年末のご挨拶

笠 露子
No.4362

ご無沙汰しております。
北海道へ移住して初めての冬を迎えました。
いただいたケトルは、大活躍しております。ありがとうございました。

今年の12月は全国的に寒く、また雪も多かったようですが、
こちらもこの時期にしては異常とも言える雪が降っています。
私は初めて体験する冬ですので「こんなもんなんや」
と特に気にも留めていなかったのですが・・・。

年末で慌しいかと存じますが、風邪などお召しにならず
よい年をお迎えください。


P.S アクセス20万人突破おめでとうございます。
  来年も北の大地より皆様のご活躍をお祈りいたしますm(_ _)m

お久しぶりです。

No.4363

 まだ笠さんでよいのですか?
 手許に今年のお正月にいただいた年賀状(結婚式の時のお写真の)があるのですが、北海道に転居される前の御住所だったので、年賀状を書くのに窮していたところでした。そこに、この書き込み。グッド・タイミングでした。
 聞くだけヤボですが新婚生活は如何でしょうか?
 どうぞ、よいお年をお迎え下さい。
 また、久留米に御帰郷のおりには、途中下車して(飛行機の場合はそうはいきませんが)、しばし京都にお立ち寄り下さい。
 また、入学試験の季節が近づいてきましたね。

 以下、31日の追記です。
 ☆ (財)千葉県史料研究財団の岡野浩二先生より、御高論「俗別当の造寺・寺領監督と檀越の動向」(『国史学』185)、「延暦寺諸堂の再建事業について」(武光誠編『古代日本の政治と宗教』同成社)、「長柄町に残る安然塚の由来」(『房総及房総人』72-3)、「〔新刊紹介〕所京子著『平安朝「所・後院・俗別当」の研究』(『史聚』37)、書評と紹介「西口順子著『平安時代の寺院と民衆』」(『日本歴史』688)などを御恵送いただきました。
 「長柄町に残る安然塚の由来」御執筆の際には今年京女を卒業された高木泉さんのおられる叡山文庫で調査をされた由。また、書評対象の本の著者である所京子先生・西口順子先生ともに京女の御出身です。
 岡野先生にあつく御礼を申し上げます。

ゼミへの御支援に感謝します。

No.4359

 元木先生、過分なるお言葉(NO.4357)恐縮に存じます。岩田君ではありませんが、穴があったら入りたい心境です。
 しかし、当ゼミメンバー躍進の背景には、元木先生をはじめとする学界第一線の先生方の御支援があったればこそ。また、ゼミ旅行などで各地の皆様からいただいた御厚情の賜物と感謝いたしております。
 そして、当ゼミに集まってくれた諸姉兄の意欲と情熱には私も大いに力づけられています。

 クリスマスイヴの宴は盛会だったようで、大慶に存じます。いつも思うのですが、元木先生とは身体の出来が違う。私が深夜に至るまでそれだけ飲食し、さらに翌日スポーツジムでトレーニングに励んだりしたら、おそらく一週間は疲労と睡魔に襲われ続けることと思います。身体にそれだけの差があるのなら当然頭脳も同様なはずだと思われます。
 
 元木先生から新年グルメ会の御提案がありましたが、さて、頼光ならぬ酒呑童子の四天王の去就はいかに?

 アクセス20万突破は本日正午過ぎに達成されたようです。本来はゼミメンバーへの連絡用に作られたものだったのですが、いつのまにやら。もっとも、某国立大学の著名な中世宗教史の先生に当ゼミメンバーが院進学の相談にうかがった際に、私のゼミに所属していると自己紹介したところ、「ああ掲示板の野口先生ですか」と答えられて返事に窮したというエピソードもございますから、この掲示板は私の枕詞にもなっているようです。
 そこまで発展させてくれた縁の下の力持ちは、このHPを立ち上げ、管理してくださっている永富さんと鈴木君に他なりません。心からお礼を申し上げます。
 鈴木君には本日も宇治の拙宅までパソコンとカーナビの面倒を見に出張していただいたりしております。年末の道路渋滞の中、ありがとうございました。

 ゼミも私も多くの方たちの支えによって成り立っている。このことを肝に銘じておきたいと思います。

 ☆ 本日、メール便にて佐藤信編『世界遺産と歴史学』(山川出版社)を拝受いたしました。この本のⅡ部2章「古都平泉の生活・文化遺産」を執筆された入間田宣夫先生からの御恵送によるものです。入間田先生にあつくお礼を申し上げます。

 ☆ 源実朝に関心の有る方へ
  大通寺の「実朝忌」において、四天王寺国際仏教大学助教授 源 健一郎先生による御講演「中世伝承世界における実朝像」があります。
 詳細は→http://www.daituji.jp/ を御覧下さい。

Re: ゼミへの御支援に感謝します。

No.4360

 野口先生、ご丁寧なお返事有難うございました。
 当方の体力など、近藤先生に比べれば子供のようなものです。
 体力と学問もあまり関係はないと思いますよ。
 「運動ができないと武士論ができないなんてことがあるか」と、上横手先生がお怒りになったことがありました(笑)。
 ただ、当方にとって、酒と運動がストレス発散の最良の手段であることは間違えなさそうです。もちろんどなたにも通用するわけではありませんが。
 なお、アクセス二十万突破を書き込んだのは、もちろん今日の昼過ぎで、新しいスレッドをたてるのも大げさと思い、前のスレッドを修正いたしました。
 
 それにしても、今年はいやな出来事の相次ぐ年でした。
 個人から企業にいたるまで社会的にモラルが崩壊し、「改革」と言う名のもとに危険と隣り合わせの効率化、弱者切捨てが是認されてしまいました。
 『バブル経済』の崩壊という事態の意味を問い直すことも、責任を明確にすることもなく、ただ経済活性化、効率化という掛け声だけが横行し、それに反対することが許されなくなりつつあるような雰囲気があります。
 日本中世史などという学問は、まさに切り捨ての対象とされつつあります。
 学問の根本的ともいえる危機的状況の中で、我々に何ができるか、何をなすべきか。
 新年を迎えるにあたって、改めて自問しなければならないと思います。

 その意味で、既存の枠組みをいろいろな意味で超越した研究への取り組みが必要な時代になっていると思います。
 まさに、大学と学問分野の枠を超え、活発な交流の場となっている野口ゼミが、新しい時代を切り開く学問を生み出す母胎となられることと期待しております。
 
 ところで、新年会、6日大阪と致します。
 参加ご希望の方は当方まで(私用に用いて申し訳ありません)。
 
 

『仁和寺研究』第5輯刊行のお知らせ。

No.4361

 元木先生、ゼミへのメッセージありがとうございます。6日、「大坂冬の陣」ですね。
 メンバー諸姉兄、元木先生の御期待に応えるべく、おおいに、このゼミを盛り上げてください。
 
 先日、田中さんの論文の紹介をさせていただきましたが、今度は拙文掲載の雑誌刊行の紹介です。
 本日私のもとには、編集を担当された古藤真平先生から直接お送りいただいたものが届きました。(古藤先生には大変お世話になりました。)
 その『仁和寺研究』第5輯(編者・発行者:古代學協会、発売所:吉川弘文館、平成17年12月20日発行)の構成は以下のとおりです。

  「小論 仁和寺の宗教」                              宮本光研
  「仁和寺本『系図』の研究・翻刻(二)」                     関口 力
  「仁和寺本『系図』に描かれた閑院内裏の陣中」               野口孝子
  「仁和寺本『系図』収録『平安京図』に見える篝屋の設置地点について」 野口 実
  「仁和寺編年史料(二)」                             古代學研究所編
  「図版解説」

 拙文では、あらたに検出された篝屋設置地点の紹介と、この史料の成立時期についての考証が行われています。
 少し高価(本体4000円)な雑誌ですが、発行部数が少ないので早々にご注文下さい
(私も「私用」に用いて申し訳ありません)。 

田中さんの論文・岩田君の報告&忘年会

No.4352

 当ゼミメンバー(女院的存在?)の田中裕紀さんが『同志社国文学』第63号に「『平家物語』における建春門院崩御記事」と題する論文を発表されました。
 国文学の研究会に参加すると、諸本の文章のつき合わせだけで成立の前後関係が論じられているように受け取られるケースに直面することがあり、歴史学の成果を踏まえていただくべき余地が多いのではないかと思えたり、歴史学の成果を踏まえていると標榜しつつも、それが相当な旧説なので違和感を感じたりするということもあったりするのですが、この田中さんの論文は、そうした側面を克服する方向を示されたもので、歴史学の立場からは歓迎すべき内容になっていると思います。
 田中さんは八条院をこれからの研究課題にすると仰っておられますが、目下、山岡さんが政治史の立場からやはり八条院に関心を向けておられますから、ぜひ協力して大きな成果を示して欲しいと思います。来年度、八条院をテーマにお二人の報告をきく会を設定したいと思うのですがいかがでしょうか?
 
