いまごろの『吾妻鏡』

No.5827

 世の中はぼちぼち夏休みに入りますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。私は先週半ばに山陰地方に出掛けてきたのですが、やはり京都の暑さは際立ちます。

 ずいぶん下の方に沈んでしまったようなので、忘れないうちに次回の『吾妻鏡』のご案内を再掲致します。次回は以下のとおりです(山陰地方のお土産はありません。ごめんなさい)。
 日時:7月23日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』安貞二年四月二十二日、二十六日、二十七日、五月七日、八日、十六日、二十二日、七月十六日、十八日、二十日、二十四日、二十九日、九月二十日、十月七日、八日、十四日、十八日、十九日、十二月三日、四日、二十九日
  (※適宜休憩を挟みつつ、読めるところまで読んでいきましょう)

 30日(月)は通常の講読は一旦お休みして、岩田のほうでネタを用意したいと思います。これまで読んだ範囲を回顧できるような資料をご用意したいと思います。

 それから、『吾妻鏡』とはまた別に、八月中の空き時間を利用して近距離の見学(ドライブ)を幾つかしてみたいと思わないではないですが、そういうご相談も次回(23日)にさせていただきたいと思います。23日は長村くんが【恒例、夏の短期勉強会】のご案内もしてくださるそうですので、併せて意見交換しましょう。

法住寺殿の武将墓

山田邦和
No.5822

時差ボケでまだボーッとしている山田です。

森浩一先生〈同志社大学名誉教授〉の『京都の歴史を足元からさぐる〈洛東の巻〉』(東京、学生社、2007年7月)が刊行され、一本をいただきました。森先生ならではのユニークな視点から構成された「京都案内」で、読んでいて、私も目から鱗が落ちる場面が続出します。

なかでも驚愕したのは、法住寺殿の「武将墓」についてです。森先生は、この墓の被葬者の候補として、法住寺殿合戦で戦死した円慶法親王(園城寺長吏、後白河法皇第5皇子)をあげておられるのです。私など、正直いってこの墓の被葬者としては武将ばかりを考えましたが、確かに、合戦の際には僧侶も武装するはずです。もちろん、この説には、墓の時期推定などの点で問題があり、確定ということはできないのですが、法住寺殿について新鮮な仮説が提起されたことを慶びたいと想います。

 野口先生も、法住寺殿の武将墓の被葬者について、仮説をお持ちだとおっしゃっていましたね。まだ秘密だ、ということでしたが、そろそろ公表されないのですか? 興味津々で見守っています。

 宣伝:来る21日、この本について、森先生がサイン会をされるそうです。ご興味ある方はどうぞ。→ http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2007/07/06/index.html

Re: 法住寺殿の武将墓

No.5823

 私の「仮説」はある程度キチンとした論証が固まるまでは発表しないでおこうと思っています。しかし、自分としては、「おそらく、これで決まり」だと思っております。

 森先生の御説については、どのような論証がされているのか、あるいは拙論にたいする御批判を踏まえられたものなのか、御高著をまだ拝読していないので分かりませんが、法住寺殿というと、どうしても法住寺合戦が想起されてしまいがちのようです。
 私は武将墓の造営時期を12世紀半~とする発掘報告書執筆者(考古学者)の御見解にそって、文献史料の博捜と当時の具体的な政治・文化環境を前提に、平重盛の可能性を指摘したのですが(拙著『武家の棟梁の条件』などを参照)、その後、京都市埋文研の上村和直先生から、共伴土器によって造営時期は13C前半に降るという御見解が示されました(「法住寺殿の成立と展開」京都市埋蔵文化財研究所『紀要』9)。この段階で、私は発掘担当者などからの反論を期待して重盛説を一応留保したのですが(「法住寺殿と小松家の武将たち」京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』15)、それに対して考古学サイドから再批判が出なかったので、13世紀初頭段階に時期をしぼって検討したところ、重盛以上に蓋然性の高い人物に行き当たったという次第です。
 何よりも、考古学の成果は客観性・科学性が高い(と尊重しております)ので、時期については、これをまず前提とするべきだと考えていたのですが、考古学者である森先生が上村説を否定されたとなると、文献史学者としては身の置き所を失ってしまいます。
 なお、法住寺合戦において、院方が物理的武装よりも、むしろ宗教的武装を行ったこと(横内裕人「密教修法からみた治承・寿永内乱と後白河院の王権」大山喬平教授退官記念会『日本国家の史的特質 古代・中世』)、また、合戦が義仲軍の圧倒的勝利に帰したことを考える必要があります。要するに法住寺合戦において法親王は調伏法を行ったのであり、そして、合戦直後には、堂を伴うような墓所の造営は絶対に不可能だったということです。

