BSフォーラム拝見。
No.5322
さすがに、「男はつらいよ」は見られませんでしたが、前川さん御出演のBSフォーラムは拝見。内容は世界遺産としての意味づけに主眼が置かれていましたが、前川さんは親子ほども歳の差のある二人の碩学に並んでも堂々たるもので、80年代の後半、二条にあった古代学協会の仮事務所の二階で初めてお目に掛かった頃とは隔世の感がありました。まだあの頃は学部生でした。
前川さんは目下、子育てと研究を両立中。家計をあずかる主婦として、深夜・早朝の電気料金が安い時間帯を博士論文の執筆にあてているのだそうです。
ゼミの諸姉兄に告ぐ。見習うべし。(私もだ。)
美濃旅行について、岩田君が具体的な企画案を提示してくれました。日帰りなら行きやすいと思います。原稿が書けずに停滞しているくらいなら、どんどん出掛けようではありませんか。若狭の小浜。近江の佐々木氏関係の史跡。ついでに安土など。まだ浄瑠璃寺に行ったことがないという人もおられましたね。
>>No.5295で御紹介した菱沼先生の御高論「統治機構としての鎌倉幕府-武力組織からの進化-」は、頼朝の政権の評価について、同感するところ大きいものがあります。
「鎌倉幕府は東国の武力制圧によって誕生した軍事政府ではあるが、その支配機構は文官と旧頼朝側近系により構成されており、武力の大小を基準として権力編成がなされていた訳ではない」という御指摘は、私が「流人の周辺」(『中世東国武士団の研究』)や「「京武者」の東国進出とその本拠地について」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』19)で述べたことと共通する認識を示されたものだと思います。
さらに、「もし頼朝が武士層を主従関係のもとで編成し、彼等の私的所有権を保護するために地頭制度を設けて封建制を確立したという歴史認識に立つとすれば、受け入れ難い理解であろう。やはり頼朝政権の政策・方向性を、封建制の成立過程と評価すること自体にに無理があるのではないか」という先鋭的な御意見は大いに論議をよぶものと思います。
国文学の雑誌に掲載されたので、歴史関係の研究者の目に触れる機会が少ないとしたら勿体ないことなので、あらためて御紹介する次第です。
次回の『吾妻鏡』講読会の折にでも、ゼミメンバー諸兄の御意見をうかがおうと思います。
前川さんは目下、子育てと研究を両立中。家計をあずかる主婦として、深夜・早朝の電気料金が安い時間帯を博士論文の執筆にあてているのだそうです。
ゼミの諸姉兄に告ぐ。見習うべし。(私もだ。)
美濃旅行について、岩田君が具体的な企画案を提示してくれました。日帰りなら行きやすいと思います。原稿が書けずに停滞しているくらいなら、どんどん出掛けようではありませんか。若狭の小浜。近江の佐々木氏関係の史跡。ついでに安土など。まだ浄瑠璃寺に行ったことがないという人もおられましたね。
>>No.5295で御紹介した菱沼先生の御高論「統治機構としての鎌倉幕府-武力組織からの進化-」は、頼朝の政権の評価について、同感するところ大きいものがあります。
「鎌倉幕府は東国の武力制圧によって誕生した軍事政府ではあるが、その支配機構は文官と旧頼朝側近系により構成されており、武力の大小を基準として権力編成がなされていた訳ではない」という御指摘は、私が「流人の周辺」(『中世東国武士団の研究』)や「「京武者」の東国進出とその本拠地について」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』19)で述べたことと共通する認識を示されたものだと思います。
さらに、「もし頼朝が武士層を主従関係のもとで編成し、彼等の私的所有権を保護するために地頭制度を設けて封建制を確立したという歴史認識に立つとすれば、受け入れ難い理解であろう。やはり頼朝政権の政策・方向性を、封建制の成立過程と評価すること自体にに無理があるのではないか」という先鋭的な御意見は大いに論議をよぶものと思います。
国文学の雑誌に掲載されたので、歴史関係の研究者の目に触れる機会が少ないとしたら勿体ないことなので、あらためて御紹介する次第です。
次回の『吾妻鏡』講読会の折にでも、ゼミメンバー諸兄の御意見をうかがおうと思います。