渡り、経典を日本に将来した了行・道源という二人の僧の存在を紹介する。了行については渡宋を裏付ける新出の史料について検討すると共に、九条家と密着した彼の行動と宝治合戦前後の千葉氏一族の去就を関連づけて考察する。道源については、その出身と周辺の文化環境について明らかにする。これらを踏まえて東国武士の在京活動について再評価してみたい。」

 要するに東国武士の在京活動について考えるための材料を、東国出身の渡宋・渡元僧の活動に探っただけのものなので、タイトルには「東国武士研究の視点から」というような副題をつけておくべきだったと反省しています。

 ほかに多くの日本中世史関連の研究会が開催されていた中、わざわざ御出席下さいました皆様方にあつく御礼申しあげます。拙い話であったにも拘わらず、樋口州男先生に、「来た甲斐があった」と言って頂けたのが救いでした。久保田和彦先生に久しぶりにお目に掛かれ、また、錦昭江先生と鎌倉と京都の女子中・高・大の連携歴史教育についての構想を語る機会を得ることが出来たのは幸いでした。

 いずれにしましても、このような貴重な機会を与えて下さった海老澤衷先生と、いろいろとお世話になった海老澤研究室の院生の皆様に重ねて御礼を申し上げる次第です。

 なお、報告内容は論文化して『鎌倉遺文研究』に投稿させて頂く予定です。

 さて、当ゼミ関係者の次の東国出陣は、岩田慎平君。来年2月、歴史学研究会の部会報告です。ちょうど懇親会の後、早稲田駅に向かう途中でお目に掛かることのできた(しばしば、当家の一族と誤解されて御迷惑をお掛けしている)野口華世さんにも、ぜひ御出席下さるようにお願いしたのですが、中世前期を専攻されている関東の若手研究者の皆様には、挙って御参集下さいますように、お願い申しあげておきたいと思います。
 このところ、中世前期の武士が列島をまたにかけて移動することにより、大きなネットワークを形作っていたのに比べて、それを研究対象にしている我々の方が余程地域的に固まりすぎていることを実感させられることが多く、ぜひ若い方々には交流の機会を増やして頂きたいと考える次第です。

 ところで、20日は大学で卒論提出日の喧噪を「観戦」し(時に、血相を変えて糊とかハサミとかを「貸して下さ~い」と、研究室に飛び込んでくる方がおられますので)、また提出直後の簡単な慰労会を開催したいとも思っていたのですが、不在にてたいへん失礼いたしました。
 江波さんも、ゆっくり休んでひと区切りがついた事と思います。そこで、すぐにこういうことを言うのは酷かとも思いますが、・・・『紫苑』をよろしく!
 
 なお、一回生のゼミメンバーの皆さん、明日の『吾妻鏡』講読会は、今年の打ち上げ(昼食会を含む)ですので、そのおつもりで。

☆ 茨城県立歴史館の宮内教男先生より、当方の共同研究に関わる貴重な情報の御教示を頂くと共に御高論「「開基帳」にみる中世常陸北部の真言宗」(『茨城県立歴史館報』34)および先生御担当の『茨城県立歴史館史料叢書 鹿島神宮文書Ⅰ』を御恵送頂きました。
 御教示頂いた史跡は、ぜひ機会をみて見学にうかがいたいと存じております。
 宮内先生に、あつく御礼を申し上げます。なお、今後とも何卒宜しくお願い申しあげる次第です。

『木曾義仲のすべて』刊行

No.6477

 関西でも風邪が流行しつつあるようで、担当者が罹患したために休講となる授業もあるようです。補講が大変だと思います。
 京都女子大学文学部の卒論提出は明日。今の段階に至って大車輪の方も多いことと思いますが、くれぐれも健康管理に気をつけてほしいところです。江波さんは、もう余裕のことと思いますが。
 かく言う私も喉を痛めてしまい、明日の早稲田大学における研究報告が、弁士なしの「無声映画」のようになってしまわないかと心配しております。もとより、準備不足ゆえ、内容には自信がありませんが。

