国際会館にて

No.4121

 今日はバドミントン部の練習試合のため、日曜日なのに朝早くから同志社高校へ向かっていました。
 すると、地下鉄国際会館駅前のバスプールに、でっかい観光バスがとまっていて、周りには人だかりが出来ていました。「うーん、うっとおしいなぁ」と思いながら通り過ぎようとしたところ、バスの前面表示があり「京都精華大学 堤ゼミ」と書かれていました。そーっと通り過ぎると、末松さんを発見しました☆
 大学はまだまだ夏休みなんですね...。学校は中間テストまで折り返し地点を過ぎてしまいました(ヤバイヤバイ)

 あまり飛行機にのる機会がなかったので、YS11は乗ったことはないのですが、法改正で安全装置の設置が義務づけられ、それを搭載することが出来ないYS11は引退となるそうです。戦後準国産で作られた最後の旅客機は、きっちり作りすぎて長持ちしすぎだったようです。寿命半分コスト半分とすれば、日本の旅客機製造の業界も変わったかもという記事も見た記憶があります。父は「はばたく飛行機やね」と言っていますが...

 偶然の遭遇がうれしかったので、書き込みしてしまいました。勉強会ご苦労様でした☆
 

吾妻鏡のご案内

No.4122

 岩田です。YS-11(「はばたく飛行機やね」は至言だと思います)でもなんでもなく、スレ違いかもしれませんが、なんだかレスが少なくて寂しいので、吾妻鏡のご案内です。

 後期からまた『吾妻鏡』を読もうと思います。
 曜日は、前期と同じく月曜日の予定です。時間も、特に不都合無ければ15:30~で行います。

 範囲ですが、ちょうど建保元年の和田合戦に差し掛かるあたりですので、順を追って読んでいくのが良いと思います。そこで以下の通り考えてみました。

建保元年三月六日、八日、九日、十日、十六日、十九日、廿一日、廿三日、廿五日、廿八日、三十日

 『国史大系』でいうと、P.676~P.678のあたりです。
 ちょっと多いかも知れませんが、適宜次回以降に持ち越すなどして読んでみましょう。
 また、ご意見などは随時お知らせください。

すれ違いのレス。

No.4126

 鈴木教諭、御苦労様です。私も昔、バスケット部の練習のために日曜日の早朝、千葉から柏まで出掛けたことがあります。博士論文執筆の年でした。
 
 精華大の堤先生のゼミは貸し切りバスでゼミ旅行でしょうか?
 
 ○『吾妻鏡』講読会の参考文献
  岡田清一「執権制の確立と建保合戦」(安田元久先生退任記念論集刊行委員会編『中世日本の諸相』下巻、吉川弘文館、1989年)
 
 この史料講読会、立花さんの卒論に役立ちそうです。鹿児島の黎明館でお目にかかった四回生の小野さんも卒論のテーマが女院・建礼門院とのことなので参加をお誘いしておきました。大内さんをはじめ、ほかの皆さんもどうぞ。
 また、例会で卒論の発表をお願いする予定です。

お礼、遅くなりました

No.4118

>勉強会ご参加のみなさん
 9/10~9/14までの勉強会へのご参加、ありがとうございます。予習もきつかったと思いますが、それぞれの担当を全うして下さったことに感謝です。今回扱った保元新制も文覚起請文も、自分の言い出しっぺで、しかも自分が一番楽しんでしまったように思いますが。また機会を見つけていろんな史料を読みましょう。

>有村さん
 鹿児島-京都の長旅に院試にと、おつかれさまでした。試験の緊張も解けぬなか、〈まんぞう〉までお出でいただいてありがとうございます。
 宴を手配してくれた山岡さんも、ご多忙のなか東京でのご発表に有村さんのご案内の佐伯さんもありがとうございます。

>吾妻鏡について
 後期の日程は現在調整中ですが、当初予定していた9/26は岩田も含めてみなさんの都合が悪そうですので、一回目は10/3になりそうです。

中原俊章『中世王権と支配構造』刊行。

No.4119

 院生の頃から、抜刷や書信を通して、学問に立ち向かう上での励ましと刺激を与え続けていただいている中原俊章先生から新刊の論文集『中世王権と支配構造』(吉川弘文館)を御恵送いただきました。関西学院大学に提出された博士論文をベースに編集されたもので、「中世の采女について」という新稿を含みます。
 このところ停滞気味の私としては、またしても中原先生に背中を押していただいた感があります。中原先生にあつく御礼申しあげます。

 また、山田邦和先生から『古代文化』掲載の「福原遷都の混迷と挫折」抜刷を御恵送いただきました。御丁寧なお心遣い、あつく御礼申しあげます。

 >有村さん  今時そんなに先輩思いの学生さんがおられる鹿児島大学は本当に素晴らしいと思います。鹿児島の方たちには、今こそ「維新」に立ち上がってほしいものです。
 近々御上洛の折、お時間があれば、今度は京都女子大学の方にもお越し下さい。

 >岩田君・山本君  後期の『吾妻鏡』、よろしくお願いいたします。

 >薗田さん  YS11、「これが飛行機だ!」という感じです。国産です。   

京都文化博物館「日本三景展」始まる

伊 藤 太
No.4117

 山 城郷 土資料 館の伊 藤です。
 中世史関連の展覧会のお知らせです。

 古くから歌枕、名所として親しまれてきた日本三景(天橋立・厳島・松島)を描いた中世から近現代に至る絵画を一堂に集めた初めての展覧会「日本三景展」が9月13日から京都文化博物館で開催されています(10月16日まで。なお、10/2までの前期と10/4からの後期で大幅な展示品の入れ替えが行われます)。
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html
 出品点数は3会場あわせて135、天橋立図だけで43点(うち複製1点)を数え、なかでも中世の天橋立(及び丹後国府、守護所府中)を描いた作品のすべて(6点、うち雪舟『天橋立図』のみ複製)が展示されます。
 また、三景を描いた絵画の他、国宝「平家納経」や国宝「海部氏系図」(後期)など関連する社寺の資料も出品。
 私は「雪舟『天橋立図』は(一色氏の守護所丹後府中を描いた)都市図である」という主張を繰り返してきましたが、今回展示を見て、天橋立、厳島、松島とも「霊場」としての共通性をもち、あるいは王権や国府との関係において、あるいは「境内都市」としての発展において、王権論や都市論の立場からも論じられてしかるべき地であると実感しているところです。
(9月23日にはシンポジウム「日本三景の過去・現在・未来」があります。)
 とにかく、史上初の「日本三景展」です。
 屏風絵など大画面の作品が多いですから、その情報量たるや甚大。洛中洛外図の展覧会と同じく図録だけでは高密度な絵の情報を読み切れません。ぜひ会場で実物をご覧になりながら「三景とは何か?」「名所とは何か?」と思いをはせていただければ幸いです。
(なお、「日本三景展」は10/25~11/27、東北歴史博物館に巡回します。)