 などなど、申し上げましたが、今日においても、一般向けの本などでは、やはり、当初、朧谷寿先生が提出された法住寺合戦で死んだ北面の武士の墓であるという説が広く見受けられるところです。

 武将墓についての自説は自分ですっかり納得してしまっているので、わざわざ書く気にならず、先に済ませなければならない諸事を片付けてから、その気になったら、とりかかろうかと思っています。間に合わなければ、結論だけを長村君辺りに遺言し、論証はお任せしたいと考えております。
 もっとも、研究熱心な長村君は、もう気がついているかも知れませんね。

【追伸】 そういえば本日は7月19日。32年前は土曜日で、暦には仏滅とありました。この日、東京渋谷の青学会館で面白いイベントがあったことを、どれだけの方が御記憶でしょうか?
 32年後の本日。仏の心で採点中です。

 ☆ 本日、北海道教育大学の鈴木哲雄先生より、御高論「香取神宮神幸祭絵巻(権検非違使家本)について」掲載の『千葉県史研究』15、御高論「中世東国の百姓申状-称名寺所蔵「万福寺百姓等申状」考-」(佐藤和彦編『中世の内乱と社会』)を御恵送いただきました。
 鈴木先生に、あつく御礼を申し上げます。 

再び法住寺殿の「武将墓」について

No.5826

 目下、期末試験の採点と締切のさし迫った複数の校正に追われております。

 今日は学会誌の編集会議がありましたが、その帰途、はじめて拙著『源氏と坂東武士』が書肆店頭に並んでいるのに遭遇。また、上記、森浩一先生の御著書も立ち読みして参りました。

 ザッと拝読したところ、森先生の御説の根拠は、①『平家物語』に円慶法親王の頸が明雲大僧正とともに六条河原に晒されたとあること、②円慶は後白河の息子であるから、後白河・建春門院の陵墓の近くに葬られて然るべきである。この2点にあるようです。なお、「武将墓」被葬者について、発掘報告書の源光長説(朧谷寿先生による)を否定されているのですが、建春門院陵を後白河陵の北に隣接するとする山田先生の御説を前提にされていることからすれば、この建春門院陵養源院参道地下所在説がはじめて公にされた野口・山田「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』16)は御覧いただけているものと思われ、森先生は「武将墓」に関する私の見解を御存知であるものと思われます。
 まず、①についてですが、法住寺合戦の史実を検証する上で、『平家物語』を使用するにはかなりの検討を要するということを指摘しておかなければなりません。これについては、国文学の『平家物語』研究者からも高い評価を受けている長村君の「法住寺合戦について-『平家物語』と同時代史料の間-」(『紫苑』2)を一読すれば明らかなことです。ちなみに、法住寺合戦における円慶法親王(正しくは円恵法親王)について、『玉葉』寿永2年11月22日条には「又八条円恵法親王、於華山寺辺被伐取了、(中略)抑、今度之乱、所詮只在明雲・円恵之誅、未聞貴種高僧遭如此之難」と見えています。
 ②については、上に書いたとおりで、「武将墓」は五領もの高級な大鎧や馬具なども入れられた特別な埋葬形態が取られ、また付属の堂も造られていたわけですから、合戦直後に設けられたものとは考えられず、また治承3年の清盛によるクーデターに際して解官された院近臣平業忠の姉妹の所生である円恵が、平家と後白河を取り結ぶ存在であった建春門院(平滋子)の陵墓の直近に埋葬されるというのも不審といわざるを得ません。後白河にはたくさんの子女があり、②の考え方をつきつめるならば、ほかの皇子女たちも、このエリアに埋葬されなければならないことになってしまうでしょう。
 そして、遺物に関する年代比定との矛盾もさることながら、何よりも、山田先生が上記論文において、「この「W8土坑(武将墓)」は死してなお後白河天皇陵・建春門院陵を守護する最高級の武士の墓であると考えるのが最も可能性の高い解釈であろう」と述べられたのを否定する理由が示されていないのが腑に落ちないところです。
 立ち読みを思い出しての感想なので、記憶違いや誤解の可能性と雑駁の誹りは免れませんが、愚見はかくの如しです。

 ☆ 本日、慶應義塾大学の桃崎有一郎先生より、御高論「足利義満の公家社会支配と「公方様」の誕生」(『ZEAMI-中世の芸術と文化04』)・「中世後期における朝廷・公家社会秩序維持のコストについて-拝賀儀礼の分析と朝儀の経済構造-」(『史学』76-1)、「書評・水野智之著『室町時代公武関係の研究』」(『年報中世史研究』32)を御恵送いただきました。
 桃崎先生に、あつく御礼を申し上げるとともに、精力的な御研究に敬意を表します。

