京都の楊貴妃観音と三浦の滝見観音

No.4987

>近藤先生  昨日はありがとうございました。ところで、泉涌寺にある南宋から請来された観音菩薩像のことですが、通称は「楊貴妃観音」。これとよく似ているのが横須賀市大矢部の清雲寺の本尊(本来は円通寺本尊)の通称「滝見観音」です。三浦氏と九条家ないしは泉涌寺との関係はよく知られていますから、おそらく滝見観音はそうした関係で横須賀に伝えられることになったのだと考えられています。

>『吾妻鏡』講読会参加メンバー  >>No.4974で紹介した高橋秀樹先生の御高論「吾妻鏡と和田合戦」のコピーを用意しましたので、必要な人は研究室にお出での時に申し出てください。

>厳島神社の調査に参加するメンバー  資料を用意しましたので、研究室にお出での時にお受け取り下さい。なお、今回の調査の重要ポイントである厳島外宮の地御前社については、↓のサイト(わかりやすい、すぐれた内容です)を紹介しておきます。
 http://www.enjoy.ne.jp/~yamahid1/ohanashi62.htm

>鈴木君  おかげさまでPCいずれも好調です。

Re: 京都の楊貴妃観音と三浦の滝見観音

No.4988

野口先生、こちらこそ昨日はありがとうございました。また、楊貴妃観音と滝見観音との関係に関するご教示、ありがとうございました。この点につきましては、おそらく『横須賀市史・文化財編』に載るかと思います。また、ご教示下さい。では、またお目に掛かれるのを楽しみにしております。

残暑お見舞い申しあげます

No.4984

残暑お見舞い申しあげます。
野口先生、お久しぶりです。あまりネットを見ない私ですが、韓国に来て20日が過ぎ、日本が懐かしくなり、宗文研のHPを拝見させていただきました。みなさんの御精励ぶりに圧倒されてしまいました。う~ん、宗文研はすごい!
私などは、研究のためではなく、一人でのんびりするために韓国に来ているだけなのに!専門も中世ではないので、そういった意味でお役に立てませんが、今回は旅行を兼ねて朝鮮の山城を何箇所か見学しました。固有名詞をあげますと全羅道南原の南原山城(ここはガイドブックには百済時代のものと書いてあったのですが、後で考古学の朴先生から統一新羅時代だと教えられました)、次に全州の南固山城(これは後百済時代。これはほぼ全域残っていました。4分の1ほど踏破)、忠清南道舒川の乾芝山城(高麗時代。比較的低い山城で自動車で確認)です。
朝鮮山城見学は、まさに山登りでこの猛暑には応えます。本当に年齢を感じさせられました。印象だけですが、高麗時代の(仏教)美術がもっとも優れているように感じました。朝鮮時代になると仏教排斥もあり、美術のレベルから遠ざかるように感じました。
今は成均館大学のゲストハウスにいますが、今年できたばかりで快適です。昌慶宮に接しており、テラスから宮壁にたどり着いてしまいます。
教員:1ヶ月シングル60万W、学生:1ヶ月ダブル?30万W(日割り可能)
と料金もお得ですし、部屋にはベッド・机・テレビ・冷蔵庫はもちろん、食卓・サイドテーブル・クローゼット・システムキッチン・食器・炊飯器まで完備されています。
ラウンジや洗濯室などもあり、長期滞在にはもってこいです。
申し込みは、Fax:82-2-760-1152 Tel:82-2-760-0151
です。最寄駅は地下鉄恵化駅で市内にあるので便利ですよ。
あっと、ほとんど旅行業者のような紹介になってしまいましたが、成均館大学は構内に文化財もあり一見の価値はあります。
というところで、私もお仲間に入れてくださいね。

