元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4315

 元木先生、お誕生日おめでとうございます。
 私個人はもとより、当ゼミメンバーが、いつも大変御世話になっており、あつくお礼申し上げます。
 何かと御多忙とは存じますが、今後とも御自愛の上、ますますの御活躍をお願い申し上げる次第です。

 研究室のパソコンですが、本日、鈴木君のレスキューをえて、復活をはたしました。
 鈴木君(先生)から「これから研究室に向かう」という電話があっただけで、それまで何度起動してもフリーズを重ねていたパソコンが動き出したのには驚きました。さすがにその後、また止まってしまいましたが、2時間半ほどの施術の結果、なんとか息を吹き返したようです。私にはまさに呪術的所業としか思えません。
 そのような次第ですので、研究室あてメール受信可能です。それにしても迷惑メールのなんと多いことでしょうか(その対策も施術していただきましたが)。
 しかし、今度壊れたらいよいよ本体から買い換えでしょうか?

 ☆ ゼミ旅行の時の写真の供出の件、お忘れなきように。

おめでとうございます

長村祥知
No.4316

元木先生
お誕生日おめでとうございます。毎日ご多忙の中ご指導頂きありがとうございます。
今後ますます寒くなることと思われますので、どうぞお体に気をつけてください。

野口先生
偶然ですが私もここ数日、パソコンは気まぐれな生き物だなぁと思うことが多いです・・・

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4319

 当方の誕生日に対し、お祝いのメッセージを有難うございました。

 50歳代は人生のピーク、などと申したのですが、まさか雑用のピークとは思いませんでした。
 今週も日曜が同窓会設立総会、月から水まで出張、今日は10時から18時まで、3時限目を除いて3種類の会議、明日は午前中関学の講義で、午後は京大で学生部委員会、土曜は9時半から15時半まで姫路市の生涯学習関係の遠足のお共、16時から神戸市史、日曜はやっと休みですが月曜は11時半から14時半まで会議、15時から研究会・・・・。
 こんな調子で、今年度一杯雑用の連続のようです。

 こうした業務も慣れれば何とかこなせそうな気もするのですが、なんといってもつらいのは人生で残された大事な研究時間が、浪費されることのように思います。
 しかし、誰もが交代で負担することですから、愚痴を言っても仕方ありません。
 大過なくこなすことと、やけ酒などの暴飲暴食をつつしみ体力の消耗をできるだけ回避すること、そして常に研究に対する鋭敏な感覚を保ち続けることを心がけたいと思います。といっても二番目の実行はなかなか・・・。

 3番目の件ですが、以前、心ならずも3ヶ月近く、学問から遠ざかったことがあります。わずかの期間でも学問を離れれば、いかに感覚が鈍り、生産力が低下するか。本当に恐ろしいことと痛感いたしました。
 雑務を口実に、学問から逃避することだけはするまいと銘記しております。

 日本史と言う学問はもとより、その根底にあるべき国民の歴史意識の減退は、きわめて憂うべき状況にあると思います。
 学問について常に新たな成果を提示し、優れた後進の育成を図るのは当然ですが、同時にそれを一般読者や高校以下の教育現場に還元すること、そして正しい実証的な歴史認識を定着させること。これが歴史家の責務と存じます。

 と言うわけで、ライブラリーの義経を仕上げたら、第二論論文集『武士政権成立史論』(塙書房)、『河内源氏』(中公新書)、『初期公武政権論』(第三論文集、吉川弘文館)、そのつぎにはかねてのお約束を守り、再び石浜さんのもとで『頼朝の苦闘』と言う予定です。
 こういうのをとらぬ何とかの皮算用と言うのでしょうが・・・
 体力と、知力が相俟って何とか第一線にとどまれそうなこの10年に、できるだけのことをしたいと思います。
 ご支援、ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

 ところで、困難な日常の憂さ晴らしは、やはりグルメが一番。というわけで、誰か大阪か京都で酒呑童子の会をやりましょう。佐伯君、別に遠慮は要りませんから、企画をお願いします。岩田君、関学のコンパにこだわらず、ここで参加者を募って美々卯という手もありますよ。
 

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4320

>元木先生
それでは先生、さっそく月曜日の研究会の時にご相談を!!