お願い←『伝説の将軍 藤原秀郷』重版

No.5821

 2001年に出版した拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)が重版されることになりました。

 秀郷流藤原氏研究の総括としてばかりでなく、産経新聞に上横手雅敬先生に書評を御寄稿いただいた思い出深い書です。重版は誤植を正して完璧な形で世に遺したいと考えております。

 つきましては、ゼミメンバーには、お気づきの誤植箇所をお知らせいただきたく、宜しくお願い申しあげます。自ら気がついているところは相当あるのですが、やはり本人だけでは見落としが出てしまうと思います。

 武士論を専攻されている長村君・岩田君・山岡さんをはじめとする諸姉兄、お暇なときにパラパラとでも拙著をお目通しいただければ幸いです。

 御礼は、元木先生のごとく<焼肉>とはいきませんが、京女のA地下でお好きな定食(安~!)など御用意させていただきたいと存じております。

 できますれば『台記』研究会の開かれる25日、おそくとも月末までにお知らせいただきたくお願い申しあげる次第です。 

本年度、宇治共同研究メンバーへ

No.5819

 論文執筆は、昨年度のメンバーの「義務」ですが、本年度メンバー(昨年度から継続の方が大半ですが)も着実に研究の実をあげておられることと思います。
 その際、いろいろ必要な書籍や消耗品などが出てくると思いますが、それらについては積極的にお申し出をお願いいたします。出来る限りの対応を致したいと思います。
 なお、後期には成果発表の報告会の開催を企画したいと考えています。宜しくお願いいたします。

夏の勉強会

No.5816

当ゼミ恒例、夏の短期勉強会。
今年は、8月下旬か9月上旬の2・3日間を予定しております。
内容は、『中山法華経寺文書』(日蓮遺文紙背文書)から、主に建長年間(十三世紀中葉)の閑院内裏関係史料を輪読します。
当該期の京や千葉氏、内裏造営の用途調達など、様々な視角から勉強を進めることのできる素材です。

7月23日(月)13時~
『吾妻鏡』の時間を少々頂いて、長村が概要を説明し、輪読の分担と日程を決めたいと思います。
参加ご希望の方は(迷っている方も)、23日にお集まり下さい。23日が都合の悪い方は、長村までご連絡下さい。
『吾妻鏡』同様、多くのご参加をお待ちしております。

追伸。25日はよろしくお願いいたします。

夏のゼミの予定

No.5817

 長村君、ありがとうございます。
 でも、「夏の勉強会」というと、なんとか商店の夏のバーゲンセールみたいですね(笑)。
 今のところ、これからの夏休みまでのゼミ関連の活動としては、

  7月23日(月):『吾妻鏡』講読会
    25日(火):『台記』研究会(長村祥知氏「木曾義仲の在京」)
    30日(月):『吾妻鏡』講読会
            例会(小野さん卒論中間報告)
  8月28日(火):拙著書評会

以上が確定しています。

 >小野さん 報告テーマの告知をお願いいたします。

 ★ なお、宇治に関する共同研究の論文提出の締め切りは8月31日(金)です。
  これもお忘れなきように。 

【追記】本日、森幸夫先生から御高論「中村氏の成立と三浦氏」掲載の『三浦一族研究』11、久保賢司先生から御高論「享徳の乱における足利成氏の誤算-貴種の格付け、正官と権官、主君と家臣の関係についても-」(佐藤博信編『中世東国の政治構造 中世東国論 上』)を御恵送いただきました。
 森先生・久保先生に、あつく御礼を申し上げます。

17日の基礎演習・前期末試験

No.5814

 台風4号。京都はさしたる影響がなかったようですが、鹿児島は大変だったと思います。1993年の8・6豪雨、そして13号台風に被災したときの窮状を思い起こしております。これから、関東・東北に接近するようですが、どうぞお気をつけください。
 7月15日といえば、私の郷里の千葉では稲毛の浅間神社に子どもを連れてお詣りするのが恒例行事でした。今日は悪天候でどうなっていることでしょうか。

 さて、京都女子大の前期講義は23日(月)で終わりますので、火曜日に設定されている基礎演習Ⅰと総合教育科目7Bは17日で終了。
 基礎演習は三輪さんが在日外国人の雇用問題、宮内さんが地球環境の問題をテーマに報告されます。
 一方、総合教育科目は筆記試験(持ち込み不可)です。祇園祭の山鉾巡行の日だというのに、無粋なことで申し訳ありません。

