いよいよ師走。東と西の12月9日。
No.6023
<西>
関西軍記物語研究会 第61回例会
日 時: 2007年12月9日(日)13時30分より
会 場: 関西学院大学 大阪梅田キャンパス
KGハブスクエア大阪 アプローズタワー10階
交 通: 阪急梅田駅から「茶屋町口」を出て線路東側を北へ
JR大阪駅から線路東側を北へ
研究発表:
田中 裕紀 氏 『平家物語』における女院
小林 健二 氏 物語から能へ―「大江山絵詞」と能《大江山》―
懇親会を予定しています
(軍記・語り物研究会のHPより)
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<東>
茨城大学人文学部・地域史シンポジウム
北関東の武士(もののふ)たち
―新しい中世武士団のイメージ―
現在、中世史研究の世界では、どんな武士団のイメージが創られようとしているのか。北関東の武士団のイメージはどう変わったのか。第一線で活躍する研究者に、新しい中世武士団の姿を、事例に即してわかりやすく提示していただき、会場を交えたディスカッションを行います。
【日時】2007年12月9日(日曜日)
11時~17時00分(休憩12時~13時)
【場所】茨城大学水戸キャンパス(水戸市文京2-1-1)理学部インタビュー・スタジオ
アクセス JR水戸駅より茨交バス(7番乗り場から)で約15分、「茨大前」バス停下車。
【プログラム】
基調講演
「『坂東武士』の実像」 京都女子大学教授 野口 実
報告
「関東武士団研究の軌跡」 茨城大学非常勤講師 伊藤瑠美
「常陸平氏 再考」 茨城大学教授 高橋 修
「東国武士団と都鄙間の文化交流―下総下河辺氏と関戸の宝塔―」
古河第二高等学校教頭 内山俊身
「武士団と町場―下野小山氏―」 栃木県立文書館副主幹 松本一夫
「武士団と寺院、門前町―上野新田氏と世良田長楽寺―」
駒場東邦中・高等学校教諭 田中大喜
コメント 常磐大学教授 糸賀茂男
パネルディスカッション(60分) コーディネーター 茨城大学教授 酒井紀美
高橋 修
《主催》茨城大学人文学部
《共催》茨城大学五浦美術文化研究所
《協賛》茨城県立歴史館 茨城中世史研究会 茨城大学中世史研究会
[問合せ] 茨城大学人文学部 高橋修研究室029-228-8120(直通) osm@mx.ibaraki.ac.jp
◆入場は無料です。申し込みも不要です。どなたでもご参加いただけます。
例会月間
No.6027
本日は『吾妻鏡』講読会のあとに、小野さんによる卒論準備報告が行われました。執筆中にテーマについてご報告を準備していただくのはお手数だったと思いますが、ありがとうございます。
さて次回の『吾妻鏡』です。来週は一回お休みということにさせていただき、再来週(12/17)に開催致します。
日時:12月17日(月)13:00~(予定)
場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
範囲:『吾妻鏡』八月九日、十日、十三日、十五日、九月一日、十一日、二十八日、閏九月一日、四日、五日、六日、八日、十七日、十八日、二十一日、十月二日、五日、二十二日、十一月九日、十三日、十六日、二十八日、二十九日、十二月五日、二十三日、二十四日、二十九日の各条
(※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)
また、同日には山本さんによる修論準備報告も行われます。古参メンバーはふるって御参加下さい。
日時 :12月17日(月)18:00~(予定)
場所 :京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
報告者 :神戸大学 山本 陽一郎氏
報告内容:「利仁流藤原氏の成立と展開-院政期から鎌倉期を中心にー」
参考文献:生駒孝臣氏「中世前期の畿内武士と公家社会」『ヒストリア』203、2007年1月。
櫻井彦氏「丹波国宮田荘における『本所違背』行為をめぐって」『書陵部紀要』55、2004年。
それと、12/24(月)には16:00頃から岩田が報告をさせて頂く予定です。よろしくおねがいします。
17日は山本君、24日は岩田君が報告
No.6029
17日と24日の例会は、学会の部会報告レベル(あるいは、それ以上)の内容が期待できると思います。神戸大学や関学の皆さんも是非御出席下さい。大歓迎いたします。
『吾妻鏡』講読会に参加されている方たちにも、とても勉強になることでしょう。とくに岩田君の報告では、読んだばかりの記事が取り上げられることと思います(>岩田君 詳細の告知を宜しく)。
それにしても、9日は茨城大で武士のシンポ(NO.5882)、12日は元木先生主催の『吾妻鏡』研究会、15日は建築史のシンポ(NO.6007)、19日は『台記』研究会・・・、目白押しとはこのことです。
