京女周辺の史跡を歩きます

No.5642

 私が担当している「基礎演習Ⅰ」(現代社会学部)の授業では、目下、履修者全員で、それぞれの今後の研究課題や進路について考えているのですが、そのために先ず「大学」あるいは「京都女子大学」への理解を図っています。その一環として、京都女子大学周辺の環境を知っておこうということで、来月8日(火)の授業は大学周辺の史跡見学を行うことになりました。
 私が案内役なので、コースは例の如し。

 渋谷越→(伝)佐藤忠信・継信墓→積翠園(伝・平重盛邸跡)→東山大仏殿跡→方広寺(「国家安康、君臣豊楽」の梵鐘)→豊国神社→耳塚→京都国立博物館(ここで小休止。京都女子大の学生は、平常展は無料で入場できます)→三十三間堂→後白河天皇陵→法住寺殿跡・最勝光院跡→今熊野社→今日吉社

 12:30共同研究室に集合、14:30に帰着予定です。
 ゼミメンバーで時間のある方は、(助手役として)御参加下さい。ただ、1回生はやたらと元気ですので、私は「置いてきぼり」をくうおそれがあります。

 ○ ちなみに、愛知の野口君から、連休中に愛知学院大学の松薗先生の御一行と上洛され、神護寺などを見学するので、当ゼミの関係者に希望する方がおられたら、御一緒したいという申し出を頂いています。
 GW中の神護寺(北条政子・文覚の自筆書状などが展示されます)見学は、かつて当ゼミの恒例行事であったわけですが、昨年から中断。今年も「俺たちにGWはない」状態ですので、野口君に寄りかかることにしたいと思います。参加希望者は直接、野口君まで御連絡下さい。

 × 岩田君が研究室に寄贈してくださったNHK大河ドラマ「太平記」のビデオの6巻目(一番最後)が行方不明になっています。お心当たりの方は、御連絡下さい。
 【26日追記】上記ビデオ、研究室にて発見されました。学内販売品と同一メーカーで180分テープ、しかも1~5巻には貼ってあるラベルがないために、未使用品と一緒に保管されていたという次第です。お騒がせいたしました。

 > 新地さん 書き込みをありがとうございました。南九州市の成立はこれからだったのですね。訂正しておきました。ますますの御活躍を祈念いたしております。

神護寺見学会のお知らせ

No.5645

ご無沙汰しております。愛知の野口でございます。
上記野口先生御通知の通り、連休に松薗先生とゼミ生で神護寺の虫干しを見にいきます。
期日は五月三日。掲示板をご覧の方で興味のある方は是非私まで御一報下さい。詳しい時間などをお知らせ致します。
国宝の伝頼朝像などを間近に見られる貴重な機会です。神護寺以外にも沿線の寺社の見学を予定しております。興味のある方は是非ご一緒下さい。不肖野口が御案内させていただきます。

松薗ゼミの皆さん〉この時期の京都は日柄もよく、散策には絶好の季節です。神護寺の虫干しも一年でこの数日しか見る事ができません。まだ決めかねておられる方も是非この機会に。

野口先生〉京女周辺の史跡見学、是非ご一緒させていただきたいとこですが、あいにく仕事があるためそれも叶いません。京都にいないこの身を恨めしく思います。今回は残念ですが、助手でも主催でもお役にたたせていただきますので、また機会がありましたらよろしくお願い致します。

伝音セミナーへのお誘い

末松憲子
No.5638

野口先生、ゼミメンバーの皆様、お久しぶりです。
ながらくご無沙汰しており、すみません。

久しぶりなのに告知で申し訳ありませんが、5月に中世に関係する催しが職場で行われることになりましたので、少し宣伝させて下さい。
現在、私の勤務先である日本伝統音楽研究センターでは、定期的に「伝音セミナー」というものを開催しております。
これはセンター所蔵のSPレコードに残された音源を、毎回テーマを決めて、センター教員がレクチャーする、というものです。
(SPレコードは、片面4分程度、回転数がものによって異なる、落とすと割れる、などの事情からなかなか個人では視聴が困難なレコードです。)
今年度・第一回目は平家琵琶ですので、興味のある方がいらっしゃるかと思い、掲示板に告知させていただきました。
京都市立芸術大学は、桂からバス乗り換えという、少々辺鄙な場所ですが、どうぞご来場くださいませ。