幸せ者。

有村芳恵
No.4115

つい先ほど、鹿大の演習室に無事帰還致しました。まだ学校に残っていらっしゃった金井先生に御報告を済ませ、その後で日本史研究室のある後輩と会ったのですが、何か様子がおかしいのです。京都での出来事を日を追って話していたら、院試の一次試験が受かったことをまだ後輩たちの誰にも知らせていなかった事に気付きました。後輩は、私の院試の結果が心配のあまり、ここ4日ほど睡眠も十分にとれず、ほとんど食事が喉を通らなかったそうで、若干やつれていました。そんなに後輩が心配しているとは思いもよらず、私は、院試は別として結構呑気に京都を楽しんでいたのと、一方で院試後の忙しさにかまけていたのが災いして連絡をしていなかったので、後輩に余計な心配をかけてしまった事を猛反省しました。と同時に、こんなに後輩に心配してもらって、私は幸せ者だなあ、としんみりしてしまいました。心配をかけたお詫びに、今日は後輩の言う事を何でも聞こうと思います。心配かけて、ごめんなさい。

野口先生
14日は私の歓迎会を開催していただきありがとうございました。また、大切な御本と「紫苑」を鹿大の日本史研究室に寄贈していただきました事にあつく御礼申し上げます。また後ほど、乕尾先生に御報告いたします。

歓迎会にお集まりいただいた皆様
14日は皆様のおかげで楽しい時間を過ごす事が出来ました。お忙しい中で集まってくださったことに本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

来年、野口ゼミの皆様の御元に参上が叶いますように、後は朗報を願うのみです。

お疲れさまでした&お会いしたかったです!

No.4116

有村さん、院試お疲れさまでした。
親身になって心配してくれる後輩がいらっしゃるようで、羨ましい限りです。
14日の歓迎会も、行けずに申し訳有りませんでした。
また来年、きっとお会い出来ると思って、楽しみにしています☆

おひさしぶりです

No.4123

遅ればせながらですが、院試おつかれさまでした。
鹿児島へ行った際にはお世話になったにもかかわらず歓迎会に行けず申し訳ありませんでした。
鹿児島での思いではばっちり授業の「ネタ」となって大活躍しております。
そのたびに鹿児島大の皆さんのことを思い出します。皆様お変わりありませんでしょうか?(もちろんラーメンのことも思い出しては食べたい衝動にかられています・・・笑)

またお会いできる日を楽しみにしています

「一所傍輩のよしみ」を作りましょう。

No.4109

 先般の中世都市研究会京都大会の懇親会でお目にかかることの出来た桃崎有一郎さん(慶大院DC)から御高論「中世里内裏の空間構造と「陣」-「陣」の多義性と「陣中」の範囲-」(『日本歴史』686)、「中世公家社会における路頭礼秩序について-成立・沿革・所作-」(『史学雑誌』114-7)を御恵送いただきました。まさに脂ののりきった矢継ぎ早の論文の発表、羨ましい限り。あつく御礼申しあげます。
 なお、同封のお手紙に「関東と関西では-特に王権論・武士論などにおいて学説・共通認識の大きな懸隔があることを感じざるを得ませんでした」とあったのはまさにその通りです(私信の公開、お許し下さい)。
 このたび、佐伯君が歴研例会で報告されたように、東西の院生クラスの交流は是非とも積極的に進められるべきだと思います。中世前期の東西の武士同士の方が余程交流があったのではないかと、私には思えるのです。 

 ↓で話題沸騰。大河ドラマなどより百倍も知的興奮の味わえる山田邦和先生の「福原遷都の混迷と挫折」の要旨が、http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/に掲載されています。御覧下さい。

 * 誰も書き込まないので、お伝えいたしますが、本日、勉強会の最中に「サン様」から岩田君の携帯にメールが届き、明日御上洛の由です。カメラを用意して、お待ちしましょう。
 明日からはいよいよ「文覚起請文」、楽しみです。
 ちなみに、私の論文はいっこうに進みません。情けない限りです。

サワヤカマンの略。らしい

No.4110

 本日は勉強会の最終日。文覚起請文の残りの部分と、研究史的位置付けを議論する予定です。なかなか取っつきにくい史料でしたが、みなさん意欲的に取り組んでいただきありがとうございます。
 また昨日は、当ゼミの微苦笑の貴公子・サンさまにもご来場いただき、近況をお聞かせいただくとともに、またもやお菓子をいただきました。ごちそうさまです。

喚ばれて飛び出て…

No.4111

みなさんこんにちは。ご無沙汰しております。「サンさま」こと野口です。

先日は突然の来訪にもかかわらず温かく迎えていただきありがとうございました。やはり京都はいいものですね。久しぶりにゼミの雰囲気も体感でき非常に懐かしく思いました。
最近どうにか家の方も落ち着きようやく自由に活動できるようになりました。御心配いただきました皆様どうもありがとうございました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
また前期のように頻繁に上京する事になると思いますが、新しいメンバーの方も含めてどうぞ今後ともよろしくお願いします

因みにどうでもいい事ですが次の上京は今週日曜日の予定です。目的は週末に各地で行われる仲秋の名月に因んだ観月祭です。まだどこに行くかは未定ですが毎年楽しみにしていたので間に合ってよかったです。
京都には季節にあわせて毎日のように他では見られないような素晴らしい行事が行われています。みなさんも(特に下宿中の学生さんは)これを機会に京都にいる幸福を体感してみて下さい。
愛知にいながら常に心が京都に向かう野口がお伝えしました。

