鈴木御夫妻帰国&ゼミ新メンバー

No.6176

 鈴木御夫妻が新婚旅行先のフランスから帰国。ベルサイユ宮殿やモン・サン=ミシェルなど、たくさんの文化遺産に触れ、大いにエネルギーを蓄積されたそうです。お二人合わせて何十倍もの御活躍を期待したいと思います。
 研究室への凱旋と土産「話」を楽しみにしています。

 ゼミには早くも新入生が5名も加わりました。出身地は佐賀(佐賀城跡の近く)・新潟(下越)・岡山(倉敷)・群馬(高崎)・愛知(岡崎)と様々。まさしく、「在京ネットワーク」の構築がなされようとしています。
 全員が平田さん・鈴木(永富)さん・尻池さん・伊藤さん・小野さん・・・たちの後輩。すなわち、史学科生です。みんなやる気満々で、もう『吾妻鏡』を読むのだと張り切っています。
 そのため、今年度は従来の上級者向けとは別に、治承四年からの『吾妻鏡』講読会の時間を設定することになりそうです。

 ☆ 本日、京都大学の勝山清次先生より、先生を研究代表者とする科学研究費による研究成果報告書『中世寺院における内部集団史料の調査・研究』を御恵送頂きました。
 新史料も収録された質・量ともに優れた報告書に圧倒されました。
 勝山先生にあつく御礼を申しあげます。

 ☆ 昨年の日本史研究会大会古代史部会で報告をされた渕原智幸さんから、御高論「古代末期の東北支配と軍事力編成-国衙軍制成立史の一断面-」(『日本史研究』547)を御恵送頂きました。
 渕原さんにあつく御礼を申し上げます。

木幡史跡見学会のお知らせ

No.6175

 木幡の見学会は以前にも行ったことがありますが、新しく加わった共同研究員の方やゼミメンバーから史跡見学会開催の要望がございましたので、以下の要領で開催したいと思います。

                         記

 ・日程:4月19日(土)13:00(JR六地蔵駅改札口集合。地下鉄・京阪線六地蔵駅も至近です)
          (当初、この日に予定されていた『吾妻鏡』講読会は休止します)

 ・見学予定の史跡:浄妙寺跡・宇治陵・松殿跡・西浦遺跡・宇治市街遺跡など(徒歩と電車利用)
 
  ※ (1) 今年度の大阪歴史学会大会で摂関家について報告される樋口健太郎氏(研究所
     共同研究員)も参加されます。
       〈これで、広島大学大学院の尻池さんもお出でになられたら鬼に金棒なのですが〉

    (2) 雨天の際は、浄妙寺跡・宇治陵以外の見学先を変更して実施します(平等院・源
     氏物語ミュージアムなど)

    (3) 資料を準備しますので、参加者は事前に御連絡下さい。京都女子大学の学生さんの
     参加歓迎。また、外部の方でも共同研究員・ゼミメンバ-の紹介があれば参加を歓迎い
     たします。 

今年度の担当科目から

No.6167

 明日(3日)の『吾妻鏡』講読会の時間に、今年度前期のゼミ史料講読会・例会などの開催曜日・時間を決めたいと思います。そのため、できるだけ多くの方の御出席をお願いいたします。なお、出席が不可能な場合は、御自身の週の予定について研究室宛のメールでお知らせ下さいますようにお願いいたします。

 なお、本年度私が担当する講義科目(大学院を除く)の中で、主に日本中世を対象とするのは以下の科目です。履修登録の参考にして下さい。

 ・総合教育科目7B「日本史から現代社会の問題を考える」(前期 火曜 Ⅴ講時)
 ・基礎・教養科目20「「武士」で語る日本の歴史と文化」(後期 木曜 Ⅴ講時)
 ・大学コンソーシアム京都提供科目 特別講座科目「武家政権の成立と京都」(後期 火曜 Ⅱ講時
  於、キャンパスプラザ京都)

※ 授業概要などについてはシラバスを参照して下さい。

 ☆ 日本学術振興会特別研究員の和田琢磨先生より御高論「今川了俊のいう『太平記』の「作者」-『難太平記』の構成・思想の検討を通して-」(『日本文学』3月号)を御恵送頂きました。
 和田先生にあつく御礼申しあげます。

新年度も『吾妻鏡』

No.6169

 桜も見頃を迎えるなか、新年度の『吾妻鏡』も始まりました。
 さっそく次回のご案内です。
 
 日時:2008年4月9日(木)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎二年正月一日、十七日、二月二十二日、二十八日、三月七日、十三日、十四日、二十日、二十一日、四月二日、四日、五月二十四日、六月五日、六日、十一日、二十六日、二十七日、七月十日、十七日、二十四日、二十五日、八月三日、四日、五日、九日、二十日、九月九日、十日、十月二日、五日、二十九日、十一月一日、十三日、十四日、十五日、十二月三日、十九日、二十九日の各条
  (※少し先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、その都度お知らせ下さい。)

 いつものことながら、『吾妻鏡』の講読会は新規メンバー随時募集中です。定期的な史料講読に取り組みたいという方など、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

さらに『小右記』にも挑戦!!