 ところで、楽しみにしていた、鈴木彰・樋口州男・松井吉昭編『木曾義仲のすべて』(新人物往来社,240ページ,税込2940円)が遂に刊行されました。源平内乱期に活躍した人物の中で、本格的な研究対象になっていないのは、この義仲くらいではないでしょうか。自治体史は除くとして、関連する近年の研究書としては、浅香年木『治承・寿永の内乱論序説』(法政大学出版局、1981)をあげるにとどまるでしょう。
 この度の『木曾義仲のすべて』は、一般向けとはいえ、日本史・国文学のジャンルで活躍されている第一線の研究者が、それぞれ担当のテーマを最新の研究に基づいて執筆されており、じつに新鮮です。
 とりわけ、当ゼミの立場から紹介させて頂きたいのが、長村祥知君執筆の「法住寺合戦」。学術的評価の高い論文「法住寺合戦について-『平家物語』と同時代史料の間-」(『紫苑』第2号掲載→http://donkun.ath.cx/~sion/organ/)を踏まえ、短編ながら、当時の政治状況や木曾方・院方武士の存在基盤にも論及した、この事件に関する決定版というべき内容をもつものです。
 多くの方々にお読み頂きたいと存じます。

 ちなみに、この本の編集者の方から、割引購入についてお知らせを頂いておりますので、ゼミ関係者で購入を希望される方は、年内に当方までお知らせ下さい。

 ☆ 上記『木曾義仲のすべて』の編者のお一人でもある明治大学の鈴木彰先生より、先生の御高論「合戦空間の創出」の収録された、新刊の川合康編『平家物語を読む』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 これまた、刊行を楽しみにしていた本でした。
 鈴木先生にあつく御礼を申し上げます。 

走る師

No.6479

 「師走」も押し迫ってまいりました。100年前の京都には、実際に、元気に市中を駆け回る「走り坊さん」がいたそうですが、ここ数日は私の周囲でも体調を崩して走り回れなさそうな方が増えているようです。みなさまどうぞお大事に。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008121800092&genre=J1&area=K00

 本日が京都女子大学文学部の卒論提出締め切り日だったようです。私が所属する関西学院大学文学部も本日が締切でした。本日は各地の大学で卒論提出にまつわるいろいろなドラマが展開されたでしょうか?
 しかし近頃は、締め切り日「まで」に提出してしまい、締め切り日当日は悠々と仲間同士で寛ぐ、といったような方もおられるようです。私には到底、到底真似のできないことだと思います。
 そういうわけですので、大好きな映画『影武者』も観れません…。

>野口先生 
 本日の早稲田大学における研究報告はいかがでしたでしょうか。また次回の『吾妻鏡』の時間にでも詳細を伺えればと思います。

「常陸」を再認識した三日間

No.6474

 13日は茨城県立歴史館の見学、14日は茨城大学人文学部・地域史シンポジウム「北関東の武士(もののふ)たちⅡ」に出席、また昨日は岩田君・長村君、それに東京から駆けつけてくれた伊藤さんと共に筑波山南麓に展開する中世史跡の見学、と充実した3日間を過ごし、昨夜遅くに帰洛いたしました。

 総じて、常陸地域の奥羽と関東、さらに京都・畿内との結節点・中継点としての機能の大きさを実感し、そこに独自のかなり高度な文化圏が形成されていたということを認識することができました。
 志太義広の信太庄への留住、親鸞の稲田定住、北畠親房の小田城入りなど、一連の事実の背景を理解できたように思いました。日向廃寺は常陸平氏が平泉藤原氏による無量光院のごとき宗教施設を本拠の地に設けていたことを物語り、常陸平氏本宗からこのエリアを継承した八田(小田)氏は、三村山に新たな宗教空間を構築したのでしょう。宇都宮歌壇の中心人物として知られる笠間時朝による様々な文化活動も、この地域の特性と連動するものがあったはずです。
 あれこれ、考えさせられることが多く、それは今後の自らの東国武士研究に反映させていきたいと考えております。

 2年にわたってシンポジウムを企画・実現された高橋修先生・酒井紀美先生をはじめとする茨城大学の方々、また報告を担当された先生方や会場で御研究の成果を頂いたり、さまざまな御教示にあずかった方々にあつく御礼を申し上げます。
 また、史跡見学にあたって御案内のみならず、資料の用意から車の運転までして下さった茨城大学大学院の額賀大輔さん、小田城跡・三村山・日向廃寺跡・小泉館跡などを懇切に御案内下さったつくば市教育委員会の広瀬季一郎先生に深甚なる感謝の意を表したいと思います。