Re: 残暑お見舞い申しあげます

No.4985

 >中村先生 残暑お見舞い申し上げます。韓国に御滞在の由。やはり御研究に資するものと拝察いたします。あるいは、一書御執筆中では?
 こちらは、大学が13~16日、夏期休日のため「都の辰巳、鹿ぞ住む」ところに引き籠もって原稿に取り組んでおりますが、猛暑と耄碌でいっこうに捗らずにいるところです。
 当方のゼミメンバー、目下、博・修・卒の論文に取り組む者多く、また個人のブログに意見表明をされていたり、記名ゆえの遠慮や、さらにゼミそのものが草創期のような求心力を失いつつあることなどの事情から、この掲示板への書き込みが少なくなり、ために私の書き込みばかりが続いておりましたので、ぜひまた様々な情報をお知らせいただければ幸いと存じております。

 ゼミメンバー諸姉兄も、中村先生にいろいろ御教示を仰ぐとよいと思います。中村先生の御業績などについては、↓を御参照下さい。
   http://read.jst.go.jp/ddbs/plsql/knky_24?code=5000021280

 >野口君  中村先生は「観光」も研究課題の一つに掲げておられます。学ぶこと多大だと思います。

 ☆ 山下克明先生から御高論「陰陽道の宗教的特質」(大東文化大学東洋研究所『東洋研究』159)・「陰陽道関連史料の伝存状況」(同 160)・「書評 繁田信一著『陰陽師と貴族社会』」(『歴史評論』677)を御恵送いただきました。
 山下先生にあつく御礼を申し上げます。

Re: 残暑お見舞い申しあげます

No.4986

中村先生、ご無沙汰しています。

 この時期に、韓国にご滞在とは。私も今月末に1週間ほど中国にまいります。

 1昨年山西省の黄土高原に植林のボランテイアに行き、そこで現地の農民の歓迎に感激して、今年も行きます。帰りに日本の平安仏教と関わりの深い五台山に2泊するするのも、今年の目的の一つです。山西省は日中戦争の抗日拠点で、凄惨な戦闘の行われたところです。戦後も対日感情の悪いところなのですが、日本人の植林ボランテイア活動が、その緩和に少しでも役立っていると思うと、どうしても行かねばならないという気持ちがわいてきます。木の苗木を植えるのですが、もう一つの目的は人の心に木を植えてくるのです。でも現地では首相の靖国参拝があると、現地の人々の心が一瞬凍り付くそうです。首相の行為を支持する日本の若者が増えているのも、なんともやりきれない気分です。

 朝鮮の植民地支配、中国への侵略戦争、どちらもまったく100%日本に非があるのに、なんでそのことが理解できないのでしょう。学校での歴史教育のせいだともいわれていますが、ほんとうなのでしょうか。ちょっと本を読んでみればすぐわかることでしょう。私には、なにか人間としての大事なものが欠如しているとしか思えません。ともかく、私にはいまなにができるのかわかりませんが、私なりのほんの少しの行動をしていくつもりです。

 奥様はお元気ですか。うちの家内は北海道です。わたしは仕事がたまりにたまって、今年は暑い京都に居残りです。また、食事でもいたしましょう。

戦前世代・戦後世代

No.4983

 頼朝の挙兵した治承四年当時の人々にとっては、平治の乱以後が戦後。承久の乱の頃の人々にとっての戦前世代というのは治承四年以前を知る人ということになるでしょうか。

【治承四年の満年齢(その2)】
 岡崎義実 68  佐々木秀義 68  平信範 68  平盛国 67
 源資賢 67  藤原邦綱 59  藤原秀衡 58 平経盛 56
 三浦義澄 53  高階泰経 50  法然 47  安田義定 46
 新田義重 45  藤九郎盛長 45  藤原師長 42  金子家忠 42
 寒河尼 42  栄西 39  千葉胤正 39  藤原基房 35
 北条時定 35  武石胤盛 34  高階栄子(丹後局) 31?
 佐竹秀義 29  藤原兼子(卿二位) 25  藤原泰衡 25
 真田義忠 24  源頼隆 21  藤原基通 20  梶原景季 18  
 平敦盛 11  河越重房 11  熊谷直家 11  平清宗 9
 大友能直 8  親鸞 7  
   
 北条政子(23)・建礼門院(25)・卿二位(25)が、ほぼ同年齢というのは興味深いことです。この3人の人生を通して、内乱~鎌倉幕府成立期の歴史を語ることが出来そうですね。
 どなたか挑戦してみませんか?

