☆忘年会@研究室のお知らせ☆

No.4331

天気予報に雪マークをよく見るようになり、寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

↓の野口先生の書き込みにもありますように、
例会と「一年間お疲れ様会@研究室」が開催されることになりました。
  
  日時:12月26日(月)18:30頃~(16:00からの例会終了後) 
  場所:京都女子大学L校舎三階共同研究室 

参加をご希望の方は、山岡までご連絡ください。なお、大学のPCのアドレスを書き込みましたが、山岡の携帯アドレスをご存知の方はこちらまでご連絡ください。
また、お料理(?)は宅配できるものを予定しています。ご意見・ご要望もお待ちしております。

>岩田さん
例会のご案内、よろしくお願いします。           

紫苑執筆中の皆様

No.4332

>紫苑執筆中の皆様 
 締め切りまで一ヶ月を切りました。
 残りわずかですが、頑張りましょう。 

補足。

山岡 瞳
No.4333

 参加をご希望の方は12月21日(水)までにご連絡ください。
 よろしくお願いします。

忘年会@研究室の時間設定について

No.4334

 例会とノン・アルコールのお疲れ様会の時間設定ですが、大学は27日から年末年始の休日になりますので、後片付けの時間が必要です。そのため、すでにほとんどの学校で授業も終わっていることと思いますから、例会の開始時間を14時半ころ、お疲れ様会の開始時間は17時くらいに設定したら如何かと提案いたします。
 なお、岩田君、例会報告のテーマなどお示し下さいますように、よろしくお願いいたします。

 ☆ 本日、法政大学の小口雅史先生より、御高論「延久蝦夷合戦再論-応徳本系『御堂御記抄』諸本の検討を中心に-」(義江彰夫編『古代中世の史料と文学』吉川弘文館)を御恵送いただきました。写本にのこされた文字の検討も大切ですが、小口先生も指摘されているとおり、中条家文書『桓武平氏諸流系図』にみえる鎮守府将軍清原貞衡の記事を前提に、海道平氏と清原氏・藤原氏との関係について踏み込んだ考察を進めることが、今後の課題になるものと、私も考えます。
 この点については、来年、前川佳代さんが論文を発表してくれるはずです。
 小口先生にあつくお礼を申し上げます。
 ちなみに、小口先生はベルリンにお出でになるとのこと。ボンの京樂先生と遭遇の可能性は有るや無しや?

例会@研究室のお知らせ

No.4336

 遅くなってすみません、岩田です。
 12/26(月)の例会を担当いたします。

 テーマは「鎌倉幕府初期の奉行人について(仮)」と致します。
 一般に、幕府内で奉行人と呼ばれるのは、京下りの実務官人に多く見られます。しかし『吾妻鏡』に見られる幕府内の諸々の事案の処理には、このような京下りの実務官人のみが対処していたわけではありません。何件かの事案には、東国武士も担当となっていました。そこで、『吾妻鏡』に見える幕府内の奉行人と担当する事案を整理して検討することで、初期の鎌倉幕府の運営が、実務レベルでどのように行われていたのかを見てみたいと思います。
 ほとんど結論が見えているので、すぐ終わると思いますが・・・。

 開始時間は、野口先生からのご提案に従い、14:30頃からにしたいと思います。当日お集まりの人数を見ながら、ぼとぼちと始めるようにしたいと思いますが、よろしいでしょうか野口先生、山岡さん。

  日時:12月26日(月)14:30頃~ 
  場所:京都女子大学L校舎三階共同研究室 

仰せのままに

岩田慎平
No.4339

 山岡さん、野口先生、ご連絡ありがとうございます。

 そういうわけで、12/26(月)は14:30頃から開始と参りましょう。よろしくお願いします。

忘年会開始時間の変更

山岡 瞳
No.4340

忘年会の開始時間を
  18:30→17:00 に変更します。
途中参加でも構いませんので、多くの方の参加をお待ちしております。
参加をご希望の方は21日水曜日までに山岡までご連絡ください。

ゼミメンバーにもとめる?もの。

No.4328

 立花さんをはじめ、卒論を執筆中の皆さん、寒さに負けずに頑張ってください。

 このところ論文の校正が四件も重なって混乱状態が続いています。論文を執筆し終えても、校正が完了するまでは関係する史料や論文を片付けないでおりますので、自宅でも研究室でも机の回りの収拾がつかなくなって参りました。
 そんな中で、『北条時政』の資料収集を進めておりますが、伊豆の国市社会教育課の文化財担当の方から「直接現地にて発掘調査現場や中世遺跡・出土遺物などを案内する」との心強いお言葉をいただいて感謝感激しています。昨年、すでにビニールシートのかかった北条氏邸跡に御一緒した山田先生、また如何でしょうか?
 ゼミ旅行も伊豆が候補に挙がっていながら不発に終わったことがありましたが、また計画を立ててみませんか?

