巡礼記研究会第二回研究集会のご案内
No.3989
大橋直義です。
突然でもうしわけありませんが、宣伝をさせてください。
昨年の、巡礼記研究会第一回研究集会に続いて、第二回研究集会を開催することになりました。
昨年にもまして、充実した一日を過ごしていただきたく存じます。お忙しい時期とは存じますが、ぜひとも足をお運びください。なお、当日は、『巡礼記研究会』第二集をお配りする予定です。こちらには、第一回集会でご発表いただいた方々の論考が収録されております。
巡礼記研究会 第二回研究集会のご案内
(共催 慶應義塾中世文学研究会・寺社縁起研究会関東支部)
会場 慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階522番教室
交通 JR山手線田町駅/都営浅草線・三田線三田駅徒歩10分
日時 2005年 9月17日(土) 午後1時~午後5時45分
[研究発表]
1 荒神の縁起と祭祀
東京大学大学院生 高橋悠介
荒神とは、日本で生まれた、神仏習合的色彩の強い神格である。承暦四年(一〇八〇)に勝尾寺の住僧が荒神祓を行ったとする『水左記』の記事が、荒神の名が見える記録上の古い例として知られている。もとは祓われるべき障碍神であったが、鎮めれば利益をもたらすという両義性を持つようになり、荒神供という祭祀が行われた。本発表では、鎌倉後期に荒神に関する縁起・教説を集成した『荒神縁起』というテクストに注目する。『荒神縁起』の冒頭には、天竺・大唐・日域の三国にわたる荒神の霊験譚・縁起が説かれているが、特に日本では、勝尾寺において桓武天皇の皇子、開成が大般若経書写の願を立てた際、荒神の障碍を受け、荒神を祀ることによって大願を成就したという縁起が語られる。こうした荒神の縁起説を、荒神の性格や荒神祭祀のありようとともに考えてみたい。
2 冥界遍歴と巡礼 ー『西国巡礼縁起』をめぐってー
日本学術振興会特別研究員 恋田知子
西国三十三所巡礼の起源をとく『西国巡礼縁起』に関して考察する。西国巡礼の起源説話については、長谷寺の開基でもある徳道上人の冥界譚がひろく知られているが、その一方で、威光上人の冥界譚をその淵源とするものも存在することには、あまり注意が払われてこなかった。そこで本発表では、後者の説話をもって起源とする九条家旧蔵本・松尾寺蔵本および、今回あらたに紹介する慶應義塾図書館蔵本について若干の検討を加えるとともに、徳道上人の場合もふくめた西国巡礼起源説話の諸相について考察をおこなう。さらに、西国巡礼の淵源に冥界譚を配するという点に着目し、説話や物語草子の類に見える冥界遍歴とともに考えることで、『西国巡礼縁起』の意義についても言及したい。
3 六角堂縁起異説 ー聖徳太子伝承のことなどー
京都大学非常勤講師 橋本正俊
六角堂の愛称で親しまれている京都の頂法寺は、平安時代から貴紳・衆庶の崇敬を集めた、西国三十三所の一つとしてよく知られている。その縁起は、「聖徳太子は淡路国に流れ着いた如意輪観音像を持仏としていた。四天王寺建立の採材のために愛宕郡に来たとき、木に懸けておいた観音像がその場を動かなくなった。観音の夢告に従い、太子はここに六角堂を建立した」というものである。実際の建立は平安時代に下るようだが、六角堂は聖徳太子建立の御堂として広く知られ、その縁起も大きく変容することなく現在に至っている。ところが、中世・近世の資料では、これとはやや趣を異にする縁起が並記されることがある。それは、この観音像は高麗国より太子が迎え入れたものだというのである。本発表では『観音利益集』などに記されたこの六角堂縁起の異説とも言うべき説話に注目する。そしてこの説と聖徳太子伝記との関わりを指摘し、このような説が生まれた背景、その影響と変遷について考察する。また『観音利益集』の性格についても言及したい。
4 千葉妙見の本体・本地説 ー『源平闘諍録』と『千学集抄』との間ー
四天王寺国際仏教大学 源健一郎
千葉妙見の本体・本地説としては、『源平闘諍録』に〈北辰・十一面観音〉説が記される一方、『千学集抄』等には〈北斗七星・七仏薬師〉説が伝えられている。このような揺れをどう捉えるかについては、すでに津田徹英氏・丸井敬司氏に言及があるが、鎌倉後期から南北朝期、千葉寺周辺における関東天台の動向を前提にした場合、再考の余地があるように思われる。具体的には、日胤・了行・心慶・源山といった僧の活動や檀那流玄旨帰名壇灌頂の展開と、両本体・本地説とを重ね合わせ、それらの間の脈絡を読み取る試みを提示することになろう。
連絡先
108-8345 港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
tel 03-3453-4511 内線 23093 ダイアルイン 03-5427-1175
fax 03-5427-1578
mail 大橋直義宛にお願いいたします。
失礼いたしました。