書評、進まず。

No.4982

 昨日はまた鈴木君に御出張いただいて、仕事の環境を完璧に整えていただきました。鈴木君、ありがとうございました。
 しかし、仕事をする主体が不調で何とも困ったものです。
 ちなみに、鈴木君はいま佐伯先生の『戦場の精神史』を読んでおられるそうですが、この本に登場する研究者がほとんど見ず知らずの方ではないので(野口注-それどころか、知りすぎているケースもある)、よ~く理解できるとのことです。これって、結構大切なことだと思います。

 石井進『日本の歴史 第12巻 中世武士団』(小学館、1974年)の月報に「著者と五分間」という欄があり、そこに「本巻の終りの部分の執筆は、暑い盛りだった。早朝に起き出し、書斎の雨戸を閉めきり、電燈をつけて、裸で原稿を書いた」とあります。
 この道にある者は、かくありたいものです。限られた時間、一心不乱に。

 >山田さん  HPの件で、御返事ありがとうございました。当該図書よりも後に刊行された本の紹介があったようなので、何か事情がおありなのかと思った次第です。
 ただ、今から掲載というのは、ちょっと後手に回ってしまった感じで残念です。

 >書評奉行の長村君  メールで書評の章節ごとの担当者をお知らせ下さい。
  それから、『歴史公論 特集 朝廷と幕府』(107号、昭和59年)、もう読まれていることと思いますが、<座談会>の記事が面白いですね。  

『古代文化』季刊誌として再出発とのこと

No.4978

 本日、(財)古代学協会理事長の角田文衞先生より、『古代文化』旧編集委員としての私のもとに、『古代文化』の新しい編集長に京都大学教授山中一郎教授を委嘱し、季刊誌の形態で再出発する旨の書信が届きました。すでに投稿されて、刊行について心配されている方々にも新編集長から御連絡が届いたことと思います。
 まずは、一安心いたしております。

>鈴木君  本日はお電話をいただいたにも拘わらず、何処でも不在にて失礼いたしました。研究室の方は、ちょうど同志社「卒」・「在」で食べ盛りの御兄妹?と遅い昼食に出ていたところだったようです。委細はメールにてお知らせ申し上げましたが、しばしばで申し訳ありませんが、また、お時間のあるときに、宜しくお願い申しあげます。

>山岡さん  女院や中宮の侍長ですが、秀郷流藤原氏にも散見するようです。佐々木紀一先生の「北酒出本『源氏系図』の史料的価値について」は、『山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所報告』第27号(2000年)に掲載です。

>山内さん  香取社について、鈴木哲雄先生の『中世関東の内海世界』(岩田書院、2005年)のⅢ「中世香取社と内海世界」も参考になると思います。

>長村君  本日は、興味深い論文のコピーをありがとうございました。その中で未解決の「生田次郎」というのは、大庭氏一族の「豊田次郎」に比定できるのではないかと思いました。

>山本君  美濃目代斎藤氏まで話は進めますか?

秋の宗教・文化公開講座の御案内

No.4969

宗教・文化公開講座(2006年度)「天下人の京都」

 日時:10月21日(土)13:00~ 
 会場:京都女子大学A校舎5F礼拝堂

 講題 「頼朝の六波羅邸―鎌倉幕府と都市京都―」
 講師  本学宗教・文化研究所教授 野口 実

 講題 「秀吉が伐らせた木」
 講師  武蔵大学人文学部教授 瀬田 勝哉

『院政期の内裏・大内裏と院御所』の評

No.4971

 先般、刊行をお伝えした髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣)に対する元木泰雄先生による紹介記事が8月6日(日)の『京都民報』に掲載されております。
 なお、出版社からの連絡によりますと、本書は初刷1000部のうち、すでに残部は200冊をきったとのことです。
 いずれ、復刊ドットコムに書き込みをするよりは、今のうちに注文された方が得策かも知れません。