有村さん歓迎会=「一所傍輩」の成立。

No.4112

 昨日は勉強会の最終日。神護寺の虫払いのときに何度も拝見していたのですが、文覚起請文がこんなに面白い史料だとは気がつきませんでした。岩田君の御指導と、熱心に発表の準備をして参加してくれたメンバーに感謝します。
 終了後は京阪七条の「まんぞう」で有村さんの歓迎会。院試が終わったばかりでお疲れの所を、お呼び立てした感があって申し訳ありませんでしたが、同郷の薗田さんもお出で下さって楽しい宴となりました。ただ、学期の授業がはじまっているために、学校の先生をされているメンバーが参加できなかったのが些か残念でした。
 いずれにしても、有村さんからの朗報を期待するところです。
 幹事の山岡さん御苦労様でした。

 >野口君 「京都史蹟案内」のプロとして、貴兄の在京は貴重です。ぜひ、「在地支配」と「在京活動」を両立させてください。

 ☆ 昨日、門屋君の師匠である兵藤裕己先生より、講談社学術文庫として再刊行された『太平記<よみ>の可能性』を御恵送いただきました。あつく御礼申しあげます。
 まだお読みでないメンバーは、これは必読。

お疲れ様でした。

平田樹理
No.4113

 勉強会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
とくに、準備から指導まで御尽力くださった岩田師範に御礼を申し上げたいと思います。
大変勉強になりました。本当にありがとうございました。
 終了後の飲み会では御挨拶しかできませんでしたが、初めて有村さんにお目にかかることができ、大変嬉しく思いました。またの機会にお会いできることを楽しみにしております。

無題

No.4114

昨日は楽しい宴に参加させて頂き、ありがとうございました。
仕事を終えて猛ダッシュで駆けつけましたが、疲れも飛ぶくらい楽しいひとときでした。
また、しばらくお会いしていなかったので、みなさんお元気のご様子に安心いたしました。
有給がとれる身分になったらゼミ旅行にも同行いたしたく存じますので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

>有村さん 
忙しいところ、おつかれさまでした。
研究室の写真など見せて頂き、とても懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
なかなか研究室にも伺えず申し訳ありませんが、先生方にもどうぞよろしくお伝え下さい。

ところで昨日は思いの外YS11の話題で盛り上がりましたね。
引退間近とのことなので、乗れるうちにスリルを体感するぞ~と心に誓いました。

観月祭のお知らせ

No.4120

先日少しお伝えした観月祭について数件お問い合わせがありましたので、勝手ながらこちらに詳しく載せさせていただきます。

大覚寺9月16日~18日
右京区嵯峨にある大覚寺境内の大沢池は日本三観月池の一つとして知られ、仲秋の時期に池に竜頭鷁首の舟を浮かべ名月を鑑賞する会が行われています。舟席は茶付き1200円。船上から眺める月はまた格別の趣があります。もちろん舟に乗らずに池の周りを歩きながら見るだけでも充分楽しめます。またこの期間大覚寺では本堂の夜間特別拝観も実施しています。昼間とは異なるお寺の雰囲気を味わうのもまた乙です。その他境内では詩歌管弦の演奏会も行われ優雅な祭を一層盛り上げてくれます。
明日は僕も日没後から大覚寺辺りをぶらぶらする予定なので、もしご入り用なら時間さえあえばガイドする事もできます。興味のある方は一度ご連絡下さい

次に下鴨神社。こちらは18日だけですが、御手洗川の上に建てられた橋殿で行われる「名月管弦祭」を鑑賞する事が出来ます。雅楽舞楽を中心としたこの祭は平安時代より続いているそうで一般に公開されたのは昭和38年からだそうです。また神社の南、糺の森から見上げる月もまた格別かと。

その他では上賀茂神社、平野神社、松尾大社などでも同様の観月祭が行われています。それぞれに趣があり中には月見団子や月見酒などの接待を受けられるところもあります。

最後に変わり種として府立植物園も紹介しておきます。ここも18日で日没後から園内の大芝生地で音楽会を聞きながら月を鑑賞する事ができます。夜の植物園を見れる機会もあまりないと思うので話のネタにでも是非どうぞ。静かな園内はデートにもいいですよ

観月祭はいつでもいけると思ってるそこのあなた!気をつけた方がいいですよ。仲秋のこの時期は意外と雨が多いので注意が必要です。幸い明日は大丈夫なようなので興味のある方はこれを機会に是非どうぞ。特に学生のみなさんは京都にいる幸福を実感できるいい機会だと思います。きっと忘れられない思い出の一つとなる事でしょう。
長々と失礼しました

しろくまツアー打ち上げ 最終決定情報

No.4098

しろくまツアーの打ち上げ&プリンセス生誕祭のお店が、やっと決まりました。
人数が増えたので、意外と手こずり、遅くなってしまいました。申し訳ありません。

日時:9月10日(土) 18時30分~
場所:「ほっとけや 四条河原町店」http://r.gnavi.co.jp/k358700/

参加者は、野口先生、門屋くん、八井くん、辻くん、岩田くん、平田さん、尻池さん、山岡さん、鈴木くん、永富さん、山内さん、山田ちさこさん、國方さん、佐藤さん、私の15人です。大所帯です!

