朝日新聞の文化欄にあきれる

美川圭
No.3894

 大河ドラマの「義経」を見られなくなり、何週間かたつ美川です。

今日の朝日朝刊(6月23日)見て、目が点になりました。
久々「大河らしい大河」の声 好調「義経」3者3論のタイトル。

そしてTVプロデユーサーの大山勝美氏、放送作家の山田美保子氏、そして服藤早苗氏、
の談話が載っている。さすがに服藤氏は歴史家なので、批判的だが(ただあまりに女性の視角すぎると思うが)、あとの二人はまるで太鼓持ちのようである。私は山田さんという人を知らないのだが、大山勝美氏は有名な人ではある。でもあまりの違和感にびっくりである。大学の同じ学部の同級生が、いま朝日の文化部長をやっているので、これから某所で攻撃モードに移る予定です。許せんからな。

「男院」の先例としての「女院」

No.3896

 美川先生、当BBSではお久しぶりです。
 私も今朝、新聞を広げて驚きいりました。いくら視聴率が高くても、また史実との乖離や最近の研究成果の反映云々は抜きにしても、今回の『義経』、とても久々の「大河らしい」とは思えないからです。大方の見方も同様だと思っていたのですが。

 さて、いよいよ公開講座が明後日に迫りました。山内さん、懇親会の手配、ありがとうございました。なお、幹事さんの迷惑になりますので、参加される方は必ず事前にお申し込み下さい。
 下にも書きましたが、当日の運営のお手伝い、電気機器担当の鈴木君(教諭)をはじめとするゼミメンバーの皆さん、よろしくお願いいたします。明後日も暑そうです。

 ☆ 本日、東京都立大学大学院の高松百香さんから御高論「院政期摂関家と上東門院故実」(『日本史研究』513)を御恵送いただきました。当ゼミメンバーの平田さんや山岡さんは既に精読されていることと思います。如何でした?
 「男院」という歴史名辞を提示されているのが印象的で、とても刺激的なこの御高論にたいしては、私などより、元木先生や美川先生にコメントをお願いしたいところです。
 高松さん、『平家物語』研究会で御構想をうかがってから、論文としての発表を楽しみに致しておりました。あつく御礼申しあげます。

研究所公開講座の御案内(再掲)+α

No.3892

◇◆◇京都女子大学 宗教・文化研究所公開講座◇◆◇
 
    『平家の本拠・平家の鎮魂』(シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化⑦ )
      「「六波羅」から中世を考える」
       東京大学史料編纂所助教授 高橋 慎一朗 氏
     「小宰相の局と「耳無し芳一」伝承―いくさ語りから江戸怪談へ―」
       京都精華大学教授 堤 邦彦 氏
     日時: 6月25日(土)13:00~14:30・15:00~16:30 終了17:00
     場所:J525教室(京都女子大学J校舎5F・市バス馬町バス停下車 東へ徒歩約5分)

  ◇ 『古代文化』の頒布について
 公開講座当日には古代学協会・古代学研究所の古藤真平先生が、以下の平家や武士論関連の『古代文化』特輯号を会場前にて実費頒布してくださるとのことですので、この機会を是非御利用下さい。
  2002年6月号『武門の台頭と地域権力の創出』
  2003年2・3月号『11~15世紀における南九州の歴史的展開』
  2005年4月号『平家と福原』
 の4冊で、いずれも当研究所における個人・共同研究に関連したり、その成果を含むものです。

 ☆ ゼミメンバーのみなさんへ業務連絡
 >山岡さん・山田さん・尻池さん  昨日は、公開講座当日配布の資料の用意についてお手伝いをありがとうございました。

 >山内さん・末松さん  事前学習会の報告、ありがとうございました。大変充実した内容でした。

 >当日お出で頂けるみなさん  昨日、申し上げた段取り通りにお願いいたします。なお、各講演後、時間があれば質問の時間をとりたいと思いますので、そのさいのマイク係をどなたかお願いいたします。なお、機器類については鈴木君、よろしくお願いいたします。いずれにしましても、みなさんのサポートを頼りにしています。

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 ☆ 『清盛以前』復刊の立役者判明
 すでに在庫切れ間近という高橋昌明『増補改訂清盛以前』(文理閣)の255ページで著者の高橋昌明先生が、この本の復刊リクエストの声をあげてくれた「お顔も知らぬ」ある人物に謝辞を述べておられますが、その人物が特定されました。思わぬほど身近におられたので驚いています
 当ゼミのメンバーであることは言うまでもありません。 