高橋先生より和田義盛の妻について御教示

No.4974

 和田義盛の妻についての書き込み(NO.4962)を御覧になられた高橋秀樹先生から、この問題をテーマにされた御高論「吾妻鏡と和田合戦」(『郷土神奈川』第44号)を御恵送いただきました。大いに納得いたしました。
 単にこの問題に留まらず、『吾妻鏡』の史料論として貴重なご研究です。ひとつの記事の矛盾については、ここまで考察を深めなければならないということで、とても勉強させていただきました。『吾妻鏡』講読会参加のゼミメンバーにとっては、またとない必読論文です。
 高橋先生からは、もうひとつ、御高論「能書の家」(浅田徹ほか編『和歌をひらく 第二巻 和歌が書かれるとき』岩波書店)も御恵送いただきました。これまた、興味深い内容です。
 高橋先生にあつく御礼を申し上げます。

『宮城歴史科学研究』第60号拝受

No.4975

 中尊寺仏教文化研究所の菅野成寛先生より、御高論「中尊寺十界阿弥陀堂の成立-CG「甦る都市平泉」と平泉寺院研究-」掲載の『宮城歴史科学研究』第60号を御恵送いただきました。
 菅野先生にあつく御礼を申し上げます。
 
 なお、本誌に掲載された大石直正先生の御高論「「柳之御所における宴会の風景」の舞台裏-「人々給絹日記」の解読-」は、大石先生による「人々給絹日記」に記された人名比定に対する岡田清一先生や私の批判への御回答を含むものです。

【追記】本日(12日)、大石直正先生より上記御高論を御恵送いただきました。
 大石先生に、あつく御礼を申し上げます。

『院政期』本の販売予定

山田知佐子
No.4979

野口先生、みなさま、たいへんごぶさたしております。
文理閣院政期本販売促進員の山田知佐子です。

野口先生、髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣)のご紹介、ありがとうございます。
小社では、中世都市研究会三重大会(9/3)、日本史研究会大会(10/28.29)への出店を予定しております。よろしくお願い申し上げます。

文理閣HPのナゾ?

No.4980

 >山田さん  お久しぶりです。ちなみに、この本が文理閣のHPに紹介されていないのはどうしてなのでしょうか?当方にも問い合わせが来ますので。

盆明けには解決するかと

山田知佐子
No.4981

野口先生、ご心配いただき、すみません。
文理閣のHPは、外注しておりますので、遅れがちです。
先週、担当者が、本の表紙画像を送っていたようです。
盆明けには掲載されるかと思います。

高陽院泰子に献上された歌学書

No.4968

 冷泉家時雨亭文庫の調査で、源俊頼が、関白藤原忠実の娘で鳥羽院の后となった泰子に献上した「俊頼髄脳」の古写本(一部、藤原定家直筆)が見つかったとのこと。京都新聞は一面トップの扱いです。↓

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060810-00000003-kyt-l26

 泰子ですから、宇治の共同研究がらみの情報ということです。
 時雨亭文庫の調査に参加されている美川先生にコメントをいただきたいところですが、北海道に御滞在でしょうか?

>田中さん  お誕生日の由、おめでとうございます。

 ゼミメンバーは、とりわけの岐路の世代。このところ研究活動はもとより、就職の面接や進学希望先への訪問など、みんな主体的・精力的に動いておられるようで、心強い限りです。