 昨日の岩田君の例会発表も、とても有意義なものでした。目崎徳衛氏が鎌倉幕府草創期の京下り吏僚に取り組まれたのに対して、岩田君は東国武士の幕府運営における諸役勤仕の内容を分析し、その役割分担のあり方について整理を試みられました。「鎌倉幕府論」「武士論」に一石を投ずる研究です。
 一応のレポートは『紫苑』に発表され、それをたたき台にして学会報告、学術雑誌への論文発表と進めていただくことを期待し、楽しみにしたいと思っています。

 例会後の忘年会。八井君の就職祝いも兼ねるものになりました。久々にお目にかかったメンバーもあり、楽しい時間を過ごすことが出来ました。調子に乗ってつい饒舌になり、「悪口罪」を適用されそうな妄言もありましたが、ひらにご容赦の程。どうも「宴会」の後は、自らの人品について反省をせまられるケースが多くていけません。
 山内さんからは沢山の美味しいケーキの差し入れをいただきました。また、例によって野口君の名古屋土産も大好評でした。立花さんもわざわざ卒論完成の挨拶に来てくださいました。
 幹事の山岡さん、早々に買い出しに行ってくれた岩田君・山本君、ありがとうございました。

 昨日、年末4本目の論文校正を済ませて送付。ようやく冬休み態勢に入ります。どれだけ原稿が書けるか?年賀状は送れそうですが遅れそうです。

Re: 田中さんの論文・岩田君の報告&忘年会

平田樹理
No.4353

 皆さん、昨日はお疲れ様でした。野口先生からお寿司までいただき、とても美味しく、楽しい時間を過ごすことができました。先生、幹事の山岡さん、本当にありがとうございました。山内さんも、差し入れのプリン等をありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

岩田さん>ご報告お疲れ様でした。大変勉強になりました。ありがとうございました。『紫苑』の方も楽しみにしています。
田中さん>久々にお会いできて嬉しかったです。お忙しいと伺いましたが、体調に気をつけてお過ごし下さい。「『平家物語』における建春門院崩御記事」(『同志社国文学』第63号)、読ませていただきます。
ゼミの皆さん>今年も大変お世話になりました。来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

初論文そして、忘年会

田中裕紀
No.4354

皆様、ご無沙汰しております。
野口先生からご紹介いただきましたように、『同志社国文学』に論文を掲載していただきました。勉強しなければいけないこと、考えたいこと、考えないといけないこと、まだまだ課題は山積みですが、とりあえずは第一歩です。

そして、昨日の忘年会。遅れながらも参加し、久々の面々にお会いすることが出来ました。
山内さんからの差し入れも、とても美味しかったです。山岡さん、手配など本当にお疲れ様でした。

おそまつでした

No.4355

 昨日は、例会というかいつもの『吾妻鏡』というか、粗雑な話を聴いていただき、ありがとうございます。年末年始は木幡に籠もって紫苑の原稿を仕上げたいと思います。昨日みなさんからいろいろとご指摘を頂戴し、材料の定義や分類にずいぶんと稚拙なものが目立つことがわかりましたので、そういうあたりを詰めることが出来ればと思います。

野口先生>例会と忘年会、ありがとうございます。ご提案に適うよう、がんばります。
 『ラグビー日本選手権の歴史』もありがとうございます。日本選手権は東京オリンピックの年に始まったのですね。
 今年、Jリーグはガンバ大阪が優勝しましたが、サッカーは高校も、大学も、全体的に見ればJリーグも、どちらかというと東日本のほうに分があるように思います。ラグビーも、ベスト4には関西からは同志社一つだけ。アメフトも法政大学でしたから、近年の日本のフットボールは、ア式もラ式もアメリカンも、だいたい東高西低傾向ですね。東西では人(選手やコーチ)の交流もけっこうあるはずなんですが。

山岡さん>例会や忘年会の手配、ありがとうございます。来年も『吾妻鏡』やその他ゼミのイベントを盛り上げていきましょう。

山本さん>ここに書くようなことではないかもしれませんが、年末に『パトレイバー』映画版三作品(「ミニパト」含)一挙放送というのもあります。スカパー!で。録画しときますね。

山内さん>プリンにシュークリーム、ありがとうございます。とてもおいしかったです。

忘年会@研究室無事終了。

山岡 瞳
No.4356

こちらこそ、色々とご協力いただきありがとうございました。研究室で忘年会ができるのだろうかと心配をしていましたが、持ちよりパーティのようになり、あっという間に料理がなくなったのには驚きました。いつもと違った雰囲気を味わうことができ、楽しかったです。
お忙しい中買出しをお手伝いいただいた山本さん・岩田さん、ありがとうございました。

>野口先生
 今回の忘年会が成功したのは先生のおかげです。ありがとうございました。 

>岩田さん
 昨日はお疲れ様でした。私もお正月は実家で紫苑を仕上げるつもりでいます。

>田中さん
 ご論文が図書館に並ぶのを楽しみにしています。今日見たのですが、まだ並んでいませんでした。国文学の女院研究をあまり知らないもので勉強させてもらいます。

>山内さん
 プリン&シュークリームありがとうございました。本当においしかったです。今度は直接お店の方に買いに行きたいです。

おそくなりましたが。。。

永富絵里子
No.4358

昨日は楽しい忘年会をありがとうございました。
卒業してから日頃の例会にも都合がつかずなかなか参加できずにいましたが、久しぶりに皆様にお会いし、最近の新たなる活躍っぷりをきかせていただいたことで何だかパワーを分けてもらったような気がします。
ありがとうございました。

山岡さん>幹事おつかれさまでした♪山岡さんの奮闘があってこそのゼミです。紫苑の編集もがんばってくださいね。

山内さん>おいしい差し入れありがとうございました。昨日はお目にかかれず残念でしたが、またの機会に会えるのを楽しみにしています。バイトがんばってくださいね。






還京いたしました。それにしても寒いですね。

No.4350

 皆様、クリスマスイブをいかがお過ごしでしょうか。
 そして、近藤先生を囲んでの宴は如何だったでしょうか。
 京都から名神・山陽自動車道を経て、尻池さんの本拠地である広島県福山市に向かい、明王院・草戸千軒町遺跡を見学、ついで鞆の浦と尾道にて調査・散策。さらに戦艦大和の映画撮影用のセットを見下ろしつつ生口島に渡り、大三島の大山神社、大島の村上水軍博物館を訪ね、来島海峡大橋を渡って今治に到着。それより四国三郎こと吉野川を下る形で徳島県美馬市の千葉山安楽寺や願勝寺の庭園を見学。鳴門海峡から淡路島に至って対岸から一ノ谷の辺りを望見し、明石大橋を渡って再上洛を果たしました。走行距離は都合834キロメートル。カーナビはやはり大変便利です。各地で親切かつ地域の文化に誇りを持った方々と遭遇、瀬戸内・四国の人たちは本当に心優しいと思いました。とりわけ鞆の浦の福禅寺(対潮楼)の御住職には直々に懇切な御案内をいただきました。大山神社社頭の土産物屋さんの御主人も尊敬に足る方でした。市井に偉人有り、まだ日本も棄てたものではありません。
 雪による交通遮断を心配していたのですが、幸い行く先々悪天候には遭遇せず、「しまなみ海道」ではこの季節には稀な好天に恵まれて、瀬戸内海の美しさを満喫いたしました。地元の方にいただいた沢山のミカンで車の中は一杯です。
 さて、この調査旅行で得た情報と知見をいかに今後の研究に活かしていくか、それが問題です。