No.6170

 本日、集まったメンバーの協議により、本年度前期の『吾妻鏡』講読会は、基本的に土曜日の午後に設定されることになりそうです。土曜日は学会の大会などが開催される事が多いのですが、その際は休会。しかし、心置きなく長時間の続行が可能でしょう。
 なお、上に岩田君が告知して下さいましたように来週は9日(水)に実施いたします。

 ◇ 『吾妻鏡』だけではもの足りない、というか、平安時代中期を対象に勉強がしたい、あるいは記録(日記)読解に本格的に取り組みたいという方を対象に、『小右記』をじっくり、ゆっくりと読む会を始めようかと思っています。主たる対象は京女勢。実施日程の設定は、国文の江波さんと家政学研究科(建築史)の満田さんにお任せしてあります。
 講読範囲は長和四年(1015)の部分。
 『小右記』を紐解くのは久しぶりで心許ない限りなので、メンバーと同列になって勉強しなおしたいと考えています。ただ、私が大学院生時代に学習院大学大学院で聴講させて頂いた土田直鎮先生(当時、東京大学史料編纂教授)による演習の受講ノート(私の宝物です)が「虎の巻」として役だってくれるものと思います。
 
 江波さん、日程設定を宜しく。日程が決まったら再度告知して、さらに参加希望者を募りたいと思います。

 ◇ 先日、宇治の見学会を実施いたしましたが、その後、木幡にも行ってみたいという方が共同研究員ならびにゼミメンバーに続出。そこで、適当な時期に、木幡浄妙寺跡・宇治陵・木幡観音院(寺)跡、さらに宇治市街遺跡などを対象にした見学会を開催することになりました。GWあたりがよいのでしょうか?

 ☆ 新年度、日本大学文理学部教授に就任された関幸彦先生より、御高著『武士の時代へ 東国武士団と鎌倉殿』(NHK出版)を御恵送頂きました。
 先生の担当されるラジオ放送(NHKカルチャーアワー 歴史再発見)のテキストです。
 関先生にあつく御礼を申し上げます。

【追記】 今日の『吾妻鏡』講読会に江波さんが持ってきて下さったお土産(牡蠣物語スナック)は絶品でした。美味い!!
 某先生には大ジョッキで飲むピールのおつまみに。そして、そのお弟子さんの某君の御飯のおかずにも使えそうです。
 江波さん、ご馳走様でした。

『小右記』講読会の開始について

No.6174

 『小右記』講読会ですが、大きな差し障りがなければ、木曜日4講時(14:45~16:15)に実施することになりました。
 来週は9日(水)に『吾妻鏡』講読会が予定されていますので、第一回目は17日といたします。
 テキストは大日本古記録本。長和四年(1015)の部分をゆっくりと読み進めます。
 人数によっては、共同研究室を確保する必要がありますので、参加希望者は御連絡ください。

 ☆ 昨年、本学を定年退職された元文学部史学科教授の稲本紀昭先生より、御高論「北畠国永『年代和歌抄』を読む」(『史窓』65)を御恵送頂きました。
 詞書を史料として戦国期における伊勢北畠氏の動向を解明した興味深い内容です。
 稲本先生にあつく御礼を申し上げます。