Re: 高陽院泰子に献上された歌学書

No.4970

 野口先生、残暑お見舞い申し上げます。
 
 今年は、例年と異なり、この時期北海道には行けませんでした。
 
 10月25日発刊予定の中公新書の校正におわれているためです。題名はきわめてシンプルに『院政』となりそうです。読みやすいようにと工夫はしているつもりなのですが、読みなおすにつれて、その自信も失われつつあり、いささか憂鬱な日々をおくっています。校正という仕事は毎度のことながら、うんざりしてきます。ここで手を抜くと、誤植の嵐にあとで赤面するばかりとなるのですが、けっきょくわかっていて、同じ事になるような気もします。一応、鎌倉末まで書きましたが、内容も満足できる出来ではありません。日頃の不勉強が露呈してしまっています。期待せずに、もうしばらくお待ちください。

 という具合なので、「俊頼髄脳」については、新聞記事以上のことは何もわかりません。新聞記事によると、現在伝わっている定家書写本(江戸期)の親本だそうですが、どんな新知見があるのでしょう。来週の土・日に冷泉家で研究会があるので、そのときに、島津忠夫先生と赤瀬信吾先生にうかがってまいります。

ありがとうございます。

田中裕紀
No.4972

>野口先生
 ありがとうございます。とうとう27歳になりました。初めて先生の研究室におうかがいしてから、かれこれ5年です。また5年、よろしくお願い致します。

今日の京都は強烈に暑い。

No.4976

>美川先生  コメントありがとうございました。
 中公新書、そうは仰られても、やはり院政研究の最新・最高の成果だと思います。おおいに期待しております。
 しかし、10月25日の御刊行ということになると、<院政>で卒論・修論を書いている学生さん達は困るでしょうね。おっと、博論の人もおられましたね。
 当ゼミメンバーに限っては、美川先生の御著書を前提にしない論文を提出することのないように。指導教官の先生方の顔ぶれからして、やはり読んでおかないとマズイでしょう。
 ちなみに、私の方も、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー、ようやく形になってまいりました。その一方、締切を過ぎた書評が数件あり、申し訳なく思っております。

>田中さん  5年後、楽しみですね!!
 それにしても、年齢を全世界に公開されて宜しいのですか?
 田中さんのお生まれになった1979年の夏、28歳の私は、雨野さんの地元の新設一年目の高校の教諭をしていました。ちょうど、現在の鈴木君や八井君みたいな状況でしょうか(いや、相当違う)。8月10日は、日記を見ると「登校日」と書いてあるのみですが、もやもやと思い出すこともあります。

北条時政の評価

No.4966

 本日、立命館大学の杉橋隆夫先生より『沼津市史 通史編 原始・古代・中世』の第二編第五章として収録された御高論「荘園制の確立と武士社会の到来」の抜刷を御恵送いただきました。
 『北条時政』執筆の準備にあたっている当方にとっては干天の慈雨のごときお心遣いをいただいた思いで、早速拝読させていただきました。期待通り、新知見数多。
 
 三津御厨は皇嘉門院領だった。金持庄や阿野庄は大岡牧に隣接する位置にあった。時政と大岡牧の関係。牧氏の一族が『閑谷集』の作者であったという説のあること。その人物が庵を構えたという沼津市大畑のあたりの考古学的調査で12世紀代を中心とした中国産陶磁器が出土していること。源義朝の乳母子鎌田正清と駿河国香貫および希義との関係。治承三年に清盛が富士参詣だけではなく鹿島詣も計画し、そのために相模国に宿館まで造営させていたこと等々。『平治物語絵巻』に頼朝が描かれていることもこれまで気付きません(忘れていた?)でした。
 
 という次第で、お教えいただいたこと甚大。おおいに執筆意欲を喚起されました。杉橋先生にあつく御礼を申し上げる次第です。
 
 これを拝読したことに刺激されて、本日は伊豆北条氏ないし北条時政の評価に関説した文献を読みあさることになったのですが、一番頷かされたのは上横手雅敬先生の『北条泰時』(人物叢書)7ページの前後の記述でした。この本の初版は昭和33年。私が小学校2年生の時というのはどうでもよいことですが、上横手先生は27歳。
 まったく、敬服にたることだと思いました。