第1回 5月10日(木)
ナビゲーター:藤田隆則
平家琵琶を中心とした中世の語りと歌

定 員 先着30名
参加費 無料
会場  京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター合同研究室1(新研究棟7階)
今後の日程 6月7日(木),7月5日(木),9月6日(木)
      午後2時から4時まで(受付は午後1時30分から)


http://w3.kcua.ac.jp/jtm/
http://w3.kcua.ac.jp/jtm/announcements/2007/spsemi.html

今週は書類、来週は原稿との闘い。

No.5639

 末松さん、ありがとうございました。語りとしての『平家物語』を研究対象にされておられる方たちにとっては、願ってもない企画だと思います。

 『吾妻鏡』講読会ですが、元仁元年に入ってから、陰陽道関係の記事がやたらに多くなってきたように思います。ゼミ草創期に鎌倉幕府の陰陽道を研究テーマにされていた中村晃子さんが居てくれたらなぁ、と思いながら読み進めました。
 来週は振替休日なので、次回の講読会は5月7日になります。しかしながら、この日は、私にとっては、複数の原稿締め切り日でもあるのです。俺たちにGWはない。

 ☆ 京都市歴史資料館の宇野日出生先生より、御高著『八瀬童子 歴史と文化』(思文閣出版)を、市立市川歴史博物館の湯浅治久先生から、御高論「在庁官人次郎介桑原氏から六所神社神主桑原氏へ-下総国衙在庁の系譜をひく「村の領主」-」掲載の平成17年度『市立市川歴史博物館館報』を御恵送いただきました。両先生にあつく御礼を申し上げる次第です。

 出張のついでに、丸の内のマルゼンで、ようやく拙著『武家の棟梁の条件』(中公新書)の第6刷に邂逅することが出来ました(出版社からは、なぜか未だ送られてきません)。
 ちなみに、本日届いた『日本歴史』第708号の吉川弘文館の広告(15ページ)には、歴史文化ライブラリーの「6月の新刊」として拙著が挙げられておりました。
 乞う、御期待! 目下、最終校正の段階です。 

紫苑5号拝受しました

新地浩一郎
No.5637

 遅くなりましたが、金曜日に職場に届きました。ありがとうございました。皆さんの研究成果、ゆっくりと読ませていただきたいと思います。
 私の方は、年明け以来埋蔵文化財の仕事が主ですが、新しい指定文化財候補の調査や史談会の方々と調査などもしています。先日は河辺氏の兄弟が出てくる伝説にまつわる「夫婦池」という池の調査をしてきました。虎御前供養塔の前に広がる「鳴野原」の地名由来に関する伝説ですが、現地調査をしてみて河辺氏の本拠地や中世の道についてちょっと文章が書けそうです。ちなみに、虎御前供養塔は、元禄年間の絵地図には「九重塔」という名前で書かれています。いつから虎御前の名前が出てくるのか調べてみようと思います。
 南九州市は、今年の12月1日に誕生します。合併に向けての事務なども多く大変ですが、名前負けしないよう文化財行政にがんばりたいと思います。
 それでは。

紫苑第5号拝受の御礼

松本一夫
No.5633

野口先生、このたびは紫苑第5号をわざわざお送り下さり、まことにありがとうございました。
私はこの掲示板の隠れファンでして、ゼミやその卒業生の皆さん、野口先生、それに関西の大物研究者の方々の書き込みを毎日のように楽しく拝読しています。野口先生のご人徳でしょうか、皆さんが和気藹々とそれでいて学問的には真摯に幅広い活動をしておられること、とても素晴らしいことだと感心しております。私も今を去ること20数年前、学部で雑誌を出した経験がありますので、その時のことが懐かしく感じられます。本当にあの頃は、今から比べれば稚拙ではありましたが(皆様の方がはるかに質が高いです)、1日中ともかく学問のことを考えることができた(クラブ活動もけっこうしっかりやっていましたが)、恵まれた時期だったと思います。それに比べ、今は、多少はレベルは上がったかもしれませんが、1つのことに集中できません。こんなことで純粋な学問の世界に立ち向かっていけるのか、自問しつつの毎日です。
どうぞ今後とも、怠惰な私に刺激を与えていただければと思います。大変失礼しました。
栃木県立文書館 松本一夫

