愛知学院大学松薗ゼミとの交流見学会

No.5048

 すでにNO.5047に野口君が書き込んでくださいましたように、5日は12時に京都女子大学宗教・文化研究所の共同研究室に集合。ここでお弁当などを食べながらノンアルコールの懇親会の後、学内からの京都の景観を御覧いただき、さらに平重盛の小松殿跡や後白河院の院御所である法住寺跡、さらには豊臣家の建立した方広寺大仏殿跡(「国家安康、君臣豊楽」の銘文のある梵鐘)などを御案内したいと思います。
 9名でお出で下さるとのこと。せっかくの機会ですから部分参加でも構いませんから、大勢の参加を期待しております。なお、ゼミメンバー以外の方の参加も歓迎いたします。

【予定のコース】
 京女共同研究室でレクチャーの後、A校舎から京都駅方面、清水寺観望→S校舎ラウンジより鳥部野・六波羅一望→馬町の伝・佐藤継信・忠信墓→小松殿跡(翠積園)→方広寺大仏殿跡→豊国神社→京都国立博物館→蓮華王院(三十三間堂)→建春門院陵墓比定地→後白河院陵→法住寺南殿跡→最勝光院跡→一の橋跡→今熊野神社→東山七条にて解散

 なお、明日午前11時くらいから、私の研究室に来ることが可能な方がおられましたら御連絡下さい。

【追記】 長村君・山岡さん  御依頼の佐々木紀一氏の論文2編のコピー、用意しましたので早めに取りに来てください。

厳島詣

田中裕紀
No.5046

厳島詣より、帰洛致しました。
 1泊2日の旅程の天候は、2日とも快晴。今日は日焼け止めを塗っていなかったので、しっかり日に焼けてしまいました。
 1日目は、JR宮島口駅に集合し、早速フェリーに乗って厳島へ。私にとっては初めての厳島でしたが、色鮮やかな社殿の美しさはもちろんのこと、満潮に向かって潮が押し寄せてくる様子にまずは驚きました(ここで、潮の動きを考慮した神社の造りに興味を持ち、その後2日目になるまで、厳島の潮の干満を追いかけることになります)。しばらく見学し、宝物館、大願寺へ。そして、厳島神社の後方にそびえる弥山に向かいました。
 弥山への急傾斜のロープウェー(道の途中で見つけた看板によると「ロープウエ」)を乗り継いで、獅子岩駅へ。そこから徒歩30分の山道を歩いて弥山山頂を目指します(徒歩30分の道のりに、野口先生ががっかり。結局、弥山山頂に立ったのは旅行参加人数6人のうち5人でした(笑))弥山山頂からの眺望は素晴らしく、瀬戸内海上交通路の上で厳島がどのような場所にあるのかという事を実感しました。
 弥山から降りる最終ロープウエで下山し厳島神社に戻ると、既に潮が満ちていて、ほんの数時間前とは全く違った表情を見せていました。夕暮れ時の空と海と朱色の大鳥居のコントラストは、本当に何時間見ていても飽きる事のない風景です。厳島神社を上から見下ろす千畳閣は既に閉まっていたので、干潮になるという翌朝に回して1日目見学終了。
 宿にチェックインして、ボロボロの体を休めて宮島口へ繰り出した(といっても、賑やかな街ではありませんが)一行でしたが、佐伯さんが見つけてくださったお店では、空腹を満たすことを最優先に、しばし無言の状態が続きました。勿論、人心地ついた後で色々お話した事は言うまでもありません。それにしても、美味しい海の幸でした☆第一夜。
  翌日は朝から地元で有名な「あなご飯」を買って昼ご飯を調達し、再び厳島へ。午前11時過ぎが干潮の時間だったのですが、9時半頃に着いた時には既に随分と潮が引いた状態でした。前日に見た海に浮かぶ社殿が砂の上に建っている様子や、潮が引くと現れる飛び石に感動しつつ、しばし大鳥居の足下で写真撮影などなど(ここが本日の第一日焼けポイント)。野口先生から三浦正幸氏の厳島の入り江そのものが人工のものであるという説を伺っていると、大鳥居の足下の砂地が沈み込むような地盤でないことも非常に納得がいくような気がしました。その後、前日見そびれた千畳閣へ。豊臣秀吉が建てた大経堂ですが、建設途中で秀吉が亡くなってしまった為、天井などが未完成のままになっています。がらんとした内部は、天井が高く広々としていて良い風が通り抜けていました。既に日射しの強さに疲れた一行は、しばし休憩(長村くんはうたた寝。お疲れさまです☆)。
 その後、厳島を離れて厳島外宮である地御前社へ。「地御前」という地名は残っているのですが、神社そのものはずいぶんと寂れてしまっていました。というのも、神域を道路と線路が横切っているからです。かつては相当大きな神社だったこの場所では、社殿の真後ろを通るJRの線路にはデリカシーのなさを感じずにはいられませんでした。南社殿で野口先生から資料を見せて頂いたり、孝子先生からお話を伺ったりして北社殿群のあった場所へ。今では地御前小学校となっていますが、かつての神域の広さを実感出来るものであったと思います。残念だったのは、間に大きな建物や国道の高架が通っていて、地御前社から厳島が見えなかったことでした。
 地御前社の見学が終わり、ここで本旅行の見学予定は終了。あとは広島市内に戻って、朝買ったあなご飯を食べるのみです(笑)。広島電鉄に乗り、平和公園でお昼を食べて解散となりました。その後、最終的には永富さんとお好み焼きを食べ、佐伯さんと合流して帰って参りました。もうボロボロです・・!!
 「『平家物語』を勉強しているのに厳島に行ったことない」という事に、何となく後ろめたい気持ちがあったのですが、それも今回で解消です。厳島神社の立地や、造営にあたっての佐伯氏の活躍、建築について、信仰についてなどなど、興味深い要素がたくさん詰まった旅行でした。
お忙しい中企画をしてくださった佐伯さんを始め、旅行で同行させて頂いた皆さま、ありがとうございました。