 >同じ世代の院生をしているゼミメンバー諸姉兄  夏休みに入って、待ちに待った論文執筆に日夜没頭されていることと思います。旬を大切に。 
 そろそろ一本くらい書き上がった頃でしょうか? 頑張ってください。

暑中お見舞い申し上げます

No.4962

 暦の上では明日はもう立秋。おそまきながら、御挨拶申し上げます。
 京都はまさしく猛暑の渦中にあります。

 ノートPCですが、昨日、鈴木君の御出張をいただき、どうやら復活を遂げることが出来ました。これで、能率良く仕事を進めることが出来ます。鈴木君にあつく御礼を申し上げます。

>岩田君  萩原龍夫『中世祭祀組織の研究』(吉川弘文館、昭37)499ページに「御家人和田義盛の妻は「豊受太神宮七社禰宜度会康高」の女であり、横山権守の妹であった」と、さりげなく記してありました。素直にその枠の中で考えればよいのかも知れませんね。

【追記】
 >永富さん  沖縄のお土産、ありがとうございました。

 >ゼミ史料講読会参加のメンバー諸姉兄  懸案の『日本国語大辞典』全20巻・『明月記』(国書刊行会本)など、購入いたしました。御活用下さい。

 ※ 拙著(しかも古本)がこんなに大きく紹介されたのは初めてのことです(驚)。
  →  http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k30224697

Re: 暑中お見舞い申し上げます

金澤正大
No.4963

御家人和田義盛の妻が横山権守時広の妹であることは、『吾妻鏡』建保元年5月4日条に、「時兼者横山権守時広嫡男也、伯母〈時広妹也、〉者、為義盛妻、妹者又嫁常盛、」とあるのが史料的根拠です。横山氏と三浦氏が重複的な姻戚関係にあったことが分かります。

なお、小生のブログ『歴史と中国』のURLは、「MSN Spsces」が「Windows Live Spaces」と模様替えになりましたので、下記のように変更になりました。

義盛の妻は時広の妹で康高の娘である?

No.4964

>金澤先生  和田義盛の妻の件ですが、横山時広の妹が度会康高の娘ということは、異父妹ということになるのでしょうか?
 先般来、岩田君とそんなことを議論していたという次第です。

 猛暑の京都。五条坂では恒例の陶器市が開催中。かつての六条若宮八幡宮の後進の神社は、その中心に位置します。
 明日は台風接近の由、お気をつけください。

 昭和の30年代、千葉市作草部の市営住宅に住んでいた子どものころ、兄のように慕っていた二歳上の先輩から暑中見舞いをいただきました。一歳三ヶ月になるお孫さんが歩き始めた由。
 いよいよ二世代の懸隔の時代を迎えたようです。

 ☆ 本日、横浜市歴史博物館の平野卓治先生より、平野先生と橋本博文先生御共著「坂東」収録の、上原真人ほか編『列島の古代史 ひと・もの・こと 1 古代史の舞台』(岩波書店)を御恵送いただきました。御高論では、引用・参考文献欄に拙著三点をあげて下さり、恐縮に存じております。
 平野先生に、あつく御礼を申し上げます。 

Re: 義盛の妻は時広の妹で康高の娘である?

金澤正大
No.4965

『吾妻鏡』建保元年7月20日条の、「故和田左衛門尉義盛妻〈横山権守妹、〉蒙厚免之、是豊受太神宮七社祢宜度会康高女子也、」が以上の史料的根拠となります。これを素直に読むと、義盛妻は時広妹で、度会康高女となりますから、ご指摘のように、時広と彼女は異父兄妹となります。

恐縮です

No.4967

>金澤先生、野口先生
 すぐにお返事できずすみません。貴重なご教示をありがとうございます。いまだに異父兄妹(姉弟・兄弟・姉妹)というものがどうもうまく理解できずにいましたが、この事例で少しは具体的にイメージしやすくなったように思います。
 これからも、より注意深く読むよう心がけます。