Re: 元木先生のお誕生日にパソコン復活。

No.4326

おくればせながら、元木先生お誕生日おめでとうございます。
先生のお忙しさに比べたらまだまだではございますが、しだいに土日の感覚が無くなってまいりました薗田です。
先日は「かふう」の女将さんのメルマガをいただき、ありがとうございました。
会社のパソコンの前で先生のモノマネを思い出し、一人で笑いをこらえておりました。
年の瀬に向けてご多忙とは存じますが、どうぞご自愛ください。

「かふう」の女将さんのメルマガ

No.4327

  http://t-kafuu.com/kafuuclub/kafuuclubvol.105.html

 いずれ「かふう」で元木先生のクリスマスディナーショーでも企画したら、楽しいと思うのですが、みなさん如何でしょうか?
 もちろん、幹事は同志社関係の方に。

酒呑童子、料理される?

No.4329

 薗田さん、お久しぶりです。メッセージ、有難うございます。
 摩耶山、神戸の写真をお渡ししようと思いながら、機会がありません。何かの研究会ででもお会いできればと思います。

 野口先生、そのメルマガは、恥ずかしいので、あまり広範囲にばら撒いていなかったのですが・・・。
 
 いやはや、観察眼の鋭さというなら、当方などより、女将にこそ軍配を上げるべきでしょうね。このメルマガ、毎週送られてきますが、なかなか達意の文章で、読み応えがあります。
 ただし、この記述には重大な誤謬があります。
 当方は、確かにビフテキフルコース(鉄板焼きロア)を食し、お好み焼き(福助)を食べますが、そのあとには決して焼肉などには参りません。ただ、新阪急ホテルのバー(ビーツ)に行き、ナッツをつまみにウィスキーを飲むだけです。
 ウィスキーのつまみに韓国風焼肉をいつも注文されたのは、故熱田先生です。そこらのお話がごっちゃのようです(先年の読史会で、当方と熱田先生を混同された偉い先生が居られましたが・・・)。
 断固として訂正を求めたいと思います(笑)。
 最後に焼肉が食べられる体力があるのは、近藤先生ぐらいのものでしょう。
 
 せっかく野口先生にご慫慂を頂きましたが、24日は近藤先生との懇親会ですから、ディナーショーはご辞退申し上げます(笑)
 実は23日に佐伯君以下4名でかふうに行く予定です。
 さらにお越しになりたい方があれば、ご相談いたしましょう。狭いお店ですが、何とかなるかと思います。
 ただし、あそこではしゃぐと、当方みたいにメルマガで料理されてしまいますぞ(人間を食っているはずの酒呑童子が料理されてどないするねん。されば女将は頼光か?)。
 ご注意を。
 

来週と、今後の吾妻鏡のことなど

No.4312

 来週と、今後の『吾妻鏡』のことなどのご案内です。
 次回、『吾妻鏡』は12/12(月)に行います。範囲は、前回の残り(建暦3年5月5日)と建暦3年5月6日です。時間と場所は以下の通りです。
 場所:L校舎3F 共同研究室
 時間:15:30~(予定)

 年内の『吾妻鏡』はそこまでで、12/19(月)はお休みです。
 その次の週の12/26(月)は、16:00~例会です。担当は岩田ですが、詳細はまた後日お知らせしたいと思います。
 年を越えて、2006年は1/26(月)に『吾妻鏡』の講読を行う予定です。

ゼミ旅行の写真。

野口 実
No.4313

 岩田君、ありがとうございました。

 ゼミ旅行の写真の件、まだ一件も提供がありません。
 記録としても大切なものですから、私蔵しないでよろしく供出下さい。

 >『百錬抄』講読会メンバーへ  明日の部分に関しては、『紫苑』第2号掲載の長村祥知「法住寺合戦-『平家物語』と同時代史料の間-」を良く読んでおいて下さい。
 
 ちなみに、明日は元木泰雄先生の51回目のお誕生日です。

誕生日おめでとうございます。

No.4314

というわけで、日付も変わったところでさっそくですが。
元木先生、誕生日おめでとうございます!
今年は特に学務が積み重なってご多忙のことと思いますが、どうかご自愛下さい。
今後ともどうかご指導のほど、よろしくお願いします。
また先生とご一緒に美味しいものが食べられるのを楽しみにしております。