六条院のチケット

No.4101

 田中さん、いつもながらありかどうございました。
 佐藤さんが参加して下さるのは、ありがたいことです。

 ところで、京都文化博物館で開催中の「源氏物語と京都 六条院へでかけよう」のチケットが手もとに5枚ほどあります。明日までなのですが、本日は研究室。明日の午前なら高陽院跡の現説現場、午後なら研究室で私をつかまえて請求してください(つかまらなかったり、品切れの場合はご容赦下さい)。※ ゼミメンバーに限らず先着順です。

 ☆ 鹿児島の新地さんから、川辺は台風でとくに被害がなかったとの御連絡を頂いて、安心しました。本来ならゼミ旅行の打ち上げにお招きしなければならないのですが。
   メンバー有志は新地さんのHPの掲示板にでも・・・。  
      http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/6167/

四条河原町の風雲。

No.4105

 昨日はゼミ勉強会初日。
 レジュメが学会の研究会なみのレベルになってきた。平田さんの史料よみは立て板に水の如しで、こちらがついていけなくなった。岩田君の指導ぶりは、例のごとく実にうまい。最近執筆した拙論の内容を口走った私に対する長村君の批判は当たりすぎていて参った。
 といった具合で、最近のメンバーの成長ぶりには驚かされました。あと三日間、楽しみです。
 この時間、東京は本郷の東大史料編纂所では、ちょうど佐伯君が研究報告の最中だったはずですが、常々、この場に集ってくれている若者たちが、東西相呼応して日ごろの成果を示されたものか・・・などと私は感慨にふけっておりました。

 来年度からの共同研究の説明会には、「研究協力者」参加希望者全員が集まれませんでしたが、学部生も加えて、今後のゼミの方向も含めてお話しをさせていただきました。この方針は混迷の末に見出した一条の光です。
 配布した資料の☆の件にたいする御返信、よろしくお願いいたします。
 不明な点は遠慮なく問い合わせてください。門屋君と田中さんはよ~く御相談下さい。大原さんには、メールでお送りしたいと思います。

 さて、そうこうしているうちに6時近くになったので「しろくまツアーの打ち上げ&プリンセス生誕祭」の会場のある四条河原町に向かおうとしたところ、時ならぬ雷鳴と豪雨。これでは、まさしく鹿児島の延長戦と相成った次第。
 ようやく呼び出しに応じてくれたタクシーに乗って大和大路を北上して四条河原町へ。会場にはすでに八井君やわさわざ香川からフェリーで駆けつけてくれた國方さんが来ておられました。なかなか良いお店で久しぶりに楽しい一時を過ごさせていただきました。
 この席で佐藤さんもゼミに初参加をいただき、ありがたい限り。高熱を押して参加された永富さんも流石でした(でも、くれぐれもお身体は大切に)。
 二次会は河原町通りに面した大きな喫茶店の四階。もう一つのグループとワンフロア貸しきり状態で、ここでも大いに盛り上がりました。鈴木君には「サン様」がうけたようです。そして、ゼミの回顧談にかかせないのは「3Y」の諸兄にまつわる数限りないエピソード。この場に全員不在なので、当然「言われ放題」となりました。ちなみに、『紫苑』特集号として「3Yエピソード1」が近日刊行との情報もあります。
 11時ころ、解散。私は師範代の岩田君と三条から帰りましたが、中書島で宇治行きに乗り換えるとき、四条から帰られたはずの佐藤さんと一緒になりました。そして、六地蔵までの6分の間に、佐藤さんの大変な経験談をうかがうことになりました。これは戦慄すべき内容で、いずれメンバーもうかがう機会があることでしょう。
 そのうち、当家では宇治在住の方々と、可能なら鈴木君もお招きして「茶月」のお寿司(岩田師範代の推奨)で宴会をやろうかと考えております。秋の満月の日など如何でしょうか。題して「宇治・頼政道の観月会」。
 
 >元木先生  お書き込みに「ビールが美味くない」とあったので、心配いたしておりましたが、昨夜は中ジョッキ8杯とのこと、いつもと御同様で正常です。安心いたしました。ちなみに、私が昨日四条の辺りで飲んだのはビール一杯とホット・コーヒー、それに若干の水でした。
 なお、最近の御様子では、山田先生も酒呑童子の一党に加わる資格は十分にお持ちのようです。
 さて、そうなると誰が頼光とその四天王になることでしょうか?そして安倍晴明は?

おつかれさまでした

国方茉伊
No.4106

皆さん、勉強会&打ち上げおつかれさまでした。
GW以来、私が関西に行く時は決まって雨が降るのですが、今回は非常に激しい大雨に見舞われてしまいました。しかし雨にも負けず、久しぶりにゼミメンバーの皆さんと楽しい一時を過ごすことができました。料理も地ビールも美味しかったです!! 声をかけて下さって、ありがとうございました。このままだと飲み会要員になってしまいそうなので、新しいポジション(?)を模索中です…。

しろくまツアー打ち上げ完了

No.4107

 しろくまツアーも、昨日の打ち上げで全予定を消化。打ち上げ幹事もお役御免のとなりました。皆さま、お疲れさまでした。
毎度の事ながらアバウトな幹事で、至らぬ点を反省しながらも、個人的には久々にお会いするゼミメンバーや、
初めてお会いした佐藤さんと楽しい時間を過ごす事が出来ました。
 久々に参加してくれた國方さんの要請につき、そのうち今年度未開催の女子コンもする事になりそうです。
女子の皆さまには、また後日連絡致しますので、よろしくお願い致しますね。

古文書学会大会のご案内

No.4090

 以下の要領にて古文書学会大会が開催されます。奮ってご参加ください。

会期 10月29日(土)公開講演、30日(日)研究発表、31日(月)見学会(原則的に会員のみ)
会場 29.30日京都産業大学 5号館5303教室

29日 公開講演 13時より(12時受付開始)
 永村真氏 「中世聖教の史料論」
 冷泉為人氏「冷泉家の歴史と文化」

30日 研究発表 9時半より(9時受付開始)
 1 河内将弘氏「戦国期祇園会の再興と『祇園会山鉾事』」
 2 河辺隆弘氏「来日宋海商慕晏誠の処遇に関する一考察 
          -『春記』記事を素材として-」
 3 谷 昇氏 「承久の乱における後鳥羽上皇の寺社政策
          -「四箇神領」の創出と熊野・賀茂・石清水社-」
 4 神野 潔氏「足利尊氏寄進状についてー日下署判と奥下署判」
 5 呉座勇一氏「交換型一揆契状と提出型一揆契状」
 午後の部(13時より)
 6 西本昌弘氏「平城上皇の灌頂と空海-正倉院出納文書の検討を中心にして」
 7 祢津宗伸氏「室町幕府開創期の引付方・禅律方の存在形態
         -越後国奥山荘金山郷と  信濃国伊賀良荘開善寺の事例から」
 8 丸山和洋氏「慶應義塾大学所蔵 原本『八代日記』の紹介と研究」
 9 池内敏彰氏「『大乗院寺社雑事記』に見る土佐国幡多荘と『桃華蘂葉』の検討」
 10 山田貴司氏「大内義隆の大宰大弐任官」
 11 大塚俊司氏「戦国期大友氏の寺社政策と祈祷」
 12 上野秀治氏「御内書に見る津山松平家の家格」

