亀岡源平ものがたり

No.4156

 亀岡市文化資料館にて、『亀岡源平ものがたり』と題する企画展示が行われます。
 会期は10月1日より、11月6日まで。月曜と木曜の午後、10月11日は休館。入場料260円
 主な展示品は以下の通り。
・矢の根地蔵(古世地蔵堂)
・「源頼政、鵺退治之図」(同上)
・聖観音立像(文覚寺)
・金銅如来坐像(神蔵寺)
・懸仏(小松寺)

 10月30日日曜には、文化財講座として、龍谷大学講師横澤大典氏の講演が行われます。
・タイトル『源平合戦と亀岡』
・時間14時から16時
・会場 文化資料館研修室
・定員60名
・受講料無料、但し希望者はあらかじめ電話またはファックスで申し込むこと。

文化資料館の連絡先は以下の通り。
〒621-0815 亀岡市古世町中内坪1番地
℡0771-22-0599 ファックス0771-25-6128
場所は亀岡駅より、東に徒歩7分です。

女性史総合研究会のご案内

No.4152

 今週末に開催される女性史総合研究会例会の御案内させていただきます。ジャンルを問わず、積極的な参加を期待しております。

   ◇女性史総合研究会 10月例会のお知らせ

 ◇日 時:10月1日(土)於京都アスニー PM1:30~ 
     <  記憶/戦争/ジェンダー >
 報告者: 片山須美子氏「 ベトナム女性博物館における女性表象―ベトナム戦争・国家・ジェンダー- 」 (仮)
 コメンテーター: 北原恵氏・福田珠己氏

 場 所: 京都アスニー 3F研修室
    ≪京都アスニ-≫ 〒604-8401 京都市中京区丸太町通七本松西入ル 
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/about/institution/honkan/honkan_map.html
    
  皆様で展示とジェンダー・アジアの問題を考えたいと思っています。皆様のご意見を  お待ちしております。

女性史総合研究会10月例会。

No.4153

 学会シーズンです。
 来週は日本史研究会の大会が京女で開催されます。
 この例会も学部生でも興味のある人は積極的に参加されたらよいと思います。今回は展示の問題が取り上げられるとのことですから、博物館学芸員を志す人にとっても有益でしょう。。ベトナムの博物館を例にしていますが、広くアジア・戦争・ジェンダーなどの問題にも話が及ぶということです。

Re: 女性史総合研究会のご案内

No.4154

大利さん。お元気ですか。ご無沙汰しております。
寝屋川市史資料編編纂ではお世話になりました。
これから、寝屋川市史本文編の会議に行ってまいります。

10月3日の吾妻鏡講読

No.4150

 後期一回目の吾妻鏡の講読のご案内ですが、また再度立てます。

 日時:10/3(月)15:30~予定
 範囲:建暦三年(建保元年)三月六日、八日、九日、十日、十六日、十九日、廿一日、廿三日、廿五日、廿八日、三十日
 参考文献:岡田清一「執権制の確立と建保合戦」(安田元久先生退任記念論集刊行委員会編『中世日本の諸相』下巻、吉川弘文館、1989年)

>山本さん 例の、前に言ってた本ですが、よろしくお取り計らいください。

『吾妻鏡』講読と卒論・修論執筆、ほか。

No.4151

 ◇『吾妻鏡』講読の参考文献として以下の2論文を紹介します。
 杉橋隆夫「執権・連署制の起源-鎌倉執権政治の成立過程・続論-」(『立命館文学』424~426)
 折田悦郎「鎌倉幕府前期将軍制についての一考察-実朝将軍期を中心として-」(『九州史学』76・77)

 岩田君・山本君、学部生の御指導、よろしくお願いいたします。
 なお、講読会参加希望者は『吾妻鏡』(該当条のコピー)を各自用意の上、上記日時にL校舎3Fの宗教文化・研究所共同研究室にお出で下さい。

 ◇京大では既に修士論文の中間報告会が開かれた由。いよいよ卒論・修論執筆の山場の時期かと思います。論文というのは、田中さんの言われるように、書き始めると疑問続出となります。頭の中での構想は書き始めるとすぐに崩壊するものです。ですから論文は書き始めることが肝心です。

 ☆京都女子大学文学部史学科の稲本紀昭先生から、先生が執筆・編集を担当された『三重県史資料叢書Ⅰ 中世神宮関係史料 補遺』を数冊いただきました。収録されている「文永三年遷宮沙汰文」の紙背文書には越前国足羽御厨関係の文書があります。すでに希望者に配布いたしましたが、ゼミメンバーで欲しい方がおられましたら、御連絡下さい。先着順です。
 なお、稲本先生に、あつくお礼を申し上げます。