 ところで、ゼミ旅行といえば、再三お願いしている集合写真。春の旅行では国立歴史民俗博物館・東大史料編纂所、夏の旅行では霧島神宮や歴史交流館金峰前などで撮影したものの供出をお願いいたします。カメラを持ってきておられたメンバーには、本日個別に催促メールをお送りしましたが、目下、中世後期、国人に見放された守護にシンパシーを感じる心境です(笑)。
 
 ☆ 本日、慶應大学大学院の桃崎有一郎さんから、御高論「〔史料紹介〕『荒暦』永徳元年・二年記の翻刻」(『年報三田中世史研究』12抜刷)を御恵送いただきました。たいへん着実なお仕事に敬服いたしました。あつく御礼申しあげます。
 また、NHK出版の石浜哲士さんから、新刊の齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』(生活人新書)を御恵送いただきました。いつものようにベストセラーになることでしょう。ありがとうございました。
 
 ちなみに、『年報三田中世史研究』ですが、抜刷が出たということは既に本誌は刊行済みということでしょうか?しかし、定期購読をお願いしているのに未だ届いておりません。関西ではなかなか拝読できない雑誌です。当方の研究室の架蔵のものをアテにしている院生諸姉兄も何人かおられますので、何とかしなければなりませんね。

「架空請求」=説教オヤジの反省

No.4330

上記の大番催促ならぬ写真催促について、主要メンバーから御返信を頂きました。どうやら、私はカメラを持っていなかった方たちにばかり「催促令」を発したようで、まことにもって耄碌をさらけ出した感があります。
 「カメラを持っていっておりませんので、・・・供出したいのはやまやまなんですが・・」という方には大変申し訳ないことを致しましたが、カメラ本体を紛失したという深刻な事態に遭遇した方、さらには「電車」の写真ならあるという方もおられました。
 山岡さんが金龍寺と千葉市の博物館前で撮った写真をお持ちでしたが、使い捨てカメラなのでちょっと不鮮明なのが残念。あと期待できるのは鈴木君・永富さん・山内さん・尻池さん辺りでしょうか?よろしく、ご確認をお願いします。

 伊豆旅行の提案については、八井君から宿についていろいろ調べて頂けるとのメッセージ、そして佐伯君からも、ぜひ参加したいとのお申し出とともに準備段階から手伝いたいとの、これまたありがたいお申し出をいただきました。
 先に伊豆旅行の幹事を引き受けてくれた山本君・平田さん、再起の時が来たようですよ!
 もっとも、一番楽しみにしているのは、卒論で伊豆北条氏を書いている(目下手書きで清書中)の立花さんのようです。実現できると良いですね。
 なお、北条氏邸跡の発掘調査は今年度は3月中旬頃までおこなっているとのことで、伊豆の国市教育委員会の池谷初恵先生から「ゼミの学生さん達にも見ていただき、ご意見をうかがいたいです」との、ありがたいメッセージを頂いております。

 先に御紹介した石浜さんから頂戴した齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』は、このところ説教オヤジをやっている私には良い反省材料を提供してくれました。説教オヤジに迷惑をかけられている方やご自分の説教オヤジ化に危惧をいだいている人、また学校で先生をやっている人には一読をお勧めいたします。

 26日の例会と「一年間お疲れ様会@研究室」について、岩田君・山岡さん・山内さん、宜しくお願いいたします。私は来週、キャンパスプラザの講義の翌日から、しばらく京都を退去して西海に逃れます。かわって近藤好和先生が<大軍を率いて>御上洛の由。
 今頃、元木先生が、日記に「凡近藤氏為体、威勢厳粛、其性強烈、成敗分明、理非断決云々」なんて、お書きになっておられるかも知れませんね。

最終回だけの感想

No.4335

 近藤氏の上洛を待ちかねる?元木でございます。
 さて、何やかやで話題となった大河ドラマ『義経』、終わりました。
 ありがたいことに、関連本が多数出版され、上横手先生の御編著『源義経 流浪の王者』、近藤先生のミネルヴァ評伝選『源義経』、大三輪・関・福田氏編『義経とその時代』、菱沼一樹氏の『源義経の合戦と戦略』、をはじめ、史料や事実の根本的見直しを迫る研究が相次いだことは、学界のためにまことに慶賀すべきことと思われました。
 当方も、再三講演の機会を得て、義経、そして鎌倉幕府成立問題に関する知見を深めることができました(無論、飲み代も大分頂戴いたしました・・・でも、飲みすぎて足が出たかも?)。
 その意味では、今回の大河ドラマに感謝しております。

 しかし、ドラマ自体は、というと、どうも不可解な解釈や、史実改変が相次ぎ、何ともしらけるばかりでした。
 見る気にもならず、目にすることもなかったのですが、たまたま食事時間と重なったことから最終回だけを視聴いたしました。やっぱり、変なドラマでした。
 最後までキーワードは「新しき国」だったようですが、それは一体そんな国だったのでしょうか。一年継続するドラマなら、それをめぐる葛藤を骨太に描く必要があったのですが、はたして実現していたのでしょうか。
 普通は新しい武士と、古めかしいおろかな貴族という対比がなされるのですが、後白河は戯画化されるばかり。貴族と言えば、朝廷には平知康しかいなかったようです。どうも彼らはお添え物程度で、「古き国」の中心と言うような悪者に仕立てるつもりもなかったようです。
 では平氏が悪者かというと、平清盛はむしろ義経の目指すものだったようです。しかし、義経はその平氏を滅ぼした。脚本家の意図はどうなっているのでしょうか。
 また、頼朝との葛藤はどのように描かれていたのでしょう。宮田敬三氏の研究を援用すれば、戦争の早期解決を目指し、平和を希求する義経と、東国武士の好戦的性格を理解し、そのために敢えて合戦を長引かさざるを得ない頼朝の苦悩と確執、といったテーマ設定ができたはずですが。
 個人の思惑を超えた時代の軋み、それに翻弄され、悲劇に巻き込まれる人々、といった描き方が大河ドラマには求められると思います。今回は如何なものでしょうか。