 なお、非会員の方は参加費500円が必要です。


山田邦和「福原遷都の混迷と挫折」発表

No.4095

 元木先生 お久しぶりです。古文書学会の御案内をありがとうございました。

 元木先生・美川先生をお招きして6月4日に開催したゼミ研究会の場で御報告いただいた山田邦和先生の御研究の成果が、早くも『古代文化』57-9に掲載されました。平家によって遷都候補地とされた印南野京と小屋野京のプランがこれだけ具体的に示されたのは初めてでしょう。無論、こうした計画が挫折していく過程を追った叙述も面白い。
 考古学者にここまでやられては、私も須恵器の論文でも書かないと立つ瀬がありません。いずれにしても、山田先生のオールマイティぶりを遺憾なく示した好論です。もちろん、名誉ある巻頭論文、一段組の体裁です。
  
   『古代文化』は各号毎の購入も可能。定価800円(本体762円)、送料100円。
    申込先:(財)古代学協会 ℡075-252-3000

 ちなみに、次号(57-10)には、後期に例会報告をお願いしている樋口健太郎さんの「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」が巻頭論文で、またその次の号(57-11)には、当ゼミメンバー長村祥知君の「書評 三島義教著『三善康信』」が掲載される予定です。
 ゼミメンバーは、いずれも必読のこと。

Re: 古文書学会大会のご案内

No.4099

 古文書学会は興味深い報告が目白押しです。せっかく京都で開催されることでもあり、ぜひお越しください。懇親会にも参加されると、日本史研究会などであまり見かけない先生(それはお前だ、と言われそうだが・・・)もお越しになるかと思います。

 当方が最初に参加したのは1983年の立正大学のときでした。当時は、小葉田淳会長、宝月圭吾副会長の頃。懇親会では、竹内理三先生が、スピーチを当てられ、焼き鳥をくわえながら登壇されたり、瀧川政次郎先生が「古文書学会は、大正デモクラシーの時代精神を受け継ぎ、右にも左にも寄らない立派な学会である」と持ち上げられたり、政治経済史学会の彦由一太会長が「アメコウ、ロスケをやっつけるために古文書学をやらねばならぬ」とか何とかわけの分からない演説をしたり、まあ印象的でした。
 そのほか、村田正志、小川信、飯倉晴武と言った方々を初めてお見かけしたのも古文書学会でした。
 なお、残念ながら、本屋は日本史研究会ほどには来ません。
 
 今年度大会の実務、運営のお手伝いをお願いしている方々、何卒よろしくお願いいたします。

 学問をやっておられる方々が、本当にうらやましい限りです。
 何ともやりきれない会議で、連日9時から22時まで拘束され、すっかり体調がおかしくなってしまいました。
 いかに体調が悪いかと言えば、ビールがまずく思えるのですから、ただ事ではありません・・・。
 今夏は成果なしかもしれません。こんなことばかりやっている大学がまともなところであるはずがありません。

「福原遷都の混迷と挫折」刊行

No.4102

 野口先生にご紹介いただいた通り、拙稿「福原遷都の混迷と挫折」が掲載された『古代文化』第57巻第9号が刊行され、昨日、手元に届きました。春の「『福原京』の都市構造」と合わせ、私なりに一生懸命とりくんできた「福原京論」をとりまとめることができました。
 もちろん、私ひとりの力でできあがったものではありません。野口先生には本当に親身な御指導を賜ることができました。野口先生があたたかく見守ってくださったおかげです。
 それでも不安だったので、野口先生に無理をお願いして、京女宗文研ゼミで報告をさせていただいたのはご承知の通りです。元木先生、美川先生、野口孝子先生をはじめとして、多大のご教示をいただくことができました。美川先生には、私の史料の読み方の間違いをお教えいただき、危ういところを救い上げていただけました。
 さらに、福原論の最高権威ともいうべき元木先生から受けた御恩も忘れることができません。私の拙い説の中には、元木先生のお考えと矛盾するところがあります。それにもかかわらず、「胸を貸して」いただき、「稽古を付け」ていただいたようなものです。さすがは元木先生、私説の弱点を的確にご指摘いただき、私も反省することしきりでした。今回の論文にはそうした先生方のご教示を活かすことができたのではないかと思います。
 もうお一方をあげるならば(この掲示板には御登場なさいませんが)、神戸大学の高橋昌明先生です。高橋先生はいつも、私の粗雑な福原論を困ったような顔で聞いていただき、その後ではかならず、いろんな新しい見解と史料を教えていただけました。

 研究を通じて、人と人とのつながりが広がっていくからこそ、学問は楽しいのだと思います。やめられませんね。

「福原遷都の混迷と挫折」

No.4103

 山田先生、昨日は遅くまでお付き合いいただき、有難うございました。
 早くも8時半に書き込まれたとのこと、当方はまだ昨夜のアルコールが抜けず、床の中でした(苦笑)。あの程度(中ジョッキ8杯、小ジョッキ1杯)で二日酔いとは情けない限りです。加齢と最近の疲労が重なったのかもしれません。

