慶應義塾中世文学研究会200回記念シンポジウム

No.5420

大橋直義です。突然の長文の投稿ですが、また宣伝をさせてください。

慶應義塾中世文学研究会 二〇〇回記念シンポジウムのご案内

シンポジウム:中世文芸の王権とレガリア
[パネリスト]
小秋元段氏(法政大学)
神器論の位相 ―『太平記』と『神皇正統記』と―

藤巻和宏氏(早稲田大学非常勤講師)
東大寺大仏と伊勢参宮 ―中世南都の舎利・宝珠信仰の一斑―

中原香苗氏(京都精華大学非常勤講師)
楽器と王権

佐々木孝浩氏(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫)
王権の標章としての装丁 ― 巻子装をめぐる諸問題―

[司会]大橋直義氏(日本学術振興会特別研究員)

[会場] 慶應義塾大学三田キャンパス 三一三教室
[日時] 二〇〇七年三月十七日(土) 午後一時より
[連絡先]
 慶應義塾中世文学研究会
  108-8345 港区三田2-15-45
  慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
  tel 03-3453-4511 内23093
  fax 03-5427-1578
  mail naohashi@k2.dion.ne.jp(大橋直義。@を半角に変えてください)
  *PDF版のご案内をお入り用の方は上記メールアドレスまでご一報ください。

[趣意文]
 年に十一回の例会をかさねてきた私ども慶應義塾中世文学研究会も、2006年12月に二〇〇回を数えることができました。それを記念いたしまして、来る2007年3月17日(土)にシンポジウム「中世文芸の王権とレガリア」を開催いたします。
 天皇とそのイエ、神祇と王権をめぐる諸問題については、中世の文学や史学、宗教研究、あるいはそれら諸領域をこえた言説・現象をめぐる視座からの検討がなされ、活況を呈しているということができるでしょう。ただ、その中にあって、中世日本におけるレガリア―王の宝物―とは何であったのかという観点から、総合的に「王権」とそれをとりまく諸文芸・言説をとらえようとする試みは、これまでなされてはいなかったのではないでしょうか。それはおそらく、レガリアには、実体的な「モノ」という側面と、それに対する種々の言説によって仮構された虚像までも含む「コト」という側面とが、しかも折り重なるようにかかわりあう性格があるということに起因するようにも思えます。そしてさらに、日本におけるレガリアとは、三種神器のみならず、如意宝珠や楽器もその範疇にあるものであることも一因であったのかもしれません。
 このような状況にかんがみ、本研究会は三種神器・如意宝珠・楽器、そして書物そのものをもレガリアの範囲内にいったん収めた上で、さらにそこから展開させてゆくべきと考えました。そこで、各々の事物にかかわるご研究を精力的につづけておられる4人の研究者の方々をパネリストとしてお招きし、シンポジウム「中世文芸の王権とレガリア」を企画いたしました。それぞれの題目と要旨は次のとおりです。

*小秋元段氏「神器論の位相 ―『太平記』と『神皇正統記』と―」
 南北朝時代において、三種神器の有無は両朝の正統性に大きな影響を与えたはずである。これを文学作品はどのように描くのか。『太平記』と『神皇正統記』をとりあげ、神器論の位相を探っていきたい。
*藤巻和宏氏「東大寺大仏と伊勢参宮 ―中世南都の舎利・宝珠信仰の一斑―」
 東大寺創建の際、行基・橘諸兄が伊勢に参宮し、天照大神の本地=盧遮那仏が示される。また、再建時には重源が伊勢で宝珠を感得する。本発表では、舎利・宝珠信仰の視点から、これらの説話の展開相を検討する。
*中原香苗氏「楽器と王権」
 中世において、音楽―特に楽器の名器や秘曲伝授―は、天皇の権威と深く関わっていた。室町期には将軍も音楽に関与するようになるが、史実や伝承をもとに、名物とされる楽器と王の権威との関係を中心に述べたい。
*佐々木孝浩氏「王権の標章としての装丁 ―巻子装をめぐる諸問題―」
 勅撰集の奏覧本が巻子装であったことは良く知られている。勅撰集の現存伝本には巻子装であるものは少なく、またその多くは冊子から改装されたものである。その理由を書誌学的な見地から考察してみたい。

 塾の内外をとわず、こういった問題について関心をお持ちのかたのご参加と、議論の深まりを熱望いたします。

年度末のお忙しい時期とは存じますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
長文、失礼いたしました。

