東アジア恠異学会第4回大会のご案内。

No.6142

「ローテーションの谷間」というわけではありませんが…(笑)。
佐伯です、こんばんは。
どうもご無沙汰しております。
本日は、今週開催されます東アジア恠異学会大会のご案内をさせていただきます。


東アジア恠異学会第4回大会
日時:2008年3月20日(木・祝)12:00~

大会テーマ~「室町の怪異」~
報告1 西山克氏(関西学院大学教授)
報告2 大田壮一郎氏(龍谷大学非常勤講師)「「室町殿の王権」と宗教-怪異の視点から考える-」
報告3 永原順子氏(国際日本文化研究センター機関研究員)「能の「不思議」 ―能における霊魂観―」
報告4 高谷知佳氏(京都大学准教授)「首都の不安と怪異」

会場:関西学院大学上ヶ原キャンパス B号館102教室
大会参加費:500円(資料代)


詳細は公式HP(http://kaiigakkai.hp.infoseek.co.jp/taikai4.htm)もご参照下さい。


報告者は、みなさん室町期研究の第一線に立つ方ばかりです。ぜひ奮ってご参加下さい。
当日佐伯は受付におりますので、初めての方もどうか気兼ねなくお越し下さいませ。
宣伝失礼いたしました。


鈴木くん・永富さんの結婚式もいよいよ近付いてきましたね。
みんなでお祝いできるのを、心から楽しみにしています。

もろもろの御連絡

No.6138

 >『台記』研究会御出席の皆様
 御連絡が遅くなりましたが、明日の『台記』研究会では、平家の坂東支配をテーマにした報告をさせていただきたいと思います。
 これまで、見過ごされていた二つの事実を取り上げて、平家政権あるいは清盛にとって東国(坂東)はどのように評価されていたのかという問題を 「鎌倉幕府論」構築の一前提として考えてみたいと思います。
 諸般の事情により準備不足は明らかなのですが、多くの御教示を頂ければ幸いです。
 
 >岩田君  『入門吾妻鏡』について、PCにメールを転送させていただきました。宜しく対応をお願いいたします。

 >『紫苑』第6号執筆者の皆様  再校の校正、宜しくお願いいたします。

校正は大事です

No.6139

>野口先生
 『入門吾妻鏡』についてのご連絡、お預かり致しました。今後のことにつきまして、同様にPCメールをお返ししました。

 ところで、また掲示板の投稿者名が「権藤・権藤・雨・権藤」みたいになってきましたね(泣)

ソレントから帰られた大森さんがゼミに復帰

No.6140

 今日の京は「雨」でした。岩田君の御指摘に従えば明日の登板もまた「権藤」でしょう。

 本日は久方ぶりに元木先生の研究室を訪問。改装された研究室は新築の如し。
 『台記』研究会では、当方の発した疑問に対して、元木先生から極めて納得のいく御教示を頂くことが出来、これで論文が一本書けるように思えます。
 若い頃なら一気呵成に取り組んだことでしょう。

 「若い頃は」といえば、一生懸命に書いた原稿が印刷されて戻ってきたとき、すなわち校正ゲラが届くのがとても楽しみだったものです。自分の書いたものを世に出す作業ですから、校正も楽しかった。超満員の通勤電車の中で吊革につかまりながら論文を読み、少しでも時間があれば論文の執筆に取り組んでいた、あの頃の自分が懐かしい。
 それは何かと大変でしょうが、今の私には、なにしろ若い人がうらやましい。

 読書会まで開いていただいて何かとお騒がせした某論文集の書評ですが、今年の6月号に掲載が決まりました。校正ゲラは今月下旬に届くそうです。
 
 今週は腰痛と花粉症に加えて偏頭痛とヘルペスの後遺症の神経痛に悩まされておりましたが、お陰様で回復に向かいつつあり、昨日は国際日本文化研究センターで開催された千田稔先生・今谷明先生の退任記念講演会に出掛けてまいりました。こういう節目の講義・講演では、いつもと違うプラスアルファの学びがあります。
 千田先生・今谷先生には、今後とも宜しく御教導をお願い申しあげる次第です。

 御報告が遅くなりましたが、月曜日の『吾妻鏡』講読会には、ソレントから帰国された大森さんが久方ぶりに御参加下さいました。ポンペイの遺跡の現況と復元図が見事に組み込まれたガイドブックをお土産にいただきました。
 「帰れソレントへ」のソレントから京都に帰られた大森さん、今後とも宜しくお願いいたします。

