『吾妻鏡』のごあんない

No.6270

 毎度遅くなって申し訳ありませんが、次回の『吾妻鏡』のご案内です。
 来週(6/10)はお休みとしまして、その次の予定です。

 日時:2008年6月17日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』:『吾妻鏡』嘉禎三年六月一日、二十日、二十三日、二十五日、七月八日、十日、十一日、十九日、二十五日、二十九日、八月七日、十三日、十五日、十六日、十月十六日、十一月十七日、十二月十二日、

 なお、その先も六月は毎週火曜日15:00頃~開催の予定です。
 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。

人の嘲りをも恥づべからず

No.6275

 岩田君、告知をありがとうございました。
 『吾妻鏡』講読会、来週からはメンバーもほぼ復帰して平常通りに進められることと思います。私は学生時代は内乱期の記事(ほとんど『平家物語』の異本の如し)ばかり読んでいましたが、頼経将軍期のあたりは別の面白さがありますね。

 先に、教育実習の思い出話を書かせて頂きましたが、今度は自分が高校生だったときの話です。
 当時(1960年代末)、千葉東高校普通科のカリキュラムでは、女子生徒が家庭科の授業を受けている間に男子生徒は国語の授業をうけるということがありました。通称「増国」。週に一時間ですが、私はこれが大変楽しみでした。
 体育の授業の次の時間に、2クラスの男子生徒が一緒に詰め込まれ、男の体臭がすさまじい教室で、その授業は行われました。担当は古沢未央先生。この先生は職員室などにはおられず、図書館の司書室を本拠にされて悠然と過ごしておられ、御隠居のお爺さんのような風情の方でした(こういう先生の存在は、最近の高校では見られなくなったと思います)。最近になって知ったことですが、地元の文学の世界では著名な先生だったようです。
 この先生の授業のテキストは兼好の『徒然草』。文法の話などほとんどせずに、ひたすら内容に踏み込んだお話しを聞かせて下さいました。先生自身の人生体験を盛り込んだ解説もあって、私は『徒然草』の世界にのめり込んだものです。女子生徒の皆さんは、お料理の腕を上げられたことでしょうが、あの授業に出られなかったのは本当にお気の毒様でした。ただし、古沢先生は、旧制中学のような男子ばかりの教室での授業を楽しまれていた節があります。
 私は、この時間には大張り切りで、謡曲「鉢の木」の話を知っているかという先生の問に即座にお応えしたりして、体育の時間における屈辱の埋め合わせに労を惜しみませんでした。そんなわけで、この科目での成績のトップは、柔道部所属の親友K君(現在、千葉県の公立高校の英語教諭)と私が張り合っておりました。
 さて、その『徒然草』の第百八十八段には、こんなことが書かれています。
 「若き程は、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をもつき、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心にはかけながら、世を長閑に思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。終に物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるゝ齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へゆく」。
 古沢先生と同じ世代になってしまった私は、学生さんたちから見れば、まさしく、この「走りて坂を下る輪の如くに衰へ」てしまったお爺さんに他なりません。 兼好法師は、こう続けます。
 「されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中、一時の中にも、あまたの事の来らんなかに、少しも益の勝らん事をいとなみて、その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず」、また、「一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをもいたむべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大事成るべからず」。
 今さらながら、私はこの兼好の言葉の意味の重大さを実感しているところです。

 ☆ 前近代における武士神格化の御研究で多大な成果をあげておられる九州大学大学院比較社会文化研究院の高野信治先生より、最近の御高論「「士族反乱」の語り」(『九州史学』149)・「外様大名領の東照宮-鍋島佐賀藩の場合-」(『九州文化史研究所紀要』51)・「近世大名家〈祖神〉考-先祖信仰の政治化-」(『明治聖徳記念学会紀要』復刊44)の3編を御恵送頂きました。
 中世と近世の武士論の接合は大変重要な課題だと思います。
 高野先生にあつく御礼を申し上げます。