中世史研究会参加記

No.5044

 9月2日(土)に名古屋大学文学部で開催されました〈シンポジウム 中世史家・網野善彦― 原点の検証―〉にお邪魔して参りました。名古屋在住の野口くん、大谷大の青木さん、お久しぶりの鍛冶くんなど、当ゼミゆかりの面々もお出ででしたね。
 野口くんには松薗斉先生をご紹介頂き、ご挨拶する機会を得ました。松薗ゼミのみなさんは本日より京都にて合宿とのことですが、昨日の今日でお疲れではないでしょうか。

 シンポジウムは、お仕事をご一緒されたりご指導を受けるなどで生前の網野さんをよくご存じの方々による、網野さんの業績の批判的検討と、全体による討論によって構成されました。既に幾人かの方による網野さんの業績の検討も発表されておりますが、今後、同様の企画の開催や著作集の刊行(?)等が進めば、氏の業績の全体像の位置付け(これが難しそう!)もより明確になるのではと思われます。
 それはともかく、網野さんのお姿すら拝見することも叶わなかった者としては、生前の網野さんをよくご存じの方から、「あんなこと仰ってた」「こんなふうに仰っていた」という往時のお話を伺うことだけでも、貴重な経験と言わなければならないでしょう。
 終了後の懇親会にもお邪魔させていただきまして、はじめからおわりまで楽しく充実した時間を過ごさせていただきました。

>厳島調査チームのみなさん
 心配されたお天気は、両日とも好天だったようですね。調査の成果を伺うのを楽しみにしております。すでに某くんを通じてこちらの様子はお伝えしておりますが、詳しくはまたご報告します。

安芸厳島から帰着しました。

No.5045

 >岩田君 御報告ありがとうございます。おおきな成果があったようで何よりです。

 厳島調査の方も、所期の目的を完遂して広島で現地解散。私は18時まで広島城天守閣が開館しているというので、これを見学した後、新幹線・奈良線を乗り継いで先ほど宇治の拙宅に戻りました。

 今回は研究所共同研究の研究協力者に連なるメンバーとの調査旅行でした。宮島では弥山に登って警固屋の所在を考えつつ本州の山々や瀬戸内の島々を眺め、水精寺梵鐘の銘文を確認。また厳島神社は昨日(2日)のみならず本日(3日)の午前にも海を渡って潮の干満による景観の変化を観察し、対岸にある外宮・地御前社の位置を把握して現況を調査するなど所期の目的をほぼ完遂することが出来ました。
 千畳閣で、秀吉の国家構想について想いを馳せることが出来たことは、予期せぬ収穫でした。

 それにつけても猛暑のさ中、メンバーの体力には脱帽でした。私はといえば弥山では遂に頂上までの登頂は一人断念。本日は脚はガタガタ、腕は日焼けで真っ赤という有様で、もはや若者との同一行動の不可なることを悟らざるを得ないという有様でした。

 しかし、参加者諸姉兄は事前勉強も完璧で、ここで紹介するのを失念していた角重始「安芸国における荘園公領制の形成」(『日本史研究』275)のコピーを見せていただいたり、昨夜の食事後の「検討会」において、常々自分自身でその客観性に自信をもてないでいた最近の学界における日本中世史研究の状況に対する認識に対して、様々な立場から忌憚のない意見を交わしていただく機会を得たことは幸いでした。
 これに関連して、歴史学と国文学の間に横たわる深くて大きな溝を埋めるために両ジャンルが積極的な意見を交わす必要性について田中さんと共通認識が得られたことも収穫でした。

 すべての面で、参加者の方たちに御礼を申し上げる次第です。
 それにしても、今回の調査旅行成功の最大の立役者は佐伯君にほかなりません。博論執筆をはじめ、諸事御多用の中、本当にありがとうございました。

>佐伯君・長村君 中川真弓「国立歴史民俗博物館蔵田中穣氏旧蔵『菅芥集』について-付翻刻」(荒木浩責任編集『小野随心院所蔵の密教文献・図像調査を基盤とする相関的・総合的研究とその探求』大阪大学大学院文学研究科共同研究研究成果報告書 2005)をぜひ、お目通しおき下さい。これは岩田君も。  

お疲れさまでした

鍛治 利雄
No.5049

18切符を友達に譲ってもらい、のんびり名古屋に赴いて来ました。

当会場で気さくに声をかけて下さった岩田さん、お探ししたんですけどお会いできなかった野口さん、
残暑きびしい中、お疲れさまでした。ありがとうございます。

報告を聞き終えまして、もっと真剣に勉学に取り組まなくてはいけないなと猛省するばかりです。

厳島旅行参加のメンバーへ

No.5041

 厳島神社の調査に参加するメンバーで資料(主に建築関係のものです)を受け取っていない方は当日朝にお渡しいたします。ちなみに、今回の調査の重要ポイントである厳島外宮の地御前社については、↓のサイト(わかりやすい、すぐれた内容です)を御覧おき下さい。   
  http://www.enjoy.ne.jp/~yamahid1/ohanashi62.htm