最近急激に冷え込んでいますが、野口先生をはじめ、ゼミのみなさまもどうかお風邪など召されませぬよう。
今日大学に行ってみたら、出町柳で「叡山電車は二軒茶屋~鞍馬間、積雪倒木のため不通」となっていました。こんなことってあるんですねえ。
大文字も雪で真っ白でしたし。今年の冬は厳しい寒さになるのでしょうか。ぶるぶる。

研究室宛のメールについて

野口 実
No.4311

 このところ研究室パソコンのメール受信機能に障害(頻繁なフリーズなど)が生じており、御送信いただいても拝読できないこともあろうかと思います。
 そのため、しばらくの間、お手数をお掛けしますが研究室宛に御連絡いただく場合は、FAXをご利用下さいますように、お願いいたします。

 >西山美香先生  火曜の午前は私の方も出講していてお目にかかれずに残念です。別の曜日に御用がおありの節にでも、研究室にお立ち寄りいただければ幸いです。さらに、一度例会でお話をうかがう機会を得られればありがたいと存じております。   

百練抄講読会のお知らせ。

山岡 瞳
No.4307

遅くなりましたが、次回百練抄の講読会のご案内です。
   
   日時:12月7日(水)16:30~
   場所:L校舎3F 共同研究室
   担当:山内さん
   範囲:寿永二年閏十月廿二日~十二月廿九日  *いよいよ法住寺合戦です。

師走の予定など。

No.4308

 5日は京女の「心の学園記念日」ですが、『吾妻鏡』はいつもの通りに行います。
 その後の『吾妻鏡』や例会の日程については、追って岩田君・山岡さんからお知らせをお願いしたいと思います。なお、21~24日の間、私は研究調査のため予定を空けておく必要がありますので、よろしくお願いいたします。

 『紫苑』の原稿については、山岡さんから依頼と締切の指示がされていると思います。一人でも提出が遅れると編集作業にかかれませんから、心して執筆にお励み下さい。

 今週末は、長村君が東京、山田さんが鎌倉に「東走」していますが、成果の程、楽しみに致しております。それにしても、山田邦和先生御夫妻は御夫君が都で「参内」、奥方様が鎌倉永福寺へ御出立、という次第で、なにやら鎌倉時代の貴族要人御夫婦の如き有様のようです。

 ☆ 守田逸人さんから、御高論「東大寺領伊賀国黒田荘出作地の展開」(『鎌倉遺文研究』12)・「雑役免荘園の展開と院政期の荘園政策」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』50・第4分冊)・「伊賀国における伊勢平氏の展開」(『ヒストリア』195)を御恵送いただきました。いずれも力作ですが、とくに『ヒストリア』の御高論は、成立期武士論研究に一石を投ずる貴重な成果で、おおいに学ばせていただきました。この問題設定は東国にも敷衍できると思います。
 守田さんにあつくお礼申し上げます。

<速報>伊勢国木造荘園関係遺跡の現地説明会があります

伊藤裕偉
No.4305

 はじめて投稿させて頂きます。三重の伊藤裕偉です。
 この日曜日(12月4日、午前10時から)に、木造赤坂遺跡の現地説明会がありますので、ご案内します。新聞は三重県版にしか掲載されていないかと思いますので、興味の有る方はぜひお越しください。
 内容は、平安時代から戦国期にかけての区画溝と、それに伴う土器が出土しています。土器の量は雲出島貫遺跡よりも格段に少ないですが、中世前期に相当する堀状遺構は迫力があります。雲出島貫遺跡は、木造庄の東端ととらえていますが、木造赤坂遺跡は西端にあたります。
 下記HPに、現地説明会資料や遺跡への行き方が掲載されてますので、ご参照ください。ただし説明会資料では、木造荘関係のことはほとんど触れられていません。 
http://www.pref.mie.jp/MAIBUN/HP/
 なお、同日の午後からは西肥留遺跡の説明会もあります。ここでも京都系土師器が出ており、中世前期の人工流路が見つかっています。この遺跡のメインは古墳時代前期です。