☆ 日本女子大学学術研究員の石田浩子先生より、御高論「南北朝初期における地蔵院親玄流と武家護持」(『日本史研究』543)を御恵送いただきました。南北朝初期において寺院が武家との関係を構築する過程を検討した労作です。
石田先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ 五味文彦・本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡 1』(吉川弘文館)と本郷和人・新田一郎・本郷恵子・東島誠・榎本渉「「日本の中世」像を更新する」(『ラチオ』04号、講談社)を、前者の編者の先生より御恵送いただきました。
『現代語訳 吾妻鏡』については、元木先生が書評をお書きになられるとのこと(NO.5996)。
五味・本郷両先生にあつく御礼を申し上げる次第です。
※ このところ諸事が重なって多忙を極めており、せっかく御依頼をいただいた原稿執筆のお仕事を、お急ぎの場合に限るとはいえ、共著者や編集者の御迷惑を顧みずに降板させていただいたりしているような有様です。
そのため、御高著・御高論を御恵送いただいたにもかかわらず、直接御礼の手紙を差し上げることが出来ないなど非礼を重ねており、大変申し訳なく存じております。この場を借りてお詫び申し上げる次第です。
この先の例会のお知らせ
No.6030
少し先のことになりますが、24日の例会のご案内です。
日時 :12月24日(月)16:00~(予定)
場所 :京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
報告者 :岩田慎平
報告内容:「業務の分担から見た鎌倉幕府-頼家・実朝将軍期の検討-」
参考文献:黒田俊雄「鎌倉幕府論覚書」『日本史研究』70、1964年。
岩田「草創期鎌倉幕府研究の一視点―奉行人を中心に―」『紫苑』4、2006年。
毎度『吾妻鏡』講読会のおさらいみたいなテーマで申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。
「承元の法難」と江田船山古墳
No.6022
明日、本学で下記の講座が開催されます。
仏教文化公開講座 講題 「承元の法難の意味」―『教行証分類』と承元の法難―
講師 行信教校校長 本願寺派宗学院講師 本願寺派勧学寮員
梯 實圓 氏
日時 12月1日(土)13:00~16:30
場所 A校舎5階礼拝堂
※ 再来年度から「親鸞の生きた時代」を共同研究テーマに掲げたいと考えておりますので、出来れば聴きに行きたいものです。
☆ 苦難を共にした、かつての同僚で考古学者の田中新史先生より、御共著である『菊水町史 江田船山古墳編』(和水町,2007年)を御恵送いただきました。箱入りハードカバーの大冊。国宝に指定されている江田船山古墳出土品92件のすべてのカラー写真や全出土品の実測図、さらに昭和18年から42年に至る調査資料の紹介された「梅原末治考古資料」など、古墳時代研究者にとっては垂涎の的となるような、江田船山古墳に関する情報がすべて収録されています。私には「猫に小判」(否、「豚に真珠」か?)かも知れません。
田中先生に、あつく御礼を申し上げます。
>江波さん 『王朝時代の陰陽道』という陰陽道研究の古典的著作を研究室に配架しました。
御一読下さい。
『三浦氏の研究』は来年1月に刊行。
No.6025
上記の講座ですが、研究費関係書類・論文校正に追われている関係で前半のみ聴講させていただきました。
それにしても、この事件(浄土宗では「建永の法難」と呼ぶとのこと)において、法然門徒に対して、当時、武士(もしくは戦闘員)以外には課せられることのない「死罪」が適用されたというのが、どうも納得の出来ないところです。
ちなみに、18日の日本史研究会の中世史部会で、法然をテーマにした報告が予定されているようです。
校正のうちの一件は、名著出版の関東武士研究叢書、峰岸純夫編『三浦氏の研究』に掲載される拙文「執権体制下の三浦氏」の最終校正(「抜念」)です。本論文は、『三浦古文化』第34号(1983年)に発表の後、拙著『中世東国武士団の研究』(1994年)に収録致しましたが、今回の再録にあたって、さらに補訂を加えさせていただきました。
この『三浦氏の研究』は、来年正月に刊行とのことです。
☆ 作家の大垣さなゑ先生より、御高著『夢のなかぞら 父藤原定家と後鳥羽院』(東洋出版)を御恵送いただきました。
500ページ近い大著。しかも本文は二段組みですから、原稿の枚数は相当なものだと思います。巻末の参考文献には、たくさんの研究論文が掲げられていて、この本自体が研究書のように思えます。
大垣先生に、あつく御礼を申し上げます。
「紫苑」無事拝領しました!
No.6019
野口先生、本日無事、今熊野からの封筒を拝領しました。
「紫苑」のみならず、先生のご論文や、山岡さんの美しい筆跡のお便り、
華やかになったゼミの面々のお写真までご同封いただき感激です。
心よりお礼申し上げます!