 また、概説的なことは平凡社の日本歴史地名大系の広島県の当該項目。また、大学の図書館にすぐ行けるという人は、石井進「平氏・鎌倉両政権下の安芸国衙」(『歴史学研究』257)、小倉豊文「平家の厳島信仰について」(魚澄惣五郎編『瀬戸内海地域の社会史的研究』柳原書店、1952)、また国文の方は『平家物語』の厳島関係の記事、あるいは『高倉院厳島御幸記』などに目を通しておかれると興味は尽きないと思います。もとより、地図をしっかり頭に入れておくことをお忘れなく。
 最近、平家の地方支配と厳島社に関係した論文を読んだような記憶があるのですが、何に載っていたのか思い出せません。ほかに面白そうな論文がありましたら、お知らせ下さい。

 なお、初日の昼食についての提案を幹事の佐伯君(安芸守・厳島神主家の末裔?)に連絡を差し上げてあります。追って「御沙汰」があるものと思います。

Re: 厳島旅行参加のメンバーへ

No.5042

「食う寝る処に住む処」奉行?の佐伯です。
まず、初日の昼食ですが、原案通り「行きの車中食」となりました。
現地集合の某くんは集合までに思う存分食べておいて下さい(笑)。

>野口先生
メールどうもありがとうございます。
最近の「平家の地方支配と厳島社に関係した論文」は多分、
多分小原嘉記さんの「西国国衙における在庁官人制の解体―安芸国衙関係史料の再検討―」
(『史林』八九-二、二〇〇六年)ではありませんか?
先生がお挙げになっている石井論文に対して、根本的な再検討と批判が行われています。

ちなみに私、父方の実家はほんとに広島の呉です。
(ただし、元をたどると愛媛に行き着くらしいのですが)
そのくせ広島には一度も行ったことはないので、週末が楽しみです。
お天気が良いといいのですが…。

「じゅげむ 寿限無・・・」

No.5043

 「食う寝る処に住む処」これが最も大切です。「寿限無」にありましたね。
 佐伯君、論文の御教示ありがとうございました。スバリそれです。コピーを見つけ出しました。
 原稿を書いていても、関連した論文のあったことまでは思い出すのですが、それが何であったのか出てこない。それを見るまでは先に進めないという非生産的な状況が歳をとると多くなります。昔は、関連論文と史料所見が電光石火の如くつながってどんどん論が進んでいったのですが。
 また、老耄の戯言になりますが、だから20代後半~30代前半は学問、論文執筆の旬なのです。有効にお使い下さい。

 なお参考文献に、上記の魚澄惣五郎編『瀬戸内海地域の社会史的研究』に収録されている松岡久人「厳島門前町の形成」を加えておきます。私はまだ未見。これは行く前には読めそうもありません。建築史では、三浦正幸「厳島神社の本殿」(『建築史学』4、1985)もありました。

 現地集合の某くんは福原から豪勢な唐船でやってくるという噂ですが、「今清盛」?

 「佐伯氏」の社参に厳島の天気が悪かろうはずはありません。

『中世のなかの「京都」』刊行のお知らせ

No.5040

 『中世のなかの「京都」 中世都市研究12』(髙橋康夫編集 中世都市研究会編集協力 新人物往来社刊)が届きました。おそらくこのシリーズの中では最も分厚く、約500ページのボリュームです。
 昨年、花園大学で開かれた中世都市研究会京都大会における研究発表をベースにした論稿のみを挙げると以下のとおりです。

 仁木宏「日本のなかの京都-政治、経済、地域と「首都」-」
 百瀬正恒「中世京都 都市域の様相と生産・流通・消費」
 野口実「中世前期の権力と都市-院御所・内裏・六波羅-」
 髙橋康夫「描かれた京都-上杉本洛中洛外図屏風の室町殿をめぐって-」
 瀬田勝哉「秀吉が果たせなかった花見-伏見向島の植樹とその後-」
 河角龍典・原澤亮太・吉越昭久「中世京都の地形環境変化」
 山本雅和「中世京都の街路と町屋」
 河内将芳「中世の祭礼と都市空間-園会神輿渡御と御旅所を素材に-」
 福島克彦「洛中洛外の城館と集落-城郭研究と首都論-」
 山田邦和「中世京都都市史研究の課題と展望-「中世都市研究会二〇〇五 京都大会」の総括と論点提示-」

 ジャンルを問わず、中世都市京都に関心を持たれる方、のみならず、中世都市、さらには「都市」全般に関心を持たれる方は一読を要すると思います。
 なにしろ中世の京都は「都市的空間」でもなければ「都市的な場」でもない、正真正銘の「都市」でしょうから。・・・この辺は山田先生からコメントをいただきたいところです。

 >平田さん・尻池さん  修論・卒論の参考文献になると思います。来週中には研究室に配架しますので御覧下さい。

【追記】山田先生のコメント→http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/

松薗ゼミ京都合宿のご案内

No.5038

以前にもお伝えしましたが、9月345と仁和寺で合宿いたします。基本的な日程は以下のとおりです。
諸所の事情により若干の変更はあるかと思いますが、野口ゼミの皆さんには奮ってのご参加お待ちしております。松薗先生はじめ、名古屋の研究者と知り合える貴重な機会です。双方にとって非常に意義のあるものと思いますので、是非この機会を有効にご活用下さい。

9月3日(日)1時京都駅集合→午後:伏見散策(御香宮神社、寺田屋、大倉記念館、長建寺、伏見港公園)→夜:卒論発表(仁和寺御室会館)
4日(月)午前:研究発表会(仁和寺御室会館)→午後:洛西散策(嵐山・嵯峨野、太秦)
5日(火)午前:東福寺(本坊、雪舟寺)→お昼(京女近辺の定食屋さん)→午後:法住寺周辺史跡見学