宇治市街遺跡でも井戸・建物跡など検出。

No.4306

 伊藤先生、貴重な情報をありがとうございます。また、その節はいろいろお世話になりました。あらためて御礼申しあげます。
 目下、『北条時政』(ミネルヴァ日本評伝選)の執筆に備えて、伊豆~伊勢・伊賀方面の12世紀段階の考古学による成果の情報を集めています。なかなか報告書刊行の情報なども入りにくいので、今後ともいろいろ御教示下されば幸いです。
 
 まだ、現説の情報はありませんが、宇治の方でも、今年9月に摂関家邸宅跡の一部と見られる遺構の検出された地点の西に隣接するところから、井戸・土坑・溝、東の流路に続く流路北岸の洲浜跡などが見つかり、邸宅が西に広がっていたことが確認されたとのことです(京都新聞地域版による)。西側に邸宅の主要部分が存在していたことは予想されていたことですが、それが発掘によって確認されたと言うことになるのだと思います。

ご報告

No.4302

皆さまお久しぶりです。夏の「白熊ツアー」、及びその関連イベント以来姿をくらましておりましたが、野口先生から直々のネタ振り(?)を頂き、久々に書き込みします。

来年4月より、門屋君と僕自身の、そして山田邦和先生の母校である同志社香里中学・高校に英語科の専任教諭として“復帰”することになりました。かつての男子校時代とは随分雰囲気の変わってしまった母校ですが、やはり根底に流れるのびのびとした空気は変わっていないようで、そんな学校で働けることを楽しみにしております。

これまでゼミには「旅行担当」として関らせて頂いてきましたが、今後は同志社から歴史に興味ある優秀な人材を、鈴木君と共に(笑)ゼミに送り込むことが僕の使命だと(勝手に)思っております。担当科目は英語ですが、英語を学びながらも日本語、そして日本文化にも興味を持ってくれるような「ハイブリッド」な人材を育成することを目標に頑張ります。

もちろん、日程が合うようなら旅行企画にも参加させて頂きたく思っております。時間のある3月までにもう一度、何か企画をぶち上げてみたいですが、皆さんの予定的に不可能でしょうか? まぁ、もしそういう話があるようならぜひぜひ!

それでは、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

八井君、おめでとうございます。

No.4303

 八井君、書き込んでくれるのを一日千秋の思いでおまちしていました。・・・なんてことよりも、なにしろ「おめでとうございます」。
 こんなに早く夢が実現するなんて、貴兄の人生は本当にうらやましい。もちろん、それなりの大変な努力もされたことでしょう。田中さんの好きな「前へ!」ですね。そして「これでいいのだ」に到達したのだと思います。
 同志社香里は、思う存分に貴兄の実力・人格が教育活動に反映でき、そしてまた矜持をもって働ける場だと思います。御活躍を期待します。
 いよいよプロの高校教師となる八井君へ、それから既になっている鈴木君へ、そして非常勤だが毎日前途ある生徒たちを相手に奮闘している前途ある田中さん・門屋君・永富さんへ、ちょうど20年前まで高校教師をやっていた私が、退職直後に高校(千葉県立鎌ヶ谷西高校)の研究紀要に書いた拙文の一節を贈ります。

「 7年間の教員生活の中で私の得た結論は、教員(高校教諭)にとって授業こそその真価を問われるものだということである。教員以外の読者は「あたり前のことを何を今さら」とお思いだろうが、現実の教員の世界では、これは必ずしも常識ではないのである。
 60年代の高度経済成長期以降、その荒波をもろにかぶった千葉県では、特に社会環境の変動が激しく、全国的にも悪名高い精神的・文化的荒廃状況が現出した。こうした社会に成長する子供達の教育を担う教員の前に、学習指導以前の諸問題が山積みになるのは当然の趨勢であった。
 しかしである。その対応に「生徒指導」という極めてデリケートなものが、即効的な形にゆがめられて、しかもそれが教員の最も重要な任務であるかのような実状は私の価値観では容認できなかったし、それでひどく傷ついた生徒を沢山みてきた。たしかに、即効的な指導の必要性を完全に否定し切る資格は私にはないが、しかし、学校を健全な意味での楽しさに満ちた場にするように努力することこそ、教員にとっての最終的な目的であるべきだと考える。即効的な生徒指導はその手段とすら成り得ないのである。
 生徒が学校で生活する時間の中で最大の分量を占めるのが授業である。これを楽しみに生徒が登校するというのは荒唐無稽な理想なのであろうか。人生の中で最も知的要求・好奇心の横溢している生徒達に、授業をつまらながられるというのは、プロとして相当情けないことだという自戒を教師は常に持たなければならない。自分の担当している科目に自分自身が興味と関心を抱き、常に新しい学問的成果を吸収し、その楽しさ、愉快さを生徒に還元してやろうという意志を自ら確認してほしいのである。教師がつまらながっていることを生徒がおもしろがるはずはない。
 前置きが長くなってしまった。要は、教師は自己の担当教科に対する主体的な研鑽にもっと励むべきであるということ。そして、それを生徒に還元し、充実した授業をそれぞれの工夫のもとでつくりあげていくべきであろうということである。」