公開講座のポスター・チラシが完成しました。

No.6266

 事務方のお力によって、なかなかセンスのよい公開講座のポスター・チラシが完成しました。
 各大学や諸機関の皆様に順次送付させて頂きます。
 御面倒ですが、よろしく周知方、お願い申しあげる次第です。


 ◇「王の装いと武家の空間」(シリーズ「東山から発信する京都の歴史と文化」⑩)
 
 日時:2008年6月28日(土)13:00~17:00 

 講演テーマと講師:
   ①「寝殿造と六波羅泉殿~総柱大型建物の意味~」
                     川本重雄(京都女子大学家政学部教授)

   ②「天皇と装束」
                     近藤好和(神奈川大学経済学部特任教授)

 会場:本学J校舎(文学部棟・渋谷通りに面した茶色の建物)525教室
    ※ 京都駅からは市バス206系統「馬町」下車、または八条口からプリンセスライン(赤いバス)「京都女子
     大学前」行きが便利です。  

差し上げます...

No.6267

 ゼミメンバーおよび関係者のみなさんへ
 
 ① 学術文献刊行会編『日本史学文献目録 2005年版』(朋文出版 2008,5)

 ② キャノン純正インクタンク BCI-24 3色カラー・ブラック

 ともに複数、余分があります。必要な方、あるいは必要な方をご存じの方は遠慮なくお知らせ下さい。

ラボール学園聴講生より

No.6264

昨夜は、「東京学派」主導の鎌倉「幕府」過大評価に対するアンチテーゼを興味深く拝聴しました。休憩時間に「(啓蒙的)歴史全集」比較論をお伺いした西野と申します。授業後の質問タイムでは少々大きい問題かと思い、(他に通信手段が思い浮かばなかったので)本欄に投稿させて頂きました。もとより文献渉猟などとは無縁の一アマチュア歴史愛好家の幼稚な疑問とてご寛恕下さい。

中央政界の力学がそのようであるなら、地方の実態はどうだったのでしょうか。教科書的「正史」では、「鎌倉」時代には、守護が国衙の地方行政権を、地頭が荘園の経済権益を、漸進的に蚕食し、古代的社会経済秩序の変質が昂進して「中世」が完成したと教わりました。いわば、最終形態としての戦国大名の領国体制に向けて大きく梶を切ったのがこの時代だという位置付けです。仮に「上から」は貴族や宗教勢力が旧来の権威を保持したとしても、「下から」は武士階級が社会の実権を掌握して行ったと言えるのでしょうか。

また、京都の朝廷が依然として圧倒的なヘゲモニーを維持し続けていたのなら、あたかも「覇権を賭けて争った」かの如く教科書で記述されている承久の変が理解できません。鎌倉方が関東・東北地方の軍事・警察を司るだけの一介の軍司令官(これぞ征夷大将軍の本義)を自他共に認めるなら、後鳥羽上皇一派の挑発的な動きに何故あれほどまでに過剰反応したのでしょうか。あるいは鎌倉方は、この機を利用して乾坤一擲、昨夜のお話のような劣等的力関係を逆転させようという明白な政治的意図を自覚していたのでしょうか。

PS:30年余り昔、大学教養課程の頃、講義一覧にあった当時気鋭の歴史学者だったろう上横手先生のお名前の珍しさに惹かれただけで、ついぞ聴講しなかったことが今となっては悔やまれます。

Re: ラボール学園聴講生より

No.6265

>西野様 昨日はありがとうございました。

 ご質問の件ですが、武士と貴族を対立的に捉える発想を様々な側面から相対化する必要があるだろうということです。その点、将軍御所の空間構造や、幕府の女房の機能について、触れる時間が不足したのが残念でした。
 二点目の公武が覇権をかけて争ったという発想も同様だと思います。承久の乱の実態については近年、多くの研究がかさねられておりますので、昨日のレジュメに掲載した文献の注などを手がかりに検索、参照していただければと存じます。
 疑問に思われている点は、おそらく上横手雅敬先生の御著書をお読み下されば、ほとんど解消されるのではないかと思います。 