 ☆本日、鎌倉国宝館館長の三浦勝男先生(忘れもしない1972年夏、私が博物館実習をしたときには学芸係長をされており、多々御迷惑をおかけしました)から、新刊の御編著『鎌倉の地名由来辞典』(東京堂出版)の御恵送をいただきました。
 また、学振特別研究員の吉田賢司さんから、御高論「在京大名山名氏による医徳庵召還活動」(『日本歴史』688)・「書評 清水克行著『室町社会の騒擾と秩序』」(『史学雑誌』114-7)を御恵送いただきました。
 三浦先生・吉田さんにあつく御礼申し上げます。

 ☆10月1日(土)の歴史グループ早雲の講座 18:15~於:ラボール京都
   テーマ:「頼朝と義経」
   講 師:前川佳代(京都造形芸術大学・花園大学非常勤講師)

 前川さんはKissポート財団特別連携講座(協力:花園大学)の京都学講座でも10月5日(水)に「義経と京都─義経が最も輝いた瞬間<とき>」という講演をされるそうです(会場/東京都港区高輪区民センター区民ホール・時間/14:30~16:00・入場無料・申込みは京都館(03-5562-0041)まで。)。

稲本先生の

No.4155

野口先生、ご無沙汰しております。臨川の薗田です。
恐れ入りますが、稲本紀昭先生編集の『三重県史資料叢書Ⅰ 中世神宮関係史料 補遺』、まだございましたら、分けて頂けませんでしょうか…

ご無沙汰しております

末松憲子
No.4146

新学期が始まりましたね!
ごぶさたしております。

講演会の折に、堤先生の授業を聴講したい、という声をいただいておりましたので、
そのご連絡をしたいとおもいます。

今期は火曜日3限(13:00~)『説話・伝承史』という科目がオススメです。
場所は春秋館101教室。
聴講を希望される方は私まで連絡を下されば、教室まで案内いたします。

内容は未確認ですが、先日の講演会をイメージしていただければよいかと思います。

>鈴木君
先日は偶然でしたね!
私もびっくりしましたが、久しぶりにお会いできて、とても嬉しかったです^^
普段は自転車通学なので、国際会館にいる事は本当に稀なんですよ~

>野口先生
ご無沙汰しております。
そうなんです、貸し切りバスで合宿へ行ったんですよ。
なにしろ40人弱でしたから(苦笑)
近況ですが、10月1日に宗教民俗学会で定例会発表します。

またゼミにも時間を作って顔を出したいと思っています。
よろしくお願いします^^

末松さんの研究発表!!

No.4147

 ◆日本宗教民俗学会10月例会のご案内◆

 日時:10月1日(土) 14:30~
 内容:「相槌の稲荷開帳と狐芸の流行~明和元年の青蓮院・光則寺の出開帳をめぐって~」
 発表者:末松憲子氏(京都精華大学大学院生)
 会場:大谷大学響流館3階演習室4
・・・・・・・・・・・・・・
 末松さんの研究発表は、発表者がとても楽しそうなのが素晴らしいところです。末松さんが楽しんでいる研究を、聴いている側が分けもらって一緒に楽しくなってしまう。そんな研究発表です。

 ※ 今秋は、門屋君も「軍記・語り物研究会」例会で研究報告をされるとのことです。
 院のMCの諸君は修論で引き籠もりがちですが、こういう報告を聴いて刺激をうけるのもよいことだと思います。

 田中さんも論文執筆中とのことですが、これを些か「苦行」と思う資格を得るのは、老眼になり、記憶力が衰えた50過ぎになってからのことです。若いうちは、「こんなことをやっていられて、私はなんて幸せなんでしょう」と思いながら、楽しくサラサラとお進め下さい。

 院DCの人は、おおいに他流試合を進めてください。研究目標の一つにもなりますが、自分の位置確認とあらゆる意味でのネットワーク拡大のチャンスです。

 「出る釘になって打たれましょう」

 ☆ 本日、田辺旬さんから御高論「鎌倉幕府二所詣の歴史的展開」(『ヒストリア』196)を御恵送いただきました。私の恩師の研究を引いてくださっていたので、学生時代のゼミのことなどを思い出して、何か懐かしさを感じてしまいました。あつく、お礼申し上げます。

頑張ってください☆

No.4148

末松さんの研究発表、いつも聞く度にいい刺激を受けます。
頑張ってくださいね~

>野口先生
 楽しくサラサラと・・・出来れば、どんなにか良い事でしょう(涙
 やればやるほど勉強する事がたくさん出てきて、楽しんではいるんですが、なかなかまとまりません。「枕草子」一〇六段の清少納言よろしく、「さはれ」と思う気持ちが必要です。