 旅程中、例によって失敗も多く、14日、水戸から土浦に移動する際に、珍しくも奮発して特急を利用することを決断。手に鞄、背にリュックを負いながら老骨にむち打ってホームを走ってなんとか乗り込み、発車後しばらくして漸く空席を見つけて「やれやれ」と座ったとたん、上野までノンストップとの表示にガックリするなどのことがございました。
 かくして、上野から満員の快速電車で逆行(藤代まで立ち通し)。
 『男はつらいよ 真実一路』に、寅さんが米倉斉加年演ずる鹿児島出身の猛烈サラリーマンと一緒に常磐線の通勤電車に揺られていたシーンがあったことなどを思い出しながら、時間と運賃と体力の散財を嘆いたりしておりました。
 今週土曜も江戸上府ですが、また何が待ち受けているやら、といった塩梅でございます。
 そういえば、報告の資料が未完成でした。
 「話になりません」ね。

みえてきた中世武士団の実像

No.6475

 昨年は夜行バスを使った強行日程に懲りたので、今年は京都から新幹線→水戸市内に前泊というゆとりある行程で、「北関東の武士(もののふ)たちⅡ―みえてきた中世武士団の実像―」(12/14(日)、茨城大学水戸キャンパス)にお邪魔して参りました。
 主催されました茨城大学人文学部のみなさん、コーディネーターをおつとめいただきました茨城大学の酒井紀美先生、高橋修先生、講師の諸先生方、当日の運営に奔走して頂きました茨城大学の院生のみなさん、学生のみなさん、OB・OGのみなさんに、改めまして御礼申し上げます。

 昨年度に続き、北関東という私にとっては土地勘のない地域の様々な武士団に関する最新の研究成果に接することができ、大変勉強になりました。
 近年の武士論研究は、様々な事例を蓄積し、武士団個々の国家的役割、国衙や諸権門との関係、武士団相互の競合関係や協調関係、武士団内部における分業活動や一族間抗争の様相、などの政治的諸関係を整序することで、その一般的な特性(「武士とはなんだろうか」という大きな問い掛けに対する回答)や個々の特色(地域的特色や政治的地位など)がずいぶん明らかになってきたと思いますが、そのような観点からも、昨年度と今年度のシンポジウムは誠に時宜に適った催しであったのではないかと拝察する次第です。その場に参加する機会を得られましたことは、私にとっても大変貴重な経験となりました。
 シンポジウムに関わられたみなさんに御礼申し上げます。

 また翌日(12/15(月))は、茨城大学人文科学研究科の額賀大輔さんとつくば市教育委員会の広瀬季一郎先生のご案内で、小田城跡、三村山、平沢官衙跡(を横目に見ながら通過)、日向廃寺跡、多気義幹墓、小泉館跡などを見学させていただきました。
 小田城は中世を通じ一貫してこの地域の中心地であったようですが、野口先生も上↑で指摘しておられるように、新たな宗教空間を三村山に構築したことを思わせるのに充分な好適地にも遭遇できましたね。日向廃寺跡の規模も想像した以上のもので、この地域の中世における文化環境の豊かさ(それは多分に自然環境の豊かさにも支えられたはず)を充分に実感することができました。京都と共通するものを導入しながら、京都にはない価値を発信しうる文化を生み出していたのかもしれませんね。
 筑波鉄道の廃線を利用した自転車道路はとても趣があり(春には桜が美しいのでしょうか)、快晴の空の下で眺めた筑波山の秀麗な姿は忘れがたい思い出となりました。
 額賀さんと広瀬先生には一つ一つの史跡をとてもご丁寧にご案内していただき、おかげさまで大変充実した一日となりました。

 ところで、のんきに茨城の旅を楽しんでいられるような身分ではないのですが、来週火曜日はまた『吾妻鏡』も読みたいと思いますので、そのご案内です。
 日時:2008年12月23日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:今までに読んだ記事の振り返り(史料は別途用意します)

 仁治年間は注目すべき記事が多いので、じっくり読んでいきたいと思いますが、次回も今までに読んだ気になる記事をダイジェストで読んでみたいと思います。次回は遅刻しないよう充分に余裕をみて家を出ようと思います。
 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。クリスマスイブの前日というなんとも中途半端な日ですが、どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

第7回「中世戦記研究会」の開催について

No.6472

 第7回「中世戦記研究会」が下記のように開催される旨、会員宛に御連絡をいただきました。

 日時:2009年1月10日(土)13:30~18:00
 場所:学習院大学 北2号館10階大会議室
 研究発表:清水眞澄氏「簒奪と落魄の間―醍醐寺をめぐる義経像の再検討から―」
       樋口州男氏「中世江戸の将門伝説再考」
    概説:志立正知氏「『承久記』研究の現状と課題」