六月の『吾妻鏡』

No.6262

 あっという間に六月となりました。そろそろ梅雨の季節ですが六月初日の京都は快晴となりました。次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2008年6月3日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』所収の建築関連の記事を中心に、過去の条文に遡って読みます

 なお、その先も六月は毎週火曜日15:00頃~開催の予定です。
 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。

『新訂 吉記 索引・解題編』 拝受

No.6263

 昨日は、仁和寺の法師よろしく、「年寄るまで拝まざりければ」だった石清水八幡宮に、ちゃんと山上まで行ってお詣りを果たしてまいりました。教訓は「『先達はあらまほしきもの』だが、究極的にはカーナビは決してアテにならない」ということでした。

 さて、今週の予定。
 明日はラボール学園の日本史講座へ出講です。「歴史のなかの京都と他所-古代・中世-」の第7回目で、「京都と鎌倉-王権の行方-」というテーマでお話しを致します。『紫苑』掲載の岩田君・満田さん・小野さんの御論考を活用させて頂くつもりです。
 明後日のⅢ講時の「基礎演習Ⅰ」は、「国家間格差」についての御報告。大きなテーマなので、様々な切り口が用意できそうです。今回も活発な議論を期待します。
 Ⅴ講時の「総合教育科目7B」は「日本史の中の老人」の二回目。導入部分で、『延慶本平家物語』に描かれた相模の老武士・三浦義明の最期の場面を取り上げます。
 木曜日のⅣ講時『小右記』とⅤ講時の『吾妻鏡』は、いつもの通り。しっかり予習をしておいて下さい。

 ☆ 高橋秀樹先生より、先生の御編になる『新訂 吉記 索引・解題編』(日本史史料叢刊,和泉書院)を御恵送頂きました。『吉記』に関する一連のお仕事はこれをもって一段落だと思います。大変な作業だったことと拝察致します。いただいた学恩ははかり知れません。高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。 

科研費研究成果報告書

No.6261

 早稲田大学の海老澤衷先生より『東アジア村落における水稲文化の儀礼と景観』(平成16~19年度 科学研究費補助金 基盤研究(A)(2)研究成果報告書)を御恵送頂き、また本学家政学部の川本重雄先生からは『中世アジアの住居と集落に関する総合的研究』(平成18年度科学研究費補助金(特定領域研究)及び平成19年度科学研究費補助金(特別研究促進費)研究成果報告書)を拝受致しました。
 ともに、質量とも重厚な報告書で圧倒されました。海老澤先生・川本先生にあつく御礼を申し上げる次第です。

 ちなみに、当方も『閑院内裏の政治史的研究』(平成18年度~19年度科学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書)を作成したことはすでにお知らせしたとおりですが、ようやく関係各位への発送を開始する段階に至りました。とはいえ、暇をみての少しづつの作業になると思いますので、もし早めに必要な方は御連絡頂ければ幸いとするところです。

 ☆ 論文集を頂いたばかりの加納重文先生より、今度は『清張文学の世界 砂漠の海』(和泉書院)という御著書を御恵送頂きました。松本清張の11の代表作についての文芸評論集です。
 加納先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 日本学術振興会特別研究員の和田琢磨先生より、御高論「『難太平記』研究史の検証-『太平記』作者「恵珍」「玄恵」説をめぐって-」(『古典遺産』57)を御恵送頂きました。
 和田先生にあつく御礼を申し上げます。

歴史学入門講座について

No.6258

 歴史学入門講座(阪神・和歌山)の広報係の方から、以下のようなお知らせを頂きましたので、そのまま貼り付けます(一部省略)。 
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
はじめまして。
歴史学入門講座(阪神・和歌山)の広報係です。

もうご存じかと思いますが、
この度、わたしたち、歴史学を専攻する大阪・兵庫・和歌山の大学院生が主催する「歴史学入門講座」が行われます(今年は大坂歴史博物館も共催)。