公開講座の懇親会のお知らせ

No.3893

公開講座後の懇親会のお店が決定いたしましたのでご連絡致します。

場所:『酔心』(京都駅前・近鉄プラッツ向かい)
予算:3000円
時間:18:00~20:00

以上を予定しております。宜しくお願い致します。

明日の講演会のこと

No.3897

元NHKブックス編集者の石浜です。懇親会、是非とも参加させていただきます。よろしくどうぞ。

ご無沙汰しております

遠藤明子
No.3889

 野口先生こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

 三浦一族研究会の総会ではお伺いすることができず大変失礼いたしました。

 先日、先生の「武家の棟梁源氏はなぜ滅んだか」新人物往来社を再読したいと思い、図書館で借りてきました(家のスペースがないので実家に持って帰っていたのです…すみません…)

 そうしたら217Pの4行め「三寅は頼朝の姉の曾孫にあたり」という一文に鉛筆で傍線が書き込んであり、しかも「姉」に×して「妹」と記入してあるんです。

 これを書き込んだ人は「ここ間違ってるじゃないか。直してやらなにゃあ」という親切心(お節介だよ!)だったのかもしれませんが、そもそもあれは頼朝の「姉」ですよね。
 私は「証拠となる記録(あるいは傍証)がある」という話しか知らないのですが、もしご存じでしたらご教示いただければ幸いです。そのページをコピーして挟んで返却してやります(やめなさい)。
 というかそもそも図書館の本に書き込むなんてもう。勘違いも含めて説教してやりたい気分です。

 でも野口先生、同じ見開きの216P14~15行め

「二階堂行光が鎌倉へ下向の際、頼家の遺児で仁和寺に入っていた禅暁を伴っていることは~」

 とお書きになっている部分について私は「禅暁が鎌倉に来たことがある」と解釈していたのですが、教えていただいた史料と『吾妻鏡』をつきあわせる限りでは確かに禅暁が鎌倉に行ったという確証が得られないのです。
 私は「禅暁は仁和寺を離れたにすぎず、京都からも出ていない」と考えているのですが、他に何か参考となる史料がありましたら重ねてご教示願えればありがたく存じます。

 そういえばまだまだ先のことながら、1月と3月は斎宮博物館で野口先生と山田邦和さまのご講演ですね。どちらも興味深いテーマで、どんなお話をなさるのか今から楽しみです。行けるといいな伊勢…。 

Re: ご無沙汰しております

No.3890

 禅暁の鎌倉下向については『大日本史料』4-15の510ページの記事を前提にしています。「下向」は鎌倉下向でしょう。「下向」ですから京都を出たことは確かでしょうが、しかし、鎌倉到着の記事はありませんから、たしかに行ったとは断定できません。
 源義朝の娘で一条能保の妻のことは、普通は頼朝の「妹」とされています。しかし、私の恩師の貫達人先生は、『吾妻鏡』建久元年四月二十日条の記事からすると姉になることと、妹だとすると結婚は平治の乱の後のことになり、能保が謀反人の娘とわさわざ結婚するというようなことがあるのかということなどを理由に妹説に疑問を呈しました(『鎌倉』84掲載論文)。私もこれに納得して従ったわけです。
 ただ、所生の高能の誕生が1176年であったり、姉とするのは不合理な点もあり、さらに最近の研究では彼女の背後には保護者として熱田大宮司家が控えていたことが明らかで、乱後の婚姻もおかしくはないと思われ、「妹」でよいように思っています。

す、すごい

遠藤明子
No.3891

 突然の不躾な質問にも関わらず丁寧なお返事をありがとうございました。

 以前教えていただいた史料は仁和寺の記録なので「禅暁くん鎌倉にいっちゃったねえ」と思っていたのは仁和寺の人だけで実は…という気がしてならなかったのです。
「大日本史料」の方も確認してみます。

 一条能保の妻については妹説の方が有力だったとは知りませんでした。ということは私の勇み足? こちらもご教示ありがとうございます。
 でも図書館の本に書き込みがあるのは問題なので消しておきますね。

公開講座会場前で頒布する『古代文化』

No.3888

 下記NO.3886でお知らせしましたように、公開講座当日、会場受付にて古代学協会の古藤真平先生が『古代文化』を実費頒布してくださいます。
 持参していただくバックナンバーは、
  2002年6月号『武門の台頭と地域権力の創出』
  2003年2・3月号『11~15世紀における南九州の歴史的展開』
  2005年4月号『平家と福原』
 の4冊で、いずれも当研究所における個人・共同研究に関連したり、その成果を含むものです。

