耐え難きはタバコの煙。

No.4239

 本日は久しぶりに山本君が同志社に訪ねてきてくれました。
 石井君が欠席なのが残念でしたが、いつもの「於:わびすけ」の会合は、田中さん・山岡さんも交えて話が弾みました。
 しかし、今日の「わびすけ」は京都御所の一般公開のためか、満員。何人かのお客さんのタバコの煙で店内はモウモウ。喉をやられて、この時間になっても痛みが取れません。私も若い頃の一時、喫煙者でしたが、今に至って、ヒドク罪深い営為を行っていたものだと猛反省しています。
 
 近く発表される田中さんの論文初校を拝見。みんないろいろな問題を克服しながら着々と自分の道を進んでいる様子で、嬉しいかぎりです。私も家に帰ったら、『明月記研究』に掲載していただくことになっている拙文の初校が届いていました。
 田中さんはこの週末に東下りとのことですが、私も12・13日に出張する予定でおります。何か御用がございましたら、御連絡下さい。
 >田中さん  写真のお菓子をいただくことが出来て幸いでした。
 >雨野さん  今回はきちんと着信いたしております。
 >石井君  風邪でもひかれましたか?、ちょっと心配しています。
 >山本君  修論は御自身の納得のいくテーマで。あとは頑張るのみ!
 修論で思い出しましたが、大学や大学院のあり方について考える上で参考になる本として、森博嗣『大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル』(中公新書ラクレ)を紹介しておきます。著者は理系の研究者ですが、ここに示されているのは『下流社会』とは異なって、私に近い見解だと思います。

 >中央大学大学院の河辺君  はじめまして。古文書学会大会、お疲れ様でした。次回御上洛の折には、京都女子大学にもお立ちより下さい。

 ☆ 例年のごとく、吉川弘文館の『歴史手帳』2006年版を一括注文したいと思います。希望者は16日(水)までにお知らせ下さい。

同志社での講義。

No.4240

 昨日は、講師控え室まで突然ドシドシと押しかけてしまい申し訳ありませんでした。またお忙しい中いろいろ自分の話などを聞いていただきありがとうございました。野口先生が掲示板の方に心配しているとの旨の書き込みがありながら、しばらく音信不通となっておりましたので、今回直接伺いました。当然その後の文化史特論の先生の授業の方もお邪魔させていただきました。
 ちなみに野口先生が大学で講義されるのを聞くのは、自分は意外にも初体験でした(講演会や研究会を除く)。講義内容は、四代将軍九条頼経の正妻である竹御所に関する話で、一度先生の論文を読んで理解していたはずでしたが、今回講義を聞くと、いろんな横道に逸れた話も含めて、初めて承久の乱の講義を聞いた時のような面白さを改めて感じました。また先生の講義の魅力の一つは、先生の講義内容の話そのものも面白いだけでなく、先生が紹介される参考文献まで読みたくなる点です。普通に勉強していたら全然読むこともないだろう参考文献なども、先生の講義で紹介されると、自分に関心のあるテーマと結びついていて、知的好奇心を刺激されます。
 また講義を聞きながら、久々の同志社大学での講義という状況も手伝ってか、初めて「承久の乱」に関する野口先生の授業(演習でした)を思いだしました。あの時は、ただ単に「面白そう」という軽い気持ちでお邪魔させていただきました。鎌倉幕府に関する本などは読んでいましたが、大学では、そういうジャンルの講義や授業を全く聞いたことのなかった当時の自分(ある意味飢餓状態)にとっては、本当に講義が面白く感じたことを今でもハッキリと覚えています。
 しかしここ最近、自分は頭が修論でいっぱいいっぱいで、そのような「面白い」という大事な感覚(≒知的好奇心)を忘れていたように思います。自分は「歴史が好き」というのが唯一のエネルギー源なので、その感覚を忘れてしまってはこの先続かないですし、それを枯らさないためにも、常に自分の「知的好奇心」に水を与え続けたいと思います。
 またこれも恒例だった講義後の「わびすけ」での「座談会」で、いろいろと日頃自分が思っている事を話せましたのでスッキリしました。また「座談会」途中参戦した田中さんが近日中に論文が掲載されるとのことでしたが、そういうがんばっている姿を見ると、自分も頑張らねばと思います。本当に今日はいろんな意味で刺激になりました。
 ちなみに先生の文化史特論のシラバスを調べたところ、次々回あたりの内容が、「院・天皇と鎌倉殿・将軍」・「東国武士団の西遷・北遷と日本文化」などなど、豪華ラインナップでした。またお邪魔して聞きたいです。

>山岡さん
 ということで、授業に行けなかった場合は、上記の講義のレジメ、いつものように余っ た分よろしくお願いします。
>岩田さん
 毎回『吾妻鏡』お任せっきりですいません。お詫びと言ったらなんですが、例の本は次回の例会の日に必ず持参致します。
 
 

Re: 耐え難きは名古屋大学助教授兼小説家

No.4241

私も、喫茶店での煙草には、悩まされます。
喫茶店という言葉の「喫」って喫煙の「喫」ですよね。
煙草を吸うところ、という意味なんだから、しょうがないか。
あかの他人の煙草を吸わされるのは、ほんとうにかないません。
そのために、ついつい混んでいても、スターバックスに入ってしまったりします。

今週は、野口先生「ご推薦?」の『下流社会』と『大学の話をしましょうか』を、
読んでしまいました。前者の影響で、家内が朝、フジではなく、NHKニュースをつけます。後者はさっき2時間ほどで読んだのですが、最初の方など、これは同感、と思っていたのですが、途中から腹が立ってきました。50以上の教員はリストラせよ、とか、
私大でつぶれるところは、つぶれりゃいいだの、自分が名古屋大学に籍をおいておいて、
しかも小説でその給料の10倍も稼いでおいて、よくも平気のへいちゃらで言えるもんです。それでいて、博士課程出ると、ポストがない、とか、あんたが早うやめてほしい(もしかしたら、もうやめているのかな。はっきりしないが)。
とにかく、少子化すりゃ、いいとか、問題は発展途上国の人口爆発でしょう、もうなんにもわかっていやしない。非常に視野が狭いので、あきれるばかりです。久しぶりの大爆発をいたしました。インパクトはあったということでしょうか。でも、たぶん数時間のインタビューでできてしまった、こんな安直な新書はもういやです。

