曽我十郎の恋人、虎御前の墓。
No.5625
そういえば、一昨年夏の鹿児島ゼミ旅行のとき、新地さんに川辺町にある「虎御前の墓」と伝える石塔に御案内いただいたことを思い出しました。
『曽我物語』を語り歩き、諸国を遍歴した女性達の痕跡でしょう。日本列島各地を旅した女のトラさん。中世は『女はつらいよ』だったのでしょう。
☆ その川辺町のお隣に位置し、川辺町同様、今年12月に南九州市の一部になる予定である知覧町の前文化財保護審議会会長・江平望先生より、御高論「大江広元の検非違使補任について」(『ミュージアム知覧紀要』11)を御恵送いただきました。
『玉葉』建久二年四月一日条の解釈について、上杉和彦氏(『大江広元』)への再批判が展開されています。佐伯君や長村君にお読みいただきたい内容です。
江平先生にあつく御礼を申し上げます。
>広島の尻池さん 『院政期軍事・警察史拾遺』(近代文藝社)の御著者、米谷豊之祐先生(大正4年のお生まれ)からの御書信に、尻池さんの研究ノート「「権門都市」宇治の形成-摂関家別業を中心に-」(『紫苑』第5号)に対して、「なかなかの御力作」との讃辞が記されていました。歴史研究の大先達からの嬉しいお言葉です。記憶に留めておいて下さい。
もったいないお言葉です。
尻池由佳
No.5626
京都を離れて今日で丸一ヶ月です。ご無沙汰しております、尻池です。
米谷先生、本人もなるべくなら見たくない論文(レポート)にもかかわらず、目を通していただき、ありがとうございます。そればかりでなく、温かいお言葉を賜り、涙が出そうです。
自分の卒論は忘れよう忘れようとしておりましたが、そういうわけにもいかず、研究室での発表を前に戦々恐々としているところです。読み返せば読み返すほど、意味が通じない部分や文章が長いところなどを発見し、ため息をついています。しかし、発表をすることで自分の思い込みであったり、矛盾点を指摘していただくことで、何か新しい問題点や発想がでてきたらいいなと思っています。
卒論の執筆・『紫苑』の編集にあたり、卒論のテーマを投げかけてくださった野口先生、授業中および卒論の口頭試問のときに、貴重なアイディアを与えてくださった瀧浪先生、卒論準備報告会・古文書学習会を主催してくださった佐伯さん(『百練抄』購読会でも先生をしていただきました)、全く日本語が通じない文章の校正を根気よくしていただいた岩田さん・長村さん(『吾妻鏡』購読会でも指導をしていただきました)、「もう私だめじゃ~」「パソコンが壊れた~」という泣き言をきいてくれた同級生のみなさんにこの場をお借りして御礼申し上げます。
最近は新しい環境に浮かれたり、将来のことを悩んで気分が沈んだりしていましたが(去年も同じことで気分が沈んでいたような・・・)、米谷先生・野口先生のお言葉や高校時代の恩師、先輩・同級生の励ましの言葉をしっかりと受けとめて、せっかく与えていただいた二年間の研究期間ですから、二年間は、未だ見えない将来のことなど考えずに研究に没頭しようという決意を固めました。そのなかで、自分は与えられた一生のなかで何ができるのかということを見つけられたらいいなと思っています。
幸い、新しい環境は先生をはじめ、先輩方・同級生の研究姿勢を見ていると、「自分も頑張らなければ!」と思わせてもらえるような環境です。中学校・高校・大学・大学院と続けて自分が成長できるような環境を与えてもらった私は本当に幸せものだなぁと感じています。