 当初、義経は殺生を嫌うヒューマニストのように描かれていたようです。ならば、平泉と頼朝との対決を回避すべく努力するはずだし、自分の存在が戦争の引き金になるなら、自害するか亡命するはずではないでしょうか。家来を道連れに、合戦の末に自殺すると言う選択肢は奇妙です。
 むしろ、うつぼあたりが船を持ち出して、北方に「新しき国」を求めて逃亡する設定の方が自然にさえ思えます。

 結局、義経の理想郷は死後の世界にしかないと言うことでしょうか。家来たちは、愛する女性も捨てて、「君」のために死ぬことを喜ぶ。何人かは、まさに「莞爾」として、死んでゆきました。彼らは死後の理想郷で、主君たちと再会することを信じて。
 この演出に何らかの政治的意図を感じた人は多いのではないでしょうか。無論、毎回見た方なら、ちがう感想も御有りでしょうが。
 ちなみに、NHKの番組HPにおける最終回のあらすじによると、「戦争を知らない泰衡」が、頼朝との戦争を恐れ、結局誤った判断を下し、平泉を滅亡に導いたという説明があります。
 平和ボケは、的確な判断を鈍らせ、国を誤らせるということでしょうか。
 
 別に首相のご子息が出演したことと関係はないのでしょうが、なにやらきな臭いドラマのように思えてきます。
 そういえば、ご子息演ずる資盛は「殿下乗合」事件の張本人ではなく、むしろ三位殿とやらに襲撃される被害者でしたし、屋島では継信を射殺する戦功をたてておりました。ひょっとして、父上に配慮したのか、はたまた圧力でもあったのか。

 衰えたりとは言え、大河ドラマの影響力は小さいものではありません。
 かなり学問的な成果を反映させながら、あえてタブーとされた南北朝にいどみ、後醍醐天皇を登場させた『太平記』のころが、懐かしく思われます。
 BSでご覧になった方は、今回のドラマとの相違、とくに演出や脚色、学問との兼ね合い、製作意図の相違について、一度思いをめぐらしてみてください。

 さて・・・。
 50歳をすぎたし、もう徴兵は大丈夫やろな。いや、このご時勢、年金もらえへんうちは、召集されるかも。
 それやったら志願して仕官になって、情けない若いやつらを張り倒すのもええかも知れまへんな。近藤先生が張り倒したら、みんな死んでしまうかも。
 おまけに、今度は男女平等やさかいに、女の方もにげられまへんで。
 どこに亡命すれば良いのでしょうか・・・・・
 

歴史ドラマにもとめるもの

No.4321

大河ドラマの義経が終わりました。
この数ヶ月見ていないのですが、最終回だけ見ました。

思うのですが、『吾妻鏡』のわずか数行の記述。
それをもとにしたドラマを今後期待したい。
つまり。
『吾妻鏡』文治五年閏四月三十日
今日於陸奥国、泰衡襲源豫州。是且任 勅定、且依二品仰也。
与州在民部少輔基成朝臣衣河館。泰衡従兵数百騎、馳至其所合戦。
与州家人等雖相防、悉以敗績。
豫州入持仏堂、先害妻(廿二歳)子(女子四歳)、次自殺云々。
ですね。
義経は、後白河法皇と頼朝の命令によって、泰衡に殺された。
だから、頼朝は義経の死に涙するなんてことはけっしてない。
後白河ももう義経のことをとうに見放している。
そして、大事なのは、義経は一人ではなく、正妻と四歳の娘とともに、
衣川館にあって、泰衡の騎兵に攻められる。そして妻子を殺して、自殺する。
騎兵が攻め寄せるのですね。
いまさら弁慶の立ち往生よりも、こちらをしっかり描くこと。

しかも、手あかのべったりついた義経と靜との物語よりも、
この正妻である河越重頼の娘との最期、その幼気な四歳の娘とのドラマ。
そして、平時忠の娘とはどうなったのか。義経にとって時忠とは。
ほんとうのドラマのネタはいくらもあるんです。
今日みたいに一人で死ぬのはもってのほか。