こちらはシベリアからの寒気が来たり、アフリカからの熱風が吹いたり、お天気はややこしいですが、これからクリスマスが近づくにつれ、京都とは比べ物にならないほど小さなソレントの中心はイルミネ―ション(お祭ごとに広場や教会の周辺は、神戸のルミナリエほど大掛かりではありませんが、花やフルーツの形のネオン飾られます)で輝きます。
今日ではイタリアの何処の家でもクリスマスにはツリーを飾りますが、プレセーぺというキリスト生誕の場面を再現した馬屋の模型がイタリア本来のクリスマスの伝統です。クリスマスイブの晩まで生まれたての赤ん坊であるキリストの人形だけは飾らず、イブの深夜にこの赤ん坊の人形を先頭に、ろうそくを持って家中を練り歩いた後(おまじないのようです)馬草桶に納めます。プレセーぺの伝統は13世紀初頭、アッシジの聖フランチェスコに遡るそうです。ナポリではブルボン家の支配下に王族や貴族の間でプレセーぺに意匠を凝らすことが流行り、人形専属の仕立て師まで存在したとか聞きました。(ナポリの教会や博物館で立派なプレセーぺを見ることができます。)ソレントの町でも例年、町のプレセーぺというのを作らせて展示します。大掛かりなもので、馬小屋の背景がソレントの町だったり、いつぞやはコロッセオだったこともあり、見物人を楽しませます。
イタリアの他の町のことはよくわかりませんが、ここでは、チキンやタ-キーといった日本でいわゆるクリスマスのご馳走と思われているものはなく、毎年、ボンゴレスパゲッティ、鰻のぶつ切りを揚げたもののマリネ、クリスマスのブロッコリ-と呼ばれる油菜の一種を湯がいたもの、魚のグリルなどです。クリスマスケーキもなくて、クリスマスの期間中、パネットーネとよばれる甘いパン(今もあるかどうか?不二家のアップルパンのような)を朝食のときなどに食べる他、クリスマスイブのデザートはゼッポレとかストゥルッフォリとよばれるドーナツのように小麦を揚げて蜂蜜とオレンジの皮の砂糖漬けをちらしたものです。
余談の上の余談ですが、京都に住んでいた時、田中里の前(居酒屋「住吉」の近く)の「紫苑荘」という相当趣のあるアパートに住んでいました。読んだばかりの須賀敦子著の随筆集「トリエステの坂道」の中で、著者がミラノで紫苑の花に出会ったエピソードが出てきました。紫苑にご縁があるようで嬉しいです。
お礼まで
今、イタリアにも『紫苑』があるという喜び。
No.6020
郵便の到着。文字通り「祝着」に存じます。メールなら一瞬のうちに情報交換が出来るのに、物のやりとりは、ほとんど昔のままですが、かえって情緒があってよいものですね。
「華やかになったゼミの面々」との御評価、論議をよびそうです(笑)。
それにしても、イタリアのクリスマスというのは、日本人のイメージする西洋のクリスマスとずいぶん異なるようですね。日本のクリスマスは完璧にアメリカナイズされたものなのでしょう。進駐軍の置きみやげと言ったところでしょうか。
一方で、お正月の情緒のなくなったこと。
近年は「門松」も「凧揚げ」も「はねつき」も見かけることが少なくなりました。お正月に親戚で集まってするお祝いは、子どもの立場としては、とても楽しかったものです。人間の営みに季節感がなくなってきたものだから、自然の方も心得ていて、日本列島に寒波と台風が同時に押し寄せてきたりするのでしょうね。
>元木先生 古文書学会の見学会、御盛会だったとのことで何よりに存じます。それにしても、最近は行事について、先生自らに書き込んでいただくことが多く、恐縮に存じます。
また、「近年は」と言ってしまいますが、若い方たちの間に、積極的に自分の名前を出して、意志を発現することをためらう風潮があるように思えます。そのうちに、恥ずかしいからとか、何を言われるかわからない、とかいう理由で、誰も論文を書かなくなってしまうのではないかと心配しております。
学問の真髄に触れる授業という点では、私は高校生の時代(千葉県立千葉東高校)にとても強烈な思い出があります。たしか倫理社会の時間だったと思うのですが、私がある質問をしたところ、先生は黒板に手をついたまま考え込んでしまわれて、そのまま授業時間が終わってしまったことがあります。われわれ生徒はしばらくとまどっていたのですが、何か先生の態度に打たれるものを感じて、その後、ほとんど30分以上、教室は異様な静寂の中につつまれていました。この先生が平素から真摯な生き様を生徒に示していたからに他ならないのですが、このことは、ほんとうの学問というのは容易に答えなど出せるものではないものだということを思い知らせてくれた貴重な体験となりました。この先生は、なぜか生徒と同じ上履きを愛用しておられ、色白で背が高くて痩身、毎朝一生懸命に自転車のペダルを漕いで街の中心部から通勤されていました。のちに、東京学芸大学に招かれたということを風の便りで聞いたことがあります。