野口ゼミの皆さんには三日目のお昼に合流という形で考えておりますが、他の日の活動や発表会からの参加も大歓迎です。詳しい集合場所などにつきましてはまた連絡させていただきますが、三日目以外の活動や研究発表をお聞きになりたいという方は直接野口までご連絡下さい。
たくさんのご参加お待ちしております

Re: 松薗ゼミ京都合宿のご案内

No.5039

 野口君、いろいろお骨折りありがとうございます。

 あいにく、当ゼミの主要メンバーは2~3日に安芸厳島や尾張に遠征中ですが、5日の午後は私が御案内を引き受けることにいたしました。法住寺ではなく、「法住寺殿」跡周辺の史跡を御案内します。

 松薗ゼミの皆様にはぜひ休憩がてら京都女子大にお立ち寄りいただき、清水寺をはじめとする京都の景色をご堪能いただきたいと思います。共同研究室は確保してありますから、ここでお弁当でもかまいません。

 5日は、特別なご用のないゼミメンバーは積極的にお集まり下さい。とくに院政期をご専攻の姉兄(国文学の方も含めてほとんどみんなそうですね)。『日記の家』の松薗先生にお目にかかれるチャンスですし、同学の友と出会えるかも知れませんよ。

 なお、とくに4回生は卒論発表会や研究発表会にも参加させていただいたら良いと思います。院試を目指したり卒論執筆中のご自分の今の状況を客観視できるはずです。せっかくのチャンスですから、つまらぬ遠慮などしないで、どしどし野口君に御連絡下さい。

 ○ 共同研究室に日本国語大辞典全20巻を配架しました。ご活用下さい。
  また、本日ようやく懸案のカラープリンターを発注いたしました。

五日の交流活動などのご案内

No.5047

五日の交流活動ですが、12時に京女集合でお願いします。いったん京女で合流してお弁当などを食べながら午後から活動という形にしたいと思います。参加される方は弁当持参でお越し下さい。
尚午前中は東福寺周辺を周る予定でおりますが、こちらから参加されたいという方は京都駅に10時か直接現地集合という形にしたいと思います。ただ当日の身体状況等により集合時間に変更があるかもしれません。参加希望者は野口までお問い合わせ下さい。たくさんのご参加をお待ちしております

昨日は寺田屋、御香宮を中心に伏見を堪能してきました。今日は午後に嵐山嵯峨野を周る予定です。1時頃より活動するつもりなので、こちらも参加希望者は野口までお問い合わせ下さい。
朝の勤行は非常に清々しく、普段は見るだけの金堂にも上がる事ができました。観光客がいない境内を散策もでき、大変貴重な体験ができました。でもちょっと眠いかも…

書評会に向けて

No.5032

 夏休みに入って以来、当方のゼミメンバーが各所にお邪魔させていただき、その地の先生方に大変お世話になったとの報告を受けております。
 先生方の御厚情にあつく御礼を申し上げる次第です。

 さて、いよいよ明日から書評会。当ゼミにとっては実質的に後期の活動の開始です。準備の程はいかがでしょうか。鎌倉~南北朝期の歴史を通覧するには本当に良い機会になることと思います。
 書評奉行の長村君からの情報では、書評に留まらない「予想外の魔球」を見せてくれる報告者もおられるとのことなので、おおいに楽しみに致しております。

 ちなみに、ビデオ鑑賞の件ですが、小生出演の千葉テレビ「房総の棟梁上総氏と千葉氏」(30分弱)、テレビ局からいただいたカセットを用意いたしました。
 また、小生のインタビューを収録したにも拘わらず(幸いにも)結局その部分は放映されなかったNHKの「堂々日本史 源義経、目立て目立ての源平合戦」のこれも担当者からお送りいただいたカセットも用意いたしましたので、宜しければ併せて御覧いただきたいと思います。

「女坂の三院生」本日封切り。

No.5036

 今日は久方ぶりに平田さんが来室。修論と就職活動、順調に進めておられる御様子。当ゼミ京女生の大先達として、おおいに御健闘を期待しています。
 それから博多のお土産をありがとうございました。書評会の出席者と共に美味しくいただきました。

 さて、書評会ですが、いささか出席者が少なかったのが残念でしたが、むしろ話がしやすく、報告いただいた山本君をはじめ、岩田君・長村君を加えた「三匹の侍」ならぬ「三人の院生」には、教えられるところ多々。本当に勉強になりました。かれらはよく研究史が頭の中で整理されています。
 この三人に敵無し。人呼んで「女坂の三院生」。

 明日は第四の侍が登場して「予想外の魔球」を披露してくださる由。楽しみにしております。30日の延長戦も期待しているのですが・・・。 
 
 9月5日の愛知学院大学松薗先生のゼミとのジョイント見学会については、愛知支部長の野口君が企画立案中。近く、お知らせがあることと思います。メンバーの積極的な参加を期待しております。

書評会、充実のきわみ。

No.5037

 本日は岩田君、長村君、坂口君、山内さん、そして坂口君の再登板という段取りで、充実した時間を過ごさせていただきました。あまりのハイレベルさに老耄の私の頭はいささかオーバーヒート気味です。

 自力救済のとらえ方、ひいては中世から近世に至る包括的な武士論構築の必要性。政治史研究の成果を前提にした時代的段階差を踏まえた思想史構築の必要性。鎌倉時代政治史における後宇多の欠落。神領興行令における圧迫と保証の両側面・・・等々を学び考えた上に、最後は難解な書誌学の世界への道案内をしていただくことが出来ました。
 書評奉行の長村君をはじめ、報告者はたいへん多くの労力と時間を割いて熱心に準備にあたってくれたことと思います。その努力に敬意を表し、感謝する次第です。