 こんな程度のことしか書けなかった自分(時に35歳)が恥ずかしいのですが、あの頃の偽らざる心情吐露なので、少しはアドバイスになったかも知れません。

>八井君  ぜひ「ハイブリッド」な人材を育成してください。それから、京都府の教員の研究組織に、おそらく「修学旅行」を研究しているセクションがあると思いますから、ここで大いに御経験を披瀝されたらよいと思います。
 ゼミの方は「顧問」から正式メンバーになっていただいており、それは終身資格ですから、今後ともよろしくお願い申しあげます。年度内の旅行企画ぜひよろしく。

 それにしても、就職といい、進学といい、当ゼミメンバーの活躍は凄まじいものがあります。私が君たちの年齢だった頃、ぜったいに手が届かないと思っていた事を、いとも簡単に達成してしまうのにはまったく脱帽です。素晴らしい人材が揃っているのでしょう。
 将来、頼りに出来そうですね(笑)。

おめでとうです

No.4304

 八井くん、おひさしぶりです。そして、おめでとうございます。
 新しい職場(古巣?)での益々のご活躍をお祈り申し上げます。

 八井くんの、先々までクリアーに見通した臨機応変な取り仕切りっぷりは、ゼミ活動のみならずいろんなところで重宝されると思います。お体にお気を付けになりつつ、活躍の場を広げて下さい。

堤先生の新刊のお知らせ

末松憲子
No.4301

ご無沙汰しております。

堤邦彦先生と徳田和夫先生が編者となり、『寺社縁起の文化学』森話社(6500円)
が出版されましたのでお知らせします。

あらゆる「縁起的なるもの」を捕捉し、系統解剖学のごとく体系化することで、縁起研究を宗教研究の補助手段から解放し、文化学の要部へと位 置づける。

【目次】

[序文1]寺社縁起の転換期――近世から近現代へ=堤邦彦
[序文2] 新しい縁起研究に向けて= 橋本章彦

第1部
[1 寺社縁起の生成と展開]
寺社縁起と談義・直談――江州阿弥陀寺縁起をめぐって=徳田和夫
組織と縁起――平安・鎌倉期の真言密教における〈縁起〉言説=藤巻和宏
近世寺社縁起の戦略性――三河国鳳来寺縁起を事例として=加藤基樹

[2 変容する寺社縁起]
神仏の噂――霊験の演出をめぐって=伊藤慎吾
月感伝承の在地的様相をめぐって――近世真宗の内紛とうごめきの中で=菊池政和
近世唱導と文芸・芸能=北城伸子
火車説話の受容と展開=山田厳子

[3 縁起の機能――鎮魂と救済]
法然上人伝から古浄瑠璃『ほうねんき』へ=佐谷眞木人
いくさ語りから怪談へ=堤邦彦
僧と亡者の昔話=花部英雄

[4 女性文化圏と縁起]
尼僧の〈聖地〉としての真如寺=西山美香
物語草子としての形成と受容――『お湯殿の上の日記』を通 じて=恋田知子
民間巫女の群像――在地のなかの縁起語り=川島秀一