Re: ご無沙汰しております

末松憲子
No.4164

無事発表終わりました!
野口先生、田中さんありがとうございました。

楽しくサラサラと…とは行きませんでしたが、自分の中で色々考えるきっかけになった発表でした。

薗田さん、聞きに来て下さってありがとうございました!
嬉しかったです^^

共同研究「摂関~院政期の宇治」報告1

No.4145

 近く、大学に研究助成申請予定の共同研究「摂関~院政期の宇治」研究協力者の個別研究テーマがすべて提出されましたので、ここに報告致します。各テーマ毎の研究方法・計画については、研究助成申請の際に参考にさせていただきますが、研究協力者には、後日、お知らせいたします。

【文献史学】
 佐伯智広(京大院DC)「宇治御幸の政治史的分析」
 岩田慎平(関学大DC)「宇治川北岸地域(木幡・黄檗・三室戸付近)と藤原氏との関係、及びその展開」
 佐藤英子(お茶大院DC)「別業の地宇治・平等院と藤原摂関家~宇治川をはさんだ此岸と彼岸~」
 長村祥知 (京大院MC)「鎌倉初期(1180年~1220年ごろ)宇治史料集の作成」

【国文学】
 田中裕紀(同大院DC)・門屋 敦(阪大院DC)
 共通テーマ「中世文学と宇治」(都市研究の進展を受けて、物語の場としての宇治の新たな視角を導く)

【考古学】
 大原 瞳(天理大研究生)「考古学からみた宇治」(出土土器の編年など)

【情報処理】
 鈴木潤(同志社高教諭)・永富絵里子(京都文教中・高講師)※データ処理に関する技術援助

 私は全体の総括と同時に「摂関家の武力と宇治」というテーマで研究に参加したい思います。なお、5年を目安に全体の大テーマを掲げたいと思いますが、「摂関~院政期の宇治」よりも「平安~鎌倉時代の宇治」の方が時間的に幅があって適切でしょうか?
 来年度の単年度のテーマは、個々の研究テーマに整合するものをこちらで考えたいと思いますが、名案がありましたらお知らせ下さい。
 なお、岩田君と佐藤さんのように、日常的に連絡を密にして研究を進めた方がより効果的と思われるケースもあり、研究方法や研究計画、また年度の成果の発表形態などについて研究助成申請の後に、打ち合わせの会を設定したいと考えています。いろいろお考えおき下さい。
 この研究には、日頃お世話になっている元木泰雄先生・美川圭先生・山田邦和先生に御指導を御助力(御鞭撻も)をお願いしています。また先日の奈良女子大で開かれた研究会の際に、大村拓生先生にも御指導をお願いし、御快諾をいただきました。
 なお、前川佳代さんは、既に「平泉と宇治」の比較研究に着手されているとのことなので、当然御助力をいただかなければならないと考えております。
 とても充実した研究が進められそうで、今から楽しみです。ゼミの皆さんも積極的にこの研究に御参加下さい。とくに尻池さんは卒論に直結でしょう。

>八井君  時期は未定ながら、来年の調査旅行はどうやら平泉方面の可能性が高くなってきたようです。また、よろしくお願い致します。

どなたか、ご存知ないでしょうか。

No.4144

始めまして、私は下野の国の住人です。皆さんは学生さんですか、私は50歳の中年親父です。革嶋家文書の中に「現在の京都市西京区川島の地に鎌倉時代初期関東から移住してきた・・・・」とありまして、この人物のことを調べています。私の調べたところでは、佐竹氏初代の昌義の五男義季ではないかと思われます。その後に佐竹白石の一族の義安が葦間家に入ったと資料にはありますが。革嶋と葦間の関連がわかりません。
革嶋家文書の中には重要な情報が載っているのでしょうが、遠方なので調査に行くことができません。関連したことを調査しておられる方がいらっしゃいましたら、教えていただきたいと思いまして、投稿しました。よろしくお願いします。

「サクラサク」

有村芳恵
No.4130

昨日発表があったのですが、このたび京都大学大学院人間・環境学研究科に合格致しました。先生方や日本史研究室のみんな、サークルの親友や先輩・後輩等多くの人に祝福されて、正直なところ、ほっとしました。

ただ一つ残念だったのは、親には祝福されなかった事です。合格した事を電話で親に伝えたのですが、母親は暗い声で一言「ああそう」とだけ言いました。両親や親戚の反対を押しきって、「一回きり」という暗黙の条件つきで受験しましたので、当然と言えば当然の反応なのですが、それでも少しショックでした。