白熊ツアー・フェリーについて。

No.3887

 白くまツアー往路のフェリーに関してです。現在2等室(¥7040)を予定しておりますが、乗船される方の中で2等寝台(¥10500)などを希望されるかたがいらっしゃいましたら門屋までお知らせください。様子がわからない方は写真が宮崎カーフェリーのサイトにあります。http://www.marineexpress.co.jp/koro/osaka_annai_ex.html#kyakushitsu
明日までということにさせていただきたいと思います。2等室で構わない場合返信は不要です。 よろしくお願いします。

Re: 白熊ツアー・フェリーについて。

美川圭
No.3895

船と聞くと、むずむずしてきます。
かつて船●●●●を自認しておりました。
私は、この旅行には、残念ながら参加できないのですが、
この船についての詳しい情報を載せているサイトを紹介しておきます。

http://homepage2.nifty.com/capt-wan/osk-exp.htm

この船は乗ったことがありませんが、
構造からすると、2等は船首に近いので、揺れやすいかも。
私は、とにかく、船に乗ると、揺れてほしいのですが。

なお、この船にはめずらしく、1等のシングル個室があります。

京都女子大学宗教・文化研究所公開講座

No.3886

◇◆◇京都女子大学 宗教・文化研究所公開講座◇◆◇
 
    『平家の本拠・平家の鎮魂』(シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化⑦ )
 
    「「六波羅」から中世を考える」
       東京大学史料編纂所助教授 高橋 慎一朗 氏
  
   「小宰相の局と「耳無し芳一」伝承―いくさ語りから江戸怪談へ―」
       京都精華大学教授 堤 邦彦 氏
  
   日時 6月25日(土)13:00~14:30・15:00~16:30 終了17:00

   場所 J525教室(京都女子大学J校舎5F・市バス馬町バス停下車 東へ徒歩約5分)


  ◇ 『古代文化』の頒布について
 公開講座当日には古代学協会・古代学研究所の古藤真平先生が、平家や武士論関連の『古代文化』特輯号を会場前にて実費頒布してくださるとのことですので、この機会を是非御利用下さい。

 >田中さん  教職員コンは如何でしたか?

6月27日の『吾妻鏡』講読会の範囲について

No.3883

 次回、6/27(月)の吾妻鏡の講読の範囲のお知らせです。
 建暦二年①三月廿日条、②五月七日条、③六月七日条、④六月十五日条、
     ⑤七月二日条、⑥七月七日条、⑦七月九日条
の以上です。
 先週まで出席できませんでしたが、また元のように毎週出席したいと思います。
また毎週岩田さんにはご迷惑おかけしました。『吾妻鏡』も久々でしたが、お借りした『太平記』の足利尊氏(真田広之)も久々に会うことができました。ありがとうござい
ます。

『市史研究横須賀』・金沢文庫図録拝受

No.3884

 本日の『吾妻鏡』は久方ぶりの長村君(予習完璧)の参加もあり、なかなか充実した内容でした。さすがに厳選しただけあって、読んだ条も面白い内容でした。例のごとく雑談に及んで、終了は7時を過ぎてしまいました。さて、次回も楽しみです。
 授業の終わった3回生も途中からでも是非御参加下さい。卒論で鎌倉時代をテーマにしようとしている4回生もどうぞ。後期からでは、全く間に合いませんから。

 ◇ 本日も以下の資料の御恵送をいただきました。あつく御礼申しあげます。
 
 横須賀市より『市史研究横須賀』創刊号~第4号。
 神奈川県立金沢文庫より企画展図録『頼朝 範頼 義経-武州金沢に伝わる史実と伝説-』

 『市史研究横須賀』第4号掲載の、高橋秀樹・真鍋淳哉「三浦一族を読み直す-資料解説拾遺-」は、拙稿「執権体制下の三浦氏」の克服を一つのテーマとされていますので、私には裨益するところ大きいものがありました。
 神奈川県立金沢文庫の企画展図録の参考文献欄には、拙稿「源範頼の軌跡」(『鎌倉』65)があげられておりました。お役に立てたことをうれしく存じております。