 ☆ 離洛の間、国文学の横井孝先生と日本風俗史の藤本正行先生から御高論・御高著を拝受いたしました。
 
 佐伯真一先生のお祝いの会で意気投合した横井先生からは、御高論「六条院の風景」(坂本共展・久下裕利編『源氏物語の新研究』新典社)・「軍記・年齢記述の意味」(『實践國文學』67)・「子どもの情景」(『國語と國文學』79-5)・「子どもの領分(一)・(二)」(『實践國文學』60・62)・「<源氏>の物語という選択」(『叢書 想像する平安文学』6、勉誠出版)・「ならの京」(王朝物語研究会編『論叢伊勢物語2』新典社)を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。
 双方の問題意識の相違を踏まえながら、国文学と歴史学との交流はおおいに進めなければならないと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
 
 『平家物語』研究会でいつもお世話になっている藤本正行先生からは、御高著『武田信玄像の謎』(吉川弘文館)および御高論「戦国武将画像のイメージ」掲載の『本郷』61号を御恵送下いただきました。あつくお礼申し上げます。
 武田信玄像については、神護寺の源頼朝像同様、絵が政治的に構築されたイメージと合致していると、なかなか通説を覆すのが困難で、こまったものだと思います。逆に絵が違うということが広まれれば、イメージも変化するということなのでしょうが。

 ☆ 伊豆の国市教育委員会社会教育課学芸員山田康雄先生のお手を煩わせて、『韮山町史』通史Ⅰ 自然・原始・古代・中世(第十巻)を入手することができ、また山岡さんの御助力で『静岡県史』通史編Ⅰ原始・古代の拝読も叶いましたので、いよいよ『北条時政』に取りかかる態勢が整いつつあります。 

『朝日新聞で見るラグビー日本選手権の歴史』

No.4351

 ラグビーシーズンです。昨日のラグビー全国大学選手権では、同志社が帝京に、また早稲田が慶応に圧勝。早稲田には田中さんの勤務校出身の選手がいて、なかなかの活躍をみせていますね。
 ところで、朝日新聞事業本部メセナ・スポーツ部の小林正幸氏(平成4年度早稲田大学ラグビー部監督・義兄)から、京都のラグビーファンの方々へということで『朝日新聞で見るラグビー日本選手権の歴史』見本誌を30部ほど御恵送いただきました。
 これを見て知ったのですが、最初の日本一は同志社大学だったのですね。
 この本を必要な方は、研究室まで。岩田君・八井君など、先に『大学選手権』を希望された方の分は確保しておきたいと思います。

 ☆「同志社が試合ごとに強くなってきてますので2日に関東学院を破って決勝戦であえることを楽しみにしてます。」
 ↑ たった今、送信されてきた義兄からのメッセージです。 

クリスマスイブ、ご挨拶

No.4357

 野口先生、お疲れさまでした。
 尾道、鞆の浦、福山、そして島並み街道のコースは、2001年にたどったことがあります。そのときは、佐伯君や研究室の院生、留学生諸君(といっても総勢4名)と車でまわりました。天候はいまひとつでしたが、史跡はもちろん、食べ物も素晴らしく、実に思い出深い旅行となりました。
 野口先生が深い感銘を受けられたと仰ることが、よく理解できます。
 また、何度訪れても新たな発見のあるところであろうと思います。

 さて、御尋ねのクリスマスイヴ、近藤先生との懇親会は、これまた実に楽しい一夜となりました。
 一次会は、6時半より祇園『鯛めし銀平』。付き出し、4種類の魚の刺身、ひらめまたはいさき(丸ごと)の塩焼き、または煮付け、カキフライ、そして鯛一匹を用いた鯛めし。このコースにしこたま飲んで、一人1万円。これはお値打ちでした(ただし主賓はやや分量的にご不満か?とくに苦手のカキフライに閉口のご様子。お気の毒様です)。
 当日の出席者は、日本史関係では近藤先生はもちろん、上横手雅敬、井上満郎、美川圭の諸先生に当方、それに能楽囃方協会理事長で上横手先生の京大時代のご学友、帆足正規、能楽観世流太鼓方の井上敬介両先生と言う面々。もうシンポジウムができそうです(テーマは何やねん?)。
 帆足先生が、昔のテキヤの様子や、バナナの叩き売りの伝統芸の裏話から口火を切られ、あとは京都の縁日や繁華街の昔話、ミネルバの本、大河ドラマ、和泉元弥の悲劇(喜劇?)等など、まさにトーク炸裂、瞬くうちの2時間半でした。
 上横手、帆足、井上(満)の三先生がお帰りのあとの二次会は、井上敬介先生のご紹介の祇園の某ラウンジ。脂粉の香りも濃厚なの空間で、2時間あまりの「大人の時間」でした。近藤先生、大層喜ばれ、感動(興奮)のあまり仰天行動に出られましたが、支障がありますので詳細はカットいたします。
 かくして気がつけば11時半。かなり眠気に襲われていた美川先生がお帰りのあとは、立命館出身のママがいる川端四条のスナック「ミルクホール」。ここは奈良博館長の湯山先生のごひいきで、先日も元文化庁のF先生、富山大学のT先生、それに当方がまったく偶然に鉢合わせするような店です。
 飲み放題、食べ放題で3500円。ママ手作りの美味しいサーモン、生ハムなどの料理が出され、近藤先生大喜びと思いきや、「遅い時間は食わない」との事。さすがアスリートです。
 店の常連の女性方が先生のおなかを触って歓声を上げるという、誠に楽しい(失礼な)一こまもありました。
 クリスマスイヴをシャンパンで乾杯し、歓談時を忘れるうちに、気がつけば午前1時過ぎ。宿で就寝したのは2時前でした。
 飲んだビール、中ジョッキ4杯、グラス(小ジョッキ)4杯、水割り6杯(6杯目は途中まで)、シャンパン1杯。これで、二日酔いなし。楽しい充実した時間が、いかに健康に良いのか(?)ということを痛感いたしました。 
 25日は、昼からフィットネスに出かけ、2時間半(自転車30分、ジョギング20分、サーキットトレーニング6種)たっぷり汗を流しました。
 最高の忘年会でした。
 と言うわけで、張り切って執筆にとりかかっております。
 近藤先生、また京都でご一緒できる日を楽しみにしております。

 さて、今年もあとわずか。
 野口先生、ゼミの各位には、当方の院生諸君が大変お世話になりました。厚く御礼を申し上げます。と申すのも何か違和感がありますね。
 みんな所属大学と関係なく一体ですから。
 大学の枠を超えて、ともに学び、研鑽し、友情の輪を広げる機会をご提供くださっている野口先生に心から御礼を申し上げます。
 先生には以前に申し上げましたが、12月はじめにお会いした鹿児島の乕尾達哉先生も、野口ゼミに対し同様の賛辞を呈しておられました。
 これからも、さらに新たな仲間をくわえて、ゼミが発展されることを期待しております。当方もできる限り協力させていただきたいと存じます。
 日本史、特に中世史はいろいろな意味で重大な危機に直面しております。
 学際的で、そして同時に実証的でオーソドックスな学問環境の中で、ともに学問の新しい地平を切り開いてゆきましょう。