思い起こしてみると、私の高校時代には、まだ、よき時代の旧制中学で教鞭をとったことのある先生や、敗戦による急激な価値観の転換にショックを受けて東北大学の哲学科に進んで教員になったというような先生がおられて、その先生たちは、妙な教育技術などなくても、教壇に立つだけで、われわれ若者に何らかの感動を伝えてくれたものでした。
もっとも、テスト返却のたびに、わざわざ大声で「野口最低だよ!」と答案を渡してくれた数学の先生もおり、とても心を傷つけられた(実は結構平気でしたが)という苦い思い出もございます。ちなみに、この先生は、授業中、黒板で問題の解法を説明しているうちに、新たなアイデアを思いつかれたらしく、授業をしていることを忘れて、終了のチャイムが鳴るまで黒板一面にに数式を書き続けたことがありました。この先生もまた、その後、神奈川県の某私大(ここには、現在、当ゼミ生おなじみの先生が御在職)に招かれたそうです。
高校生時代の私は、こんな先生ばかりがいる所が「大学」だと思っていたのでした。
・・・・・・・・・・
昨日の『吾妻鏡』講読会の時もそうでしたが、このところ昔話が多くていけませんね。
ところで、本日のキャンパス・プラザの講義では、久しぶりに「源義経」のお話をさせていただきました。来週は「宇治」のお話しを致しますが、その後、「遍照心院」や「承久の乱」も取り上げたいと考えております。
『吾妻鏡』はつづく
No.6021
>大森さん
再び旅情を誘う書き込みをしていただきましてありがとうございます。イタリアへの郵便はやはりそれなりに時間が掛かってしまったようですが、『紫苑』どうぞご味読ください。
さて次回の『吾妻鏡』です。
日時:12月3日(月)13:00~(予定)
場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
範囲:『吾妻鏡』四月四日、九日、二十一日、五月十四日、七月八日、十日、十二日、二十七日、二十八日、八月六日、八日、九日、十日、十三日、十五日、九月一日、十一日、二十八日、閏九月一日、四日、五日、六日、八日、十七日、十八日、二十一日、十月二日、五日、二十二日、十一月九日、十三日、十六日、二十八日、二十九日、十二月五日、二十三日、二十四日、二十九日の各条
(※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)
なお、12月は3日・17日・24日も開催予定です。
また、12月3日は『吾妻鏡』を16:30頃に切り上げ、17:00頃から小野さんの卒論報告を、12月17日はひさびさ登場の山本陽一郎さんの修論報告が予定されております。
「卒論準備報告会」
12月3日(月)17:00~
於:京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
報告者:京都女子大学 小野 翠氏
報告内容:「鎌倉時代における幕府女房」
参考文献:田端泰子氏『日本中世の社会と女性』吉川弘文館、一九九八年。
金永氏「摂家将軍家の「家」の形成と妻たち」『ヒストリア』178、二〇〇二年。
古文書学会見学会
元木泰雄
No.6017
以前、掲示板にも書かせていただいた、和歌山県立博物館での古文書学会見学会、22名方々の参加を得て、盛会裏に終了致しました。
何をおいても、ご多用の中、昨年に引き続いて見学会の開催をお引き受けくださり、遅くまで文書の熟覧の機会をご提供くださるなど、様々なご高配を賜りました県立博物館の高木徳郎先生に、厚く御礼を申し上げます。
参加メンバーは、大山喬平先生をはじめ、各大学の研究者、院生、古文書学会会員の方々で、遠く関東方面からお越しの方々もおられたほか、高知からは、夏の旅行で大変お世話になった池内敏彰先生もわざわざお越しになりました。
大山先生は早朝京都を出発され、立命館の方々と周辺の史跡を見学になったあと、見学会にお越しでした。まことにフットワークも軽く、ご年齢を感じさせない若々しさでいらっしゃいます。
博物館にお越しのときも、なにやら周辺をデジカメで御撮影になるなど、知的好奇心は旺盛なご様子、常に新たな知見を探求される御姿勢が、心身御若々しさにつながるものと拝見致しました。学問は及びもつきませんが、健康と探究心では、少しでも近づきたいものと存じます。
展示のすばらしさは、以前に記した目録からもご想像いただけると思います。後鳥羽自筆の熊野懐紙、後鳥羽像ではないかという法体の坐像など、当方にはとくに興味深く思われました。
熟覧で拝見した史料、やはり中御門宗忠の熊野参詣を記した鎌倉書写『中右記』写本に最も興味を惹かれました。さらに、熊野本宮文書、神護寺文書など間近で見る原本には写真では感じ取れない迫力があり、作成した人間の息遣いが感じられるように思われました。
10月の東寺百合文書の見学といい、貴重な原本を拝見する機会を得られたのは大変幸せなことでした。当ゼミ関係者をはじめ、多数の院生諸君にご参加いただけて、嬉しく存じます。関西で歴史を学ぶメリットは、まさに現物に触れる(現地に行く)ことができるところにあると思います。