小説家や脚本家、ドラマの制作者には、
のちの『義経記』によらず、この『吾妻鏡』の行間をうめる
涙をしぼれるようなフィクションを、作っていただきたいと思います。

そして、歴史を研究するものは、この『吾妻鏡』のわずかの記事の後ろに広がる
深く大きな歴史を明らかにしなければならないと思う次第です。

とにかく、大河義経をめぐっては、今年の前半いろいろありました。
今年ももうわずかです。大河義経はかえすがえすも残念でした。

大河「義経」関連の仕事納めはまだ先。

No.4322

 先週末、佐伯真一先生の角川学芸大賞受賞内祝いの会に参加させていただきました。
 たくさんの国文学・日本中世史学の精鋭(もちろん近藤好和先生も)、それに出版関係の方々がお出でになられ、歓談に時を忘れましたが、何よりも印象的だったのは会の終了に際して、佐伯先生が編集担当の石浜さんに感謝の言葉と共に記念品を贈呈した場面でした。本を出すということがどういうことなのか、あらためて学ばせていただきました。
 なお、中世文学の研究者の方々とお話しをしていていつも思うのは、もっと歴史学者がその研究成果を国文学の研究に還元すべきだということです。もちろん、相互交流が大事なのですが、一義的には研究の対象とする時代の社会・文化を踏まえることが文学研究の基盤になるわけですから。
 最近、お話しをうかがった京都の院生クラスの方たち(前川さん、樋口さん、佐伯君、長村君、辻君)の素晴らしい研究成果など、軍記関係の研究会で報告をされれば、大歓迎されること請け合いだと思うのですが。
 
 美川先生、大河「義経」に関するコメント、ありがとうございます。最終回へのコメントを期待する向きが多かったようで、昨夜来、アクセスが急増していたところでした。

 ちなみに、私の大河「義経」がらみの仕事の最終回は、以下の講演をもってということになりそうです。

 ◇歴史講座「源平合戦とその時代」(5回シリーズ) 第4回「源頼朝と東国武士団」
   
   源頼朝はどうして平氏に勝ち、鎌倉幕府を開くことができたのか。
   源氏と関東武士団との関わりから、頼朝の武家政権構想に迫ります。

1 開催日時  平成18年1月8日(日) 午後1時30分~3時   
2 会場    斎宮歴史博物館 講堂
         〒515‐0325 三重県多気郡明和町竹川503
         TEL 0596-52-3800
3 定員    200名(応募者多数の場合は抽選となります。)
4 受講料  無 料
5 申込み
  ・応募方法 往復ハガキに、講座名、住所、名前、連絡先(電話等)を記入してお申し込みください。
        (ハガキ1枚につき、2名様まで申込みできます。)
  ・応募期間 平成17年11月28日(月)~12月16日(金)まで(当日必着)
        ※結果は、12月下旬に全員に復信ハガキにて通知いたします。
  ・申込み・問合せ先
        いつきのみや歴史体験館         
        〒515‐0321 三重県多気郡明和町斎宮3046‐25
        TEL:0596-52-3890  担当:松月浩子
6 主催   斎宮歴史博物館

☆☆☆ 本日(12月12日)の『吾妻鏡』講読会。先着4名様に、カマンベールチーズケーキを用意しております。

斎宮の講座

山田邦和(花園大学・考古学)
No.4323

野口先生の後追いで、お相伴させていただきます。

斎宮歴史博物館◇歴史講座「源平合戦とその時代」(5回シリーズ)
  第5回  「源平争乱と中世都市」 
京都をはじめ、奥州藤原氏の平泉、平氏政権の新都福原京、鎌倉幕府の本拠鎌倉などの
中世都市の実像を通して、源平争乱の時代相を探ります。

開催日 平成18年3月26日(日) 13時30分~15時
講師 花園大学教授 山田邦和
募集期間 平成18年2月19日(日)~3月11日(土) 当日必着
http://www.pref.mie.jp/saiku/hp/gyouji/h17gyouji/koza/rekisi.htm#rekisikoza4

でも、何をしゃべるか、まだ決まっていません。
「福原京」ネタは高橋昌明先生が先にしゃべっておられるハズだからな・・・

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大河ドラマ「義経」最終回、見ました。
前川佳代さんから全体の感想を聞きたいものです。

山田邦和先生複写・製本の貴重図書。

No.4324

 昨日の『吾妻鏡』講読会の際、山田ちさ子さんが山田邦和先生お手製の拙著『坂東武士団の成立と発展』完全コピー製本版(呼び方を変えると<海賊版>)を見せてくださいました。たいへん見事な出来映えで、どう見ても本物よりも立派。
 それにしても、愛妻のために本一冊をコピーし、色厚紙で表紙までつけて製本し、タイトルも印字するという心の籠め方に、たいへん感動させられました。「夫の鏡」です。
 その拙著が復刊ドットコムでどの程度の票を獲得しているものかと、アクセスしてみたところ、すでに23人の方が投票してくださっていました。さらにコメントを拝読して、著者としてとてもありがたく、うれしく存じた次第です。

    http://www.fukkan.com/list/comment.php3?no=26331

 すでに発行元は解散しておりますので、引き受けてくださる出版社さえあれば問題なく再刊可能なのですが。
 それにしても、10数年前、売れなくて250冊も断裁処分にしたのが惜しまれます。

 ☆ ゼミ旅行の写真ですが、肝心の集合写真がひとつも集まりません。みんなで撮影した写真ですから私蔵はいけません。早々に供出して下さい。なお、持っていそうな方には、個人的に強硬な「催促」を行う所存です。「お覚悟召されよ!」