「歴史へのいざない」

No.5635

 松本先生、お久しぶりです。メッセージをありがとうございました。
 
 当ゼミには、中学・高校の教育現場で活躍しているメンバーが多くおりますが、松本先生は、御専門の御研究の傍ら、教職にある方たちに、とても役に立つ情報を発信しておられます。
       →http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/

野口先生、紫苑編集者の皆様へ

池谷初恵
No.5630

野口先生、伊豆旅行にお出で下さって皆様、ご無沙汰しております。
伊豆の国市の池谷です。

このたびは、「紫苑」第5号をご恵送下さり、誠にありがとうございました。
また、山岡さん、旅行記を楽しく読ませていただきました。

2月の寒い折、皆さんといっしょに願成就院から守山頂上まで登ったことを思い出しました。あまりに、皆さんが感激していらっしゃるのに、こちらは正直驚いたくらいです。
たしかに、北条・山木・天野・狩野・そして三嶋大社と歴史の舞台が眼下に広がっているわけですから、なかなかの眺望と言えるかもしれませんね。
あれから、可能な限り守山登山を見学コースに入れるようにしています(笑)。

また、機会がありましたら、伊豆にお越し下さいますよう。お待ちしております。

『古代文化』第58巻第1号刊行のお知らせ

No.5631

 池谷先生、その節は本当にありがとうございました。山田康雄先生にも、どうぞよろしくお伝え下さい。
 『吾妻鏡』の冒頭の山木攻めの記事を思い起こしながら見た、守山の頂上からの眺望は最高でした。
 『北条時政』の上梓まで、しばらく時間がかかると思いますが、伊豆・駿河・相模三国の国境あたりの12世紀末はとても面白く、これから池谷先生たちが考古学の新知見もお示し下さりそうで、とても楽しみです。

 しばらく刊行が中断されていた『古代文化』が出ました。巻頭を飾るのは、今春から大学の教壇に立つことになった佐伯智広君の御高論「一条能保と鎌倉初期公武関係」です。
 「さすが、元木先生の研究室の大番頭」と喝采を叫びたくなるような、オーソドックスな政治史研究の秀作です。例によって、セミメンバーは必読のこと。
 
 >佐伯君  抜刷は規定により50部が執筆者に送られます。また、奥付の刊行日が実際より溯っている点については、古代学協会より史学会に書面をもって事情説明を行い、「回顧と展望」の俎上にあげてくれるように要請するとのことです。

 >『古代文化』投稿予定の皆さま  投稿原稿は来月の編集委員会より、順次査読にかけられることになります。頑張ってください。

 >尻池さん  広島大学大学院の皆さまとともに、京都に錦を飾られる日を楽しみにお待ちしております。

 ☆ 國學院大学の森幸夫先生より、御共著『おだわらの歴史』(小田原市立図書館)を御恵送いただきました。今、もっとも関心のある地域の歴史を知ることの出来る本を頂いて、とても有り難く思っております。
 森先生に、あつく御礼を申し上げます。

Re: 野口先生、紫苑編集者の皆様へ

No.5634

池谷先生へ

京都大学の佐伯智広と申します。
昨年の伊豆旅行には私も参加させていただきました。
見学の際にはいろいろとお世話いただき、本当にありがとうございました。
守山からの眺望はとても印象的で、いまでもパッと頭に思い浮かべられるくらいです。