また、こうした見学会を開催したいと思います。見学会にふさわしい展覧会がありましたら、ご教示をお願い申し上げます。
余談ですが、翌24日は京大のホームカミングデー。全学同窓会の総会です。当方、総合人間学部・人間環境学研究科同窓会設立準備委員長だった関係で、出席する破目に相成りました。歴代総長も出席になる堅苦しい会と思いきや、プロのヴァイオリニスト、実は農学部の院生によるヴァイオリン演奏会のおまけに、ヴァイオリン伴奏で『琵琶湖周航の歌』を合唱したり、大先輩の思い出話を聞いたり、結構楽しめました。
その中で印象的なお話。
理学部に1947年に入られた、現在はさる大学の副理事長という先生は、在学中に湯川博士がノーベル賞を受賞され、その結果得がたい経験をされたとのこと。すなわち、湯川先生が東大でも講義をされることになり、東大と京大の教授が、お互いの大学に相互乗り入れで授業され、東大の有名教授の授業を聞くことができたとうのです。
そこで受けたカルチャーショック。東大の先生は時間通りに授業を始める、きちんと講義ノートを作って、それを滔滔と読み上げる授業をされ、それがそのまま本になる内容であったこと。
片や湯川先生はじめ当時の京大教授の授業は、時間通りにはじまることはない、教室に入ってももっぱら黒板に向かい、難しい内容を独り言のようにお話になる。湯川博士の「モノローグ」は有名だったとか。今日では考えられない授業です。
そういえば、上横手先生が受講された文学部の某外国史の先生も、一時間遅れで開講し、やおら懐中からメモのようなものを取り出して、なにやらよくわからないお話をされたとか。京大の気風でしょうか。
ただし、その副理事長先生によると、もちろん東大式の授業もすばらしいけれど、改めて京大の授業の魅力も感じたとのこと。つまり、湯川先生は研究の思考・論理展開の過程をそのままさらけ出し、学問の何たるかを身をもって示されたわけで、そこから学問の奥深さを学んだとのことでした。
結論ではなく、学問の過程から学問を学ぶことは、実は本当に大事なことと思います。もっともそんな授業が成立するのは、学生がよほど大人で、教員との間に深い信頼感があってのことではありますが。そんな時代の大学に戻ったら・・・当方のように中身のない人間は教師など勤まりません・・・・
例会のお知らせ。
山岡 瞳
No.6013
昨日は、『台記』研究会、『玉葉』勉強会とお疲れ様でした。
さて、例会のお知らせです。
①12月3日(月)17:00~
於:京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
「卒論準備報告会」
報告者:京都女子大学 小野 翠氏
②12月17日(月)18:00~
於:京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
「修論準備報告会」
報告者:神戸大学 山本 陽一郎氏
*開始時間が異なりますのでご注意ください。
年末のお忙しい時期かと思いますが、皆さまふるってご参加下さい。
12月は、ほぼ毎週例会。
No.6014
山本君、久しぶりの登板、「完全試合」を期待しております。・・・というのは、冗談で、肩から力を抜いて報告をお願いいたします。
古参メンバーはふるって御参加下さい。
山本君、小野さんとも、報告のタイトルなど、告知して下さい。
ちなみに、24日も岩田君に報告をお願いしたいと考えているのですが、如何でしょうか。
・・・ということで、10日を除いて、12月の月曜日の午後は『吾妻鏡』講読会と例会が毎週続きそうですね。
かくいう私も、目下、12月9日の講演レジュメを急ぎ作成中です。
◇ そろそろお目に留まるはずの『日本歴史』第715号には、私の執筆による岡田清一『鎌倉幕府と東国』の書評・紹介が掲載されています。御高覧いただければ幸いに存じます。
久々の書き込みです。
山本陽一郎
No.6015
久々の書き込みです緊張してます(汗)。年末のお忙しい時に発表の時間を作っていただきありがとうございます。完全試合にならないまでも、コールド試合にならないように頑張りたいと思います。12月17日(月)の報告内容と参考文献は以下の通りです。
報告内容 :「利仁流藤原氏の成立と展開-院政期から鎌倉期を中心にー」
参考文献 :生駒孝臣氏「中世前期の畿内武士と公家社会」
『ヒストリア』・203・2007・1月号
櫻井彦氏「丹波国宮田荘における『本所違背』行為をめぐって」
『書陵部紀要』・55・2004年
まだ結論が纏まっていないので、拙い報告になるかと思いますが、よろしく御願いします。
共同研究論文の校正刷りが出ました。
No.6016
>山本君 告知をありがとうございました。準備のことなどで、何かありましたら、遠慮なくお知らせ下さい。
>小野さん そろそろ報告一週間前ですから、テーマ・参考文献など、告知をお願いいたします。
23・24日は、古文書学会の見学で和歌山に行ったり、日本史研究会の例会に出席された方が多いと思いますが、如何でしたでしょうか?