 本日、坂口君の御紹介で龍谷大学2回生の米澤君が初参加。山本兄の10年前を彷彿とさせるような青年です。ご活躍を期待したいと思います。
 湯河原の石井君。お元気ですか?後輩が出来ましたよ。

京女の学生さんへ

No.5016

 そろそろ帰省先から戻られた方も多いと思います。
 ところで、現在京都国立博物館で開催中の特別展「美のかけはし」は、京都女子大学の周辺がいかに歴史的に素晴らしい空間なのかを実感させてくれる展覧会です。残念なことに会期は27日まで。時間を作ってでもぜひ見ておいてください。京女に進学したことのメリットを絶対に感じることが出来るはずです。↓

    http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 私は本日ようやく出かけたのですが、職員の方も「京女の学生さんたちは見に来られましたか」と仰っていました。

Re: 京女の学生さんへ

伊藤明日香
No.5026

>野口先生

私も、今日「美のかけはし」見に行きました。金曜の五時以降はすいてるかと思ったら、そうでもなく…。しかし、いつもの特別展にくらべたら、まだマシだったのかもしれません。教科書で見たことのある宝物ばかりで、うきうきしました。伝頼朝像があんなに大きいものだとは思いませんでした。一体、あれは本当は誰を描いたものなんでしょう。

甲子園がおわりましたね。高校生にとって、夏の大会は特別なもの、特に三年生にとってはそこにかける思いは半端ではありません。夢中だった四年前のインターハイ予選が、懐かしくなりました。

神護寺の『源頼朝像』

No.5027

 伊藤さん、行かれましたか。エライ!さすがは君津高校!
 後段の褒め言葉は意味不明ですが、すぐこういうことを言いたくなるのが、もと千葉県公立高校教員としての私の限界かも知れません・・・。
 などと、客観的になっているのもおかしいのですが。

 それそれ・・・頼朝像ですが、美術史の方では「伝」をつけたくないお考えの方が多いのでしょうか?
 文献史学の研究者の中で、未だにあれを頼朝像と考えている方はほとんどおられないのではないかと思うのですが。
 上横手雅敬先生の「源頼朝像をめぐって」(『龍谷史壇』第10号、1996年)を御参照下さい。私はこれが文献史学における現時点における最終的な結論だと思っています。
 なにしろ、神護寺の頼朝像は従来の頼朝のイメージを再生産する上では実に相応しい存在であることは間違いありません。拙稿「源頼朝のイメージと王権」(『歴史評論』649)を御参照下さい。
 私は今後、頼朝に関する文章に付すべきは、甲府善光寺の源頼朝像が最善だと思っています。

 >伊藤さん  四年前のインターハイ予選。種目はやはり弓道ですか?

Re: 京女の学生さんへ

伊藤明日香
No.5029

伝頼朝像を初めて教科書で見たとき、その威風堂々たる容貌に、「さすが征夷大将軍!」と、心底思いました。
そのような意味では、好きな作品ではあるのですが、出自を見れば、彼は西国の人間ですし、武人としての印象は後世に作られたものではないでしょうか。
彼の実像が、あの絵と重なるものなのか…。と、中世にくわしくない私は、朝廷に仕える侍について、なよっとしたイメージを抱いております。(申し訳ありません)

>野口先生
もちろん、弓道です。今でも、顧問の先生に会うたび、よく泣いてたよね~と言われます。とにかく夢中でした。

Re: 神護寺の『源頼朝像』

No.5030

すでにご存じでしょうが、神護寺の頼朝像の問題については、『日本歴史』最新号で、佐多芳彦氏が、拙説への批判を含めてまとめています。ご参考まで。

古文書学会

No.5031

 立命館の杉橋先生から、往復の航空券とホテル一体のチケットがあり、片道の航空券程度で購入できるとの情報を頂戴致ました。
Yhoo!トラベルのツアー予約には一人利用可能なフリープランのツアーがあり、宿や便の指定もありますが、値段は劇的に安くなります。
 先生はその方法で、全日空ホテルを予約されたそうです。
 往復飛行機で、時間が決まっている方はそれが断然お得と思います。
 当方、飛行機は大嫌いで、少なくとも片道は列車を利用するつもりですので、そんな有難いチケットにはご縁がありません(笑)
 ご検討中の方はご参照ください。

平等院史料

辻 浩和
No.5033

>野口先生
有村さんにはお伝えしておきました。
「美のかけはし」展、私は二度目でようやく伝頼朝像にお目にかかれました。
タイトルがそのままなのはやはり国宝指定の為なのでしょうか?

ところで、先程『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』(中央公論美術出版)という本を見ていましたら、第7巻(1971年)に「平等院史料」という史料集が収められておりました。特に目新しい記事はなかったように思いますが、室町期までの史料が別業、兵乱等に分けて並べられておりました。参考程度にはなるかと思います。

美術史との認識のギャップ?