石原千秋『Jポップの作詞術』拝受。

No.4242

 これも新書ですが、石原千秋『Jポップの作詞術』(NHK出版 生活人新書)をNHK出版の石浜さんから御恵送いただきました。石浜さんが新しい部署に移られてから、本務と並行して編集された最初の本だと思います。
 これは高校の国語の教材に最適なのではないでしょうか。これなら本と無縁な生徒たちも喜びそうです。というわけで、これまでにいただいた数冊の石原千秋著のNHKブックスとあわせて、高校で国語の講師をしている当ゼミメンバーに活用していただきたいと思っています。
 石浜さん、ありがとうございました。
 私の原稿もだいぶ増えてまいりました。ただ、実に文章が硬くぎごちない。
 歴史の本は、気楽にインタビューのノリで・・・と言うわけにはまいりませんから、時間も労力も大いにかかる。しかし、いただける印税(時給なら、すべてが「時間外」の仕事ですから、モノ凄い額になるはずなのですが)というのは、そんなこととは無関係。むしろ、反比例するかも知れません。
 「そこが渡世人のつれえところよ!」

いま、新書を書いているのですが

No.4244

今、ある新書の原稿を書いています。
もう、400枚になりますが、まだ終わりが見えません。
担当編集者は、枚数は気にせずに書いてください、
なんておっしゃっているのですが、
いったい、何枚で終わるのであろうか、と自分自身で不安になります。
『白河法皇』を書き終えたあと、書き始めたので、
もう2年半、ときどき中断しつつ、書き続けています。
「新書」というと、ですから、少々過敏に反応してしまいます。
新書の原稿を書いていると。むしょうに論文が書きたくなることもあります。
そして、来春3月までに市史本文編を2種類書かねばなりません。
あーあ、と思いつつ、今日は1日論文抜刷やコピーの整理をしています。
はじめて5分後、こりゃどうにもならん、
と叫んだら、家内が腹をかかえて笑いました。
どこが可笑しいのかさっぱりわかりません。
野口先生の本になっていない原稿が多すぎることに気がつきました。
早く、本にまとめてください。お願いします。
ひさびさに、野口先生に憤懣をぶつけてしまいました。ご寛恕を。

10年に一度は論文集を出したいのですが。

No.4245

 美川先生、叱咤激励、ありがとうございます。
 自分自身の研究を総括し、次のステップを踏み出すためにも、10年に一度は論文集を編むのが理想と心得ております。実際、1982年に『坂東武士団の成立と発展』(弘生書林)、1994年に『中世東国武士団の研究』(髙科書店)と、ほぼ順調に進めてきたので、そろそろ手をつけなければならない時期であることは間違いありません。
 しかし、近年、学術図書の出版はなかなか引き受け手がないものと思います。『中世東国武士団の研究』は出版社からのお申し出で出していただきましたが、最初の『坂東武士団の成立と発展』の方は博士論文の公刊義務もありましたので、出版経費のうち、軽乗用車一台分くらいの費用は自己負担いたしました。これは全く売れず、250部を断裁という悲惨な結果になりましたが、今になって復刊の希望をたくさんいただいているのがせめてもの救いです。
 出版社からの依頼がないから、ということのほかに、論文集をまとめないでいるもう一つの理由は、2000年春に京都に戻って以来、新しくて面白いテーマに遭遇することが多くなったことです。目先の興味で動いている点、すこし反省の要はありますが、学ぶ楽しさに引きつけられ、自らのレベルの低さは自覚しながらも、都市論関連などの仕事に時間をあてることが多くなりました。
 論文集ではない本の執筆の依頼は何件かいただいているのですが、そんな次第で、もう
10年近くもお待たせしてしまっているものもあり、石浜さんをはじめ、多方面に御迷惑をお掛けしている次第です。
 論文集については、きっとゼミの諸姉兄が索引などの作成を<喜んで>担当してくれると思いますので、きっかけさえあれば早々に着手したいとは思っております。
 
 矛盾だらけの弁解に終始してしまいましたが、かつて『史学雑誌』の「回顧と展望」で、通俗書に区分されるべき拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』(新人物往来社)まで取り上げてくださった美川先生に、お礼かたがた、当方の現状について申し上げる次第です。

Re: 耐え難きは会議・学務の山

No.4247

 昨日、今日と奇跡的に二日の休みとなりました。しかし、夜の寝つきが悪く、したがって寝起きも悪く、一日中倦怠、疲労感が抜けず、2~3時間ごとに横になる始末です。
 なぜか?飲みすぎが祟った面も、なくはないと思います。
 10月26日の『台記』、27日の『兵範記』研究会で飲み、古文書学会関係で、また飲んだのも否定しません。
 しかし、以下の日程が体調不良と無関係とは思えません。
 28日金曜は、10時半から18時過ぎまで学生部関係の学務、会議。
 29日は古文書学会大会、9時から12時までここでも会議。
 30日は亡父の一周忌(さすがに会議なし)。
 31日はまた古文書学会の見学会。これは楽しかった!
 1日は10時半から14時半まで3種類の会議、4、5時限目講義のあと、院生と面談。
 2日は午前中龍谷で授業、3時限目は京大で授業、14時半から18時20分までまたまた3種 類の会議。
 3日は名古屋で教え子の結婚式(やれやれ)。
 4日も14時から17時半までまたもや会議・・・・
 こんな日程が来週も、いや今年度中続く予定です。
 体が持つでしょうか?
 
 何でこんなことになるのか?たとえば奨学金返還免除委員会のように、これまで文科省で決めていた業務が、大学に移管され、その内容も吟味せず、単に学生部厚生補導担当の所掌だからと言うことで、すべて学生部委員に押し付けられてしまいました。
 場合によっては一生を左右する重大事を、片手まで片付けることなどできません。
 授業料値上げも、これまでは国が決めていたのに、独立法人化後は、大学が決定する形となり、学生の攻撃の矛先は大学に、学生部に向けられることになります。その相手をさせられるのも我々です。
 学務の変化を検討せず、適当に割り振るからこんなことになる!と、憤懣に耐えません。
 おまけに、学部では同窓会設立準備委員会の委員長を押し付けられる始末。全学の同窓会の所掌が学生部なので、学生部委員が担当せよとの事。この同窓会も、所詮は独立法人化の結果、寄付集めが必要になるために設立されたものなのです。これも、毎週二時間の会議です。
 同窓会と寄付集めというなら、社会連携推進課の命令で、講演会を3回させられました。これも、同窓会への顔つなぎのために教員を派遣して、出前講演をさせると言うもの。もちろん、それなりの報酬はいただいたのであまり文句は言いませんが、負担を増加させたことは、申すまでもありません。
 独法化の結果はかかる有様です。もちろん昔から私学では当然のことでしょうが、急遽取り組まざるを得なくなった国立大学では事務方も対応できず、会議は踊る状態です。お蔭で教員相互の意見が衝突することも多く、不愉快でストレスも溜まります。
 運悪く、父の没後の事務的な処理の繁忙、神戸市史の雑務、さらに古文書学会の重大案件も重畳して、ほんとうにフラフラです。
 もちろん、授業は例年通りだし、借金取りからは、次々と℡、メール・・・(それでもライブラリー、150枚書いたぞ!)。書くには書くけれど、とても仕事の質は維持できません。