突然でもうしわけありませんが、宣伝をさせてください。
昨年の、巡礼記研究会第一回研究集会に続いて、第二回研究集会を開催することになりました。
昨年にもまして、充実した一日を過ごしていただきたく存じます。お忙しい時期とは存じますが、ぜひとも足をお運びください。なお、当日は、『巡礼記研究会』第二集をお配りする予定です。こちらには、第一回集会でご発表いただいた方々の論考が収録されております。
巡礼記研究会 第二回研究集会のご案内
(共催 慶應義塾中世文学研究会・寺社縁起研究会関東支部)
会場 慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階522番教室
交通 JR山手線田町駅/都営浅草線・三田線三田駅徒歩10分
日時 2005年 9月17日(土) 午後1時~午後5時45分
[研究発表]
1 荒神の縁起と祭祀
東京大学大学院生 高橋悠介
荒神とは、日本で生まれた、神仏習合的色彩の強い神格である。承暦四年(一〇八〇)に勝尾寺の住僧が荒神祓を行ったとする『水左記』の記事が、荒神の名が見える記録上の古い例として知られている。もとは祓われるべき障碍神であったが、鎮めれば利益をもたらすという両義性を持つようになり、荒神供という祭祀が行われた。本発表では、鎌倉後期に荒神に関する縁起・教説を集成した『荒神縁起』というテクストに注目する。『荒神縁起』の冒頭には、天竺・大唐・日域の三国にわたる荒神の霊験譚・縁起が説かれているが、特に日本では、勝尾寺において桓武天皇の皇子、開成が大般若経書写の願を立てた際、荒神の障碍を受け、荒神を祀ることによって大願を成就したという縁起が語られる。こうした荒神の縁起説を、荒神の性格や荒神祭祀のありようとともに考えてみたい。
2 冥界遍歴と巡礼 ー『西国巡礼縁起』をめぐってー
日本学術振興会特別研究員 恋田知子
西国三十三所巡礼の起源をとく『西国巡礼縁起』に関して考察する。西国巡礼の起源説話については、長谷寺の開基でもある徳道上人の冥界譚がひろく知られているが、その一方で、威光上人の冥界譚をその淵源とするものも存在することには、あまり注意が払われてこなかった。そこで本発表では、後者の説話をもって起源とする九条家旧蔵本・松尾寺蔵本および、今回あらたに紹介する慶應義塾図書館蔵本について若干の検討を加えるとともに、徳道上人の場合もふくめた西国巡礼起源説話の諸相について考察をおこなう。さらに、西国巡礼の淵源に冥界譚を配するという点に着目し、説話や物語草子の類に見える冥界遍歴とともに考えることで、『西国巡礼縁起』の意義についても言及したい。
3 六角堂縁起異説 ー聖徳太子伝承のことなどー
京都大学非常勤講師 橋本正俊
六角堂の愛称で親しまれている京都の頂法寺は、平安時代から貴紳・衆庶の崇敬を集めた、西国三十三所の一つとしてよく知られている。その縁起は、「聖徳太子は淡路国に流れ着いた如意輪観音像を持仏としていた。四天王寺建立の採材のために愛宕郡に来たとき、木に懸けておいた観音像がその場を動かなくなった。観音の夢告に従い、太子はここに六角堂を建立した」というものである。実際の建立は平安時代に下るようだが、六角堂は聖徳太子建立の御堂として広く知られ、その縁起も大きく変容することなく現在に至っている。ところが、中世・近世の資料では、これとはやや趣を異にする縁起が並記されることがある。それは、この観音像は高麗国より太子が迎え入れたものだというのである。本発表では『観音利益集』などに記されたこの六角堂縁起の異説とも言うべき説話に注目する。そしてこの説と聖徳太子伝記との関わりを指摘し、このような説が生まれた背景、その影響と変遷について考察する。また『観音利益集』の性格についても言及したい。
4 千葉妙見の本体・本地説 ー『源平闘諍録』と『千学集抄』との間ー
四天王寺国際仏教大学 源健一郎
千葉妙見の本体・本地説としては、『源平闘諍録』に〈北辰・十一面観音〉説が記される一方、『千学集抄』等には〈北斗七星・七仏薬師〉説が伝えられている。このような揺れをどう捉えるかについては、すでに津田徹英氏・丸井敬司氏に言及があるが、鎌倉後期から南北朝期、千葉寺周辺における関東天台の動向を前提にした場合、再考の余地があるように思われる。具体的には、日胤・了行・心慶・源山といった僧の活動や檀那流玄旨帰名壇灌頂の展開と、両本体・本地説とを重ね合わせ、それらの間の脈絡を読み取る試みを提示することになろう。
連絡先
108-8345 港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
tel 03-3453-4511 内線 23093 ダイアルイン 03-5427-1175
fax 03-5427-1578
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失礼いたしました。