「常陸」を再認識した三日間
No.6474
13日は茨城県立歴史館の見学、14日は茨城大学人文学部・地域史シンポジウム「北関東の武士(もののふ)たちⅡ」に出席、また昨日は岩田君・長村君、それに東京から駆けつけてくれた伊藤さんと共に筑波山南麓に展開する中世史跡の見学、と充実した3日間を過ごし、昨夜遅くに帰洛いたしました。
総じて、常陸地域の奥羽と関東、さらに京都・畿内との結節点・中継点としての機能の大きさを実感し、そこに独自のかなり高度な文化圏が形成されていたということを認識することができました。
志太義広の信太庄への留住、親鸞の稲田定住、北畠親房の小田城入りなど、一連の事実の背景を理解できたように思いました。日向廃寺は常陸平氏が平泉藤原氏による無量光院のごとき宗教施設を本拠の地に設けていたことを物語り、常陸平氏本宗からこのエリアを継承した八田(小田)氏は、三村山に新たな宗教空間を構築したのでしょう。宇都宮歌壇の中心人物として知られる笠間時朝による様々な文化活動も、この地域の特性と連動するものがあったはずです。
あれこれ、考えさせられることが多く、それは今後の自らの東国武士研究に反映させていきたいと考えております。
2年にわたってシンポジウムを企画・実現された高橋修先生・酒井紀美先生をはじめとする茨城大学の方々、また報告を担当された先生方や会場で御研究の成果を頂いたり、さまざまな御教示にあずかった方々にあつく御礼を申し上げます。
また、史跡見学にあたって御案内のみならず、資料の用意から車の運転までして下さった茨城大学大学院の額賀大輔さん、小田城跡・三村山・日向廃寺跡・小泉館跡などを懇切に御案内下さったつくば市教育委員会の広瀬季一郎先生に深甚なる感謝の意を表したいと思います。
旅程中、例によって失敗も多く、14日、水戸から土浦に移動する際に、珍しくも奮発して特急を利用することを決断。手に鞄、背にリュックを負いながら老骨にむち打ってホームを走ってなんとか乗り込み、発車後しばらくして漸く空席を見つけて「やれやれ」と座ったとたん、上野までノンストップとの表示にガックリするなどのことがございました。
かくして、上野から満員の快速電車で逆行(藤代まで立ち通し)。
『男はつらいよ 真実一路』に、寅さんが米倉斉加年演ずる鹿児島出身の猛烈サラリーマンと一緒に常磐線の通勤電車に揺られていたシーンがあったことなどを思い出しながら、時間と運賃と体力の散財を嘆いたりしておりました。
今週土曜も江戸上府ですが、また何が待ち受けているやら、といった塩梅でございます。
そういえば、報告の資料が未完成でした。
「話になりません」ね。
総じて、常陸地域の奥羽と関東、さらに京都・畿内との結節点・中継点としての機能の大きさを実感し、そこに独自のかなり高度な文化圏が形成されていたということを認識することができました。
志太義広の信太庄への留住、親鸞の稲田定住、北畠親房の小田城入りなど、一連の事実の背景を理解できたように思いました。日向廃寺は常陸平氏が平泉藤原氏による無量光院のごとき宗教施設を本拠の地に設けていたことを物語り、常陸平氏本宗からこのエリアを継承した八田(小田)氏は、三村山に新たな宗教空間を構築したのでしょう。宇都宮歌壇の中心人物として知られる笠間時朝による様々な文化活動も、この地域の特性と連動するものがあったはずです。
あれこれ、考えさせられることが多く、それは今後の自らの東国武士研究に反映させていきたいと考えております。
2年にわたってシンポジウムを企画・実現された高橋修先生・酒井紀美先生をはじめとする茨城大学の方々、また報告を担当された先生方や会場で御研究の成果を頂いたり、さまざまな御教示にあずかった方々にあつく御礼を申し上げます。
また、史跡見学にあたって御案内のみならず、資料の用意から車の運転までして下さった茨城大学大学院の額賀大輔さん、小田城跡・三村山・日向廃寺跡・小泉館跡などを懇切に御案内下さったつくば市教育委員会の広瀬季一郎先生に深甚なる感謝の意を表したいと思います。
旅程中、例によって失敗も多く、14日、水戸から土浦に移動する際に、珍しくも奮発して特急を利用することを決断。手に鞄、背にリュックを負いながら老骨にむち打ってホームを走ってなんとか乗り込み、発車後しばらくして漸く空席を見つけて「やれやれ」と座ったとたん、上野までノンストップとの表示にガックリするなどのことがございました。
かくして、上野から満員の快速電車で逆行(藤代まで立ち通し)。
『男はつらいよ 真実一路』に、寅さんが米倉斉加年演ずる鹿児島出身の猛烈サラリーマンと一緒に常磐線の通勤電車に揺られていたシーンがあったことなどを思い出しながら、時間と運賃と体力の散財を嘆いたりしておりました。
今週土曜も江戸上府ですが、また何が待ち受けているやら、といった塩梅でございます。
そういえば、報告の資料が未完成でした。
「話になりません」ね。