紫苑5号拝受いたしました
松尾千歳
No.5621
鹿児島・尚古集成館の松尾です。
野口先生、宗教・文化研究所ゼミの皆様、「紫苑」5号を御送りくださり、ありがとうございました。野口先生のご指導のもと、皆様活発にご研究なさって、着々と成果を挙げられているご様子うらやましく思います。
また、近世、薩摩で盛んに「曾我物語」読まれ、今も鹿児島市の三大行事の一つに「曾我ドンの傘焼」が受け継がれていますが、伊東さんの論文読ませていただいて、「曾我物語」が広まった経緯など知りたくなってきました。それから近世初頭に「虎屋長門」が薩摩藩に召し抱えられ、中西長門守秀長という名を与えられ、代々、能・狂言等を司る家となりました。
薩摩は能や狂言・人形浄瑠璃なども盛んだったようなのですが、その歴史がうまく伝わっていません。これを是正したいと思っていますので、ご協力お願いします。
追伸 ゼミの皆さんに鹿児島にお越しいただいた後、尚古集成館の展示リニューアルをしました。前とはぜんぜん違った展示となってます。機械がございましたら、ぜひ見に来て下さい。
野口先生、宗教・文化研究所ゼミの皆様、「紫苑」5号を御送りくださり、ありがとうございました。野口先生のご指導のもと、皆様活発にご研究なさって、着々と成果を挙げられているご様子うらやましく思います。
また、近世、薩摩で盛んに「曾我物語」読まれ、今も鹿児島市の三大行事の一つに「曾我ドンの傘焼」が受け継がれていますが、伊東さんの論文読ませていただいて、「曾我物語」が広まった経緯など知りたくなってきました。それから近世初頭に「虎屋長門」が薩摩藩に召し抱えられ、中西長門守秀長という名を与えられ、代々、能・狂言等を司る家となりました。
薩摩は能や狂言・人形浄瑠璃なども盛んだったようなのですが、その歴史がうまく伝わっていません。これを是正したいと思っていますので、ご協力お願いします。
追伸 ゼミの皆さんに鹿児島にお越しいただいた後、尚古集成館の展示リニューアルをしました。前とはぜんぜん違った展示となってます。機械がございましたら、ぜひ見に来て下さい。