 さて、明日(15日)は京都女子大学の卒業式。卒業・修了されるみなさんの御多幸を祈ります。

拝受御礼

No.6141

 予定通り「権藤」の登板です。

 昨日、院政期の研究で知られる槇道雄先生から、新刊の御高著『日本中世武士の時代 越後鮎相川城の歴史』(新人物往来社)を御恵送いただきました。
 武士を主軸にした地域史というのは、ともすると郷土礼賛の方向に傾きがちなのですが、さすがに本書はひと味も二味も違う学術的に精巧な内容です。
 私もこういう本を書きたかったのですが、もう無理でしょう。
 槇先生にあつく御礼を申し上げます。

 また、鶴見大学の平藤幸先生からは、御高論「『平家物語』安徳天皇大嘗会延引記事の意義」(『国文鶴見』42)を御恵送いただきました。いつものように、平藤先生の御研究は歴史専攻者にも大いに益するところがあります。
 平藤先生にあつく御礼を申し上げます。

 少し時間がとれたので、最近いただいた優れた御高論を拝読させていただいておりますが、その中でとくにインパクトがあったのが桃崎有一郎「中世後期身分秩序における天皇と上皇・室町殿-身分尺度としての陣中・洛中の分析から-」(『史学雑誌』117-1)です。この論文は中世王権論・国家論はもとより、中世京都の空間構造を考える上でも重要な成果だと思いました。

 今日は16日、いよいよ鈴木君・永富さんの結婚式まで、あと一週間ということになりましたね。いろいろ準備でお忙しいことと思います。
 私は披露宴のスピーチと、礼服のウェストのサイズを心配しています。前者はちゃんと原稿を用意すること、後者は節食と運動で対応すべきなのでしょうが、間に合うかどうか。 

 >八井君 お誕生日の由、おめでとうございます。
       いよいよの御活躍を期待しています。

宇治見学会のご案内

No.6135

 先日、当掲示板上で野口先生からご連絡いただいた宇治の見学会についてご案内します。

 京都女子大学宗教・文化研究所2007年度共同研究「中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅱ『「権門都市」宇治の成立』」第二回研究会、京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナール2007年度例会「-宇治見学会-」

 (日時)3月26日(水)、10:30~
 (集合場所)JR六地蔵駅改札前
 (見学予定地)平等院、宇治市街地の遺跡、神明地区周辺、など
        (※徒歩での見学が主となる予定です)

 今年度は、年度の初頭に書評会を開催して以来、これといった共同での活動実績がありませんでしたが、宇治に関する理解を深め、それを共有する機会にしたいと思います。共同研究員のみなさんはもちろん、ゼミメンバーの積極的な参加を募りたいと思います。

高橋昌明先生の最終講義

No.6136

>岩田君  宇治見学会の御案内をありがとうございました。なお、集合時刻について、当方の都合で変更(10:00→10:30)させていただきました。御了承下さい。

 本日(9日)、本年度末で定年を迎えられる高橋昌明先生の最終講義を聴きに神戸大学に行って参りました。「私の歴史研究」という題目で、御自身から直接、御経歴と研究者としての道程をうかがうことが出来たのは貴重でした。
 お話しの中の枝葉末節な部分に関することで恐縮なのですが、やはり、お酒が飲めないと先学からの貴重な本音をうかがうチャンスを逃すものであることを再確認させられました。今となっては健康上の理由で避けざるを得ないのですが、若い頃からアルコールが苦手で酒席を敬遠していた私にとっては少しばかり辛いものがございます。
 会場には同志社高校から神戸大学大学院にいたる教え子や同学の研究者の方たちが各地(遠くは平泉からも)から参集され、会場の瀧川記念学術交流会館は「立ち見」ならぬ「立ち聴き」で埋め尽くされる盛況ぶりでした。
 当方のゼミに属しながら神戸大学大学院高橋ゼミに進学した平田さん・山本君にも久方ぶりにお目にかかることが出来ました。新年度から同大学院に進学する予定の小野さんにとっても、高橋先生のお話は学問に対する意欲を大いに刺激するものだったのではないでしょうか。
 高橋先生には、定年後もますますの御活躍と、変わらぬ御指導・御鞭撻をお願い申し上げる次第です。
 私は自らの体調などを考慮して出席できませんでしたが、このあと新神戸オリエンタルアベニューの「金寶来」で開かれたパーティーも大盛会だったとのことです。