 さる論集に旧稿(20年以上前のもの)を掲載していただけることになり、その校正刷りが届いたのですが、そのまま載せるわけにも行かず、補訂に苦労しております。と、そこへ新聞社から短文の執筆依頼。試験の採点を前に段取り通りに事は運びません。25日の報告は長村君に交代していただいて正解でした。
 明日は祝日ですが、京都女子大は平常授業を実施。図書館も開館。私も研究室で仕事を進める予定ですが、御用のある方は事前に御連絡をお願いいたします。 

【追記】 基礎演習Ⅰでは、授業アンケートをとらせていただきます。
    >山田先生 英国御出講、お疲れ様でした。

帰ってきました

山田邦和
No.5818

>野口先生
ありがとうございます。
イギリスの「国際中世史学会」から帰ってきました。
ホントは、イギリスではテロ騒ぎやらなんやらで、怖かったのですが。
向こうでの見聞は、「平安京閑話」に徐々に書き込もうと思います。

書評会のご案内

No.5812

 このたび、野口先生の『源氏と坂東武士』ご出版を記念して、書評会を開催するよう計画致しました。武士論研究の今後のより一層の活性化のため、日頃なかなか機会が持てない意見交換のため、みなさんで大いに活発な議論を交わしましょう。

 ◇ 野口実著『源氏と坂東武士』出版祝賀の書評会 ◇

 日程:8月28日(火)
 時間:調整中
 会場:京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
 書評会の形式:著者である野口先生を囲んで参加者による談論。ただし、内容の概括と問題提起のため担当者を配する。
 担当者:生駒孝臣氏

 担当者の生駒さんは畿内武士のご研究の第一人者で、私の先輩でもあります。今回の書評会の趣旨にご賛同頂き、快くお引き受け頂きました。
 今回は夏休み中ということで平日開催と致しましたが、みなさまどうぞご都合をお合わせのうえ、奮ってご参加ください。よろしくお願いいたします。

長村君の報告「木曾義仲の在京」(仮)

No.5813

 拙著『源氏と坂東武士』の書評会の開催については、元木先生に御提案をいただき、これを受けて岩田君が幹事役をつとめてくださっているとのこと、大変ありがたく存じております。
 また、内容の概括と問題提起の担当をお引き受け下さった生駒さんにも深謝申し上げる次第です。
 当日は、多くの方にお出でいただき、忌憚のない御批判をいただければ幸いとするところです。首を洗ってお待ち申し上げる次第です。
 なお、ここで頂戴した御批判については、9月末に予定されている日本史研究会例会における報告や12月の茨城大での関東武士団に関するシンポの際に活かしたいと考えております。

 ところで、ついでのような形になってしまって恐縮なのですが、最近、中世前期における「在京武士社会」をテーマに、目覚ましい研究をすすめておられる長村祥知君(京大院DC・学振特別研究員)が、最新の研究を発表される機会がありますので、お知らせいたします。
 これは、いつもは京都大学で開催されている『台記』研究会が、しばらくの間、京都女子大学で行われることになったため、主宰者の元木先生の御好意で、当方のゼミメンバー・関係者にも出席のおゆるしをいただいたものです。

 報告テーマ:「木曾義仲の在京」(仮)
 日時:7月25日(水)15:00~
 会場:本学宗教・文化研究所共同研究室

 報告はもとより、元木先生や美川先生、それに元木研究室所属の院生の方たちなど、第一線で活躍されている研究者の方たちの謦咳に接する絶好の機会だと思います。出席を希望される方は事前に野口まで御連絡下さい。

 ○ 夏休み中に実施が企画されている史料(中山法華経寺文書)講読会については、近日中に対象文書と日程調整が行われるはずです。参加される方は長村君と連絡をとってください。

 > 元木先生  PCの不調。御心労のほどお察しいたします。仕組みの分からない器械を使うということは、人を雇用しているのに似ているように思います。

 > 鈴木君  採点作業は終わったでしょうか? こちらは、ようやく前期末試験の問題を作成している段階です。
 夏休みになっても、海外出張などでお忙しそうですが、ウィルスチェックや新しいソフトのインストールなどで些か不安な点がございますので、ぜひ一度、研究室および拙宅に遊び(実はハードな仕事の場合が多い)にお出でになる機会を作ってください。