 ところで、新年には大阪でグルメ会を致しませぬか?4、5,6あたり如何ですか。
 どなたか幹事をよろしく。

ふと見ると、アクセス20万突破ではありませんか。まことにおめでとうございます。

岩田君の慧眼→「鎌倉幕府」の再評価へ

No.4341

 26日は忘年会もさることながら、例会の岩田君の御報告が楽しみです。
 下記のテーマ設定は実にポイントをついていると思います。私はかねてより、鎌倉幕府成立の問題については東国武士の階級的利益を擁護する機関が構築されたという評価のみでは割り切れないものを感じており、その意味で岩田君の問題設定は魅力的です。ちなみに、金澤正大先生の足立遠元にたいする御見解は、たいへん参考になるのではないでしょうか。
    金澤先生のブログ→http://spaces.msn.com/members/km45/
 例会には、多くの方々の御参集をお待ちしています。
 修論執筆中の長村君・辻君もよろしければぜひ。長村君の修論には直接お役に立つと思います。立命館の滑川さんや臨川書店の薗田さんもお出で下されば幸いです。鹿児島から有村さんも、というのはちょっと御無理でしょうが。
 忘年会の方は、この時期でも学校のお仕事で参加できない方が多いようで残念ですが、まあ、身の丈に応じたスタイルで地味に致しましょう。

 >元木先生  義経最終回へのコメント、ありがとうございました。まったくです。

☆ 東京大学史料編纂所画像解析センターの西田友広先生より、五味文彦先生の科学研究費研究によるニューズレター『文献と遺跡』5号を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。
 五味文彦「鎌倉の景観と文化-鎌倉への視座(4)-」、杉山巌「『関東評定伝』再考-内閣文庫本の検討を通して-」、落合義明「【吾妻鏡 注釈】安貞二年十一月・十二月条」、岡陽一郎「鎌倉出土文字資料通信 VOL.4」が掲載されています。
 複数部ありますので、メンバーで必要な方はお申し出下さい。

☆ 神戸大学の髙橋昌明先生より御高著『酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化』を御恵送いただきました。先に中公新書として刊行され、絶版になっていた本書が今度は中公文庫として復刊されたわけです。名著が手に入りやすくなったことは大慶。未読の方はぜひこの機会に。
 髙橋先生にあつくお礼を申し上げます。

>永富さん  本日はお疲れ様でした。
>岩田君  参考文献をあげておいてください。

穴があったら入りたい

岩田慎平
No.4342

 ↑野口先生から以上のような予告編を頂戴しまして、一方では準備状況の貧弱さから、ダッシュで逃げ出したい衝動に駆られておりますが、参考文献です。遅くなって失礼致しました。

 目崎徳衛「鎌倉幕府草創期の吏僚について」『貴族社会と古典文化』吉川弘文館.1995.
 黒田俊雄「鎌倉幕府論覚書」『黒田俊雄著作集 第一巻 権門体制論』法蔵館.1994.
 上横手雅敬『日本中世国家史論考』塙書房.1994.

 目崎氏の論考は、おおよそ建久三年(1192)頃までの幕府の吏僚について分析を加えたものとなっておりますが、来週の報告ではその後の時期(建久年間~承久年間頃まで)の奉行人について考えてみることを目的としております。
 黒田氏の論考は、権門体制論の立場から鎌倉幕府を一つの権門勢家として位置づけて、その有り様について分析したものです。しかし、しばしば批判されるように、黒田氏の分析は必ずしも全ての点において実態に即して為されたたものではありません。そこで、来週の報告では奉行人という具体的なテーマを設定し、そこを起点に黒田氏の説を再検討(あるいはその手掛かりの模索を)してみたいと思います。
 上横手氏の著書は、とくに「第二篇 中世国家論の展望」で、個別具体的な事例・政治過程の研究を通して、権門体制論と東国国家論を二者択一的に論じることを戒めています。どちらが正解・不正解というのではないのはもちろんとして、その各々の成果に学びながらどこかに落としどころが見付かればよいのですが、来週それができるかどうかはわかりません。すみません。

およばれありがとうございます。

No.4343

野口先生>
 ラブコール(?)ありがとうございます。
 師でもないのに走ってる薗田です。
 今年最後の例会ですね。今抱えている仕事を今週中に片づけて、
ぜひ参加させていただきたく存じます。
 ところで数日前、先生にゼミ旅行の際のお写真をメール送信しようとしたのですが、
容量が大きすぎたため、お届けすることができませんでした・・・。
 すでにお持ちかもしれませんが、せっかくなので例会のさいにお届けできたらと考えております。
 
 

Re: 岩田君の慧眼→「鎌倉幕府」の再評価へ

有村芳恵
No.4344

皆様お久しぶりでございます。鹿児島の有村です。野口先生、せっかくの御指名ですが、当方目下卒論作成の真っ最中で、残念ながら例会には参加することは叶いません。掲示板で例会の成果や皆様のご様子を拝見するのを楽しみに、こちらも頑張ります。ではまた。

「虎穴にいらずんば虎児を得ず」

No.4345

 >岩田君 タイトルのような穴に入ってください。
 >薗田さん そうでした。薗田さんも写真を持っておられるのでした。よろしく、お願いいたします。
 >有村さん お久しぶりです。鹿児島からでは、時間もお金もかかりすぎます。でも、来年度は是非に。卒論、おおいに期待しています。頑張ってください。
 >立花さん 卒論、お疲れ様でした。
 >永富さん お疲れ様でした。

 みんな、未来に向かって飛躍中ですが、私、明日より都落ちをいたします。かならず再上洛をいたす所存。この掲示板は拝見いたしておりますので、よろしく。

Re: 岩田君の慧眼→「鎌倉幕府」の再評価へ

永富絵里子
No.4346

野口先生>昨日無事にすべて終了しました。「人事」は尽くしたつもりですのであとは「天命」を待つのみです。ちなみに私も明日補習を終えたら【都落ち】する予定です。
温泉でゆっくり今年一年の疲れを癒す予定です(^^)

山岡さん>お返事が遅くなってしまいすみません。
26日の忘年会、参加させてください♪よろしくお願いします。
久しぶりにみなさんにお会いできるのを楽しみにしています。

大河・義経の感想

前川佳代
No.4347

ご指名を受けたにもかかわらず、書き込みが遅くなりました。22/23で滋賀に引っ越すのでその準備に加え、家族で風邪をひいてしまい、息子は40度近い熱が三日続きまして、さんざんな目にあってます。

さて、「義経」ですが、全体の感想としてはこのストーリーの見方がよくわかりませんでした。「絆」をあげているのに、実父義朝を邂逅する場面は一切なく、ひたすら清盛を慕っている。牛若が清盛の継子とは『盛衰記』に出てくる話で、まったく根拠がないわけではない。でも常盤はすぐに一条家に嫁いでいるし、弟も生まれている。『吾妻鏡』にも継父として長成のことが書かれているので、史実的には長成の養育を受けている。知盛や重衡と兄弟のように育ち、成人後、対戦せざるをえない悲劇が加えられる。常盤も義経在京中に死ぬ。鎌倉では政子にいじめられ、兄とは決別する。あまりにも悲惨な人生。そこまでしてどうして「かわいそうな義経」を創らねばならないのか、理解できません。
だから、タッキーらしさがなかった。明るい義経がなかった。残念です。
源平合戦では主要なエピソードを加え、描いて欲しかった
逃亡期もある程度史実的に追えるので、色んなエピソードと共に、もっと丁寧に描いたらドラマチックになったでしょうに。かなりいそいでました。比叡山の「俊章」の名前が出てきたのはビックリでしたが。
みなさんおっしゃることですが、牛若・遮那王時代から平泉行きまでに時間をかけすぎでした。腰越では三回もひっぱるし。
ただ、逃亡期を失意の逃避行にしなかった所は良かったと思います。「新しき国」のおかげでしょうか。私は「草燃える」からしか見てませんが、大河も民放もほとんどの義経がこの逃亡期には無気力な弁慶なしでは生きていけない義経に変化していたからです。
義経の最愛の人は静のみという設定では、萌さんが気の毒です。最期まで一緒にいたのは、河越の娘なのですから(『盛衰記』に書いてありますし、野口先生のご研究もあります)。
予算的に無理なんでしょうが、もっとたくさんのキャストで人間関係をおっていけば、本当の義経に迫れたはず。
泰衡は情けない男で描かれ、藤原基成も出てこない。佐藤忠信は見せ場がなく、まるで船弁慶の知盛かと思うほどの姿で死にます。平泉や東北の人たちに失礼です。
まあ、タッキー義経は、後半りりしく強く優しい義経だったので、前川的には良かったです。ただ、明るさがなく、神妙な義経であることが気に入りませんでしたね。
全体に北条氏が悪役で、頼朝と義経の関係が描かれている。幕府を成立させた頼朝への配慮なんでしょうかしら。
おそらくこの大河は、義経を描いたのでなく、タッキーの義経を描いたのでしょう。
今後は、史実に沿った本当の義経が生まれることを、あるいは『平家』や『義経記』を忠実に再現するドラマを創って欲しいと願います。