歴史学入門講座とは、歴史学の分野で活躍する研究者の方をお招きして、これから歴史学を学ぼうとする人、あるいは歴史学に興味・関心を持つ全ての人を対象に、歴史学のあり方や研究方法などについての講演をしていただくという催しです。

今年は・・・

講師:吉川真司氏(京都大学准教授)
会場:大阪歴史博物館4F講堂
   (地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」⑨番出口前)
日時:7月6日(日)13:30~(会場13:00)
演題:日本古代史と時期区分論

・・・に決定いたしました。

古代史・ 中世前期の専門家ならずとも魅力を感じていただけるものになると思います。

詳細は、「歴史学入門講座ホームページ」
http://www.geocities.jp/nyumonkoza_osaka/index.html

会場の「大坂歴史博物館」ホームページ(地図もあります)
http://www.mus-his.city.osaka.jp/riyou/index.html

夕刻の史跡見学会

No.6257

 今朝、研究室に着いてビックリ。昨晩の豪雨による雨漏りで、部屋の一部が水浸しとなり、床のプラスチックのタイルが浮き上がっているという惨状。
 以前、鈴木御夫妻(当時は永富さんと鈴木君)が来室したときにも、大雨で蛍光灯伝いに雨漏りがしたことがあったのですが、同様に上階のベランダ状になっているところに水が溜まったことが原因のようです。
 備品を動かしたりして、午前中は仕事になりませんでした。
 不幸中の幸いと言えば、PCや本に水がかからなかったこと。施設課に連絡して床のタイルを貼り替えてもらうことになりましたが、これから梅雨時になりますから、研究室を空けるときにはPCの上に大きなビニールシートを懸けておいた方が賢明なのかも知れません。
 それにしても天災は忘れた頃にやってきます。比較にならないほどのことですが、中国四川省の地震被害に遭われた方たちの御苦労の程が察せられました。

 本日Ⅳ講時は『小右記』の講読会。出席者は史学・国文学・建築学を専攻する院生さんたち。さすがに飲み込みが早い。私は本題からはずれた話ばかりで申し訳ないこと限りなし。しかし、他ではなかなか聞けない話もあったのではないでしょうか(??)。

 Ⅴ講時目は京女周辺の史跡見学会。Ⅳ講時の院生さんたちに初参加の一回生も加わって、総勢10名ほどで、馬町十三重の塔跡、積翠園(伝、小松殿庭園跡)、方広寺大仏殿跡、方広寺鐘楼、豊国神社、耳塚、法住寺殿跡、最勝光院跡、今熊野神社、新日吉神宮などを歩きました。
 朝は小雨がパラついていましたが、午後は曇、そして研究室を出発した夕刻にはすっかり晴れ上がり、西日が少しまぶしかったのですが、史跡見学には絶好のコンディションとなりました。
 六波羅をはじめ、泉涌寺・即成院や清閑寺など、行き先には事欠きませんので、また京女周辺を歩く機会を持ちたいと思っています。

 ☆ 本学名誉教授の加納重文先生より、新刊の御高著『平安文学の環境 後宮・俗信・地理』(和泉書院)を御恵送頂きました。興味深い論考が満載された大著です。
 加納先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 浅草金龍寺の御住職である並木優記先生より、先生が訳注・資料作成を分担された野口善敬編著『開甘露門の世界』(禅文化研究所)を御恵送頂きました。
 並木先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 慶應大学等で非常勤講師をつとめておられる桃崎有一郎先生より、御編著『康富記人名索引』(日本史史料研究会)を御恵送頂きました。大変な御労作で、今後の研究に裨益するところは多大だと思います。
 桃崎先生の精力的なお仕事ぶりには頭が下がるばかり。これからの御活躍がなお一層期待されます。
 桃崎先生に、あつく御礼を申し上げます。

27日・30日の授業・ゼミなどの予定 

No.6255

 週があけて、京都もだいぶ暑くなって参りました。渋谷通りの上り下りで汗だくになりました。
 教育実習で帰郷中の皆さんは、いよいよ本格始動でしょうか?
 けっこう、人生の岐路になったりすることが多いので、しっかり取り組んで来て下さい。
 昼夜逆転の生活になったり致しますから、健康管理にはくれぐれもご留意のこと。私は2週間の実習(授業は28コマ担当)の後、2週間ダウンいたしました。
 