【追記】
 ☆ 本日、昨年の伊豆ゼミ旅行で大変お世話になった、伊豆の国市教育委員会の池谷初恵先生と、先月の公開講座に御講演いただいた、国立長野高専の中澤克昭先生より、小野正敏ほか編『中世寺院 暴力と景観』( 高志書院)を一冊ずつ御恵送いただきました。
 池谷先生は「伊豆・箱根の寺社景観」、中澤先生は「中世寺院の暴力」という御高論を発表されています。伊豆へのゼミ旅行に参加したメンバー、また公開講座を聴講した方々にとっては格別の内容です。
 一冊は、ゼミメンバーへの貸し出し用として研究室に配架させていただきたいと思います。
 池谷先生、中澤先生にあつく御礼を申し上げます。

居候させていただきます

No.5815

 野口先生、しばらく研究室でお世話になります。
 よろしくお願いいたします。
 
 当方の研究室のある建物の耐震補修工事により、4ヶ月間仮住まいに移転を余儀なくされる破目になりました。仮研究室は、以前どこかの病院の看護師寮だったところで、しばらく人が住んでいなかったために、エアコンにカビが生えているとのこと。
 しかも、11月末には、再びもとの部屋に戻らねばならず、荷物の梱包も開封余裕もなさそうです。だいたい4畳半一間の学生下宿並みの部屋では、とても10人近い人に入ってもらうことなどできません。というわけで、研究会の開催が困難となり、野口先生の研究室に居候させていただくことと相なりました。

 数千冊の書物を梱包するのに業者を雇う金がないとのことで、院生諸君には本当にご迷惑をおかけしました。さらに、書物も、避難先にもってゆくもの、図書館に一時配架するもの、院生共同研究室に移すもの、避難期間中梱包するもの、これを機会に図書館に帰すものに分けなければなりません。
 しかも、授業期間中ですから、講義の準備にも重大な支障を生じてしまいました。
 教員はもとより、院生の研究を著しく妨げ、学生の授業にも支障をきたす、このような無茶苦茶な移転計画が、ろくに説明もなく押し付けられ、なんら反論の機会も与えられない、これが独法化した「国立大学」の有様です。
 学問より、法人としての経営効率を優先し、資金を交付した政府にのみ顔を向けるのが、今の大学の管理者たちです。これで、まともな教育ができるのでしょうか。
 まともな私学がこんな真似をなさらないように、お祈りするばかりです。
 
 そこへ、自宅では冷房が壊れ、CDが動かず、ついにPCもダウン。おまけに悪サブが子猫を拾ってきて、夜中に枕元を走り回る始末。捨て猫経験のある彼が、義侠心で助けたのでしょうか。
 気が遠くなりそうです。
 ここは気を落ち着けて、ビールでも飲むことにします。
 

腰にお気をつけ下さい。

No.5820

 元木先生、京大の研究会が京女に引っ越してくるというのは、一時的であるにせよ大歓迎であります。

 ちなみに、大量の図書を伴う引っ越しは本当に大変です。
 1986年、京都文化博物館の新築に伴い、旧平安博物館文献学研究室の蔵書・備品は二条城の北にあった、もとは府の看護学校か何か(なぜか空いている建物というのは、もと看護関係の施設というのが多いようですね)で使っていた古い木造の建物(近くに、源頼政がヌエ退治をしたという史跡?がありましたが、ここの庭にもしばしばイタチが出没いたしました)に一時移転したのですが、その時と、今度は京都文化博物館完成後の引っ越し、本当に大変でした。毎日、引っ越し作業のために生活しているようなもので(この仕事があるから採用されたのだろうと疑いました)、主任研究員とは「段ボール箱かつぎ」の別称に他ならないと思いつつ過ごしておりました。
 おかげで、博物館の開館を目前にした、忘れもしない1988年9月12日。私の腰はついに壊れてしまったのです。ひどい痛みに襲われ、エビのような形で横になっているのが精一杯で、まさしく「再起不能」なる熟語を実践していると言った状態でした。
 なにしろ本は重いのです。元木先生も、研究室の皆さんも「御油断めさるな!」。よくよく気をつけていただきたいと存じます。

 それにいたしましても、冷房・CD・PCと、大事なものが機能しないのは本当にお困りのことだと思います。早々の復旧を祈念申し上げる次第です。

 しかし、悪サブ殿は慈善の精神に溢れていて、さすがは大臣の風格のある大物ネコとお見受けいたしました。拾ってこられた子ネコ殿は既に命名されたのでしょうか。おそらく、悪サブ殿の「随身」としての活躍が期待されるものかと存じております。
 さても当家の方は、雌の白ネコが2匹。家の東西におのおのの拠点を設定し、そのふんぞり返った姿は、あたかも「女人入眼の日本国」のごとき有様です。