当方は、来月9日に茨城大学で開かれるシンポジウムの講演資料を作成しておりました(9月の日本史研究会例会報告の資料をペースにしました)。本日必着とのことで、昨日午前に速達で送付しましたから、間に合うことと思います。
このシンポには佐伯君・岩田君・長村君も参加されるので、ちょっとしたゼミ旅行ができるものと期待しております。
ちなみに、来年1月27日(日)、東京で開催予定の「中世戦記研究会」には、先般開かれた拙著『源氏と坂東武士』の書評会で講師をお願いした生駒孝臣先生が、摂津渡辺党について、研究発表をして下さいます。
国文学のジャンルでは、学習院大学院DCの鈴木啓子氏が、徳大寺実定説話に関する発表をされるとのことで、これも楽しみです。
『曽我物語』輪読の方は、巻八には東国武士団がたくさん出てくるというわけで、私が担当させていただく予定です。
伊藤さんは既に常連ですが、こちらにも多くのメンバーが参加してくれる事を期待しております(自由参加ではないので、参加希望者は事前にお知らせ下さい)。
★ 昨日、例のごとく、校正ゲラが、文字通り「束になって」押し寄せて参りました。
一件は拙稿「閑院内裏と『武家』」(『古代文化』次号掲載)。もう一件は研究所『研究紀要』に発表した共同研究論文の初校です。
後者については、共著ですので、早速ゲラをコピーして執筆者に速達で送付しました。
全体をまとめる必要がある上に、締切が私の出張時期に重なるため、校正期間が短くて申し訳ありませんが・・・・・・・、
>佐伯君・田中さん・大原さん 宜しくお願いいたします。
よろしくお願い致します。
小野 翠
No.6018
中間発表の時に引き続き、直前の告知になってしまい申し訳ありません。
12月3日に卒論の準備報告をさせていただくことになりましたのでお知らせします。
報告内容:「鎌倉時代における幕府女房」
参考文献:田端泰子氏 『日本中世の社会と女性』
吉川弘文館、一九九八年
金永氏 「摂家将軍家の「家」の形成と妻たち」
『ヒストリア』178、二〇〇二年
中間報告に引き続き、このような貴重な機会を与えていただけて本当に嬉しく思っています。
年末でお忙しい時期かとは思いますが、何かご意見をいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。
『台記』『玉葉』『鎌倉遺文』,篤姫と源氏
No.6012
本日は『台記』研究会に引き続いて、『玉葉』の国書刊行会本と図書寮叢刊本を対照する勉強会。長時間にもかかわらず、若い人たちの頭脳は冴え渡っているようで、羨ましい限りでした。
☆ 鎌倉国宝館館長の三浦勝男先生より、ことばの中世史研究会編『「鎌倉遺文」にみる中世のことば辞典』(東京堂出版)を御恵送いただきました。先生は「椀飯」の項目を執筆されています。
鎌倉国宝館で三浦先生に博物館実習の御指導をいただいてから、すでに35年。本当に長い間、御指導と叱咤激励をいただいて参りました。
三浦先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 鹿児島県歴史資料センター黎明館調査資料室長の徳永和喜先生より、新刊の御高著『天璋院篤姫 徳川家を救った将軍御台所』(新人物往来社)を御恵送いただきました。
来年のNHK大河ドラマの主人公に関する書籍の決定版だと思います。
徳永先生は私の大学院時代からの畏友。先年の鹿児島ゼミ旅行でもたいへんお世話になりました。
徳永先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ NHK出版の石浜哲士さんからは、編集を担当されたNHKブックスの最新刊である河添房江『源氏物語と東アジア世界』を御恵送いただきました。
本書「あとがき」には、編集者に「本書を捧げたい」というメッセージが書いてありました。本当に石浜さんはカリスマ編集者だと思うわけです。
私もぜひ、近いうちに、自著の「あとがき」に石浜さんへの謝辞を書きたいと思う次第であります。
石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。
次回の『吾妻鏡』講読会
No.6011
昨日の素晴らしいおもてなしをいただきまして、ほんとうにありがとうございます。伊藤さん、小野さん、それに野口先生、満田さん、米澤くんもありがとうございました。素敵な仲間と史料講読ができて幸せです。今後とも『吾妻鏡』講読会をよろしくお願いします。
さて次回の『吾妻鏡』です。
日時:11月26日(月)13:00~(予定)