野口先生、有難うございました。

元木泰雄
No.6163

 野口先生、ご丁寧なご挨拶有難うございました。
 上横手先生喜寿記念祝賀会も、無事に終えることが出来ました。
 ご協力の賜物と、厚く御礼を申し上げます。

 上横手先生は、心身ともに喜寿とは信じられない若々しさ。京大の教官になられてからも院生と間違えられることがあったとのことですから、昔から若々しいということもあったのでしょう。
 しかし、それだけではありません。つねに新しい目標、課題を設定され、果敢に挑戦される御姿勢が精神の若さをもたらしたことは間違えないと思います。あれだけの「大家」が、新たな方法と分野を切り開かれるお姿には、ひたすら敬服させられます。
 また、74歳で各大学の院生を集めて、新しい研究会を立ち上げられたこともすばらしいことです。段々、若い人とは話が通じないことなどから、付き合いを避け勝ちになりますが、先生は常に若い方々に接し、ご自身も若返っておられるように思います。研究にも通じますが、精神の柔軟さが若々しさの根源かもしれません。
 先生から教わったことはいくつもありますが、心に強く残るものの一つが、礼儀礼節と節度の大切さということと思います。それは実生活はもちろんですが、学問においても同様のこと。気をてらったような、新奇な「研究」が横行する昨今、特にそのことを痛感致します。
 そしてもう一つが、記念会のご挨拶でも仰られましたが、一般読者への還元を忘れてはならないということ。大家であっても決して象牙の塔に閉じこもってはならない、という御姿勢の表れであるのはいうまでもありません。それは同時に、戦前・戦後を生き抜かれて、歴史認識が現実に大きな影響を持つことを厳しく認識された結果でもあると思います。我々は、単に眼前の研究のみに満足するのではなく、学問を通して現実にどのように参画できるのかを心にとどめる必要があると思います。
 もちろん、そうした現実とのかかわりを、特定の政治的な目的に結びつけるのではありません。常に柔軟で自由な精神によって行われるところに先生の真骨頂があると思います。少しでも近づけるように努力したいものと思います(→無理)。
 今回の記念会には、40名の参加者がありました。大家から現役学部生まで幅広い世代が集まったのも、先生の会に相応しいように思われました。様々な交流が生まれたのも、大きな成果だったのかもしれません。

 27日は上島有先生のご解説による、亀岡での古文書学会見学会でした。
 すでに岩田君のコメント(6160)にもありますように、大変充実した内容でした。関東からも多数の参加者があり、総勢40名の盛会となりました。
 歴史に大きな意味を持つ原文書を間近に見させていただけることに、関西の大きな利点を感じた次第です。上島先生は、文書の料紙、折れ目、墨色等、非文字情報の重要性を強く主張されておられます。影写本ではなく、原文書の詳細な分析による、新たな古文書学のあり方を提唱されておられますが、昨年の東寺・府立資料館に続く毎回のご解説からもその重要性を痛感させられる次第です。
 ちなみに、先生はじめ有志の方々は、翌日、亀岡から唐櫃峠を越えて京都に向かわれました。尊氏の六波羅進撃、光秀の本能寺攻撃のコースを実地踏破されたとのことです。参加された美川先生、花田君、宜しければ様子をご披露ください。
 上島先生、上横手先生、そして大山先生と、中世の先生方は皆さん若々しく、常に精力的でいらっしゃいます。いつまでもご指導をお願いいたしたいと存じます。
 
 一週間で二つ、大きなイベントを企画、実行させて頂きました。ご協力いただいた方々に厚く御礼を申し上げます。終わってやれやれ。かなりふらふら。そりゃ、あれだけ飲めば当然でしょうな(笑)。
 本当は野口先生へのレスのつもりだったのですが、誤って上になってしまいました。かかる失策を毎度繰り返し、申し訳なく存じます。いよいよ老耄も進行してまいりました。どなたか引退祝賀会?の準備をお願い致します。 

唐櫃越の踏査

No.6164

 3月28日、上島先生と唐櫃越、という貴重な体験をしてまいりました。元木先生の要請もあり、とり急ぎ、簡単なご報告と感想を。

 朝、8:10にタクシーに上島先生、漆原先生らと分乗して、亀岡駅前のビジネスホテルから、篠村八幡宮にまいりました。八幡宮で亀岡市文化資料館の黒川先生をはじめ、資料館の方、地元の有志の方、そのご家族の小学6年生のお嬢ちゃん、などと合流。私は八幡宮さえもはじめてなのでした。当初、八幡宮から、唐櫃越の稜線に直接登るルートも考えたそうですが、黒川先生によると道の状態が確認できないとのことで、迂回して宝泉寺裏から一気に430メートルの「みすぎ山」に登攀しました。これがけっこう急な登りで、たしか84歳になられる上島先生のお元気ぶりにびっくり。若い人たちの方が、けっこうねをあげていたようでした。
 稜線に出ると、典型的な尾根道の旧道か、と思いきや、かなり広い林道がまもなく現れます。しかも、車の姿も。途中、なんだかだだっ広い、やたらに風通しの良い場所に到着。正午前ですが、ここで少し早い昼食です。左下には、保津峡が望めます。黒川先生の話では、山陰本線の付け替えの時、ここに資材を置いたとのことです。ヘリでも発着したのではないか、という広場です。そしてしばらく歩くと、舗装道路になってしまうのです。もちろん信号もあります。どれほど歩いたのか、距離感がまったくつかめません。林道の上に旧道があったような感じもするのですが、まったくわかりません。何本か、南側、つまり旧山陰道側に降りる道があるようですが、それが地図上のどれにあたるのかもよくつかめません。林道のために、地形が一変しているのです。西山団地に下りる道のところで、上島先生など数人、それに黒川先生がついて、お別れです。途中までタクシーがお迎えの予定。