 玉稿、本日拝読しました。
 当方の見当はずれな意見にも真摯に耳を傾けていただき、過分の謝辞を賜り恐縮に存じます。
 昆陽野遷都案の評価、『玉葉』8月4日条を通した高倉院の役割の見直し、清盛の内裏造営と正当性の問題など、これまでにない新知見であり、福原遷都に関する議論を大きく進めるものと存じます。
 もちろん、清盛と高倉の関係は治承3年政変から長い眼で検討する必要もあります。8月後半に清盛が表に出るのはなぜかと言う問題もさらに議論が必要でしょう。遷都と内乱の問題は、還都後の清盛の政治構想・動向も含めて、議論してゆきたいと存じます。
 いずれにせよ、福原遷都と平氏政権の議論を活性化する大きなきっかけになるものと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 しかし、歴史家の音楽好きは珍しくもありませんが、自らオペラを演ずる方は貴重ですね(山田先生のブログ『平安京閑話』参照)。
 オペラ歌手がいるなら、対抗して歴史家の俳優を養成して、理想的な時代劇を上演する、なんてことはありえないか・・・。
 余談ですが、某大河ドラマでは、驚くべきことに屋島合戦で資盛が継信を討ち取ると設定になっていたとのこと。政局に符合させるようにご子息がご活躍のようで、色々考えさせられます・・・。
 

Re: 「福原遷都の混迷と挫折」

No.4108

>元木先生

こちらこそ、先日は楽しいお酒をありがとうございました。
(事情を知らない方はわからないでしょうが、市内某所で密会しておりました)。
それにしても、元木先生があれほどにクラシック音楽通とは、まったく知りませんでした。また、ご一緒させていただく楽しみが増えました。

拙稿「福原遷都の混迷と挫折」についても、本当にありがとうございました。ご指摘の通り、平氏政権論、高倉院政政権論、福原遷都論は、治承4年だけではなく、それ以前からのもっともっと長いスパンで考えていかねばならないと思います。またじっくりと考え直してみたいと思っておりますので、こちらのほうでもよろしくお願いいたします。

夏の勉強会について、またお知らせ

No.4089

 しつこいですが、今週末からの勉強会のお知らせです。

◆日程は、9/10(土)、12(月)、13(火)、14(水)、の四日間です。
 各日とも、13:00~開始予定、L校舎3階共同研究室で行います。

 9/10(土):「保元新制」史料解釈(『平安遺文』2876、2851)
        担当:山岡さん(平2876)、平田さん(平2851)
 9/12(月):「保元新制」研究史整理
        担当:尻池さん
 9/13(火):「文覚起請文」史料解釈(『平安遺文』4892)
        担当:岩田、山本さん、山田さん
 9/14(水):「文覚起請文」研究史整理
        担当:山内さん

◆参考文献はこちら
>保元新制
  水戸部正男『公家新制の研究』創文社.1961.
  棚橋光男『中世成立期の法と国家』塙書房.1983.
  五味文彦『院政期社会の研究』山川出版社.1984.
  今正秀「保元荘園整理令の歴史的意義-平安後期荘園整理政策をめぐる政府と権門-」『日本史研究』378.
  佐々木 文昭「公家新制についての一考察-保元元年新制から建久二年新制について」『 北大史学』19.1979.
  鈴木敏弘「保元元年新制と荘園整理」(中野栄夫編『日本中世の政治と社会』)
  遠藤基郎「院政の成立と王権」『日本史講座3中世の形成』東京大学出版会.2004.
  下郡剛「後白河院政期新制の基礎的考察;保元年間から承安年間にかけて」『立正史学』87.2000.
  飯倉晴武「「武者の世」の到来」(橋本義彦編『古文書の語る日本史2 平安』筑摩書房)

 >文覚と神護寺
  西岡虎之助『荘園史の研究』岩波書店.1953.
  上横手雅敬「院政期の源氏」(『御家人制の研究』)
  赤松俊秀「文覚説話が意味するもの」(『平家物語の研究』)
  山田昭全「僧文覚略年譜考」(『立教大学日本文学』12)
  平雅行「中世寺院の暴力とその正当化」(『九州史学』140)

◆「保元新制」の研究史整理は、今正秀「保元荘園整理令の歴史的意義-平安後期荘園整理政策をめぐる政府と権門-」『日本史研究』378.の分析を中心に行う予定です。今論文を中心に、適宜予習をお願いします。
◆9/10(土)は、共同研究計画の打ち合わせ・しろくま打ち上げ・山内さんの降誕会などの催しがありますので、16:00過ぎに終了の予定です。当日読み切れなかった分は次の日以降に持ち越しとなりますのでご了承ください。
◆9/14(水)も18:30~有村さんの歓迎会が予定されておりますので、ほどほどのところで切り上げます(議論はしっかりやります)。

◆いちおう人数を把握したいので、参加をご希望される方は岩田宛にご等連絡いただくか、当掲示板へ書き込みにてお知らせください。また、史料である『平安遺文』の2876号・2851号、4892号の文書を各自でお手元にご用意ください。

>佐伯さん 東京での研究報告、おつかれさまです。
>山本さん 先日の中世都市研での野口先生の発表にも疑問点を感じられたそうですが、勉強会参加者も巻き込んで意見交換しましょう。それから、『太平記』第32話までのビデオできました。持って行きます。先日お話した本もよろしくお願いします。
 あと、ぼちぼち『吾妻鏡』のご相談もしたいと思いますが。

博論・修論・卒論は進んでいますか?

No.4091

論文執筆に行き詰まって、また出て来てしまったところ、たくさんの書き込みに驚いています。

 >岩田君  「勉強会のお知らせ」ありがとうございます。
         「意見交換」、首を洗って楽しみにしています。
         『太平記』、そのうちに私の方にも回してください。
          佐藤さんや大原さんと、ゼミ宇治支部を発足させたいと思うのですが、如何で
         しょうか? 
 
 >山本君 「疑問点」の御指摘、よろしくお願いいたします。
       映画評論の方は、如何なものでしょうか? 