 ゼミメンバーないし関係の方で出席を希望される方は、当方までお知らせ下さい。事務局に連絡させて頂きます(自由参加ではありません)。

 ☆ 千葉県立浦安南高校の外山信司先生より、御高論「上杉謙信の臼井城攻めについて」(『千葉城郭研究』第9号)を御恵送頂きました。
 臼井城は私が少年のころ、とくに関心をもっていた城跡の一つで、大学一年生の時、人物往来社発行の『歴史研究』103(昭和44年7月号)に、「臼井城合戦」と題する小文を掲載してもらったことがありました。そのころは未だ全体の輪郭のつかめていなかった臼井城跡(千葉県佐倉市)を、地図を片手に(一人さみしく)歩き回ったことが懐かしく思い出されます。
 外山先生にあつく御礼を申し上げます。

年末のゼミの日程について

No.6470

 DJ大学のYK教授から御紹介頂きました「KJ大学のNM教授」です(笑)。
 何を言っているか理解不能の方は、こちらを御覧下さい。
 ⇒http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2008/12/post-aaf4.html

 昨日の『吾妻鏡』講読会は、後期講読部分から重要な記事を摘出して再検討を行いましたが、岩田君の用意してくれた資料にも助けられて、それはそれは面白く、午前中具合の悪かった体調まで良くなったような気が致しました(岩田君のいれてくれたコーヒーと、山岡さんの送ってくれた伊予柑のおかげかも知れません)。
 とくに将軍頼経の上洛途上および在京中の出来事については、多分に再考の要あり、と思った次第です。

 >江波さん 『吾妻鏡』暦仁元年正月二十七・二十八日の記事は、卒論のテーマに即して検討の要があるものと思います。

 嘉禎元~二年の南都強訴に関する部分が残りましたので、それは23日に行うことになりました(12月23日は祝日ですが、京都女子大学は補講期間内で、図書館も開かれています)。
 ゼミ講読会の日程については、研究所ゼミのトップページに掲出してありますから、必ず確認しておいて下さい。
 ちなみに、一回生の『吾妻鏡』の次回は22日(15日は出張のため休会です)。『小右記』の方は今年はもう終わりで、来年は正月15・22日、2月5・12日に実施予定です。

『吾妻鏡』を囲む雑談

No.6471

 昨日は、日頃『吾妻鏡』を読みながら考えていることなどを(はた迷惑を顧みず)しゃべり倒しましたので、おかげさまでずいぶんすっきりしました。ありがとうございました。次回のご案内です。

 日時:2008年12月23日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:今までに読んだ記事の振り返り(史料は別途用意します)

 仁治年間は注目すべき記事が多いので、じっくり読んでいきたいと思いますが、次回も今までに読んだ気になる記事をダイジェストで読んでみたいと思います。次回は遅刻しないよう充分に余裕をみて家を出ようと思います。

 いちおう今後読む予定の箇所も挙げておきたいと思います。
 『吾妻鏡』延応二年(仁治元年、1240年)十一月二十一日・二十三日・二十八日・二十九日・三十日、十二月十二日・十五日・十六日・二十一日
     仁治二年(1241年)正月二日・十四日・十七日・十九日・二十三日・二十四日、二月七日・二十二日・二十三日・二十五日・二十六日、三月十六日・十七日・二十日・二十五日・二十七日、四月二日・三日・五日・十六日・二十五日・二十九日、五月六日・十日・十四日・二十日・二十九日、六月八日・十一日・十六日・十七日・十八日・二十八日、七月八日・二十六日、八月十一日・十五日・二十五日・二十八日、九月三日・七日・十日・十一日・十三日・十四日・二十二日、十月十三日・二十二日、十一月三日・四日・十七日・二十一日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、十二月一日・五日・八日・十三日・二十一日・二十四日・二十七日・二十八日・二十九日・三十日、の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

大学生活の集大成は卒論にあり!!