場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
範囲:『吾妻鏡』寛喜三年十月二十七日、二十八日、十一月十八日条
寛喜四年(貞永元年)正月四日、五日、二十三日、二月十三日、二十日、二十四日、二十六日、三月三日、十四日、四月四日、九日、二十一日、五月十四日の各条
(※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)
なお、12月は3日・17日・24日も開催予定です。
また、12月3日は『吾妻鏡』を16:30頃に切り上げ、17:00頃から小野さんの卒論報告を、12月17日はひさびさ登場の山本陽一郎さんの修論報告が予定されております。詳細は追って告知されると思います。こちらにも多くのみなさまのご参加をお待ちしております。
博物館の特別展と史学会大会
No.6009
この週末は、先般池谷初恵先生が御紹介下さった(NO.5957)、目下、神奈川県下の4つの博物館で開催されている鎌倉時代関連の企画展のうち、神奈川県立金沢文庫特別展「鎌倉北条氏の興亡」と川崎市民ミュージアム企画展「12-14世紀の武蔵と鎌倉 "つわもの"どもの光と影 -稲毛三郎とその時代-」、また、東京大学本郷キャンパスで開かれた史学会大会に出掛けて参りました。
二つの企画展、ともに最新の研究成果を盛り込んだ展示だけに、系図に関する試案やら、考古学サイドの情報など、得るところ多大なものがありました。それぞれ、学芸員の方の個性が良く出た展示だと思いました。もと、同業だっただけに、よくわかるのです。
金澤文庫では、称名寺庭園のイチョウが見頃で、たくさんの市民の方たちが写生にとりくんでおられました。
史学会大会では、久しぶりにお目にかかれた方が多かったのですが、一方、最近、京都の研究会で面識を得たばかりの学生さんが、前列で一生懸命に報告を聴いていたのが目に留まりました。まだ学部の2回生というのに、積極的に学会に参加する姿勢は立派だと思いました。将来が楽しみです。
それから、ある報告のレジュメの参考文献欄に、ゼミメンバーの名前があったのも嬉しいことでした。彼もちゃんと評価されている。
ちなみに、報告レジュメの中に、岩田君(鎌倉下向の下級官人)と江波さん(蟹満寺関連の仏教説話形成)のお役に立ちそうなものがありました。明日お見せします。
なお、明日(19日)、私はⅢ講時の仏教学の時間に講話を担当いたしますので、その時間の『吾妻鏡』講読会は岩田師範にお任せしたいと思います。宜しくお願いいたします。
☆ 関東に出かけている間に、『横須賀市史』資料編古代・中世Ⅱを御恵送いただきました。本書は、南北朝~戦国時代を対象としており、とくに系図編は便利だと思います。
横須賀市史古代・中世史部会の専門委員である近藤好和先生・高橋秀樹先生、それに同市史編さん事務局の真鍋淳哉先生の御高配によるものです。
三先生に、あつく御礼を申し上げます。
臨時の勉強会
No.6010
臨時の勉強会のお知らせです。
日時:11月21日(水)6時45分~
場所:京都女子大学宗教・文化研究所 共同研究室
内容:『玉葉』のいくつかの記事につき、国書刊行会本と図書寮叢刊本を対照する。
具体的に何をするかは、私もしくは関係者が、月曜日の『吾妻鏡』の際か当日にご説明いたします。
内々に作業を進めようかとも思ったのですが、ゼミに参加されている学部生の皆様に史料訓読の補習の場を提供できるかもしれないので、告知いたします。
興味がおありの方は、気軽においで下さい
(資料は長村の方で準備いたしますので、参加予定の方は事前にご連絡頂けるとありがたいです)
シンポジウムのお知らせ
No.6007
下記の通り、シンポジウムを開催いたします。ご関心ある方々のご参加を希望いたします。
記
テーマ:日本の住様式~寝殿造から書院造へ
司会:溝口正人(名古屋市立大学)
発表
1.「寝殿造の成立とその展開」川本重雄(京都女子大)
2.質疑応答Ⅰ
3.「寝殿造から書院造へ ー鎌倉武家住宅の変化と
その意義ー」藤田盟児(広島国際大学)
4.質疑応答Ⅱ
5.全体討論
日時:2007年12月15日(土)午後1時30分~5時
場所:京都女子大学 C412教室
住所:京都市東山区今熊野北日吉町35
電話:075-531-7194(研究室)
参加費:無料 (先着100名)
参加申し込み:京都女子大学 川本研究室
Fax 075-531-7194
e-mail Kawamotolabo@aol.com
法住寺南殿!&鎌倉幕府将軍御所!