 >薗田さん  10日でも14日でも、両方でも、御都合が宜しければ、ぜひゼミの宴会にお出で下さい。来年度は有村さんもお出でになることでしょうから、辻君にも参加していただいて、在京鹿児島県人会中世史部会を旗揚げしてください。その暁には、期限付き鹿児島県人だった私もぜひ末席に加えていただきたいと存じております。

映画まだ観ていません・・・。

No.4094

 野口先生の御指名を頂きながら、美川先生の観られた『ヒトラー~最期の12日間~』は残念ながらまだ観ていません。常々観に行きたいとは思っていたのですが、結局今の今まで行かずじまいなってしまいました。早速時間ができたら観に行きたいと思います。この映画は、他の夏休み映画に圧倒されているせいか、あんまり話題になっていませんが、いろんな意味で観ておくべき映画だと思います(まだ観てませんが)。近日中に感想もUPしたいと思います。

>岩田さん
 勉強会の幹事お疲れ様です。『太平記』ありがとうございます。ただ勉強会の初日である10日だけは、今度ある市民講座の準備の仕事が入ってしまい、勉強会には出られません。例の本は12日に持って行きます。
 ところで『太平記』のDVDで、「CompleteBox版」は出ないのでしょうか?何故か去年の『新撰組』は完全版として発売されています。『新撰組』より明らかに作品の質も高く、視聴率も良かった『太平記』の方が売れると思うんですが。

9月25日は各地で講座・研究会がある。

No.4096

 山本君、25日は頑張ってください。
 申し訳ありませんが、私は大輪田泊の報告が聴きたいので、下記の研究会に行く予定です。 
 
      ◆ 平安京文化研究会 
          記
 とき  9月25日(日) 午後1時から午後5時まで(時間厳守)
 ところ 奈良女子大学 文学部北棟1階 N103(正門に一番近い、三十数名の教室です)
     http://www.nara-wu.ac.jp/accessmap.html
 報告  1.大村拓生「福原と大輪田」
      2.三枝暁子「北野祭と室町幕府」
      参考文献:小野晃嗣「北野麹座に就きて」(同著『日本中世商業史の研究』法政大学
        出版局、1989年)
           二木謙一「足利将軍の祇園会御成」(同著『中世武家儀礼の研究』吉川弘
        文館、1985年)  
     ※報告順はこの順とは限りません。 

東京で佐伯君の研究報告があります。

No.4086

  ◆ 歴史学研究会日本中世史部会9月例会
   
   9月11日(日)14:00~ 
   場所:東京大学史料編纂所2F大会議室
   報告者:佐伯智広氏 「高倉―安徳皇統における家産の伝領」

 ☆ 本日、東北大学大学院DCの片岡耕平さんから御高論「中世の穢観念と神社」(『日本歴史』第688号抜刷)を御恵送いただきました。「秩序維持装置としての神社」というフレーズが印象的です。片岡さんに、あつく御礼申しあげます。

「高陽院跡」の現地説明会があります。

No.4087

 (財)京都市埋蔵文化財研究所による,高陽院(かやのいん)跡(平安京左京二条二坊十町)の発掘調査の結果,邸宅内に設けられた園池の南岸,大炊御門大路北側築地と側溝などが発見され、現地説明会が下記の通り実施されるとのことです。
 摂関~院政期や承久の乱に関心のある人は、見学しておいた方がよいでしょう。

                   記
  日   時  平成17年9月10日(土)  午前10時~11時
  場   所  京都市中京区竹屋町通油小路西入西竹屋町511 
  問い合わせ  財団法人京都市埋蔵文化財研究所 075-415-0521
            現場事務所           075-211-5172
  交通案内  *市バス『堀川丸太町』下車 南東へ徒歩約5分

※詳細は http://www.kyoto-arc.or.jp/を御覧下さい。

Re: 東京で佐伯君の研究報告があります。

No.4097

野口先生、ご紹介ありがとうございます。
どんな報告になりますことやら…ただいま悪戦苦闘中です。
そんなこんなで、勉強会はほとんど出られそうにありません、申し訳ありません。
14日のエスコート役はしっかり果たしますので。

>有村さん
いよいよ日も迫ってきましたが、頑張って下さいね~。
落ち着いてやれば絶対大丈夫と思ってますけど。

すいません、ほんとにワタワタしてますんで、愛想も何もないですね…。

映画「ヒトラー 最期の12日間ー」を見る

No.4084


 先日、話題の映画「ヒトラー 最期の12日間ー」を見に行った。

 まず、最近の映画の音響というのは凄い。あの地下防空壕にひびくソ連軍の砲弾の炸裂音が鈍く響くのが、ぶるぶる伝わってくる。あれは家のビデオでは味わえないものだ。映画館は当然のことながら暗いので、まさにヒトラーと空間と時間を共有している感じがする。
 
 この映画は、ヒトラーを人間的に描いたということで、評判をよんでいる。もちろん賛否両論という評判である。しかし、「人間的」というのはどういうことだろうか。あるいは、非人間的というのは。ヒトラーが怖いのは、人間であるからで、あれが野獣だったらさして怖くないだろう。たくさんえさをやればおとなしくなるだろうから。あれほど残忍になれたのは、まさに人間だからであって、野獣や機械がああなるはずはないのである。だから、自分に好意的な人間に対してやさしいのは当然であって、好意的であったと思っていた人間に裏切られると、とたんに残忍そのものとなるのは、まさに人間そのものの特性かも知れない。純粋なアーリア人種の優位性なんてばかなことを考えたり、ユダヤ人の絶滅なんてことを考えたりするのも、ヒトラーが人間であるからだ。
 
 ともかくしょうもなさそうな(あるいはしょうもない)人間が、国民の合法的支持(つまり選挙)を背景に、巨大な権力をにぎるというのは、20世紀的、あるいはなってはほしくないが、21世紀的な独裁者のすがたであって、あぶないあぶない。大衆というのは愚かであるから、できるだけ単純なことを、何度も何度も繰り返すと、ついてくるというのは、ヒトラーの専売特許ではないだろう。
 
 後半はとにかく、自殺とか一家心中とかが多い。ゲッペルスのこどもたちの場面は、背筋が寒くなった。しかし、これも、現在の日本でもよくある一家心中の話にすぎないといえば、いえなくもない。国家の中枢にいる恵まれた人間が平時にはこんな一家心中をすることはないが、不運な庶民にはときどきある。もう一つ、手榴弾でも一家心中のシーンがあったが、第三帝国の最後には、この手のことが頻発したのだろうか。大日本帝国では集団自決はよくあったが、国家中枢をしめていた一家ではあまり聞いたことがない。なんでなんだろうか。この映画では、ゲッペルス自身より、奥さんのほうに、この一家心中の原因があるように描かれていた。非ナチス世界でこどもたちを教育するわけにはいかない、という台詞があった。必ずしも、敗戦後の報復をおそれてのものではなかったようだ。
 