親や親戚から理解を得られない分、私は周囲の人間に支えられたおかげで今まで頑張って来れたのだと思います。1度だけ受験をあきらめかけた時には、後輩に「先輩は絶対大丈夫です。どんなに苦しくても夢を諦めないで下さい。」と励まされ、何とか親や親戚を説得して受験にこぎつける事が出来ました。昨日は、先輩に「親の分まで、俺達が祝ってやるよ。」と励ましていただきました。今日の晩は打ち上げです。

本当に大変なのはこれからです。京都で実際に生活していけるようにアルバイト等色々と
やらなければならないこともありますし、勿論卒論にも集中しなければならない。親や親戚ともまだまだ話し合いが必要です。それでも、「扉」が開いた分だけ、精神的負担はずいぶん減りました。今まで何とかやって来れましたから、頑張れるはずです。

野口先生、ゼミの皆様、そして佐伯先輩、今まで応援していただき、本当にありがとうございました。京都からの皆様の後押しが、私にとってどんなに力になったことでしょう。来年の春、皆様にお会いすることを楽しみに、あと半年鹿大での生活を精一杯過ごしていきたいと思います。

がんばれ有村さん。

No.4131

 受験番号を知らないのに、昨日は17時を過ぎたら合格者がインターネット上で発表されると聞いていたので、何度もアクセスしたりしていました。
 でも、結果はどうあれ、御連絡いただけるものとお待ちしていたのですが、そうですか、やはり合格。ふだんの有村さんを知っていれば、当然のように思うのですが、しかし、大変な快挙だと思います。本当におめでとうございます。
 日本中世史を勉強するのに最高の環境が用意されたのですから、もはや前進あるのみだと思います。鹿児島大学日本史研究室の先生方をはじめ、院生・学生のみなさんもさぞ、お喜びのことと思います。私も日本史の研究者の端くれとして、すぐれた若い人がこの道に進んでくれるのは、とてもうれしい。
 京都での生活については、衣食住・・・etc、それぞれ若者なりの苦労に苦労を重ねた先輩・同輩・さらに後輩たちが、当ゼミには沢山ひかえております。かれらの指南を得れば心配御無用だと思います。
 なにしろ天下の京都大学大学院です。有村さんはエライ。予備校の講師の発言みたいですが。昔、私が高校生だった時も、高校教師だった時も、京都大学というのは雲の上に聳え立つような存在でしたから。
 御自身で仰っているように、のこる半年間の鹿児島大学の生活を実りあるものにして頂きたいと思います。素晴らしい卒論を仕上げて、当ゼミで報告してくれることを楽しみにしています。機関誌『紫苑』への掲載もお願いしたいところです。
 なお、鹿児島の女子大生の皆さんへのエールは、拙著『武家の棟梁の条件』(中公新書)P172に述べたとおりです。
 しつこいようですが、本当におめでとうございました。

きたっ!

No.4135

 …と、掲示板を開けたケータイの画面を見て小さく叫びました。

 有村さん、おめでとうございます。
 ご家族も、きっと有村さんの進む道にご理解いただけるものと、僕らも信じております。

 今日は発掘現場を見学した後、同じく現説にお出でだった佐伯さん・山岡さんと一緒に宇治市街を散歩しながら、「有村さんはどうなったろうね」と案じておりました。例によって、いろいろ食べて回った散歩だったのですが、そういう集まりに来年は有村さんもどうぞお出でください。

100%の祝福。

No.4136

有村さん、おめでとうございます!
いやー、よかったよかった。
絶対受かると思ってましたけどね、それだけに、なかなか結果報告がないと逆にドキドキしてしまいました。
私も、有村さんの受験番号を知らないのに、大学に貼り出されていた掲示を見に行った口です(笑)。

もちろん進学してからが当然いろいろ大変なわけですが、それはそれ、
今は100%の祝福で、有村さんのことを歓迎させてもらいます♪
Welcome to our world!
新しい街、新しい環境での活躍を期待しています。

それにしても、ほんと鹿児島大のみなさんは温かいですね~。素敵。
院試から帰られたときのエピソードを読んだ時にもそう思いましたが、
仲間というものはかくありたいものです。

あ、名実ともに「先輩」になったタイミングでいうのも変な話ですが、
できたら「先輩」よりは「さん」付けで呼んでもらえると個人的には落ち着きます。
先輩として立ててもらえるのはとってもうれしいんですけど、
なーんかとってもくすぐったくって…(笑)。

ではでは、またのご上洛お待ちしています。

心より「おめでとう!」

No.4138

有村さん、おめでとうございます!
じつは、掲示板に記事がアップされないかと、昨日何度も確認しておりました。
それにしても、すごいことですね。いや、よくやりました!おめでとう!
三年前に私が府立大を受験した際も、卒論製作をともにした研究室の友人や先生方に支えていただきましたが、鹿児島大学日本史研究室のあたたかさは変わりないですね☆