野口先生へ

拙稿をご紹介いただきまして、またいろいろと情報をいただきまして、どうもありがとうございます。
成稿の際にも、いろいろと貴重なご教示をいただき、ありがとうございました。
無事刊行されて、正直ホッとしているところです。
会員として、また学会全体のためにも、これから刊行が順調に進むよう願っております。

ご高覧を賜り、光栄です。

伊藤明日香
No.5624

 松尾先生、はじめまして。

京都女子大学の伊藤明日香と申します。
私の読むに耐えない論文に目を通してくださり、ありがとうございました。
 
 近世、薩摩において曽我物語の享受がさかんだったことは、
以前、野口先生からお聞きしたことがあり、
また、その研究については手付かずの部分が多いと伺っております。

今はまだ、研究に万全の体制で携わることができる立場ではありませんが、 
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

曽我十郎の恋人、虎御前の墓。

No.5625

 そういえば、一昨年夏の鹿児島ゼミ旅行のとき、新地さんに川辺町にある「虎御前の墓」と伝える石塔に御案内いただいたことを思い出しました。
 『曽我物語』を語り歩き、諸国を遍歴した女性達の痕跡でしょう。日本列島各地を旅した女のトラさん。中世は『女はつらいよ』だったのでしょう。

 ☆ その川辺町のお隣に位置し、川辺町同様、今年12月に南九州市の一部になる予定である知覧町の前文化財保護審議会会長・江平望先生より、御高論「大江広元の検非違使補任について」(『ミュージアム知覧紀要』11)を御恵送いただきました。
 『玉葉』建久二年四月一日条の解釈について、上杉和彦氏(『大江広元』)への再批判が展開されています。佐伯君や長村君にお読みいただきたい内容です。
 江平先生にあつく御礼を申し上げます。

 >広島の尻池さん  『院政期軍事・警察史拾遺』(近代文藝社)の御著者、米谷豊之祐先生(大正4年のお生まれ)からの御書信に、尻池さんの研究ノート「「権門都市」宇治の形成-摂関家別業を中心に-」(『紫苑』第5号)に対して、「なかなかの御力作」との讃辞が記されていました。歴史研究の大先達からの嬉しいお言葉です。記憶に留めておいて下さい。

もったいないお言葉です。

尻池由佳
No.5626

 京都を離れて今日で丸一ヶ月です。ご無沙汰しております、尻池です。

 米谷先生、本人もなるべくなら見たくない論文(レポート)にもかかわらず、目を通していただき、ありがとうございます。そればかりでなく、温かいお言葉を賜り、涙が出そうです。
 自分の卒論は忘れよう忘れようとしておりましたが、そういうわけにもいかず、研究室での発表を前に戦々恐々としているところです。読み返せば読み返すほど、意味が通じない部分や文章が長いところなどを発見し、ため息をついています。しかし、発表をすることで自分の思い込みであったり、矛盾点を指摘していただくことで、何か新しい問題点や発想がでてきたらいいなと思っています。
 卒論の執筆・『紫苑』の編集にあたり、卒論のテーマを投げかけてくださった野口先生、授業中および卒論の口頭試問のときに、貴重なアイディアを与えてくださった瀧浪先生、卒論準備報告会・古文書学習会を主催してくださった佐伯さん(『百練抄』購読会でも先生をしていただきました)、全く日本語が通じない文章の校正を根気よくしていただいた岩田さん・長村さん(『吾妻鏡』購読会でも指導をしていただきました)、「もう私だめじゃ~」「パソコンが壊れた~」という泣き言をきいてくれた同級生のみなさんにこの場をお借りして御礼申し上げます。
 最近は新しい環境に浮かれたり、将来のことを悩んで気分が沈んだりしていましたが(去年も同じことで気分が沈んでいたような・・・)、米谷先生・野口先生のお言葉や高校時代の恩師、先輩・同級生の励ましの言葉をしっかりと受けとめて、せっかく与えていただいた二年間の研究期間ですから、二年間は、未だ見えない将来のことなど考えずに研究に没頭しようという決意を固めました。そのなかで、自分は与えられた一生のなかで何ができるのかということを見つけられたらいいなと思っています。
 幸い、新しい環境は先生をはじめ、先輩方・同級生の研究姿勢を見ていると、「自分も頑張らなければ!」と思わせてもらえるような環境です。中学校・高校・大学・大学院と続けて自分が成長できるような環境を与えてもらった私は本当に幸せものだなぁと感じています。