 実は、そこからが、旧道でした。アップダウンは少々ありますが、全体としてはだらだら下り。林道とは比べものにならない、狭さです。人1人が通れる山道。多くは、右側が崖です。ときには、両側が崖です。踏み外すと、何十メートルか落ちていってしまいそうです。こうした道を、ひたすら2時間ほど、くねくねと下りていきます。明らかに、何百年かの歳月をへている道です。大きな竹林のあたりで、上島先生らを送った黒川先生が上桂駅から逆にいらして、そこで落ち合います。そして、午後3時前に広い墓地に出ました。そこからは住宅地の中を、阪急上桂の駅まで。けっきょく、実質歩いた時間は6時間弱ぐらいだと思います。

 意外と近いという印象です。ただし、旧道は狭い。馬一頭通れるかどうか。何千という兵が通るのは、あまりに隊列が長くなりすぎ、という印象です。旧山陰道の老の坂が正規の道ですから、この唐櫃越はやはり間道です。大軍勢の通過は想定しにくいのではないか。『太平記』には高氏が篠村八幡宮から「大江山ノ峠」を越えたとはあるが、この唐櫃越をしたという記録はないし、明智光秀も『信長公記』には「老の山に上り」とありますから、やはり老の坂を越えたと考えるべきだと思っています。「大江山」とは現在の「大枝山」で、それこそ老の坂のことではないでしょうか。『太平記』に高氏の八幡宮出発時「二万余騎」とあるのはおおげさにしても、数千騎の可能性はあるので、唐櫃越は無理でしょう。本隊は老の坂、一部が唐櫃越はありえると思いますが。

4月1日といえば美川先生。

No.6166

 元木先生、週に二度もの大きなイベントの企画・実施、お疲れ様でした。ともに大成功で祝着至極です。
 私にとりまして、上横手先生の祝賀会には、出席させて頂いただけでも光栄であるのに、祝辞を述べさせて頂く機会も与えて下さり、恐縮の極みでした。また、御出席の数多の著名な先生方とも御挨拶の機会を得ることが出来、本当に感謝に堪えません。
 また、元木研究室の院生の方々の御活躍ぶりにも感心させられました。

 美川先生、唐櫃越の詳報、ありがとうございます。ひょっとすると、義経の率いた平家追討軍の一手も逆方向にその峠を越えたのではないでしょうか。

 しかしながら、美川先生の4月1日の書き込みというと、思い出されるのが2004年
>>No.1671
http://donkun.ath.cx/~sion/bbs/yyregi.cgi?mode=past&pastlog=0004&page=70

それに2005年の>>No.3488
http://donkun.ath.cx/~sion/bbs/yyregi.cgi?mode=past&pastlog=0007&page=20
でありましょう(>>No.3505も)。

 懐かしい方たちのお名前も出てまいりますし、この掲示板も当時の方が活気がありましたね。

たしかに昨日は4月1日

No.6168

野口先生。たしかに昨日は4月1日でした。
もう一度、お読みいただければ幸いです。

エイプリル フール

No.6171

 わかりません。降参です。

エイプリルフール

No.6172

唐櫃越をしていただければ、すぐわかります。是非とも。いひひひ。

ようやく解決。

No.6188

 美川先生
 なるほど、「もちろん信号」は無いわけですね。

 本日の御報告「二つの古道-東高野街道と唐櫃越-」、たいへん勉強になりました。
 ありがとうございました。
 東高野街道は在京武力の供給ルートだったようですね。 

上横手雅敬先生喜寿記念祝賀会

No.6162

 昨日はインクラインの五分咲きの桜に彩られた蹴上のウェスティン都ホテルにおいて、上横手雅敬先生の喜寿をお祝いする会が開かれました。京都大学で先生の薫陶を受けた方たちが中心になって企画された、とても感動的で和やかな会でした(幹事は言うまでもなく元木先生。上横手先生はこの会の企画・運営主体を「元木プロダクション」と命名され、大変賞賛されました)。

 先生は御挨拶の中で、歴史学において実証は当たり前であり、問題なのは如何に面白い実証をするかということであること、政治史を中心とする総合史を構築し、「時代史」を考えなければならないということ、『平家物語』の注釈は歴史学が担うべきであること、京都における鎌倉時代研究を活性化すべきことなどを指摘されました。いつものように、先生のお話をうかがった私は、研究に対するモチベーションを大いに高めることができたという次第です。
 また、「下部構造が上部構造を規定する」という<健康理論!>にも大いに納得させられました。


 歴史学を志した頃の私にとって、若手研究者として憧れの対象であったのは、東では石井進先生、西では上横手先生でした。しかし、私には京大に入って先生の門下に加えていただけるような学力はなく、先生ははるかに遠い存在だったのです。ですから、このような会に出席させて頂いたことは感慨深いものがありました。