 ◇ 近く再掲しますが、本年度の公開講座の開催日(25日)がいよいよ切迫して参りました。ゼミメンバーのみなさん、御協力をよろしくお願いいたします。諸役の分担につきましては水曜(22日)の事前学習会のおりに。また、水曜日には講座で使用するレジュメの準備もしたいので、『百錬抄』開始前に時間の空いている方は研究室にお集まり下さい。

 ◇ 『古代文化』の頒布について
 公開講座当日には古代学協会の古藤先生が平家や武士論関連の『古代文化』特輯号を会場前にて実費頒布してくださるとのことですので、この機会を御利用下さい。

 ◇ 髙橋昌明著『増補改訂 清盛以前』在庫僅少の情報
 山田ちさ子さんより、上記の情報をいただきました。未購入の方はお早めに。ご注文は文理閣(℡075-351-7553)まで。

『義経』の「法住寺合戦」はどうなるやら?

No.3882

 先日の『台記』研究会で久々にお目にかかった元木先生・美川先生とも、すでに大河ドラマ『義経』は御覧になっていないとのこと。文字通り見捨てられたようです。
 私ももはや放送内容についてコメントを記す意欲も気力も失せつつあるのですが、どうも本日の放送では寿永2年11月19日の法住寺(殿)合戦が描かれるらしい。
 法住寺殿といえば、京都国立博物館(七条殿が所在)・三十三間堂(法住寺殿内の蓮華王院本堂)から、タレントの島田紳助氏の母校である大谷高校(敷地の殆どは法住寺殿南殿の園池)・一橋小学校(建春門院の御願寺である最勝光院が所在)といった京都女子大の通学路周辺に展開した院御所であり、「法住寺(殿)合戦」はその南殿が舞台であったわけですから、触れざるを得ません。
 この合戦について大河ドラマがどう描くかは知りませんが、「この合戦に関する限り、私には、『平家物語』の叙述が一々気に入らない」と仰るのが上横手雅敬先生(『平家物語の虚構と真実』)です。たしかに、この場面ほど『玉葉』や『愚管抄』と『平家物語』の記述とのコントラストが鮮やかなところはない。『平家物語』のイデオロギーが明白です。
 また、この合戦に際し、後白河が蓮華王院に当時の真言・天台密教界の頂点に立つ僧侶を結集して院政期最大規模の調伏法を行ったことを指摘した論文として横内裕人「密教修法からみた治承・寿永内乱と後白河の王権」(『日本国家の史的特質 古代・中世』)があります。後白河は宗教的武装をもって義仲に闘いを挑んだのであり、そこで仏教的守護神と化して奇怪な行動をとったのが他ならぬ鼓判官・平知康ということになります。
 この論文はおそらく大河ドラマなどよりはるかに面白い。
 しかし、法住寺合戦についての最新のすぐれた研究といえば、長村祥知「法住寺合戦について-『平家物語』と同時代史料の間-」(京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナール『紫苑』2)をあげないわけにはいかないでしょう。この論文は2003年8月25日に京都女子大学で開かれた学習院大学兵藤裕己ゼミと当ゼミの合同研究会における発表を前提とするもので、法住寺合戦に関する同時代史料を整理し、『平家物語』との相違を検討する中で、「史実」に対する歴史叙述の方法とその内実にせまった好論です(このHPで読むことが出来ます。ちなみに、この論文を発表したとき長村君は学部生でした)。
 なお、法住寺殿に関する拙論としては、単著では「法住寺殿と小松家の武将たち」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』15)、以下、山田邦和先生との共著として「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(同16)・「六波羅の軍事的評価と法住寺殿を含めた空間復元」(同17)があります。

 さて、この法住寺合戦によって廟堂を制した義仲は将軍の官職を得るのですが、それが『吾妻鏡』などのいうように征夷大将軍ではなく、「征東大将軍」であったことは、櫻井陽子先生の紹介された『三槐荒涼抜書要』所収『山槐記』建久三年七月記事によって明らかです(「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって」『明月記研究』9)。

 「法住寺殿」は「ほうじゅうじどの」とよみます。念のため。

Re: 『義経』の「法住寺合戦」はどうなるやら?