滋賀の家の屋根にはショウキさんの代わりに弁慶の人形を置きたいのですが、まだ見つけてないのです。屋根に置けそうな弁慶人形を見かけた方は前川までご一報くださいませ。

以前書き込みした衣川遺跡群について、1月に岩手考古学会が衣川を大会テーマに設定されるようです。

前川さんありがとうございます

No.4348

前川さん、大河・義経の感想、待ってました。

ということは、ずっと御覧になっていたわけですね。
私はこらえ性がないので、渡=清盛が死ぬまでがやっとでした。
とにかく便利なハードデスクのレコーダーを買ったので、
見なくなって以降も毎回録画だけはしていたのですが、
けっきょく一生見たいと思わないだろうと思い、
たしか8月ごろに全消去しました。

だいたい、見るのが毎週苦痛なものを、見続けることはできません。
しかも、見ていると、実に不愉快になり、自然に不機嫌になるので、
家族も見ないでほしいと懇願します。

少なくとも、私にとっては、腹が立つばかりで、
とてもじゃないが、娯楽になりません。

何度も言ってきたつもりですが、
私は、史実に忠実なモノを求めているのではなく、
楽しめるドラマをつくってほしいと言っているのです。
ドラマとして水準が低すぎる。見るに堪えない。

べつに歴史家は歴史の勉強ばかりしているのではなく、
ドラマも映画も芝居も見ているのです。
いいものを見てるんですよ。目が肥えているんですよ。
それがわかっているんだろうか。

とうぶん、私は大河とはおつき合いしません。
あきらかに時間の浪費です。

Re: 岩田君の慧眼→「鎌倉幕府」の再評価へ

長村祥知
No.4349

ご無沙汰しております。
野口先生、お誘いいただきありがとうございます。
岩田さんのご報告は是非拝聴したいのですが、ちょっと行けそうにないです。すいません。
岩田さん、がんばってください。
山岡さん、幹事お疲れ様です。

☆忘年会@研究室のお知らせ☆

No.4331

天気予報に雪マークをよく見るようになり、寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

↓の野口先生の書き込みにもありますように、
例会と「一年間お疲れ様会@研究室」が開催されることになりました。
  
  日時:12月26日(月)18:30頃~(16:00からの例会終了後) 
  場所:京都女子大学L校舎三階共同研究室 

参加をご希望の方は、山岡までご連絡ください。なお、大学のPCのアドレスを書き込みましたが、山岡の携帯アドレスをご存知の方はこちらまでご連絡ください。
また、お料理(?)は宅配できるものを予定しています。ご意見・ご要望もお待ちしております。

>岩田さん
例会のご案内、よろしくお願いします。           

紫苑執筆中の皆様

No.4332

>紫苑執筆中の皆様 
 締め切りまで一ヶ月を切りました。
 残りわずかですが、頑張りましょう。 

補足。

山岡 瞳
No.4333

 参加をご希望の方は12月21日(水)までにご連絡ください。
 よろしくお願いします。

忘年会@研究室の時間設定について

No.4334

 例会とノン・アルコールのお疲れ様会の時間設定ですが、大学は27日から年末年始の休日になりますので、後片付けの時間が必要です。そのため、すでにほとんどの学校で授業も終わっていることと思いますから、例会の開始時間を14時半ころ、お疲れ様会の開始時間は17時くらいに設定したら如何かと提案いたします。
 なお、岩田君、例会報告のテーマなどお示し下さいますように、よろしくお願いいたします。

 ☆ 本日、法政大学の小口雅史先生より、御高論「延久蝦夷合戦再論-応徳本系『御堂御記抄』諸本の検討を中心に-」(義江彰夫編『古代中世の史料と文学』吉川弘文館)を御恵送いただきました。写本にのこされた文字の検討も大切ですが、小口先生も指摘されているとおり、中条家文書『桓武平氏諸流系図』にみえる鎮守府将軍清原貞衡の記事を前提に、海道平氏と清原氏・藤原氏との関係について踏み込んだ考察を進めることが、今後の課題になるものと、私も考えます。
 この点については、来年、前川佳代さんが論文を発表してくれるはずです。
 小口先生にあつくお礼を申し上げます。
 ちなみに、小口先生はベルリンにお出でになるとのこと。ボンの京樂先生と遭遇の可能性は有るや無しや?

例会@研究室のお知らせ

No.4336

 遅くなってすみません、岩田です。
 12/26(月)の例会を担当いたします。

 テーマは「鎌倉幕府初期の奉行人について(仮)」と致します。
 一般に、幕府内で奉行人と呼ばれるのは、京下りの実務官人に多く見られます。しかし『吾妻鏡』に見られる幕府内の諸々の事案の処理には、このような京下りの実務官人のみが対処していたわけではありません。何件かの事案には、東国武士も担当となっていました。そこで、『吾妻鏡』に見える幕府内の奉行人と担当する事案を整理して検討することで、初期の鎌倉幕府の運営が、実務レベルでどのように行われていたのかを見てみたいと思います。
 ほとんど結論が見えているので、すぐ終わると思いますが・・・。

 開始時間は、野口先生からのご提案に従い、14:30頃からにしたいと思います。当日お集まりの人数を見ながら、ぼとぼちと始めるようにしたいと思いますが、よろしいでしょうか野口先生、山岡さん。

  日時:12月26日(月)14:30頃~ 
  場所:京都女子大学L校舎三階共同研究室 

仰せのままに

岩田慎平
No.4339

 山岡さん、野口先生、ご連絡ありがとうございます。

 そういうわけで、12/26(月)は14:30頃から開始と参りましょう。よろしくお願いします。

忘年会開始時間の変更

山岡 瞳
No.4340

忘年会の開始時間を
  18:30→17:00 に変更します。
途中参加でも構いませんので、多くの方の参加をお待ちしております。
参加をご希望の方は21日水曜日までに山岡までご連絡ください。

ゼミメンバーにもとめる?もの。

No.4328

 立花さんをはじめ、卒論を執筆中の皆さん、寒さに負けずに頑張ってください。

 このところ論文の校正が四件も重なって混乱状態が続いています。論文を執筆し終えても、校正が完了するまでは関係する史料や論文を片付けないでおりますので、自宅でも研究室でも机の回りの収拾がつかなくなって参りました。
 そんな中で、『北条時政』の資料収集を進めておりますが、伊豆の国市社会教育課の文化財担当の方から「直接現地にて発掘調査現場や中世遺跡・出土遺物などを案内する」との心強いお言葉をいただいて感謝感激しています。昨年、すでにビニールシートのかかった北条氏邸跡に御一緒した山田先生、また如何でしょうか?
 ゼミ旅行も伊豆が候補に挙がっていながら不発に終わったことがありましたが、また計画を立ててみませんか?