No.6469

 「キャンパスプラザ京都」で、来年度の後期に開講予定の特別講座科目のテーマですが、「『平家物語』と中世前期の京都」と致しました。本日、ようやくその書類を教学課に提出。詳細はいずれ、お知らせする機会もあろうかと思いますが、各大学で当該テーマに関心のある方々の積極的な受講を期待しています。

 本日は、校正2件を提出ないし郵送。急がなければならない原稿1件はいっこうに進捗せず。したがって、研究発表の準備も停滞中です。(この掲示板は言い訳のために存在するの観あり)。

 一方、『紫苑』の編集作業は、原稿の集まりが、やや遅れつつも、着々と進行しつつある由。
 ゼミ生の「大」先輩である田中さんの論文も入稿。田中さんには、御多忙の所、本当にありがとうこざいました。執筆中の苦闘の御様子は、例の媒体から、察するところ余りあるものがございました。なお、ときにお暇な折には後輩の御指導にお出座くだされば幸いとするところです。
 ちなみに、余談ながら、本日の一回生の『吾妻鏡』講読会で読んだところには、「豊島右馬允朝経」の名が出て参りました(この話の脈絡は・・・知る人ぞ知る?)。

 さて、その『紫苑』ですが、昨年度までの編集長の山岡さんに負けず劣らず、新編集長の江波さんは、卒論との二刀流で頑張っておられます。本日も研究室に二度も御足労をおかけ致しました。何にしても、今年度限りなのが、とても残念です(進学先の先生が羨ましい)。しかし、卒論を拝読するのが楽しみになって参りました。

 ☆ 今年度の歴史学研究会大会で中世史の部会報告を担当された明治大学の鎌倉佐保先生より、御報告の内容をまとめられた御高論 「荘園制の成立と武門支配の統合」(『歴史学研究』846号)を御恵送頂きました。
 鎌倉先生にあつく御礼を申し上げます。

レイキシュウとライシュウ

No.6467

 このところ、本当に一日の過ぎるのが速い。
 たいした量ではないのに、予定した仕事が捗らないのです。まさしく「日暮れて道遠し」の有様。また老化を実感しております。

 ワープロの変換機能に苛立つこと、しばしばですが、本日は自らの脳みその変換機能の覚束なさを自覚させられることがありました。
 「レイキシュウ」、なんのことやら?、「ライシュウ」は「来週」でしょう?と、変換出来ず。レイキシュウは例規集。ライシュウは来襲でした。
 事務の方や江波さんには御迷惑をお掛けいたしました。

 一日の速さに驚いていたら、もう今年が終わりに近づいてしまいました。

 昭和41年の今日、高校生だった私は、千葉市院内町の郷土史家、和田茂右衛門さんのお宅を訪問させていただきました。初対面なのに図々しくも半日ほど滞在して、千葉氏居館に関する推論やら、楽しいお話しをうかがいました。
 あれから、もう42年が過ぎたかと思うと、感慨深いものがあります。

 原稿・書類・校正が波状攻撃のように押し寄せてくる中で、漫然と感慨にふけっている場合ではないのですが・・・。 

 ☆ 早稲田大学の海老澤衷先生より、海老澤衷先生の還暦を祝う会編『懸樋抄 海老澤衷先生還暦記念論文集』を御恵送頂きました。海老澤先生の御高論「山田ノ畔、重々ニ高シテ-水田農耕社会から見た楠木正成-」をはじめ、守田逸人氏の「治承・寿永内乱期の伊賀国をめぐって」、下村周太郎氏の「治承・寿永の戦争と「源平合戦」-実態と心性-」など、当ゼミメンバーの関心を惹きそうな論文が収載されています。
 海老澤先生に、あつく御礼を申し上げます。
 それにしても、私には若手研究者のイメージの海老澤先生が還暦とは・・。また感慨にふけりたくなってしまいます。

 ☆ 東京都足立区教育委員会の加増啓二先生より、御高論「聖教をめぐる伝説-武蔵国秩父郡般若村と大般若経-」掲載の『寺院史研究』第12号を御恵送頂きました。
 加増先生の大般若経に関する一連の研究からは、いつも多くのことを学ばせて頂いております。
 加増先生に、あつく御礼を申し上げます。

高橋昌明先生講演のお知らせ(文化史学会)