 > 前川佳代さん  日本一の義経ファンによる大河ドラマ評、ぜひうかがわせてください。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、目下奈良国立博物館で開催中の特別展「金沢文庫の名宝-鎌倉武家文化の精華-」の図録と招待券を御恵送いただきました。
 
 http://www.narahaku.go.jp/exhib/2005toku/kanazawa/kanazawa-1.htm 

 永井先生にあつく御礼申しあげます。なお、招待券が必要なメンバーはお申し出下さい。

「師」になって「走る」メンバーへ。

No.4317

 中学・高校は期末試験の時期で、「先生」をしているメンバーは、問題の作成や膨大な答案の採点に苦労している時期だと思います。久しぶりに母校を訪ねてくれた卒業生の名前を思い出せなくて・・・などという教師にとって<深刻>な体験をされた人もいるようですね。
 立場が変わると、同じ事でもだいぶ違って見えるものです。
 
 ところで、いよいよ年の瀬です。毎年いろいろなイベントが催されてきましたが、今年はどうしましょうか?26日の例会後ということで山内さん・山岡さんに企画をお願いしてありますが、御要望・御意見などあれば・・・。

 ☆ 昨日、国際日本文化研究センターの千田稔先生より、御高著『地球儀の社会史』(ナカニシヤ出版)を御恵送いただきました。同じ「研究」を職場の名にもつ身として、先生の精力的なお仕事ぶりに、いつも背中を押される感がございます。
 千田先生にあつくお礼申し上げます。

 >鈴木君  研究室のパソコンですが、今日は今のところ、フリーズは一度しかありません(ネットの動作中で、メールの方は問題なしです)。

元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4315

 元木先生、お誕生日おめでとうございます。
 私個人はもとより、当ゼミメンバーが、いつも大変御世話になっており、あつくお礼申し上げます。
 何かと御多忙とは存じますが、今後とも御自愛の上、ますますの御活躍をお願い申し上げる次第です。

 研究室のパソコンですが、本日、鈴木君のレスキューをえて、復活をはたしました。
 鈴木君(先生)から「これから研究室に向かう」という電話があっただけで、それまで何度起動してもフリーズを重ねていたパソコンが動き出したのには驚きました。さすがにその後、また止まってしまいましたが、2時間半ほどの施術の結果、なんとか息を吹き返したようです。私にはまさに呪術的所業としか思えません。
 そのような次第ですので、研究室あてメール受信可能です。それにしても迷惑メールのなんと多いことでしょうか(その対策も施術していただきましたが)。
 しかし、今度壊れたらいよいよ本体から買い換えでしょうか?

 ☆ ゼミ旅行の時の写真の供出の件、お忘れなきように。

おめでとうございます

長村祥知
No.4316

元木先生
お誕生日おめでとうございます。毎日ご多忙の中ご指導頂きありがとうございます。
今後ますます寒くなることと思われますので、どうぞお体に気をつけてください。

野口先生
偶然ですが私もここ数日、パソコンは気まぐれな生き物だなぁと思うことが多いです・・・

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4319

 当方の誕生日に対し、お祝いのメッセージを有難うございました。

 50歳代は人生のピーク、などと申したのですが、まさか雑用のピークとは思いませんでした。
 今週も日曜が同窓会設立総会、月から水まで出張、今日は10時から18時まで、3時限目を除いて3種類の会議、明日は午前中関学の講義で、午後は京大で学生部委員会、土曜は9時半から15時半まで姫路市の生涯学習関係の遠足のお共、16時から神戸市史、日曜はやっと休みですが月曜は11時半から14時半まで会議、15時から研究会・・・・。
 こんな調子で、今年度一杯雑用の連続のようです。

 こうした業務も慣れれば何とかこなせそうな気もするのですが、なんといってもつらいのは人生で残された大事な研究時間が、浪費されることのように思います。
 しかし、誰もが交代で負担することですから、愚痴を言っても仕方ありません。
 大過なくこなすことと、やけ酒などの暴飲暴食をつつしみ体力の消耗をできるだけ回避すること、そして常に研究に対する鋭敏な感覚を保ち続けることを心がけたいと思います。といっても二番目の実行はなかなか・・・。

 3番目の件ですが、以前、心ならずも3ヶ月近く、学問から遠ざかったことがあります。わずかの期間でも学問を離れれば、いかに感覚が鈍り、生産力が低下するか。本当に恐ろしいことと痛感いたしました。
 雑務を口実に、学問から逃避することだけはするまいと銘記しております。

 日本史と言う学問はもとより、その根底にあるべき国民の歴史意識の減退は、きわめて憂うべき状況にあると思います。
 学問について常に新たな成果を提示し、優れた後進の育成を図るのは当然ですが、同時にそれを一般読者や高校以下の教育現場に還元すること、そして正しい実証的な歴史認識を定着させること。これが歴史家の責務と存じます。

 と言うわけで、ライブラリーの義経を仕上げたら、第二論論文集『武士政権成立史論』(塙書房)、『河内源氏』(中公新書)、『初期公武政権論』(第三論文集、吉川弘文館)、そのつぎにはかねてのお約束を守り、再び石浜さんのもとで『頼朝の苦闘』と言う予定です。
 こういうのをとらぬ何とかの皮算用と言うのでしょうが・・・
 体力と、知力が相俟って何とか第一線にとどまれそうなこの10年に、できるだけのことをしたいと思います。
 ご支援、ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

 ところで、困難な日常の憂さ晴らしは、やはりグルメが一番。というわけで、誰か大阪か京都で酒呑童子の会をやりましょう。佐伯君、別に遠慮は要りませんから、企画をお願いします。岩田君、関学のコンパにこだわらず、ここで参加者を募って美々卯という手もありますよ。
 

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4320

>元木先生
それでは先生、さっそく月曜日の研究会の時にご相談を!!