 ところで、ゼミ旅行といえば、再三お願いしている集合写真。春の旅行では国立歴史民俗博物館・東大史料編纂所、夏の旅行では霧島神宮や歴史交流館金峰前などで撮影したものの供出をお願いいたします。カメラを持ってきておられたメンバーには、本日個別に催促メールをお送りしましたが、目下、中世後期、国人に見放された守護にシンパシーを感じる心境です(笑)。
 
 ☆ 本日、慶應大学大学院の桃崎有一郎さんから、御高論「〔史料紹介〕『荒暦』永徳元年・二年記の翻刻」(『年報三田中世史研究』12抜刷)を御恵送いただきました。たいへん着実なお仕事に敬服いたしました。あつく御礼申しあげます。
 また、NHK出版の石浜哲士さんから、新刊の齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』(生活人新書)を御恵送いただきました。いつものようにベストセラーになることでしょう。ありがとうございました。
 
 ちなみに、『年報三田中世史研究』ですが、抜刷が出たということは既に本誌は刊行済みということでしょうか?しかし、定期購読をお願いしているのに未だ届いておりません。関西ではなかなか拝読できない雑誌です。当方の研究室の架蔵のものをアテにしている院生諸姉兄も何人かおられますので、何とかしなければなりませんね。

「架空請求」=説教オヤジの反省

No.4330

上記の大番催促ならぬ写真催促について、主要メンバーから御返信を頂きました。どうやら、私はカメラを持っていなかった方たちにばかり「催促令」を発したようで、まことにもって耄碌をさらけ出した感があります。
 「カメラを持っていっておりませんので、・・・供出したいのはやまやまなんですが・・」という方には大変申し訳ないことを致しましたが、カメラ本体を紛失したという深刻な事態に遭遇した方、さらには「電車」の写真ならあるという方もおられました。
 山岡さんが金龍寺と千葉市の博物館前で撮った写真をお持ちでしたが、使い捨てカメラなのでちょっと不鮮明なのが残念。あと期待できるのは鈴木君・永富さん・山内さん・尻池さん辺りでしょうか?よろしく、ご確認をお願いします。

 伊豆旅行の提案については、八井君から宿についていろいろ調べて頂けるとのメッセージ、そして佐伯君からも、ぜひ参加したいとのお申し出とともに準備段階から手伝いたいとの、これまたありがたいお申し出をいただきました。
 先に伊豆旅行の幹事を引き受けてくれた山本君・平田さん、再起の時が来たようですよ!
 もっとも、一番楽しみにしているのは、卒論で伊豆北条氏を書いている(目下手書きで清書中)の立花さんのようです。実現できると良いですね。
 なお、北条氏邸跡の発掘調査は今年度は3月中旬頃までおこなっているとのことで、伊豆の国市教育委員会の池谷初恵先生から「ゼミの学生さん達にも見ていただき、ご意見をうかがいたいです」との、ありがたいメッセージを頂いております。

 先に御紹介した石浜さんから頂戴した齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』は、このところ説教オヤジをやっている私には良い反省材料を提供してくれました。説教オヤジに迷惑をかけられている方やご自分の説教オヤジ化に危惧をいだいている人、また学校で先生をやっている人には一読をお勧めいたします。

 26日の例会と「一年間お疲れ様会@研究室」について、岩田君・山岡さん・山内さん、宜しくお願いいたします。私は来週、キャンパスプラザの講義の翌日から、しばらく京都を退去して西海に逃れます。かわって近藤好和先生が<大軍を率いて>御上洛の由。
 今頃、元木先生が、日記に「凡近藤氏為体、威勢厳粛、其性強烈、成敗分明、理非断決云々」なんて、お書きになっておられるかも知れませんね。

最終回だけの感想

No.4335

 近藤氏の上洛を待ちかねる?元木でございます。
 さて、何やかやで話題となった大河ドラマ『義経』、終わりました。
 ありがたいことに、関連本が多数出版され、上横手先生の御編著『源義経 流浪の王者』、近藤先生のミネルヴァ評伝選『源義経』、大三輪・関・福田氏編『義経とその時代』、菱沼一樹氏の『源義経の合戦と戦略』、をはじめ、史料や事実の根本的見直しを迫る研究が相次いだことは、学界のためにまことに慶賀すべきことと思われました。
 当方も、再三講演の機会を得て、義経、そして鎌倉幕府成立問題に関する知見を深めることができました(無論、飲み代も大分頂戴いたしました・・・でも、飲みすぎて足が出たかも?)。
 その意味では、今回の大河ドラマに感謝しております。

 しかし、ドラマ自体は、というと、どうも不可解な解釈や、史実改変が相次ぎ、何ともしらけるばかりでした。
 見る気にもならず、目にすることもなかったのですが、たまたま食事時間と重なったことから最終回だけを視聴いたしました。やっぱり、変なドラマでした。
 最後までキーワードは「新しき国」だったようですが、それは一体そんな国だったのでしょうか。一年継続するドラマなら、それをめぐる葛藤を骨太に描く必要があったのですが、はたして実現していたのでしょうか。
 普通は新しい武士と、古めかしいおろかな貴族という対比がなされるのですが、後白河は戯画化されるばかり。貴族と言えば、朝廷には平知康しかいなかったようです。どうも彼らはお添え物程度で、「古き国」の中心と言うような悪者に仕立てるつもりもなかったようです。
 では平氏が悪者かというと、平清盛はむしろ義経の目指すものだったようです。しかし、義経はその平氏を滅ぼした。脚本家の意図はどうなっているのでしょうか。
 また、頼朝との葛藤はどのように描かれていたのでしょう。宮田敬三氏の研究を援用すれば、戦争の早期解決を目指し、平和を希求する義経と、東国武士の好戦的性格を理解し、そのために敢えて合戦を長引かさざるを得ない頼朝の苦悩と確執、といったテーマ設定ができたはずですが。
 個人の思惑を超えた時代の軋み、それに翻弄され、悲劇に巻き込まれる人々、といった描き方が大河ドラマには求められると思います。今回は如何なものでしょうか。

 当初、義経は殺生を嫌うヒューマニストのように描かれていたようです。ならば、平泉と頼朝との対決を回避すべく努力するはずだし、自分の存在が戦争の引き金になるなら、自害するか亡命するはずではないでしょうか。家来を道連れに、合戦の末に自殺すると言う選択肢は奇妙です。
 むしろ、うつぼあたりが船を持ち出して、北方に「新しき国」を求めて逃亡する設定の方が自然にさえ思えます。

 結局、義経の理想郷は死後の世界にしかないと言うことでしょうか。家来たちは、愛する女性も捨てて、「君」のために死ぬことを喜ぶ。何人かは、まさに「莞爾」として、死んでゆきました。彼らは死後の理想郷で、主君たちと再会することを信じて。
 この演出に何らかの政治的意図を感じた人は多いのではないでしょうか。無論、毎回見た方なら、ちがう感想も御有りでしょうが。
 ちなみに、NHKの番組HPにおける最終回のあらすじによると、「戦争を知らない泰衡」が、頼朝との戦争を恐れ、結局誤った判断を下し、平泉を滅亡に導いたという説明があります。
 平和ボケは、的確な判断を鈍らせ、国を誤らせるということでしょうか。
 
 別に首相のご子息が出演したことと関係はないのでしょうが、なにやらきな臭いドラマのように思えてきます。
 そういえば、ご子息演ずる資盛は「殿下乗合」事件の張本人ではなく、むしろ三位殿とやらに襲撃される被害者でしたし、屋島では継信を射殺する戦功をたてておりました。ひょっとして、父上に配慮したのか、はたまた圧力でもあったのか。

 衰えたりとは言え、大河ドラマの影響力は小さいものではありません。
 かなり学問的な成果を反映させながら、あえてタブーとされた南北朝にいどみ、後醍醐天皇を登場させた『太平記』のころが、懐かしく思われます。
 BSでご覧になった方は、今回のドラマとの相違、とくに演出や脚色、学問との兼ね合い、製作意図の相違について、一度思いをめぐらしてみてください。