鹿児島(南九州地方)の女性にとり、勉強するのはほんとうに大変なことです。
「女が四年制大学を出るなんて!」と思われる方も、まだ多くいらっしゃいます。
ましてや遠くに出す・院に進学させるなんて、本人が望んでも適わないことが多いのです。
私も院進学では「文系は職がない」「おまえはいつ嫁に行くんだ」と歓迎されず、家探しから職探しまで一人でやることになりました。で、職も京都で決めてしまい、なおのこと怒られたのですが…(笑)

有村さんは一人っ子でしたよね(間違っていたらごめんなさい)?
ご両親は「手放したらもう戻ってこないのじゃないか」と寂しく感じていらっしゃるのでしょう。
きちんと向き合えば、きっと勉強したい思いをわかってくださると思いますよ。
その際は、ご両親に感謝する気持ちを忘れないでくださいね☆



Re: 「サクラサク」

長村祥知
No.4140

有村さん、おめでとうございます。

環境が変わると大変ですが、得るものはきっとそれ以上に大きいはずです。
残る卒業論文も、がんばってください。
来年お会いできるのを楽しみにしております。

エールを送ります!!

山田邦和(花園大学・考古学)
No.4141

>有村芳恵様
院合格、おめでとうございます。

私の場合、学問の道に進むことを、最後の最後まで父親に反対されました。
「考古学なんかやっていては食っていけない!」というのです。
まず、大学進学の時に、一悶着ありました。
父親は経済学部か商学部という「実学」のところに行けという。私は文学部に行きたいという。
泣くような気持ちで何度も頼んだ結果、なんとか、学部だけは、ということで許してもらいました。
次は大学卒業の時。私は院に進みたいという。親は絶対ダメだという。
この時は、父の体調が悪化していたこともあり、私は進学を断念し、家の商売に携わることになりました。
2年後、入退院を繰り返していた父が亡くなりました。
葬儀を終えて後、残された母とじっくりと話し合いました。
自分なりに悪戦苦闘したが、どうやってみても自分は商売には向いていないこと。
学問への想いを断ち切ることはどうしてもできないこと。
自分の進む道は、これしか残されていないこと。
そこでやっと、私は学問の途に戻ることができたのです。
だから、私の履歴は、大学卒業後の2年間が空白になっています。

私は、試行錯誤・暗中模索を繰り返しながらも、なんとかここまでやってくることができました。
いろんな方々に支えられてきたことは事実ですが、根底にあるのは、ここまでの反対を押し切ったのだから、どうしても挫折するわけにはいかない、しがみつくしかない、という気持ちだったと思います。
その分、「強く」なれたのでは、と思っています。

上に書いたような経験をしてきた私は、スムースに院に行き、そのまま学問を続けることができた方々に「嫉妬」のような感情を抱いています。
逆に、有村さんのような話を聞くと、つい身につまされてしまい、エールを送りたくなります。
がんばれ!!!

おめでとうございます!

平田樹理
No.4142

有村さん、おめでとうございます!

私も九州出身(福岡)です。ひとり九州から上京したときは不安でしたが、京都で体感しながら歴史学を学ぶことはとても意義のあることだと今は思います。
それと、意外に関西には九州人が多かったりしますよ(笑)。
先日はご挨拶のみで失礼してしまいましたが、また来年お会いできることを楽しみにしております。

合格おめでとうございます。

山岡 瞳
No.4143

 ★☆有村さん合格おめでとうございます☆★
私信でも申し上げましたが、またお目にかかれることを楽しみにしております。来年は研究会にもお越しください。  

>佐伯さん・岩田さん
 先日はお疲れ様でした。一日宇治を堪能することができました。翌日筋肉痛になったのは私だけでしょうか。

おめでとうございます☆

No.4149

出遅れましたが・・・
有村さん、合格おめでとうございます。
環境が変化は大変な事もあると思いますが、楽しみも多い事と思います。
その「楽しみ」の一つとして、女子コン(注1)にも是非参加して下さいませ♪