山田邦和(同志社女子大学)
No.6464

みなさま。
同志社大学文学部文化史学科が母体となっている学会「文化史学会」の公開講演が下記の通りおこなわれますので、ご案内申し上げます。

日時/2008年12月6日(土)16時00分~17時30分
講演者/高橋昌明先生(神戸大学名誉教授)
演題/平家都落ちをめぐる諸相
場所/同志社大学今出川キャンパス 明徳館1番教室(今出川キャンパスの中央南側の建物。地下鉄烏丸線今出川駅下車、徒歩3分。地図はhttp://www.doshisha.ac.jp/access/campus/imade/image/map_i.gif
事前申し込み不要、一般公開ですので、こぞってのご参加をどうぞ。

都を落ちて、また上る。

No.6465

 山田先生、お知らせ下さり、ありがとうございます。
 10日締切の例の原稿に目途がつけば、ぜひ拝聴にうかがいたいものと思っております。これは、『平家物語』をテーマにされている国文の方もぜひ、聴きに行かれるとよいと思います。
 ちなみに、詳細はまた書き込みたいと思いますが、「中世戦記研究会」では『曽我物語』の次の輪読対象を『承久記』に決められたとのことです。これは、楽しみ。
 史学専攻関西勢の大挙参加を期待したいところです。
 なお、20日の鎌倉遺文研究会における報告の準備ですが、レジュメ作成中に面白い事実を見つけて、そちらの方に関心が向いてしまって、本旨停滞という有様です。

 ☆ 中世戦記研究会でお世話になっている藤本正行先生より、新刊の御高著『桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった』(洋泉社)を御恵送頂きました。
 藤本先生に、あつく御礼申しあげます。

そのまた先の『吾妻鏡』

No.6466

 のんきに『吾妻鏡』を読んでいられるような身分ではないのですが、ひとまず次回のご案内です。

 日時:2008年12月9日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:今までに読んだ記事の振り返り(史料は別途用意します)

 仁治年間は注目すべき記事が多いので、じっくり読んでいきたいと思いますが、来週は今までに読んだ気になる記事をダイジェストで読んでみたいと思います。振り返りが大事です。

 いちおう今後読む予定の箇所も挙げておきたいと思います。
 『吾妻鏡』延応二年(仁治元年、1240年)十一月二十一日・二十三日・二十八日・二十九日・三十日、十二月十二日・十五日・十六日・二十一日
     仁治二年(1241年)正月二日・十四日・十七日・十九日・二十三日・二十四日、二月七日・二十二日・二十三日・二十五日・二十六日、三月十六日・十七日・二十日・二十五日・二十七日、四月二日・三日・五日・十六日・二十五日・二十九日、五月六日・十日・十四日・二十日・二十九日、六月八日・十一日・十六日・十七日・十八日・二十八日、七月八日・二十六日、八月十一日・十五日・二十五日・二十八日、九月三日・七日・十日・十一日・十三日・十四日・二十二日、十月十三日・二十二日、十一月三日・四日・十七日・二十一日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、十二月一日・五日・八日・十三日・二十一日・二十四日・二十七日・二十八日・二十九日・三十日、の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

「四当五落」 ・ 「一浪、ひとなみ」

No.6468

 決して、原稿に目途がついたわけではありませんが、テーマがテーマですので、高橋先生の御講演を拝聴して参りました。

 平家一門の都落ちについては、「法住寺殿と小松家の武将たち」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』15)執筆の際に、関係史料や先行研究をしっかりと読んだつもりでいたのですが、今日のお話しで、自らの史料の読みの甘さを痛感。
 小松殿の有力家人たちの動向についても、さらなる検討の必要を認識させられました。
 また、神器問題については、先にこの掲示板でも紹介した谷昇氏の「後鳥羽天皇在位から院政期における神器政策と神器観」(『古代文化』60-2)との関連でいろいろ考えるところがありました。
 「朝敵」という語についても、明快な御説明があって、大いに蒙を啓くことが出来たという次第です。

 原稿執筆に停滞しているときなど、机の前で悶々としているよりも、こうしたお話しを聴きに出掛けた方が絶対によい。新鮮な刺激を受けて、意欲が湧くというものです。

 目下、私の周囲には修論・卒論で引き籠もりがちの皆さんが多いわけですが、いろいろお話しをうかがうたびに、なぜか40年前の大学受験の頃を思い出します。
 団塊世代が大学受験生だった時代、「四当五落」とか「一浪、ひとなみ」とか、よく言われていました。前者は、睡眠が四時間なら受かるが、五時間だと落ちるということ。後者は、そのまんまで、一浪(一年間の浪人生活)は人並み(普通)であるということです。
 しかし、よく眠って、結構好きなことをやって楽しく過ごしているのに、しっかり現役で合格する人が、ちゃんといたものでした。
 