No.6008
川本先生、お知らせ、ありがとうございました。
満田さんの参加によって、建築にも注目しながら『吾妻鏡』を読み進められるようになったゼミメンバーたちにとっては、たいへんな朗報です。
『吾妻鏡』講読会参加の諸姉兄には、時間の許す限り、挙って御参加くださいますように。
小野さんは、卒論提出直前で、ちょっと苦しいかも知れませんが、かえって活力を与えてもらえる機会になるかも知れません。無理は言いませんが、お話しを聞いたら註の一つも増やせるかも知れませんよ。
どうも、今年いっぱい、週末はシンポジウム三昧のようです。
そういえば、自分の講演の準備をしなければならないのでした。
>永富さん→鈴木さん・鈴木君
入籍と転居を完了されたとのこと、おめでとうございます。
来年度、共同研究のお知らせ
No.6005
以下、私を研究代表者とする「平成20年度 宗教・文化研究所共同研究」の詳細について、お知らせいたします。関係者は御確認下さい。また、各方面のみな様には、宜しく御協力のほど、御願い申しあげる次第です。
記
摂関家別業の成立とその背景(中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅲ)
<研究概要>
平成18年度より約5年計画で、中世前期における宇治をめぐる諸問題を研究テーマとして掲げ、文献史学・国文学などの側面からアプローチをはかっている。
近年、中世前期都市史研究は活況を呈しており、そのなかで京都・平泉・鎌倉という王家・武家の政治権力の所在した都市については大きな成果が示されている。しかし、王権に包括されながら、実は国家的な権能を担い、平泉や鎌倉の政治権力にも大きな影響を与えた摂関家の本拠の都市である宇治については、ほとんど関心の対象にされてこなかった。本研究は、宇治を中世前期における権門都市の典型ととらえ、その政治・経済・文化・軍事機能を平泉など他の権門都市との比較を踏まえて解明し、その成果を中世都市史研究の中に位置づけることを目的とする。
<研究代表者>
野口実(本学宗教・文化研究所教授)
<研究協力者>
岩田慎平(関西学院大学大学院研究員),長村祥知(日本学術振興会特別研究員,京都大学大学院人間・環境学研究科DC),樋口健太郎(神戸大学大学院文化学研究科DC),山岡瞳(京都大学大学院人間・環境学研究科MC),田中裕紀(同志社大学大学院文学研究科DC),満田さおり(京都女子大学大学院家政学研究科MC),鈴木潤(同志社高校教諭),永富絵里子(京都文教中学・高校講師)
<研究概要>
【文献史学】(野口・岩田・長村・樋口・山岡)① 院政期頃までの宇治における都市の形成と発展について祖先供養の問題などを念頭に検討する。② 記録・文書から、宇治や平等院の経営に関わる記事を収集し、平安末期、分立した摂関家がどのように宇治・平等院を支配していたかを考察する。③ 鎌倉時代の公家日記によって宇治史料集を作成する。④ 京都の防衛拠点としての考察・検討を行う。
【国文学】(田中) 宇治を文学の舞台としてとらえ、物語を中心に、宇治という場がもつ文学上の役割や特性を考察する。
【建築史】(満田) 宇治における摂関家の本邸と位置付けられる富家殿・小松殿について、その復原的考察・検討を行う。
※ 今年度は、考古学に代えて建築史のジャンルを設定した。
<研究計画・方法>
研究協力者が全体の研究テーマに即した形で個々のテーマを設定し、その成果を全体の研究会で報告・総括し、さらに個々の研究作業に活かしていくという方法をとり、研究代表者は自らの研究課題を設定するとともに全体の総括を担当する。とくに文献史学と国文学は、たとえば説話類の記述についても、史料として分析の対象とすべきものが多いことから、相互に緊密な連携をはかる。また、建築史学など周辺分野の諸業績を積極的に活用するとともに、つねに平泉や鎌倉などと比較する視角をとる。
情報処理担当の研究協力者(鈴木・永富)は、この研究で得られた情報の整理や研究過程における情報機器の活用について技術協力を行う。研究成果については個人および研究ジャンルごとに積極的に論文化をはかっていく。
<備考>
昨年11月以後に、本研究に関わる成果として研究代表者・研究協力者(前年度)によって発表・執筆された論文は以下のとおりである。
岩田慎平「宇治における都市形成の契機について-道長期を素材に-」(京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナール『紫苑』第5号,2007年)
長村祥知「『明月記』の宇治関係史料-鎌倉前期における-」(同)
野口実・佐伯智広・田中裕紀・大原瞳「摂関家の空間における政治と文化(中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅰ)」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第21号掲載予定)