 さて・・・。
 50歳をすぎたし、もう徴兵は大丈夫やろな。いや、このご時勢、年金もらえへんうちは、召集されるかも。
 それやったら志願して仕官になって、情けない若いやつらを張り倒すのもええかも知れまへんな。近藤先生が張り倒したら、みんな死んでしまうかも。
 おまけに、今度は男女平等やさかいに、女の方もにげられまへんで。
 どこに亡命すれば良いのでしょうか・・・・・
 

歴史ドラマにもとめるもの

No.4321

大河ドラマの義経が終わりました。
この数ヶ月見ていないのですが、最終回だけ見ました。

思うのですが、『吾妻鏡』のわずか数行の記述。
それをもとにしたドラマを今後期待したい。
つまり。
『吾妻鏡』文治五年閏四月三十日
今日於陸奥国、泰衡襲源豫州。是且任 勅定、且依二品仰也。
与州在民部少輔基成朝臣衣河館。泰衡従兵数百騎、馳至其所合戦。
与州家人等雖相防、悉以敗績。
豫州入持仏堂、先害妻(廿二歳)子(女子四歳)、次自殺云々。
ですね。
義経は、後白河法皇と頼朝の命令によって、泰衡に殺された。
だから、頼朝は義経の死に涙するなんてことはけっしてない。
後白河ももう義経のことをとうに見放している。
そして、大事なのは、義経は一人ではなく、正妻と四歳の娘とともに、
衣川館にあって、泰衡の騎兵に攻められる。そして妻子を殺して、自殺する。
騎兵が攻め寄せるのですね。
いまさら弁慶の立ち往生よりも、こちらをしっかり描くこと。

しかも、手あかのべったりついた義経と靜との物語よりも、
この正妻である河越重頼の娘との最期、その幼気な四歳の娘とのドラマ。
そして、平時忠の娘とはどうなったのか。義経にとって時忠とは。
ほんとうのドラマのネタはいくらもあるんです。
今日みたいに一人で死ぬのはもってのほか。

小説家や脚本家、ドラマの制作者には、
のちの『義経記』によらず、この『吾妻鏡』の行間をうめる
涙をしぼれるようなフィクションを、作っていただきたいと思います。

そして、歴史を研究するものは、この『吾妻鏡』のわずかの記事の後ろに広がる
深く大きな歴史を明らかにしなければならないと思う次第です。

とにかく、大河義経をめぐっては、今年の前半いろいろありました。
今年ももうわずかです。大河義経はかえすがえすも残念でした。

大河「義経」関連の仕事納めはまだ先。

No.4322

 先週末、佐伯真一先生の角川学芸大賞受賞内祝いの会に参加させていただきました。
 たくさんの国文学・日本中世史学の精鋭(もちろん近藤好和先生も)、それに出版関係の方々がお出でになられ、歓談に時を忘れましたが、何よりも印象的だったのは会の終了に際して、佐伯先生が編集担当の石浜さんに感謝の言葉と共に記念品を贈呈した場面でした。本を出すということがどういうことなのか、あらためて学ばせていただきました。
 なお、中世文学の研究者の方々とお話しをしていていつも思うのは、もっと歴史学者がその研究成果を国文学の研究に還元すべきだということです。もちろん、相互交流が大事なのですが、一義的には研究の対象とする時代の社会・文化を踏まえることが文学研究の基盤になるわけですから。
 最近、お話しをうかがった京都の院生クラスの方たち(前川さん、樋口さん、佐伯君、長村君、辻君)の素晴らしい研究成果など、軍記関係の研究会で報告をされれば、大歓迎されること請け合いだと思うのですが。
 
 美川先生、大河「義経」に関するコメント、ありがとうございます。最終回へのコメントを期待する向きが多かったようで、昨夜来、アクセスが急増していたところでした。

 ちなみに、私の大河「義経」がらみの仕事の最終回は、以下の講演をもってということになりそうです。

 ◇歴史講座「源平合戦とその時代」(5回シリーズ) 第4回「源頼朝と東国武士団」
   
   源頼朝はどうして平氏に勝ち、鎌倉幕府を開くことができたのか。
   源氏と関東武士団との関わりから、頼朝の武家政権構想に迫ります。

1 開催日時  平成18年1月8日(日) 午後1時30分~3時   
2 会場    斎宮歴史博物館 講堂
         〒515‐0325 三重県多気郡明和町竹川503
         TEL 0596-52-3800
3 定員    200名(応募者多数の場合は抽選となります。)
4 受講料  無 料
5 申込み
  ・応募方法 往復ハガキに、講座名、住所、名前、連絡先(電話等)を記入してお申し込みください。
        (ハガキ1枚につき、2名様まで申込みできます。)
  ・応募期間 平成17年11月28日(月)~12月16日(金)まで(当日必着)
        ※結果は、12月下旬に全員に復信ハガキにて通知いたします。
  ・申込み・問合せ先
        いつきのみや歴史体験館         
        〒515‐0321 三重県多気郡明和町斎宮3046‐25
        TEL:0596-52-3890  担当:松月浩子
6 主催   斎宮歴史博物館

☆☆☆ 本日(12月12日)の『吾妻鏡』講読会。先着4名様に、カマンベールチーズケーキを用意しております。

斎宮の講座

山田邦和(花園大学・考古学)
No.4323

野口先生の後追いで、お相伴させていただきます。

斎宮歴史博物館◇歴史講座「源平合戦とその時代」(5回シリーズ)
  第5回  「源平争乱と中世都市」 
京都をはじめ、奥州藤原氏の平泉、平氏政権の新都福原京、鎌倉幕府の本拠鎌倉などの
中世都市の実像を通して、源平争乱の時代相を探ります。

開催日 平成18年3月26日(日) 13時30分~15時
講師 花園大学教授 山田邦和
募集期間 平成18年2月19日(日)~3月11日(土) 当日必着
http://www.pref.mie.jp/saiku/hp/gyouji/h17gyouji/koza/rekisi.htm#rekisikoza4

でも、何をしゃべるか、まだ決まっていません。
「福原京」ネタは高橋昌明先生が先にしゃべっておられるハズだからな・・・

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大河ドラマ「義経」最終回、見ました。
前川佳代さんから全体の感想を聞きたいものです。

山田邦和先生複写・製本の貴重図書。

No.4324

 昨日の『吾妻鏡』講読会の際、山田ちさ子さんが山田邦和先生お手製の拙著『坂東武士団の成立と発展』完全コピー製本版(呼び方を変えると<海賊版>)を見せてくださいました。たいへん見事な出来映えで、どう見ても本物よりも立派。
 それにしても、愛妻のために本一冊をコピーし、色厚紙で表紙までつけて製本し、タイトルも印字するという心の籠め方に、たいへん感動させられました。「夫の鏡」です。
 その拙著が復刊ドットコムでどの程度の票を獲得しているものかと、アクセスしてみたところ、すでに23人の方が投票してくださっていました。さらにコメントを拝読して、著者としてとてもありがたく、うれしく存じた次第です。

    http://www.fukkan.com/list/comment.php3?no=26331

 すでに発行元は解散しておりますので、引き受けてくださる出版社さえあれば問題なく再刊可能なのですが。
 それにしても、10数年前、売れなくて250冊も断裁処分にしたのが惜しまれます。

 ☆ ゼミ旅行の写真ですが、肝心の集合写真がひとつも集まりません。みんなで撮影した写真ですから私蔵はいけません。早々に供出して下さい。なお、持っていそうな方には、個人的に強硬な「催促」を行う所存です。「お覚悟召されよ!」