 まあ、3月までの辛抱なのですが、心配なのは体が持つかどうか。
 これだけ酷使すると、50過ぎの体は(まして酒びたりの肝臓では)、元に戻るかどうか、疑わしい限りです。
 それに、一度あれこれ引き受けて、教授会で再三名前が出てしまった教員には、さらなる役職が押し付けられる可能性が高いことです。
 それを回避するには、中規模な失敗をすることですが、あまり派手にやるとクビになりそうだし、小さすぎると相手にされないだろうし・・・
 妙案を求めます。

時の流れは17ノット

No.4249

タイトルは、私のネット上の船友達(実際に船上でも会ったことありますが)が、
昔書いた本のタイトルです。
私の時間の進み方の好みも、ちょうどそれくらい。つまり時速30kmぐらいです。
元木先生は、大の鉄道マニアですから、たぶん時速110kmぐらいがお好きなのでしょうか。どちらにせよ、おそらく時間の進み方が4倍近く違うのでしょう。
元木先生の26日からのスケジュールを見ただけで、もう目がくらくらし、
吐き気がしてきました。
先週は、学園祭で、月曜と火曜以外授業や会議がなかったので、喜んでいたら、
風邪で寝込んでしまいました。おかげで、今日は元気回復。推薦入試の監督と採点。
元木先生は新幹線に乗り、私は30ノットの高速フェリーに乗っているのかなあ。
でもそれだったら、好きな乗り物なんで、まだ楽しいんですが。

単なる無駄話でした。

脱線寸前

No.4252

 美川先生、お返事有難うございました。
 新幹線ねえ。たしかに、ものすごい速度で突っ走っている感じですね。ホント。
 でも、自分で制御できないのだから、ブレーキが壊れた状態と言うことですね。
 
 当方程度の状態で愚痴をこぼすのは不謹慎かもしれません。
 もっと厳しい条件で、学問と学内の雑務に取り組んでいる方は大勢おられると思います。経営者の理不尽な圧力に苦しむ方も多いと思います。
 こうした状況だからこそ、学問の真価が問われているのであり、やはり石にかじりついてでも折り目正しい学問的な成果を提示したいと思います。
 とはいうものの・・・
 

大荒れの日本海で機関停止、漂流

No.4253

無駄話のついでに。
2年前の2003年1月 新日本海フェリーの「すいせん」(苫小牧→敦賀)が、
秋田沖の日本海で荒天の中、機関が故障で停止。
7時間にわたって漂流する事故がありました。
この「すいせん」が約30ノットの航海速力が出るのです。
日本海軍の正規空母なみです。重巡洋艦や駆逐艦よりはちょっと劣りますが。
あの船、どういうわけか、航海中はデッキに出ないでほしい、となっているのです。
船でデッキに出られないというのは、楽しみが半減するのです。
高速運転だから危険、ということなのでしょうが、その理由がよくわからない。
最上級船室にあるプライベートデッキには出てもいいようですからね。
前の書き込みは、その船のことと、その事故が念頭にありました。

割り込んですみません

石井一英
No.4257

野口先生、先週は百練抄講読会と文化史特論の講義を無断欠席してしまい、すみませんでした。
実は先週の水曜日から大風邪をひき、昨日まで布団の中で苦しんでおりました。ナントカは風邪をひかないというのは迷信のようです・・・。しかも、講読会の前に書き込んだ文も携帯からだからなのか文字化けしてしまい、ご迷惑をおかけしました。皆様も今年の風邪にはお気をつけ下さい。
明日の講義にはしっかりと出席しますので、またよろしくお願いします。

哀悼 山口博史さん

No.4233

ちょっと京楽先生のボン便りを見ていたら、
歴史グループ早雲の山口博史さんが亡くなられたという報を目にしました。
ちょうど、1週間前に、本をお送りした礼状をいただいたばかりです。
お嬢さんが京楽ゼミなので、ドイツの情報が一番早かったのでしょうか。
痛恨の極みです。
京都労働学校や早雲での元気なお姿が思い浮かびます。
とにかく、それ以外の情報を知りません。
私は、小山先生が亡くなったときも、ちょうど1週間前に、
お手紙とボンでの写真をおくっていただいた。
そして、ちょうど亡くなった日から大熱。けっきょくお別れできず。
今回も、扁桃腺炎で熱を出して、家で寝込んでおります。
でも今回は、なんとかお別れをしたいと思います。
告別式などの情報ご存知の方、お教えください。
ご冥福をお祈りいたします。

とても残念です。

No.4234

 私もたった今、このことを知ったところです。本当に残念です。
 何も書けませんので、山口さんの御略歴を記します。

  1950(昭和25)年4月、神戸に生まれる。
  1974(昭和49)年 龍谷大学文学部史学科卒業。京福電車入社。
  その後、叡山電鉄に転籍。
  1982(昭和57)年 社会活動として、歴史グループ・早雲を結成。
  その後、そのメンバーとして活躍。
 
 ※ 山口さんの遺著『私の歴史ノート-歴史グループ早雲と共に歩んだ23年-』による。  

無題

山口夏子
No.4235

久しぶりの書き込みの内容が、このようなものになって、残念に思います。
11月2日午後3時49分 父・山口博史は家族に囲まれ、眠るようにゆきました。
歴史グループでの活動、歴史を学ぶことが好きで、
野口先生、美川先生、元木先生を始め諸先生方のご講演を聴き、著作を読むのを本当に楽しみにしておりました。
『私の歴史ノート-歴史グループ早雲と共に歩んだ23年-』を無事出版することができ、感想が送られてくるのを嬉しそうに読んでいるところでした。

野口先生、美川先生、元木先生、宗教文化研究所のみなさまには大変お世話になりありがとうございました。

通夜  4日19時より
告別式 5日12時から13時
セレマ稲荷シティーホールでとり行います。
(伏見区深草横縄町25番地・075-647-3320)

Re: 哀悼 山口博史さん

No.4236

 山口博史さんの訃報に接し、心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げるしだいでございます。
 「早雲」の8月6日の講演のご依頼をいただき、当日の拝眉を楽しみにしておりましたが、ご体調不良との事でご欠席になり、ついに拝眉は叶わないままになってしまいました。痛恨の極みです。
 御著書の答礼として、野口、美川両先生と連名にて編著をお送りしたところ、しっかりした文字でお返事をいただき、少し安堵していたところに、この悲報が飛び込んでまいりました。
 夏子さんはじめ、ご家族のご悲嘆の程、拝察するばかりでございます。
 また、当方にまでお礼のお言葉をいただき、恐縮致しております。
 山口さんの遺志を継ぎ、「早雲」がさらに発展して行かれることを、心から祈念いたします。また、そのために、ご協力を惜しまない所存でございます。
 
 今頃、山口さんは天上で戸田先生や、かつてのお仲間の方々と再会され、歴史談義に花を咲かせておられることと存じます。
 改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