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4326

おくればせながら、元木先生お誕生日おめでとうございます。
先生のお忙しさに比べたらまだまだではございますが、しだいに土日の感覚が無くなってまいりました薗田です。
先日は「かふう」の女将さんのメルマガをいただき、ありがとうございました。
会社のパソコンの前で先生のモノマネを思い出し、一人で笑いをこらえておりました。
年の瀬に向けてご多忙とは存じますが、どうぞご自愛ください。

「かふう」の女将さんのメルマガ

No.4327

  http://t-kafuu.com/kafuuclub/kafuuclubvol.105.html

 いずれ「かふう」で元木先生のクリスマスディナーショーでも企画したら、楽しいと思うのですが、みなさん如何でしょうか?
 もちろん、幹事は同志社関係の方に。

酒呑童子、料理される?

No.4329

 薗田さん、お久しぶりです。メッセージ、有難うございます。
 摩耶山、神戸の写真をお渡ししようと思いながら、機会がありません。何かの研究会ででもお会いできればと思います。

 野口先生、そのメルマガは、恥ずかしいので、あまり広範囲にばら撒いていなかったのですが・・・。
 
 いやはや、観察眼の鋭さというなら、当方などより、女将にこそ軍配を上げるべきでしょうね。このメルマガ、毎週送られてきますが、なかなか達意の文章で、読み応えがあります。
 ただし、この記述には重大な誤謬があります。
 当方は、確かにビフテキフルコース(鉄板焼きロア)を食し、お好み焼き(福助)を食べますが、そのあとには決して焼肉などには参りません。ただ、新阪急ホテルのバー(ビーツ)に行き、ナッツをつまみにウィスキーを飲むだけです。
 ウィスキーのつまみに韓国風焼肉をいつも注文されたのは、故熱田先生です。そこらのお話がごっちゃのようです(先年の読史会で、当方と熱田先生を混同された偉い先生が居られましたが・・・)。
 断固として訂正を求めたいと思います(笑)。
 最後に焼肉が食べられる体力があるのは、近藤先生ぐらいのものでしょう。
 
 せっかく野口先生にご慫慂を頂きましたが、24日は近藤先生との懇親会ですから、ディナーショーはご辞退申し上げます(笑)
 実は23日に佐伯君以下4名でかふうに行く予定です。
 さらにお越しになりたい方があれば、ご相談いたしましょう。狭いお店ですが、何とかなるかと思います。
 ただし、あそこではしゃぐと、当方みたいにメルマガで料理されてしまいますぞ(人間を食っているはずの酒呑童子が料理されてどないするねん。されば女将は頼光か?)。
 ご注意を。
 

来週と、今後の吾妻鏡のことなど

No.4312

 来週と、今後の『吾妻鏡』のことなどのご案内です。
 次回、『吾妻鏡』は12/12(月)に行います。範囲は、前回の残り(建暦3年5月5日)と建暦3年5月6日です。時間と場所は以下の通りです。
 場所:L校舎3F 共同研究室
 時間:15:30~(予定)

 年内の『吾妻鏡』はそこまでで、12/19(月)はお休みです。
 その次の週の12/26(月)は、16:00~例会です。担当は岩田ですが、詳細はまた後日お知らせしたいと思います。
 年を越えて、2006年は1/26(月)に『吾妻鏡』の講読を行う予定です。

ゼミ旅行の写真。

野口 実
No.4313

 岩田君、ありがとうございました。

 ゼミ旅行の写真の件、まだ一件も提供がありません。
 記録としても大切なものですから、私蔵しないでよろしく供出下さい。

 >『百錬抄』講読会メンバーへ  明日の部分に関しては、『紫苑』第2号掲載の長村祥知「法住寺合戦-『平家物語』と同時代史料の間-」を良く読んでおいて下さい。
 
 ちなみに、明日は元木泰雄先生の51回目のお誕生日です。

誕生日おめでとうございます。

No.4314

というわけで、日付も変わったところでさっそくですが。
元木先生、誕生日おめでとうございます!
今年は特に学務が積み重なってご多忙のことと思いますが、どうかご自愛下さい。
今後ともどうかご指導のほど、よろしくお願いします。
また先生とご一緒に美味しいものが食べられるのを楽しみにしております。

最近急激に冷え込んでいますが、野口先生をはじめ、ゼミのみなさまもどうかお風邪など召されませぬよう。
今日大学に行ってみたら、出町柳で「叡山電車は二軒茶屋~鞍馬間、積雪倒木のため不通」となっていました。こんなことってあるんですねえ。
大文字も雪で真っ白でしたし。今年の冬は厳しい寒さになるのでしょうか。ぶるぶる。