 さて、明日のⅢ講時「基礎演習Ⅰ」は、山本さんが「韓流はなぜ流行るのか」をテーマに報告されます。日本と韓国の関係にまで話を拡大できることと思います。歴史的には古代まで視野に入れて考えましょう。あるいは、今日の日本社会論にも結びつくのかも知れません。いずれにしても、多角的な議論が期待できそうです。
 Ⅴ講時の「総合教育科目7B」は、「日本史に見る老人像」の一回目。まずは、前近代における「老人の制度的位相」と「老人観と社会的位相」についてお話ししたいと思います。自分が老化して参りましたので、リアルなお話が出来ることと思います。

 ゼミの『吾妻鏡』講読は岩田君の御案内の通りです。4回生の不在がちょっと寂しいところですが、建築関連記事をふりかえって<精読>ということになるのだろうと思います。

 それから、木曜日Ⅴ講時目の方の『吾妻鏡』講読(初級)ですが、今週は京女周辺の史跡見学に出かけます。少し時間が遅いので、法住寺殿関連の史跡が中心になることと思います。
 ふだん、講読会に出席されていない方も参加を歓迎いたします。16:30共同研究室から出発します。

土曜日はありがとうございました。

No.6254

名古屋の松薗です。
野口先生(孝子さんもいらっしゃっていた思いますが)、京都界隈(東京の方も)の諸先生・院生・学生諸兄には雨の中をお出でいただきありがとうございました。帰り京都駅で、加藤先生とお別れした際に、大変いい機会を与えられたことを共に確認した次第です。
加藤先生の重厚で緻密なご報告に対し、いまだ煮詰まっていない思いつきで煙に巻いた感が否めませんが、話題提供ということでご容赦ください。
ただ、古代・中世にかけての「日本」の「王朝日記」(笑)が、極めて面白い存在であることだけは、ご理解いただけたのではないかと思います。まだまだいろいろなことが隠されていそうです。

Re: 土曜日はありがとうございました。

No.6256

 松薗先生、土曜日は加藤先生と共に、大変貴重なお話をありがとうございました。
 日記を史料として使うことの難しさと面白さを再確認させていただきました。
 私は大学院生の時代に、桃裕行先生・土田直鎮先生という記録研究の大家に直接御指導を頂く機会がありましたので、いろいろ思い出されることも多くございました。
 承久の乱後の幕府による日記捜索については、拙稿「慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察」(京女宗文研『研究紀要』18)の冒頭で少しばかり触れたことがございます。また、山下克明氏の御研究というのは、「『承久三年具注暦』の考察」(大東文化大学東洋研究所『東洋研究』127)でございます。
 名古屋の中世史研究会で、松薗先生が御報告の時は、都合が悪く伺えなかったのですが、京都と名古屋は近いので、ぜひ頻繁に交流の機会を持たせていただきたいと思っております。
 今回は、元木先生が「遷都」(まさに!!)の御準備でお忙しく、御出席されなかったのが残念だったのですが、また御上洛の折には、元木先生・美川先生とともにお出迎えできたらと思っております。
 ちなみに、モデル原稿の件、よろしくお願い申し上げます。
 (※ 掲示板を私信のように使わせていただき、申し訳ありません。) 

第46回中世史サマーセミナーのご案内

No.6252

みなさんはじめまして。鹿児島大学で非常勤講師を勤めております新名と申します。
先日来鹿されました野口先生にお許しをいただきましたので、こちらで今年の中世史サマーセミナーのご案内をさせていただきます。
今年は以下の要領で開催いたします。