中国旅行報告

No.5418

野口先生 今年もよろしくお願いします。いつも掲示板を拝見させていただき感心していますが、参加できる話題がなくて、一方的に読ませていただいております。
今回は、5年ぶりに中国に旅行してきましたので、感想などを報告させていただきます。
行きました所は上海・杭州・蘇州です。まず上海は観光としてはあまり行きたくないですね。公害が問題になっていた頃の東京と同じ状況になっています。とても空気が悪く、治安もよくないです。ところが中国の方たちは、それが繁栄の象徴と受け止めている?らしく、自慢しておりました。
蘇州・杭州も都会化しており、だんだんと歴史的な風景は消えつつありました。もし行かれるならば早い方がいいかと思いました。それでも烏鎮などには観光用に一部清代の街区が残されており、歴史を感じることができました。また西湖も湖の周りはビルが立ち並んでいますが、船で湖に出ると霞でそれらのビルが見えなくなり、水墨画の世界を味わえました。初めて牧渓の画がぼかし技法ではなく、むしろ写実なのだと実感しました。
ですが、あの寒山拾得の寒山寺の俗っぽさにはいささかびっくり。う~ん、やはり平地の寺はダメになるなあと、これまた実感しました。
とりとめのない話ですみません。ただ、自由経済の導入で、ほんとうに中国の変化が著しいので、歴史家の一人としては「これでいいのだろうか」と唸るばかりでした。

Re: 中国旅行報告

金澤正大
No.5419

確かに、古いところは次々消えていきます。
どの都市も似たようなビル・マンションの街となってゆき、一見どこの都市か分からないようになりました。また、ひなびた街でも観光地化すると、いわゆる復元化で古びた趣がなくなります。中国の仏像はどれも金ぴかで、むしろありがたみを感じないことと同じです。それに有名観光地はいずこも入場料が昨年値上げになり20年前とは雲泥の差で、気楽に覗けなくなりました(武侯祠は60元ですから、1日3食10元以下の暮らしの私ではちょっと散歩ついでに足を入れようかとは思いません)。
むしろ、日本にない自然を巡った方がよいかも知れません。歴史的なものはそのもの自体の姿を求めようとするとがっかりすることになるでしょう。想像力を豊かにして、自分の頭の中に以前の世界を描くしかありません。もちろん、考古遺物は逸品がありますから、それを巡るのもいいでしょう。

Re: 中国旅行報告

No.5424

 現在の中国は高度経済成長期の日本を再現しているようですね。留学生の方々には、その間に発生した日本社会の歪みをよく学んでいってほしいと話しているのですが。
 現在の日本もこの点の反省はまったく疎かだと思うのですが、埋蔵文化財の保存などの点で取り返しのつかないことにならなければよいと思います。

 それにしても、どこに行っても街は同じような建物や看板が並んでいるというのは味気ないものですね。その点、ヨーロッパはたいしたものだと思います。第二次大戦で破壊された都市もかつての姿に復元する形で街づくりがされている。景観も「公」の財産という意識がきちんと確立しているようです。
 日本というのは、あるべきところに「個」の自由がないのにもかかわらず、景観破壊の建物や看板を平気で立てる「個」の自由はあるらしい。まともな「公」の意識が存在しないのですね。

Re: 中国旅行報告

金澤 正大
No.5431

昨日、冬休み(春節)で日本に戻ってきました。相変わらず当掲示板は中国では直接のアクセスは不能です。ある方法で閲覧は可能で、それでずっと読んでいました。つい先日、たまたま中村さんの中国関係の投稿があったので、ある方法で投稿したところ書き込めたわけです。

中国では住宅は都市では集合住宅がほとんどで、一戸建ては例外的なものです。ですから、旧来の住宅(成都では木造二階建て)が再開発されるとマンション化してしまいます。ですから、郊外の住宅地では、マンション団地となり、日本でもそうすが、それだけ見れば地域の差はほとんどなくなります。中心部は下層階が商店・レストランで高層階がマンションというビルとなります。これも地域差が目立ちません。どうしてもコンクリート建築となると、歴史的な継続がなくなるのは中国だけではありませんから。
まあ、明・清代の古建築を再現した古街を再開発する場合もありますが、これは観光資源としての再開発です。成都でいえば、武侯祠の錦里や文殊院(成都でもっとも古い寺院)の文殊坊がそうです。