Re: 哀悼 山口博史さん

末松憲子
No.4255

夏子さん、ご無沙汰しております。
山口さんの御著書のお礼状、もう少し早く出していればと、悔やみました。
今日、大学のパソコンではじめてこの掲示板を見て知りました。
私の出したお礼状は、おそらく一番家がバタバタしている時に到着してしまったでしょうね…
すみません。

山口さんのご冥福、心よりお祈り申し上げます。

速報!共同研究確定。公開講座講師決定

No.4231

☆ 宇治に関する共同研究の実施が確定しました。

 本日、研究所運営委員会が開かれ、当方が申請していた共同研究が変更なく承認されました。これにともなって、来年度、下記の方々に研究所規則第6条に明記された研究所研究員(研究協力者)として御活躍いただくことが内定いたしましたのでお知らせいたします。

 佐伯智広(京大院DC)   岩田慎平(関学大DC)  佐藤英子(お茶大院DC)
 長村祥知 (京大院MC)   田中裕紀(同大院DC)  門屋 敦(阪大院DC)
 大原 瞳(天理大研究生) 鈴木潤(同志社高教諭) 永富絵里子(京都文教中・高講師)
  ※ 敬称略・順不同

 上記の皆様に、あらためてよろしくお願い申し上る次第です。

☆ 平成18年度 宗教・文化研究所市民公開講座(シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化⑧)の講師が決定いたしました。

  ・歴史学から   樋口州男先生(専修大学非常勤講師 NHK教育テレビ高校講座日本史講師)
  ・国文学から   樋口大祐先生(神戸大学文学部助教授)

  お二人の樋口先生から御快諾をいただきました。今からとても楽しみです。
  開催日は6月24日(土)。ゼミメンバーは予定を空けておいて下さい。

7日の例会は樋口健太郎氏の発表です。

No.4232

 活躍中の若手研究者を講師にお招きしての研究会の第2回目です。

日時: 11月7日(月)18:00~(『吾妻鏡』講読会後)
場所: 京都女子大学L校舎3F 宗教・文化研究所共同研究室

報告者:樋口健太郎氏(神戸大学大学院DC)
    「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」

参考文献:樋口健太郎「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」
    (『古代文化』57巻10号、2005年)
     樋口健太郎「平安末期における摂関家の「家」と平氏-白川殿盛子による「家」の伝領をめぐって-」(『ヒストリア』189号、2004年)
     橋本義彦『藤原頼長』(吉川弘文館、1964年)

 ※ メンバー以外の方の参加も歓迎いたします(事前にゼミメンバーまたは野口まで御連絡ください)。
 京都女子大学は学園祭期間中ですが、多くの方のご参加をお待ちしております。
 ちなみに、このところ「大殿」論に関心を寄せている尻池さんは、この研究会をとても楽しみにしているようです。

学会・研究会、お疲れ様でした。

No.4226

 29・30の両日は各地で学会・研究会が開催されたました。
 まず、軍記・語り物研究会(於:早稲田大学)では、門屋君が研究発表の大役を果たされました。テーマは木曾義仲に関するものでしたから、歴史の側からも突っ込めると思いますので、いずれこちらの例会でも御発表をお願いしたいものであります。
 御当地、京都では古文書学会の大会(於:京都産業大学)が開かれ、佐伯君が活躍されました。
 お二人とも御苦労様でした。
 当方、この両日とも書類をかかえて引き籠もり状態でした。最近のベストセラー『下流社会』(光文社新書)によると「下流の男性はひきこもり、女性は歌って踊る」そうです。とすると、当ゼミメンバーは?
 この本は、日頃私の推奨している生き方に大きな問題のあることを指摘した内容ですので、ゼミメンバーは、野口ウィルス対策として緊急にお読みになっておいた方がよいと思います。
 なお、私がこの本の中で一番共鳴したのは、第5章のコラム3に引用された『ドラゴン桜』の「ナンバーワンにならなくていい。オンリーワンになれだぁ?ふざけるな。オンリーワンとはナンバーワンのことだろうが」というセリフでした。
 団塊世代の限界でしょうか。

 さて、ウィルスといえば、今朝研究室に出勤していつものように迷惑メールを消そうとしていたところ、メールそのものがダウンロードできなくなり、情報センターのレスキューもいただいたのですが、結局28日から今朝までに届いたメールが全て消滅と相成りました。お心当たりの方、申しわけありませんが再送信をお願いいたします。
 この事について元木先生に申し上げたところ「PCとは奇怪な機械のことである」というご回答をいただきました。名言だと思います。さっそく、この言葉をプリントアウトしてPCデスクに貼り付けました。

 宇治の研究にも役に立つと思い、探していた森薀『平安時代庭園の研究』(永田文昌堂、1945年)をようやく手に入れることが出来ました。思文閣古書部にて購入。
 直接、出向いたところ、目下、ドイツで研究生活を送られている滋賀県立大学・京樂先生の、たしか茨城大学時代の教え子で、ここに勤めておられる中村さんがおいでになりました。そのような次第で、11月3日から開催される思文閣美術館の企画展(12月11日まで)の招待券を頂きましたので、お入用の方は研究室まで。
 なお、『平安時代庭園の研究』は期待通りの内容でした。 

Re: 学会・研究会、お疲れ様でした。

京樂真帆子@ドイツ・ボン
No.4227

 野口さん、みなさん、こんにちは
 今こちらはお昼です。ボン大学の日本文化研究所の図書室からアクセスしています。
 さて、思文閣の中村君は、私の赴任とはすれ違いで「幸いな」ことに私の教えを受けておりません。でも、「茨城大学関西支部」のメンバーでありますので、私との縁を切ろうにも切らせてあげません。
 ちょっとした訂正と、生きているぞ!の表明でした。

大盛会でした。

No.4228

土・日と古文書学会のお手伝いさんをしていた佐伯です。
初めて大会に携わらせていただきましたが、世評にたがわぬ盛況振りでした。
初日の講演・二日目の研究報告は受付に入っていたので、
両日ともに参加者は事務局の方々を含めると100名を越えており、当日レジュメを刷り増すほどでした。
高名な先生方も多数ご参加されており、豪華メンバーでの懇親会も非常に和気あいあいとしたもので、
元木先生の書かれていた古文書学会の良さは、そういったところからも実感されました。
その懇親会で、私も含めて実行委員全員が前で挨拶することになったにはビビりましたが(笑)。
(あとで元木先生にお伺いしたところによると、これは古文書学会の伝統なのだそうです)