No.5034

 『源頼朝像』ですが、図録の作品解説では鎌倉前期の作という見解が示されています。
 なお、法住寺殿跡土壙出土品の解説に、近年の法住寺殿研究の成果が反映されていないのが実に残念です。

 「平等院史料」の御教示ありがとうございます。宇治については『宇治市史年表』という立派な本が宇治市から出ていますが、ジャンル別というのは便利かも知れません。さっそく大学の図書館で確認しておきたいと思います。

溝口「新・平家物語」の放映

山田邦和(花園大学・考古学)
No.5006

みなさま。ふたたび残暑お見舞い申し上げます。

かの溝口健二監督の名作「新・平家物語」が、来る8月31日20時03分~21時55分にNHK衛星第2放送で放映されますので、お知らせします(衛星放送を契約していない人にはお気の毒ですが・・・)。
http://tv.starcat.co.jp/channel/tvprogram/0014200608312003.html

年配の(失礼!)先生方はもちろん御覧になっておられるでしょうが、若い方々はこの機会にぜひ、と思います(そういえば、映画通の元木先生の御著書のあちこちには、この映画のカットが使われていましたね)。ただ、今回はデジタル・リマスター版ということで、これまでよりも色彩がかなり綺麗になっているので、「もう見た」という方々も再見の価値はあるはずです。

もちろん、1955年(私で「すら」、まだ生まれていない・・・)の作品ですから、やはり「時代」を感じさせるところは多い。しかし、そんなところをツッこむのはヤボというもの。見始めたら、名匠溝口監督の映像美に酔いしれることは必至です。少なくとも、昨今の不細工な「大河ドラマ」とは比べるのも申し訳ないくらいであるのは確かです。

私が仰天したシーン。若き市川雷蔵演ずる颯爽とした清盛が、自宅の畑を耕しているところ。その背後に、累々とした巨岩が積み上がっている奇妙な構築物が見えます。これ、京都を代表する古墳である太秦・蛇塚古墳の石室なんですよね。つまり、このシーンは蛇塚古墳の石室の側にセットを組んでロケをやったことになる。現在では蛇塚の回りは完全に住宅地になってしまっているのですが、50年前にはこういう撮影ができるだけの空間があったのですね。ともあれ、このシーン、考古学をやっている身としては、いささか感動モノでした。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5008

 山田先生、お久しぶりです。
 『新・平家物語』、私は生まれておりました。しかし物心はついておりません。
 雷蔵が良かったですね。まだデビュー二年目、まさに颯爽としておりました。清盛役の太い眉毛は、原作者吉川英治と対談した時に、その風貌から思いついたとのことです。
 拙著のカバー写真を決める時、角川の編集者T氏が、あの雷蔵の顔にしようと主張したのが思い出されます。
 時子は久我良子。清楚で知的で良かったですね。
 ちなみに時忠役の林成年は長谷川一夫の息子です。

 このあと、第二作『義仲をめぐる三人の女』は長谷川一夫、京マチ子、山本富士子、高峰秀子競演、衣笠貞之助監督、第三作『義経と静』は菅原謙次、淡島千景共演、嶋耕次監督で作成されております。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

山田邦和(花園大学・考古学)
No.5011

 元木先生、こちらこそご無沙汰しております。

 録画でチェックしてみましたら、久我良子演ずる時子の後ろで糸染めに勤しむ、質素な作業着姿の女性が写っていました。あれっ、と思ったら、やはり滋子(もちろん、後の建春門院)でした。顔がよく見えないので、名も知れぬ女優さんが起用されたのだろうな、と思っていたのですが、インターネットで検索してみてびっくり。滋子を演じたのは、なんと、若き日の中村珠緒でした。私たちの世代にとって珠緒さんといえば、大河ドラマの「新平家物語」では時子を演じたのが記憶に残っていますが、滋子を演じたこともあったのですね。知らなかった~。

 >このあと、第二作『義仲をめぐる三人の女』は
 >長谷川一夫、京マチ子、山本富士子、高峰秀子競演、衣笠貞之助監督、
 >第三作『義経と静』は菅原謙次、淡島千景共演、嶋耕次監督
 >で作成されております。

 「義仲をめぐる三人の女」、京マチ子演ずる巴御前も独特の存在感を発揮していましたが、なんといっても凄いのは、義仲を最期まで慕い続ける「山吹」を演じた山本富士子。煤と土にまみれた田舎娘なのに、清楚にして光り輝くような美貌で周囲を圧していました。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5013

 私も蛇塚に驚いた記憶があります。京都撮影所で撮影した映画には昔の京都周辺の思わぬ貴重な景観が記録されていたりします。誰か研究費を取って取り組みませんか?

 それにしても、この映画に描かれている平家は明らかに新興勢力=武士階級の側にたっています。戦後歴史学というか、戦後の一般的な成立期の武士認識が反映された映画として御覧になると面白い映画です。ちなみに、原作者の吉川英治氏は、戦後中世史の一方の担い手であった豊田武先生と親交があったようです。
 ところで、久我「良子」は美子が正しいのでは?

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5019

 山田先生、レスを有難うございました。京マチ子の巴も当たり役でしたが、山吹の山本富士子、たしかに良かったですね。
 野口先生、ご指摘の通りです。「久我美子」の誤りですので、謹んで訂正致ます。
 いよいよ老耄の気配が濃厚になってまいりました・・・
 ちなみ、TVでご本人が話されたところでは、ご本名は同じ漢字で、「こがはるこ」と読むそうです。本名のままでデビューしようとしたら、映画会社から「誰にも読めない」と反対され、「くがよしこ」と読むようにしたとのことです。お蔭で、PCの誤変換を生じてしまったわけですが。
 彼女は村上源氏の嫡流、久我公爵家の出身で、先年の久我家文書展では、テープカットをしていたのが思い出されます。
 『酔いどれ天使』の鮮烈なデビュー、そして『また逢う日まで』の入魂の演技が思い起こされます。
 ちなみに、大河ドラマでは1972年のTV版『新平家物語』で、落魄の待賢門院を演じておりました。閑院流は村上源氏のライバルだったのですが・・・
 ついでにその時の崇徳は田村正和、為朝は伊吹吾郎でした。なお、中村玉緒の時子のほか、平家関係の女性の配役は、建春門院が村松英子、祇園女御が新珠三千代(かつて上横手先生と共演?)、徳子は佐久間良子、常盤が若尾文子、祇王が波乃久里子(現中村勘三郎の姉)でした。