 私はビールというわけにはいかず、カロリーオフのアクエリアスとペリエという輸入品の炭酸水を、すぐに壊れてしまう胃に流し込んで、何とか京都の蒸し暑い毎日を乗り切りたいものと思っております。

Re: 書評会のご案内

No.5824

 緊急避難作業、何とかほぼ終了までこぎつけました。
 協力してくれた院生諸君に、心から感謝します。
 ご心配いただいた腰痛は起こりませんでしたが、持病になりつつある、右肩の炎症が再発の気配で、おまけに右手をかばったおかげで、左も変な痛みを感じるようになってしまいました。
 まだ、図書館に一時配架する書籍の配架が作業も残っています。
 もうすっかり心身ともに夏ばて気味です。

 それにしても、あの避難先、まあすごいところです。
 一度、お越しください。話しのネタにはなります・・・
 お越しのときは、虫除けスプレーをお忘れなく。

 拾ってきた子猫、やっと触れるようになりました。
 本当の野良猫の子供だったようです。
 オス同士なのに、親子のようにじゃれ合ったり、尻尾で遊んだり、はては授乳(?子猫に吸い付かれ、悪サブの乳首が赤くなっております)までする始末。どうなっているんでしょうか。
 変な猫としてテレビに出られるかも?
 

またまた・・・

No.5807

 パソコンがまた壊れました。
 二年ぶりの事故です。
 前に比べると、だいぶスパンが長くなりました。性能向上の表れでしょうか、などと感心している場合ではありません。
 緊急に初期化しようとしたのですが、リカバリーの途中でどうしたことかシャットダウンされ、error表示が出るだけでにっちもさっちも行かなくなり、仕方なく予備に保管していた古い機種に切り替えました。
 この状態では自力回復は無理でしょうね。
 鈴木君、いかがでしょうか?

 予備機も以前、不調で初期化した代物だけに、アドレスがまったく消失状態です。
 恐れ入りますが、当方と関係あると思われる方のアドレスをお教えくださいますようにお願いいたします。
 やっぱりパソコンは奇怪な機械なり・・・
 

追伸

No.5808

 パソコ故障の詳細について説明しておきます。
 今月はじめころ、作業中に突然PCがシャットダウンされる事故に遭遇しました。
 その後、すぐに再起動し問題ないかに見えたのですが、一日一度程度、突然シャットダウンを繰り返しました。
 そこで、ノートンでクイックスキャンをしたところ異常なし。
 念のために完全スキャンをしたところ、途中でシャットダウン。おかしいと思い、今朝再度完全スキャンを試みたところ、シャットダウンしたばかりか、再起動もしなくなってしまいました。
 意を決して初期化するためにリカバリーをしていた最中、またもシャットダウン。
 そのあとは上記のようになったしだいです。
 ウィルスが原因でしょうか?
 そうだとすると、関係各位にご迷惑をおかけする可能性があります。
 十分ご注意ください。
 なお、その直前に知人から「トロイの木馬」が見つかったという連絡がありました。関係するのでしょうか。
 以上、ご報告まで。

PC不調に関して

No.5809

元木先生

先日の公開講座では、いろいろお話を聞くことができ、とても勉強になりました。
一緒に参加した生徒も、かなり感化された様子でした。

PC故障の件ですが、ソフトウェア(設定ミス・ウィルス感染など)の問題ではないように思います。
ハード的なトラブルではないかと想定されます。

研究されている方がお使いのPCの場合、かなり長時間起動されていることと思いますし
一般企業でもだいたい4年が耐用年数の限度です。どこかのパーツが故障してもおかしくないでしょう。

今とれる対策としては「現状、そのままにしておく」しかありません。
来週より、2週間ほど海外出張のため、故障したPCを見ることは出来ません。
リカバリーがどこまで実行されたかによるのですが、PCそのものが故障したとしても中のデータだけは簡単に取り出すことができます。
日本に帰ってきてから、詳しく伺う形でもよろしいでしょうか?

ところで、元木先生がお持ちの故障したPCはノートPCですか?