 腰痛は一進一退ですが、洗顔やお辞儀をする時に腰をかがめるのが痛くて辛い以外は、なんとか日常活動をこなせるようになりました。

 ☆ 本日、慶應義塾大学の桃崎有一郎先生より、御高論「昇進拝賀考」(『古代文化』58-3)ならびに「中世後期身分秩序における天皇と上皇・室町殿」(『史学雑誌』117-1)を御恵送いただきました。ともに、目下、私にとって大変関心のある問題に関説した論文で、ありがたい限りです。
 桃崎先生にあつく御礼を申し上げます。

宇治見学会、続報

No.6137

>野口先生
 開始時間についてのご案内をいただきましてありがとうございます。
 
 さてその宇治見学会ですが、諸方からの反響を鑑み、参加予定者の把握のため出席確認を行いたいと思います。参加希望の方は、前日(3/25)までに岩田か野口先生までご連絡いただきますようお願い致します(すでにご連絡いただいた方は結構です)。

送別の季節

No.6134

 本日は、本学宗教部長で宗教・文化研究所長を兼ねる佐々木恵精先生の送別会がリーガロイヤルホテル京都で開催されました。佐々木先生には、私は本学就任以来お世話になりどおしで、研究所ゼミの発展も先生の御理解と御支援があったればこそのことでした。
 佐々木先生に深甚なる謝意を表する次第です。

 ギックリ腰は西洋では「魔女の一撃」と呼ばれるのだそうですが、今回の「一撃」の後遺症はかなり執拗で、なかなかホモ・サピエンスにたどり着けないでおります。「進化論」を自分で演じている歴史学者というのはシャレになりません(私は結局「退化」するかもしれませんが)。
 花粉の飛散も本格化したようで、鼻も片方が一日中つまったままという有様。今月は、最低、研究報告を一件行い、書評一本を仕上げなければならないのでありますが。これは大いに支障有りです。

 ☆ 日本大学の鈴木國弘先生より、御高論「鎌倉幕府「守護」設置の目的-「奧郡」と「陸奥所」の検討を通して-」(『史叢』76)ならびに「日本中世自力救済世界の構造論ノート-服部良久編『紛争のなかのヨーロッパ中世』の検討から-」(日本大学文理学部人文科学研究所『研究紀要』74)を御恵送いただきました。
 前者は北条時定(時政の眼代)の評価に関わる内容を含みます。
 鈴木先生にあつく御礼を申し上げます。

☆ 本日、滋賀県立大学の京樂真帆子先生より、新刊の御高著『平安京都市社会史の研究』(塙書房)を御恵送いただきました。本書の詳細は
  http://www.hanawashobo.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=978-4-8273-1218-8
を御覧下さい。また、先生御自身による本書の紹介は 
  http://ukyomaru.cocolog-nifty.com/hitorigoto/2008/02/index.html
の2月17日条を御参照下さい。
 京樂先生に論文集御上梓のお祝いと御恵送に対する御礼を申し上げます。
 ちなみに、京樂先生のブログは、歴史学関係者のみならず大型犬を飼っている愛犬家の方たちにもファンが多いことで有名です。

 >岩田君  『入門吾妻鏡』のことと宇治見学会についての御連絡、ありがとうございました。

窓の外は、青空に雪の舞い散る東山

No.6133

 >07年度共同研究員(情報処理担当は除く)の皆様
 来年度に刊行される研究所『研究紀要』あるいは『紫苑』への研究成果の投稿希望をうかがいたいと思います。
 『研究紀要』は400字20枚程度で、締め切りは8月末(確定)、『紫苑』は50枚程度で締め切りは11月末(野口案)です。 
 ちなみに、07年度共同研究の研究テーマは「「権門都市」宇治の成立(中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅱ)」で、メンバー(敬称略)は文献史学:佐伯・岩田・佐藤・長村・辻・坂口・樋口、国文学:田中・雨野、考古学:大原です。
 すでに掲載された方も含めて、積極的なお申し出を期待いたします。なお、希望者が多数の場合は、ご相談の上、調整させていただきます。

 すでに刊行をお知らせした、『研究紀要』第21号掲載の
  野口実・佐伯智広・田中裕紀・大原瞳「摂関家の空間における政治と文化(中世前期の宇治に関する
                        総合的研究Ⅰ)」
の内容ですが、これは実質的には佐伯君・田中さん・大原さんによる3本の論文を三章に配し、前後の拙文をもって一つの論文の体裁にまとめたものです。すなわち、その三章個々の論題は、