No.3885

みなさん、こんばんは。
「義経」の「法住寺殿合戦」(どうしてみんな、法住寺合戦というんだろう?)の回を見ました。
やっぱり、なにをか言わんや、でしたね。法住寺殿を焼かれた後白河法皇と丹後局が殿中で逃げまどい、乱入してきた義仲の前にひざまずき、手を合わせ、涙を流さんばかりの風情で「命だけは助けてたもれ」と哀願しているのを見て、目が点になりました。『吉記』(寿永2年11月12日条)に「義仲軍破入所々、不能敵対、法皇駕御輿、指東臨幸、(中略)義仲於清隆卿堂辺追参、脱甲冑参会、有申旨、於新御所辺駕御車、于時公卿修理大夫親信卿、殿上人四五輩在御供、渡御摂政五条亭云々」とちゃんと記されています。つまり、法皇は輿に乗って逃げ出したところを義仲が追いつき、一応はきちんと礼を尽くした上で車に移し、五条亭へと入れたのですよ。法皇があの合戦の際に命の危険にさらされていたことは確かですが、なんぼなんでもあの命乞いはないだろう。平幹二郎さんにあんな学芸会的道化芝居をやらせるなよ!
 それに! せっかくの法住寺殿合戦なのですから、草刈正雄さんが演ずる鼓判官こと平知康が、奇矯な格好をして法住寺殿の築地塀の上に立って舞を舞うシーンがなくちゃダメじゃないか! これが見たさに昨日のテレビにかじりつき、結局は失望してチャンネルを変えた人も多かったんじゃないでしょうか? それにしても、草刈さんは腹に一物ある貴族を演じさせたら右に出るものはいないね。かつての大河ドラマ「花の乱」〈日野富子が主人公〉でも、演じた内大臣日野勝光が絶品でした。今回の「義経」の中では成功しているキャスティングではないでしょうか。
 以上、ひさしぶりの「義経」論評でした(それでも、元木・美川両先生がリタイアされたのでちょっと淋しいな・・・)。

元木先生の新稿の紹介。さらに【追記】

No.3878

 元木先生の新稿「源平争乱と播磨」が明石中世史編纂委員会『講座 明石の中世史 戦乱に揺れた明石』(明石市教育委員会)に収録されています。
 昨日、元木先生より『台記』研究会の席上で本稿抜刷を拝受いたしました。
 福原遷都の前提としての平家と播磨の関係や梶原景時による播磨支配など、例の如く読者の頭の中を整理してくれる御論稿です。『平家物語』を研究対象にされている国文の方も必読です。

 * 迷惑メール、一時は減少したのですが、やはり跡を絶たないようです。削除のために対象とするメールを指定しただけで、直接おかしなサイトに繋がってしまうようなケースもあります。この掲示板にアドレスを書き込んでも暗号化されるので心配ないとのことですが、また、対策について鈴木君に御教示を願いたいと思います。

【追記】
 ☆ 昨日の『台記』研究会で辻君の担当されたところに出てきた若狭局 =平政子=平正盛女説は西井芳子「若狭局・平政子」(角田文衞博士古稀記念『古代学叢論』古代学協会、昭和58年)・同「若狭局と丹後局」(古代学協会編『後白河院 動乱期の天皇』吉川弘文館、平成5年)に展開されています。たしか、のちに、この説に対する異論が発表されたはずなのですが、思い出せません。御記憶の方、お教え下さい。

 ☆ 山川出版社の『歴史用語変換辞書 Ver.3』を導入しました。年代が和暦・西暦対応で変換でき、日本史関係の固有名詞もすぐに変換できるのでなかなか便利。原稿執筆が捗りそうです。同業の皆さまにお勧めいたします。価格は6,300円。

湯浅治久『中世東国の地域社会史』刊行

No.3881

 私が千葉で千葉氏をはじめとする地域史の研究をすすめていた頃、たいへんお世話になり、いろいろと学術的な刺激を与えてくださった湯浅治久先生(市川市歴史博物館)の新しい論文集が岩田書院から刊行されました。中世東国社会に関心をお持ちの全ての皆さんに、お勧めしたい素晴らしい一冊です。
 御恵送いただいた湯浅先生にあつく御礼申しあげます。

 一昨日、本学史学科の稲本紀昭先生より御高論「北畠城館趾をめぐる問題」(『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 史学編』第4号 抜刷)を拝受。また、本日、愛知学院大学の福島金治先生より御高論「鎌倉松谷正法蔵寺小考」(『年報中世史研究』第30号)、三浦一族研究会より『三浦一族研究』第9号(村井章介「西国の三浦氏」など掲載)を御恵送頂きました。あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 本日午後、ML催促に応じて、研究室に山内さん・立花さん・尻池さんがお見えになり、一生懸命に仕事をしてくださいました。ちなみに、東京ゼミ旅行の直前に発生した某事件を彷彿とさせるような面白い事件もありました(詳細は山内さんに聞いてください)。
 そして、仕事が一段落したあと、三人の将来の展望について長談義に及びました。
 田中さんを筆頭とするゼミ先輩の皆さん、悩める後輩たちに機会あるごとによきアドバイスをお願いいたします。