PCでのトラブル対策マニュアル

No.5810

この掲示板をご覧の方で、大事なデータをPCに保存されている方が多いと思いますので、トラブル時の対策を記しておきます。

◆事前の対策
①とりあえず作業が一段落したら保存をする。
 →キーボードではCtrl+Sと押すと一発で保存できます。
②紙で印刷したものも併せて保管する…やはり最後は紙媒体。
③大事なデータはPC本体(ハードディスク)と外部メディア(フロッピーやUSBメモリ)などに複数保存しておく。…バックアップは必須。
 →フロッピーだけ、USBメモリだけでの保存はかなり危険。湿度の多い場所だとカビも生えます。
④ウィルスチェックソフトは必ず購入し更新する。
⑤PCを置く場所は掃除をしっかりと行う。…湿気や埃は大敵です。

◆トラブル時の対応…生ものではありませんのであせらずに
①ウィルス感染拡大に備えて、インターネットの回線を抜く
②マウスや外付けドライブなどの周辺機器をすべて取り外し起動してみる
③電源が入らない、異音がするなど異常がある場合は、それ以上さわらない
→データ復旧を優先する場合は、お金がかかりますが専門の業者(最近はだいぶ増えてきました)にお願いしたほうが確実です。

◆最後に
PCは奇怪であっても所詮機械ですから、電源を入れなければ現状は悪化しません。
車と一緒で、定期的にリプレースするか、メンテナンスは必要になってきます。
ウィルスなんかは、企業取引における信用の問題として、対策は必要ですが、
文書やアドレス帳などデータそのものが商売道具であるものとしては、データが取り戻せるかどうかが重要です。個人レベルでは、やはりバックアップをしておくことが一番の解決策です。

以上、ご参考になれば幸いです。

Re: またまた・・・

No.5811

鈴木君、早速のお返事ありがとうございました。
 当方のPCはノートパソコンで、富士通のBIBLOシリーズです。
 書き込みを拝見し、日ごろから、いかにパソコンをいい加減に扱ってきたかを痛感いたしております。
 思えばパソコン中毒のような毎日でした・・・。
 ともかく、ウィルスではなさそうとのことで、少し安堵いたしました。
 一応、予備のパソコンが機能しておりますので日常的には大丈夫です。データもたいしたものは入れておりませんが、アドレスだけは何とかしたいと思います。
 一度、見ていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
 お礼は例の焼肉でいかがでしょうか(笑)

明日の基礎演習・総合教育科目

No.5804

 あっという間に7月も第二週に入りました。
 明日(10日)の授業ですが、Ⅲ講時の基礎演習Ⅰは、村上さんが「メディアについて」、森田さんが「ふるさと納税」について御報告の予定です。前者は先週の森山さんの報告と関連しそうですね。
 つづいてⅤ講時の総合教育科目7Bは、「日本史に見る老人像」をテーマにお話しいたします。来週(17日)は、とうとう試験です。

 ☆ 先週末は、諸事に追われておりましたが、その間に、国際仏教学大学院大学の箕浦尚美先生より、御高論「金剛寺蔵玄応撰『一切経音義』について」・「金剛寺蔵〈佚名孝養説話集抄〉について」掲載の平成15~18年度科学研究費基盤研究(A)(代表 落合俊典)「金剛寺一切経の総合的研究と金剛寺聖教の基礎的研究」の報告書(2冊)、また、御高論「『天狗の内裏』版本改作本について-付 実践女子大学山岸文庫蔵本翻刻-」(『語文』87)・「信多純一氏蔵文政五年書写六段本『天狗の内裏』解題・翻刻」(『詞林』40)を御恵送いただきました。
 箕浦先生にあつく御礼を申し上げます。

【追記】本日、高知大学の市村高男先生より、御高論「中世日本の中の蹉 山金剛福寺-土佐一条氏との関連を中心にして-」(『西南四国歴史文化論叢 よど』8)、および同「高知城の歴史と保存・整備の意義」掲載の高知城跡の保存と整備を考える会編『高知城は県民の宝』、同「白河結城文書の形成と分散過程」掲載の平成16~18年度科学研究費基盤研究(B)(代表 村井章介)「中世東国武家文書の成立と伝来に関する史料学的研究-陸奥白河結城家文書を中心に-」研究成果報告書を御恵送いただきました。
 市村先生にあつく御礼を申し上げます。

本は濡れると元に戻らない-来週の『吾妻鏡』-

No.5805

 「私自身はすぐに元通り乾くが、本を濡らしてしまうと原型を失う。」
 梅雨時は、荷物のなかの本が濡れたりしないかどうか気になりますね。

 さて来週の『吾妻鏡』は以下のとおりです。
 日時:7月23日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』安貞二年四月二十二日、二十六日、二十七日、五月七日、八日、十六日、二十二日、七月十六日、十八日、二十日、二十四日、二十九日、九月二十日、十月七日、八日、十四日、十八日、十九日、十二月三日、四日、二十九日
  (※適宜休憩を挟みつつ、読めるところまで読んでいきましょう)