   「保元三年宇治御幸の史的意義」(佐伯智広)
   「覚一本『平家物語』における頼政最期と宇治」(田中裕紀)
   「宇治地域における中世土器研究の課題と今後の展望」(大原瞳) 

という次第。ぜひ、多くの方々にお読みいただきたいと思います。

 ☆ 東北芸術工科大学の入間田宣夫先生より、御高論「置賜と会津」(山形県地域史研究協議会『地域史研究』33)を御恵送いただきました。入間田先生にあつく御礼を申し上げます。

 * ギックリ腰、おかげさまで歩行形態は「人類」に近づいて参りました。
  メールでお見舞いをいただいた皆様に、この場を借りて御礼申し上げます。

『紫苑』の合間の『吾妻鏡』

No.6129

 本日から中二日のやや過密日程となりますが、次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2008年3月3日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』文暦二年(嘉禎元年)二月十日、三月十八日、四月一日、二日、五月十三日、十六日、二十三日、六月十九日、二十一日、二十九日、三十日、閏六月三日、十五日、二十八日、七月二日、七日、十一日、二十三日、二十四日、二十七日、二十九日、八月十八日、二十一日、九月十日、十一月十四日、二十六日、十二月十一日、二十日、二十四日、二十六日、二十九日の各条
  (※少し先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)

 なお当日は広島から尻池さんが上洛(凱旋?)される由、みなさんで賑やかにお迎えしましょう。
 また、3月は10日(月)も開催予定です。各種イベントや『紫苑』の二校目なども日程に上ってくるかと思いますが、意欲的に取り組んでまいりましょう。

 ※『入門吾妻鏡』初校もお預かりしておりますが、こちらは岩田の手元で若干整理しましてから校正作業をお願いしようと考えております。執筆者のみなさんにはもうしばらくお待ちいただきたいと思いますので、その旨よろしくお願いします。

道に倒れて『吾妻鏡』を読み続けたことはありますか

No.6131

 A地下の食堂でお昼をいただいていると、中島みゆきさんの「わかれうた」(のカバー曲)がBGMで流れてきました。オリジナルをご存じの学生さんはどのくらいいるんでしょうか。

 次回の『吾妻鏡』の予定は以下の通りです。
 日時:2008年3月10日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』文暦二年(嘉禎元年)七月二日、七日、十一日、二十三日、二十四日、二十七日、二十九日、八月十八日、二十一日、九月十日、十一月十四日、二十六日、十二月十一日、二十日、二十四日、二十六日、二十九日、
         嘉禎二年正月一日、十七日、二月二十二日、二十八日、三月七日、十三日、十四日、二十日、二十一日、四月二日、四日、五月二十四日、六月五日、六日、十一日、二十六日、二十七日、七月十日、十七日、二十四日、二十五日、八月三日、四日、五日、九日、二十日、九月九日、十日、十月二日、五日、二十九日、十一月一日、十三日、十四日、十五日、十二月三日、十九日、二十九日の各条
  (※少し先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、その都度お知らせ下さい。)
 今日読んだ範囲にもいろいろなネタが転がっていましたが、とりわけ源保茂は要注意人物ですね。

 また本日は、広島から凱旋された尻池さんにもほぼ一年ぶりにご参加いただきました。お菓子までご用意いただいてありがとうございます。ご活躍の由、なによりです。

 次回は、今のところの予定では今年度最後の『吾妻鏡』となります。今年度も参加者みなさんの積極性に支えられながら読み続けることができました。ありがとうございます。来年度もどうぞよろしくお願いします。

ギックリ腰

No.6132

 本日(3日)は山岡さん・岩田君が午前中から、執筆者から集約した初校校正ゲラの取り纏めをしてくださり、お陰様で夕刻、印刷屋さんに渡すことができました。本当にありがとうございました。
 今回の校正は国内各所のみならず、ヘルシンキ空港からの送信など、国際的規模で情報伝達がなされた上で完成されたもので、『紫苑』編集史上特記すべきことでありました。

 私こと、日ごろ、諸方からの御忠告を無視して体重増加を放置していた上に、先週土曜日、鎌倉で調査活動の際、無理を承知で重い荷物をひっさげて歩き回った結果、数年ぶりにギックリ腰が再発。椅子から起ち上がるのが難儀で、腰が固まってしまい、昔の漫画に出てくるロボットのような歩き方しかできなくなっております。
 しかし、鎌倉での調査の成果は大きく、あらためて現地に臨むことの大切さを「痛」感いたしております。
 岩川拓夫さんから御案内いただいた今年度開催の中世史サマーセミナー(鹿児島)は、その意味からも大いに参加の価値があります。