[5 演じられる縁起・道具としての縁起]
戯け開帳と縁起講釈=福原敏男
虚構の系図・由来書=大島由紀夫 
縁起のメディア=久野俊彦

第2部
[シンポジウム]
「縁起学」の可能性=佐谷眞木人・堤邦彦・徳田和夫・橋本章彦・山田厳子


「いくさ語りから怪談へ」には、宗教文化研究所の公開講座で語られた、小宰相局の話も盛り込まれております。
私もまだ読み終えてはいませんが、非常に面白い一冊となっていますので、興味を持たれた方は是非ご覧下さい^^
 

Re: 堤先生の新刊のお知らせ

No.4310

野口先生、末松さん、みなさま、お元気にお過ごしでございますか? 過日はいろいろとお世話になりました。ありがとうございました。京女の講義も来週の火曜日が年内は最後となりました。(花大はまだまだ続きます!←山田先生ー!)寺社縁起の文化学は、ご購入希望の方には不肖わたくしをはじめ、執筆者に一声いただければ、八掛けと成りますので(出版社公認です!)、ぜひそれをご利用くださいませ。野口先生をはじめといたしまして、みなさまのご活躍、いつもとても励まされております。くれぐれもお体にお気をつけてくださいね。

ゼミ旅行の写真の御提供をお願いします。

No.4300

 本日は久しぶりに永富さんと鈴木君が研究室に来てくれました。山岡さんも交えてしばし歓談。

 >鈴木君  迷惑メール対策の設定、ありがとうございました。迷惑メールは迷惑メールに指定したあと、ゴミ箱に入れ、すぐに削除していますが、それでよいのでしょうか。 また、ウィルス対策のソフトについては何か操作する必要はないのでしょうか。
 あとになって、自分で操作してみるといろいろ質問が出てきてしまいました。申し訳ありません。

 なお、メール作動中またしてもフリーズしてしまい、例のごとく電源を切って再起動いたしました。
 まさしく、元木先生の言われるように「PCとは奇怪な器械」(呪符)であります。

 >永富さん  年賀状の件、よろしくお願いいたします。

 ところで、タイトルの件ですが、本年2月の東京・千葉方面のゼミ旅行および8月の鹿児島白熊ゼミ旅行で集合写真を撮影された方。ぜひその写真の提供をお願いいたします。ゼミの記録、『紫苑』への掲載、旅行中にお世話になり写真に映っている方への送付に使わせていただきたいと思います。
 集合写真でなくても、映っている人にはその写真をプリントして差し上げて下さい。

 >八井君  楽しみにしています。

 >どなたか  今年最後の例会報告はメンバーの誰かにお願いしたいと思うのですが、如何?

たまには涙の・・・

No.4298


前にここに書き込んだALWAYSー三丁目の夕日ーの映画評を、
アップしてもらいました。恥ずかしながら。

http://www.avis.ne.jp/~iwasaka/mikawacinema.htm

中国からは閲覧不能?

No.4295

 川合康先生のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/kibamusya2005/archive/2005/11/24)へのコメントで金澤正大氏が「野口先生のは、中国国内からはアクセスできないので見られません。」と書かれています。この掲示板だけ、中国からは閲覧不能なんてことがありうるのでしょうか? この裏には国際的な陰謀が・・・(ウソ)。

 ちなみに、川合先生は
>鎌倉幕府と京武者社会との関係を考えるうえで、
>院政期の武士がどれぐらい都と地方を往来していたのかについて、
>以前から気になっていたが、
>この1週間、あらためて目崎徳衛氏や金沢正大氏・野口実氏らの業績を
>集中して読み直し、ものすごく勉強になった。

とのことです。

東国武士の在京活動

No.4296

 山田先生、お知らせ下さり、ありがとうございます。
 ワシントンDC在住の親友やボン滞在中のの京樂先生が御覧になっておられることは間違いないのに、中国ではアクセス不能ですか?実は当ゼミメンバーの廣政さんが目下、北京の大学に留学中のはずでしたが・・・・。
 アクセスの件は、鈴木君にお尋ねしたいと思います。

 川合先生に私の研究成果を評価していただいて、ありがたく思っています。私は枝葉末節な事ばかり追いかけておりますので、これまでもその成果の学問的な位置づけや学界への紹介は川合先生や元木先生、髙橋昌明先生等の御研究に負うところが多大なのです。
 今回の川合先生の御報告を聴講に行けないのが残念ですが、いずれ発表されるであろう御高論を楽しみにしたいと存じております。
 