 来週16日(月)は、いちおう休日なのでお休みです。祇園祭の宵山の日ですので、洛中に繰り出してみるのも良いかもしれませんね。
 そういうわけですので、次回は23日(月)、その次は30日(月)を予定しています。30日(月)は通常の講読は一旦お休みして、岩田のほうでネタを用意したいと思います。

京大総合博物館のおばちゃん

No.5801

昨日、近藤好和先生とのコンパで、例の山科西野山古墓出土品が話題になり、
その展示が今日までというので、京大総合博物館に行ってきました。
ここは元京大文学部博物館といい、10年前?理科系も入って、
全学の博物館として、現在の体制になったようです。
なんだか、ほとんど入場料を払った覚えがなく、
それが、大学院やらODやらに長くいたり、医療短期大学部の非常勤を数年前、
改組で医学部になるまで勤めていたり、あるいは卒業生であるせいかと、
とにかく、入り口窓口の年配の女性に、小声で、
「以前、卒業生は無料だったような気がするのですが」
と遠慮がちに尋ねてみました。ところが、その女性はまったくでかい声で、
「そんなことは断じてありません。無料になるのは現役の教職員と学生だけです」
と叫んだのです。私は、まるで不正を咎められたように、萎縮。
早々に隣の自動販売機に千円札をねじこみました。
ところが、隣の自動販売機で、券を購入しようとしていた女性が、
「私、職員ですから、無料なんですね」と叫んだ。
そうすると、窓口のおばちゃん(ともう言っちゃおう)が、
「そうですよ、間違えて券を買わないように」と言ったのです。
なんだか、とても後味が悪く、だんだん腹がたってきました。
これ、なんだか、理不尽だと思いませんか。
ちなみに、案内パンフレットやホームページにも、
教職員や学生は無料とは書いていないのです。
百歩譲って、私の申し出が、400円の入場料を倹約しようとする
せこい企てであったとしても、あの大声は、納得いきません。
しばらくは、母校とはいえ、あの博物館には行きたくありません。

http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/indexj.html

京大の宝の出し惜しみ展

No.5803

なんとも、納得がいかない気分なので、少々冷静に怒りの根源を分析してみました。

他の大学も、最近、いろいろ博物館を設立していますが、東大をはじめとして、
入場料無料のところが、はるかに多数派のようなのです。
私大でも、早稲田の演劇博物館など、無料の所が多い。

市民に開かれた大学をアピールするよい機会ですし、
できるだけ、ふらっと市民に来てもらって、
ショップでその分、大学グッズのお買い物をしてくれれば、
収益にもなるし、宣伝にもなるし、なんてことなのでしょう。

ところが、400円とられると、もうショップに寄る気にはならなくなります。
しかも、入り口で、部内者へのなんだかわからないあからさまな優遇をみせつけられると、とくにです。
しっかり、あのおばちゃんは、市民に閉じられた大学をアピールしていますよね。

そもそも、1986年に文学部博物館新館ができたとき前後に、
図録作りやその他に、ある程度協力したはずなのです。
あの窓口のおばちゃんは、協力者なのでしょうか。
他の博物館でも、関係者に特別展で、招待券などを送ってくれます。
京大でも、まったく無関係な部署の職員までが無料というのは、よく理由がわかりません。
運営や展示に関係している職員が無料なのはよいと思うのですが。

総合博物館十周年記念 京大の至宝 ー蘇る宝たちー
などという企画展ですが、京大には、さらにいろいろ貴重な収蔵品が、
あることを知っている私としては、なんとも解せません。
目玉は新聞報道のされた西野山古墓関係資料だけですが、
これが坂上田村麻呂の墓、というので、行ってみると、それとの関係の
解説はまったくなく、がっかりさせられます。
どうみても、文献と考古との確執でもあるのか、と疑われます。
一般の人は、もしかすると、どの展示品が、坂上田村麻呂の墓、のものなのか、
わからない人もいると思います。はっきりいって、不親切です。
まあ、あの企画展で、400円は高すぎる。せいぜい、150円でしょう。

総合博物館創設十周年記念 京大の宝の出し惜しみ展 とでもするべきでしょう。

あの程度の展示は、常設展とすべきです。
そして、少なくとも常設展は無料とすべきです。

なんだか、独法化の良くない面、もうけなければならないが、職員の意識は変わらない、
が露呈している施設という印象を強く持ちました。

文学部博物館として発足しながら、
けっきょく危惧されていたように「ひさしを貸して母屋をとられ」
実態は科学館になったのかなあ。
思い入れがあるだけに残念なことです。
京大文学部は衰退しつつあるのかな、と思うと寂しい限りです。