注1:女子コン(じょしこん)。
   野口ゼミに参加する女子だけで美味しい物を食べて、おしゃべりを楽しむ会合のこと。「女子」の定義は、自己の証言による。

宇治市街遺跡で摂関家別邸遺構検出。

No.4127

 宇治市宇治里尻(JR宇治駅近く)の宇治市街遺跡の発掘調査地(3千平方㍍)内の南西部分(3百平方㍍)で、平安後期の貴族邸宅の遺構(柱穴・礎石など)がみつかり、大型縦板組井戸や大量の土師器皿・平等院と同じ唐草文様の軒瓦が出土したとのことです。
 宇治市歴史資料館のコメントによると、藤原頼通の別業宇治殿や池殿が候補にあげられるとのこと。また、ここは宇治に於ける別業邸宅群の想定範囲より約3百㍍北に位置するために、現在わかっている範囲でも東西2㌔、南北7百㍍以上ということになり、平泉に匹敵する規模に近づいているということです。
 私は、これまで摂関院政期の宇治が平安貴族の雅(みやび)な別荘地といったイメージによって、都市として過小評価され過ぎてきた(規模・機能とも)と考えていますので、この成果には肯けるものがあります。
 現地説明会は23日午前10時から15時30分まで。

 ☆ 来年度、共同研究に参加されるメンバーは、ぜひ見学しておいて下さい。
 なお、上の情報は本日付の京都新聞および朝日新聞(南京都版)によるものです。ちなみに、朝日新聞にはヘルメット姿の大原さんの写真が掲載されています。

Re: 宇治市街遺跡で摂関家別邸遺構検出。

No.4128

さきほど宇治市歴史資料館へ電話をしてみました。
場所は、ユニチカの敷地一部(売却地)だそうで、一番宇治川に近いあたりのようです。
先日、JR宇治駅の南東で、院政期の道路が出ましたが、今回は駅の北側の一帯です。
ユニチカの敷地あたりには、何もないかも、という話もありましたが、やはりあった。
すごいですね。宇治は、院政期最大の権門都市かもしれません。
明日、私も現地説明会に行く予定です。
なお明日は、JR宇治駅から、案内板が出ているそうです。

院政期最大の権門都市

No.4129

 美川先生、情報のフォローをありがとうございました。
 まだ私は都市論研究の「かけ出し」ですが、美川先生の御指摘のとおり、宇治は白河・鳥羽などよりも地に足の着いた、たいそうな権門都市であったと思っています。
 中世前期の宇治については文献史料も豊富ですから、面白い研究が出来るものと楽しみにしています。
 当ゼミの共同研究にたいする美川先生の御指導、よろしくお願い申し上げる次第です。

 >ゼミメンバー諸姉兄  ゼミで使用するための図書や消耗品など、購入希望のものがありましたら、遠慮なく御連絡下さい。月末までにお願いします。

 >来年度共同研究のメンバーの諸姉兄  個別のテーマ、研究計画・方法などの御連絡、お忘れなきようにお願いいたします。26日締切です。

 >山内さん  後期の予定について、他の大学の方たちはすでに明らかになっているとのことですから、例会などの日程調整、よろしくお願いいたします。

Re: 院政期最大の権門都市

No.4132

行ってきましたよ。なんて広い発掘現場でしょう。
過去の宇治市街遺跡では最大規模で、南北60m、東西50m。

中央東西方向に幅17m、深さ70cmの流路。
自然の河川を改修して、園池とした平安後期の施設が目につきます。
そして南側に平安後期の塀跡柱穴、あるいは建物跡が。大きな井戸もあります。
そして、宴会で使用され廃棄された大量の土器。
北には巨椋池が広がっており、それに面した園池をともなった大規模な邸宅です。
JR北側のこのあたりは湿地で、たいした遺跡がないと思われていたのですが、
予想外です。こんな立派な貴族邸宅跡が遺されていたとは。

ここを含めると、宇治市街遺跡は南北700m以上、東西2km以上におよびます。
鳥羽や白河が1.5km×1kmぐらいですから、それを上回る規模です。
鎌倉が南北2km 東西1kmぐらいで、それに近い規模です。
これからは、宇治と鎌倉、平泉などとを比較する視角が必要となるでしょう。

これからがおもしろい宇治でした。

やはり宇治は最大の「権門都市」でしょう。

No.4133

 遺構の検出地点は邸宅の付属施設のあったところのようで、中心部は東西南のいずれかに存在したもののようです。何れにしても、泉殿跡に比定されている矢落遺跡のあたりまで、巨椋池に面して摂関家関係の邸宅がならび、そこには船着きも完備されていたようです。歴史資料館の方が、京都から宇治に来るには、流れの激しい宇治川本流からよりも巨椋池が利用されたのではないかと仰っておられましたが、なるほどと思いました。今回検出された遺構の北を仕切る両岸に洲浜のつくられた流路は巨椋池と結ばれていたとのことです。
 こうしてみると、複合権門として栄華を誇った忠実期の宇治は、さぞかしの大都会であったように思います。摂関家に祗候した軍事貴族の宅もこの辺りにあったのかもしれません。
  