で、今日が最終の古文書見学会だったのですが、これがまた最高でした。
上賀茂神社では、著名な頼朝関係文書など多数の中世前期史料をはじめ、記録類も含めて、多数の文書を見せていただきました。
京大博物館では、古文書類は中世中後期の史料を多数と、有名な長講堂領目録、また古記録として大御記と、永昌記は紙背文書を見せていただきました。
東福寺では、国宝の無準師範印可状をはじめ、元亨釈書の原本、九条道家惣処分状など、多数の重文を見せていただきました。
もうどれも本当に貴重な史料で、今日は素晴らしい一日だったと心底思います。
個人的には、以前自分の論文で取り上げた四条坊門賀茂別宮社に関係する史料の原本が見れたのがとてもうれしかったです。

はるばる東京から事務のために来られた石井先生をはじめとする中央大学のみなさん、
受け入れ校の先生として奮闘されていた井上先生・若松先生、
見学させていただいた上賀茂神社・京大博物館・東福寺の関係のみなさま、
見学会のコーディネイトをしてくださった杉橋先生・元木先生、
ほか、大会に携わった全ての方に、感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。

中央大学の院生の方々は、この掲示板をごらんになっているそうで、
今日も夜は元木先生ご推奨の「南大門」に繰り出されるとのことでした(笑)。
みなさんどうもお疲れさまでした。今後ともどうかよろしくお願いします。

古文書学会は、来年は10月14・15・16日に熊本大学で開催されるそうです。
うーん、ぜひとも行きたいです。

盛会は正解だが、ボンは坊ではないという話

No.4229

>佐伯君
  学会にどしどし積極的に参加されるのは「大正解」だと思います。来年の熊本大会には当ゼミメンバーを大挙引率していってください。

>京樂先生
  ご訂正をありがとうございました。本当に世界中ネットでつながっていることを実感いたします。地球は狭くなりました。
 その一方、当地には「ボンの大学?・・・ひえっ!ドイツにはお坊ちゃんだけしか入れない大学がおますのんでっか?」(正当な大阪弁か不明?)などと仰る方がおられたりしますから、地球はまだまだ広いようです。
 冗談はさておき、ボン大学には日本文化研究所があるということで、さすがです。ヨーロッパで研究生活をされたことのある知人の談によると、主要な大学には日本史関係の史料もちゃんと揃っていて、日本に居る時以上に立派な論文が書けるとのことでした。
 そういえば、京樂先生は、かのカリスマ編集者さん御依頼の原稿を御地で脱稿させるご予定とのこと。となると、成算はありそうですね。こちらもなんとか頑張る所存ですから競争といきましょう。
 それにいたしましても、ボン発の京樂先生の日記ブログは、これから在外研究をしようとする人への指針になりますし、現在のドイツの大学事情を知る上でたいへん貴重です。
 この日記ブログ自体が一つの在外研究の報告書としての価値を有するものだと思います。
 恵まれた貴重な機会を生かされて、大いに御研究の実をあげていただきたいと念じております。

追記。

No.4237

追記です。
聞くところによると、杉橋先生は見学会だけではなく、大会運営全般にもご尽力されたとのことでした。
上の書き込みだと、見学会のことしかされていなかったように読めてしまうので、念のため。
杉橋先生、本当にどうもありがとうございました。

大盛会、ありがとうございました。

河辺隆宏
No.4238

はじめて書き込ませていただきます。
日本古文書学会事務局をやっております、中央大学大学院の河辺隆宏と申します。
佐伯さんの書込みに反応して、意を決して?書き込ませていただきます。
おかげさまで古文書学会大会は大盛況の内に終えることができました。大会運営にご尽力いただいた皆様に御礼申し上げます。

>佐伯さん
 三日間に渡って色々とお手伝いただきありがとうございました。皆様のお力添えのおかげで、受付や会場内の仕事を無事に終える事ができました。本当にありがとうございました。東京の方へお越しの際は是非一声おかけ下さい。今後とも宜しくお願いいたします。
 余談ですが、書込みの通りあの後「南大門」へ繰り出して、ネギタンガーリックその他を堪能してきました。暫く他の焼肉屋へは行けそうもありません(笑)

河辺さん、お疲れ様でした。

No.4248

河辺さん、事務&報告の一人二役、ほんとうにお疲れ様でした。
お互いになかなか行き来する機会は少ないかもしれませんが、また京都にもお越し下さいね。
「南大門」を予約してお待ちしております(笑)。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。

百練抄の講読会について。

山岡 瞳
No.4222

随分前にも書き込みましたが、次回百練抄の講読会のご案内です。
   
   日時:11月2日(水)16:30~
   場所:L校舎3F 共同研究室
   範囲:寿永二年八月五日~十月十四日
   担当:山岡

*範囲が少し変わりましたのでご注意ください。後鳥羽の践祚~十月宣旨が主な内容です。 
興味のある方はぜひぜひお越しください。   

次回例会について。

平田樹理
No.4224

 次回例会のお知らせです。

日時: 11月7日(月)18:00~(吾妻鏡講読会後です)。
場所: L校舎3F 共同研究室
報告者:樋口健太郎氏(神戸大学DC)
    「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」
参考文献:樋口健太郎「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」
    (『古代文化』57巻10号、2005年)
     樋口健太郎「平安末期における摂関家の「家」と平氏-白川殿盛子による「家」の伝領をめぐって-」(『ヒストリア』189号、2004年)
     橋本義彦『藤原頼長』(吉川弘文館、1964年)

 以上です。多くの方のご参加をお待ちしております。

信西の首。

No.4225

 山岡さん、平田さん、史料講読会と例会の御案内、ありがとうございました。
 史料講読会参加者は、できれば、佐藤進一「幕府論」・「寿永二年十月の宣旨について」(同『日本中世史論集』岩波書店)を読んでおいて下さい。大事なところです。
 同志社の演習の時には、ここを山本君が担当し、研究史をまとめてくれました。山本君はお元気でしょうか?
 
 例会参加者は、樋口さんの「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」を事前に必ず読んでおいて下さい。掲載誌は研究室にあります。来年度の共同研究メンバーにとっても、「摂関家」を考える良い機会ですから積極的な参加を期待したいと思います。

 ☆ 京都文化博物館2F歴史展示「武者の世に」のコーナーのメイン展示は、三条大路を行く武者行列の立体模型ですが、これは『平治物語絵巻』信西の巻の大路首渡しの場面を立体復原したものです。したがって、行列の先頭に長刀に吊された信西の首がなければ意味がないのですが、1988年秋の開館以来「展示に相応しくない」という理由(配慮?)から首無しで展示され続けてきました。ところが、先日、キャンパスプラザ科目の見学会で訪れてみたところ、首が吊されていました!
 開館当時、このコーナーの展示は私が担当していましたので、再三首がなければ意味のないことを上申したのですが、聞き届けてもらえず、そのために展示案内の図録や解説板に、この場面についていろいろ言い訳がましいことを執筆するなどフォローを重ねたのですが、ようやく私の宿願が達成されたようです。ちっとも不気味さなど無く、これによって展示は実に整合的で、意味のあるものになり、解説パネルもいよいよ有効に機能することになりました。
 かつての同僚で食事に際して私と同じ好き嫌いのあるUさんの御尽力によるものでした。再びおかしな「配慮」で取り外されることのないようにお願いしたいと思っています。