 上横手先生の御研究から学ばせていただいたことは、あげればきりがありませんが、僭越を承知で大きい枠組から申し上げさせて頂きますならば、それは、明確な問題意識、言い換えれば透徹した政治にたいする眼力に基づいた実証のものすごさ、あるいは観念論的なものに制約されない普遍性のある歴史学の実例を示して下さったことだと思います。先生の御研究はいつになっても新鮮です。

 上横手先生は、専門書のほかに一般向けの御本をたくさん書かれておられます。また、積極的に市民向けの講座を引き受けられ、追っかけのファンが出るほど、とても人気がおありです。日本人の歴史離れに警鐘が鳴らされている今日、研究者は自らの得た情報を社会や一般市民に分かりやすく還元する努力を積極的に果たさなければならないと思うのですが、その点においても上横手先生は率先垂範されておられるのだと思います。

 私が上横手先生に直接の御教導をいただくきっかけを得たのは、2000年秋に平泉で開催された市民対象のシンポジウム「源義経と平泉」に講師の一人として同席させていただいたことでした。その後、先生と御一緒する機会が多くなり、家が同じ方向であることから帰路を御一緒させていただくことがあるのですが、そのさい、電車に乗ってなんとか座って帰ろうと空席を探しているのが私。一方、先生はそんな素振りはみじんも見せずに吊革につかまって元気にお話しをされておられます。ちょうど先生と私は20歳違いなのですが、体力においては明らかに逆転しているのです。
 そんなわけですから、先生には遠慮無く、末長い御活躍をお願いしたい、ますます御指導をお願いしたいと存じております。


 ※ 今秋、上横手先生が院生クラスの関西の若手研究者を集めて開いておられる鎌倉時代研究会のメンバー(当ゼミ出身者も含む)による論集が思文閣出版から刊行される予定とのことです。
 この論集には上横手先生も「建永の法難」をテーマにした御高論を発表される由。「親鸞の時代」を研究課題とする私は本書の刊行を鶴首して待ちたいと思います。
 ちなみに、「建永の法難」は、浄土真宗では「承元の法難」と呼ぶようです。承元元年=建永三年というわけです。

2008年度研究所公開講座の御案内

No.6161

 新年度の公開講座のテーマが決まりましたのでお知らせいたします。

 ◇「王の装いと武家の空間」(シリーズ「東山から発信する京都の歴史と文化」⑩)
 
 日時:2008年6月28日(土)13:00~17:00 
 
 講演テーマと講師:
   ①「寝殿造と六波羅泉殿~総柱大型建物の意味~」
                     川本重雄(京都女子大学家政学部教授)
   ②「天皇と装束」
                     近藤好和(神奈川大学経済学部特任教授)

 会場(学内)など、詳細については追ってお知らせいたします。

 ☆ 日本文学の中村格先生(東京学芸大学名誉教授)より、御高論「桜井の別れを歌った二つの唱歌」掲載の『悠久のひびき』第三号を御恵送頂きました。戦前の唱歌が国民の思想形成に果たした役割を具体的に示された御論考です。
 中村先生は『太平記』に伝える楠木正成父子の映像が皇国史観によって如何に歪曲され、軍国教育に利用されたのかという問題に果敢に取り組まれている研究者で、私も常に多くのことを先生の御研究から学ばせて頂いております。
 中村先生にあつく御礼を申し上げます。 

興奮冷めやらぬ一週間

No.6159

 先に元木先生から御案内を頂きましたように、本日は亀岡で古文書学会の見学会があるのですが、私は残念ながら参加が叶わず、朝から研究室で事務仕事に追われております。

 タイトルのとおり、ゼミ諸姉兄の撮影した鈴木ご夫妻の結婚式・披露宴・同二次会の写真が当方のパソコンに集約されつつあります。いっそ、全部プリントアウトして研究室前の掲示板で「鈴木君・永富さん御成婚特集」でもやってみたら如何、という提案も出ているところです。
  もうお二人は新婚旅行の途上でしょうか。おそらくPC関係は万全の装備で御出立のことと思います。途中経過を報告せよなどという野暮は申しませんが、土産話を楽しみに致しております。

 土産話と言えば、昨日の見学会。総勢8名で充実した一日を過ごすことが出来ました。宇治の歴史資料館で最近の発掘調査による成果を確認し、また栗駒山の遺地と思われる宇治市神明の辺りも、おおよその地形を把握することが出来ました。
 山城・大和国境付近の神社境内では愛知から駆けつけてくれた野口君が「いまそこにある危機」に遭遇。説話の原型になりそうなエピソードをのこしました。
 あれは厄落としです。新年度の野口君に幸いあれ!