研究室宛のメールについて

野口 実
No.4311

 このところ研究室パソコンのメール受信機能に障害(頻繁なフリーズなど)が生じており、御送信いただいても拝読できないこともあろうかと思います。
 そのため、しばらくの間、お手数をお掛けしますが研究室宛に御連絡いただく場合は、FAXをご利用下さいますように、お願いいたします。

 >西山美香先生  火曜の午前は私の方も出講していてお目にかかれずに残念です。別の曜日に御用がおありの節にでも、研究室にお立ち寄りいただければ幸いです。さらに、一度例会でお話をうかがう機会を得られればありがたいと存じております。   

百練抄講読会のお知らせ。

山岡 瞳
No.4307

遅くなりましたが、次回百練抄の講読会のご案内です。
   
   日時:12月7日(水)16:30~
   場所:L校舎3F 共同研究室
   担当:山内さん
   範囲:寿永二年閏十月廿二日~十二月廿九日  *いよいよ法住寺合戦です。

師走の予定など。

No.4308

 5日は京女の「心の学園記念日」ですが、『吾妻鏡』はいつもの通りに行います。
 その後の『吾妻鏡』や例会の日程については、追って岩田君・山岡さんからお知らせをお願いしたいと思います。なお、21~24日の間、私は研究調査のため予定を空けておく必要がありますので、よろしくお願いいたします。

 『紫苑』の原稿については、山岡さんから依頼と締切の指示がされていると思います。一人でも提出が遅れると編集作業にかかれませんから、心して執筆にお励み下さい。

 今週末は、長村君が東京、山田さんが鎌倉に「東走」していますが、成果の程、楽しみに致しております。それにしても、山田邦和先生御夫妻は御夫君が都で「参内」、奥方様が鎌倉永福寺へ御出立、という次第で、なにやら鎌倉時代の貴族要人御夫婦の如き有様のようです。

 ☆ 守田逸人さんから、御高論「東大寺領伊賀国黒田荘出作地の展開」(『鎌倉遺文研究』12)・「雑役免荘園の展開と院政期の荘園政策」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』50・第4分冊)・「伊賀国における伊勢平氏の展開」(『ヒストリア』195)を御恵送いただきました。いずれも力作ですが、とくに『ヒストリア』の御高論は、成立期武士論研究に一石を投ずる貴重な成果で、おおいに学ばせていただきました。この問題設定は東国にも敷衍できると思います。
 守田さんにあつくお礼申し上げます。

<速報>伊勢国木造荘園関係遺跡の現地説明会があります

伊藤裕偉
No.4305

 はじめて投稿させて頂きます。三重の伊藤裕偉です。
 この日曜日(12月4日、午前10時から)に、木造赤坂遺跡の現地説明会がありますので、ご案内します。新聞は三重県版にしか掲載されていないかと思いますので、興味の有る方はぜひお越しください。
 内容は、平安時代から戦国期にかけての区画溝と、それに伴う土器が出土しています。土器の量は雲出島貫遺跡よりも格段に少ないですが、中世前期に相当する堀状遺構は迫力があります。雲出島貫遺跡は、木造庄の東端ととらえていますが、木造赤坂遺跡は西端にあたります。
 下記HPに、現地説明会資料や遺跡への行き方が掲載されてますので、ご参照ください。ただし説明会資料では、木造荘関係のことはほとんど触れられていません。 
http://www.pref.mie.jp/MAIBUN/HP/
 なお、同日の午後からは西肥留遺跡の説明会もあります。ここでも京都系土師器が出ており、中世前期の人工流路が見つかっています。この遺跡のメインは古墳時代前期です。

宇治市街遺跡でも井戸・建物跡など検出。

No.4306

 伊藤先生、貴重な情報をありがとうございます。また、その節はいろいろお世話になりました。あらためて御礼申しあげます。
 目下、『北条時政』(ミネルヴァ日本評伝選)の執筆に備えて、伊豆~伊勢・伊賀方面の12世紀段階の考古学による成果の情報を集めています。なかなか報告書刊行の情報なども入りにくいので、今後ともいろいろ御教示下されば幸いです。
 
 まだ、現説の情報はありませんが、宇治の方でも、今年9月に摂関家邸宅跡の一部と見られる遺構の検出された地点の西に隣接するところから、井戸・土坑・溝、東の流路に続く流路北岸の洲浜跡などが見つかり、邸宅が西に広がっていたことが確認されたとのことです(京都新聞地域版による)。西側に邸宅の主要部分が存在していたことは予想されていたことですが、それが発掘によって確認されたと言うことになるのだと思います。

ご報告

No.4302

皆さまお久しぶりです。夏の「白熊ツアー」、及びその関連イベント以来姿をくらましておりましたが、野口先生から直々のネタ振り(?)を頂き、久々に書き込みします。

来年4月より、門屋君と僕自身の、そして山田邦和先生の母校である同志社香里中学・高校に英語科の専任教諭として“復帰”することになりました。かつての男子校時代とは随分雰囲気の変わってしまった母校ですが、やはり根底に流れるのびのびとした空気は変わっていないようで、そんな学校で働けることを楽しみにしております。