 なお、先日、たまった上新電機のポイントで、66年版『源義経』のDVDを購入致ました。現在、Nさんにお貸ししていますが、ご返却いただいたら、野口ゼミにお貸ししたいと思います。本当の殺し合いを経験した人が作る戦闘場面、ハムレットvs緋牡丹お竜など、お楽しみに。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5021

 元木先生、ありがとうございます。
 岩田君が、30日に課題図書を巡る総合的な討論、或いは後期に向けての若干の相談の時間を提案されていましたが、この機会に共同研究室の大型液晶テレビで例の「千葉テレビ」録画の鑑賞?(間違い捜し)でもしていただこうかと思っていたところでした。
 『源義経』も来月あたりということに出来れば幸いですね。

 >元木先生  四条の川床の場面。元木先生と対面する形で二名の方(美川先生と坂口君?)の背中が映っていました。その日の鴨川はかなり増水してはいなかったでしょうか?

 >美川先生  そういえば私は大昔、上司(美川先生もよくご存知の先生です)に連れられて(でも、私の運転で)中村利則先生のオフィスに御挨拶にうかがった記憶があります。

 >岩田君  『幸福の黄色いハンカチ』の高倉健さんのお説教(「みっともない!」)、どのくらいの方が何のことかおわかりでしょうかね?
 ちなみに、『男はつらいよ』のシリーズでは、第21作「寅次郎わが道をゆく」に武田鉄矢、第23作「翔んでる寅次郎」に桃井かおりが出演しております。
 なお、われわれの世代の青春時代に御関心があるのならば、その高校時代版としてお薦めしたいのが、大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』です。
 この映画は香川県の観音寺が舞台なのですが、当時の我が母校千葉東高校の出来事にもオーバーラップするところがかなりあります。今の55~6のオヤジたちは、たしかにあんな高校時代を送っていたのです。

 >鈴木君  本当にいつも縁の下の力持ち、ありがとうございます。永富さんとともに、これからもどうぞよろしく、お願いいたします。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5024

 なにやら主におじさん族によって、掲示板が劇的に動いておりますね。
 鴨川の件、その通りです。鴨川が珍しく濁流で、あれに落ちたら死ぬかも知れないなどと話したのを覚えています。
 そういえば、四条大橋から撮影していたような記憶もあります。
 飲みっぷりが良かったので撮影されたのでしょうか?

テレビっこにつき

No.5025

>野口先生 「千葉テレビ」録画の鑑賞!に異存はございません。というよりもむしろ、観たいです。後期に向けての若干の相談はまた追々行いましょう。

 大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』は、評判は聞きますがまだ観たことがありません。是非チェックしてみたいと思います。'70年前後を舞台にした映画では、他に村上龍さん原作の『69 sixty nine』も楽しい作品でした。当時の高校生はみんなあんなに賑やかだったんですかねぇ、とうらやましくなりました。
 京都の祇園会館では、9/9(土)から『ALWAYS 三丁目の夕日』と『初恋』という二本立てが始まります。こちらも気になります。

山本富士子、トリビア的ネタ

山田邦和(花園大学・考古学)
No.5028

 ちなみに、「日本一の美女」と呼ばれた山本富士子は、生まれは大阪(育ちは大阪府和泉市らしい)ですが、後には京都に住んでおられました。寺町通三条下ル西側がその旧地にあたります。近年、同所にその邸宅跡を顕彰するための石碑が建立されたというのですが、私はいつも通っていながら気が付いていませんでした。ホンマかいな?と思って行ってみたら、たしかにありました! 同所のビルの壁面に、石碑というか石板がはめ込まれていて、そこに「女優 山本富士子邸跡」という文字が刻まれています。いつ頃まで住んでおられたのか知りませんが、もしかしてあの附近で御本人とすれ違っていることがあるかも知れない、と思うと、なんだか妙な気分です。京都にはいろんな史跡の石碑がありますが、現代の女優さんの家の跡を示す、というのは珍しいことですね。

日本一の美女

No.5035

 山本富士子の石碑とはすごいですね。第一まだ彼女は健在で、舞台で活躍しているのでに、もう石碑ですか!
 それこそ今の方には分からないでしょうが、60年代までは、日常会話でも、漫才でも、コントでも、美女のたとえといえば「山本富士子」の名前が出されたものです(一時、彼女に対抗する存在として、嵯峨美智子の名前があがったことがあります)。
 仮に今、女優で「日本一の美女」というたとえに、多くの人が一致して名前を挙げる人がいるでしょうか。N、Y、I?較べようもありませんね。もちろん、最近は女優の評価の基準が、「美女」というより個性ということもありますが。多少それに近かったのは、一時の佐久間良子、あるいは70年代前半の岩下志麻くらいでしょうか(ちなみに当方の好きな女優は永久に『夏目雅子』です)。
 