朗報・『紫苑』・自己申告

No.5417

 今から20年ほど前、源平内乱期の勉強がしたいと言って、一人の女子学生が勤務先に私を訪ねてきました。本日、そのご本人から、博士論文を提出したという報告が届きました。並大抵でない環境の中での達成に拍手を送りたい。とてもうれしいです。

 『紫苑』第5号ですが、山岡さんが着々と編集作業を進行中。今号は岩田君の力作(巻頭に決定)をはじめとして、長村君、尻池さんから宇治関連の論稿が寄せられるようです。次号では共同研究のテーマにしている宇治の特集を組む予定ですが、早くも今号で先取りになりそうです。
 いずれにしても、刊行に至るまで、メンバー諸姉兄の積極的な御協力、よろしくお願いいたします。

 私ごとですが、本日、床屋さんに行きました。
 15日に「先生どうしたんですか?」とたずねる方が<必ず>おられると思うので、機先を制して申告しておきます(苦笑←誰かの真似です)。

新年初回の『吾妻鏡』について

No.5413

 新年あけましておめでとうございます。今年も『吾妻鏡』講読会をよろしくお願い致します。
 新年最初の講読会のご案内です。

 時間:1月15日(月)15:30~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 (http://www.kyoto-wu.ac.jp/student/map/index.html
 範囲:承久三年六月十四日条~

 例によって参加者随時募集中ですので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでもご参加下さい。

 また、当日は『紫苑』原稿の最終締切日でもありますので、執筆者のみなさんは遅れないようにご提出をお願い致します(私も遅れないようがんばります)。

研究室も始動いたしました。

No.5414

 岩田君、告知ありがとうございました。

 日程・時間につきましては、そろそろ期末試験の時期ですし、また入学試験などもありますので、できるだけ多くの方が参加できるように適宜変更してください。ちなみに、月曜の場合、29日は京都女子大の入試がありますので実施できません。

 なお、すでに院進学が決まっている諸姉は、進学先の先生が嶮しい坂道を用意され、かつまたビシビシ鍛えてくださる御方針のようですから(楽しみですね)、この機会にしっかりと史料読解力と鎌倉前期政治史にかんする知識を身につけて頂きたいと思います。

 『紫苑』は、年度末刊行に向けて、ギリギリの日程で編集担当の山岡さんが頑張ってくれています。

 昨日はアルバイト中の山岡さん、南都本『平家物語』の閲覧に見えた長村君に続いて、久方ぶりに永富さん・鈴木君(両先生)が来室。年頭の研究室は大賑わいとなりました。

 永富さんからはオーストラリアのお土産を頂き、鈴木先生には、例によってPCの機能UP(マウスとキーボードの付け替え)をしていただきました。ありがとうございました。

 お土産といえば、尻池さんからも、山陰名物「どじょう掬いまんじゅう」(素晴らしいネーミングだと思います)の差し入れをいただきました。これまた、ありがとうございました。

 今日の京都(正確には宇治)の朝は、車のフロント・リアガラスの氷がなかなか解けないほどの、おそらくこの冬一番の寒さでした。

『吾妻鏡』の入門書と日本史研の部会

No.5415

 本日、NO.5397でお知らせした『吾妻鏡』の入門書の執筆担当者として、即座に了解のお知らせを頂いたゼミメンバー6名の「名簿」を、編集担当の先生のもとにお送りいたしました。追って、具体的に話が進んでいくと思いますので、よろしくお願い申しあげます。

 さて、前にもお知らせしたのですが、来週の火曜日(16日)、日本史研究会中世史部会で佐伯君の御報告があります。

「鳥羽院政期政治史と王家」

という大きなテーマのお話です。私は内々の研究会で、大枠についてはすでにうかがったことがありますが、裨益を蒙るところ多大なものがありました。
 院政期を研究対象にされている方は、遠近問わずぜひ御参集下さい。

 なお、私は、部会開催の時間には某博物館の歴史展示のリニューアルに関する会議に出席しております。

第一回中世戦記研究会例会

No.5408

 先ほど帰洛いたしました。
 辻君、御報告お疲れ様でした。

 お天気が悪かったので、参加者が少ないのかと思っていたのですが、さにあらず、二十数名の研究者や院生・学生さんたちがお集まりになり、歴史の方が些か少なかったのが残念でしたが、「第一回」にふさわしい盛会となりました。
 
 今回もやはり、両者の間には深くて暗い川が流れているにせよ、文学と歴史学の交流は重要。このことを痛感させられました。

 例によって懇親会は大いに盛り上がり、時の経つ速さは竜宮城の浦島太郎の如き有様でした。私は樋口先生や伊藤さんたちと一次会で帰りましたが、辻君や雨野さんはその後無事に戻られたのでしょうか?