紫苑5号拝受いたしました

松尾千歳
No.5621

鹿児島・尚古集成館の松尾です。
野口先生、宗教・文化研究所ゼミの皆様、「紫苑」5号を御送りくださり、ありがとうございました。野口先生のご指導のもと、皆様活発にご研究なさって、着々と成果を挙げられているご様子うらやましく思います。
また、近世、薩摩で盛んに「曾我物語」読まれ、今も鹿児島市の三大行事の一つに「曾我ドンの傘焼」が受け継がれていますが、伊東さんの論文読ませていただいて、「曾我物語」が広まった経緯など知りたくなってきました。それから近世初頭に「虎屋長門」が薩摩藩に召し抱えられ、中西長門守秀長という名を与えられ、代々、能・狂言等を司る家となりました。
薩摩は能や狂言・人形浄瑠璃なども盛んだったようなのですが、その歴史がうまく伝わっていません。これを是正したいと思っていますので、ご協力お願いします。

追伸 ゼミの皆さんに鹿児島にお越しいただいた後、尚古集成館の展示リニューアルをしました。前とはぜんぜん違った展示となってます。機械がございましたら、ぜひ見に来て下さい。


Re: 紫苑5号拝受いたしました

No.5623

 松尾先生、ありがとうございます。
 先般のゼミ旅行の際は、松尾先生をはじめ、鹿児島の皆様にはたいへんお世話になりました。ここに、あらためて御礼を申し上げる次第です。

 たしかに鹿児島は、伝統芸能、あるいは中世における文芸の伝播を考える上で絶好のフィールドですね。同じ大学に勤務されていた真鍋隆彦先生が、その方面の権威であられたのですが、近くにいる間に、もっといろいろお話しをうかがっておくべきであったと今さら後悔しております。
 島津氏と京都との文芸面での交流など、中世前期まで遡って研究を進める価値は大きいものと思います。
 伊藤さんも、お呼びがかかれば直ちに参上されることでしょう。

 新しくなった尚古集成館、ぜひ見学にうかがう機会を得たいと思っています。

紫苑5号拝受しました

No.5620

野口先生および宗教・文化研究所ゼミナールの皆様、「紫苑」5号を御送りくださり、ありがとうございました。早くも5号なのですね。
HPはいつも拝見させていただいております。野口先生の精力的な活動に感心すると同時に、見習わなければと思いつつも、自分には不可能だなあと思っております。
また、若い皆さんのことは、まったく面識がないので、「紫苑」の論考を読むことで、どのようなことを研究されているのかがわかるので、とても嬉しく思います。野口ゼミの活発な活動が、多くの人を惹きつけて、このような雑誌に結実してゆくのは、ある種の理想形態で羨ましく思います。今後とも頑張ってください。
御礼までに

Re: 紫苑5号拝受しました

No.5622

 中村先生、メッセージを頂き恐縮に存じております。
 このゼミは研究所の活動のひとつに位置付けられており、私にとっては本務の一環でありますので「精力的な活動」と御評価いただくほどのことではございません。ただ、最近は、このゼミを自分自身の研究活動の原点として大事にしてくれる意識をメンバーがもってくれるようになり、彼ら、彼女らが実質的にゼミの活動を担ってくれているようになっています。このところ、公私ともに様々な問題を抱え込んでいるなかで、私がなんとか研究らしいことを継続できているのは、こうしたメンバー達の助力によるものと感謝しているところです。
 今後とも御支援のほど、よろしくお願い申しあげます。

 『紫苑』は、ようやく学術的に高く評価されようになり、好評のようです。
 宇治の特集について、熊本の工藤敬一先生からは、50年以上前、京大一年生の時、宇治分校だったので、奈良線の宇治駅の近くに下宿して黄檗に通っていた。その頃、平等院周辺を散策した折りのことを思い起こしながら、掲載論文をお読み下さったというメッセージを頂いております。