 本日の『吾妻鏡』講読会には久しぶりに尻池さんが里帰り。論文執筆が一段落した長村君も加わってにぎやかな会となりました。次回10日は、岩田君からの御案内の通り、いよいよ今年度最終回です。
 なお、月末には宇治の見学会が計画されています。
 元木先生から御案内いただいた古文書学会見学会へも、積極的に参加してください。

 ☆ 鹿児島県霧島市教育委員会の重久淳一先生より、大隅国正八幡宮社家館跡の発掘調査の成果に関する報告書4冊、および、これらの成果に基づく『平家物語の世界を訪ねて 堀と土塁に囲まれた館―神宮社家跡の調査-』(霧島市教育委員会,2007年)を、最新の情報とともに御恵送いただきました。これは、武士論研究の上からも貴重な資料として大いに活用できそうです。
 重久先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 鹿児島県歴史資料センター黎明館より、『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺 家わけ十一』・『鹿児島県史料 西南戦争 第四巻』を御恵送いただきました。これまた、あつく御礼を申し上げます。 

 ☆ 東海大学の落合義明先生より、御高論「武蔵武士河越氏の成立と発展」収録の『河越館跡史跡整備(第一期整備)に伴う発掘調査報告書』を御恵送いただきました。河越氏館跡の発掘調査には、私も学生時代にたった二日間ですが参加させていただいたことがあり、思い出深いところです。
 落合先生にあつく御礼を申し上げます。 

古文書学会見学会

元木泰雄
No.6128

 来る3月27日木曜日に、亀岡市文化資料館で日本古文書学会の見学会を開催致します。
 今回は上島有先生のご解説で、亀岡市文化資料館に寄託されている篠村八幡の高氏願文以下の文書を拝見致します。詳しくは下記を参照してください。
 名高い願文はもちろん、尊氏文書について深い造詣をお持ちの上島先生のお話を伺いながら、文書を拝見できる大変貴重な機会です。
 平日ですが、ふるってご参加ください。
 なお、参加希望の方は上島先生の御著書『足利尊氏文書の総合的研究 本文編』第二部、とくに篠村八幡の願文に関する御論文を読んでおいて下さい。
            
日 時:3月27日(木)14:00~
会 場:亀岡市文化資料館
 〒621-0815 亀岡市古世町中内坪1番地
   ℡0771-22-0599 / FAX 0771-25-6128
 (交通):JR嵯峨野線「亀岡駅」より徒歩7分
    (「京都駅」より「亀岡駅」まで約30分)
文化資料館の場所、集合場所の詳細については、直接文化資料館にお問い合わせください。
集 合:文化資料館入り口ロビー(13:30受付開始)
参加費:資料代として500円程度を徴収予定。
    (文化資料館の企画展見学は別料金)
内 容:足利高氏願文と南北朝期の軍事関係文書を含む遠山家文書、個人寄託細川高国発給文書など。

申込受付先:〒606-8501 京都市左京区吉田二本松町
       京都大学大学院人間・環境学研究科 元木研究室宛
【申込受付締切:3月20日(木)必着でお願いします】
 野口ゼミ関係の方は、メールで結構です。

後白河院と伏見、もしくは建礼門院

No.6125

 宇治共同研究とも関連して、先日美川圭先生より拝受した御高論「院政と伏見(伏見稲荷大社『朱』第51号)は注目すべき論文です。浄妙寺領との境界紛争とその背後にある政治状況の問題など、共同研究員にとっては必読。
 美川先生は「伏見の新邸(伏見殿)、伏見荘(御領)は、京都の法住寺殿と同様に、平清盛と提携して出発した後白河院政にとっての拠点となるはずであった」と説かれます。

 その、後白河院の大原御幸の物語における建礼門院像の多様さを論じられたのが、佐伯真一先生の「万華鏡の中の建礼門院」(『銕仙』565)。要を得た名文で、僭越な物言いで恐縮ですが、流石は国文学者だと思いました。内容も面白く、まさに短編のお手本。国文学専攻のゼミメンバーは必読のこと。
 佐伯先生、御恵送ありがとうございました。

