上横手雅敬先生喜寿記念祝賀会
No.6162
昨日はインクラインの五分咲きの桜に彩られた蹴上のウェスティン都ホテルにおいて、上横手雅敬先生の喜寿をお祝いする会が開かれました。京都大学で先生の薫陶を受けた方たちが中心になって企画された、とても感動的で和やかな会でした(幹事は言うまでもなく元木先生。上横手先生はこの会の企画・運営主体を「元木プロダクション」と命名され、大変賞賛されました)。
先生は御挨拶の中で、歴史学において実証は当たり前であり、問題なのは如何に面白い実証をするかということであること、政治史を中心とする総合史を構築し、「時代史」を考えなければならないということ、『平家物語』の注釈は歴史学が担うべきであること、京都における鎌倉時代研究を活性化すべきことなどを指摘されました。いつものように、先生のお話をうかがった私は、研究に対するモチベーションを大いに高めることができたという次第です。
また、「下部構造が上部構造を規定する」という<健康理論!>にも大いに納得させられました。
歴史学を志した頃の私にとって、若手研究者として憧れの対象であったのは、東では石井進先生、西では上横手先生でした。しかし、私には京大に入って先生の門下に加えていただけるような学力はなく、先生ははるかに遠い存在だったのです。ですから、このような会に出席させて頂いたことは感慨深いものがありました。
上横手先生の御研究から学ばせていただいたことは、あげればきりがありませんが、僭越を承知で大きい枠組から申し上げさせて頂きますならば、それは、明確な問題意識、言い換えれば透徹した政治にたいする眼力に基づいた実証のものすごさ、あるいは観念論的なものに制約されない普遍性のある歴史学の実例を示して下さったことだと思います。先生の御研究はいつになっても新鮮です。
上横手先生は、専門書のほかに一般向けの御本をたくさん書かれておられます。また、積極的に市民向けの講座を引き受けられ、追っかけのファンが出るほど、とても人気がおありです。日本人の歴史離れに警鐘が鳴らされている今日、研究者は自らの得た情報を社会や一般市民に分かりやすく還元する努力を積極的に果たさなければならないと思うのですが、その点においても上横手先生は率先垂範されておられるのだと思います。
私が上横手先生に直接の御教導をいただくきっかけを得たのは、2000年秋に平泉で開催された市民対象のシンポジウム「源義経と平泉」に講師の一人として同席させていただいたことでした。その後、先生と御一緒する機会が多くなり、家が同じ方向であることから帰路を御一緒させていただくことがあるのですが、そのさい、電車に乗ってなんとか座って帰ろうと空席を探しているのが私。一方、先生はそんな素振りはみじんも見せずに吊革につかまって元気にお話しをされておられます。ちょうど先生と私は20歳違いなのですが、体力においては明らかに逆転しているのです。
そんなわけですから、先生には遠慮無く、末長い御活躍をお願いしたい、ますます御指導をお願いしたいと存じております。
※ 今秋、上横手先生が院生クラスの関西の若手研究者を集めて開いておられる鎌倉時代研究会のメンバー(当ゼミ出身者も含む)による論集が思文閣出版から刊行される予定とのことです。
この論集には上横手先生も「建永の法難」をテーマにした御高論を発表される由。「親鸞の時代」を研究課題とする私は本書の刊行を鶴首して待ちたいと思います。
ちなみに、「建永の法難」は、浄土真宗では「承元の法難」と呼ぶようです。承元元年=建永三年というわけです。
先生は御挨拶の中で、歴史学において実証は当たり前であり、問題なのは如何に面白い実証をするかということであること、政治史を中心とする総合史を構築し、「時代史」を考えなければならないということ、『平家物語』の注釈は歴史学が担うべきであること、京都における鎌倉時代研究を活性化すべきことなどを指摘されました。いつものように、先生のお話をうかがった私は、研究に対するモチベーションを大いに高めることができたという次第です。
また、「下部構造が上部構造を規定する」という<健康理論!>にも大いに納得させられました。
歴史学を志した頃の私にとって、若手研究者として憧れの対象であったのは、東では石井進先生、西では上横手先生でした。しかし、私には京大に入って先生の門下に加えていただけるような学力はなく、先生ははるかに遠い存在だったのです。ですから、このような会に出席させて頂いたことは感慨深いものがありました。
上横手先生の御研究から学ばせていただいたことは、あげればきりがありませんが、僭越を承知で大きい枠組から申し上げさせて頂きますならば、それは、明確な問題意識、言い換えれば透徹した政治にたいする眼力に基づいた実証のものすごさ、あるいは観念論的なものに制約されない普遍性のある歴史学の実例を示して下さったことだと思います。先生の御研究はいつになっても新鮮です。
上横手先生は、専門書のほかに一般向けの御本をたくさん書かれておられます。また、積極的に市民向けの講座を引き受けられ、追っかけのファンが出るほど、とても人気がおありです。日本人の歴史離れに警鐘が鳴らされている今日、研究者は自らの得た情報を社会や一般市民に分かりやすく還元する努力を積極的に果たさなければならないと思うのですが、その点においても上横手先生は率先垂範されておられるのだと思います。
私が上横手先生に直接の御教導をいただくきっかけを得たのは、2000年秋に平泉で開催された市民対象のシンポジウム「源義経と平泉」に講師の一人として同席させていただいたことでした。その後、先生と御一緒する機会が多くなり、家が同じ方向であることから帰路を御一緒させていただくことがあるのですが、そのさい、電車に乗ってなんとか座って帰ろうと空席を探しているのが私。一方、先生はそんな素振りはみじんも見せずに吊革につかまって元気にお話しをされておられます。ちょうど先生と私は20歳違いなのですが、体力においては明らかに逆転しているのです。
そんなわけですから、先生には遠慮無く、末長い御活躍をお願いしたい、ますます御指導をお願いしたいと存じております。
※ 今秋、上横手先生が院生クラスの関西の若手研究者を集めて開いておられる鎌倉時代研究会のメンバー(当ゼミ出身者も含む)による論集が思文閣出版から刊行される予定とのことです。
この論集には上横手先生も「建永の法難」をテーマにした御高論を発表される由。「親鸞の時代」を研究課題とする私は本書の刊行を鶴首して待ちたいと思います。
ちなみに、「建永の法難」は、浄土真宗では「承元の法難」と呼ぶようです。承元元年=建永三年というわけです。