 ☆ 名古屋学院大学の早川厚一先生から、御高論「『平治物語』成立論の検証-『平家物語』との関係について-」(『名古屋学院大学論集 言語・文化篇』18-1)、同「源平闘諍録全釈(二-巻一上②)」(『名古屋学院大学研究年報』19)、早川厚一・曽我良成・橋本正俊・志立正知「『源平盛衰記』全釈(二-巻一-2)」(『名古屋学院大学論集(人文・自然科学篇)43-2』)を各10部づつ御恵送いただきました。
 早川先生に、あつく御礼を申し上げます。
 これらの、抜刷の必要な方は次回の『吾妻鏡』講読会の際にお申し出下さい。

次回の吾妻鏡

No.5616

 本日は、野口先生からご紹介いただきました京女の学生さん院生さんにご参加いただき、いつになく「女子大のゼミ」っぽい吾妻鏡講読会となりました。吾妻鏡講読会は、貴重なお時間を割いて自主的にお集まりくださる参加者のみなさんによって支えられております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 日時:4月23日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』貞応三(元仁元)年二月二十二日条、二月二十三日条、二月二十九日条、三月十四日条、三月十八日条、三月十九日条、四月二十七日条、四月二十八日条、五月十三日条、六月六日条、六月十日条、六月十三日条(←時間の都合上全部読めるかどうかわかりませんが)
  ※範囲はひとまず上のように設定しましたが、他に講読を希望する条文があればお気軽にご連絡ください。

新装開店: 今年度の吾妻鏡講読会

No.5618

 今年度の『吾妻鏡』講読会は、院生から学部2回生までの京女勢が他を圧倒。岩田君のいうように、ようやくにして「女子大のゼミっぽく」なってまいりました。これは「徳政」とでも申すべき事態といえましょう。
 新メンバーの今後の活躍を期待したいと思います。
 『吾妻鏡』講読会については、今年度も岩田師範が牽引役を務めてくれており、私は大変助かっております。

 『紫苑』第5号は逐次発送中。機械的に作業を進めておりますために、いろいろ失礼なケースが発生しているかも知れませんが、宜しく御寛恕下さいますようにお願い申しあげます。
 また、ゼミ宛に届いた御礼状については、研究室前に掲示させていただきました。

 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生より、御高論「文芸にあらわれた房総武士の諸相」(『千葉県の歴史 通史編 中世』)・「『平家物語』の「おごり」」(『国語と国文学』84-2)・「『平家物語』における語り手の形成」(『文学』8-1)、および佐伯先生御出席の座談会「虚構のリアリティ」(同)を御恵送いただきました。
 佐伯先生に、あつく御礼を申し上げます。

公開講座の案内が京都新聞電子版に。

No.5615

INTERVIEW >>◎源平内乱期~鎌倉時代をたどる公開講座シリーズ/第9回
 6月23日に開催予定の公開講座「東山から発信する京都の歴史と文化9『王権と貴族・武士』にかんするインタビュー記事が京都新聞電子版に載りました。

http://www.kyoto-np.co.jp/ad_koukaikouza_0703/interview/interview_kyoto-wu.html
http://www.kyoto-np.co.jp/ad_koukaikouza_0703/uv/uv_kyoto-wu.html

 今回で9回目を迎える宗教・文化研究所の公開講座(無料)。東山にゆかりの深い源平内乱期から鎌倉時代についてシリーズで講演会を行っている。回を重ねるごとにファンも増え、近隣の市民の方はもとより、関東をはじめとする他府県の学生や研究者まで毎回心待ちにしているという。講座の魅力と今回の聴きどころについて、主催する同大学宗教・文化研究所の野口教授にお話を伺った。

・・・・・というような、書き出しなのですが、我ながら驚いたのは自分の写真。こんな顔をしてしゃべっていたのですね。だいぶ自己認識に欠けていた。浦島太郎が玉手箱をあけてしまった直後のような気分でおります。