 > 前川佳代さん  日本一の義経ファンによる大河ドラマ評、ぜひうかがわせてください。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、目下奈良国立博物館で開催中の特別展「金沢文庫の名宝-鎌倉武家文化の精華-」の図録と招待券を御恵送いただきました。
 
 http://www.narahaku.go.jp/exhib/2005toku/kanazawa/kanazawa-1.htm 

 永井先生にあつく御礼申しあげます。なお、招待券が必要なメンバーはお申し出下さい。

「師」になって「走る」メンバーへ。

No.4317

 中学・高校は期末試験の時期で、「先生」をしているメンバーは、問題の作成や膨大な答案の採点に苦労している時期だと思います。久しぶりに母校を訪ねてくれた卒業生の名前を思い出せなくて・・・などという教師にとって<深刻>な体験をされた人もいるようですね。
 立場が変わると、同じ事でもだいぶ違って見えるものです。
 
 ところで、いよいよ年の瀬です。毎年いろいろなイベントが催されてきましたが、今年はどうしましょうか?26日の例会後ということで山内さん・山岡さんに企画をお願いしてありますが、御要望・御意見などあれば・・・。

 ☆ 昨日、国際日本文化研究センターの千田稔先生より、御高著『地球儀の社会史』(ナカニシヤ出版)を御恵送いただきました。同じ「研究」を職場の名にもつ身として、先生の精力的なお仕事ぶりに、いつも背中を押される感がございます。
 千田先生にあつくお礼申し上げます。

 >鈴木君  研究室のパソコンですが、今日は今のところ、フリーズは一度しかありません(ネットの動作中で、メールの方は問題なしです)。

元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4315

 元木先生、お誕生日おめでとうございます。
 私個人はもとより、当ゼミメンバーが、いつも大変御世話になっており、あつくお礼申し上げます。
 何かと御多忙とは存じますが、今後とも御自愛の上、ますますの御活躍をお願い申し上げる次第です。

 研究室のパソコンですが、本日、鈴木君のレスキューをえて、復活をはたしました。
 鈴木君(先生)から「これから研究室に向かう」という電話があっただけで、それまで何度起動してもフリーズを重ねていたパソコンが動き出したのには驚きました。さすがにその後、また止まってしまいましたが、2時間半ほどの施術の結果、なんとか息を吹き返したようです。私にはまさに呪術的所業としか思えません。
 そのような次第ですので、研究室あてメール受信可能です。それにしても迷惑メールのなんと多いことでしょうか(その対策も施術していただきましたが)。
 しかし、今度壊れたらいよいよ本体から買い換えでしょうか?

 ☆ ゼミ旅行の時の写真の供出の件、お忘れなきように。

おめでとうございます

長村祥知
No.4316

元木先生
お誕生日おめでとうございます。毎日ご多忙の中ご指導頂きありがとうございます。
今後ますます寒くなることと思われますので、どうぞお体に気をつけてください。

野口先生
偶然ですが私もここ数日、パソコンは気まぐれな生き物だなぁと思うことが多いです・・・

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4319

 当方の誕生日に対し、お祝いのメッセージを有難うございました。

 50歳代は人生のピーク、などと申したのですが、まさか雑用のピークとは思いませんでした。
 今週も日曜が同窓会設立総会、月から水まで出張、今日は10時から18時まで、3時限目を除いて3種類の会議、明日は午前中関学の講義で、午後は京大で学生部委員会、土曜は9時半から15時半まで姫路市の生涯学習関係の遠足のお共、16時から神戸市史、日曜はやっと休みですが月曜は11時半から14時半まで会議、15時から研究会・・・・。
 こんな調子で、今年度一杯雑用の連続のようです。

 こうした業務も慣れれば何とかこなせそうな気もするのですが、なんといってもつらいのは人生で残された大事な研究時間が、浪費されることのように思います。
 しかし、誰もが交代で負担することですから、愚痴を言っても仕方ありません。
 大過なくこなすことと、やけ酒などの暴飲暴食をつつしみ体力の消耗をできるだけ回避すること、そして常に研究に対する鋭敏な感覚を保ち続けることを心がけたいと思います。といっても二番目の実行はなかなか・・・。

 3番目の件ですが、以前、心ならずも3ヶ月近く、学問から遠ざかったことがあります。わずかの期間でも学問を離れれば、いかに感覚が鈍り、生産力が低下するか。本当に恐ろしいことと痛感いたしました。
 雑務を口実に、学問から逃避することだけはするまいと銘記しております。

 日本史と言う学問はもとより、その根底にあるべき国民の歴史意識の減退は、きわめて憂うべき状況にあると思います。
 学問について常に新たな成果を提示し、優れた後進の育成を図るのは当然ですが、同時にそれを一般読者や高校以下の教育現場に還元すること、そして正しい実証的な歴史認識を定着させること。これが歴史家の責務と存じます。

 と言うわけで、ライブラリーの義経を仕上げたら、第二論論文集『武士政権成立史論』(塙書房)、『河内源氏』(中公新書)、『初期公武政権論』(第三論文集、吉川弘文館)、そのつぎにはかねてのお約束を守り、再び石浜さんのもとで『頼朝の苦闘』と言う予定です。
 こういうのをとらぬ何とかの皮算用と言うのでしょうが・・・
 体力と、知力が相俟って何とか第一線にとどまれそうなこの10年に、できるだけのことをしたいと思います。
 ご支援、ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

 ところで、困難な日常の憂さ晴らしは、やはりグルメが一番。というわけで、誰か大阪か京都で酒呑童子の会をやりましょう。佐伯君、別に遠慮は要りませんから、企画をお願いします。岩田君、関学のコンパにこだわらず、ここで参加者を募って美々卯という手もありますよ。
 

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4320

>元木先生
それでは先生、さっそく月曜日の研究会の時にご相談を!!

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4326

おくればせながら、元木先生お誕生日おめでとうございます。
先生のお忙しさに比べたらまだまだではございますが、しだいに土日の感覚が無くなってまいりました薗田です。
先日は「かふう」の女将さんのメルマガをいただき、ありがとうございました。
会社のパソコンの前で先生のモノマネを思い出し、一人で笑いをこらえておりました。
年の瀬に向けてご多忙とは存じますが、どうぞご自愛ください。

「かふう」の女将さんのメルマガ

No.4327

  http://t-kafuu.com/kafuuclub/kafuuclubvol.105.html

 いずれ「かふう」で元木先生のクリスマスディナーショーでも企画したら、楽しいと思うのですが、みなさん如何でしょうか?
 もちろん、幹事は同志社関係の方に。

酒呑童子、料理される?

No.4329

 薗田さん、お久しぶりです。メッセージ、有難うございます。
 摩耶山、神戸の写真をお渡ししようと思いながら、機会がありません。何かの研究会ででもお会いできればと思います。

 野口先生、そのメルマガは、恥ずかしいので、あまり広範囲にばら撒いていなかったのですが・・・。
 
 いやはや、観察眼の鋭さというなら、当方などより、女将にこそ軍配を上げるべきでしょうね。このメルマガ、毎週送られてきますが、なかなか達意の文章で、読み応えがあります。
 ただし、この記述には重大な誤謬があります。
 当方は、確かにビフテキフルコース(鉄板焼きロア)を食し、お好み焼き(福助)を食べますが、そのあとには決して焼肉などには参りません。ただ、新阪急ホテルのバー(ビーツ)に行き、ナッツをつまみにウィスキーを飲むだけです。
 ウィスキーのつまみに韓国風焼肉をいつも注文されたのは、故熱田先生です。そこらのお話がごっちゃのようです(先年の読史会で、当方と熱田先生を混同された偉い先生が居られましたが・・・)。
 断固として訂正を求めたいと思います(笑)。
 最後に焼肉が食べられる体力があるのは、近藤先生ぐらいのものでしょう。
 
 せっかく野口先生にご慫慂を頂きましたが、24日は近藤先生との懇親会ですから、ディナーショーはご辞退申し上げます(笑)
 実は23日に佐伯君以下4名でかふうに行く予定です。
 さらにお越しになりたい方があれば、ご相談いたしましょう。狭いお店ですが、何とかなるかと思います。
 ただし、あそこではしゃぐと、当方みたいにメルマガで料理されてしまいますぞ(人間を食っているはずの酒呑童子が料理されてどないするねん。されば女将は頼光か?)。
 ご注意を。