 ☆ お知らせが遅くなってしまいましたが、29日に宇治共同研究の共同研究員のお一人である樋口健太郎さんが大阪歴史学会の中世史部会で報告をされます。
 当ゼミメンバーの多くは『吾妻鏡』講読会終了後、梅田に直行とのこと。
 詳しくは以下のとおり。

   2月29日(金)18:30~
  報告者:樋口健太郎氏
     「中世摂関家の成立と王家」
  場所:梅田東学習ルーム A会議室
    (阪急梅田駅茶屋町口の東、ヤンマーディーゼル側交差点東入る)
     大阪歴史学会HP→http://wwwsoc.nii.ac.jp/historia/

オフシーズンは『吾妻鏡』で

No.6123

 オフシーズンとは言いながら、年度末はいろいろなことを片付ける時期でもありなかなか落ち着けませんね。そんななか、いつもながらの『吾妻鏡』のご案内です。開催日時にお気をつけください。

 日時:2008年2月29日(金)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』天福二年(文暦元年)八月一日、八月二十一日、十一月二十八日、
         文暦二年(嘉禎元年)正月九日、十二日、十五日、二十日、二十一日、二月四日、九日、十日、三月十八日、四月一日、二日、五月十三日、十六日、二十三日、六月十九日、二十一日、二十九日、三十日、閏六月三日、十五日、二十八日の各条
  (※少し先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)

 2/29(金)は『紫苑』の初校締切日でもあります。執筆者のみなさんは遅れないようにしましょうね。

 その先ですが、3/3(月)も開催予定です。なお同日は広島から尻池さんが上洛(凱旋?)される由、みなさんで賑やかにお迎えしましょう。

『吾妻鏡入門』も宜しくお願いします。

No.6124

 『吾妻鏡』講読会にはそろそろ新人の参加を期待したいところ。
 そもそも、現在、講読会の牽引役である岩田慎平君は、この掲示板を見て参加してくれた方なのです。
 所属・専攻を問わず積極的に参加者を募りたいと思います。

 吉川弘文館から刊行予定の『入門吾妻鏡』ですが、初校ゲラが来週届くのとのこと。執筆者の面々には岩田君から連絡が行くことと思います。なにとぞ、宜しく。
 もっとも、執筆者のお一人は、目下ウイーン滞在中でしたね。

 ちなみに、ハノイで遺跡調査中の山田邦和先生は腹痛に見舞われたとのこと。すぐに快復された御様子で安心いたしましたが、くれぐれもお大事に。
 私も1996年、アジア歴史学者会議でバンコクに滞在中、頭痛と腹痛で3日間もダウンしてしまったことがあります。

 皆さん忙しくて、なかなか研究室にお出でになれない御様子なので、伊藤さんにお願いして、共同研究メンバーには、とりあえず『研究紀要』の抜刷1部を郵送することに致しました。明日か明後日にはお手許に届くことと思います。

 御報告が遅れましたが、22日の『台記』研究会の際に、元木先生より美味しそうな洋菓子のお土産を頂戴いたしました。未開封のまま研究室の冷蔵庫に厳重に保管してあります。29日の『吾妻鏡』講読会でいただきましょう。なお、29日にはわざわざ飛行機で海外から駆けつけてくれる方もおられるとのことです。

 研究室に常置してあるクラシック・ギター(ヤマハ製,1969年、千葉ステーションビル3Fにあった楽器店にて6500円で購入)の弦をほぼ10年ぶりに張り替えました。新しい弦は、先週、鹿児島中央駅アミュプラザの楽器店で購入。ギターで平曲に挑戦するつもりです(嘘です)。

 ☆ 御紹介が遅くなりましたが、NHK出版の石浜哲士さんから、新刊の八塚春児『十字軍という聖戦 キリスト教世界の解放のための戦い』(NHKブックス)を御恵送いただきました。著者は元木先生の先輩。
 石浜さんにあつく御礼を申し上げます。 

入口と出口のある講読会

No.6126

 私が『吾妻鏡』に参加しだしたのは四年前(2004年)の四月からでした。四年前のちょうど今頃は、この掲示板を眺めながら飛び込むか飛び込まざるかいろいろと迷っていたのですが(ちなみに、当時は「ラストサムライ」の話題などが盛り上がってました)、結局、大学を移ったこともきっかけの一つにして、このゼミにお邪魔させていだたくことになりました。
 その頃はいまよりももっと史料が読めませんでしたが、いままでに関わってくださったいろいろな参加者のみなさんと一緒に読み進めていくことで、少しずつ読めるようになり、読むこと自体も面白くなっていきました。