 本日、来年度の共同研究のメンバー数名とお目にかかりましたが、そのうちの一人、岩田君から研究テーマについて次のような回答を頂きました(要約)。 
 「宇治川北岸地域(木幡・黄檗・三室戸付近)と藤原氏との関係、及びその展開」がそのテーマです。藤原氏の葬地、祖先の祀られる地として、この地域を考える。そのために、古文書・古記録類から、木幡とその周辺地域に関する記述を蒐集し、その土地利用の在り方や、祖先祭祀の在り方に分析を加えたいということです。
 共同研究の地域的対象としては、宇治から木幡、さらには伏見までも視野に入れてもよいと考えています。
 岩田君のテーマ、了解いたしました。ほかの皆さんも早々にお知らせ下さるようにお願いいたします。
 なお、本日、現地説明会の際に、いつもの大原さん・京女の渡辺さんをはじめ、龍大4回生の大坪君、京女2回生の宮林さんなど、考古学に取り組んでおられる多くの若い方々の御挨拶を頂きました。本当に頼もしい限りです。

宇治市民ではありますが

No.4134

 恥ずかしながら今回初めて、宇治市内の発掘調査の現地説明会に伺いました。見たのは見たのですが、それが何を示すのかもっといろいろ勉強しないといけないと思ったのが、一番の収穫でした。すいません。

>野口先生 テーマのご紹介ありがとうございます。ご連絡しました通り、宇治には住んでいるだけであまりよく知らないことばかりですし、まずは各種事例を蒐集して、その上でいくつか気付くことがあればと思います。木幡は近所一帯ですし。
 研究テーマについては、また他のみなさんとも相談させて下さい。みなさんよろしくお願いします。

堪能しました。

No.4137

ばっちし朝の10時に、ゼミメンバーでは一番乗りを果たしました(笑)。
発掘調査の現地見学は久しぶりだったのですが、実に良い物を見せていただくことができて、本当に幸せでした。
現在発掘されている場所・出土したものだけではなくて、
今自分の足元には、いったい何が埋まっているんだろう?と思わせてくれる遺跡でした。
(現場の南側に、さらに邸宅跡がきっと広がっているはずですよね…)
邸宅の主要建築部分(寝殿等)がどのようなものだったのか、街路区画はこの地域まで整備されていたのか、などなど、
今後の更なる進展が楽しみです。

発掘現場に行く時は、たいていゼミの行事や授業の一環として行っていたので、
現地説明会に参加したのは初めてだったのですが、
現場の方々はみなさん本当に懇切丁寧に説明して下さいました。ありがとうございました。
そして、先生方にも詳しく説明していただけて、イメージを膨らませることができました。ありがとうございました。
来年度の共同研究に向けて、これからもいろいろな機会に参加していきたいと思います。

宇治研究の基本文献。

No.4139

 この機会に摂関時代~鎌倉時代の宇治を考える際に必備の参考文献を紹介します。
 ○『宇治市史』1「古代の歴史と景観」(1973年)、同2「中世の歴史と景観」(1974年)
  編集責任者:林屋辰三郎・藤岡謙二郎をはじめ、執筆者も一流の研究者をそろえ、自治体史としてはきわめて優れた内容であるが、残念なことにこの時代を対象にした資(史)料編は刊行されなかった。
 ○『宇治市史年表』編集責任者:林屋辰三郎(1983年)
  『宇治市史』とは別に単独の利用価値をもつものとして刊行された、史料台帳の機能をもつ本。まさしく必備!
 ○西山恵子(序文:村井康彦)『平安時代の宇治 王朝文化の語り部たち』(宇治市歴史資料館、1990年)
  著者は京女史学科出身。
 ○礒永和貴ほか『宇治をめぐる人びと』(同、1995年)
 ○杉本宏ほか『発掘ものがたり宇治』(同、1996年)
  上記3冊は宇治文庫というシリーズに含まれる。
 ○『佛教藝術』279特集「宇治の考古学・藤原氏別業の世界」(毎日新聞社、2005年)
 最新の考古学的成果はこれに網羅されている。文献史学の成果をリンクさせる必要を痛切に感じる。
 なお、宇治市歴史資料館では発掘調査の報告書類なども販売しています。当ゼミとしても相当数、購入の要ありです。

 ☆ 同志社女子大学の朧谷寿先生から、御共著『見果てぬ夢-平安京を生きた巨人たち』(ウェッジ)を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。

お知らせ

No.4124

宗文研のHPを稼働させているサーバを、今日リプレース&バージョンアップしました。
安定稼働するまでに数日かかると思いますが、何か不具合等がありましたらすぐにご連絡下さい。