 猛暑の京都、六波羅の六道珍皇寺でも毎年恒例の「地獄巡り」の季節ですね。高野槙、迎え鐘、地獄絵と、あの縁日の雰囲気が良いです。

些末なことですが・・・

田中裕紀
No.4973

>岩田くん
 「地獄巡り」ではなく、「六道まいり」です!
 それじゃあ温泉地になってしまいますよー

Re: 暑中お見舞い申し上げます

No.4977

 >岩田君  大文字の送り火のことを、「大文字焼き」と言って叱られるがごとし。

 大学が夏期休暇に入る前に研究室で一仕事と思って張り切っておりましたら、プリンターのトナーがなくなってしまいました。
 お盆は研究者にとって、まとめて仕事の出来る貴重な期間なのです。

9月17日の平家物語研究会について詳報

No.4960

 先に御紹介いたしました平家物語研究会の詳細についてお知らせいたします。
 会員以外で出席されるメンバーは、事務局に連絡いたしますので、事前に当方までお知らせ下さい。
  
  日  時:2006年9月17日(日)13:30~17:30
  場  所:慶應義塾大学三田キャンパス 研究室棟1階A会議室
                   
  輪  読:高木信氏『真名本曾我物語』巻第4
  研究発表:清水由美子氏「梓弓説話再考」
       長村祥知氏「承久の乱の軍事動員」

  三田キャンパスへのアクセスは下記のとおりです。
  〒108-8345 東京都港区三田2-15-45 TEL. 03-3453-4511(代)
  JR山手線、京浜東北線:田町駅下車(徒歩約8分)
  都営地下鉄浅草線、都営地下鉄三田線:三田駅下車(徒歩約7分)
  都営地下鉄大江戸線:赤羽橋駅下車(徒歩約8分)

 ★ 当方のPCですが、やはり不調は変わらず、時々画面が消滅いたします。そのため、このBBSへの書き込みやメールの送受信が出来なくなる可能性のあることをお断りしておきます。

承久の乱研究の新展開

No.4961

 上記、長村君のご発表は、従来の承久の乱にたいする評価に大きな変更をせまる内容を含むものです。
 なお、長村君の最近の論文に「『六代勝事記』の歴史思想-承久の乱と帝徳批判-」(『年報中世史研究』31)があることを御紹介させていただきます。

 ☆ 昨日、大阪市立大学の仁木宏先生より、御高論「室町戦国時代の社会構造と守護所・城下町」(内堀信雄ほか編『守護所と戦国城下町』 高志書院)・「港津と守護所をめぐる一考察-若狭国小浜と越中放生津-」(矢田俊文ほか編『中世の城館と集散地』 高志書院)・「守護所・城下町と府中・所口湊-都市史のなかの「七尾」-」(千田義博ほか編『能登七尾城・加賀金沢城-中世の城・まち・むら』新人物往来社)・「戦国時代摂津・河内の都市と交通-中核都市・大坂論-」(栄原永遠男ほか編『難波宮から大坂へ』和泉書院)・「播磨国美嚢郡淡河市庭(神戸市北区)の楽市制札をめぐる一考察」(『兵庫のしおり』7)・「書評 伊藤毅著『都市の空間史』」(『歴史学研究』798)・「摂津国渡辺津の位置をめぐる一考察」(『都市大阪の古代から現代』都市問題研究報告書、大阪市立大学プロジェクト研究会)・「中世大阪都市論-都市群とネットワーク-」(『大阪および日本の都市の歴史的発展 Symposium on Osaka and Japanese Cities,Historical Perspectives』大阪市立大学都市文化研究センター )収録の『抜刷集』および仁木先生御監修の『和泉市史紀要第3集 松尾寺所蔵史料調査報告書』(和泉市史編さん委員会)を御恵送いただきました。旺盛なご研究の成果に脱帽です。
 仁木先生にあつくお礼を申し上げます。

 ★ 原稿執筆はワープロに切り替えましたが、かなり勝手が違い、相当能率が落ちております。器械の所為にしています。