 本日、『紫苑』第6号の三校が印刷屋さんから届きました。若干修正を要するところがありますが、刊行はもう間近です。
 例のごとく、校正が複数重なって、予定していた書評の執筆が停滞しています。

☆ 鹿児島の尚古集成館で学芸員として御活躍の傍ら、女性の視点から幕末維新史を見直す研究を進めておられる寺尾美保先生より新刊の御高著『みんなの篤姫』(尚古集成館監修・南方新社)を御恵送いただきました。現在、大河ドラマで放送中の篤姫について、実証的成果をもとに、時代背景も含めて小学生にも分かりやすく述べた本です。子どもに表面的に迎合したようなものではなく、カラー写真が豊富な上、本の作りのセンスがよい。しかも、博物館学芸員の仕事や歴史学とは何であるかを子どもたちに啓蒙する上でも工夫された本だと感心いたしました。
 新年度には鹿児島県下の小中学校に寄贈されるとのこと。これは全国化してもよいと思われます。これは本当によい本です。とくに歴史系の博物館関係者や小中学校の先生には大いにお役に立ち、かつ仕事に意欲を持たせてくれることでしょう。
 ちなみに、定価は1500円+税。 

見学会報告

No.6160

 ◆昨日は宇治から奈良にかけての見学会を行いました。京都女子大学宗教・文化研究所2007年度共同研究「中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅱ『「権門都市」宇治の成立』」第二回研究会、京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナール2007年度例会「-宇治見学会-」、という触れ込みだったのですが、宇治から南へ足(クルマ)を伸ばして浄瑠璃寺・岩船寺・般若寺などを見学しました。
 摂関家の権門都市との再評価がなされつつある宇治のみならず、京都と南都を繋ぐ地域を北から順に辿ったわけですが、このエリアは中世においては「首都圏」という見方もできると思われ、そういった視点から多面的な考察が必要かと思われます。今回は幸いにして概ね天候にも恵まれましたので、これらの地域を見学して回る絶好の機会となりました。
 さて、浄瑠璃寺ではご住職の法話を拝聴しながら九体阿弥陀如来像や西方浄土を模した境内の様子を見学しました。
 続いて見学した岩船寺では、本尊・阿弥陀如来座像に圧倒されました。また境内後山からの眺めはまさに絶景で、木津川水系や生駒山系などを見渡すことができました(あと、いかにも崩れ落ちそうな柵に足や腰を掛けてはいけないということも間近で学ぶことができました)。
 般若寺は「コスモス寺」とも呼ばれるお寺ですが、いまはちょうど水仙が見頃で、境内至る所に咲き満ちていました。往事を偲ばせる十三重塔や、本尊・文殊菩薩騎獅子像など、どれも印象的なものばかりでした。お向かいの植村牧場さんのソフトクリームも濃厚でまろやかな絶品でした(牛乳も)。
 その後、東大寺南大門前から旧大乗院庭園、などを通過して帰路に就きました。
 今回の見学では、京都から南都に至るまでの地域の豊かな文化環境と、それを可能たらしめた政治的・社会的諸要因などについて思いを巡らすきっかけを得ることができたように思います。この地域については、今後も積極的に見学会を開催するなどして、理解を深めることができればと思います。
 最後になりましたが、ご参加いただきました皆さんには、あらためて御礼申し上げます。

 ◆本日は、>>No.6128で元木先生よりご案内頂きました日本古文書学会の見学会へお邪魔して参りました。
 亀岡市文化資料館に寄託されている篠村八幡の足利高氏願文のほか数点の文書を閲覧させてていただき、さらに上島有先生のご解説を拝聴することができました。文書を前にしてみなさんのお話を伺い、また文書を眺めることを繰り返すうちにあっという間に時間が過ぎましたが、大変貴重な機会となりました。
 今回も見学会のご案内をしていただき、当日も様々なお世話をして頂きました元木先生と研究室のみなさんに御礼申し上げます。

Just Married!!

No.6154

野口実先生・野口孝子先生・その他挙式・パーティ参加者の皆様へ

先日は、お忙しい中お越しいただきありがとうございました。
心配していた雨も、なんとか披露宴の開始時間まで持ち、予定していたプログラム?をすべて終えることができました。
昨年の7月より準備をすすめて参りましたが、こられた皆様に楽しんでいただきたいという事ははもちろんですが、一生に一度のイベントなので、私たち自身がやりたいことをすべてやるという気持ちで、計画を練ってきました。

掲示板にも掲載してくださっていますが、先生からのご祝辞をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
私個人としても、まったくの専門外の分野だったのですが、今の進路を決定する上での大きな影響を、野口ゼミから受けたと思っています。同志社に縁があったという事もそうですが、学ぶことのおもしろさ、突き詰めることの楽しさを、活動の様子をうかがう中で、実感できたからこそ、教員になろうと決断できたのだと思います。