 今回、研究報告としては、辻君の「後白河と<都市民>」のほかに、和田琢磨さんの「今川了俊のいう『太平記』の作者-『難太平記』「六波羅合戦記事」を中心に-」があったのですが、ちょうど研究会の会場に行く前に水道橋にある日本書房という斯界では有名な古書店で、長く探していた永積安明・上横手雅敬・桜井好朗『太平記の世界』(日本放送出版協会)を手に入れたところでしたので、御報告を聴いたあと、これを読んでみて、『太平記』関する認識が一変。たいへん勉強になりました。

 この本が欲しかったのは、上横手先生の「内裏と幕府」を読みたかったからなのですが、奥付を見ると本の発行年は1987年。先生が56歳の時。となると執筆されたのは今の私と同年の頃ということになりましょう。

 上記、懇親会において、某大手出版社の編集者の方から、新書執筆について大いにハッパをかけられたのですが、早々のうちに負債を返済し、後進に少しでもお役に立てるような著作をものしたいと考えている次第です。・・・よってしったつ「九段」のごとし

Re: 第一回中世戦記研究会例会

田中裕紀
No.5410

野口先生おかえりなさいませ。
そして、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
さて、今日の辻くんの発表と和田さんの発表、聞きたかったのですが
仕事の準備やら原稿やらで余裕がなく、行くことが出来ず残念です。
先生、参加された皆さま、今度お会いする時に様子をお聞かせ下さいね。

『太平記の世界』、数年前に京都の古書店で発見して購入しました。
元々の師匠が太平記がご専門だったので、その授業を受けている時だったと思います。
あれから数年。もう一度読み返してみたら、新しい発見が出来そうです。

>ゼミの皆さま
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

兵藤裕己『平家物語』(ちくま新書)

No.5411

 一番にお伝えしたかった田中さんから、さっそくにレスをいただけたのは、ありがたい限りです。
 今年はとても頑張ってくれそうなので、おおいに期待しております。
 ゼミ自体が椎間板ヘルニア気味ですので力を込めて「牽引」して下さるようにお願い申しあげます。

 本の話で思い出しましたが、兵藤先生の『平家物語-〈語り〉のテクスト』(ちくま新書)。絶版になっているのは後進育成のためにも、なんとも勿体ない。ということで、上記編集者に文庫での再刊を熱烈かつ執拗にお願いしておきました。ほんとうにあの本は名著だと思います。
 
 ちなみに、あの本を契機に兵藤先生に師事した門屋君のことも話題に上っていたのでした。

Re: 第一回中世戦記研究会例会

雨野 弥生
No.5412

無事、京都に戻ってまいりました。

先日は、天候のほうは、期待を裏切らず(?)大雨となってしまい
ましたが、野口ゼミの「暴走族」ならぬ「房総族」トリオ(?)
が初勢揃いでき、今年初のご来光ならぬ、日の出の勢いの
辻さんのご発表を拝みに行った気分でした。

研究会に行くたびに、自分の勉強不足が思い知らされます。
大変充実した研究会でとても勉強になり、新年早々、よい
刺激を頂きました。

野口先生、このような機会のご教示、大変ありがとうございました。

辻さん、本当にお疲れさまでした。
人より遅めに迎えるお正月、どうかゆっくりされて、また無事
京都に戻ってきてくださいね。

閑院内裏址石碑ピンチ

山田ちさ子
No.5401

野口先生、みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

年末年始とバタバタしておりご報告が遅れました。
閑院内裏址石碑(京都市中京区押小路通小川西北角)がたいへんなことになっています。
昨年の暮れに車にぶつけられて折られてしまいました。
現在、跡形もありません。
石碑の前のお寺のご住職さまはじめ地元のみなさんの強い要望で、
復元される方向にはあるようですが、
まだはっきりしたことはわからないようです。