ご無沙汰しております

No.3876

下のほうのスレッドで野口先生から「運転免許は・・?」とのコメントが入っていたのでそのレス+質問を。。。。

平日の休みがなかなかないので試験場へいけず、まだ取得できておりません。
今週木曜日は生徒が芸術鑑賞のため休みになるのでその隙にゲットしたいと思います☆
とはいいつつ・・・もう学科を受講していたのが遥か数ヶ月前なので内容が記憶から飛んでいることに加え、まったく試験勉強をしていないので危険です☆いまからすこしがんばります。

今日は中学校で元寇についての授業をしました。
そこで教科書の「蒙古襲来絵詞」を見ていた時、「先生、この時代もレオパード柄って流行ってたん?」と質問してきた子どもがいました。
何のことかというと、集団戦法で闘う元軍の兵士のうち一番手前側にいる兵士の弓矢入れ(?)だけが豹柄なのです。
他の兵士は同じような柄の弓矢入れは背負っていないので、これは元軍みんなが持っていたものなのか、それとも彼の自前なのか・・・はたしてこれは本当に豹柄なのか???「流行」というわけではなさそうですが、この当時の元ではこういった柄の入った弓入れが一般的だったのでしょうか・・・?
(中には「これは豹柄ではなく水玉柄だ」という子もいました☆)謎は深まるばかりです。

絵巻に関連する話では他に、武士の生活の単元の時、教科書の「一遍聖絵」を見せて、この絵の中にはどういった人物がいますか?と問いかけたところ、「化け猫が門の前に座っている」と答えた子がいました。
「化け猫なんて登場していたっけ・・・?!」とあせって話をきいてみると、門を警護している武士が脇にさしている刀が、うまい具合にお尻からタヌキか何かのしっぽが生えているように見えていたのでした。これにはさすがにうならされました☆(笑)

他にも「鎌倉の地名はなぜ鎌倉なのか?」など、思いつきもしなかった素朴な疑問にどきりとさせられたりします。
上の蒙古襲来絵詞の豹柄の謎とあわせて、どなたかご存知の方がおられたら何か手がかりを教えてください。お願いします。

答えないのがよい回答。

No.3877

 テレビのクイズ番組のように、何でもすぐに回答が得られるものではないということを生徒に教える良いチャンスだと思います。
 即答できないと教師としての沽券に関わるなどと考えてはいけません。
 「鎌倉」の史料所見がいつまで遡るかを示し(『国史大辞典』の該当項目を私の恩師が執筆しています)、歴史学で断定的に言えるのはここまでで、そこから先は推測になる。近世の地誌類(『大日本地誌大系』など)に諸説が載っているので、総合資料館や府立図書館に行って調べて、その当否を考えなさい。という段取りだと思います。
 運転免許の方も、頑張ってください。

 『蒙古襲来絵詞』については、豹ではなく虎皮の話ですが、保立道久「虎・鬼ヶ島と日本海海域史」(『物語の中世』東大出版会、1998)が大いに参考になると思います。

ありがとうございました

No.3879

ありがとうございました。
次回からそのように答えてみることにします。

ちなみに昨日から体調を崩し、運転免許の試験は結局受験しませんでした。
たまたま学校が休みでよかったな・・・と思う反面、またしても免許取得が遠のいてしまい残念です。
ゼミ旅行までには間に合うようにしたいです(>_<)

学校の先生は大変でしょう?

No.3880

 学校の先生の仕事は本当に心身共に疲れますから、そのあたりの自己管理も大切です。とくに永富さんは、生徒のために一生懸命になってしまうタイプと思われるので、教科指導のみならず生活指導も頑張っているのだろうと思います。永富さんの教え子は幸せです。
 早々に体調を回復して(一日休んで、もう、元気溌剌だと思いますが)、運転免許をゲットしてください。自動車で通勤出来るようになると、かなり体力的→精神的にも楽になるのではないでしょうか。でも気をつけて!
 ゼミ旅行では、宮崎自動車道路で高速教習を致しましょう(若葉マーク持参のこと)。鹿児島は市電が走っていて、これも良い経験になることと思います。ただし、永富さんに運転をお任せすることになるかどうかは、参加メンバーのご意向次第ですね。