ペーパーアイテムやBGMの進行など、オリジナルに出来るところはほぼすべて自分たちで作ったのですが、披露宴本番は、式場のスタッフに言われるがまま、気がつけばお開きの時間になってしまったという状況でした。夢心地というか、あっという間でしたが、もちろん満足感で一杯です。
参加された方が楽しんでいただけたかどうか、直接伺うことは出来ませんでしたが、家に着いてからたくさんメールをいただいて、それも本当にうれしく思い感謝をしています。

婚姻届を提出した時は、それほど実感はなかったのですが、やはり式を挙げると、「家族ができたんだな」という気持ちになりました。これから先もみなさんにご迷惑をおかけすることいなりますが、これからもよろしくお願いいたします。

当日の同志社高校チャペルでの写真を、アップしました。旅行に行く前に速報版という形で、ご覧ください。
http://donkun.info/photo/

ありがとうございました

鈴木絵里子(旧姓:永富)
No.6155

先日は私たちの結婚式・披露宴・二次会に出席していただきありがとうございました
準備をしている段階では不安がいっぱいあったのですが、当日は大好きな人たちにかこまれ、祝福していただき本当に幸せな気持ちでいっぱいになりました。
ありがとうございました。

また、結婚式に出席できなかった方々からもたくさんの暖かい気持ちのこもったお手紙や電報、お祝いの品をいただきました。
おひとりおひとりへのお返事は新婚旅行から帰ってからまたあらためてお送りさせていただきたいと思っていますが、取り急ぎこの場をお借りしてお礼を言わせていただきます。
ありがとうございました

そろそろ新年度の『吾妻鏡』

No.6149

 少し間が空いてしまいましたが、四月の『吾妻鏡』のご案内です。いつもとは違って木曜日開催ですのでお気をつけください。

 日時:2008年4月3日(木)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』文暦二年(嘉禎元年)九月十日、十一月十四日、二十六日、十二月十一日、二十日、二十四日、二十六日、二十九日、
         嘉禎二年正月一日、十七日、二月二十二日、二十八日、三月七日、十三日、十四日、二十日、二十一日、四月二日、四日、五月二十四日、六月五日、六日、十一日、二十六日、二十七日、七月十日、十七日、二十四日、二十五日、八月三日、四日、五日、九日、二十日、九月九日、十日、十月二日、五日、二十九日、十一月一日、十三日、十四日、十五日、十二月三日、十九日、二十九日の各条
  (※少し先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、その都度お知らせ下さい。)

 今年度はおかげさまで「女子大のゼミっぽい」雰囲気で読み進めることができたのですが、或いは卒業されたり或いは進学されたりで、そのメンバーもがらっと入れ替わる気配です。みなさんそれぞれの道を歩まれるのは誠に喜ばしいことなのですが、今のところそれに替わる方からの参加表明を頂けないでいます。
 いつものことですが、「春からなにか始めよう」という新規メンバー随時募集中ですので、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

◆3/26(水)の宇治見学会も近づいてきました。ご案内を三度掲出します。
 (日時)3月26日(水)、10:30~
 (集合場所)JR六地蔵駅改札前
 (見学予定地)平等院、宇治市街地の遺跡、神明地区周辺、など
        (※徒歩での見学が主となる予定です)
 参加希望の方は、前日(3/25)までに岩田か野口先生までご連絡いただきますようお願い致します(すでにご連絡いただいた方は結構です)。いまのところ六名の方からの参加のお問い合わせを頂いております。

明日の史跡見学会について

No.6151

 明日の見学会ですが、宇治共同研究の現地調査にゼミメンバーおよび希望者が個人的に同行するという形で行います。なお、見学の範囲は宇治から奈良までのエリアを視野に入れていますので、見学先が予定から大幅に変更になることがあり得ます。また、そのために、移動方法も徒歩ではなく、自動車になるかも知れません。
 天候の問題もありますので、最終的には集合時点で決定したいと思います。
 おたのしみに。