 私は今と同様に「意志薄弱」でしたので、受験勉強で頼りにしていたのが、大学受験のラジオ講座(文化放送で夜11時から放送)。今では想像できないことですが、英語は早稲田の西尾孝教授、日本史は都立大の田名網宏教授、といった具合に、当時は現役の大学教授が受験講座の講師をつとめていたのです。
 放送時間にキチンと聴けばよいのですが、その頃、オープンリールのテープレコーダーが一般家庭にも普及しつつあり、私も親にねだって、これを買って貰い、そのうち聴けばよいと、何日分も録音をためこんでしまっておりました。思えば、これが私の「負債人生」の始まりでした。

 ちなみに、最近の学生さんの中には、オープンリールのテープレコーダーなど見たことがないという方がおられます。もし、御覧になりたければ私の研究室にお出で下さい。
 ただし、見るだけ。
 数年前までは再生可能だったのですが、ついに寿命がきてしまったようです。修理できれば、ギター伴奏付きの10代の私の肉声が聴けるのですが。
 もちろん、聴かない方がよい!

 岩田君ではありませんが、原稿やら校正やら研究発表の準備があるというのに、のんきに書き込みをしている場合ではありませんでした。 

次回は師走の『吾妻鏡』

No.6463

 はやいもので、2008年も残すところあと一ヶ月ちょっととなりました。
 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2008年12月2日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』延応二年(仁治元年、1240年)六月十一日、七月九日、八月二日、九月八日・三十日、十月十日・十九日、閏十月五日、十一月十九日・二十一日・二十三日・二十八日・二十九日・三十日、十二月十二日・十五日・十六日・二十一日
     仁治二年(1241年)正月二日・十四日・十七日・十九日・二十三日・二十四日、二月七日・二十二日・二十三日・二十五日・二十六日、三月十六日・十七日・二十日・二十五日・二十七日、四月二日・三日・五日・十六日・二十五日・二十九日、五月六日・十日・十四日・二十日・二十九日、六月八日・十一日・十六日・十七日・十八日・二十八日、七月八日・二十六日、八月十一日・十五日・二十五日・二十八日、九月三日・七日・十日・十一日・十三日・十四日・二十二日、十月十三日・二十二日、十一月三日・四日・十七日・二十一日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、十二月一日・五日・八日・十三日・二十一日・二十四日・二十七日・二十八日・二十九日・三十日、の各条

 十二月は12/2、12/9と開催予定です。仁治年間は注目すべき記事が多いように思いますので、じっくり読んでいきたいと思います。
 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

京都女子大学のつよみ

No.6462

 20日の『小右記』講読会は、『源氏物語』千年紀のイベントをお手伝いしていた大谷さんも復帰されてフルメンバーが揃い、熱気に満ちた会となりました。今回は私の研究室での開催のために手狭で申し訳ありませんでした。来週以降は、従来通り共同研究室で行います。
 Ⅴ講時の基礎教養科目は、日暮れが早いので現地見学は断念。学内各所から京都を遠望しつつポイント解説という方法をとりました。A校舎5階やS校舎4階のラウンジからの夕景を望みながら、平安京・六波羅・法住寺殿、さらには清水寺と清閑寺の紛争や秀吉の方広寺・東山大仏殿などについても解説。こういうことが出来るのが、京都女子大学の強みです。

 ☆ 元・本学史学科教授の稲本紀昭先生より、先生が執筆・編集を担当された『三重県史史料叢書4 北畠氏関係資料-記録編-』(三重県)を御恵送頂きました。北畠氏研究・伊勢中世史研究には必備の資料。研究の飛躍が期待されます。
 稲本先生にあつく御礼を申し上げる次第です。

 ☆ 先年のゼミ旅行でお世話になった伊豆の国市文化財調査室の池谷初恵先生より、御高論「伊豆における北条氏の館について」掲載の『金澤文庫研究』第321号と「伊豆地域におけるかわらけの変遷とその背景」(明治大学文学部考古学研究室編『地域の文化と考古学 Ⅱ』六一書房)を御恵送頂きました。
 伊豆における北条氏に関する最新の考古学的成果を集約されたもので、ミネルヴァ日本評伝選『北条時政』執筆が停滞中の私としては、背中を押して頂いたように思えます。
 池谷先生にあつく御礼を申し上げる次第です。