・日時:8月22日(金)~24日(日)
・会場:シティホテルイン国分(霧島市国分)
・日程
 1日目:研究報告①…南九州の遺跡に関して等、4名報告
 2日目:史跡見学…志布志(志布志城・大慈寺等)・波見・下伊倉城跡
     研究報告②
 3日目:史跡・史料見学…鹿児島神宮・大隅正八幡宮神官家邸宅跡
・研究報告(いずれも仮題)
  中村和美氏(鹿児島県立埋蔵文化財センター)「万之瀬川下流域の発掘調査成果」
  渡邊誠氏(広島大学特別研究員)「12世紀の日宋貿易と山門・八幡・院御厩」
  重久淳一氏(霧島市教育委員会)「中世大隅正八幡宮をとりまく諸相―社家館跡の調査から―」
  屋良健一郎氏(東京大学大学院)「中世後期種子島氏とその周辺」
  小山博氏(宮崎県総合博物館)「中世の島津豊州家の対外関係」
・参加費用 25,000円(予定)

 鹿児島では1993年に一度開催されており、その時は野口先生や現在東北大学にいらっしゃる柳原先生が事務局の中心となり、8・6水害直後の混乱のなか大変なご苦労の末、挙行されました。
 なお、93年は薩摩国が中心だったこともあり、今年は大隅国を中心に史料・史跡見学を行います。また、統一テーマは決まっておりませんが、報告題目をご覧いただければ分かりますように、対外交易を軸として近年の発掘成果と文献側の新見解をふまえたものになる予定です。
 先日の歴史学研究会で、実行委員会の代表日隈正守さん(鹿児島大学教育学部)がご挨拶いたしまして、正式に受け付けも開始いたしました。皆さん是非ふるってご参加下さい。
 申込方法等詳しくは、下記専用ホームページをご覧下さい。
http://kchiiki.kachoufuugetu.net/s-seminar.html

以上、宜しくお願いいたします。

鹿児島における中世史研究の黄金時代。

No.6253

 新名さん、御案内ありがとうございました。

 1993年の中世史サマーセミナーは、史上最悪のコンディションのもとで開催されたサマーセミナーとして記憶されるべきものと思います。にもかかわらず、たくさんの参加者が集まり、充実した三日間を過ごすことが出来たのは、事務局を担当された柳原先生の獅子奮迅の御活躍の賜物にほかなりません。あの時は、永山先生・松尾先生・栗林先生・林先生など、若手(当時)の結束、御助力も目覚ましいものがありました。
 今回は、93年のサマーセミナーで、報告者として参加された日隈先生が事務局を担当され、柳原先生の教え子である新名先生たち若手が、それを補佐するという体制が組まれたということで、さらなる盛会が期待されます。
 私は、全日程の参加は無理だと思いますが、ぜひ御挨拶には伺いたいと存じております。

 昨日は、日本史研究会の例会に出席。国文学専攻の方も多く、盛会でした。
 記録は読むだけでも大変なのですが、やはり史料として活用するには慎重な対応が求められることを、再確認させられました。学問探究の道は、嶮しく深遠です。
 なお、討論の時間にボーっとしておりましたところ、突然の御指名を頂き、訳の分からぬ質問を致しましたこと、御出席者各位にお詫び申し上げる次第です。

 ☆ 歴研大会の際に4篇もの御高論を拝受した赤澤春彦さんから、さらに御高論「鎌倉期における陰陽家安倍氏について-安倍晴道党を中心に-」(『中央史学』31)を御恵送頂きました。
 『吾妻鏡』後半は陰陽道のオンパレードなので、講読会の参加者にも是非読んで頂きたいものと思っています。
 赤澤さんにあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 國學院大學栃木短期大學の鍛代敏雄先生より、新刊の御高著『戦国期の石清水と本願寺
  都市と交通の視座』(法蔵館)を御恵送頂きました。
  先生は石清水八幡宮研究所員のお仕事もおつとめの由。
  鍛代先生にあつく御礼を申し上げる次第です。

 ちなみに、当家では、近々のうちに、石清水八幡宮にお詣りに行く予定があります。石清水八幡宮といえば、八幡太郎。
 『源義家』については、ぜひ一書にまとめてみたいと考えています。