 今年度は春から加わった小野さん・江波さん・満田さんにレギュラーとして定着していただき、おかげさまで「女子大のゼミっぽい」雰囲気で読み進めていくことができました。昨年度からの伊藤さん、米澤くんもそれぞれご自身の持ち味を活かして積極的に盛り上げてくださいましたし、私を凌ぐ最古参の山岡さんのご活躍ぶり(遙か地球の裏側まで轟く)は言うに及びません。何より、京都で野口実先生のご指導をいただきながら『吾妻鏡』を読めるということは、何物にも代え難い貴重な機会なのです。

 『吾妻鏡』の講読会は新規メンバー随時募集中です。まずは見学からでも、お気軽にご参加下さい。

油断大敵

No.6127

 今月は明日でおしまい。にもかかわらず3月の計画は3日の『紫苑』初校引き渡しと『吾妻鏡』講読会しか決まっていません。
 明日の講読会の席で決めたいと思いますので、出席者はお考えおき下さい。
 今年度で退任される先生方の最終講義など、来月は行事が多いので例会の開催は難しいかも知れませんが、共同研究の研究会との合同で、宇治の現地見学会を一度実施したいと考えています。
  
 しかし、来月のイベントの目玉は何と言っても鈴木君と永富さんの結婚式および披露宴であります。お友達中心で行われる披露宴2次会には、すでに沢山の出席申し込みがあった由。
 私は本披露宴での御挨拶で何を申し上げるべきか思案中です。講演より難しい。

 ところで、『紫苑』の校正ですが、すでに何度か経験していることなので、もう大丈夫と安心していたのですが、やはり経験上の想定を逸脱した問題が発生。油断大敵です。
 常に物事に取り組むには初心をもって臨むべし。

 今回の『紫苑』とは関係のない話ですが、ふと、学術雑誌に立派な論文を掲載している人だからといって、一般向けに良い原稿を書いてくれるかどうかは保証の限りではないという苦い経験を思い出しました(どっちにしても、まともな原稿の書けない私の申し上げるべきセリフではございませんが)。

『研究紀要』第21号が出来ました。

No.6119

 京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第21号が刊行されました。
 本号には、宇治共同研究の成果として、

 野口実・佐伯智広・田中裕紀・大原瞳「摂関家の空間における政治と文化(中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅰ)」

 が掲載(21~54ページ)されているほか、一昨年6月に開催された宗教・文化研究所公開講座の講演録として、

 樋口大祐「為朝・義経-日本的「英雄」の条件について」(55~64ページ)
 樋口州男「安元三年の崇徳院鎮魂-天下静かならず」(65~72ページ)

が掲載されています。
 佐伯君・田中さん・大原さんには各本誌1冊と抜刷50部、また宇治共同研究とゼミ関係者には、宇治共同研究の論文抜刷を差し上げますので、野口在室をご確認の上研究室までお出で下さい。 

Re: 『研究紀要』第21号が出来ました。

元木泰雄
No.6121

 野口先生、昨日は研究室にお邪魔させて頂き有難うございました。
 また色々ご教示を賜りましたことに、厚く御礼を申し上げます。
 当方の研究室の耐震補修の関係で、長らく『台記』研究会、『吾妻鏡』研究会を研究室で開催させていただきました。改めて感謝申し上げる次第でございます。
 ようやく当方の研究室も日常生活が行えるように復旧しつつあります。とはいえ、本はまだ並べなおしておりません。移転前より本棚が少なくなったらしいのですが、どこに行っちゃったのでしょうか?
 それはともかく、前回の『吾妻鏡』研究会に続き、『台記』研究会も次回から当方の研究室に戻らせていただきます。
 長らくご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。
 今後ともよろしくご指導のほどお願いします。申し上げます。
 