ありがとうございました。

前川佳代
No.4213

 例会ご出席の皆様、貴重なご意見をありがとうございました。今後の参考にさせていただきます。また場を設定いただいた野口先生、わざわざお越しいただいた美川先生には感謝申し上げます。そして山田先生、福島のお話をありがとうございました。
 ところで、忘れ物をしました。今日持っていった平泉の地図です。多分、飲み屋さんには持っていったように思うのですが、どなたかご存じでしたら前川までご一報ください。よろしくお願いいたします。
 なお、お酒の席ででた私の話は、どなたかが捏造されているようなので、総てを信じないようご注意ください。今回、初めてゼミの女性陣とゆっくりお話ができて良かったです。今後ともよろしくお願いしますね。

ありがとうございました。付、10/31吾妻鏡休み

No.4214

>前川さん 昨日はお忙しいなかのご発表、ありがとうございました。お伺いしたお話を、宇治の研究にも是非活かしていきたいとおもいます。

>毎週吾妻鏡ご参加のみなさんへ
 来週月曜日(10/31)は、岩田が不都合のため吾妻鏡の講読会はお休みとさせていただきます。すみません。
 その次の月曜日となると、カレンダーを見ると11/7(月)のようです。範囲は建保元年(建暦三年)五月二日条です。よろしくお願いします。

ありがとうございました。

No.4215

前川さん 昨日はありがとうございました。
ばくぜんとしていた平泉のイメージが、私の中で形になりました。
たいへん勉強になりました。
お話を聞いて、むしょうに平泉へ行きたくなりました。
ゼミ旅行で行くには難しいでしょうか。

遅くまでありがとうございました

No.4216

前川さん 
たいへん貴重なお話をありがとうございました。
今回のご報告で平泉の地形や都市の広がりがおおよそ把握できたと思います。
お配り頂いた広告の衣川が綺麗なうちに、ぜひとも行かなくては!と思いました。
お疲れ様会ではインタビューばかりしてしまった気がしますが、これから先の人生について考えさせられるお話ばかりで、とても刺激になりました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

例会再開。盛会御礼。

No.4218

 後期最初の例会は、参加者17名という盛会になりました。すでに上のレスで触れられているように、盛りあがった勢いで、臨時大宴会の開催が急遽決定。会場まで大型バスをチャーターするというゼミ始まって以来の事態にまで発展。それを知った山田邦和先生が自転車で会場に駆けつけるというほどの興奮ぶりでした。

 >前川さん  研究(学位論文の執筆)、そして育児と家事と家の新築という御多忙の中、貴重な研究発表をありがとうございました。御不在の間、家で家事と育児を引き受けてくださった御夫君の西邦和さんにも、あつくお礼を申し上げます。
 それから、お忘れものの件ですが、山岡さんが「まんぞう」に問い合わせたところ、ないという返事だったそうです。

 >田中さん  北海道のおみやげ、ありがとうございました。また、宴会の会計係、御手数をお掛けしました。

 >佐伯君  バスの手配、凄い才覚だと思いました。まさに木下藤吉郎です。場所も秀吉廟の直下でしたから、魂が乗り移ったのかも知れません。そういえば、体格や顔立ちも秀吉に似ておられますね。元木先生の靴を懐に入れていたりして。
 御教示いただいたブログ、発見して拝読させていただきました。楽しみが増えました。

 >鈴木君・永富さん  仕事の後、お疲れの所、ありがとうございました。とくに永富さんは、途中参加、途中退出だったのでお話しが出来ず残念でしたが、また、そのうちに。

 >佐藤さん・大原さん  もっと時間があれば、ゼミメンバーをゆっくり御紹介できたのですが、当ゼミの一端をご披露できたものと存じます。今後とも何卒宜しくお願いいたします。

 >美川先生・山田先生  例会・宴会への御出席、ありがとうございました。末永く当ゼミに御指導・御援助の程、宜しくお願い申し上げます。

 >ゼミメンバー諸姉兄  ゼミ旅行は平泉方面でしょうか?はたまた、一度断念した伊豆方面ですか?
 共同研究室の書架ですが、期待していたより2倍のスペースを頂くことが出来ました。『古事類苑』などを配架したいと思います。手の空いている方は、お手伝いを宜しくお願いいたします。私の研究室に電話を入れてから来てください。 
 
 なお、次回の例会は11月7日(月)18:00~
    報告者は樋口健太郎氏(神戸大学大学院DC)です。  
 >樋口さん  御覧になられていたら、恐縮ですがこの掲示板にタイトルと参考文献の御紹介を頂けましたら幸いです。
 
 ☆ 私事ながら、幼年期(昭和30年代)にはじめて「友」であることを意識した人物の消息を約半世紀ぶりに知ることが出来ました。彼はなんと、奈良県にある国立大学で同じ職業(専攻は異なりますが)に就いておられました。近鉄京都線沿線にお住まいとのこと。近く<劇的>な再会を果たすことになるかもしれません。50年以上生きていると、いろいろあるものです。

ありがとうございました!

No.4219

前川さん、刺激的なお話をどうもありがとうございました。
都市計画の時代ごとの変遷や、院政期の他の都市との比較のお話など、色々と本当に興味深かったです。
それと、現地に即したお話を聞いていて、やはり現地を自分で確かめるというのがとても大切なのだと実感しました。
平泉には3年前に1度行ったきりですが、また行って、自分の足と目で、教えていただいたことを確かめて回りたい気持ちでいっぱいです。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。

>野口先生
バスの一件、お褒めに預かり光栄です。
とはいえ、単にバスの運転手さんが親切ないい人だっただけなのですが…。
真ん中の一行は、見なかったことにさせていただきます(笑)。

ありがとうございました。

No.4220

>前川さん
勉強会発表、ありがとうございました。憧れながら行った事のない平泉、ますます行ってみたくなりました。 
途中参加だったので、最初のお話を聞く事が出来なかった事、お疲れさま会でもお話する機会がなかった事がとても残念でした。お忙しいとは思いますが、またお時間が許せばおいで頂きたいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

お疲れ様でした

山岡 瞳
No.4221

>前川さん
 先日の例会発表、お疲れ様でした。私もまだ平泉に行ったことがなく(私の中の最北端は東京です・・・)、ますます行きたくなりました。これまでは平泉の全体像をつかむことができていませんでしたが、今回のご報告で位置関係などを理解することができ、本当に勉強になりました。「まんぞう」ではあまりお話しすることができず、残念でした。またの機会にゆっくりお話できたらと思います。これからもよろしくお願いします。 