 ともかく、完成度の高い映画である。リアリテイがある。大河『義経』とは大違いだ。しかし、登場人物の人間関係が一度見ただけではつかめないところが多々あった。こちらが、ナチスの人物に関する知識に乏しいためなのだろうか。だから、その確認にもう一度見なければとも思うのだが、ほとんど救いのない陰惨な映画なので、正直言って再見したくはないのである。人間がリアルにつぎつぎ死ぬ、しかも自殺が多いのは、はっきりいってもういやなのだ。いやいや、私は人間が銃で撃たれたり爆撃で死んだりする瞬間を体験したことはないから、リアルかどうかもわからない。ほんとうはもっとどうしようもないのが現実のようだ。このあたりが、戦争映画の限界である。映像でえがけりゃしないのだ。

 といいながら、また翌日も見に行った。(以下文体も変わります)

 きのうはゲッペルスのほんとうにかわいいこどもたちが、静かに殺されていくシーンがあまりにショッキングで、そのあと、思考停止におちいったのですが、今日は、さすがに冷静に見ることができました。そして、昨日よりも、ずっといい映画であることがわかりました。

 ゲッペルスのこどもたちの死って、その裏のおそらくゲッペルスも深く関わったユダヤ人のこどもたちの虐殺を描いているのです。ユダヤ人のこどもたちを殺した報いが、ゲッペルスのこどもたちを、ゲッペルスの妻が殺していく。あそこは、いろいろな見方ができるでしょうね。そして、もう一つの一家心中があるのですが、そちらはどうも、人体実験をおこなってきた医者の一家なのです。こちらも死ななきゃならんだろうな。ゲッペルスの無茶な指令のために、ベルリン市民が犠牲になっていくという場面もきっちり描かれているのです。ヒトラーはブロンデイという愛犬を飼っているのですが、ゲッペルスというのもまさにもう一匹のヒトラーの愛犬であることがよくわかります。しかも犬よりもはるかにどう猛であり、とうぜん人間ですからずっと冷酷であります。ただ、実際のゲッペルスはもっとハンサムで、俳優はあまりに不気味な風貌でした。あの不気味顔では、あのあまりにかわいいこどもたちが生まれるはずがない。実際の写真とくらべると、よくぞと思えるほど、よく似たこどもたちを配役に選んでいます。あの6人の寝ているような遺体写真と両親の黒こげ写真がならんでいるのは有名ですよね。

 ヒトラーの話にもどりますが、目撃者となっているユンゲという秘書が、エバ・ブラウンに「総統はとてもおやさしいのに、ときにとても冷酷なことをおっしゃるので、ほんとうの総統はどんなかた」と問いかけるシーンがあるのですが、エバは「総統のときは冷酷なの」とこたえます。ヒトラー自身が「同情は抑圧せねばならぬ」と何度も述べるシーンもあります。

 ゲッペルスの発言だったかもしれませんが、市民がもうむちゃくちゃ犠牲になることを「かれらがわれわれを選んだんだから、かれらの報いだ」なんていいます。これ恐いですね。選挙によって選ばれた合法政権が暴走するとこうなるのです。王政とか、クーデターでできた軍事政権では、権力者はこういう心性はもちにくいでしょう。もちろん白河法皇も。

 相手はべつにもともとモンスターではなく、しょうもない人間なのですが、それが権力の座に、人々によって選ばれてついたとき、とくにたいへん人気があったりすると、暴走することがある。そして、一度暴走しはじめると、止めるのは至難のわざとなります。暴走を「決断力」「リーダーシップ」と誤解する人間が山のようにいますからね。

 とにかく、ネタバレで見た方が良いような映画だと思います。1度目はスリリングすぎて、つぎに何がおこるのかこわくて、綿密に組み立てられた映画の構造が見えにくいのですね。2度目だと人間関係も非常によくわかりました。それと、中間部の砲撃がやんだつかぬ間のエバと秘書たちとの散歩、そして最後のところの秘書とこども(これもかなり重要な役)との逃避行のときの静けさ、これはほんとうに美しい。平和ってほんとうにきれいなんですねえ。でもちょっと気をゆるすと、人間たちはまたすさまじい殺し合いへ。

 イスラエルでは「ドイツはユダヤ人大虐殺の歴史を取り繕い美化している」とかドイツでも「殺人鬼の人間性を振り返る必要など、どこにあるのだろうか」という評があることがプログラムに書かれていましたが、わたしはそうは思いませんでした。この映画は、すぐ身近にいる人間が、殺人鬼となるその飛躍をみごとに描いていたと思うのです。歴史学にかかわっている人には必見の映画です。

 いま、この映画の原作のひとつである『私はヒトラーの秘書だった』というユンゲの著作を読んでいます。すぐれた記録です。そして、このすぐれた映画が、その原作をもとにいかなる部分を創作したか、その緊張感がよく分かります。こういう歴史を題材にしたすぐれた映画を見ると、もう才能のない連中がいいかげんに作っている大河の『義経』など、見る必要もないことが思い知らされます。


中世前期の島津氏に関する論文。

No.4085

 美川先生、久しぶりに長編をありがとうございました。
 映画評論といえば、山本君の出番です。
 なお、この映画については山田邦和先生も御自身のblog(↓)で触れておられます(8月20日)。
  http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2005/08/index.html

 ☆ 本日、「歴史館いずみさの」の廣田浩治先生より、御高論「中世前期 武士団の結合原理-平安期「侍」から鎌倉幕府御家人武士へ-」(『熊本大学日本史研究室からの洞察』熊本出版文化会館)を御恵送いただきました。中世前期の島津氏を対象にして、武士団の結合や鎌倉幕府の御家人編成、平安期の侍から鎌倉御家人への転身などについて論じられたものです。
 鹿児島の中世史に関心のある皆さんには必読論文でしょう。当ゼミメンバーは、ゼミ旅行のときに尚古集成館で頂いた拙文「成立期の島津氏」(尚古集成館 講座・講演集)と併読してください。
 廣田先生にあつくお礼申し上げます。