 金沢先生の東国武士に対する実証的な御研究には、以前から学ばせていただくところが多く、『政治経済史学』御掲載の御高論のコピーはまさに「山岳の如し」です。とくに「流人の周辺」執筆時には足立・安達・藤原光能・以仁王のネットワークの存在など、おおいに参考にさせていただきました。
 金沢先生とはいつか、ぜひ、東国武士について、ゆっくりと語る機会を得ることが出来ればなぁと考えております。
 
 目崎先生とは書信のやりとりが主でしたが、とくに西行の御研究から学ばせていただくところが多く、また私の秀郷流藤原氏研究の成果を使っていただくこともありました。
 もう30年ほど前、目崎先生が『朝日新聞』の文化欄に書かれた「西行の官職」と題する小文に、名前こそは出されませんでしたが、私のことを「篤学の若い研究者から来信があって、『長秋記』のおしまいの辺に「康清」を兵衛尉に任じたとあるが、これは西行の事ではないかと教えられた。全くそのとおりで、・・・私はおおいに感謝したが、」と書いてくださったのは大きな励みになったものでした。
 目崎先生は『聖心女子大学論叢』に西行の伝記研究を毎年掲載され、それをまとめて『西行の思想史的研究』として世に問われました。もとより研究の質・内容ともに及びもつきませんが、私もそうした研究スタイルを見習いたいと考えております。

 私は東国武士の所見を京都側の史料の中から検出していく作業によって研究者として評価されたことで、古代学協会にも採用していただいた人間ですので(ただし、就任したその日に協会付設の平安博物館が閉館。以後の運命は山田先生のよく知るところ・・・)、東国武士の在京活動とそこで生じた人的関係が治承・寿永の内乱の帰趨に大きな影響を与えたであろう事は認識しておりました。しかるがゆえに、上横手雅敬先生が武蔵国大蔵合戦を保元の乱の前哨戦と評価されているように(「院政期の源氏」)、中央の政治的変動は東国社会にもダイレクトな影響を与えていたのでしょう。
 従来は、領主制論や東国国家論の強い影響によってか、あまり東国武士と京都との関わりに対する研究は行われてきませんでしたが、須藤聡さんや伊藤瑠美さんの優れた御研究に見られるように、最近ようやく、武士一族の「在地」と「在京」における分業活動などについて研究が活発になってきたようです。そのような中、かつての私の仕事、とくに波多野・山内首藤・宇都宮(八田)氏などに関する『坂東武士団の成立と発展』所収の拙文や「流人の周辺」「東国武士と中央権力」(『中世東国武士団の研究』所収)、「後白河院と清和源氏」(『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』所収)が、少しでもお役に立てるところがあれば幸いであると考えています。
 なお、私はこうした地方武士の在京活動によって生じた横の「縁」については、「一所傍輩之好」という史料用語を使っています(「鎌倉武士の心性」五味文彦・馬淵和雄編『中世都市鎌倉の実像と境界』)。元木泰雄先生のいわれる「京武者」という概念との齟齬を避けるためです。

 山田先生(同僚だった頃は助手、今や花園大学史学会会長。木下藤吉郎→豊臣秀吉の如し)に呼び出されて、いろいろ書いてしまいました。でも旧稿の宣伝にはなったようです。
 本日、同志社は学園祭のために休講なのですが、来年度のシラバス執筆に頭を悩ませております。

Re: 中国からは閲覧不能?

No.4297

山田先生、野口先生

中国からのアクセスの件ですが
中国でのインターネットは、かなり情報に制限がかけられています。

特に、野口ゼミのホームページは、僕の自宅にあるサーバで管理していますので
いわゆる公のものではなく、アンダーグラウンドなものとみなされてしまいます。

たぶん、中国が国家的に行っているフィルタリング(閲覧制限)に引っかかってしまっていると思われます。
このページが制限されているのではなく、制限された中にたまたま含まれてしまっているという感じですが、ある意味「日本史・東洋史」の分野ではあるので、そのあたりで引っかかってるのかもしれませんね。(ちょっと前まで、満鉄の話題もありましたし...)

答えになっていないかもしれませんが、回答です。