これまでゼミには「旅行担当」として関らせて頂いてきましたが、今後は同志社から歴史に興味ある優秀な人材を、鈴木君と共に(笑)ゼミに送り込むことが僕の使命だと(勝手に)思っております。担当科目は英語ですが、英語を学びながらも日本語、そして日本文化にも興味を持ってくれるような「ハイブリッド」な人材を育成することを目標に頑張ります。

もちろん、日程が合うようなら旅行企画にも参加させて頂きたく思っております。時間のある3月までにもう一度、何か企画をぶち上げてみたいですが、皆さんの予定的に不可能でしょうか? まぁ、もしそういう話があるようならぜひぜひ!

それでは、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

八井君、おめでとうございます。

No.4303

 八井君、書き込んでくれるのを一日千秋の思いでおまちしていました。・・・なんてことよりも、なにしろ「おめでとうございます」。
 こんなに早く夢が実現するなんて、貴兄の人生は本当にうらやましい。もちろん、それなりの大変な努力もされたことでしょう。田中さんの好きな「前へ!」ですね。そして「これでいいのだ」に到達したのだと思います。
 同志社香里は、思う存分に貴兄の実力・人格が教育活動に反映でき、そしてまた矜持をもって働ける場だと思います。御活躍を期待します。
 いよいよプロの高校教師となる八井君へ、それから既になっている鈴木君へ、そして非常勤だが毎日前途ある生徒たちを相手に奮闘している前途ある田中さん・門屋君・永富さんへ、ちょうど20年前まで高校教師をやっていた私が、退職直後に高校(千葉県立鎌ヶ谷西高校)の研究紀要に書いた拙文の一節を贈ります。

「 7年間の教員生活の中で私の得た結論は、教員(高校教諭)にとって授業こそその真価を問われるものだということである。教員以外の読者は「あたり前のことを何を今さら」とお思いだろうが、現実の教員の世界では、これは必ずしも常識ではないのである。
 60年代の高度経済成長期以降、その荒波をもろにかぶった千葉県では、特に社会環境の変動が激しく、全国的にも悪名高い精神的・文化的荒廃状況が現出した。こうした社会に成長する子供達の教育を担う教員の前に、学習指導以前の諸問題が山積みになるのは当然の趨勢であった。
 しかしである。その対応に「生徒指導」という極めてデリケートなものが、即効的な形にゆがめられて、しかもそれが教員の最も重要な任務であるかのような実状は私の価値観では容認できなかったし、それでひどく傷ついた生徒を沢山みてきた。たしかに、即効的な指導の必要性を完全に否定し切る資格は私にはないが、しかし、学校を健全な意味での楽しさに満ちた場にするように努力することこそ、教員にとっての最終的な目的であるべきだと考える。即効的な生徒指導はその手段とすら成り得ないのである。
 生徒が学校で生活する時間の中で最大の分量を占めるのが授業である。これを楽しみに生徒が登校するというのは荒唐無稽な理想なのであろうか。人生の中で最も知的要求・好奇心の横溢している生徒達に、授業をつまらながられるというのは、プロとして相当情けないことだという自戒を教師は常に持たなければならない。自分の担当している科目に自分自身が興味と関心を抱き、常に新しい学問的成果を吸収し、その楽しさ、愉快さを生徒に還元してやろうという意志を自ら確認してほしいのである。教師がつまらながっていることを生徒がおもしろがるはずはない。
 前置きが長くなってしまった。要は、教師は自己の担当教科に対する主体的な研鑽にもっと励むべきであるということ。そして、それを生徒に還元し、充実した授業をそれぞれの工夫のもとでつくりあげていくべきであろうということである。」

 こんな程度のことしか書けなかった自分(時に35歳)が恥ずかしいのですが、あの頃の偽らざる心情吐露なので、少しはアドバイスになったかも知れません。

>八井君  ぜひ「ハイブリッド」な人材を育成してください。それから、京都府の教員の研究組織に、おそらく「修学旅行」を研究しているセクションがあると思いますから、ここで大いに御経験を披瀝されたらよいと思います。
 ゼミの方は「顧問」から正式メンバーになっていただいており、それは終身資格ですから、今後ともよろしくお願い申しあげます。年度内の旅行企画ぜひよろしく。

 それにしても、就職といい、進学といい、当ゼミメンバーの活躍は凄まじいものがあります。私が君たちの年齢だった頃、ぜったいに手が届かないと思っていた事を、いとも簡単に達成してしまうのにはまったく脱帽です。素晴らしい人材が揃っているのでしょう。
 将来、頼りに出来そうですね(笑)。

おめでとうです

No.4304

 八井くん、おひさしぶりです。そして、おめでとうございます。
 新しい職場(古巣?)での益々のご活躍をお祈り申し上げます。

 八井くんの、先々までクリアーに見通した臨機応変な取り仕切りっぷりは、ゼミ活動のみならずいろんなところで重宝されると思います。お体にお気を付けになりつつ、活躍の場を広げて下さい。