写真は平家ブログに載せていますので、見てください。
http://heike.cocolog-nifty.com/heike/

閑院内裏は鎌倉時代の王家の正邸

No.5404

 山田さん、申し遅れましたが、山田先生の御偉業は「内助の功」の賜物と存じます。

 さて、閑院内裏ですが、この内裏はただの里内裏ではなく、高倉~後深草天皇の時代にはまさに本内裏に等しい存在であり、それ以後も貴族社会において本来あるべき内裏として記憶されていた内裏でした。

 いずれ、中世前期の歴史叙述において大きく扱われるざるを得ないことになると思います。当然、中学や高校の教科書に太字で載るようになる。そのようなことからも、石碑はぜひ復元してほしいですし、ついでに市教委あたりでしっかりした解説板も設置していただきたいところです。

 「貴族嫌い」の方たちも、この内裏こそが鎌倉幕府による内裏大番役の対象であったこと、御家人たちが分担して殿舎や築地塀を造営したことを思い出していただければ、納得していただけるものと思います。ちなみに、建長の造営の際、千葉介は十一間の西対の造営を担当しています。
 閑院内裏に関する最近の主な研究は以下のとおりです。

 野口孝子「閑院内裏の空間領域」『日本歴史』674,2004年
  同   「仁和寺本『系図』に描かれた陣中について」『仁和寺研究』5,2005年
  同   「閑院内裏の空間構造-王家の内裏-」
      髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣,2006年
 木村英一「王権・内裏と大番」同
 野口 実「中世前期の権力と都市-院御所・内裏・六波羅-」
      髙橋康夫編『中世都市研究12 中世のなかの「京都」』新人物往来社,2006年  
 ぜひ御一読を。

あけましておめでとうございます

永富絵里子
No.5400

遅くなりましたが、野口先生をはじめ掲示板をご覧の皆様、新年あけましておめでとうございます。あっという間にもう4日。今日から仕事はじめという方もおられるのではないでしょうか?


私は昨年のクリスマス~新年にかけて西オーストラリアのパースという街へ友人を訪ねて旅行に出ておりました。
南半球に位置するオーストラリアは夏真っ盛り!!
日焼け止めをこまめに塗っていたにもかからわず瞬く間に真っ黒になってしまいました☆とても冬服が似合う肌の色ではない&現地でのクリスマスセールに参戦し、夏物のお洋服やサンダルたちをいっぱい連れて帰ってきたためか私にしては珍しく【物欲】が低下しており、日本に帰ってきてからは毎年恒例の正月セールに参戦する気が起こらず、初詣に出かけた以外は年末にやりのこした大掃除と、年賀状書きなどをしております。
(※今年は一枚も出さずにそのまま飛び立ったため、いただいた年賀状やメールのお返事をまだ返しきれておりません。メールや年賀状をくださった方々には申し訳ございませんが、決して「無視」しているわけではございませんので今しばらくお待ちくださいね。)


と、いうわけで元木先生、野口先生の「おとなしゅうなったね・・・」発言に対し、「おとなしゅうない」ところをアピールさせていただきたいと思います。(と・・・いいつつ単なる旅自慢です。おほほ☆)


今回の旅行はシドニーやキャンベラなど有名な観光地のある東海岸とはまったく逆の西側へ行ったのですが、とても乾燥した地域のため気温の割にはさわやかだと感じました。
ピナクルズ(※原生林が枯れた後に残された石灰岩が立ち並ぶもの)やウエーブロック、さらにその砂漠のすぐうしろに広がる真っ青なインド洋は何ともいえない不思議な光景でした。
砂漠ではボードでサンドサーフィンを楽しんだりもしました。
もちろんオーストラリアといえば・・・!のコアラやカンガルーにも対面しました。コアラの毛は思っていたよりもずっと柔らかくて思わずうっとり。
つい誘拐してしまいたい衝動にかられました。(こういう人のためにぬいぐるみがいっぱい売られているんでしょうね。もちろん何匹も「オトナ買い」しました☆)

他にもかの有名なピカチュウのモデルであるクオッカや、ウオンバット、さらに野生のイルカやペンギン、アシカにも会いにいきました。

さらにパース市内からフェリーでしばらく行ったところにあるロットネス島にも一泊しました。ロットネス島は今はリゾート地ですが、昔はアボリジニーたちを流した歴史もある島です。
自転車を借りて島を一周サイクリングしたのですが、とにかく海がきれいでどこまでも続く水平線に「地球は丸いなー」なんてあらためて思ったりもしました。