ありがとうございました。

平田樹理
No.4223

>前川さん
遅くなりましたが、発表お疲れ様でした。
私も東北、平泉に行ったことがないので、皆さんと同じく現地へ行って確かめてみたい気持ちでいっぱいです。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
また、個人的にもお話できて嬉しかったです。
今後ともどうぞ宜しくお願いします。

中村修也『日本古代商業史の研究』拝受。

No.4212

 文教大学の中村修也先生から新刊の『日本古代商業史の研究』(思文閣出版)を御恵送いただきました。第七章「市人・市籍人と市の構造」・第八章「平安京市町成立の構造」・第九章「東西市の空間構造と景観」は平安京・京都都市史研究に際して、必読の研究であろうと思います。巻末の「『平安遺文』にみる支払代価物」の表は当時の物価を考える上で便利。
 ちなみに、中村先生は佐伯君・田中さんにとっては、京都市歴史資料館におけるお仕事の上で大先輩に当たる方です。中村先生にあつくお礼を申し上げます。

 ◇ 研究所教授室(野口研究室)の書架が満杯になっておりますので、共同研究室の書架の一部を提供していただけることになりました。史料講読会の際に使用する本や須田春子先生からの寄贈図書などを配架したいと考えています。移動の際は、ゼミメンバーの御助力をお願いいたします。

鈴木哲雄『中世関東の内海世界』拝受。

No.4217

 北海道教育大学の鈴木哲雄先生から『中世関東の内海世界』(岩田書院)を御恵送いただきました。相馬御厨に関する研究など詳細です。
 鈴木先生は私と同郷(下総)。公立高校教員として同業だった時期もありました。また千葉県史編さんの中世史部会で御一緒に仕事をさせていただいたこともあります。鈴木先生にあつくお礼を申し上げます。

 ※ 千葉といえば、日本シリーズにおける千葉ロッテの勝ちっぷり(3戦まで)は承久の乱における東軍の如し。「千葉」が脚光を浴びるのも久方ぶりのことで、「千葉介」の西上軍といった按排ですが、チームメンバーに京都など西日本出身の選手が多いのは、東国に下った平家の軍中に東国武士が多かったり、一ノ谷の合戦の義経軍に畿内近国の武士が多く参加していたのに似ていますね。
 <日本シリーズからの「武士論」>でした。

吾妻鏡講読会について

岩田慎平
No.4206

 遅くなりましたが、次回の『吾妻鏡』の講読会は、10月24日(月)に行います。
 
 場所:宗教・文化研究所共同研究室
 時間:15:30~17:30頃まで
 講読範囲:建保元年(建暦三年)四月十六日条、十八日条、二十四日条、二十七日条、二十九日条、

 なお当日は、後期第一回目のゼミ例会も行われます。
 発表者:前川佳代氏(京都造形芸術大学非常勤講師)
   テーマ:「都市平泉の構造」
   場所:京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
   時間:10月24日(月)18:00~20:00

 テーマについては「都市平泉の構造」か「宇治と平泉」か、ということでしたが、とりあえず前者をタイトルに掲げ、後者についても関説していただくということにさせていただきました。したがって、来年度の共同研究に参加されるメンバーは出来うる限り出席をお願いいたします。
 またメンバー以外の参加も歓迎いたします(ただし、事前に御連絡下さい)。

 〈参考文献〉
  斉籐利男『平泉 よみがえる中世都市』岩波書店 1992
  本澤慎輔「都市平泉の成立と構造」『中世都市研究 古代から中世へ』新人物往来社  1995
  日本考古学協会2001年度盛岡大会研究発表資料『都市・平泉-成立とその構成』  2001
  入間田宣夫・本澤慎輔編『平泉の世界』高志書院 2003(特に、羽柴直人論文)
  前川佳代「平泉の都市プラン-変遷と史的意義-」『寧楽史苑』45 2000
      「都市平泉の構造」『白い国の詩』 2002

『禅宗寺院の古文書学的研究』拝受。

No.4207

 24日の午後は充実した時間が過ごせそうです。
 本日の『百錬抄』講読では、石井君が順調に報告デビューを果たしました。

 ところで、今年の2月末に実施した東京・千葉方面へのゼミ旅行の際、東大史料編纂所の見学で大変お世話になった保立道久先生(4月から同所所長)から、保立先生の御高論「創建期の大徳寺と王権-開堂前後の時期に視点をおいて-」など掲載の『禅宗寺院文書の古文書学的研究-宗教史と資料論のはざま-』(2002年度~2004年度科学研究費補助金研究成果報告書・研究代表者保立道久)および、御高論「都市王権と貴族範疇-平安時代の国家と領主諸権力-」(奈良女子大学「日本史の方法」研究会『日本史の方法』創刊号、2005)・「時代区分論の現在-世界史上の中世と諸社会構成」(『史海』52,2005)・「「山立」と「狩人」-西行の山立の歌について」(『南山経済研究』19-3,2005)を御恵送いただきました。
 保立先生にあつく御礼申しあげます。都市王権論は来年度から開始予定の共同研究に裨益多いものと存じます。
 メンバーや私が東大史料編纂所に調査にうかがいに行く際は、なにとぞ宜しくお願い申しあげます。

『巡礼記研究』第二集拝受。

No.4208

 巡礼記研究会(慶大文学部岩松研究室内)より『巡礼記研究』第二集をお送りいただきました。あつく御礼申しあげます。
 掲載されている牧野淳司「延慶本『平家物語』高野御幸説話の背景」、大橋直義「日本大学総合学術センター蔵『後鳥羽院御順礼記』翻刻と考察-流布本系『建久御巡礼記』の一伝本-」などは当ゼミメンバーの関心をひくものではないでしょうか。
 源健一郎先生の千葉氏の妙見信仰に関する御高論は次号に掲載になるのでしょうか。大変期待しています。

 科研の申請書類。なかなか「書けん」などと、オヤジギャグを飛ばしておりましたが、本日なんとか提出。教学課に持って行ったら「一番早い」とお褒めにあずかりました。早くても、採択されなければ話にならないのでありますが。しかし、この時期、書かなければならない書類が続々と到来いたします。
 ようやく涼しくなって、学問には最適な気候と思いきや、肩や腰が痛くなって、老い行く我が身を文字通り「痛」感する今日この頃です。
 メンバー諸姉兄もいろいろお悩みのことは多いことと思いますが、私は何しろ若い君たちが羨ましいのです。・・・先日も、こんなことを石井君に話していました。

24日の例会情報など。

No.4209

 報告者の前川さんから、資料・レジュメあわせて8~10枚になるとのメールが届きました。御出席の皆さん、相当気合いを入れないと、これはついて行けませんぞ!

 靖国神社にかんする問題が世上で議論されていますが、この問題については、京都女子学園学園長であった双葉憲香先生の『増補 親鸞のひらいた地平』(永田文昌堂、1984)に明快且つ優れた見解が披瀝されています。京都女子大の学生さんは入学時に双葉先生の著書『親鸞 仏教無我伝承の実現』(永田文昌堂、1995)を受け取っているはずですが、ちゃんとお読みになられましたか?