 山本富士子は京都のイメージが強く、たしか府立第一高女の卒業と聞いていたのですが、Wikipediaによると、泉大津高校の卒業とのこと、本当なんでしょうか?山田先生ご存じないですか?
 Wikipedeiaによると、日銀の採用試験に赴いた彼女は、あまりに美しかったので、男子行員の気が散るという理由で、能力とは無関係に不採用になったとか。
 しかし、Wikipediaはあまり信用できません。彼女の女優としての最高の演技を示した作品と評価の高い『夜の河』が触れられていないのですから。西陣の染色工芸家の彼女が、妻を病気で失う大学教授(上原謙)と恋愛に陥るが、悲恋に終わるという内容。
 昔の大学教授はもてるということになっていたんですね・・・・
 それに忘れられないのは、59年の『細雪』の雪子です。ドラマの自体は、どうしても幸子(京マチ子)が中心ですが、楚々として怜悧な美しさは、原作の雪子を髣髴とさせ、素晴らしいものがありました。
 余談ですが、この作品は、時代を59年に設定し、オール芦屋、夙川ロケを敢行したものでした。戦争をはさんだ30年代後半と50年代後半は、まだ文化でも生活感覚でも共通していたのだと言うことを痛感させられます。
 (83年の市川崑の作品は1938年が舞台です。高槻・上牧間の築堤を住吉川に見立てて阪急の900型を走らせたり、大井川鉄道のC11に、特急燕牽引用のC53の標識をつけてみたり、鉄道趣味でも面白いものがありました・・なんのこっちゃ)

今年の古文書学会大会

No.5005

 以前、元木先生が書き込んでくださった今年の古文書学会大会の場所、日程は以下の通りです。

 会場 熊本大学法文学部
 日程10月14日(土曜)講演会・総会
     15日(日曜)研究発表
     16日(月曜)熊本県立博物館にて「阿蘇文書修復完成記念―阿蘇の文化遺産展           ―(仮称)」を見学
 
 すでに14日のホテルは満杯とのことですが、私は10月の週末はイベントだらけなので、どうしようか大いに迷っているところです。  

 ところで、本日の夜NHK教育テレビで京都における納涼を取り上げた番組が放送されていたのですが、そこに四条辺りの鴨川の床で、ビールのジョッキをかたむけておられる元木先生らしき人物が映っておりました。

 ☆ 五味文彦先生より科研費による研究成果報告書『吾妻鏡と中世都市鎌倉の多角的研究』を御恵送いただきました。当方の宇治の共同研究や『北条時政』執筆に資するところ多く、あつく御礼を申し上げます。

Re: 今年の古文書学会大会

No.5007

野口先生、御宣伝有難うございました。
 詳しい報告の内容などは、決まり次第掲載いたします。
 阿蘇文書は南北朝時代に関心のある方は必見でしょう。
 同文書については、工藤敬一先生の御著書『中世古文書を読み解く』(吉川弘文館、2000年刊)に詳細な分析があります。見学希望の方は是非熟読されたし。

 当方がNHKに登場したとすれば二回目です(笑)。
 川床に参りましたのは、二回、東華菜館で美川先生らと食事をした時のことと思います。でも普通TVが取り上げるのは、もう少し高級な舞妓さんを侍らせるようなところではありませんか?
 

やはり間違いありません。

No.5014

 >元木先生  東華菜館の床形式のビヤガーデン、間違いありません。
 
 ※ 「某君」一件。まったく冗談のつもりで書いたことなのですが、思い当たるという複数の方から「お詫び」のメールをいただいて、こちらが狼狽しております。
 こうした掲示板の文章というのは本当に真意の伝えにくいものであると痛感させられました。絵文字というのは、その緩衝材のような機能をはたしているのでしょう。
 こちらこそ、余計なことを書いたことをお詫び申し上げます。

鴨川の床?

No.5015

>ところで、本日の夜NHK教育テレビで京都における納涼を取り上げた番組が放送されていたのですが、そこに四条辺りの鴨川の床で、ビールのジョッキをかたむけておられる元木先生らしき人物が映っておりました。

>川床に参りましたのは、二回、東華菜館で美川先生らと食事をした時のことと思います。でも普通TVが取り上げるのは、もう少し高級な舞妓さんを侍らせるようなところではありませんか?

 昨日11時ごろ、しゃかりきになって校正をしているのに、家内が呼びにきた。テレビに見たことある人が映っているというのです。たしかに、NHKの番組に、鴨川の床で京都の文化についての話をする和服姿の京都造形芸術大の中村利則先生の姿。先生は冷泉家時雨亭文庫常務理事なので、よく知っております。ぶっちゃけた話、昔冷泉邸に下宿していた方です。茶室などが専門。撮影場所は、東華菜館のすぐ南の料亭の床です。しかし、元木先生がほんとうに映ったのですか。それはまったく気がつきませんでした。というより、途中からしか見ていないので、その前のシーンですか。私もいたのだろうか。それとも番組違いでしょうか。

 私、今年は熊本行こうかと思っているのですが、もうホテル満杯なんですか。こまったなあ。 

Re: 今年の古文書学会大会

No.5020

 古文書学会大会の宿の件、一杯なのはネットの予約サイトの話です。
 直接、ホテルなどに連絡すれば何とかなると思います。
 また、少しばかり遠いですが、熊本駅前や水前寺付近ならまだ大丈夫と思います。

 川床、となりで撮影していたのでしょうか。その時は気づきませんでしたが。
 手帳を見ると、東華菜館に行ったのは7月19日、『台記』研究会のあとです。
 当方の向かいに美川先生、当日の報告者坂口君がいたのですが。
 もう一回行ったように思いましたが、手帳では確認できませんでしたので、一回きりかも知れません。
 当方が映っていたなら、お二人も映っていたのではないでしょうか。 
 陰に隠れてしまった?