他にもいっぱい書きたいことはあるのですがあまり長いと誰も読んでくれなくなるのでこのへんで☆(すでにスルーした人はきっといっぱいいると思いますが・・・)


10日間ほどの旅だったので
ゆったりとしたスケジュール&現地の友人のおかげでとても有意義な時間を過ごすことができました。授業のネタもたっぷり仕入れたし、疲れ切った精神を充電できたのでまた3学期からがんばれそうです。

今年もたくさんのHAPPYに出逢えるように前向きに過ごしていきたいと思います。
いつもお世話になっている先生や皆々様にとっても素敵な一年になりますよう、心からお祈り申し上げます。
今年もどうぞよろしく願いいたします。

Re: あけましておめでとうございます

No.5405

 永富さん、南半球で新しいエネルギーを蓄えてお帰りになられたとのこと、今年はタイフーンのような御活躍を期待したいところです。おおいに旋風を巻き起こしてください。
 バースのことは、当ゼミ師範格の某院生の方が御自身のブログで詳しく解説をされておられますね。

 永富さんも、そろそろ教員生活三年目ですし、もう「さん」ではなく、「永富先生」とお呼びすべきでしょうか。
 さて、今年も新たに教職に就くメンバーが何人かおられます。厳しい環境の中ですが、一生懸命に活躍してほしいと思っています。

 岩田君から叱咤激励をいただきましたが、新年度に担当する総合教育科目の受講生に、かつてそうであったように、永富さんのような溌剌とした学生さんがいることを期待しています。

 さて、明日は辻君の御報告のある第一回中世戦記研究会。お江戸はあいにくの雨模様のようですが、下総と上総に進駐中の雨野さんと伊藤さんが駆けつけられるとのこと。私も早朝からリュックを背負って出立。神田で本の買い出しを済ませてから、九段(靖国神社ではありませぬ)に参上する所存です。

 >雨野弥生さん  三月ではありませんから、雨野さんを責める人はいないと思います(笑)。それにしても、関ヶ原の辺りで雪が降ったりしたら私は困りますね。 

Re: あけましておめでとうございます

永富絵里子
No.5407

野口先生>お返事ありがとうございます。
そうですね。気がつけば早いものでもう3年目に突入しようとしています。
あれはちょうど2年前・・・まだ私は4回生だった頃に笠さんご夫妻が京都に来られた際の飲み会の席で笠さんの旦那様が言っておられた「この仕事は楽しいこと1割。あとの九割は辛いことが大半だよ。でもその1割のために頑張っているようなものだよ」と言っておられました。
今になってその言葉の意味がちょっとわかってきた気がします。


来年度はどんな教科やクラスを担当するか・・・まったくどうなるのか未定ですが、「石の上にも三年」という言葉を信じ、さらなるパワーアップを目指して今年もまたがんばろうと思っております。

ちなみに呼び名の件ですが、ただでさえ「先生」のつく方が多いこの掲示板ですので、今までどおり「永富さん」でお願いします。笑

「石の上にも三年」

No.5409

 そうです。「石の上にも三年」というのは、私の貧しい経験に照らしても結構真理だと思います。

 呼び名の件。ほんとうに、みんな職業としての「先生」になってしまわれるので・・・。しかし、たしかに違和感もあり。お言葉に甘えさせていただくことにいたしましょう。

キノシタ建築研究所のHP開設

No.5399

 今年もたくさんの年賀状をありがとうございました。
 もう三十年以上も会っていない友人からの年に一度の便り、そうかと思えば日常的にお目に掛かっている方からの思わぬ一言、あるいはバチカンに調査に行くといった今年の羨ましい予定等々。高等学校や博物館に勤務する友人たちからは、一様に現場の悲鳴が届きます。
 しばらく音信不通だった教え子からの来信に安堵したり。・・・
 そんな中、もう三年近く前になりますが、この掲示板がきっかけで国文学の箕浦尚美先生の御紹介により、拙宅に作りつけの書架を設置していただいた一級建築士の木下洋さんからの年賀状にはHP開設の知らせが書かれていました。元日にopenしたばかりで、中味はこれからのようですが、ともかく周知をはかりたいと思います。
 アドレスはhttp://vtkino.comです。

 目下、大学受験勉強真っ最中の高校三年生からは、PCに触れると遊んでしまうので(よく分かります)、ケータイから送りますという年賀のメールを頂きましたが、『紫苑』に論文を掲載予定のゼミメンバーも、そうしておられるのかも知れません。この受験生に負けないように、しっかり頑張ってほしいところです。
 否、「お互いに頑張りましょう」ですね。 