 それにしても、去る20日の『吾妻鏡』研究会の出席者は、わずか4人・・・・
 時間変更で出られなかったり、うっかりした方もおられたようですが、さびいい限りです。これに限らず、どの研究会も抜ける人はいても、新規参加者がほとんどおりません。中世前期を専攻しようという人が、年々減少してゆくのがわかります。
 そもそも、日本史を学ぼうという人自体、随分減少しているのですが、とりわけ中世前期(古代のそうかもしれませんが)は、それが酷いように思います。
 ある意味、中世前期は議論が煮詰まってしまい、限られた史料の読み替えによって高度な分析をするしかない面もあるかと思います。まだ誰も手をつけていない分野、史料を取り上げるという、初学者に一番取り付きやすい方法が通用しなくなっているのも、志望者減の一因かと思います。
 一方で、かつての幕府論、国地頭、武士論など、大規模な論争が影を潜めたこと、その背景にある、研究史の無視、先学の軽視といった趨勢も、後進に魅力を感じさせない要因でしょう。各研究者が、自分の世界に浸り、定義も曖昧な概念をもてあそびながら
好き勝手なことを書きなぐっているのが、中世前期に関する「研究書」の大半ではないでしょうか。ただでさえ、グローバル・スタンダードと無縁の人文学は「夜郎自大」などと自然科学の連中から罵倒されている危機的状況に中で、こうした傾向が続けば、志望者減どころか学問の信頼さえも失わせることになります(ちなみに、日本史のグローバルスタンダードは、日本における日本語による研究です)。
 そうした状況の中で、昨年の野口先生の例会報告は、鎌倉幕府論を正面から捕らえなおそうとした画期的な内容だったと思います。幕府とは何か、そしてなぜ幕府が成立したのか。今こそ、古めかしい領主制論の残滓を拭い去って、この問題を真正面から論じなければならないと痛感致しました。
 人文科学が軽視され、実用的で一見華々しいだけの研究のみがもてはやされるときこそ、日本史の、そして中世前期研究の第一線にある研究者は、学問の王道を歩みたいものです。
 とはいえ・・・かつて50代は人生の最盛期、などという話を聞いたのですが、実は雑用の最盛期を痛感させられる破目になりました。そして酷使され、疲労した心身は容易に(あるいは永久に)回復しないことも思い知らされました。衰えは隠しようがありません。実際、雑用で健康を害され、早く身まかられた方々が何人もおられます。さぞや御無念であったことと思います。
 山積する学務をこなし、学問の王道を歩む。まさに至難としか言いようがありません。でも、健康に留意して、志を高く持って何とかこの道を切り開いてまいりましょう。
 あまりの困難に、くじけそうになります。でも野口先生のご尽力、ご奮闘に幾度も支えられてまいりました。当方もお役に立てるように努力した行きたいと思います。
 もう過ぎてしまいましたが、2月23日、お誕生日おめでとうございます。
 
 
  

「57歳」は歌の題にもならないのですが。

No.6122

 昨日の京都はときに雪が暴風に舞い散る一日。バタバタと風の吹きつけるガラス窓の研究室で伊藤さんと米澤君に資料の整理を手伝ってもらいながら、例によって要らぬ戯言をきいていただいておりました。
 57年前の千葉も大雪だったそうです。
 
 元木先生、御丁寧な御挨拶を賜り、ありがとうございます。昨年大きな手術をした父からもメッセージが届き、今年の誕生日はことさら感慨深いものとなりました。
  『論語』の為政編に「三十而立、四十而不惑、五十而知天命」とありますが、私如き小人は孔子様の足元には遥かに及ばず、未だに自立した実感などあり得ず、生涯惑い続けることは必定。ただし、「天命」ではなく「限界」だけは早々に認識したところであります。
 夢や希望はやせ細るが、それに反比例して腹の回りは肥え太る。これが厳しい現実です。

 すでに、定年後に昔を語り合うことを楽しみにしていた同世代の友人の何人かは、そのゆとりを得ることなく世を去ってしまいました。本当に慚愧にたえません。
 歴史上に満57歳で没した人物を捜してみたら、平忠盛がそれにあたりました。平家全盛の種を蒔いた人物。

 ところで、次回の『台記』研究会での報告のテーマですが、その平家全盛期における東国支配の問題について思うところを発表させていただきたいと存じております。
 元木先生にコメントをいただいた、昨年9月の日本史研究会例会報告で触れた問題についてさらに別の史料も提示して検討を加えたいと存じます。御教導の程、宜しくお願い申しあげる次第です。

 それにしても、57歳のうちに出来る限り原稿の負債返済につとめたいものです。
  とはいえ、年度末の事務処理との闘いは暫く続く模様。

  ともあれ、ゼミの皆さんには散々お話ししているところですが、20代・30代などというのは夢のように過ぎ去り、40代は家事(子育て)・仕事に追われて記憶に残ること少なく、あっという間に<浦島太郎状態>というのが人生でありますから、心して生きてください。