 山田ちさ子さんが日記blogで探しておられる佐々木紀一「桓武平氏正盛流系図補輯之彦栄」は、私もなかなか手に入れることが出来ず、窮したあげく、この掲示板に書き込んだところ、佐々木先生がこの掲示板に御返事を下さり、わざわざ郵送していただいたという経緯がございます。さて、山田さん、その書き込みNoは何番だったでしょうか?正解の暁にはそのコピーを差し上げます。

 山田ちさ子さんの御夫君で、目下、東下り中の山田邦和先生は、京都御出立の直前、御自身の日記blog「平安京閑話」に以下のような御意見を述べておられます。
 「博物館における調査研究の重要性をどうやって担保していくか、博物館にたずさわる全ての人々が考えねばならない時が来ているのではなかろうか。」
 学芸員の資格取得に追われている若い皆さん方は、こういう問題をどうお考えなのでしょうか?
 研究者や学芸員を目指す若い人たちに、博物館の研究のあるべき姿について考えてもらうために、梅棹忠夫「国立民族学博物館における研究のあり方について」(『国立民族学博物館研究報告』1巻4号)の御一読をお勧めいたします。

 さて、諸方に放ってある「禿(かぶろ)」(『平家物語』参照)たちからの情報によると(冗談ですよ)、田中さんは北海道旅行、八井君は繁忙期、長村君は修論報告の準備で大変な御様子ですが、それぞれ頑張ってください。 
 そんなこんなで、いろいろ書き込ませていただきましたが、この掲示板、明らかに野口の日記blog化しつつありますね。

よろしくお願いいたします

No.4210

みなさま こんにちは。山田ちさ子です。
月曜日の例会、前川さんのご発表、とても楽しみです。
明日はしっかりと予習する日にあてます。
今日はこれから、尼崎へ大物の展示を見に行こうと思います。

野口先生、563番!
よろしく、よろしくお願いいたします。
昨夜は「溢れ源氏考証」上下(「米沢国語国文」)を読みだすと眠れなくなりました。

宇治の住宅地にも猿が出没。

No.4211

 山科で猿対策が進んでいるという新聞記事が今日の朝刊に載っていましたが、山科を追われた猿が当家の周辺にも出没しだしたようです。昨日、当家の前の歩道を悠然と歩いており、犬の散歩中の住人が大騒ぎ-という目撃情報があります。

 >山田ちさ子さん  私の意地の悪い「課題」をいとも簡単にクリヤーされた御様子。流石は電脳の達人です。お約束通り、佐々木紀一先生の「桓武平氏正盛流系図補輯之彦栄」のコピー、早速用意させていただきます。
 ちなみに、私こと「溢れ源氏考証」上下(『米沢国語国文』)の拝読を逸しておりますので、24日にご持参いただければ幸いです。

 大河ドラマでは宗盛が処刑されたようですが、最近、歴史学界では宗盛再評価の機運が高まりつつあります。(以前、講談社の横山建城さんと私の二人で一時的に結成した「宗盛会」というのは多少屈折した発想が前提にあったのですが、)優れた研究成果として、田中大喜氏の「平氏の一門編制と惣官体制」(『日本歴史』661)を紹介しておきます。

 ☆ 本日は、京都では「時代祭」。また各地で多くの学会・研究会が開かれていますが、私は昨日直面した学会関係の困った事態への対応や原稿執筆などで、動きがとれないでおります。

角田文衞先生の『古代学の展開』刊行。

No.4205

 (財)古代学協会理事長・古代学研究所教授兼所長であり、わが国考古学界・歴史学界の最長老のおひとり、いわば歴史・考古学界における巨匠ともいうべき存在である角田文衞先生の『古代学の展開-THE DEVELOPMENT OF PALEOLOGICAL STUDIES FROM 1954 TO 1994-』(山川出版社、2005年)が刊行されました。昨日、(財)古代学協会より御恵送をいただきました。あつく御礼申しあげます。
 92歳の角田先生が700ページを超える大著を出されたにも拘わらず、この私の為体は何事か、と大いに反省をせまられております。 
 この大著の紹介は、角田先生の学風をもっともよく継承されている、山田邦和先生に委ねるべきものと考えます。以下を御覧下さい。

http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2005/10/index.html#a0007192230

 古代学協会からは、新刊の『古代文化』第57巻第10号も届きました。巻頭の樋口健太郎「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」は、国文学を専攻されている方々にも是非読んでいただきたい好論です。

 『百錬抄』講読会、明日は平家都落ちのあたり。同志社2回生、石井一英君のデビュー戦です。

「都市平泉の構造」印刷しました。

No.4203

 24日例会の参考資料・前川佳代「都市平泉の構造」(『白い国の詩』553)を30部ほどプリント(モノクロですが)致しましたした。ゼミメンバーは史料講読会の際などにお持ち下さい。
 なお、前川さんが紹介してくれたこのサイトには、最近の平泉の発掘情報が満載です。是非、御覧おき下さい。
   http://www.iwate-np.co.jp/sekai/sekai.htm#051015

 「接待館」は一般に「せったいかん」と呼ばれているようですが、地元でももともとそう呼んでいたのでしょうか?「せったいだて」か「せったいたち」だったのではないでしょうか?研究者の中にも「殿」や「館」を単に「音」読みしてしまう方がおられますが、「館」も「たち」または「たて」か「かん」では、文献史学の立場からすると評価が異なってきます。この辺り、厳密にしていただきたいものです。

 ☆ 近藤先生の『源義経』(ミネルヴァ書房)の紹介が昨日の京都新聞読書欄に掲載されていました。この記事はおそらく共同通信の配信なので、全国の地方紙にも掲載されていることと思います。

>薗田さん  中学生男子のような声、ぜひ録音しておいて下さい。

>有村さん  『台記』ご購入の由。『台記』研究会に備えてでしょうか。素晴らしい心がけです。そして、難しい漢文だらけの史料が届くのを「ワクワク」して待っている大学生の存在は嬉しい限りです。そういえば、当ゼミメンバーやその周辺の学生さんや院生さんの中には、高校時代にお年玉でとか、成人祝いにお母さんから着物のプレゼントをしてもらう代わりにとかで『玉葉』を買ったとか、古本屋を歩くと腹痛が治るといった、昨今の若者には希有な存在が目立ちます。
 私も学生時代にバイトでようやく稼いだ18000円を手にして、神田の古本屋に『本朝世紀』を買いに行ったときは本当にワクワクしたものでした。高校時代は、中世の五輪塔や中世城郭の土塁に異常にワクワクしていました。今考えると不思議なのですが、このワクワク感こそが、研究の原点であったことは間違いありません。アラレちゃんのようにワクワクする心を大切にしてください。