ご紹介頂き有難うございます。

No.5406

歴史学とは全くかかわりのない建築設計の事務所をご紹介頂き大変恐縮しておりますと同時に深く感謝しております。
心地よい空間で研究に取り組んで頂けるよう少しでもお手伝いができればと思っております。書架の設置や建築に関わることなどで何かお役に立てることが有りましたらお気兼ねなくお申し付け下さい。

揚名の編者

No.5397

 タイトルの意味が分からない人は「揚名介(ようめいのすけ)」の意味を調べること。

 共編で、しかしタイトルのような立場に徹するという条件でお引き受けしたのですが(なにしろ負債原稿の返済中ですから)、某出版社から『吾妻鏡』の入門書を出すお手伝いをすることになりました。
 執筆者としてこの分野に秀でた若手研究者を推薦してほしいということなので、心当たりの方々(歴史学専攻で在京活動を事とする院生<含む内定者>諸姉兄)にお願いしたところ、ほとんどの方に快くお引き受けいただきました。(アドレスがわからなくなって、これからお願いする方もいます。)
 また、この本で私の担当する部分の統轄は、『吾妻鏡』講読会の実質的な推進役であり、また私と家も近いので岩田師範にお願いすることに致しました。よろしくお願いいたします。
 「宇治」とともに、皆さんに頑張っていただく今年の大きな仕事になりました。

 今年の仕事と言えば、4月から現代社会学部の「基礎演習」と「現代社会特論」、それに総合教育科目を一つ担当することになりました。一方、同志社大学での講義は、残念ながら今年度をもって終了ということになります。

 ☆ 元木先生の2006年最後のお言葉-「それにしても、近頃の若いもんは、えらいおとなしゅうなったね・・・どないなっとんねん、ホンマ。」・・・・・まったく同感です (笑)。

奉行人(仮)

No.5403

 新年あけましておめでとうございます。
 お正月はほぼ引き籠もっておりました(外出はしました)、岩田です。

 昨年末に、上のご案内を野口先生より直々に頂戴し、身の引き締まる思いで謹んでお受け致しました。どうぞよろしくお願いします。
 野口先生とお家が近いのは事実なのですが、「『吾妻鏡』講読会の実質的な推進役」というのは近ごろどうも事実とは相違してしまっていますので(「推進役」というか「連絡役」です)、今年も『吾妻鏡』講読会やその他のゼミ活動も含めてしっかり精進に努めたいと思います。

>野口先生
 現代社会学部の「基礎演習」と「現代社会特論」、総合教育科目のご担当でのご活躍をお祈り申し上げます。…ゼミの新人さんのリクルートにもちょっと期待致します。

 謹賀新年 & 藤原公任邸跡発見か?

No.5395

 明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願い申しあげます。
 HPトップも御覧下さい(鈴木先生-今年からこう呼ばせていただきます-、ありがとうございました)。

 ◎ 元旦に配達された京都新聞によると、京都市中京区四条新町北西角の発掘調査で、十一世紀前半の庭園の池の洲浜跡が検出され、ここは藤原公任の邸宅「四条宮」に比定することが出来るとのことです。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007010100023&genre=M2&area=K1C1

あけましておめでとうございます。

No.5396

野口先生をはじめ、野口ゼミのみなさん、またこの掲示板をご覧のみなさま、あけましておめでとうございます。
みなさん楽しいお正月生活をお送りでしょうか?
私は積み残しにするまいと論文の書き直しをしていたのに間に合わず、気がつけばそのまま年を越してしまっていました(苦笑)。
出遅れちゃったかなーと思ってたんですが、そうでもなさそうでちょっと安心。
いろいろとみんな予定が一杯で忙しいんでしょうね。

今年も自分なりに精一杯頑張っていこうと思っておりますので、どうかご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
先日この掲示板で野口先生にもご紹介いただきましたが(野口先生、どうもありがとうございます)、
今月の16日にさっそく日本史研の部会で報告をさせていただくことになっております。
関西一円の方もそうではない方も、ご都合がつきましたらぜひぜひお越し下さいませ。

3月一杯で京都を離れる方もいらっしゃいますが、それまでにまた楽しい企画もできればいいですね。
それでは、みなさまの新しい一年が、幸い多きものでありますように。