鈴木君・永富さんの御結婚への祝辞

No.6145

 晴れて鈴木御夫妻、本日は本当におめでとうございました。
 さすがの結婚式・披露宴でした。

 ゼミの歴史にとっても大事件ですから、以下、私の拙い祝辞を抄録させて頂きます。

 私は新婦の卒業した京都女子大学の教員を致しております。京都女子大学には宗教・文化研究所という研究所があり、そこで私は履修課程とは別に大学の枠を越えたメンバーを集めて歴史学を中心にしたゼミを開いているのですが、新婦はそのゼミの発展の立役者とも云うべき役割を果たしてくれました。
 新婦が二回生の時、私の担当した演習科目に出席されておりましたが、そのメンバーはなかなか活発な人が多く、授業が五講時目でしたので、授業時間が終わっても私の研究室に場所を変えて喧々囂々の議論を続けていました。その中心が新婦こと永富さんであり、史学科の学生さんであるということもあって積極的に研究所のゼミに参加して下さいました。
 当時の研究所ゼミは京都女子大学の学生の参加はほとんど無くて、いわば昨今の地方都市に見られるシャッターのしまったお店ばかりが並んだ閑散とした商店街という有様だったのですが、これをあっという間に立て直して京都駅ビルの伊勢丹のようにしてくれたのが新婦でした。
 その際に新婦の秘密兵器として活躍してくれたのが新郎です。最初は「秘密兵器」でしたが、そのうちゼミの中心メンバーにおさまりました。あっという間にゼミのHPを立ち上げてくれたり、ゼミ旅行の幹事を引き受けてくれたり、理系の情報教育が御専門の新郎鈴木君が歴史学や国文学専攻のメンバーに交じって活動しているのは当方にとっては大変有り難いことでした。
 ちなみに、ゼミのHPは現在も新郎・新婦に管理人を引き受けて頂いておりますが、その掲示板のアクセスはこのところ増加の一途を辿り、歴史学・国文学の研究者にもよく知られるにいたったため、ゼミメンバーが恐れをなして書き込みを躊躇するという事態に立ち至っております(笑)。
 新郎は当初、情報教育という専門領域を究めるために大学院への進学を考え、直接専門領域の研究者に相談するために東京に赴くということもされていましたが、その頃ちょうど、現在の勤務先に情報教育科が新設され、その教員公募がされたことで、これぞまさしく自分の活躍すべき場が用意されたとばかりに方針を転換、そして思惑通りに採用決定という理想的な進路決定の範を示されました。自らのもつ才能をもってチャンスを的確につかんだ鈴木君の行動は、真剣に自分の将来を考えている周囲の若者たちに大きな希望を与えたものと思います。
 ここにお話しいたしましたのは、新郎新婦の御活躍のほんの一端に過ぎませんが、なにしろこのお二人の進むところには向かうところ敵無しだと思います。結婚すれば一プラス一が三以上の成果をもたらすなどとよく披露宴のスピーチで云われますが、このお二人の場合は三どころではない。もう一桁、あるいは二桁上も期待できると思っています。
 人の一生において、生と死は自己選択の範疇にありませんが、今日の社会において、結婚・配偶者の選択はまさに自己の責任に帰するものてあり、一方のパートナーの評価がもう一方のパートナーの評価に直結することになるのだろうと思います。
 結婚はゴールインなどといわれることがありますが、パートナーシップによる自己実現のスタートラインに立ったというのが本当でしょう。お二人は、どんな障害でも乗り越えていかれるであろうと思いますが、これからが人生の本番ですから助け合って、社会に大きな足跡を残して頂きたいと思います。

 ※ 結婚式などの模様はゼミメンバーのブログに掲載されています。

鈴木君・永富さんへのお礼

No.6148

 ご結婚おめでとうございます。
 結婚式に伺うことはできませんでしたが、ご招待いただきました二次会も、時間を忘れる楽しいひとときでした。お二人のことが大好きな仲間たちと共有しあえる、本当に幸せな場所でしたね。

 そもそも、私が当ゼミに出入りすることになったきっかけは、野口先生のご紹介にもありますようにご夫妻が管理人を務めてくださっている、この掲示板でした。掲示板の一視聴者(?)でしかなかった私がゼミへの参加を決心したのも、この管理・運営を通じていつも楽しい雰囲気を発信してくださっていたからでした。
 その後、私はこのゼミを通じて実に多くのチャンスを頂くことができましたが、そのきっかけを作ってくださったご夫妻に改めて感謝申し上げます。

幸せいっぱいです

鈴木絵里子(旧姓:永富)
No.6156

野口先生>
お礼が遅くなってしまいましたが、先日はすばらしいご祝辞をいただきありがとうございました
本当にもったいないぐらい褒めていただいて
どう反応していいやら・・・披露宴中照れてちっちゃくなってしまいました。

本当にありがとうございました

岩田さん>
先日はご出席いただきありがとうございました
いただいたお祝いの品(スターバックスの桜のカップ)は早速大活躍しております
私たちの披露宴のテーマは「桜」だったのでまさにぴったりで
そのカップでコーヒーを飲むたびに結婚式当日の思い出に浸って「ほわわーん」としております(そうじゃなくてもいつもボーッとしてますが。。。☆)
ありがとうございました
大切に使わせていただきます