京都女子大学、後期授業開始。

No.4125

>鈴木君 「リプレース&バージョンアップ」???ですが、何卒よろしくお願い申し上げます。

>山内さん  後期の史料講読会や例会の日程調整をよろしく。例会は講師依頼の都合もありますので。それから、当HPのトップページの「今月の予定」の方も更新してください。

>山田ちさ子さん  お誕生日おめでとうございます。私の高校時代からの親友の息子さんと同じ日です。

>岩田君 スレとレス、座布団一枚でしょうか。

>永富さん 自分の感動を伝えるのも教師にとっての大切な仕事であり、よろこびだと思います。 

 ☆ 後期授業開始で、大学構内の人口密度は一挙に高くなりました。大学コンソーシアム京都と同志社の講義もいよいよ来週から。どんな学生さんに出会えるか楽しみにしています。
 
 ☆ 今夏はゼミ旅行の他にも、何かとイベントが多く、ゆっくり休んだ記憶がありませんが、論文について言えば、執筆2本(うち1本は未提出)、修正1本、校正1本しかなく、しかも不本意な内容ばかりで、いよいよ耄碌を自覚せざるを得ません。これらの論文は年末から来年春までの間に相次いで刊行される予定ですので、よろしく御批判下さい。

 ☆ ところで共同研究の個人テーマですが、このようなテーマが提出されています。
  テーマ:鎌倉初期(1180年~1220年ごろ)宇治史料集の作成
  方法:当該期の古記録・古文書から関係史料をさがす。
 言うまでもなく、長村君からですが、これは絶対に必要なテーマだと思います。他の
方々も、早々にお知らせいただきたくお願い申し上げます。

 それにしても今日の京都は蒸し暑い。各地いかがでしょうか?

国際会館にて

No.4121

 今日はバドミントン部の練習試合のため、日曜日なのに朝早くから同志社高校へ向かっていました。
 すると、地下鉄国際会館駅前のバスプールに、でっかい観光バスがとまっていて、周りには人だかりが出来ていました。「うーん、うっとおしいなぁ」と思いながら通り過ぎようとしたところ、バスの前面表示があり「京都精華大学 堤ゼミ」と書かれていました。そーっと通り過ぎると、末松さんを発見しました☆
 大学はまだまだ夏休みなんですね...。学校は中間テストまで折り返し地点を過ぎてしまいました(ヤバイヤバイ)

 あまり飛行機にのる機会がなかったので、YS11は乗ったことはないのですが、法改正で安全装置の設置が義務づけられ、それを搭載することが出来ないYS11は引退となるそうです。戦後準国産で作られた最後の旅客機は、きっちり作りすぎて長持ちしすぎだったようです。寿命半分コスト半分とすれば、日本の旅客機製造の業界も変わったかもという記事も見た記憶があります。父は「はばたく飛行機やね」と言っていますが...

 偶然の遭遇がうれしかったので、書き込みしてしまいました。勉強会ご苦労様でした☆
 

吾妻鏡のご案内

No.4122

 岩田です。YS-11(「はばたく飛行機やね」は至言だと思います)でもなんでもなく、スレ違いかもしれませんが、なんだかレスが少なくて寂しいので、吾妻鏡のご案内です。

 後期からまた『吾妻鏡』を読もうと思います。
 曜日は、前期と同じく月曜日の予定です。時間も、特に不都合無ければ15:30~で行います。

 範囲ですが、ちょうど建保元年の和田合戦に差し掛かるあたりですので、順を追って読んでいくのが良いと思います。そこで以下の通り考えてみました。

建保元年三月六日、八日、九日、十日、十六日、十九日、廿一日、廿三日、廿五日、廿八日、三十日

 『国史大系』でいうと、P.676~P.678のあたりです。
 ちょっと多いかも知れませんが、適宜次回以降に持ち越すなどして読んでみましょう。
 また、ご意見などは随時お知らせください。

すれ違いのレス。

No.4126

 鈴木教諭、御苦労様です。私も昔、バスケット部の練習のために日曜日の早朝、千葉から柏まで出掛けたことがあります。博士論文執筆の年でした。
 
 精華大の堤先生のゼミは貸し切りバスでゼミ旅行でしょうか?
 
 ○『吾妻鏡』講読会の参考文献
  岡田清一「執権制の確立と建保合戦」(安田元久先生退任記念論集刊行委員会編『中世日本の諸相』下巻、吉川弘文館、1989年)
 
 この史料講読会、立花さんの卒論に役立ちそうです。鹿児島の黎明館でお目にかかった四回生の小野さんも卒論のテーマが女院・建礼門院とのことなので参加をお誘いしておきました。大内さんをはじめ、ほかの皆さんもどうぞ。
 また、例会で卒論の発表をお願いする予定です。